死んだアナタによく似たキミへ
てるてる
死んだアナタによく似たキミへ
■1
白々と照りつける朝日に目を細めながら、ヒトコブラクダは砂丘を上り詰める。そうして開けた視界で左右を見渡し、さらに大きな砂丘を見つけてはそちらへ歩を差し向ける。細かな砂でできた砂丘は一歩踏み出すごとに足が埋まるから歩きにくい。ラクダのフレンズである以上、他のフレンズに比べればはるかにマシなのだろうが、それでも勢いの付きやすい下りは難儀だった。
何とか前へ進みながら、何度目かヒトコブラクダは背中のフタコブラクダを担ぎ直した。動物に戻った親友の体は重く、それだけで足下がもつれそうになる。自分一人だけなら、ここまで足元に苦労しないだろう。
「ごめんね。後もう少しだから。もうちょっとだけ辛抱してね」
だらりと弛緩したフタコブラクダの体を揺すり、ヒトコブラクダは笑みをこさえた。砂丘を下りきり、目的の砂丘へと登っていく。山頂に到着してほっと息を吐くと、眺めのよい頂きの上にフタコブラクダの身を横たえさせる。動物が安心しきった時に見せるような、伸び伸びとした寝姿になるよう四肢を動かし頭を動かししていく。――もう何度もやってきたことだった。
「よし」
満足のいくまで彼女の体を動かして、ヒトコブラクダは頷いた。彼女の頭を膝の上に乗せてその場に坐ると、よく整えられた毛並みを撫でながら景色を見渡す。
「時間掛かっちゃってごめんね。いい感じの砂丘が見当たらなかったから。でもほら、見て。いい眺めでしょ。フタコブラクダちゃんの好きなサバンナもよく見えるわ」
背の高い砂丘からは周囲がよく見えた。低い位置から見ればどこまでも広がっているように見える砂漠が、ある一点を起点に草木が生い茂る緑に転じている。砂漠地方とサバンナ地方の境界だった。
「フタコブラクダちゃんったら、こうやっていつもサバンナを眺めてたっけ。砂漠と違って、動物がたくさん見えるから面白いって言って」
辺境とも言える地方の端にフレンズは滅多に来ない。かわりに、そのような場所にはフレンズになっていない動物が集まりやすかった。ヒトコブラクダのいる砂丘から見えるサバンナにも様々な動物の姿が見えた。境界線に近い木の下に横たわるのはライオンの群れだろうか。ヒトコブラクダの視線に気づいたのか、そのうちの一匹がふと頭を上げてこちらを見た。見慣れないフレンズの姿にどうしようかと首を傾げる様子が面白かった。
――どう、なかなか面白いと思わない?
かつてフタコブラクダがフレンズだったころ。同じようにサバンナを眺めていた彼女が、微笑とともに聞いてきた。二人がまだ出会って間もないころだった。
――動物のころは自分のことで一杯一杯だったじゃない? こうしてフレンズになって余裕ができると、色んなことが面白いでしょう?
頷き返したヒトコブラクダは、そのときようやくフレンズとしての生活に慣れたころだった。動物としての人生からフレンズとしての人生へ。驚きと発見に満ちた転換期を終え、日常に退屈さを感じ始めていたある日。見せたいものがあると言ってフタコブラクダに連れてこられた。
大きく頷いたヒトコブラクダに、フタコブラクダは声を上げて笑った。
「いいねいいね。そんな楽しげなアンタの顔、初めて見たわ」
「そ、そう……かしら」笑われた気がして、恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じた。「たしかに。こんなに楽しいの、初めてかも」
フレンズになったばかりのころは何もかもが新鮮だった。動物のころはできなかったお喋りはすごく楽しかった。だが、それも毎日続けば飽きが来る。生きるために必死だった動物時代と比べて、フレンズの人生は平和すぎた。
「フレンズって毎日食べて遊んで寝るだけしかないんだと思ってました。正直、こんなに退屈なら動物のころの方がいいんじゃないかって思いもしました」
「でも、動物だったらこんな楽しみ方はできないわ」
フタコブラクダは景色に視線を移して、面白そうに言った。
「フレンズの人生は平和よ。弱肉強食もなければ、困ったことがあれば頼れる仲間も大勢いる。食べ物にだって困らない。退屈と言えばそうだけど、余裕があるとも言えるわ。余裕という暇を楽しむことができる人生なんて、とっても素敵なことなのよ」
「ありがとうございます。フタコブラクダさんのおかげで私、元気になれました」
「どういたしまして」
「どうして、フタコブラクダさんはこんなに親切にしてくれるんですか?」
何気なく尋ねると、フタコブラクダは小さく笑んで遠くを見やる。
「……そうねぇ。昔の友達と約束したから、かなあ」
「友達?」
何でもない、とフタコブラクダは言い、そしてふと気がついたように笑うとヒトコブラクダの背中を叩いた。
「そんな畏まらないでよ。もっと砕けてくれて構わないわ。なんたってフレンズなんだから」
「そ、そう……ですか。それじゃあ、その……フタコブラクダ――ちゃん」
「なあに? ヒトコブラクダちゃん」
こっくりと首を傾げたフタコブラクダと目が合った。一瞬の間をおいて二人は笑い合った。思えば、こんなに笑ったのは初めてだった。
「ねえフタコブラクダちゃん」
「どうしたの」
「その。――これからも、一緒にいていいかな?」
「もちろんよ」
「ずっと?」
「ええ。ずっとよ」
こうして、フタコブラクダと自分は親友になった。一緒に遊びながら、色んなことを教えてもらった。そんな輝きに満ちた毎日が永遠に続くと思っていた。
しかしある日、彼女は、唐突に動物に戻り――そして死んだ。
■2
「あれがヒトコブラクダ……? 噂の……?」
すれ違ったフレンズたちの一人がヒトコブラクダの名を呼ぶ。しっ、と直後に別の声がたしなめる。その後に続くささやき声を無視して、ヒトコブラクダは足を進める。砂漠の中心に程近い、むき出しの岩石に覆われた土地でのことだった。
ラッキービーストはフレンズが多く集まる場所に現れる。身を潜める岩場があり、少ないながらも植物の生える砂漠地方の中心と違い、一面砂で覆われた地方の端には当然ラッキービーストも来てくれない。だから食べ物を得るには、どうしても他のフレンズたちに会わなければならない。
――死体と暮らしてる子だって?
――親友だったんだって。哀れな話だよ
――あんなに痩せて……、かわいそうに
通りすぎていくフレンズが口々にヒトコブラクダのことを話題にする。奇異の目も、憐れみの目も。どれもが苦痛だった。
(親友だったんじゃない。今も親友なんだよ)
フタコブラクダとは今も親友なのだ。決して過去形になんてできない。
苛立ちを込めて何度目かの大岩を迂回すると、目の前に特に大きなフレンズの集団が見えてきた。ジャパまんを配るラッキービーストにはフレンズが集まりやすい。貰ったジャパまんを食べながら、談笑に華を咲かせるのだ。
一人がヒトコブラクダに気づいて話をやめる。それをきっかけに周囲の者もぽつりぽつりと話を中断していき、やがてヒトコブラクダが近づくころには水を打ったように静まり返ってしまった。
ヒトコブラクダは俯いたまま集団の中心にいるラッキービーストを目指す。声を潜めて隣の子と話す者。ただ悲しそうな視線を寄越す者。みんなヒトコブラクダに注目していた。
早くこの苦痛に満ちた時間から逃れたい。その一心でラッキービーストの持つ籠を覗き込んだが、籠の中は空だった。
遅れたか、と肩を落としたそのときだった。そっと視界の端にジャパまんを持った手が伸びてきた。
「あの。これ……。来ると思ったから」
そう言って差し出してくる者を反射的に見上げたヒトコブラクダは、目の前に佇むフレンズの姿に凍りついた。
「な、なくならないように、取って、おいたんです。だから、その」
たどたどしく言葉を選びながら、ジャパまんを差し出してくるフレンズ。それは正しくフタコブラクダの姿をしていた。親友であったフタコブラクダそのものの姿をしたフレンズが、目の前に立っていた。
頬を張られたような衝撃があった。後ずさろうとした足がもつれ、その場に頽れた。――何度見ても慣れない。
彼女が最近生まれたフレンズであることは知っている。その気弱な性格や素振りは、彼女に似ても似つかないものだったから。それでも最初に会ったとき、まるで夢のようだとさえ感じた。それが違うフレンズだったと気づいたとき、なんて残酷な夢なんだろうと声を枯らして泣いた。以来、そのフレンズのことを受け入れられない。――受け入れてはいけない気がしていた。
「――いらない」
思わず言葉が口を突いた。
「え、でも……その、おなか、すいてるんじゃ」
「いらない。あなたが食べて」
「え、え……でも、せっかく……」
「いいから! ほっといて!」
思わず声を荒げると、フタコブラクダの姿をしたフレンズは驚いてジャパまんを胸に抱き込んでしまった。
あ、と短い声を漏らしてフレンズは腕を広げる。押しつぶされて見るも無惨になったジャパまんが手のひらに転がり落ちた。
しばらく茫然と見下ろしていたフレンズは、ややあってボロボロと泣き始めた。ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も謝りながら、背中を丸めて嗚咽する。
そんなつもりじゃ――言いかけたヒトコブラクダの言葉を遮るように、周りのフレンズたちが溜息を落とした。落胆し咎めるような視線が突き刺さるのに、ヒトコブラクダは拳を震わせる。彼女を泣かせるのはもう何度目になるだろうか。感情を抑えられず、怒鳴り付けて拒絶してしまう。
投げ込まれる視線から逃れるように、ヒトコブラクダは踵を返した。さざ波のように開いた隙間に体をねじ込み、その場をあとにする。背中に突き刺さる泣き声が、ただただ胸に痛い。
走り去るヒトコブラクダの背を、辛そうに見つめるフレンズがいた。彼女もまたフレンズになって長いが、ヒトコブラクダの嘆きようは見るに堪えない。何とかしてあげたいと思うが、他の者たちと同様、その方策は見当も付かない。
「……誰か助けてあげられないだろうか」
誰に対するものでもない独り言がこぼれ落ちる。それは足下の岩肌に当たって砕け、昼を過ぎ、傾き掛けた陽射しに切り取られた短い影に降り積もる。それが異様に濃い気がするのは気のせいか。
「――聞いた」
「えっ?」
言葉少なな声がどこからか聞こえた。声の主を捜して辺りを見回す死角で、彼女の影から違う影が一つ、するりと抜けて出て消え失せる。数歩の足跡が砂漠に刻み込まれ、やがてそれすらもすぐに絶えた。
■3
苛立ちを込めて砂を蹴り飛ばしながらヒトコブラクダは歩いていた。太陽は地平線に沈みかけ、吹き抜ける風は寒気を孕んで肌に痛い。岩だらけだった景色はいつの間にか見慣れた砂の山になっていた。
どうして、と思った。どうして自分はあのフレンズを受け入れられないのだろうか。どうして――
「――そこな娘」
背後の声に、ヒトコブラクダは振り返った。赤く焼けた砂丘の頂上に、黒々としたフレンズの影があった。
「あなたは……」
眼を細めて問うと、答える代わりに砂丘を滑り降りてくる。そうして目の前にやってきたフレンズは、最後の一歩をまるで見えない階を降りるかのようにふわりと着地する。白銀の髪がスラリと風になびき、露わになった瞳は同じく色のないものだった。
「せ、セルリア――」
「莫迦を言うでない」
笑い含みに言って、フレンズはぴしゃりと蛇の尾を打ち鳴らす。
「申し遅れた。わしの名はゲンブという。――こう見えてもフレンズをしておるのでな」
よろしく、と言って手を差し出してくるゲンブと名乗るフレンズを、ヒトコブラクダは知らなかった。困惑して見つめていると、
「さて、ずいぶん荒れていたようだな」
ヒトコブラクダは顔を上げる。表情のないゲンブと目が合った。
「話せば楽になる。よければ相談に乗るぞ?」
「……放っておいて」
じゃあ、と踵を返して歩き出す。その肩をゲンブは掴んだ。
「どこへゆく?」
「寝床に帰るの」
「今夜は冷えるぞ。他の者と一緒に過ごすのを勧める」
「いい。あいにくだけど、私は一人じゃないから。友達が帰りを待ってるの」
むっとして肩の手を振りほどく。足早に立ち去ろうとしたその背にゲンブが息を吐くのが聞こえた。
「それは死んだフタコブラクダのことか」
ヒトコブラクダは足を止めた。振り返った先にいるゲンブは真顔でヒトコブラクダを見ていた。
「いつまでも死体と寝起きを共にするのは関心せんぞ」
「関係ない」
「みなも心配しておる」
「ほっといて! 心配してるから何? これは私のこと、誰にも関係ない――」
「関係ないだと?」
揶揄するような視線がフタコブラクダに注がれる。
「新しいフタコブラクダにあんな態度を取って。関係ないはずがないだろうが!」
ヒトコブラクダは、ハッと目を見張る。同時に心の中で何かがカチリと噛み合った気がした。親友のフタコブラクダを忘れられないから、新しいフタコブラクダを受け入れられない? そういうことなのか。
「親友であったフタコブラクダの存在が、おぬしの枷になっておる。そうなのであろう」
「そんな……こと……」
あり得ない、と言い募ろうとした言葉はひどく弱々しいものになった。
「自覚があったのではないか。薄々そうだと思っていたのではないか」
ヒトコブラクダはふるふると首を横に振る。肯定すべきか否定すべきが、わからなかったからだ。
混乱して動けないでいるヒトコブラクダの肩を、ゲンブが再び掴んだ。ただし、今度は慰めるようにやさしく。
「わしと一つ思い出話をせんか。少しだけ時間をもらうぞ」
「ずっと一緒だったの」
砂丘の一つに腰掛けたまま、ヒトコブラクダはぽつり漏らす。隣に坐ったゲンブが先を促すように見つめていた。
「私がフレンズになったころ。まだ右も左も分からなかったころから、フタコブラクダちゃんは一緒にいてくれたの。分からないことは何でも教えてくれたし、困ったことがあればいつも助けてくれた。すごく幸せだった。こんな毎日が永遠に続くんだと、私は思ってた」
「だけど違った」
ヒトコブラクダは項垂れた。ある日フタコブラクダの寝床を訪ねたら、そこにあの子の姿はなかった。かわりに動物のラクダが一匹、それだけだった。
「今になって思い返せば、前触れはたくさんあったわ。ずっと体調が悪そうで、一人では立ち座りすらままならないほどに足腰も弱ってた。ひどい咳だったの。ご飯を飲み込むのもしんどそうで、最後の方は水もろくに飲めてなかった」
フレンズの外見は歳をとらない。若い姿のまま固定される。――だが、それはあくまで見た目に限った話。見えない齢は着実に命を蝕んでいき、やがて尽きる。
「なのに私、大したことないと思ってた。大したことないと思おうとしてたのかもしれない。これはただの風邪みたいなもの。だからすぐに元気になるから心配いらない。だからあの日もいつもみたいにまた明日って言って別れたの。いつもみたいにしておかないと、いつもは起こらないことが起こりそうな気がして」
言って、ヒトコブラクダは自嘲して笑う。
「子供みたいでしょ。ホント、嫌になるわ」
「悔いておるのだろう」
悔い、と口の中で呟いた。ゲンブがそっと労るように背をさする。
「親友の最期に立ち会えなかった。そのことをおぬしはひどく悔い、自分を許せないでいる」
「そうなのかもしれない。もし自分がいれば、あの子の運命は変わってたのかもしれない。もう少し、一緒に、いれた、かもって」
ヒトコブラクダは言葉を詰まらせた。濡れた頬が夜風に冷えるのに、両目だけがただ熱かった。びしょびしょになった腕で目元をぬぐう。
動物に戻ってからも、フタコブラクダのそばを離れることができなかった。一度フレンズになったことのある個体は二度とフレンズには戻らない。動物に戻った時点で記憶はすべて失われる。――理解はしていたが、どうしても諦められなかった。あり得ない奇跡を願って日々を共に過ごすうち、やがてラクダは老い、死んでいった。
「――きっと、すごく後悔してるんだわ。私がもっと大人だったら、せめてさよならくらい言えたのかなって」
「おぬしのせいではない」ゲンブは言った。「おぬしはヒトとして当たり前の反応をしたまでだ。起こって欲しくない現実を否認するため、日常を続けようとする。ごく自然な心の動きだ」
そして、とゲンブは言葉を切った。
「そして……、今も否認を続けているのであろう。親友であったフタコブラクダの亡骸を抱えることによって」
ヒトコブラクダはゲンブを振り返る。不思議と怒りはなかった。むしろ何か期待のようなものがあった。自分の現状に対する結論を出せるかもしれないという。これまで悲しさや怒りで中断されてその先を思考することはできなかった。だが、今回はその先へ行ける気がした。出すことを恐れて先延ばしにしていた結論を、やっと出せるかもしれない。
「……新しいフタコブラクダに会ったとき、絶対に認めてはならないと思った……」
ヒトコブラクダは泣き笑いに呟いた。
「私にとってのフタコブラクダは動物に戻ってしまった親友のフタコブラクダだけだったから。もし新しい存在を認めてしまえば、親友だったフタコブラクダの存在が永遠に失われてしまう気がして恐ろしかった」
もしかしたら、という奇跡にすがることすらできなくなる。親友は戻って来ないという現実が確定し、手の届かないところへ永遠に連れ去られてしまう。新しいフタコブラクダを認めるということは、かつてのフタコブラクダを完全に諦めるということだ。それだけは、どうあってもできない。
ヒトコブラクダがそう言うと、
「昔……もそう言っておった」
「えっ?」
「なんでもない。――ヒトはいつか死ぬ」ゲンブは笑い、そして静かに遠くを見やる。「ヒトだけではない。生き物はすべて死ぬ運命にある。死んだ者は決して帰ってくることはない。たとえサンドスターの奇跡を持ってしても。だから残された者はその分も前に進まなければならない。――自らが倒れるそのときまで」
「残酷な話ね……」
「残酷なのだ。生きるということは」
だが、とゲンブはヒトコブラクダに向き直る。
「死んだ者は消滅するわけではない。生き残った者の心の中に、思い出となって存在し続けるのだ」
「心の中に……」
胸元を押さえるヒトコブラクダにゲンブは小さく微笑んだ。
「だから新しい友情を恐れることはない。思い出はいつまでも心に残り続けるのだからな。さあ、おぬしは十分悲しんだ。もう未来へ進んでもよいだろう。過去の思い出とともに、もう一度歩き出すのだ」
「……できるかな」
「できるさ。それが残された者の――生き物の宿命だ」
■4
気づけばゲンブの姿はどこにもなかった。完全に陽が沈んだ砂漠で、ヒトコブラクダは呆然と膝を抱えていた。
帰らなければ、と思う自分がいる一方で、帰って何になる、と思う自分もいる。ゲンブの言うとおり前を進むべき時が来たのだろう。でも、どうやって?
そうして果たしてどれくらいの時間がたったのか。ふと背後から近づいてくる足音に気づいた。足音の方へ首を傾けると、寄る辺なく佇む人影が目に入った。人影は足を止める。迷うように足を踏みかえ、やがて意を決したようにこちらへ歩み寄ってくる。
「あなたは――」
口にしようとした言葉は、涙にふやけて酷く聞き取りづらいものになった。にもかかわらずフタコブラクダは頷いた。
「そ、その……これ。あげてきなさいって灰色のフレンズさんから……」
恐る恐る差し出された手にはジャパまんが握られていた。平たく潰れ、中身の飛び出した見るからに不格好なそれはまさしく昼間自分が拒絶したものだった。
「え、ええっと、ね。お腹をすかしてるから渡してこいって……。本当は新しいのを渡そうとしたんだけど。これでいいって言われて……」
「ありがとう」
フタコブラクダの手からジャパまんを受け取る。怒られると思っていたのだろう。ジャパまんを目で追い困惑するフタコブラクダに、ヒトコブラクダは坐るよう促す。
「さっきはごめんなさい。怒鳴ったりなんかして。ジャパまん、すごく嬉しいよ」
「私の方こそ、喜んでもらえて嬉しいです……」
言って、照れたように笑い、そして不意に視線を落とす。
「……そっくりなんですよね。私と、その……」
「そうね」言い淀む彼女に代わって、ヒトコブラクダは頷いた。「本当に、そっくり」
「私と会うの、つらいですよね……」
ヒトコブラクダはフタコブラクダの姿を見つめる。不安げな面持ちで返事を待つ姿。思えば、こうして間近で見るのは初めてだった。落ち着いて見てみると、姿かたち以外、まるで別人のようであった。
(そう。別人なのだ)
姿かたちは親友と同じでも、中身の全く違う存在。ただフタコブラクダであるがために、親友と同じ姿を生まれてきた。それだけなのだ。なのに自分は、目の前の彼女を敵視し続けてきた。親友の死を冒涜されたような気さえしていた――愚かなことに。
「たしかに、あなたに会うのはとてもつらかったわ」
フタコブラクダの背に、ヒトコブラクダは手を添える。
「親友と同じ姿をしたあなたを、ずっと拒絶してきた。もし仲良くなってしまえば、親友の存在がなかったことになる気がしてとても恐ろしかったから。前に進むのが怖かったの。忘れてしまうのが怖くて、ずっと同じ場所に立ち止まってた。――だけどようやく、前へ進む決心がついたわ」
フタコブラクダが顔を上げた。驚いたような顔をするのに、ヒトコブラクダは苦々しく笑って空を見上げた。
――さようなら。フタコブラクダちゃん……。
私はあなたを置き去りにして、思い出だけを背負って前へ進むことにする。死者は未来へ連れていけない。ありもしない奇跡を願うことは、やめた。
「私の身勝手のせいで、あなたには散々迷惑をかけてしまったわ。本当に、ごめんなさい……」
「私はただ、ヒトコブラクダさんと仲良くなりたかっただけですから……」
ふとフタコブラクダは何かを思い出したように声を上げる。
「もしヒトコブラクダさんが許してくれるなら、私とお友だちになってくれませんか」
「友達……?」
「はい。自分なんかじゃ、フタコブラクダさんの代わりにはなれないでしょうけど……。お二人が歩こうとした道、私も一緒に歩いてみたいんです。だめ、ですかね?」
それは、とヒトコブラクダは言い淀む。
「……私はたぶん、あなたと最後まで一緒に歩くことはできないと思う」
「その時は、またヒトコブラクダさんを探して一緒に歩くことにします。――フタコブラクダさんがそうしたみたいに」
えっ、とヒトコブラクダが聞き返したのに、フタコブラクダは宙を見る。
「灰色のフレンズさんが教えてくれたんです。フタコブラクダさんもヒトコブラクダさんを失って悲しんでいたって。ずっとあなたを探してたって」
――昔の友達と約束したから、かなあ――
かつての記憶が蘇る。寂しそうに笑うフタコブラクダが見ていたのは、かつての友の思い出だったのか。親友もまた、自分と同じような苦しみを感じていたのだ。――否、自分や親友だけではない。フレンズはみな、別れを経験しているのだ。
生き物は死ぬ。それは決して避けて通ることのできない結末だ。つらく悲しいそれは、しかし大局的見れば至極当たり前の出来事だったのだ。残された者は死を乗り越え、前へ進まなければならない。――進むしかない。
ヒトコブラクダはフタコブラクダの手を取った。
「ありがとう……」
多くのフレンズが乗り越えてきた。親友も乗り越えることができた。だから自分も乗り越えなければならない。
「……よろしくお願いね」
乗り越えられる。きっと。
「……フタコブラクダ……」
初めて名を呼んだ。死んだアナタによく似たキミへ、親友の存在をなかったことにする気がしてずっと言えなかった言葉。自分の中で凍りついていた時間が、ようやく動き出した。
今までの分を取り戻すかのように、二人は一晩中語り合った。
そして翌朝。最後の別れを告げるため遺体のもとに戻ったヒトコブラクダは、遺体が消えていることに気がついた。場所を見失ったか、砂に呑まれたか。もしくはサバンナに暮らす動物たちに奪われたかのかもしれない。こんなにも長いこと、そばを離れたことはなかったのだから。
必死に探したが、親友は見つからなかった。
(本当に、さよならくらい言えればよかったな……)
そう心の中で呟いたが、不思議と涙はもう出なかった。
彼女の体はあるべき所で還ったのだと、そんな気がしたから。
――さようなら。
最後にぽつり。呟いたヒトコブラクダは、未練を断ち切るように踵を返す。陽のあたる前へ向かって歩き出した。
砂漠を歩く小さな影。
暁光の中、しっかり前を向いた影は砂の色の中へと消えていく。
――ようやく手にした未来へ向かって。
――終――
死んだアナタによく似たキミへ てるてる @TERU_107
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