大一六七話
「どうしてだ?どうして……お前が、こんな?」
腕だった先の断面に走る焼けるような痛みも、筆舌し難い苦痛も、しかし今の彼女にとっては何等の意味もなかった。彼女にとって何よりも痛いのは眼前の青年の表情そのものであったのだから。
彼の顔面に浮かぶのは困惑、それ以上に衝撃があって絶望があって恐怖に満ちていた。強く掴まれた際に皹の入った腕を押さえつけていた。地面には散乱する文具と巻物、そして漆黒の烏羽が無数に……。
何をして、何をしようとして、何をされたのか、それらを振り返り、事態が容易ならざる状況に陥っている事を解し、彼女は泥に汚れた顔を上げる。
深い深い夜の森の中で、押さえつけられた己は彼を見上げる……。
「違、う。こ、れは……!ん、ん、ん!!?」
「喋るな!言霊は使わせんぞ……!!」
「鎖か縄か!!もっと寄越せ!!この程度ではコイツを止めきれん!!」
退魔の戦士達が弁明せんと口を開いた途端に猿轡を巻き付ける。翼を、三肢を、霊力で強化した膂力で以て、特別に鍛えた鎖で、特製の縄で以てひたすらに封印していく……。
例え片腕が失われていても欠片も油断はなく、欠片の容赦もなかった。彼らは狡猾な怪物共との戦いに生涯を費やして来た身である。僅かな油断が自分達の死に繋がる事を知っていた。寧ろ、即座に首を刎ねぬ事が最大限の温情であったと言えた。最初は二人であった抑え役は次々と援軍が加わり彼女を押し潰さんばかりである。
「やれやれ。間一髪……だったね」
「頭!」
茂みの中から冷たい男が現れる。地に伏す彼女は冤罪を、少なくとも誤解を訴えんと呻き声を上げる。男に弁護を求めんとする。
「よもやこの期に及んでこのような所業を行わんとするとは……全く、半分だけとは言えやはり化物は化物。油断ならないものだね」
「んんんっ!!??」
何処までも酷薄で冷めきった眼差しが彼女を見下ろす。到底人のものとは思えない何処までも温かみのない眼光に思わず彼女は身震いする。
何故?どうして?曲りなりにも苦楽を共にして、彼のために協力して来た仲ではないか?それを……どうして!?
「頭、どのように致しましょう?やはり……」
「処分を決めるのは我らの役目ではないよ。しかし……今はご聖断を頂ける状態でもあるまい。拘束して、下がらせろ。彼の、大君の眼前にこれ以上みっともない物を晒すべきじゃない」
頭目の言に部下たる者達は恭しく応じて彼女を引立てて行く。可能な限り早く……それは彼らもまた頭目と同意見であったからだ。
彼らが仰ぐ事を決めた新たな指導者たる若人に、これ以上心労はかけたくなかったのだ。
「夜咫!」
「危険です!!近付かないで下さい!!」
雑に引き摺られる己の姿に、身を乗り出そうとする彼を傍らの少女は引き留める。その手には血濡れの剣が握られていた。彼女の曲がっていた片腕を切り落とした張本人であり、張本剣であった。
「だが!アイツは……!!」
「お忘れですか、先程までの所業を!!あのような暴挙……到底許される事ではありません!」
彼が弁護しようとするのを、強い言葉で遮る少女。己よりも尚も古くから付き従う彼の同志であり忠臣でもある娘は彼を宥めて、彼と彼女との視界を遮って、そして彼女に対して無限の敵意を向ける。
「所詮怪物は怪物です。ずっとこの時を待っていたに違いありません!!旦那様を、我らを欺き、喰らう絶好の時を待ち構えていたのでしょう。なんと穢らわしい……!!」
顔馴染みの仲間の筈の少女、五十鈴の蔑みに満ち満ちた罵倒の言葉。余りの敵意は、それが仲間であった者からのものであるとは到底思えなくて、烏は唖然として、絶句してしまう。
「五十鈴、そんな言い方はよせ!!」
「旦那様こそ、冷静になって下さい!私が気付かなければ……!そのような反応、旦那様らしくありません!!」
「っ!!」
苦楽を共にした同志の、妹同然に可愛がって来た仲間のその口汚い態度を嗜めようとして、しかし鋭過ぎる反論に彼は言葉を失う。そうだ、普段の彼ならばここまで声を荒げる事はなかった。あからさまに動揺する事もなかった。何よりも、ここまではっきりしない物言いをする訳がなかった。
「俺、は……!」
「仲間に裏切られた心中、御察しします。ですが……お願いします。今すぐでなくてもいいです。それでも少ししたら……普段の旦那様らしく果敢にご決断して下さい!」
皆、貴方に付いて行くと決めたのですから……そのように五十鈴は懇願する。まるで縋るように、願うように、嘆願するように、上目遣いで乞い願う。
「……少し、落ち着いてから決めさせてくれ」
彼は古き仲間からの、その哀れみすら感じさせる言葉に甘えた。甘えてしまった。己を落ち着かせるために踵を返しその場から逃げるように立ち去らんとする。彼らしからぬ優柔不断であった。それだけ彼の心中の混乱と動揺が周囲にも分かってしまう程であった。
「……決める前に死なれては困る。止血をしてやってくれ」
そして僅かに振り向いて、彼は命じた。振り向きつつも彼女と視線を交える事はなかった。それは彼の怯えであり、逃げであった。彼女と顔をこれ以上合わせる事を彼は拒絶したのである。それは彼女にとっての何よりの絶望であった。
「旦那様、御傍に。お守り致します」
「あぁ……」
森の奥にそそくさと逃亡するように消えて行く彼。そして五十鈴はそんな彼に三歩下がって付き従う。
「……穢らわしい鳥」
森の奥に消え行く直前、何処までも見下した眼差しで娘は連行される烏を見下して、吐き捨てる。
「……」
そして沈黙の中で娘は退魔の頭と目配せした。娘は目元を鋭く細めて、頭は微笑を浮かべて、それに舌打ちで返して……女は今度こそ振り向く事もなく彼の背中を追いかけるのだった。実に実に軽やかな足取りで。
口元を歪む程に吊り上げて、何処までも小気味の良い足取りで。
それは凡そ千五百年は前の。実に実に細やかな一幕で……。
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「キイエェェリィオォォッ!!!!」
『ギッ!?』
深い禁地の山森で、鉄の塊のような鎧を着こんだ武者が突如として藪から現れると奇声を上げて一目散に突貫した。刀を振り下ろした。あるいは殴り下ろしたという表現の方が適切かも知れない。何にせよ、猛烈な一撃であった。
『キャ……』
一刀両断、あるいは一刀両裂。暗摩の山森に巣くう妖は何も理解出来ずに、悲鳴すら上げられずに絶命する。
「ふぅぅぅ……!!」
深く深く息を吐いて、右近某は刀を構えたままに周囲を警戒する。暫し身構え続けて……そして脅威の存在がない事を確認して後続に合図を出す。
「ご苦労で御座った、右近どん。そろそろ休みなんせ!!」
「もう八体は切り伏せてるも。十分でごわす!」
同じく藪から現れた武者共の勧めに、しかし右近は首を横に振る。
「まだいけもうす。この程度でへこたれている訳にはいかんでごわす」
特に鬼月の一の姫の事を思えば尚更の事であった。
鬼月の一の姫の提案。その勤皇報国の心を思えば陽動として禁地の森を進む自分達の何と気安い務めな事か!
天狗共の警告に対して襲撃で倒れた骸の回収を名目に強行した侵入……少数かつ散兵、何よりも道理に沿った名目故に天狗共も力尽くでこれを引き留める事を躊躇しているように見え、未だ彼らは妨害は受けてはいない。
「監視は受けているであろうな」
「構わんであんろ。寧ろ無くては困る」
注意を惹き付けて、監視の目を集める。そして一の姫の侵入を手助けする。故に視られ過ぎるくらいでなければ困る程だ。
「お喋りが過ぎろ。口よりも手を動かすべきでごわす」
右近は仲間に対して注意する。沈黙は金である。それに彼らにとって名目は決して蔑ろにして良い適当な仕事でもなかった。骸の回収自体は本気の取り組みである。妖共の餌を放置するなぞあってはならない。特に、それが霊力持ちのものであるならば……。
「この辺りの筈だが……」
右近達は天狗と使節団の接触した地点にまで進出していた。それは幾つかの陽動班の中で最奥への進出であった。彼らは特に特定の人物の骸を見つけ出す役目があった。
「流石にもう食われ切ったのではなか?化物共が放置しているとは思えんと?」
「それならば形見だけでも必要でごわす。家族も浮かばれんであんろ」
「道理でごわす」
ウンウンと頷いて、しかし皆が顔をしかめる。代替わりしたばかりの当主が死して、しかも同行する娘は拐われていると聞いている。生死は期待出来ないし、万一生きていたとしても四肢も五臓六腑も純潔も保証出来ない。件の退魔士家は唯でさえ傾いているというのにこれでは泣きっ面に蜂どころの話ではない。残された下人雑人共は蒼白い表情で沈黙していたものだ。
御家第一の武家故に彼の家には同情を禁じ得なかった。沈痛な表情で口元を引き締めて、任を再開する。せめて討伐の時には娘の方の形見も見つけてやろうと心に決める。
「何処でごわすか?」
「車の通った跡に、棄てられた武具もありもうす。此処らで襲撃されたのは間違いなか」
山森に残された痕跡を基に当たりをつける。そして草の根分けながら鎧武者達は目的の骸を探す。探して、探して、そして……。
「ぬっ!!?これ、は……!!?」
藪の中を捜索していた一人の武者が思わず動揺したように声を上げた。
「どうした!?」
「見つけたでごわすか!?」
南土訛りで叫びながらむさ苦しい武者共は次々と駆け寄って来た。件の者は唖然としたまま何も言わぬ。ただ、仲間の方をゆっくり見ると蒼く褪めた顔で指差すのだった。藪の奥にあるそれを。
「一体何が……っ!!?」
「こ、これは!?」
右近含めて、武者達はそれを見て、固まる。互いに見合わせる。頷く。見た物を認めて、それの答えを導き出す。
「……今すぐ、誰か陣営に戻すでごわす。そして、監査の用意をすべきばい」
何処までも険しい表情を浮かべての発言は、妖共と熾烈に戦って来た南土武士故のものであった。
「よもや、奴らが我らの内に潜んでおろうとは……厄介な事になるやも知れんが」
皆を代表しての右近の呟きに皆が肯定した。
彼らの先、そこに打ち捨てられていたのは「皮」であった。そう。内側から食らい、空っぽになった人皮。退魔士の男の、無用となって放置されていた被り物である。
殻継の一族の、新当主の被り皮で……。
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神罰の事で頭が一杯だった。それに全ての意識が傾いていた。故に反応が遅れていた。
『「あはっ♡」』
妙に甘くて可愛らしくて、そしてそれ以上にあざとく、生意気で、人の神経を逆撫でするような声が響いた。
重なるような声が響いて、狐影が楓花を蹴飛ばした。
「がはっ!!?」
「楓花っ!?『「つーかまーえたぁ♡」』ぐふっ!!?」
吹き飛んだ戦友の名を呼ぶのが精一杯の事であった。単純に体力の問題であり、それ以上の問題だった。俺の身体の主導権は即座に俺以外の物に移される。
『「油断大敵ぃ♡ですよぉ?牡猿ぅ♡」』
狐耳と狐尾の影が行く。俺を背後から捕らえて、首元に腕を回して、耳元で甘い罵倒を投げ掛ける。
殻継稲葉。否、その身体を傀儡とする輩が、その身体に取り憑く狐が嘲る。
「お、まえ……!!?」
『「駄目じゃないですかぁ?退魔の御仕事は片時も気を抜いちゃいけないんですよぉ?」』
いつの間にかこの場にいて、しかもこれまで見てきた無表情な彼女からは想像もつかない程に剥き出しの喜楽の感情。それは彼女自身というよりも彼女の中に潜む存在が無理矢理に動かしてのものであった。
『「救妖衆狐惑組次席、七尾狐の狐璃桃瑚。どうぞお見知りおき下さいなぁ?」』
囁くような耳元での小さな名乗り。そんな事はどうでも良かった。問題は……。
「誰も動くな!!」
楓花も含めた天狗共、そして刀を引き抜こうとしていた雛に向けての叫び。それに周囲の誰もが動きを止める。
『「そうですよぉ?妙な動きはしないで下さいねぇ?そうしないと二人共どうなるか分かりませんよぉ♡」』
「っ!?やはり、『狐憑』か!」
妖狐種の持つ事の多い権能の一つ。人に取り憑き、記憶を読み取り操り、見抜けぬ程に成り代わる技。
肉ある身と肉亡き身の長所を兼ね備えた、意地の悪い力……!!
『「御名答!大した権能じゃあありませんけどぉ、けど直接皮被りするよりはいいですよね♡臓もつ引き抜いて肉皮着込むとかキモいじゃないですか♡どうして黄色い先輩はあんな事出来るのか……本当ばっちぃですよねぇ~♡」』
けらけらけらけら、元気一杯に少女の身体で嗤う狐。その光景に苛立ちつつも俺は問いを投げ掛ける。
「何時からだ。何時から取り憑いていた?」
『「最初から♡なんて言ったら信じますかぁ~?」』
返答は何処までも艶かしく、冷笑に満ちていた。
「貴様……!!」
雛が険しい表情で以て狐を凝視する。その余りの殺気に背後に隠れる狐だけでなく俺までもが肩を竦めて怖じけていた。直接己に向けられた訳ではないというのに、まるで鋭利な刃物を喉元に突きつけられたかのような印象を抱く。
『「うわぁ~、コワーいぃ♡失禁しちゃ~う♡私の身体じゃないけどねぇ!!」』
一人とも一匹とも、あるいはニ人匹で表情豊かにギャグツッコミを入れる狐憑き。ふざけていても、その耳は鼻は虹色の眼差しは、一斉緩まず周囲を警戒していた。
(油断はしていない、狐の癖して慢心していないか!!)
態度とは裏腹に、あるいは演技か。何にせよ狐の虚を突くのは容易ではなかった。
「何が、望みだ?」
何か狙いがなければ今更姿を現すまい。大蛇がくたばってからの、しかもこの場面でのご登場となれば狙いは何だ……?
「『そりゃあ分かり切った事でしょうにぃ?♡』」
「っ!!?」
密着した身体。頬を舐められる。思わず身震いする。
「『なぁに。暫く眠っていて下さいなぁ♡直ぐに親子御対面を……『( :゚皿゚)キツネリスコワクナイ!!』って、いたぁ!!?』」
顎を撫でて、俺と周囲に催眠をかけようとしていた狐憑きは、直後に籠から脱走して俺の身体を登っていた白蜘蛛に指を齧られて本心からの悲鳴を上げた。
「今っ……」
「『動かないで下さいよ!!?この蜘蛛の命は惜しくないのでぇ!!?』」
『( T∀T)ワタシハトラワレノヒメギミ!!』
俺が霊力を操っていたのを見て狐憑きは即座に警告した。その腕には捕まった白蜘蛛。指を齧っても其処までで碌に抵抗も出来ぬままに捕囚となっていた。
「『ふふふ。不用意でしたねぇ♡これで貴方の心臓は私の物、という訳ですよぉ?……皆さんも動かないで下さいねぇ♡間違って潰してしまうかも知れませんよ?』」
『( ;∀;)ミンナワタシノタメニアラソワナイデ!』
俺を嘲り、周囲の天狗と雛に警告。動こうしていた彼女らの機先を制する。再び生まれる硬直。いや、状況はより悪い方向に悪化した。誰もがそのように思ったであろう。
……俺以外は。
「切り札は、最後までとっとく物だよなぁ?」
「『はい?がはっ……!!?』」
突如の俺の呟きに首を傾げた狐憑きは、次の瞬間に仰け反った。電撃を全身に喰らったためである。拘束が解けて俺は狐の腕と尾から逃れる。蜘蛛を引ったくる。『( 〃▽〃)パパダイターン!!』喧しわい!
「そして、絶妙な瞬間だな。……出待ちしてたな?」
『んな訳あるか!』
俺は胸元より躍り出て来た形作られる不定形に向けて呼び掛けた。
貰っていた核を依代に、流した霊力をスイッチに目覚め、流体で己の血肉を形付くる雷獅子の、その摸倣者に向けて呼び掛けた。
……さて、ではそろそろ此度の案件の、本当の本当に店じまいと行こうか?
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「失われた命を蘇らせるのは困難です。少なくとも私はその実例を知りません」
口元の涎と血を袖で拭いながら淡々と松重牡丹は宣う。
「残念ながら魂の理を解する道程は未だ険しいと言わざるを得ません。……それこそ、禁術・禁知に精通していても同様です」
所謂死者を蘇らせられる等と宣うモグリがいればそいつは十中十で詐欺と見て良い。そんな気楽に復活させられるのならば誰も苦労はしない。歴史に残る手練れの退魔士共をあの世から甦らせまくれば人界はあっという間に拡大するだろう。禁地なんて代物は扶桑の領域から根絶される。
「無論。本質的な意味で、極めて厳密な意味で、の話ではあります。より広義に解釈を広げて見れば似かよった事は確かに出来ない事はありません」
例えば鵺の扱う異能禁術がそれである。死した者は復活出来ない。しかし魂を事前に保存して固定化しておけばどうか?
肉体は滅びた所で霧散する、消失する筈の魂を予め加工して留めておく事は金と時間と素質があれば可能だ。より雑な事をいえば肉片の一部を培養すれば遺伝構造上同一の生体個体だって造り出せよう。……其処まで考えて嘗ての師との研究の日々を思い出して今更牡丹は不愉快になる。
「こほん。……他にもっと簡単にいえば、身分けなんてものも蘇生の近縁の技ではありますね。神格共の扱う代替わりの技もその類いに分類出来ます」
尤も、身分けは魂を傷つけ劣化させる行いであり、特に人がそう易々と何度も出来るものではない。代替わりも同様。蛹の中身の如く己の魂を自壊させて溶かしての再結晶化というべき荒業だ。記憶や肉体構造は同じであったとしても、所詮はそれは摸倣品でしかなかった。本当の意味での蘇生・復活であるとは言い難い。
「ですからアレも同様。摸倣品です。何だったら摸倣先すらも摸倣品。劣化に劣化した粗悪品かも知れませんね」
消失する最中、記憶と人格を模写して拵えた贋作の贋作。さて、核こそ相応しい上物を流用してやったが果たして如何程期待出来るものか……。
「まぁ、文句は言わせませんよ。曲がりなりにも人界側に立つ者が妖の手先として働いて来たのです。摸倣品とは言えその埋め合わせはするのが道理というものですよ。……という訳で頼みますよ、獅子舞麻美さん?」
尻から血飛沫噴かせた狐が、逃亡のためにばら蒔いた妖共の山の上で彼女は毒のある物言いで言い捨てた。
未だにビクビク動く、千切れた狐の尻尾を放り捨てて……。
『いや、人を玩具扱いしないで欲しいんだけどね!!?』
誰に向けてか不明瞭な突っ込みを入れながら雷獅子の女は叫んだ。叫びながら突貫した。
『「ちぃっ!!?」』
桃狐の狐憑きは姿勢を立て直して術を放つ。狐火であった。妖狐の扱う基本とも言える火遁術。何もなき空間が突如として燃え盛り火球を生み出しては放たれる。獅子舞麻美の元に突っ込む。
ノーガードで彼女は受け止めた。受け止めて、肉が弾ける。
弾けて……埋め合わされる。
『「っ!?あぁ。そういう形式ですかぁ!!」』
狐憑きは即座に獅子舞の身体の仕掛けを理解した。
今の彼女の身体は付属品の摸倣に過ぎない。擬態に過ぎない。その本体は核であった。以前、『迷い家』の内で遭遇したコズミック染みた粘体。その内核以外を削ぎきった物を松重の孫娘は回収していた。
記憶と特性を記録した核を擬態した粘体で包み込む、それが今の雷獅子の少女の正体だ。出来るのか?と言いたくなったが出来たらしい。何だったらコピー元が既にオリジナルを基にした摸倣品なので良い参考だったとか。これが頭退魔士のリデュースリユースリサイクルの3Rであ……『( ^∀^)アイ・チキュウハク!!』いや、モリゾーというよりミャクミャク様では?
そして腕が飛んでも足が千切れても、頭が吹っ飛んだ所で粘体と核で構築されている今の彼女の身体にとっては何でもなかった。所詮は外装、飾り、装飾だ。生やすのは容易だった。……やはりどちらかと言えばミャクミャク様だろこれ。
『そしてぇ……!!』
『「っ!?不味っ……」』
身体が穴だらけになりながら突っ込む獅子舞に嫌な予感がしたのだろう。さっと一気に後ろに下がる狐。判断は正しかった。そして動くのは遅かった。
『食らいなさいなぁ!!!!』
怒鳴るように叫ぶ。そして雷獅子は放電した。体内で発電した高圧電流を周囲に撒き散らすかのように解放した。大樹の枝木の如く広がる閃光。ばら蒔かれる無数の光線。その一筋が狐憑きに触れる。
『「ぎやぁぁっ!!?」』
苦悶の悲鳴が上がる。電撃が人体に走って痛くない訳がない。二重に重なる絶叫。痙攣してその場で膝を折る少女。一次的であれ神経が麻痺したのだ。動かしようがなかった。
即ち、肉体自体を人質にする選択肢も失われた事を意味していた。
『いただきぃ!!』
『(; ・`д・´)ヤッチャェバーサーカー!!』
迫撃とばかりに爪を立てて雷獅子が迫る。周囲の天狗共が乗じて武具を手に迫る。狐の判断は早かった。
『おさらばどすえ♡』
幻術の発動。視界一杯に濁流の如くあらゆる幻が溢れ出す。視覚だけでなく、聴覚や触覚、遠近感すら狂わせる情報の雪崩。その狙いは……!!?
「駄目だ!手を出すな!!」
『(>ω<。)ゴハンマエニハオテアライ!!』
雛が駆け寄って来ていたのも気にする余裕はなかった。必死の形相で俺は制止の言葉を叫ぶ。
『っ!?そういう事かい!!』
意図は直ぐに咀嚼された。獅子舞も天狗も即座に距離を取る。狐のやりそうな事は彼女達も分かっていたから。
数瞬の幻術、それが霧散した時には其処に残るのは膝折った少女が一人だけであった。放心したようにその場で茫然自失。あるいは気絶しているのかも知れなかった。狐の気配は消えていた。
狡猾な狐らしい罠。幻術に気負って仕掛ければ、残置されていた肉体は、憑かれていた少女の命はなかった。そして狐は嗤いながら逃亡していた事であろう。
『逃がすな!追え!探し出せぇ!!』
天狗の坊長の一人が怒鳴って、四方八方に散らばる天狗共。それを横目に俺はゲロまみれな自分を当然のように支える雛を見やる。
「大丈夫か?」
「残念ながら。……無茶しました。暫く身体が動きません」
『( ;∀;)ワタシノデバンハココマデ!!?』
殻継の姫の異能で無理に身体を動かしていたのだからさもありなんである。それはそうとして煩い蜘蛛は腰籠に戻す。……また出てきそうだなぁ。
「というか……その、さっきまで蛇の腹の中にいましたので、余り近寄らない方がいいかと?」
実際酷い臭いで、抱き支える彼女のお高い装束まで汚れていた。……弁償の必要はないよな?
「そんな事気にするな。自分の身体の心配をしろ。……何が必要だ?」
膝を突く稲葉姫に駆け寄る獅子舞、周囲で窺う天狗共をちらりと見て、雛は問う。
「帳尻合わせを……姫様、御上は何か指示をお出しで?」
というよりも、それが無いのに勝手に動けまい。中納言に死なれたら大問題だ。何等かの勅命が下って中納言の命を気にする必要がなくなった。そう思うべきだ。
「反逆を根拠に天狗の里の討伐の命が下った。私はその偵察だ」
「反逆……」
想定の範囲内の内容であった。俺は周囲を探る。そして同胞に支えられて此方に来る楓花を見付ける。俺は呼び掛ける。
「楓花。ここまでの経緯、弁明出来るか?」
「はぁ……はぁ……私に、させるのかい?」
「当事者だろうが。説明責任くらいしろよ、里が燃えるぞ」
「マジで?」
大層面倒そうな表情を浮かべた楓花は、雛を見て更に嫌そうな表情を浮かべる。そして説明を始める。蛇の事を、開拓村や使節の襲撃の下手人を。そして……使節団に潜んでいた妖の事を。
「使節団について、私達が射貫いたのは一人だけよ。それも……正確にはあんた達の身内じゃないしね」
使節団との最初の接触。交渉。その際に殻継の当主の中身が人ではないと楓花達は見抜いていた。警告は実の所、使節団だけに向けたものではなかったのだ。
そしてその事を楓花は隙を見て俺とも共有していたし、だからこそ俺はいざという時に備えて切り札をずっと温存していた。殻継稲葉の身の安全のために、ギリギリまで気付かぬ振りをして救い出す機会を窺っていた。大蛇側の間者ならば欺瞞情報の担い手に出来るとも考えていた。まぁ、これは杞憂と徒労に終わったがね?
「あんたらのお偉いさんも無事よ。今頃呑気に茶でも飲んで詩でも詠んでるんじゃないかしら?五体も五臓六腑も揃って宜しくしているでしょうね」
「それで?」
楓花の言への返答は冷淡だった。即答で、詰問するように雛は続ける。
「よもやのここまで我らをコケにして、水に流して和解しようという訳か?片腹痛いな」
向けられる殺気に、一斉に楓花以外の天狗共は身構える。予想通りの反応ではあった。
「……当時は此方も色々大変でね。ああいう形で助っ人を招待するしかなかったのよ。勘弁して頂戴な」
矜持の高い天狗の里の意見を纏めて猿の群れと蔑む朝廷に助けを乞うのは至難の業だっただろう。故の楓花達反神蛇過激派は使節団をただ追い払うのではなく乗じて既成事実を作るための誘拐を敢行した……しかしそれは天狗共の都合に過ぎない。朝廷には関係ない。
「此方が貴様らの事情に配慮する義務はない。義理もない。そうは思わないか?」
「……私がこの騒ぎの主体よ。首必要?だったら持って行って構わないけど?」
「たかが鳥頭一匹の首に何の価値がある?……こいつを祟りの人柱にしようとしたのだろう?ふざけるな……!!」
俺を一瞬向いた後、キッと天狗に突きつけた鋭い眼光は先程以上。刀は既に引き抜かれていた。一触即発。否、半触即発であった。僅かな引き金が凄惨な戦いの幕開けとなる。
「雛様、お止め下さい!!」
「伴部!私は……!!」
「雛!」
「っ!!?」
二度目の呼び捨てた叫びに、雛は動きを止めて、殺気も霧散させる。代わりに溢れる感情は何とも形容出来なかった。まじまじと此方を見つめる幼馴染み……。
「心配してくれているのは……分かります。道理も、分かります。ですがこれは中納言様も了承している案件です」
正確には恐らく予期していた。あの爺さんは喰わせ者だ。俺の中では全てのピースが繋がりつつあった。
「楓花。糞蛇討伐の礼は用意してるんだったな?」
「猿……朝廷に対して謝罪と謝意の礼物なら出せるわ。でしょ?」
楓花は雛を警戒する助坊の一人に向けて尋ねる。
『……我々が財貨を収集する一因は人との交易のためだ。光り物として必要な分量は少ない。山の霊鉄と霊木も提供出来る。我らが生活する分にはあれらはそれ程多くは必要とはしていない』
反響するように呪いで加工された声で応じる天狗の助坊。俺を一瞥した後、雛の反応を警戒心たっぷりに窺う。
「……それで納得しろと?到底誠意があるようには思えんな?」
金で解決しようとする天狗の態度に、雛は敵意を隠さなかった。剣呑な空気が一層ピリつく。
「アンタは兎も角、御上は納得するんじゃないか?戦は金が掛かるんでしょ?ケチな朝廷からすれば面子が保たれて金品が出るなら掌返しくらいするわよ。違う?」
「……」
お前達の行動原理はお見通しだ……そんな無礼な物言いでの、しかし的を射た発言であった。暫く黙って微動だにせずに静まる雛……しかし次に紡ぐ言葉は余りにも過激だった。
「鳥共全て焼いてしまえば総取り、違うか?」
『……!!』
天狗の一人が刀を振るう。俺は気力を振り絞って腕を振るった。手車の蜘蛛糸が刀を切断する。そして……業火を放とうとした雛の袴に縋りつく。
「雛、止めてくれ!!」
「っ!?どうして……!!?」
俺を巻き込むのを恐れて滅却の炎は絶ち消える。
「前にも、言っただろ?手を汚すのは……それに……」
それに誰か味方が殺された訳ではない。彼女達天狗連中の人間臭い側面を見れば単なる妖として虐殺するのも戸惑われる。身内への愛情はあるのならば、尚更に。特に楓花には代価に翼を喰わさせた義理立てもある。
……あぁ。言い訳だよ。単なる気分の問題だ。このままでは余りにも締まりが悪過ぎる。だから、な?
「どうか……どうかっ……!!」
「……」
俺は雛を見上げる。雛は俺を見下す。互いの視線が交差して、互いの眼を覗く。真意を見抜こうと見つめ合う。
長く、永く、見つめ続ける……。
「……蛇の始末の功績、お前の物となっては色々と厄介だ。下心のある連中に目をつけられかねない」
雛の言わんとするところを、俺は察していた。退魔の席の端に控えめに居座るなら良い。しかし悪目立ちすれば妬みを買う。陰謀の駒にされる。何よりもこの身体の彼是まで訝られる……俺は話を合わせる。
「……はい。討伐の主体は、姫様です」
「……其処の、お前の懐から出てきた化物については認知しない。報告すれば面倒事になりそうだ。私の素晴らしい功績に泥は塗りたくない。そう思わないか?」
話に触れられた獅子舞は、気を失ったままの稲葉姫を横にしてムッと顔をしかめていた。不機嫌そうに鼻を鳴らす。お前さんには悪いが、俺にとっては彼女の言葉は天啓だよ。
「……全く、全く以てその通りです」
俺はただ、彼女の言を肯定した。最大限、感謝を込めて。
彼女が己の立場と権限及ぶ限りに譲歩と妥協をしてくれた事を理解していたから。露見した際に、彼女に何らのペナルティが無いと誰が保証出来よう?
「ふふっ。笑ってくれ。今の私ではお前を無制限に助けてやる事は出来ないんだ。これが、限界だ」
「……いえ。我が儘でした。お立場に甘えるような行為、お許し下さい」
袴を掴む手を離す。掌にこびりついていた泥やら土やら汁やらで上等な装束が台無しな程に汚れてしまっていた。
多分、俺の買われた値段よりもお高い。
「……本当に申し訳御座いません」
取り敢えず今一度謝っておく。
「はっ。気にする事はない。散々泥だらけで遊んだ仲だろうが。今更お前さんに汚された所で欠片も気にはしないさ。……そも、それを言ったらさっき支えた時に上着はもうドロドロだろう?」
「あー、それは……」
俺の反応に愉快そうに笑って応じる雛であった。最早その手に持つ刀は鞘に納められていた。禍々しい殺気は嘘のように霧散していた。俺は指摘への気まずさに視線を逸らす。ごもっとも過ぎて何も言えねぇ。
……まぁ、何はともあれである。事後処理は置いて置くとして、本題はこれにて一件落着。恐らくな?
……何かとても大事な事忘れているような気がするけど。
『……よぅ。話はついたわね?じゃあやるわよ?』
そんな事を考えていると背後から呼び掛ける声音がした。
「あ?」
無警戒に振り向くと共に俺の頭に衝撃が走った。視界がグルリグルリと回転する。雛が何か怒鳴り付けるのが見えて、獅子舞が悠然と何かを宣う様が見えた。
獅子舞の片手に収まるのはピコピコハンマーで、もう片方の手元にあるのは積木であった。出来立てホヤホヤという奇妙な印象を受ける積木……そして俺は理解する。この行為の意味を。
証拠隠滅とは、実に頭退魔士らしい備えである。記憶が、意識が、希釈して漂白されていく……。
(あぁ。そういえば……)
そして完全に意識が途絶える直前に俺は思ったのだ。
(糞蛇の置き土産は……どうしてやって来ない?)
覚悟していた神殺しの罰の到来が何時まで経っても来ぬ事への疑問もまた、共に霧散していた……。
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