第一六六話

それは喧騒であった。ある意味で狂乱ですらあった。そして常識的に考えれば無謀ですらあった。


 闇夜の中で外に出ず、声を漏らさず、光も漏らさず、見ざり、聴かざり、言わざりて、月は絶対に見上げてはならぬ。ただただ明日の日差しが来る事を願い続ける……それが霊長に過ぎぬ者達の出来る唯一の事の筈だった。


 だからそれは元来無謀な試みであった。野外で火を焚いて、肉を焼いて、泥酔して、歌って踊ってのどんちゃん騒ぎ。自殺に等しい所業。しかし彼ら彼女らにはそんな想像を絶する贅沢が許された。今日この日より、この豊穣の地を手に入れた彼らには……。


 後に央土の都と称される、極東一の豊穣を約束された地を我が物とした彼ら彼女らには。


 喜びの声が響く。慶びの歌が唄われる。数多の隠れ里から集い来た者達が、当てもなく荒れ地を放浪し続けて来た者達が、迫害されて追放されていた者達が、安住の地を得て狂喜乱舞する。後に年祈の祭と発展する儀式のその興りである。実に目出度き事である。


 ……その内輪に、ただ一羽。距離を取って烏がいる。


「……」

「どうしたのかな?折角の祝いの場で随分と湿気た顔をするじゃないか?」


 丸太の上に座り込んで、ちびちびと果実の汁を飲んでいれば横に当然の面で座り込んで来る男。


 端正な顔立ちだった。凛々しくて、知的でもあった。それは彼女にとっての一番の人と同じで、しかし陽性のある彼とは違い軽薄な冷たさを帯びている。その事が彼女に何とも言えぬ警戒心を抱かせていた。


「いけないね。折角の祝いの席だ。そのような仏頂面をするのは良くない。場を壊すし、何よりも足を掬われるよ?」


 意味深げに宣って、男は視線を祭の中央に向ける。偉業を成し遂げた大恩ある彼の周囲に集う郷里の長達。賑やかに何かを語りかけていた。それに応じる……というよりも受け流す彼は外面こそ呑気そうで、しかし長年の付き合いから彼女は相当に辟易している事を察していた。


「偉業を祝う席でもう政争の始まりだ。彼の周囲を固めた者がこれからの主導権を握る事になる。これでは感動的な物語も台無しだね」

「呆れた……」


 彼らは何をしているのだろうか?もっと今を純粋に喜べないのだろうか?終わり良ければ全てよし、というがこれでは確かに台無しだ。


「なぁに。元々お互いに生き残るためならば何でもしていた連中さ。……寧ろこれまで仲違いしてなかったのが思慮深いとすら言えるかもね。政治をする余裕がある事を、そして今こそそれを行うべき時である事を心得ているのさ」


 それに巻き込まれる彼には同情するよ、と男は他人事のように宣う。


「そして、君にもね」

「……私?何故?」


 嘘臭い化物殺し専門の流浪の衆長の指摘に、彼女は怪訝な表情を浮かべて首を傾げた。己が醜い渦中に巻き込まれているという理由が理解出来なかった。


「君は彼の古い古い、最古の同志の一人だ。此度の大事においても重要な役目を果たした。彼からの信頼は絶大で、その功績は偉大だ。報奨も、発言力も約束されている」


 手を組んで品定めするような不躾な眼差しを向けられる。加えて己を試すような口調での指摘……何よりもその説明の中身に彼女は不快感を抱いた。


「私はあの人の力になりたいから頑張っただけ。それだけ。……何か対価を求めて働いた訳じゃない」

「君がどう思うかは重要ではないね。周囲がどう思うかが重要なんだ」


 軽薄な長は手元の濁酒を一口呷る。そして続ける。


「周囲は君の存在を許さないだろうね。邪魔過ぎる。異様過ぎる。余りにも、目障りだよ」

「彼らがどう思っていても気にしない。難しい話をするつもりもない」


 あの人さえ信じてくれるなら、それだけで十分だった。彼は彼女を信じていたし、彼女は彼に全幅の信頼を寄せていた。だからこそ彼は自分に頼ってくれたし、己は彼の求めたどんな危険な役割だってこなして見せた。


 ……そして彼を信じていたから今も生きている。彼は決して勝算のない賭けを強いる事はなかった。自分達は固い絆で結ばれている。何を不安になろうか?何を不満になろうか?誰がその結びを切り裂けようか?


「ほぅ?彼を見捨てると?」

「見捨てる?」


 不快な話を切り上げようとして立ち上がれば投げ掛けられる指摘に、彼女は去ろうとした足を止める。ピクリと眉をひそめて男を見る。賑やかに微笑まれる。不快だった。


「これからは力に頼る機会は減るからね。君のお役目も同じく減っていくだろう。彼の仕事が増える中、自分は己の職務を果たしていると嘯くんだろう?暇をもて余しながらさ?」

「…………っ!!?」

  

 思わず頬を叩きそうになって、しかしそれは人集りの中に生じた喧騒によって中断される。視線を向ける。彼を見る。


 彼は縋る老人達を受け流して焚き火の元に向かっていた。衆目で上着を脱ぐとおどけて腹踊りを始めていた。げらげらと若い衆はそれを見て笑い転ける。傍らの男は冷たい視線を向けて彼に淡々と拍手を手向ける。


「ははは、道化て見せたね。ご老人方との話が大分面倒だったんだろう。あれは……子娘やら孫娘やらしつこく押し付けられかけたと見える」

「……」


 バサリ、と羽が動いたのは偶然ではなかった。確かな動揺……平静を装う。吐き気がしてきた。


「……彼のために、文字通り一肌脱ぐ覚悟はあるかな?」

「……ふざけてるの?」


 突如の提案の、その意味を理解出来ぬ程に彼女は幼くはなかった。外観に比べて、彼女の精神は意外に高く熟成していた。男の言が何を指しているのかを彼女は正確に理解していた。


「大真面目さ。悪くないとは思うよ?彼だって何も気がない訳でもあるまい。寧ろまだ気心が知れてるだけ何処ぞの姫より余程マシさ。君も堂々と甘えられるだろう?」

「貴方の善意を信用出来ない」

「打算だよ。面倒な外戚に私達の地位と立場を干渉されたくない。彼らの中には私達の仕事を忌み嫌う者もいるからね」

「恨まれるような事してきたからじゃないの?」


 化物退治を生業にして雇われる職能集団。しかしその技能と実力はかならずしも人のためだけに使われて来た訳ではないし、己達の利益のために阿漕な契約を要求してきた事も少なくなかった。


「其処は持ちつ持たれつ、てね。君としても別に連中がどんな目にあったかなんてどうでも良いだろう?」

「……」


 沈黙は肯定であった。彼女にとって彼と彼の周囲の極一部以外に対してこれといって親愛は抱けなかった。それは別に半分化物故の事ではないと彼女は信じているが……。


「……三日後。私と私の部下は彼と北の山に調査に行く予定だ。霊脈の枝葉の流れを調べるためにね」

「それが?」

「君も護衛に推薦してもいい」

「っ……!?」


 男の言の、その裏の意味に戦慄する。


「……もう一度言うわ。正気?」

「君こそ正気かい?機会は多くはないよ?後悔は先に立たずだ。虎穴入らずんば虎児を得ず、てね」

「……」


 彼女は無言で立ち去る。背後から男が呼び掛ける。


「明日の夜まで待とう。良い返事を期待しているよ?」


 その提案は、実に実に甘い魅惑の果実であった。無言で集いから離れる天狗は、しかし迷い、迷い、迷い……。


「……ふふふ」


 流浪の化物殺し達の長は、そんな彼女の小さな背中を見て酷薄に口元を釣り上げていて……。







『けーてーりー?』

「んっ……ぽち?」


 彼女が目覚めて最初に目撃したのは不定形の無数の目玉であり、何処か抜けた鳴き声であった。


 起き上がる。身体の節々に走る痛みに顔をしかめる。己が里の番犬?の背中?に背負われている事に気が付く。


「何が……そうだった。確か、私は」


 一瞬の困惑。しかし直ぐに娘達を逃すまでの紆余曲折を思い出し、あの忌まわしい大蛇の存在を思い出し、激しい責め苦を思い返す。痛みでいつの間にか気を失っていた。


「……ぽち、お前が助けてくれたの?」

『けてり!』


 不定形の旧き仲に対して質問すれば返って来る答えの意味を、隻腕の天狗はおおよそ意味を把握していた。把握出来るくらいには付き合いは長かった。


「皆も?あぁ。あれね」


 遠目に空を見上げる。大分離れた空域で繰り広げられる我が子らと山の怪物共との一進一退の戦いを目撃する。


「馬鹿な子達。どうして出て来るのかしら?」


 己の事なぞ捨て置けば良いのに。戦う必要なぞないのに。逃げてしまっても良い。山を捨ててしまっても良い。何の不都合もない。元々それに固執するのが封じられた理由ではないのだから。


「っ、そうだ。奴は……!?」 


 そして思い出す。察する。あの大蛇の存在を。急ぎ視線を周囲を向けて探し出す。


「っ!?逃げて……!!?」


 地に伏せる二人を見出だして、彼女が悲鳴を上げるのと、濁流のような光が呑み込むのは同時の事で……。






ーーーーーーーーーーー

 それは神業だった。大蛇に向けての天狗の飛行技能の全てを叩きつけた空戦。圧倒的に地力で劣る楓花がここまで凌ぎ、挙げ句には懐に抱いた男で以て幾度にも渡って手傷を浴びせたのは、正しく奇跡であった。


 綱渡りの奇跡は何度も続かない。何時かは希望は潰える。寧ろ、彼女が失ったのが片翼だけで済んだのは幸運であったとすら言えた。


《そう。幸運だ。貴様らは良くやったよ。褒めて遣わそう。冥府で精々閻魔に誇るがいい》


 眼前に君臨する黒大蛇は尊大に宣った。全身に呪刀による浅い切り傷を刻んで、しかしその程度は大したものではない。それは楓花の大立ち回りの成し遂げた余りにも細やかな大戦果である。


 矮小なる者達による、健気な抵抗の証……。


「ははっ、冗、談……!!こちとら糞蛇様のお印で蛇酒造る予定なのよ!いいから、その生首寄越しなさいな……!!」


 楓花は罵る。嘲る。凄惨な表情で詰る。しかしその襤褸切れのような有り様を見れば空しい虚勢にしか見えなかった。余りにも惨めで無残な出で立ち。それはまるで……。


《ふん。敗北者だな。実に……実に哀れな事だ》

「勝手に同情してんじゃないわよ、爬虫類が……!!」


 まさに上から目線。傲慢に満ちた憐憫の視線に楓花は憤慨した。其処には単純に見下されていた事以上の意味合いがあるように思えた。


 彼女の、同胞を思う故の怒り……。


《神故にな。神の所業は全てが是である。故に我は憐れむ正統な権利があるのだよ。何を今更な事を……今時の連中はそんな事すら忘れてしまったのかな?》

「知るかよ。ほざいてな……!!」


 一方的な物言いへの楓花の反論。しかしこの状況ではそれは余りにも空虚だった。どれだけ口汚く糾弾しようと、罵ろうと、絶望的な状況は何も変わりやしないのだ。


 そう。口先だけでは何も変わらない。故に……。


「楓花、行ける!やってくれ……っ!!」

「はいよぉ!!!!」


 楓花が稼いだ時間で呼吸を整えて、腹を括った俺が叫ぶ。それに応えて絞り出すような叫びと共に楓花は拍手した。異能の発動である。


「っ……!!?」


 一気に視界が回る。辿り着く。滑り気のある鱗肌が眼前に映りこむ。俺は間髪容れずに楓花の胸元から抜け出して、そして駆け出していた。


 空戦の最中、短刀で切りつける途上、その僅かな隙に蛇の背筋の鱗の合間に向けて差し込んでいた楓花の羽根。異能の基点。其処に入れ替わって転移した俺は予定通りに縄を振るう。


《ぬぅ!!?》

「馬鹿め!!?」


 急ぎ首を背後に向ける蛇の行為は逆効果であった。蛇の首元に縄が巻き付いた後にそれをしてしまっては寧ろ俺を空中ぶらんこのように振り回す事になる。己の体重を乗せてグルリと勢いよく一回転すると縄を切る。切って着地する。


 大蛇のお頭に。登頂部を踏みつけて着蛇してやる。


「自分の頭に向けてっ、光線も毒も放てまい!!?」

《貴様……!?》


 蛇は咄嗟に首を振るって振り払おうとする。前後左右も分からなくなるが問題ない。元々碌に自身だけでは動かせぬ身体だ。縄と異能が自動で俺を突き動かしてくれた。急いで蛇の表皮に爪を立て食い込ませて、振り払われんと抗う。爪が幾つか剥がれる。気にしない。こんなもの安いものだ。


「はっ。この、辺りかな……!?」


 脳の詰まっている辺りを予想する。短刀を向ける。神の血で汚れた呪刀に、地母神の力を込めてやる。神力による傷はこの蛇の権能では癒せない。さりとて短刀では致命傷を負わせるのは容易ではない。故の急所狙いである。


「おら、敗北者同士お似合いにしてやる……!!」


 言うが早いか、その脳天にいつぞや土蜘蛛にそうしてやったように呪刀を深々と突き刺してやった。


《ガハッ!!?》


 蛇眼を見開いての大蛇の悲鳴。痙攣する長躰。俺は短刀を引き抜く。赤い鮮血が舞う。再生はしない。やれる!!


「姫、今度は全力でやって下さい……!!」


 吊り下げた法螺貝に向けての叫び。腕に霊力が籠る。かき集めた霊力による身体強化であった。腕力を限界まで高めて、呪刀が傷口目掛けて突きつけられる。


《ギャッ!!!?》


 腕が肘辺りまで、蛇のお頭に捩じ入った。蛇が白眼を剥く。際程以上の痙攣。泡を噴く。脳を損壊されたら当然の反応であった。


『やった……!?』

「やったかい……!?」


 法螺貝から喜色を含んだ幼声が漏れる。下方からも蛇に張り付いているだろう天狗の声が響く。しかし、俺はそれに同意しなかった。


「柔らか過ぎないか……!!?」


 その感想は以前、同じ神格の蜘蛛の頭に同様の事をしてやった事がある故の感覚だった。蛇の頭は明らかに土蜘蛛の時よりも柔過ぎた。有り得ぬ事である。あの糞蜘蛛よりも、どうしてまだ神格に近い蛇がソフトスキンであると言えようか……?


 《ほぉ。経験者は語るという事かな?よくぞ見抜いたものだ。意外と手練れでも騙されるのだがな?》

「「っ!!?」」


 頭に響く嘲りの声音と、おぞましい唸り声に背後を振り向いた。愉快げに大蛇が見下していた。驚愕。馬鹿な。これは……!!?


『枯れていく!?』

「これは……!?」

「ちぃ、脱皮か!!?」


 頭に短刀を突き刺した蛇は突如として皺枯れて崩れる。俺と楓花は、そして恐らくは稲葉姫も、先程まで戦っていた大蛇が偽りである事を理解する。


 神蛇の脱皮は単純な再生以上の権能を有していた。己の魂の一部を残置することで一時的に分け身のように操る事が出来た。一体何時、何処から入れ替わっていたのか……まるで見当もつかない。


《そぉれ!》

「糞!!猿っ、早く此方に……!!」


 大蛇の尾が全てを薙ぎ払わんとして迫る。俺を呼びつける楓花。碌に翔べない故に、俺が戻って来たと同時に拍手せんとして身構える。しかし……。


「きゃっ!?」


 女天狗の悲鳴。楓花の身体は硬直する。脱皮した皮から溢れて来た無数の子毒蛇に噛み締められたからだ。歪に痙攣する天狗の身体。瞳孔が震える。脱力する身体に一斉に巻き付いて来る幾つもの子蛇。


「させるかよぉ!!」


 俺は脱け殻の頭から飛び降りて彼女の元に向かう。駆け寄る。飛び付いて、子蛇共を引き剥がして、抱き締める。そうしている間にも大蛇の巨尾は目前まで迫って来ていて……。


「間に合わ……」


 轟音と共に脱け殻の頭部が吹き飛んだ。巻き込まれて子蛇共も吹き飛ぶ。皮と子蛇共と共に墜ちていく俺と、そんな俺に抱き締められる天狗。下方を見る。自由落下で湯面が迫る……!!


「糞っ!!?」

「縄を、早く……ぅ!!」

「っ!?そうか!!」


 楓花の呼び掛けに俺は己を締め付けて操る縄をけしかけた。俺の霊力を食らって伸びる縄が更なる餌を求めて楓花の両の手に巻き付く。強制的に動かす。手を、叩かせた。


「うおっ!?」


 風景が一変する。事前に用意していた取り替え地点。湯の津波でも沈まぬだろうと想定していた山頂部へ転移する。だが、楓花の翼が抉れて毒にやられた今ではこれ以上は……!!?


「立てるか!?駄目かっ!!」


 楓花を立ち上がらせようとして、直ぐにその無意味さを思い知る。彼女の片足は蛇の尾の一撃によって異様な方向にへし折れていた。流石にこれで歩くのは縄で締め上げても無理だろう。


「薬、薬を!!腰に、入ってるから……!!」


 顔を死体のように青白くして、汗をどっさり噴き出しての楓花の懇願。それに応じて俺は直ぐに腰元の薬箱から丸薬を取り出す。解毒剤ではない。誤魔化すための麻酔薬、痛み止めである。差し出した薬を、彼女は首を横に振る。俺は握り潰してそれを彼女の口に押し込む。


 因みに全て、法螺貝越しに此方を観察している稲葉姫による操作であった。


「んげっ。おぷっ……うげっ!!?はぁはぁ。もう少し優しく出来ないわけ?飲ませろって要望したけど乙女相手なんだから手心ってのが欲しいわね!?」

「意趣返しって奴だろうさ!……それよりも、やれそうか?」


 俺は稲葉姫の心証を勝手に代弁し、そして尋ねる。俺の質問に楓花は此方をじっと見やった。


「……いける訳?見たでしょ、アレを?予定は狂いないわけ?」

「先程の一撃で傷を確認した。間違いない。見当違いな事にはならんさ」


 今にも死にそうな表情での楓花の疑問に俺は答える。そうだ、問題ない。ちゃんと種は本物に仕込んだ。


《ほぅ?まだ何か企てているのか?それはそれは、楽しみだな?》

「っ……!!?」


 光に俺は女天狗を押し倒す。伏せさせる。直上を光線が通り抜ける。一帯を薙ぎ払うように放たれた光線。山を削る。粉砕する。溶かす。抉り取る……!!


「アプサラスじゃあるまいし……!!?」


 背後に聳え立つ山に出来た大穴に思わず突っ込んでいた。此まで避けて来た光線とは文字通りに桁が違った。山の向こう側が見えた。晴れやかな青空と青々しい雄大な山林が見えた。


「ふざけやがって、ずっと遊んでいたな……!!?」

「猿!動くな!!」

「っ!!?」


 俺が愚痴るのと俺と楓花を翳りが覆うのは同時であった。散弾のように黒々とした飛沫が撒き散らされる。楓花が折れた翼を限界まで広げる。広げて、俺と彼女自身を覆う。


 肉の焼けつく悪臭。楓花の悲鳴。悶え苦しむ。溶解毒の飛沫から、彼女は俺を翼で守った。守って、腐り落ちていく翼……。


「楓花……!!」

「切って、早く、早くして!!」

「っ!!畜生!!」


 短刀に特製手袋で彼女の腐る翼に触れる。元々三分の一まで喰われていた翼は、今は更に無惨だった。所々に溶解されて穴が開いている。その穴は熔けながら広がっている。ごっそりと切り落とすしかなかった。


「耐えろよ……!!?」

「ぐふっ……ぁ!!?」


 付け根から、可能な限り翼が残るようにギリギリの所から短刀を突き立てる。切り裂いていく。


 彼女の自慢の翼を切り落とす。


「ふぅ"ー"、ふぅ"ー"!?」


 口元から涎を垂らす程に悶えて楓花は踞る。俺はそんな彼女に何も声を掛ける事も、何もしてやる事も出来なかった。


《惨めな鳥だな。そうは思わんか、猿擬きよ?》


 そして醜態と恥態をずっと鑑賞していた大蛇は俺に向けて尋ねた。到底、元凶が口にするも烏滸がましい台詞であった。


「糞蛇が、娯楽扱いしやがって……!!」

《粋がるのも結構。実績ある者ならば快く受け入れてやろうて。その半端鳥とは違って、貴様は骨があるようだしな?》


 尊大に横柄に蛇は俺の敵意を受け入れる。ブレる事のない神格らしい上から目線。


「ずっと不思議だったが……俺の事を、知っているのかよ?誰に聞いた?」 

《無粋なものだな。貴様は今私と話しているのだ。他者の事を話題に出すものではない。以後、気をつけるが良い》

「次なんて、あるのかよ……!!?」


 楓花を抱き抱えて、俺は短刀を向ける。実に心もとない頼みの綱であった。大蛇はそれを見下してあからさまに鼻で嗤う。


《……ふぅむ。どうやら何やら企てているようだな?ならば早く魅せてみよ。そう言えばまだその皮の下の素顔は見てなかったな?それかな?ほれ、早くするがいい》

「馬鹿に、しやがってぇ……!!」

 

 俺が抱える女天狗が忌々しげに大蛇の発言に呪詛を吐く。鋭い眼光で蛇を睨む。睨み、しかしそれしか彼女は出来ない。彼女の身体に、最早余裕はなかった。


《貴様に用はない、失せていろ。……どうした、猿擬き。早くしないか?》

「はっ。誰が……唯々諾々と従うってんだよ?そもそも、お前が本物だって証拠はあるのかよ?また脱け殻相手に立ち回るのは御免だぜ?」


 俺の指摘に、蛇はやはり嗤った。口元を歪めて、異常な程に歪めて、皺枯れる。渇れる。萎れて、崩れ去る。


 ……その遥か後方で、湯面に潜んでいた大蛇が姿を現す。


 その口から溢れんばかりの黄金の光を溜め込んで。


「はは、やっぱりかよ?」

《宜しい。そうも勿体ぶるならその切り札、今すぐにでも切りたくしてやろうぞ……!!》

 

 俺の挑発と糾弾への返答は、光であった。先程山を抉ったのと同規模の、あるいはそれを超える規模の破壊の濁流。直撃コースで迫り来る破壊の熱線……!!


「楓花……!!」


 傍らの天狗の名前を呼んだ。彼女を守るように抱き締めた。視界が光に満たされる。呑まれていく。そして、そして、そして……。








 それは、霊欠起爆に匹敵した。


 胎内の神気を濃縮して凝縮し、そして己の長大な身体それ自体を砲身として、加速して打ち出す力の濁流。それは単純ながらも下手に凝った術式や権能を遥かに凌駕する破壊をもたらす。上古の時代には八つの顎からそれが弾幕として放たれて、同じ神格すら容易に殺し切れる程の不条理な技として、大いに恐れられたものである。実際大昔に森龍との戦いでこれを討った神業である。


 ……首は嘗ての八分の一、神気自体も、それを圧縮する臓器もまた同様。今となっては最盛期の百分の一にも満たぬ火力でしかないが。


《カハッ、はっ!はっはっはっ!!搾り出して、この程度か……!!》


 咳き込みながらも大蛇は己のもたらした破壊を見やる。視界の先、猿擬きのいた山は原型すらも残らずに完全に吹き飛んでいた。焦土である。吹き上げられた粉塵は茸雲を形成する。己の衰えを実感して冷笑した。


 猿擬きの本気を引き出すために、墜ちた身で無理をしてしまったと思う。無理をして、この程度の事しか出来ぬ己に失望する。やり過ぎたとは思わない。少なくとも、霊欠起爆等という環境に悪過ぎる禁術を使う猿共よりは。己の光線は水土が汚染される心配のないとても綺麗な技なのだ。

 

《そして、それ以上に……》


 それ以上に蛇を失望させたのは、折角大盤振る舞いしてやったその結末である。己の鋭敏な感覚器官で以て索敵する。あの猿擬きを探す。その気になれば山の一つ二つ越えて相手の気配を察知するのも可能だった。


 いない。あの猿擬きの気配はない。よもや、あの天狗の手品で逃げたのか?


《……いや。あの女狐の言が事実なら有り得んな》


 話通りであるならば、猿擬きはそれを許すまい。女天狗が独断というのも怪しい。上空では未だ多くの天狗が戦っている。無駄に身内意識は高いようであるし置いて逃げたとは思えない。


 即ち、そういう事なのであろう。


《……狐め。大袈裟に法螺を吹いたか?詰まらぬ結末であったな》


 期待した分だけずっと失望は大きい。それが例え身勝手な期待であろうとも。それが神の特権である。元来、神格というのは人の感性に寄り添うものではない。


《……不肖の息子め。こんな所で討たれたか。役立たずめが》


 失望に更なる失望が重なる。その気配が失われたのを感じ取る。己の首の一つから生じた鬼は、頭の中は軽いものの腕節は殊の外見るべきものがあった。故に己の封印を解除するのに、己の雑務をやらせるのに重宝してやったのだが……本当に親不孝者である。


《仕方あるまい。一度全てまっさらとするか》


 色々と予定が狂ってしまった。今更軌道修正するよりも、寧ろ綺麗さっぱりとしてしまった方が良かろう。息子を殺した不死の女を殺す。天狗共も殺す。山の妖共も邪魔だから殺そう。狐共もぬか喜びさせた罰を与える。朝廷からやって来た連中も同様に……いや、幾つかは敢えて逃がした方が面白いだろう。次は骨のある者がやって来るやも知れん。


《……そういう訳だ。誰から相手する?同時に掛かって来ても良いぞ?》


 そして蛇は振り向いて呼び掛けた。眼前には炎の女。空には手隙となった天狗共が幾人か。折角先手をくれてやっても掛かって来る者はいなかった。


 全く。全く以て……期待外れであった。 


《宜しい。ならば此方から手の内を見せてやろうて。多少は抗って……んグっ!!?》


 大仰で尊大な宣言は、途中で呻き声と共に途絶えた。


《ヴ、ぐっ……!!?》


 突如として襲った腹を突き刺すような激痛に、大蛇は悶える。


《な、ナニがぁ……!!?》


 痙攣。激痛。腹痛。吐き気。そして……酷い酩酊感。


《か、あ"ぁ""……!!?》


 異変は急速に生じた。黒蛇の頭部が蒼白になっていく。みるみるとその腹が膨らむ。胴が膨らむ。込み上げる。顎を開く。そして……。 


《ウ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"ェ"ェ"ェ"………!!!??》


 凄まじい濁声と共に、大蛇は吐き出した。濁流の如く、全てを吐き出した。その腹に納めていた一切合切を。全て。


 猛烈な酒精の薫りと共に……。


 





ーーーーーーーーーーー

 作戦は犠牲を前提としていた。


 大蛇を外から殺すのは不可能に近かった。その権能故に攻撃手段は限られる。その巨躰故に、致命傷を与えるのも困難極まる。


 故に俺は攻略法を先人に求めた。二つの伝承より、蛇の攻略法を組み立てた。


 一つは御本人ならぬ御本蛇、有名な八又の大蛇の討伐の伝説。扶桑国建国以前に伝わる、酒で酔わせた大蛇殺しだ。


 今一つは一寸法師の伝承。正確にはその基となった巨人殺しの伝承である。


 二つの伝承を参考にしたのは対象の特性が類似していた事。そして同様の状況を拵えるのに必要な要素が揃っていたから。


 最後に必要なのは覚悟であった。俺のではない。道連れの相方の覚悟である。殆ど自殺同様の要望。生還出来ても確実に彼女は大事なものを喪う。事を始める前日、俺はそれを確認した。確認して、快諾された。


 今更の話であったのだ。道連れだ。元より、生還出来る可能性は限りなく低かった。それを思えば必要な代価は遥かに安かったのだ。何よりも……。


「あの糞蛇に一泡吹かせられるんでしょう?なら、片っ方くらい安いものじゃないの。えぇ?」


 実に実に、愉快で嗜虐的な笑みを浮かべる天狗の物言いに、俺は彼女の蛇に対する底知れぬ怨みを垣間見る事が出来たのだ……。





「問題はっ、げぼっ。!!?此方が保つかっ……て、ごほ、話なんだよなぁ!!?」


 暗闇の中、濁流に揉まれながら俺は息継ぎがてらに叫んだ。酒臭さと生臭さ。大量の酒と湯と胃液の混合物に呑まれながら流されていく。全身を肉壁に叩きつけながら、押し流されていく。


「楓花、ごほっ、大丈夫かぁ……!!?」

「大丈夫な、訳。ないでしょ、がぁ……!!?」


 唯でさえ全身重体な天狗が怒鳴る。怒鳴ってもどうにもならなかった。全身を同じく肉壁に打ち据える。溺れて、流されていく。 


「はぁ、はぁ……おうぇ!!?まずっ。息がっ、!!?畜生!!」


 溺れる。溺れる。溺れる。身体の自由が利かない。当然だ。今は稲葉姫の異能は無効だった。彼女の力は視認していなければ発動しない。


 水が、肺に、糞!!?意識が……こんな間抜けな死に方がぁ、はぁ!!?


「猿っ、口、開けぇ!!」

「あ"、んんっ……!!?」


 楓花の顔が目と鼻の先にあった。一瞬の困惑は、直ぐに衝撃に変わる。  


 乱暴に唇が重なる。舌が押し込まれる。動揺。しかしその意図を即座に理解する。


 口移しによる人工呼吸。いや、酸素の循環。循環呼吸である。彼是言ってる暇はない。確かにこれしか選択肢はない。俺は直ぐに相手の口内に息を送る。送り返させる生暖かい吐息。それを精一杯肺に吸い込んで、酸素を取り込む。取り込んで、相手の口内向けて吐き出す。


 吸う。吐き出す。吸う。吐き出す。それは時間との勝負だった。時間稼ぎに過ぎない。交換する息の酸素が減っていけば、二酸化炭素が増加すればいつか限界が来る。その前に、その前に……!!?


「ぷはぁぁ、見えたよ!!」


 重ねて交えていた口元を引き抜く楓花。銀糸が幾筋も伸びて、しかし濁流に流されていく。そしてそれを気にする暇もない。


 振り向く。暗闇の穴道の中に光が見えて来た。


「さて。行こうか!!?」

「あぁ。御礼参りだ!!」


 互いに叫ぶ。そして……直後に空中に「吐き飛ばされた」。


「痛っ、痛え、たぁ……!!?」


 互いに受け合うように抱き合いながら俺と楓花は地面に転がっていく。ずぶ濡れで、滑りだらけの泥々の姿で。惨め過ぎる出で立ちで、勝ち誇った表情を浮かべて、振り向いた。


「ははっ。随分とまた、偉大な蛇神様らしい勇貌なこった。えぇ?」


 色々と酷い姿で、それでも俺は嘲って見せた。視線の先には嘔吐しまくった末に虚脱気味の大蛇の姿。ぐったりと頭を横にして倒れこむ。その顎は情けなく開き、涎が無造作に滝の如く垂れ流れていた。


 どうやら、作戦は上手くいったようだった。


《貴様、もしや我の腹にぃ、……!!?》

「正気じゃねぇよな?あぁ、分かるぜ……!!?」


 手品の仕掛けは簡単。楓花の異能で蛇の腹の中に転移した。それだけだ。


 楓花の異能は己の翼、より正確にはその中でも特別な羽根を基点として己を羽根と取り替えて入れ換える力だ。それは距離も、ましてや場所も関係ない。そして、その基点が大蛇に仕込まれたのは……。


《翼を、喰らってやった時かぁ、……!!?》

「御名答。本当ならもっと上手く喰わせるつもりだったんだがな……!!」


 翼ごと喰わせるつもりはなかった。戦闘のどさくさにどうにか一枚羽を呑ませられたら……結果は最悪だったがね。


 加えて腹の中に入った後も勝負であった。神格の腹の中である。悠長に暴れていても精々腹痛させている間に消化されてしまうだろう。妖化から焼き払うのも自身の身体の危険性や楓花を巻き込む可能性、何よりも彼女の要望から避けた。


 法螺貝の中に貯め込んだのは水蒸気だけではない。貯め込んでいたのだ。大量の酒を。天狗お手製のそれは人のそれよりずっと度数が高い。


「酒、弱いんだろう?大昔、酔って首落とされたんだったっけかぁ?」


 腹の中に高濃度の酒が大量に。口から呑むよりも余程酷い醜態を晒すと踏んでいた。肝臓が壊れる処ではあるまい。そうでなくても酪酩嘔吐からの虚脱状態になるのは伝承から期待していた。首八本で酔うのだ。一本ならば尚更だ。


「ざまぁ、無いねぇ……!!はは、暗摩天狗手造りの地酒の味はどうだい?浴びる程呑めたろ?」


 同じように楓花もずぶ濡れで嘲った。己の翼を引き替えにしての成果なのだ。嬉しいに決まっている。


「そしてさぁ、こいつだよ……!!」


 楓花は震える足で蛇の嘔吐物に歩み寄ってまさぐった。おぞましい吐瀉物の山の中から見出だしたそれを引き抜いた。


 天狗の継承する神具を、古めかしくも神々しい十束剣を見せつける。


《そ、れは……!!?》

「『天女之羽剣』。お前さんが食ってくれたせいでかなり酷い臭いだが……ウチの大事な大事な家宝さ。言いたい事、分かるよなぁ?」


 腹いせに家宝で一発やってやりたい……それはもしかしたら彼女が己の翼を犠牲にする決意をした、化物の胃袋に御同行する覚悟を決めた一因であるように思えた。ニヤリ、と汁まみれの美貌で良い笑みを浮かべる。肉食獣の笑顔だ。毒で麻痺する身体で、しかし一歩ずつ踏み締めて楓花は迫る。


 それは寧ろ敢えてゆっくりと歩んでいるようにも見えた。妖らしい加虐的な趣向。他の天狗達はそれを止めるでもなく、飛翔したまま見守る。


 女天狗が、蛇の眼前まで辿り着く。


《おのれ、半端と……》

「ほざけ、蛇」


 蛇が罵倒するより早く、十束剣が蛇の脳天を貫いた。グチャリという音はいっそ小気味良かった。頭蓋骨を砕いた音だった。脱皮した脱け殻の時はこんな音はしなかった。


「そして、おらよっと……!!?」

《ガッ!!?、ハ、ァ……》


 追い討ちは残酷だった。剣の半分以上を体重を乗せて肉の下に押し込む。押し込み、骨を貫いて、神具を中で掻き回す。確実に中身をミキサーされて、大蛇は瞳孔を震わせる。痺れたように身体を気味悪く震わせて、舌をのたうち回らす。そして……それきり糸の切れた人形のように動かなくなった。


「……はっ。ざまぁねぇな」


 偉そうな蛇の有り様に嘲りの一言を吐き捨てる。全く、手こずらせてくれたものだった。


「伴部……」

「……雛様」


 気配に気付いた。背後からの呼び掛けに同時に振り向いていた。佇む凛々しい女刀士の姿。その身体には傷一つない。しかし、服装に染み込む鮮血を見れば、彼女が何れ程苛烈な戦いを演じて来たのかが分かろうものだ。


(原作でも己の異能頼りに結構無茶する性格だったが……)


 百聞は一見に如かず。実際に見てみると胸が締め付けられる。罪悪感に心が苦しくなる。突然の参戦に取り敢えずは足止めを御願いしたが……中々酷い扱いだったと思う。


 尤も。だからといってここで報連相は流す訳には行かない。


「鬼は、討たれたのですか?」

「あぁ。邪魔だったからな」

「有り難う御座います。……姫様。事情はかなり入り組んでいます。兎も角、今は一度矛を収めて下さいませ」


 何時でも天狗連中と第二ラウンド開始出来る状態にある雛に申し出る。彼女は本気だ。朝廷からすれば天狗連中はそのような沙汰となっても可笑しくないのだ。飛行中の天狗共もそれを理解しているのだろう、武器を構えていたのは分かっている。しかし、ここに来てひたすら血を流し続けるの惨状は避けたかった。


「……っ!!」


 沈黙の後、雛は刀を天に振るった。振るって焼き払った。


 ……大蛇に付き従っていた妖共を。


『ギャッ!?』

『ガガッ!!?』


 業火が妖共の密集していた空域をざっくりと呑み干した。絶叫も悲鳴も呑み込んだ。上空の薄氷の均衡は呆気なく、あっという間に天狗衆に傾いた。残った魑魅魍魎共は大蛇が倒れた事もあって慌てて逃げ出し始める……。


「そうか、分かった。お前の事を信じよう」


 刀を仕舞い、予想以上にすんなりと俺の要請に従う雛。人質の中納言の心配からか、家人扱の俺の立場を考慮してか、あるいは俺と彼女の個人的友宜によるものか……恐らくは最後が一番比重が高い気がした。つまり、俺は甘やかされている。


「恐縮です」


 今の俺はそれしか言えなかった。それ以外に今の俺に大恩ある彼女に対する感謝を伝える方法はない。


 何はともあれ、これで荒事自体は無事解決した。後は延々とした辻褄合わせの言い訳。事後処理の調整を……。


《これで終わりと思うたか……!》

 

 ……するのはまだ早過ぎる。


《……馬鹿にするなよ、猿と鳥めが!この程度で神を殺せる訳が無かろう!!》


 視線を向ける。蛇が起き上がっていた。白眼を剥いて、砕けた脳天から薄赤色の中身を溢しつつ、それでもそのままに一気に飛び掛かる。俺に向けて、食らい付いて、呑み込まんと迫り来る。


「伴部!」


 雛の声がした。反応して声の方向を向けば映りこむのは急ぎ此方に疾走する女刀士。酷く慌てる彼女に、しかし俺は懐かしい合図を送った。


「っ!?」


 それは条件反射に近いように思われた。即座に雛は足を止める。その姿に俺は頷いた。頷いて、そして……俺と背後の楓花は蛇の顎に呑み込まれた。


「伴部ぇ!!?」

《馬鹿が!!反応すら出来んとは油断し過ぎだ!!》


 雛の絶叫。大蛇の嘲笑。雛が敵意を剥き出しにして蛇を睨む。そんな雛に振り向いて大蛇は更なる笑みを浮かべる。そして、佇む俺と楓花の姿を見て唖然とした。


《……またあの手品か?》

「いんや。俺らは何もしてねぇよ。……お前の腹から御開帳しただけの事さ」


 訝る蛇に俺は懇切丁寧に事実を教えてやった。


《開帳?なに、をっ。!!?あ、ガァ……!!?》


 蛇は漸く気が付いた。蛇の身体も遅れて気が付いたようだった。その顎から腹に掛けてスッと切れ目が浮かび上がる。血が、溢れ出す。その尾に近い切れ目の先端からは糸が伸びていた。糸が伸びて……それは俺の手元まで繋がっている。


 俺の手にする、手車にまで。


「分かってたよ。神罰が無いのに死んでるわけねぇよな?」


 そして知ってたよ。化物はアンブッシュが御約束な事もな?


「まさかと思うけど……短刀で頭割らなかったのが復讐のためだけだと思ってた?」


 傍らの楓花が詰った。その通り。吐き出された天狗の神具で頭を抜いたのはより実質的な意味合いがあった。何せ、短刀は蛇の腹の中に置いていたのだから。


 土蜘蛛の吐き出す刃よりも鋭い蜘蛛糸。それを巻きつけて切れぬ物には限りがある。例えば神殺しに使える神罰を染み込ませた呪刀等……俺は手車の糸を刀身に巻き付けて、腹の壁にそれを突き刺していた。流され吐き出させる最中、手車はひたすらコロコロと糸を転がして引き伸ばしていた。腹の中に通していた。


 そして吐き出された瞬間、顎を基点として糸は蛇の内壁に食い込んだ。まさか外皮より中が頑丈だなんて事は有り得ない。ズルリと綺麗に裂けて、しかし余りにも綺麗過ぎた故にそれは遅れてやって来る。


「祟りは此方持ちの誓約でな。それに……酒に漬けるなら開いた方が良く味が出るだろ?『(´ω` )zzZ……( ゚д゚)ハッ!( ^ω^)マタワタシノダイカツヤクノヨカン!!』……いや、もう終わりだからな?」


 今更お目覚めした子蜘蛛様に向けた突っ込みと、お開きになった大蛇が地に崩れ去るのはほぼ同時の事であった……。


 


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