第一六三話

雲海の中を、群鳥が飛んでいた。


 青空の中に無数の黒点として映るその数は果たして如何程か。百、二百、いやそれ以上の数に及ぶだろう。その多くが螺鈿細工に蒔絵、漆塗りを施された雅な唐櫃を二人一組で持ち運んでいた。重々しい唐櫃を運び、それ以上に重苦しい雰囲気を醸し出しながら、項垂れる。


 それはまるで敗残者の列であり、事実この鳥共を待つ者達からすれば敗残の群れの、敗北者の集団そのものであった。惨めで哀れな敗軍の集まり……。


『……』


 鳥の群れは無言の内にその飛翔する高度を下げて行く。次第に地表が視界に迫っていく。暗摩の山の一角にそれを認める。異形の怪物共の軍勢を。そしてそれらを従える巨蛇の姿を。


 堕ちた龍蛇の邪神を……その残り滓を。


『……』


 先頭の天狗の手信号。それに従って後続組が順番に着陸していく。着陸して、運んでいた唐櫃を並べていく。


《よくぞ来た。さて、貴鳥らの返答を聞こうか?》


 空気を震わせるように鳴り響いた神々しく、重々しく、何よりも毒々しい声音は、しかし実際に声帯で発生させたものではなかった。何なら正確な意味での声ですらなかった。


 精神感応、テレパシーに近いそれは残念ながら今は拡張器のようなものである。これが首が八つあった頃であれば個々人に向けて山の一つ二つ容易に越えて己の神託を下す事も出来たであろうし、心を読み、夢に現れ、精神干渉すら出来たであろう。流石に格の堕ち切った今となっては其処まで器用な事は出来ず単なる会話手段に成り下がっていた。


『シャアァァァァァ……』


 その事を八岐の蛇自身、内心で不本意に思っていた。同時にかつて己を打ち倒した男の一人を思い出して不愉快に喉を鳴らす。よもや己の人格を入れ替える事で読心を欺瞞するとは……。


『……上古の刻より地に君臨する蛇龍神よ。お初に目にかかり光栄に存じ上げます』


 先頭に出る天狗が何処までも恭しく頭を下げる。下げて、宣言して、更に続ける。


『これは、貴柱に拝謁出来ました事への礼物。我等暗摩の天狗党一同からの貢物です。細やかなれど、どうぞお納め下さいませ』


 そしてその発言と共に背後の天狗共が次々と唐櫃の中身を開いていった。


 実に輝かしい光であった。金銀財宝であった。珊瑚、真珠、翡翠、龍玉、水晶。金箔と螺鈿で装飾された宝剣に宝刀、名刀、呪いを掛けられた豪奢な武具が何式も。別の櫃には鼈甲に琥珀、瑪瑙を削って仕立てられた装身具が納められ、手鏡に香炉、陶磁器等の調度品の数々が揃えられ、毛織物に絹織物、特上の反物が段を組む。大判小判、丁銀は奇麗に木箱の内に敷き詰められ、銅銭に至っては文字通り山のようにうず高く積まれていた。


 里中から余さず掻き集めた……そのように表するのが正しいのだろう。そしてそれは単に財貨を供物として捧げる以上の意味合いがあった。


 実の所、呪具でなければ財宝なぞ大半の妖にとって無価値である。光物を好む天狗の要素を持つからこそ、人と商取引出来るだけの知性のあるからこそ、そのような天狗が捧げるからこそ、其処には単純な行為以上の価値があった。


 即ち、己の本能を抑え、人との交流を捨て、服属するという証……。


《贄は何処か?》


 宝物なぞ一顧だにせず、何処までも冷たい視線が高みより天狗共を睥睨した。問い質した。貢物なぞ当然の事で、そこに込められた意味なぞ当たり前の話で、大事なのは要求に応えているかどうかである。この程度で煙に捲こうというのならば片腹痛い話であった。


『……』

《贄は何処か?》


 沈黙する鳥共に向けて頭上高くから見下す蛇神の今一度の詰問。一言一句同じく、音程も変わらず、静かに問い詰める。下手に怒鳴られるよりも、遥かに背筋が凍る。


『っ……!!』


 代表する天狗は外套越しにも分かる身震いをして、そして頭を下げる。


『……い、今。引立てますれば』


 そして背後を振り向き部下に指示を出す。そして現れるのは縄で両腕を拘束され縄で引き摺られた人影の姿が二人分……一人は黒装束の能面。今一人は長身の天狗であった。女天狗。天狗の赤坊長……捕らえる際にひと悶着あったのだろうか?襤褸の装束に血の滲んだ包帯まで巻き付けている。痛々しい姿であった。


《……宜しい。贄を此方に》

『お、お待ちくださいませ。何卒、何卒……お願いが御座います!』


 そして蛇の要求に震え切った声音で天狗の代表は叫ぶ。跪く。頭を下げる。


『我らが女王の御姿を、母様の無事を確認したく……どうぞ、どうぞ!!一目、どうか……!!』


 心底怯え切っての嘆願であった。釣られるように背後の天狗共も同じく跪いて懇願する。実に実に惨めな光景であった。


「情けない奴らめ……」


 舌打ちの呪詛が赤坊長から漏れる。大蛇に従う有象無象の異形共はその姿を冷笑する。


《……良かろう。孝行心は大事であるからな?よぉく分かるとも》


 そして喉を鳴らせばそれを合図に背後から現れるのは蛮刀を腰に吊るした筋骨隆々な鬼の姿。軽く人の五倍以上の背丈をした異形の巨人は、その腕に小さな人影を、その胴体を丸々と握り締めている。


『母様……!!』


 両羽は弄ばれて歪に折れていた。乱れた黒髪には血が滲んでいた。項垂れる首から下にかけても酷い。痣だらけだ。衣服も血塗れで覗く肌は切り傷まみれである。だらりと垂れる足は弱々しく、ポタリポタリと血の粒が滴り落ちる……余りにも無様な姿であった。


《死んではいない。逃げられぬように羽は折り畳ませただけの事よ。……良かったな。もし貴様らが此処に来なかったら下僕共に下賜する所だったぞ?》


 いたぶるような邪神の物言い。実際、下僕共の中にはこの母天狗を求める物も多かった。もし群臣共の中にこの半端鳥を放り投げていたら、それはさぞ凄まじき光景を見る事が出来たであろう。蛇はそれを許さず短慮な獣共を幾等か潰して理解させたが。


 ……善意ではなく、悪意から。


『……御配慮。御慈悲、有り難き幸せで御座います』


 深く深く、感謝を捧げる。実に理不尽で、滑稽で、惨めな光景であった。正しく、敗北である。


《贄はまだか?早くせよ。生憎、私は寛大だが気長な方ではない》

『は、ははっ……!!』


 催促に即答。頭を深く深く垂れて応答。背後の部下に指図する。


 そして黒装束に女天狗……贄共が引き渡される。縄を持つ天狗達に背中を押されて、前に突き出されて、膝を折って大蛇の前で跪く贄が二人。それはまさに食い殺さる直前の有様であった。


『我らが主君よ。贄は捧げました。どうか、どうか母様を……』

《ならぬ》


 震える声音で、しかし義務感に囚われるように求める。無慈悲に拒絶される。


『な、ならば誓約を!!誓約を結びますれば!どうか、どうかお慈悲を、どうか……!!』

《ならぬな》

『な、何故!?何故そのような御無体な……!!?』


 悲鳴に近い叫び。その必死で哀れな様は山の怪物共の嗜虐心を何処までも煽るものであった。長年暗摩の山で無慈悲に君臨していた支配者共の堕ちきった無惨な光景を嘲る。


《……ふん。愚かな事を言うものだな》


 大蛇は喉を低く鳴らしていた。冷酷に冷淡に、醒めきった眼差しで泣き声で懇願する半端鳥共を見据える。そして口元を何処までも酷く釣り上げて吐き捨てた。


《当然であろうに。……よもやこんな汚物で贄を誤魔化せると思っていたか?なぁ、猿?》

『……けてり?』


 擬態の限界に近づき崩れ行く黒装束の人型。面と装束の隙間から覗く円らな瞳と気の抜けるような独特な鳴き声を、大蛇は鼻で笑った。最初から全てを見透かしていた眼孔を細めて、それを凝視し、見抜く。


 天狗共の中に潜んでいた刺客が、短刀を引き抜き駆け出すその光景を……!!


『……ちっ!!、お前達、放て!!』


 蛇の宣言。襲いかかる怪物共。そして擬態の失敗に舌打ちした天狗の長の命令は同時だった。次の瞬間背後から飛び出した天狗共の前衛は一斉にそれを構える。法螺貝を咥える。そして勢い良く吹き鳴らした。噴き鳴らした。


 熱風と熱湯が濁流となって、大蛇の下僕共を押し流した……。






ーーーーーーーーーーーーー

 天狗共の備える法螺貝は呪具の一種である。妖貝に特殊な加工を施したそれの正式の名は『肆食吼法螺』と呼称する。


 加工しても尚、生きている貝妖怪はその生態、そして呼称の通りの能力を備えている。


 元々凶暴な肉食妖貝であるそれは、持ち主の霊力を食らう呪具と化した事によってその本来の性質を変化させていた。


 遠距離通信を含めた計四種の機能を有する法螺貝の、天狗共が使ったそれは『吼水』と称されるものだ。それ自体は水を大量に溜め込み吐き出すだけの当たり障りのない機能であるが、問題はその水である。


 暗摩の山より湧き立つ温泉水、しかも態々態々地下を掘り出して見つけた水脈から吸い出した熱湯と熱風は、気圧の関係から法螺貝の内より解放すると共に勢い良く放たれる。


 地熱でとことん煮え滾った湯と熱風は、その勢いと量も相まって凶器と化した。有象無象の妖共は洪水……否、洪湯の中に押し流しそして底に沈んでいく。熱は肌を焼き、湯量が窒息を招き、凄まじい濁流は土砂や木々を巻き込むと妖共の全身を荒々しく叩きつけては肉を磨り潰す。並の中妖以下の連中はこれだけでほぼ壊滅した。


『油断するなよ!!?逆に言えば、残ってるのはどいつもこんな小細工じゃ死なねぇ厄介な奴ばかりって事だ!!』


 天高くに陣取った口の悪い黒衣の天狗が大声で叫ぶ。周囲には同じく武具を構えて下方の濁流と白煙の中を警戒する無数の天狗の軍勢。洪湯を放つと共に飛翔して巻き添えを免れた天狗達は高度を取りつつも蛇神とその僕共の頭を抑える。


『来たぞ!!出合え出合え!』


 そして数歩先すら分からぬ湯煙の中より飛び出して来た中妖以上の怪物共。天狗の軍勢は指揮官の嗾けの声に続くように即座に飛び道具により迎撃を開始する。


 そして多くの下僕共が煮殺された熱湯に悠々と浸りながら蛇は思った。実に愚かな選択であると。


 既に飛翔しているだけでは己から逃れる術はない事なぞ分かっているであろうに。所詮鳥頭、喉元過ぎれば熱さを忘れるという事であろうか?宜しい、ならば悠々と遊覧飛行している貴様らを纏めて焼き鳥にしてくれよう。


《……等と考えてくれると算段していたかな、猿?》

「……!!バレてやがるね!!」


 湯煙の中、気取られぬように湯面ギリギリを超低空飛行して来た天狗と、それに抱かれるようにして固定される人間擬きを睨む。睨み、嘲り、顎を開く。蛇神にはその狙いが分かっていた。確かに蛇には熱を探知する感覚がある。熱湯と熱風でそれを欺瞞して肉薄せんとしたのだろう?隠れたのが即座に見つけられた事への対策だったのだろう?高度を取る天狗共は意識を逸らすための囮なのだろう?


 しかし、蛇神はそれをも読んでいた。読んだ上で、敢えてこの瞬間まで乗ってやったのだ。


 希望が絶望に変わる瞬間、それを求めるが故に。


「ちぃぃぃぃっ!!?」


 女天狗が即座に身を翻す。突風。羽が空を切り裂く音。直ぐ横を光の柱が貫いた。熱線によって蒸発した熱湯が最初とは比較にならぬ程の水蒸気を発生させる。触れたらそれだけで水膨れになってしまうだろう程の高温であった。柔な人間も抱える赤坊長は、それを逃れるためには高度を取るしかない。そしてそれは蛇神にとっては良い的であったのだ。


「二撃目、来るぞ……!」

「分かってるってぇのぉ!!」


 抱く人間の警告に怒鳴るような返答。二撃目を避けられたのは奇跡に等しい。これだけでこの女天狗の飛行技能が傑出したものである事を証明出来た。


「やれ!」

「言われなくても!!」


 女天狗の指図に抱えられる刺客は応じた。応じて投擲するのは複数の短刀である。光線の射線が通るという事は逆説的に向こうからの攻撃も通るのだ。無論、この程度の攻撃、本来ならば蛇神には何らの意味もない。


『ヴオ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ッ゙!!』


 湯煙の中から勢い良く飛び出した鬼はそれでも全てを振り払った。蛇神を守るようにして荒々しく髪と蛮刀を振るい、蛇に迫る短刀の形をした殺意を次から次へと叩き落としていく。叩き落として、咆哮する。その片腕に捕らえる隻腕の天狗を見せつける。人質として。


「構うな!!突っ切れ!!」

「糞っ!!」


 男の叫びに苦々しげに赤坊長は突貫する。鬼は僅かに困惑するが即座に蛇神の前に躍り出る。


《人質は棄てるなよ?あれは見せ掛けだ》


 蛇神による鬼にへの警告。蛇は既に見抜いていた。強硬策は人質を捨てた訳ではない事を。駆け引きの、見せ掛けのこけおどしに過ぎぬ事を。


『オ゙オ゙オ゙オ゙ッ゙!!!!』


 咆哮による肯定。そして天狗と人間に迫る。立ち塞がって、蛮刀を振るう。


「同じ手を食らうかってのぉ!!」


 最初の遭遇の頃ならいざ知らず、奇襲の不意討ちでなければ楓花は鬼の一撃を避けきって見せる自信があったし、実際避けて見せた。横薙ぎに振るわれた一撃を頭を下げて紙一重で避ける。……直後に発生した衝撃波で彼女の姿勢は崩れる。


「んなっ、……馬鹿力め!!」


 周囲の気流を強引に乱された事でグルリグルリとふらつくように楓花は飛行する事態に陥る。陥るが、それでは終わらない。


「ちぃ、早くやれ!!」

「分かっている!!」


 短い会話、そして天狗に抱えられる刺客の男による再度の蛇神に向けた短刀の投擲。しかも今度は唯の投擲ではない。誘導されていた。


 刺客たる男が投擲した数本の短刀、その全てに走縄が結ばれていた。意思を持つ縄は男の霊力を食らいながら何処までも目標目掛けて伸びて行く。もし男が表するとすれは有線式ミサイルとでも語っただろう。


 尤も……。


《詰まらんな》


 迫る刃に向けて蛇は吐き捨て、鬼は前に立ち塞がると蛮刀で切り伏せる。似たような事はこれまで相対してきた天狗共の中にもやって見せた者がいた。毎度愉快な戦い方を思い付くと聞いて期待していただけに落胆する。


 加えるならば切り裂かれた縄はそのまま鬼に絡みつくが無駄な行為であった。


 霊力や妖力を吸い取り成長するならばそれらを断てば良いだけの事である。古き鬼であれば己の肉体の、妖気の流れ程度自身で操作出来る。吸い出せる妖気さえなければ縄は縄に過ぎず、そして鬼の筋力は身体強化抜きでも人を遥かに超えるのだ。あっという間に纏わりつく縄を引き裂いて見せる。ニンマリと嘲笑って見せる。


「知ってるよ。想定通りさ!!」


 天狗の女の叫びは決して虚勢ではなくて、その獰猛な表情は喜悦に歪んでいた。鬼はその表情に困惑する。


 ……天狗の袖口から縄が伸びていた。視線を伸ばす。手中に納めた人質の、その太股に縄に結ばれた短刀が突き刺さっていた。短刀と共に、烏羽が結ばれていた。


「『禽還羽』っ!!」


 パチン、と拍手が鳴り響き、鬼の手中にある人質の姿は消え失せた。そして、握り締めていた鬼の指は切れ落ちていた。


 鬼の腕の中で、天狗に抱かれた人間が手車を振るっていた。






ーーーーーーーーーー

『禽還羽』……天狗の赤坊長たる楓花の有するその異能の効果はある意味単純明快だ。


 己の一部たる羽を己自身の分け身と仮定して、己自身と取り替える。位置を入れ替える。取り替えっこ……拍手という簡単な合図と共に発動するそれが最初の襲撃から俺と楓花が逃れる事が出来た理由である。


 楓花に抱かれた俺自身も異能の効果範囲であるように、『羽の付属品』と解釈する事である程度融通の利くらしいその力を天狗連中の『母様』の奪還に活用した。


 短刀の投擲は陽動を兼ねていた。蛇と鬼に向けての投擲に紛れて天狗の御母堂様に向けて本命が向かう。羽を抱き合わせたそれを突き刺して異能の効果範囲に加える。そして、俺達と入れ替える。入れ替わる刹那には手車が振るわれる。


 神気で紡がれた蜘蛛糸は、推定凶妖級の鬼の指を数本切断していた。突然の事もあって慌てて握り拳を解いていた鬼。楓花はその隙を突いて一気に脱出する。


「ポチ、お手しろぉ!!」

『けーてーりーっ!!』


 怒鳴るように楓花が叫ぶ。合図する。応じるように湯面に控えていた諸護守のポチが飛び出した。俺達と入れ替わって湯に向けて落下する御母堂様をクッション染みて受け止める。受け止めて一気に離脱を開始する。洪湯攻撃はこの段取りも想定してのものだった。俺の黒装束を着込ませて偽造していた飼いスライムをそのまま湯中に潜ませるためのものである。


「とは言え、目隠しとしては失敗だけどな!!」


 鬼の手中から離脱した直後に放たれる光線を楓花が急旋回で回避するのを特等席で鑑賞しながら吐き捨てる。蛇には五感以外に温度を認識するピット器官がある。温泉湯と湯煙で視界を満たしてやれば察知出来ないと思っていたんだが、やはり神格は甘くはないか……!!


「仕方無いでしょ、生きてるだけ儲け物ってね!……作戦は丙に変更するわよ!!」


 降伏に見せ掛けてからの不意討ちを甲、湯煙に紛れての襲撃を乙として、糞蛇の蛇酒醸造計画は次々善計画に移行する。


「本命ではあるが、正直やりたくなかったな!!」

「そりゃあっ、私のっ、台詞でしょうが!!っ!!?」


 光に満たされる。拍手。視界が変わる。湯面から突き出る岩場に着地していた楓花。投擲していた短刀の全てに羽は抱き合わせていた。弾かれた一本が岩場に突き刺さっていたらしくそれと己を取り替えたようだ。轟音と光に首を回せば巨大な蛇が何もない空間向けてゲロビを吐き出していた。一瞬でも遅れていれば間違いなく焼肉になっていた。


《またそれか。ちょこちょこと愉快な手品な事だな?》


 光を吐き終えて、白煙を吐き出しながらギョロリと巨大な眼球が此方を睨み付ける。脳内に直接叩き付けるような反響は気持ち悪かった。


《事前動作が簡単なのは厄介だな。しかし……よもや、対策をしていないと思ったか?》

「っ!?翔ぶよ!!」


 湯面から浮かび上がる気泡に楓花が叫ぶ。同時に飛び出して来るのは無数の海蛇の群れ。顎を裂けんばかりに開いて突貫する。そして、破裂する。


「……!!?」


 楓花は咄嗟に羽を振るう。突風を生じさせる。破裂した蛇の肉と体液を風で以て退ける。


 湯面に跳ね返って飛び散る肉片。ジュワッと蒸気が上がり生々しい臭いが立ち込める。体内に溜め込んでいた硫酸か何かの臭いだった。卑劣爆弾じゃあるまいに!!


「糞、やってくれるね!!」

「鬼が来るぞ!!」

「くっ!?」

 

 飛翔による離脱は上空から飛び込んで来る巨鬼を相手にする必要から無理があった。錆び付いた巨大な蛮刀が迫る。


「受け止める、踏ん張れ!!」

「気楽に言ってくれるっ、うおっ、お!!?」


 楓花からの文句と俺が蛮刀を受け止めるのは同時だった。頼みの綱の呪いの短刀は見事に百倍以上の大剣を受け止める。轟くような金属音。衝撃で足に負担がかかる楓花が悲鳴を上げる。鬼が大口を開く。


「っ!!?耳塞げ……何っ!!?」


 咆哮を予想して、しかしそれは的外れだった。


 猛烈な酒精の薫りに思わず酔いかける。何処ぞの碧鬼すらも遥かに超える濃厚なそれは、しかしそれ以上に凶悪だった。


 カチカチッと。まるで火打石のような音が鬼の喉奥から鳴り響く。目を凝らせば何と暗闇の奥底で喉仏が擦れあっていた。


「離脱しろぉ!!」


 酒精の吐息は直後に業火へと変わった。火炎放射であった。舐めるように四方八方に勢いよく拡がる紅蓮の炎。その嵐の中から俺達は飛び出す。


「熱っ、熱い……!!?」

「叩きな!!早く!!火を消しな!!」


 楓花は兎も角、俺は装束が燃え移っていた。全身の装束が燃え盛る。熱、熱、熱いってのって……!!?


「というか楓花!お前も!お前も!髪、髪が!!?」

「あぁ!?あぁ畜生!!人の自慢のお髪様を!!?」


 烏の濡れ羽色の楓花の長髪にも火が移っていた。舌打ち、そして思い切り良く楓花は手刀で髪を切り落とす。ざっくりと、ウルフカットする勢いであった。


「あの糞酒臭鬼が!!ぶっ殺してやる……!?」

「糞、駄目だ。消えねぇ!!衣服に酒精が染み込んでやがるからか!!?」


 楓花の罵りに重ねるように俺は叫ぶ。度数が高過ぎて、何なら成分も違うのだろう。まるで灯油か何かのように揮発性と発火性が高かった。このままでは衣服の燃焼を止めるのは不可能だった。


「駄目だ……!!楓花。落とせ!早く!!早く!!」

「ちぃっ。溺れんじゃないよ!!?」


 俺と楓花を結びつけていた縄が解ける。落下する。熱い湯の中にドボンと落ちる。熱かったが、流石に少し冷め始めていたし炎よりはマシだった。


「……!!っ!っっっ!!!!」


 気泡まみれの視界。上下左右が不明になって、そんな中で俺もまた縄を取り出した。縄は独りでに伸び出す。何かを捕らえて固定して、勢い良く引き上げて行く。


「ぷふぁ、あ!!?はぁ、はぁ……こ、ここは!?」


 湯面から顔を上げる。荒々しく息継ぎする。縄は湯面から飛び出している大樹の枝木に絡まっていたらしい。あるいは敢えてそういう所に楓花が狙い済まして落としたか……何にせよ、縄を伝って大樹に向かう。湯の流れに呑まれぬように寄り添う。周囲を必死に見て状況把握に努める。


「楓花……!!」


 天を見れば楓花が巨鬼と衝突を繰り返していた。空を自由自在に飛び回る彼女は、しかし鬼の身体能力は理不尽を超えている。跳躍は普通に彼女の飛行距離にまで届く程で。湯面を凄まじい水飛沫と共に駆け抜ける。飛行には劣るが故に戦闘は拮抗していた。……じわりじわりと楓花が削られる形で。


「彼方も、余り楽観出来ねぇな……!!」


 そして更に視線を高く上げれば有象無象の魑魅魍魎相手に死闘を続ける天狗の軍勢の姿。高度を一定に保ち、組織的に防戦する天狗連中は、しかしそれでも疲弊しつつある。撤収も撤退もする気配はないが焦燥はしているように見えた。取り決めに従って高度と展開空域を保ち、光線の届き得る危険地帯に留まる。


 翳りが、俺を覆う。


「っ!!?」


 鱗に包まれた巨大な尾が真上にあるのを察して縄を振るわれる。意思ある縄はしなやかに伸びると百歩先の大木に巻き付いて、俺を巻き上げる。直後に水飛沫。湯面に叩きつけられた尾が先程まで俺のいた場所を滅茶苦茶に押し潰した。


「はぁ、はぁ……糞蛇が!」


 到着した別の大木を登って、俺はそれと相対する。大木の上に登っている故に前回程ではないがそれでも見上げる形で俺は件の糞蛇様と顔を合わせる。理知的な眼差しが俺を観察する。


《ほぅ。考えたものだな。縄をそのように使うのか》


 大蛇は寧ろ感心するように感想を漏らした。蛇の視線の先に映る俺は、俺の焼け垂れた装束の下からは地肌と共にそれが覗いていた。


 装束の下での亀甲縛り、あるいはそれ以上に濃密に全身を縛り上げて、締め上げているのは別に趣味ではない。合理的かつ必要に迫られての事である。


 土蜘蛛の巣穴で行ったテーピング擬きを更に推し進めた結果である。霊力を食らい伸縮自在、硬軟、細太、厚薄をも変幻自在の天狗の走縄。それはある意味で強化外骨格的に活用する事が出来た。ボロボロの身体を支え、それどころか身体能力それ自体を強化する。


「はは。ネタバレするにしては早過ぎるな。覗きは良くないぜ?糞っ垂れ……!!」


 俺は折角の策の種がバレた事に苦々しく毒づく。


《我にはそれが許される。それが神格というものだ》


 冷笑するような嘲り声が脳裏に直接鳴り響く。


「傲慢だな。糞蛇の癖によ。首一つまで減った敗北者が偉そうにいってくれるな……!!」

《粋がるなよ、小僧……!!》


 絶対気にしていたのだろう、即座に大顎が開かれて何かが吐き出される。跳躍する。湯面から突き出す大樹の数々を以て避ける。じゅわっと音がした。先程の子蛇共と同じ、溶解液か……!!


「はっ、芸がねぇな!!?えぇ、糞蜘蛛と同じ発想だとマンネリっ……うぉぉっ!!?」


 いつぞやの土蜘蛛と似たような眷属・戦法を嘲って挑発すれば応じるように蛇は尾を振るった。湯中で長大な尾を俺の背後から振るった。


 それは先ず屈む俺の頭上を無音で通り抜けた。続いて今一度振るわれるそれは根本ごと木々を抉り取り、掘り返す。完全な奇襲であった。


「畜生がっ!!?」


 一撃目から紙一重で生き残り、立ち上がり、慌てて俺の身体は二撃目から逃れるために跳躍を繰り返す。八艘飛びもかくやという立ち回りで枝木から枝木に乗り移る。


《ちょこまかと良く動いてくれる!!まともに動けぬ程度には痛めつけてやった筈なのだがな……!!》


 忌々し気に俺の姿を追いかける蛇神。狙いすますように、じっと見つめて来る。こいつは……来るか!?


 喉奥から輝かしい光が溢れるのと、俺が法螺貝に溜め込んでいた蒸気を解放するのは同時だった。


 光線が周囲を薙ぎ払う。俺は法螺貝が溜め込んだ蒸気を圧縮して解放する事でロケット弾となる。そのまま更に大蛇に向けて迫る。内閣総辞職破壊光線は大技だ。明らかに懐に入り込んだ者は狙えない。故に……!!


《甘いわ!!》

「っ!?」


 直後に頭上より第三の眼孔を見開いた大蛇。その視線に俺の身体は己の意思に反して竦み上がった。


(け、権能か……!!)


 蛇に睨まれた蛙、そんな言葉が脳裏に過る。身体がまるで石になったかのように感覚を失う。恐らくは拘束に関わる権能。しかし、しかしなぁ……!!


「悪いが止まってやらねぇよ……!!」

《っ……!!?》


 何事もなく俺の身体は蛇に迫る。背後から鳴り響く轟音は恐らく尾の一撃で、動けなくなった俺を叩き潰そうとしたのだろう。残念ながらそれは空振りに終わる。


 そして次の攻撃は来なかった。あからさまに動揺して蛇の動きが精細を欠く。その隙を突いて俺は更に蒸気を放ち、一気に大蛇の顔面まで到達する。


 勝負を、仕掛ける……!!


《ぬぅっ!!?》


 音速に近い勢いで仕掛ける俺に、大蛇は目を見開いて大きく身体を傾けた。脳天を掠める短刀。第三の目玉を切り裂く。あっという間に蛇の後方を抜けた俺は舌打ちする。


「糞がっ!!ちっ!!?」


 振り向き様に蛇が放った光線を、残る水蒸気で以て回避する。回避して、それでお終いだった。残る水蒸気はこれで使い切ってしまう。


 湯面から突き出た樹林に狙い済まして着地する。着地して、受け身で転げ回って着水する。急いで湯面から這い出て短刀を手に身構える。蛇が迫撃を仕掛けて来るのを予想して。


 そして予想は裏切られる。


《蛇詭眼が効かぬ?馬鹿な。そんな事が……?》


 起き上がった俺が見たのは信じられぬ物を見たように驚く大蛇の姿であった。


《墜ちた身だ。石にならぬのは仕方ないとしても拘束すら出来ぬとは……貴様の身体の特性故か?いや、違うな……》


 権能が効果なかった事に対しての困惑。第三の目を失った以上にその事に傷付いて、しかし蛇は神格らしく冷静に考察を始める。


《貴様、視界の外からの一撃を避けていたな?欺瞞したのにあり得ん事だ。よもや背中に目玉がある訳でもあるまい?》


 体液で保護する事で音を吸収しての尾の一撃は確かに無音だった。俺の鋭敏と化した五感でも認識しきれなかった。なのに避けた。見もせずに。その事を訝る蛇。


 ……不味い。 


「はっ、何事も過信は良くないって事さ。己の分を弁えろってな」

《……》


 挑発に、憤慨するのではなくて沈黙する蛇。こいつは……嫌な予感がしてきたな。


《……欺瞞だな。何か隠そうとしているな?》


 最初の奇襲すら悠然と察知していた大蛇が、この程度の間に合わせの言い訳で誤魔化せる筈もなし。蛇は瞬時にそれを見抜いた。


《……あぁ、成程。そうか。そういう事か》


 そして冷静に考えて、全てを俯瞰して、視野を広げて、神蛇はそれに気が付いた。気が付いてしまった。


 そうだ。確かに俺は走縄で全身を締め上げて支えている。強化している。しかしながらそれでも尚、全てが不足しているのだ。到底その程度では大蛇の速度に反応する事は出来ない。それどころか最初の襲撃で受けた傷では本来はまともに動く事も困難だった。困難な、筈だった。


 故に、其処に種と仕掛けがあるのは当然。そして種は既に割れている。荒縄の亀甲縛りはバレている。ならば仕掛けは?


「っ……!!?」


 地平線の先、見晴らしの良い山の山頂に彼女は潜んでいた。気配を殺し、この一部始終を常時見続けていた。見続けて、「操縦」し続けていた。手元の法螺貝越しに合図と状況を聞き取り続けながら。


 異能にて、俺の身体の動きを遠望よりて『操縦』し続けていた来た殻継家の稲葉姫。向けられた視線に権能無くとも恐怖に息を呑み、得物にして異能の触媒を手に焦燥した表情で身構える。


「なめ、るな……!」


『駆使為拏』の触媒たる巨大な串を手にして、絶望的な状況で尚迎え撃たんとする。


「馬鹿っ、早く逃げろ!!俺を使えぇぇぇっ!!」


 俺は法螺貝越しに怒鳴るようにして叫んでいた。びくりと震えて、しかし即座に意図を理解した姫は後方に下がりながらそれを行う。全身激痛で泣きたくなる身体は、俺の悶絶する精神とは別に全力で動き出す。


 身体の絶叫を堪えて大蛇に迫る。肉薄する。稲葉姫が離脱する時間を稼ぐ。稼がせる。稼がねばならない。それが俺がこのボロボロの身体で戦うための手段であり、彼女を前線に引き摺り出した者としての責任だった。


《馬鹿めが!!引っ掛かりおった!!》


 即座に首を稲葉姫から俺に向ける。蛇だからこそ出来る、気味の悪い音と共に回転する首。真正面の相対。蛇の顎は既に裂けんばかりに開放されていて、喉奥からは輝く光。


 法螺貝の内に最早蒸気はない。死の予感が脳裏を掠める。走馬灯のように時間が遅く感じられて来る。


 ……何か小さく細い物が赤い物を撒き散らして落ちて来た。


「えっ?」


 それが何なのか認識する前に眼前が蒼白い炎に包まれる。炎の壁が、俺の盾となる。光線から俺を死守する。


「何がっ……!?」

「済まない。……遅れてしまったな?」


 動揺する俺が直後に見たのは、滅却の炎の海から現れた幼馴染みの姫君の、炎に照らされた何処までも凛々しい横顔であった……。






ーーーーーーーーーーーー

 禁地の一角にて熾烈な戦が行われている中でも、其処は真に静かであった。ひたすらに静寂であった。


「ふぅむ……」


 ツリーハウス、樹上御殿の台場にて、優雅に御茶を呑みながら捕囚の身の上の中納言は唸る。唸りながら眼前の雄大な自然を見やる。


 手元の筆で詩を認める。


「『鳥籠の、やむにやまれぬ、井のかわず』……うぅむ。駄目だのぉ。これは余り雅ではないな」


 一句唄って、己の作詩の才の無さに辟易する中納言であった。宮中でもその事についてはこの公家の欠点として惜しまれていたものである。一部ではそのせいで大納言への昇進の道が絶たれたとも……所詮は噂話でしかないが。


「茶の道は良いのだがのぉ。やはりこの手の創作は嗜むより楽しむ方が良いものだな」


 名物を揃え、作法通りにすれば良いならば兎も角、詩や絵画、執筆、己で考える類いの教養はどうにもこの老人は苦手とする所であった。若い頃は其処に田舎武家のような荒い性格もあって、それはもう問題児扱いされたものである。


 お陰様で当時都一の姫君に求婚した際には無理難題の結納品を盾に冷たくあしらわれたのであるが……老人は昔を思い返すと朗らかに笑う。


「この年になって、どうしてか昔を懐かしむ事が増えてしまったな。年には勝てぬという事か……」


 そして茶を啜る。深く吐息をして、菓子を摘まむ。摘まんで戯れのように次の詩を考える。実に実に、優雅な一時を過ごしていた。


 ……樹上御殿を囲むように大樹林の陰から幾体もの巨大な怪物共が現れる。


「ふむ。何者かな?」


 御殿を包囲する怪物共を気にせずに茶を啜る老人は問い掛ける。何も見えぬ背後に向けて。


『……あらぁ?分かっちゃいましたか?どうして?貴方、普通の猿ですよねぇ?』


 幻術の中から現れた八尾の金狐は嘲笑と困惑を器用に混ぜ込んだ質問を投げ掛ける。実際、この狐は己の術には大いに自信を持っていたのだからその疑念は尤もであった。


「いやなに。古人の教訓に学んだだけの事よ。……妖共がこれ見よがしに出てきた時に一番気を付けるべきは死角。そうであろうて?」

『……』


 それは正しく常識であった。卑劣不意打ち奇襲を常道とする怪物共が正々堂々と姿を現す筈もない。ましてやここまで足を踏み入れたともなれば唯の獣の訳もなく、其処に意味があると考えるのは当然の理であった。


『……猿の分際で試しやがりましたねぇ?』

 

 狐は恥辱に震える。人間の法螺如きに騙されて間抜けにも姿を現した事に怒り狂う。人の姿を真似た怪物は剣呑に中納言を睨む。


『私を弄んだのですからなぁ、代価は払って貰いますよぉ?……生きたまま皮を剥いでやる!!』


 甘ったれた女の声音は最後には獰猛な獣の唸り声に変わる。咄嗟に天から降り立ち一人の天狗が中納言を守るように身構える。しかしそれはこの状況では心強くも心許ない援軍であった。


『何か隠れていると思ってましたよぉぉぉっ!!態々死にに来たとは間抜け野郎ですねぇ!!!!??』


 嘲笑しながら狐は飛び掛かった。天狗は頭が回る。そして相手は猿共の貴人。ならば護衛兼監視役くらい置いているのは道理である。

 

 しかし幾ら種族としての素質が高くとも所詮は禁地に閉じ籠り続けた井の中の蛙である。経験値なぞありやしない。修羅場なぞ知りもしない。


 多勢に無勢。そして化け狐は己の経験を高く評価していた。精々、可愛がってやる。


『調教してやる代わりにぃ、羽毛剥いでやりますけどねぇ!!』

 

 突貫。振るわれる天狗の薙刀。刃が狐の頭に食い込む。消え失せる。幻術。顔面を歪ませながら背後よりて天狗に襲いかかる金狐。狐璃黄華。まんまと術に引っ掛かった天狗を嗤って嗤って嗤う。


「本当、妖というものは自分だけは大丈夫と考える間抜け野郎ですね?」

『ア"?アギツ……!?』


 背後より冷たく鳴り響く罵倒。困惑と衝撃は同時に。吹き飛んで、御殿の壁を突き抜けて叩き飛ばされる。


『ガヒッ!!?な、にが……!!?』


 御殿の瓦礫の中から立ち上がった狐は頭から血を流しながら動揺の言葉を漏らす。己に生じた事態を理解出来ていなかった。


「最も油断してはならぬのは相手を仕留める刹那の刻……先人の教えというものは大切ですね。目の前にその反面教師がいる訳ですから」


 一迅の風が舞う。黒色の羽が踊る。気付けば周囲に忍ばせていた手下共は皆討たれていた。巨大な骸が崩れ落ちていく。闖入者は濡れた手を払う。赤い斑点が床に飛び散る。


『き、貴様は……あの時のォ……!!?』

「この前ぶりですね。さて、と。利子不足ですが一つ御礼参りと行きましょうか?……自己都合ですが容赦はしませんよ?」


 全身に卑猥に巻き付けた護謨袋の中身をジュルジュルと激しく啜りながら、心底心底不機嫌に半妖の退魔士は嘯いた。


 平静を装いつつも真っ赤に火照る表情で、凄惨に牙の覗く口元を歪めて……。




 


 

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