第一五九話

「成る程……貴方は本当に行く先先で厄介事に出会しますね?呪われているんじゃないですか?」

「最近は本気で祈祷を頼もうかって考えてますよ……」

『(●´Д`●)ウンメェ!ウンメェ!』


 何処までも呆れ果てた松重の娘子に向けての心からの吐露であった。そして馬鹿蜘蛛は呑気に俺の腕にかぶりついての御食事中である。


 ……因みに投げやりに発言したが、今の俺の身分的にやろうと思えば実際にそこそこ良い寺で除霊して貰えるかも知れなかったりする。……祈祷された結果化けの皮が剥がれて僧兵連中に袋叩きされる可能性もあるけどな。いや、駄目じゃん。


「それにしても蛇、蛇ですか……」

「何か、知っている事は?」

「恐らく貴方と大して変わりませんよ?退治の伝承自体は有名ですが所詮過去の記録扱いです。七度も討伐されているとすれば奇妙な話ではありますが……」

『( ´・_ゝ・)ヨニモキミョウナモノガタリ?』


 馬鹿蜘蛛の戯れ言はスルーして、牡丹は怪訝そうに口元に手を当てて考え込む。確かに討伐されても復活する神蛇の存在なぞ、記録に残さぬ筈もない。七度も殺されているのならば史書にその旨の記載が為されていても良い筈だった。


 考えられるのは救妖衆辺りの工作か……?


「……どう思いますか?天狗連中の要求については」

「貴方が言うように、本当に唐突な話ですね。ですが全くの嘘とは言えぬでしょう。私も此処に向かうまでに幾つか奇妙な痕跡は発見しています。何等かの化物がこの辺りに蠢いている事と、天狗共がそれと敵対している事は間違いないでしょう」

『( -∀・)サスガワタシノイモウトネッ!』


 どうやら彼女は彼女で事前に独自の情報収集を行っていたらしい。蜘蛛、何でお前がキメ顔?


「無論、天狗連中の言葉ですから。何処まで信を置けるかと言えば怪しいものです。他の事もそうですが油断せず、心して下さい。いざとなれば……アレについては把握していますね?」

「アレですか……勿論です。奪われてはいません。投擲、で良いんですよね、あれは?」


 新街での恐らく接触した後、いつの間にか懐に仕込まれていたそれの存在を思い起こして俺は尋ねる。記憶が抜け落ちているのは鬼月の夫妻対策なのは気付いている。それは良い。問題はアレの使い方だ。


「察しが良くて助かります。余程の相手でなければ時間稼ぎにはなる筈です。目撃者は少なく、事が終わった後の回収も注意して下さい。機を見て接触するのでその時には返還を。……監視はしておきますから場合によっては此方で確保する場合もありますが」


 淡々と牡丹は用法を指摘する。俺の予想が正しければ確かにアレは余り見せるべきではない代物だ。要らぬ疑念を抱かせかねない。


「蛇の対策は……今尋ねても無駄ですか」


 俺はそれを聞こうとして、しかし半分以上諦めていた。想定外の相手である。いきなり聞いた所で有効な助言もある筈もない。


「……期待されないのもそれはそれで不愉快ですね?」


 ベシン、と彼女の黒い尻尾が不機嫌そうに床を叩いた。鞭のようなサディスティックな音が空間に鳴り響く。


「では何か良案が?」

「……夫人の短刀の他には手車くらいですか。他の装備は牽制程度にしか役に立たぬでしょう。寧ろ煙玉等の方が持っていく分にはマシかも知れません」


 即興で考えたのだろう意見は言われるまでもなく、既に自分でも想定していた内容である。


「そうですか……」

「落胆の色が見えますね。生意気な奴」

「ははは、いやまさかー?」

 

 ムスっとして牡丹が口を尖らせる。尻尾を何度も激しく床に叩き付ける。俺は面の下で目を逸らす。……あの尻尾、鋭そうだなぁ。


『( ^ω^)チュルチュルチュル(^ω^U)ケプッ!( ・`ω・´)コラッ!パパニモンクイッチャダメデショ!』

「「誰がパパだ(ですか)!?」」


 御食事を終えて御満悦顔での馬鹿蜘蛛の叱責に俺と牡丹は同時に突っ込んだ。前から思うけど俺の家族観ってどうなってんの?


「下人……扱家人ですか?それの教育、ちゃんとした方が良いと思いますよ?」

「出来たらやってますよ……神格なんてそんなものでしょう?唯我独尊、人間の価値観で測れるものではありませんよ」


 それこそ万物の命を同等に愛する妖母が代表例だろう。その在り方は元より固定されている。説得なんて意味はない。何なら見方によっては神格より妖の方がまだ人と会話が成立すると考える偉い人がいる程だ。


「そういう言い訳は……いえ。確かに一理ありますか」


 眉を顰めて糾弾しようとして、しかしそれを取り止める牡丹。納得の表情の理由を俺は察した。丁度近頃似たような面子が加入したばかりだった筈だ。この分だと苦労しているのだろう。神格なんて養うものじゃない。『( ・`ω・´)マッタクダメナコネ!』お前が言うか?


「……何にせよ、此度もまた随分と酷い無茶ぶりとなる訳ですね。祟りで死ぬかも知れませんよ?」

「とは言え……ここから逃げたいと言っても協力してくれないんでしょう?」

「刺し違えてくれたなら一番良いですね」

「でしょうね」


 妖母因子持ちと馬鹿蜘蛛も纏めて処分出来る絶好の機会である。何なら逆ギレした鬼が天狗の里に突っ込む事も期待しているかも知れない。頭退魔士らしい思考である。最早半分妖の癖に。


「殴りますよ?……陰ながら支援はしますよ。天狗の連中は上手く利用して下さい。出来るなら数を削って、里まで蛇を誘導してくれれば万々歳ですね」

「最後の方は人質いるので勘弁して下さい。……まぁ、向こうが利用している以上此方も利用しても罰は当たりませんか」

『(^ω^U)リヨウシテイイノハリヨウサレルカクゴノアルヤツダケダ!』


 稲葉姫は完全に巻き添えである。中納言は何かあれば家族が心配だ。松重からすれば安い犠牲で最大効率だとしても人質が危険に陥る状況は避けたかった。此方も天狗に恨みがない訳ではないがその復讐に巻き込んで良いのかは全くの別問題である。


 そもそも、やろうと思ってもやれるかは別問題な訳であるがね。


「其処は貴方の努力次第です。失望させないで下さい」


 言い捨てるような物言い。そして踵を返す牡丹。


「……記憶は消さないので?」


 接触の証拠隠滅をするのではと思ったがどうやらしないらしい事を意外に思う。


「今消したら混乱するでしょう?心配しなくてもこの騒動が終わった時にでも飛ばしますよ」

「それはどうも。……何か頭痛くなって来ましたね。因みにどんな方法で前回は飛ばしたんです?」

「さて。どうなんでしょうか?」


 質問に惚ける牡丹。うん。多分痛かったと思う。痛い手段だ。今から陰鬱になってきた……。


「では……………」

「……?」

『(´・ω・`)?』


 その場から立ち去ろうとして、しかし牡丹は硬直する。そしてプルプルと身震いする。俺はその姿に首を傾げ、周囲を警戒する。何か、呪術的な攻撃を予測して身構える。


「いえ。違います。その点は問題ありません」


 耐えるような声音で牡丹はそれを否定する。


「では……?」

「下人」


 理由を尋ねるのと呼び掛けられるのは同時で、牡丹はゆっくりと振り向く。薄暗い空間でもはっきり分かる位に顔を紅潮させていた。不満たっぷりに、此方を睨む。そして、要望する。


「もう一度、吸わせて貰っても良いですね……?」

「アッハイ」

『(〃´ω`〃)クイシンボウサンネ!』


 殆んど懇願に近い要求は余りにも哀れで、とてもそれを拒絶する気にはなれなかった……。












「んはっ。ふぅふぅ。んっ。ぺっ、…ぺっ!」


 お食事タイムは一回目より長く、何度も何度も激しく吸い立てて……何やら保存用だろうか?何か袋のような物に繰り返し血を吐き出していた。


 幾つ目かの袋が満タンとなる。即座に封を閉めて次に注ぎ込む。「何ですか。それ?」と聞くと「黙れ」と即答された。解せぬ。『( ・`ω・´)オトメゴコロヲカンガエテネパパ!』誰がパパじゃ。


「んっ。ん。ふぅぅ……」


 どれ程刻を経たであろうか?漸く衝動が収まったのか牡丹は吸血を止める。人の傷口を何度も舐めて残り血を食らう様は皿をしゃぶるような仕草にも見えて大層行儀悪く思えた。同時に傷口の出血が緩やかになるのは唾液に何等かの治癒成分でも含まれているのだろうか?謎の習性であった。


「はぁ、はぁ、はぁ……ふぅ」


 艶かしい吐息と共に口元を拭う。心底不本意そうに此方を睨む。自己嫌悪、己の行為に対するものであるように見える。


「……失礼しました。本当にこれで終わりです」

「こういっては何ですが大丈夫ですか?もう少し要りますか?」

「結構です。在庫は確保しましたから」


 吸血中の余りにも酷い有り様に同情しての善意の問い掛けは即答で拒絶される。俺の視線は彼女の腰元に。暗くて分かりにくいが何等かの小袋が彼女の腰に結んで吊るされていた。数は十数といった所か。


 ……これだけ在庫があるなら暫く持つのだろうか?


「余り見ないでくれませんか?」

「あー、失礼を……」


 他の連中もそうだが、どうして面越しなのに視線に気付く奴が多いのだろう?俺が分かりやすいのだろうか?


「これだけあれば当分……二、三ヵ月は持つ筈です」

「二、三ヵ月」

『( -∀・)セイチョウキネ!』


 つまりその後はまた先程のように吸血される訳か。吸血される際の痛みは最初さえ耐えれば後は麻酔でもあるのか鈍くはなっていくが……余り愉快なものではないな。行為を思えば役得とも思えない。


「んっ……これで、良し」


 ……俺がそんな下らぬ事を考えている間に牡丹は崩れかけていた衣装を整える。鎖骨下辺りから際どく覗いていた黒光りする謎の肩紐については指摘しない方が良い気がする。


 一歩退く牡丹。腰元から伸びる悪魔のような翼を一度羽ばたかせる。飛行というよりも埃を払うような所作。そして普段通りの冷たい眼差しで此方を見据えて……」


「こほん。では、これにて。……上手く誤魔化して下さい」

「はい?」

『(*>∇<)ノバイバイキーン!』


 牡丹の言に反応した時には彼女は消えていた。前触れもなく、恐らくは勾玉による盲点による身隠しであった。そして……背後より軋む音がして襖が引かれる。


「っ……!?」

『(>ω<。)ワッワッワッ!パーパー!?』


 驚きながら首を回す。寝相が悪いのか寝ぼけているのか、若干着崩れた装束に半目を開いた稲葉姫が姿を現した。俺は自然体で馬鹿蜘蛛を虫篭を押し込み隠し……体を彼女に向き直る。


「あっ、……おはよう、御座います?」

「……まだ夜だけど?」


 誤魔化しを含んだ咄嗟の俺の挨拶に、眠たげな表情で鋭く突っ込む姫であった。そうですね、今思いっきり夜ですね?


「……誰かと、話してた?」


 周囲を見渡して、怪訝に尋ねる稲葉姫。それを指摘するか。


「いえ、何か声でもしましたか?」

「……勘?」

「勘ですか……」


 女の勘だとでも?……全否定しても怪しまれるか?


「少し独り言を。……まぁ、愚痴ですね」

「愚痴」

「はい、愚痴です」

「……」


 半目で眉を顰める稲葉姫。あからさまに不愉快げな表情を浮かべる。馬鹿にされたとでも思ったのだろうか。


「……わかった」


 何が分かったのか、納得しているとは言い難いものであったが稲葉姫は先に話を打ち切る。俺もまたこれ以上雄弁に語って話の襤褸が出るのは避けたかったのでそれに迎合した。


「……」

「……」

「……ねぇ。退いて、くれる?」

「はい」


 暫し沈黙して互いに相対して、稲葉姫の要望に応じて通路を端に避ける。姫がスタスタと若干小走りで通り抜ける。


「何方に?」

「……ゃ」

「はい?」

「……厠」

「……大変、失礼致しました」


 無表情を装いつつも確かに言いづらそうに答えた姫に、俺は誠心誠意を込めて謝罪の言葉を口にするのだった。


 いやだって、セクハラじゃん……。











ーーーーーーーーーーーー

「何をやっているのだか……」


 窓から彼女は己にとっての駒であり協力者であり弟弟子であり不本意ながら父である青年の醜態を覗いた。そして呆れながら去り行く。世界の盲点に、己の姿を忍ばせて……。


『おい。何か食べるものはないか?口が寂しくて仕方ないよ』

『またかよ。ほれよ、こいつでも摘まみな』

『酢桃か。……糞。まだ少し酸っぱいなぁ』

「……」


 牡丹は哨戒する天狗共の直ぐ傍を自由落下で通り抜ける。雑談しながら飛ぶ天狗共は牡丹に気付く事はなかった。気付ける筈もなかった。


 三種の神器たる勾玉の模造品。模造品たれども相当に貴重な呪具である。そしてここにその他の潜入用の呪具を加え、牡丹の隠行術、そして半妖としての特性を付与すれば全ては完璧に仕上がる。


 木を隠すなら森の中。内なる霊力を妖力に変換して使用する事で牡丹の気配は無数の天狗の中に紛れ込む。夢魔の性質は比較的幻術に長けていた。


(加えてこいつら……意外と視覚に頼る所があるようですね。鳥目の癖に愚かな)


 人外共を蔑む牡丹は、しかし直ぐにその油断を振り払う。使節団襲撃の際の見事な立ち回りを思えば見くびられるのもあるいは作戦の内であるかも知れなかった。


(それにしても……伝承に伝わる内容とは大分、差異ありますね)


 滑空するように天狗共の里を翔びながら牡丹は訝る。一般向け以上の情報を知る牡丹から見ても此度訪れた天狗の里は己の知る知識とは少なくない差異があったのだ。


 これは果たしてどういう事か。伝承の記録者が半端だったのか、それとも後天的に変化したのか、それとも……。


(蛇の件もですが……情報が操作されている?)


 そこまで考えて、脳裏に浮かぶのは忌々しい仇にして師の存在。あの男ならば、何かしていても可笑しくはないか?


(……っ!兎も角も、次は中納言の元にでしょうか)


 祖父の指示に従って、憤怒を堪えて牡丹は羽ばたいて下がりつつあった高度を上げる。


 天狗共と似て非なる、腰元から伸びる大きな翼はまた数多の鳥妖怪とはまた微妙に飛翔の癖が違うようで、牡丹は体力の消費を抑えるために出来るだけ滑空を多様していた。その道に特化した怪物に比べれば中途半端に変質した牡丹は残念ながら飛行技術において劣っていた。


 ……いざとなれば能力底上げの手段は吊るしているが色んな意味で使いたくはなかった。いやマジで。


「これは空中で戦闘になれば逃げの一択ですね。移動には便利でしょうが」


 自虐に近い囁き。中途半端、まさしく己の存在そのものであろう。家柄も、存在も、行為も、何もかも……。


『そいつは嫌味ですかねぇ?』

「っ!?」


 消え行くように静かに反響する声音に気付けたのは猛烈な悪意と敵意故のもの。僅かな気配に牡丹は振り向いて、そしてその視覚ではなく知識と感覚で以てその正体を見破った。


 そして理解する。己が『窓』に嵌められている事を。


「っ!?欺瞞が……!!?」


 隠行も呪具も幻術も、全てが前触れもなく解除され、己の姿が白日の下に晒されている事に気付いた牡丹は即座に樹林の中に突入する。天狗共に己の姿を晒さぬように必死に飛ぶ。飛びながら周囲を見渡す。己に『窓』を仕掛けた存在を探す。だが……見付けられない!


「糞っ、忌まわしい牝獣が!!っ!?」


 樹林を掻き分けるように突き進み、しかし彼方此方の木々の陰から現れるのは巨大な虫妖怪共である。獲物の存在に目覚めて次々と牡丹に向けて襲いかかる。


「ちぃ……!?」


 どれも大妖級。体格差と数、そして状況から一々討伐するのは下策。逃亡一択……!!


「くうぅぅっ!!?」


 飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。避ける。避ける。避ける。飛びかかって来る異形共の間隙を、針の穴を通すようにして擦り抜けて行く。


「数が多い!!待ち伏せされていた……!?」


 横合いから迫る虫に仕込みの苦無を投擲。怯んだ所で蹴り潰して、挙げ句に足場にする。骸を蹴り上げて牡丹は吐き捨てる。


 正面から現れる、巨大な蜻蛉妖怪……!!


(術は、発動したら正確な場所を察知される!!こうなったら……!!)


 苦渋の決断。腰元に吊るしていた袋を一つ摘まむ。プランプランと弛みながら揺れ震える袋をそのまま口に咥える。噛み潰す。


 口の中に広がる生暖かい鉄の味。そして……牡丹は口元を深く歪めた。


 喜悦の、邪悪な微笑みを確かに蜻蛉は見た。眼前で。


『ギッ……!?』


 蜻蛉の顔面の三分の一が抉られる。何が起きたのか分からずに地面に落下する蜻蛉妖怪。間髪容れずに迫る咬切虫の厚い甲羅が殴打によって打ち砕かれる。衝撃波が響く。その光景に思わず怖じけた蝉が今際の際に見たのは陰陽服を着込んだ翼を生やした悪鬼の姿であった。


「はぁ、はぁ、はぁ……!!中々、身体に来ますねこれは!!」


 戦闘場所から即座に距離を取り、大樹の幹に着地して牡丹は息を荒げる。全身からは大粒の汗を噴き出して、肩を何度も何度も上下に揺らす。霊術妖術を使わぬための肉弾戦。単純な身体能力強化による物理の暴力……それが先程の所業の全てだ。


 恐らく可能だとは分かっていた。しかし……理性を保ちつつこの力に振り回されぬように戦うとなると相当の精神力が必要らしかった。


「肉弾戦は、好きではないのですがね……!!っ!!?」


 呼吸を整えるのもそこそこに、急ぎこの場から離脱せんとする牡丹の眼前でその影が広がるようにして姿を現す。


『てけりいぃぃぃぃぃぃっ!!!!』

「何処ぞで聞き覚えのある吠え声ですね……!!」


 独特な鳴き声を上げる不定形の怪物に、牡丹は毒づきながら身構えた。


 そして……。







ーーーーーーーーーーー

「喜ぶといい。正式に決定が下ったぞ猿?要求は満額回答だ。心置きなく逝くといい」

「いや、死ぬの前提なのかよ」


 翌日の早朝、意気揚々として訪問してくれやがった赤坊長の天狗からの欠片も嬉しくない知らせであった。文字通り地平線から日の出が覗く神々しい風景を背景にしている分勿体ない話である。せめてもっとオブラートに包もう?


「お?助かる見込みがあるのか?そいつは結構。是非とも大立ち回りを期待しようか?」

「大立ち回りしないと討伐の前提条件にも立てない事は知っているよ」


 直接相対しなくとも、これまでの経験から此度のクエストが糞みたいな難易度なのは分かり切っていた。


(家族のためでもあるからな。やるしかねぇ)


 原作で何がどうなっているのか分からない。言及がないのだから当然だ。


 それでも八岐大蛇なんて八分の一でも放置していて良いものではないだろう。中納言の脅迫もあるし、糞蛇が暴れてその影響に家族が巻き添えにならぬ保証はない。伝承からいって北土に向かう可能性は低いが絶対ではない。そうでなくても妹は都にいた。


 孫六や毬、御影達……家族以外もどうなるか分からない。この瞬間に蛇が使節団の元に向かう可能性だってあり得る。やるしかなかった。


「はっ。まぁそんな肩肘張るなって。さて……じゃあ先ずは約束を果たさねぇとな?」

「おおいっ!?丁寧に扱えっ!?」


 そうやって雑に放り投げられる風呂敷。受け止めて中身を検分すればそれらは槍であり、短刀であり、煙玉であり、手車であり、その他等々……没収された装備であった。しかし、見知らぬ物が幾つかあるがこれは……。


「私の」

「うおっ!?居たのか!?」


 背後からの呼び掛けに仰天する。淡々と、黙々と、風呂敷の中身から己の手持ちを回収していく表情に乏しい殻継の姫であった。


 俺が天狗を出迎えた時にはまだ寝所にいた筈だがいつの間にか起きて来ていたらしい。


「天狗。こいつは……」

「呪いの類いは仕込んでないから安心しな。それと……ほれ、こいつに血判しな」


 嫌な予感に問い質そうとするが、その前に突きつけられる書状によって俺の意識は注目する。


 広げられた硬い用紙。達筆で古めかしい字体の扶桑文は赤字であり、文面を囲むように捺された幾つもの血判……契約書。俺はそれを受け取って文面を読み込む。


 内容にあからさまな穴があるようには見えない。御丁寧にクエスト達成時の報奨の確約もあった。……美濃尾張のような引っ掛けじゃ無かろうな?


「なんじゃそりゃ?」

「報奨が賜死って物じゃねぇだろうなって事だ」

「用心し過ぎだろ。信用ないな?」

「天狗との契約だぞ?」


 設定以前に百姓でも知っている。悪知恵長けて人を嵌める事で天狗は有名だ。どれだけ気を付けてもし過ぎる事はない。


「どれだけハメられる事が心配なんだよ。安心しろよ。流石にそれは、ほら読みな。其処の項目の三つ目に違反するだろう?……読めるよな?」


 説明の途中で文盲である可能性を考えて尋ねられる。俺は返事せずに文章を読み込む。ゆっくりと、注意しながら。内容もそうであるが字自体に呪いが掛けられている可能性も気を付けて、思考が誘導されていないかと警戒する。


(暗摩山の天狗一同は前述乙の者達に対して危害を加えられぬ限りこれに害為す事をせず山中においてその心身の苦痛を強いる事をせぬ事を確約する……つまり山中から出た瞬間に殺して良いって訳か)


 ちらりと赤坊長を覗く。此方の視線に直ぐに気付いて見掛け妙齢の美女を装った風貌は口元を吊り上げて微笑を浮かべる。肉食獣、狡猾な狼を思わせる表情だった。


 ……此方が何に気付いたのか察してやがる。


(三人仲良く……俺が無理としても稲葉達には直ぐに逃げる事は奨励出来んな)


 使節団、朝廷、出迎えが必要だった。闇討ちされたらあの二人ではどうにもならないだろう。扶桑国との全面戦争の可能性を思えば暴挙に思えるが……思い込みで判断はしない方が良いだろう。


「……血判したのは坊長、か」

「お前さんらが何処まで知っているか知らないが……説明するなら里の纏め役って奴だ」


 話によれば職能、役割に応じてで各々に集団を組みそれを坊組と称し、その代表をしている者を坊長、ないし坊組長と称しているらしい。坊長は総勢六名、血判の数と同数。この誘拐天狗もその一員という。


「ほれ、それだ。私の名前さ」


 赤坊組長・真朱坊楓花、無駄に達筆で記された名とその下には血判が。名を読み、天狗を見る。ニヤつかれる。そう言えばこれ迄こいつの名前を知らなかったか。


「……名乗れと?」

「どの道何時までもお前と呼ぶ訳には行くまい?そっちの小娘もな?」

「……」


 稲葉姫を見る。己の武具の検分をしていた彼女は此方を見返して、しかし淡々とした態度で直ぐに検分に戻る。勝手にしろ、か。


「伴部だ。……此方は殻継の姫、中納言殿については言う必要はあるまい?」

「仮名に名字に役名か。用心深い事で」


 俺が個々の真名を口にしなかった事に肩を竦める天狗。当然である。化物に懇切丁寧に真の名を教えてやる義理はない。危険でしかない。


「知れた事を。だからこそのここの文面だろうに」


 天狗の言葉に毒づいて、俺は指摘する。文面の序文。契約を結ぶ対象についての記載である。『以下、下段にて血判した者を纏めて乙と表する』とある。……少なくともこの文を執筆した奴は眼前の女天狗よりは思慮深いと思われた。天狗共には良い祐筆がいるらしい。


「お褒めに預り光栄だな。作文したのは私の可愛い子分さ。……お前さんにとっては喜べる話じゃあないだろうに」


 それ即ち、巧妙に契約に落とし穴を仕込んでいる可能性がある故に……明言しなくても天狗の言わんとする事は分かる。


(……この血判が本物ならば多少安心出来るんだが)


 そんな事を思って俺は一足先に押印された老人の印を見る。


 元々狡猾なのがこの世界の公家である。術的拘束力のある重大な契約を扱う上位の者であれば尚更に。扶桑国の公家共なぞ詐欺契約の文章を記すのが仕事のようなものだ。本職である。そんな者が押印している以上は一定の安全が保証されていると思いたいが……。


(脅迫、洗脳、強引には……この印の具合ではないか。指を切り落とした場合はどうだったかな?)


 直接押印した場面を見ていない以上、印への信用は高くない。結局、己が注意深く文意を読み取るしかなかった。


「退いて」

「姫様、何をっ……!?」


 止める前に稲葉姫は己の親指を齧って紙に押し付けていた。真っ赤な鮮血によって新たな印が押される。


「姫様……」

「どの道、こうしないと先に進まない。……でしょ?」


 俺の非難を姫は相変わらずに淡々として受け流す。思いっきりが良いというべきか。若さ故の無謀と思うべきか……。


「……」


 今一度、念を押して文面を読み込んだ後、俺は観念して血判を押した。親指を噛んで溢れた血で判を押す。そして……血判が紙上から浮かび出た。  


「……っ!」


 弧を描き、まるで生き物のように血は飛び上がる。俺の印は俺に。女天狗の印は女天狗に。稲葉姫の印は稲葉姫に。残るは空を駆けて何処ぞに消え行く。


「くっ……!!?」


 突き刺すような鈍い痛みに呻く。落ち着く。深呼吸する。膝を突く。そして漸く俺は己の胸元をはだけさせてその印を見る。


 心の臓の位置に刻まれた呪印。


「稲葉姫、大丈夫ですか……?」

「……」


 俺は視線を傍らにやって床に踞る殻継の姫に寄る。上半身を起き上がらせて状態を確認する。胸を押さえながら、まだ幼い少女は黙って数度頷いた。実に痛々しい姿であった。


「弱っちぃな。此れくらいの痛みでへたれるなよって」

「違反した場合は心の臓に何かあるって感じか……?」


 胸を擦る女天狗相手に俺は確認する。


「そいつの頭の中覗いてな。約束破りには心臓に血の針がぐさりってな?」

「針千本の呪いの系列か……」


 また古めかしいものを選んでくれたものだ。


「さて!契約はこれで結ばれたわけだ!短い間かも知れんが宜しく頼むぜ?」

 

 これから人柱にする予定の奴相手への、この上なく屈託のない笑顔だった。実に妖らしいメンタルである。思わず碧鬼を思い出す。……奴の事だ、どうせ何処かで観察してそうだな。あるいはもう主人公様辺りに興味は移っただろうか?


「……それでどうするんだ?これから蛇の所にでも案内してくれるのかね?」

「まぁまぁ焦るなよ。その前に……ほれ?」


 俺が此れからの事を口にすると天狗はそれを見せつけた。籠であった。新鮮な魚や肉も含めて、食材を詰め込んだ籠を。  


「朝餉はまだだろう?先ずは飯としようか?……腹が減っては戦は出来ぬ。食べながら作戦会議さ」


 実に呑気に、天狗は提案して見せた。








ーーーーーーーーーーーーー

「さてと。そうだなぁ……奴について語るとすれば、すばしっこいってのが第一印象だね」


 炊事を終えて、飯の用意を終えて、まさに食事の最中。女天狗は手羽先を骨ごとバリバリ噛み砕きながら語って見せる。


 女天狗は件の蛇の討伐に参加したらしい。赤坊組は天狗連中の中でも荒事専門であるが故の当然の任命であったそうだ。当時の立場は次坊という組の第二席。……散々な目にあったらしいが。


「上空からなら襲われないと思っていたんだがな?アイツ、素早い上に跳ねるし舌も長くてなぁ。隣の奴は舌で巻き取られてパクりって……そうだな、こんな風にか」


 台の上の皿から木苺を一つ摘まんで口に放り込む。グチャリと音を鳴らして潰す。口を開ければ真っ赤に潰れた実。舌で実の残骸を暫く弄び……ごくりと呑み込む。


「行儀が悪い事で」

「教えてやってんだろ?喰われた際の末路って奴を」


 俺の指摘に愉快げに言い返す天狗。実に奇妙な状況での会話であった。俺と稲葉姫は収監されていたツリーハウスの一室で天狗と飯を囲んでいる。そして共に飯を食べる。


 ……個別に配膳ではなく大皿から取り分ける形式の食事は別に慣れてるから問題ない。それより遥かに困惑するのは天狗の行いそのものだ。


(プライドが馬鹿みたいに高いって話なんだがな)


 飯に格差を作って立場を分からせるためならいざ知らず、同じ竈の飯を囲むなんて行為をこいつらがするとは驚きの話である。しかも作った飯に妙な物を入れている素振りもなかった。


(契約の関係上、危害が加えられないと言えばそれまでの話であるが……)


 だとしたら、それこそ一緒に飯をする理由もない。訳が分からない。


「おいおい。連れない事言うなよ?相棒役だろう?それともお前さん山道歩いて糞蛇の所行くつもりかよ?」

「誰が相棒……あぁ。そういう事か」


 支援……どうやら会議でこいつは移動用の足の役目を受け持つ事になったらしい。荒事専門の役職故だろうか?確かに移動で無駄に体力を使う理由はない。


「移動だけじゃないさ。実戦だって付き合ってやる。……ぶっちゃけるとお前の反応速度じゃああっという間にバクリさ」


 天狗は嘲りながら更に塩焼きの手羽先を齧る。思ったがこれは共食いなのでは?いや、鳥同士だって食物連鎖は普通にあるんだろうが……いや、そうじゃなくて。


「其処までか」

「あぁ。……山道の掃除の時のアレ。切り札かどうかは知らねぇがアレでも厳しいな?」 


 あの時は一応、周囲の目もあってセーブしていたがそれでも相応に身体も強化されていた筈だ。それで駄目か。


「お前なら反応出来ると?」

「だからこうして五体満足生きてるし、坊長の立場を拝命している訳さ」


 ドヤ顔で嘯き、天狗は筍を齧る。薄く切って味噌をつけて焼いたそれの香ばしい香りが鼻を擽る。


「……蛇と言えば毒だが、その手で注意するのはあるのか?」

「噛まれて動けなくなったのはいるな。ないと考えるのは楽観的だろうな。表面は分からないな。下手に近づいたら巨体で潰されるからな」

「潰されたのか」

「仕掛けた連中が五人仲良くな」

「自信がなくなって来たな……」


 俺は茹でた玉子を一気に半分齧って嘆息。相当な巨体なのだろう。話を聞く限り雛の龍よりも大柄であるように思われた。


「おいおい今更気落ちしてくれるなよ。……まぁ、その貧弱な装備じゃあな。後で蔵から見繕ってやるから希望を持てよ」


 どうやら天狗側で幾らかの装備の支援もするつもりらしい。まさに少しでも勝率を上げるための涙ぐましい努力……。

 

「契約だけでなく装備まで。そんなに追い詰められているのか」

「……はっきり言ってやるよ。正直ウチもかなり厳しい」

 

 俺が突っ込んだ公議では強気だったが、上から下まで内心弱気になっていると女天狗ははっきりと口にした。


「公議制になって以来議論が割れる事は珍しくなかったが……今回は結構紛糾してな。何せ里が駄目になるかならないかの瀬戸際だ。容認し難い提案もあった」 

「貴様が一芝居してくれた理由か?」

「当たりだ。猿の癖に頭が回るじゃないか?」

「馬鹿にするな。それだけ言われれば予想は出来る」


 こいつは己の政治のために俺を利用したのだろう。何なら使節団襲撃すら独断だった可能性もある。恐らくはこいつは天狗連中の中でもかなりの糞蛇相手の強硬派だ。徹底抗戦派だ。それこそ、猿と馬鹿にする人間を頼り譲歩する程に……。


(原作では蛇に恭順したのか?)


 直接描写はなく、天狗が侵略して来た事だけが言及されている。蛇に屈して尖兵と化したか、あるいは里を捨てて新天地目指した背水の陣か……駄目だな。分からん。


「……稲葉姫。白湯、注ぎましょうか?」

「……」


 考え込んで、ふと視線を向ければ傍らの少女が手元の湯呑を見つめ続けていた。頷いての応答を得てから空の湯呑に急須で白湯を注ぐ。


(余り手をつけてない)


 取り皿を見れば何れだけ食べたのかは分かる。殆んどが果物。少なくとも料理と呼べるようなものは食べていない。作った奴の事を思えば当然だ。父ではないと言っていたが……。


(箸の投擲もあるからな……いや、他所様の家庭事情に首を突っ込むべきではないか)


 俺に出来る事は彼女を一刻も早く使節団なり何なりの所に帰すだけだ。それが俺の責任だろう。こんな騒動に巻き込んだ責任……お節介かも知れんがね。


「……分かった。朝廷、主家、大義のためだ。利用されてやるよ。それでどうする?何時仕掛ける?今日か?明日か?」


 俺が話の核心を問い掛けたのは食事が終わろうかという頃合いである事もあったが傍らの姫の暴走を牽制する意味合いもあった。


「まぁまぁ、焦るなよ。……装備を整えたら一度肩慣らしだ。飛びながら戦う経験なんて無いんだろう?付け焼き刃でも経験はしておくべきだ。違うかい?」


 そう言って己の湯呑を呷って呑み切る女天狗。外套を着直して、立ち上がる。


「外で待っておく。支度が終わったら出てくるといい。蔵まで運んでやる。……まぁ、人目がない間に宜しくやっておきな」


 最後にからかうように宣って、悠々と天狗は立ち去った。堂々と背中の羽を震わせながら……。


「……姫様。契約がありますので大丈夫だとは思われますが、警戒はしておいて下さい」


 留守役としての心得を俺は助言する。


「……留守番?」

「?、だって……はい。此れは私一人で行います」


 上目遣いで此方を見る稲葉姫の言葉に首を傾げ、しかし直ぐに意図を理解して肯定する。


 彼女は己も参戦する事になると思っていたのだろう。確かに彼女の武具も返却されていた。


「正直な所、姫様ではこの任は務めるには若過ぎます。危険です」

「私は退魔士」

「ならばこそ、私が赴きます。下人ですから」


 露払い、そして相手の戦法や権能を測るための捨て駒……下人が退魔士に先行するのは当然である。特に今回のような案件では。


「私が仕留められればそれでよし。駄目ならば私を教訓に姫様が行けば良い。刺し違える事があれば中納言様の守護を御願いします」

「一人よりも、二人の方がいい」

「初見殺し相手ならば、一網打尽ですよ」

「む……」 


 俺の退魔士的常識による反論に姫は完封される。葵や牡丹であれば上手く言い返して来るのだろうが……年相応、あるいは退魔士としては今一つ価値観が馴染み切っていないように思えた。


(やはり、間に合わせか……)


 殻継の家の台所事情に同情して、それ以上に彼女に同情して、俺は立ち上がる。


「殻継は人手不足なのでしょう?御家のためにも御身を大切にして下さい。大成する前に潰えては御家と朝廷の損失というものです」

「そっちはどうなの?」

「家人扱下人の初代ですからね。守るものはありませんよ」


 少なくとも背負うべき『家』はない。守りたい家族はいてもな。そして……そのためならばこんな糞みたいな状況でも命を懸ける価値はある。


「……卑怯」

「退魔を生業にする者にとっては寧ろ誉ですよ。……では」


 不機嫌そうに言い捨てた姫に向けて、俺は軽く受け流す。そして天狗の後を追うように俺もまた部屋を出ていった。


「……守りたい家なんてない」


 姫の呟いた小さな小さな呟きを、俺ははっきりと聞き取る事は出来なかった……。





 


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