第一五八話
「負傷者は彼方の天幕に回せ!!」
「逃げ遅れた者は!?回収は済んだのか!!?」
「糞、後続の連中化物共を連れて来やがった!!数人、俺と続け!さっさと駆除するぞ!‼️」
「公達方の守護、気を抜くなよ!?死んでも御守り申し上げろ!!」
禁地『暗摩山』と人界との境界線。使節団及び監視団の野営地は喧騒と混乱の中にあった。
当然の話であった。山中に向かった一団が統制を崩して蜘蛛の子散らすように逃げ帰って来たのだから。しかも、使節団代表は誘拐されて妖の群れから襲撃まで受けている始末である。
後続と野営地の残留組は撤収する使節団の回収、天狗共の魔の手から逃れた残る公達の護衛、そして追撃してくる有象無象の妖の掃討に駆り出されていた。
「実質的な損失は其処まででもない。しかし混乱しているな」
野営地の各所に簡易的な強化結界と式を張り巡らせ終えた白若丸は喧騒を俯瞰して呟く。狭い山道での襲撃、代表の誘拐故の混乱。しかし数量的な意味での被害は大きくないように見えた。
報告されている限り退魔士の死亡は一名、行方不明が二名。負傷も五、六名といった所か。全体で見ても犠牲は三十名は越えまい。それも大半は戦う力のない人夫や雑人連中だ。戦慣れしていない彼らは真っ先に隊列乱して逃げて、案の定集団から離れた事で食い殺された。群れからはぐれた者から優先して狙われるのは常識である。
尤も、白若丸からすれば犠牲者の九割九分はどうでも良い事だ。問題は……彼である。
「白若丸様。やはり一の姫様による指揮は難しく思われます」
人垣を掻き分けて参じた下人衆班長・御影が報告。だろうな、と白若丸は驚きもなく淡々と頷く。
天狗と交戦したという鬼月家の派遣団代表は今や戦闘不能どころか代表としての責務も果たせない有り様だ。天狗共の使う呪具であろう、その縄は触れるあらゆる霊力を吸い出してそれに比例して強靭となる。
鬼月雛の全身に巻き付き何処までも肥大化した縄は最早大綱であり、本人が身動き取れぬのは無論、刀ですら切り裂けない強固さである。その特性もあって彼女自身の異能と霊術、身体強化は当然のように封じられていた。丁寧に縄を解こうにも結び目は固く触れた時点で退魔士すら脱力するとなれば全く以てどうしようもなかった。
極めつけはその状態で高所から落下した事で鬼月雛の身体がかなりの負担を受けている事だ。骨は砕けて内臓も掻き回されていると思われた。重傷といって良い。異能さえ発動出来れば再生は容易だろうが……今の彼女は指示する事すら出来ず譫言のように呪詛を吐き出す事が関の山であった。
「一の姫様についてはそのまま寝床に寝かしておいてくれ。絶対安静に、それに逸脱する要求は全て無視するんだ。……縄が食らった霊力の量に自壊するまで待つ他やりようはないからな」
白若丸の判断は正しかった。相当良質な素材で編んだのだろう呪縄はこれを無力化するには相当骨を折る事確実でありその人手も時間も材料も今の使節団にはなかった。出来る事は雛の霊力を吸わせ続けて縄の吸霊気能力とも言うべきものを飽和させ切る位だろう。そしてその間雛が無理をして死ぬような事は回避する……それが唯一の選択であった。
……そのように、既に師より指示を受けている。
「承知致しました」
「んっ。あに、……家人扱下人は行方知れず、なんだな?」
御影の肯定の言葉に頷いて、派遣団臨時代表に繰り上がった少年は現場の一部始終を目撃していた下人班長に向けて質問する。
鬼月家派遣団の行方不明者について、白若丸にとっての想い人について、歯切れ悪く尋ねる……。
「撤収してきた後続組を見分しましたが……残念ながらその中には。捕囚となり脱け出せずにいる、と考えるべきかと」
御影は部下達と後退する直前に確かに見た。己の上司が囚われる様を。対応する暇も手段もなかった。彼らに出来る事は半死半生の雛を霊力を奪われて脱力しながら運び出す事だけであった。そしてそれだけでも下人としては十分な仕事であった。
「……そうか」
無能が、とは怒鳴る事はなかった。元稚児は師の教育もあってこの場において感情と理性を切り離していた。憤りは激しいがそれを言ってもどうにもならぬし天に唾を吐き捨てるようなものである。知られた時の恋慕うその人の反応も怖い。
(兄貴……そうだな。此処で騒いでも無駄だよな?)
そして何よりも、そんな事をした所で時間と体力の浪費に過ぎなかった。
これについても既に師からの指示は出ていた。待機、今は忍耐の時である。不満はあるが仕方ない。愛する人に危害を加えた連中への報復は、しかし今は堪えねばならぬ。見境なしに暴れるのは獣に過ぎぬのだ。
「……御苦労。取りあえずは陣営の警備を続けてくれ」
「はっ」
班長が立ち去るのを見送って、白若丸は喧騒止まぬ人混みの中を突き進み其処に向かう。男共の汗は臭うし擦れ違い様に肩に当たれば鳥肌が立つがそれに耐える。
そして漸くその天幕に辿り着く。
「……呑気なものだな。こんな時に演奏かよ?」
天幕の内に足を踏み入れると共に鼓膜を震わせた淡く儚さを漂わせる琴の音に、白若丸は嫌味を含んで問うた。幕内の隅にて琴を響かせていたその少女は声に反応して振り向く。光を映さぬ濁るそれでいて清廉な眼差しを、真っ直ぐに元稚児に向ける。
「白若丸様、でしょうか……?」
「声で分からないのかよ?」
「……失礼致しました。お外の音ではっきりと聞き取れなかったものでして」
身体を向かせて頭を下げる盲目の乙女の姿に白若丸は不快感に表情を歪ませていた。気に入らなかった。この女の在り方の何もかもが。
「兄貴が行方不明になったのは知っているか?」
「……少し前に、聞き及んでおります」
尋問するような問い掛けに恐縮しながら答える毬。その所作にまた白若丸は苛立つ。
「外のあの有り様の中で優雅に演奏しているなんざ……本当に良い身分だよな?」
「御兄様は御手伝いにと出られました。私は、残念ながら何をやろうにも足手纏いですので……何もせぬのも落ち着かず、気を紛らわそうと思いまして……御不快でありましたなら謝罪致します。確かに場を弁えぬ行いでした」
本当に心苦しそうに、そして素直に己の過失を認める毬。その飾り気なく矜持も何もない姿は実に哀れで、実に愚かで、実に惨めで、そして何よりも……。
(忌々しい……媚びるんじゃねぇよ。売女じゃあるまいに)
白若丸は内心で口汚く吐き捨てる。意識的か無意識的か、何にせよこの女の声が、言葉が、所作が、物腰が、仕草が、表情が、その全てが男を惑わせる。女を不快にさせる。そしてそれは男と女、双方の欲と醜さを知るこの稚児だからこそより一層如実に理解出来た。出来てしまった。
故に、かつて恩義すらあった目の前の少女に対して、しかし嫌悪感が胸の内から沸き立って……。
(どうしてだよ?どうしてそんな態度なんだ?)
この女はまるで空っぽの器であった。空虚な人形であった。自尊心が希薄なのだろうか?何処までも己を卑下してそれを認める態度……男の征服欲を、支配欲を、庇護欲を、おおよそ薄汚れたあらゆる願望を優しく受け入れてくれるだろう儚い一挙一動の様。男に媚びて許しを乞うだけの無力な牝の振る舞い……今の白若丸にとってはそれが気味が悪くて仕方なかった。
(都合がいい。都合が良過ぎる牝。演技でないのならそれはそれでおぞましい……)
老若男女問わず、人は何処までも人である。肉の呪縛からは逃れられない。どんな聖人だって全くの無欲ではいられない。白若丸が想う彼ですらそうだ。己を見つめる際にその瞳の奥に宿る情念は分かっている。
欲望自体からは逃れる事なんて出来ない。大事なのは在り方だ。彼は其処らの有象無象の凡夫共とは違う。欲望を理解して、それでも尚正しくあろうとしてくれる。そして正しく己に接して、救ってくれた。それがどれだけ困難な事なのか、欲に翻弄されてきた元稚児は知っている。
彼を愛する己や師もその思いは同様だ。独占欲はある。支配欲はある。肉の欲望は溢れんばかりに。だが身勝手にそれを行使する事は有り得ない。身勝手なそれらを律して、抑えて、そして尽くす。愛する故に。身勝手な我を認めて、そしてだからこそそれを捨てて捧げる事……彼の欲を導く事、それによってこそ深い愛は証明出来るのだ。
……この牝はどうだ?己があるのか?代償でも等価交換でもない。受け入れる事を、慈しむ事を、捧げる事を、失う事を、捨てる事を、それを当然のように思っていないか?
利他の心……否、そんな可愛いものか。こいつの振る舞いは人の有り様じゃない。まるで何もない。執着がない。澄み過ぎている。
そう。それはまるで人でない何かが人の振りをしているみたいで……。
「剥ぎ取ってやりたいな」
「……?」
ぼそりと思わず呟いていた。眼前の牝は良く理解出来ていないのか首を傾げる。それすらも男の心を乱す無垢の魔性だった。白若丸はその仕草に頬を殴りたくなった。
本当に演技でないのか確かめてやりたかった。散々に虐めて、貶めて、恥辱して、汚してやりたかった。泣かせて、鳴かせて、哭かせて、啼かせて、懇願させてやりたいと思った。
そうだ。こいつを肯定するなんて有り得ない話だ。こんな清純で純粋な牝なんているものか。見え透いた欺瞞だ。もしこんな牝を認めてしまえば……こんな薄汚れている己は何なのだ?
「ふざけるな……」
「白若丸、様……?」
再び呟く。困惑した呼び掛け。白若丸は無視する。無視して毬にゆっくりと迫る。
これが鬼月の者であれば、あるいは橘の令嬢であれば白若丸の抱く感情も変わったであろう。彼女らは己とは住む世界が違う。身分が違う。この身しか捧げる価値のない自分とは違う。故にその下である事を素直に認める事が出来た。線引きする事が出来た。
それをこんな、身体すら捧げられるか怪しい牝が彼の傍で大切にされるなんて……。
(嫉妬か?だとしても……!!)
「きゃっ!?な、何ですかっ!?」
乱暴に髪を掴む。驚いた毬の悲鳴。白若丸は黙って彼女を見る。困惑と混乱に満ちた牝の顔。悪意を向けられているのを理解しているのかも分からぬ態度。見えぬ瞳で此方を上目遣いで見上げる……あぁ、憎らしい。
(適当な妖共の群れに放り投げてやろうか!!)
自分と同じように穢れてしまえばいい。そうすればこいつよりも自分は上だ。綺麗だ。有意義だ。きっと、兄貴も……!!
「っ!!?この気配は!!」
暴走一歩手前の感情の昂りを鎮めたのは闖入者の気配であった。天幕の外では遅れて人々の叫ぶ声が響く。「天狗が来たぞ!」と。
「……この天幕には結界を張っておく。勝手に出るんじゃないぞ。外から呼び掛けられてもだ!!」
懇願して相手に招かせる、あるいは外に連れ出すのはあくどい妖の常套手段である故の警告。盲目で歩くのも困難なこの娘は何もしない事、させない事が身を守る最良の選択だろう。
「は、はい……!?」
「ふんっ!!」
良く分からぬような毬の応答に鼻を鳴らして白若丸は踵を返して天幕を出るのだった。
そして暫し後、「使者」として現れた天狗の宣言に苦虫を噛み締めるのだった……。
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『八岐大蛇』と言えば日本神話における最もポピュラーな怪物の一つであろう。簡単に説明すればスサノオによって酔わされて首を落とされた八つ首の大蛇である。あと尻尾から剣が出てくる。
本編のゲームシナリオでは欠片も登場しないものの、後のノベル版、あるいは外伝、設定集にてこの世界においてもその存在がかつて存在した事が示唆されている。扶桑国建国前後から初期にかけて因縁がある事が記載されている。尤も、同時に過去の存在としても扱われているが。
……どうやら、未だ過去の存在では無さそうだった。
「蛇、だと……?」
天狗が口にした意外な単語に、俺は眉を顰める。
「猿の認識ではもう駆除済みって所か?いや、お前らの事だから下っぱまで伝わってねぇのか?……残念だが完全には死んでねぇよ。八分の七までしかな?」
「八分の七」
「特級の神格だから当然だろう?」
突然の話に、その渦中に巻き込まれた事実に唖然とし続けて……天狗の女はそんな俺の間抜け面を見て嘲って説明を続ける。
「奴の権能が厄介でねぇ?」
天狗は説明する。『八岐大蛇』が如何なる神格かを。
ハツ又の首はそれ自体が命の残機であった。絶命しても首を減らして蛇は復活する。その度に存在としての格式が八分の一失われるが……それでも元が巨大な神格である。仮に八分の一でも並の凶妖とは比較にならない。
一層厄介なのは失われた命もまた神格。死には変わりなく、それに応じて災厄、神罰が下る事であるのだとか。
過去討伐においてそれは邦一つを死滅させた疫病として、あるいは地を沈める洪水として、悪夢となって貴人を操り戦乱の火種として、挙げ句には切り落とされた首が吐き出した卵から鬼の大将が生まれて扶桑の地を蹂躙した事すらあるそうだ。死して尚祟るとはこの事だ。
止めはその権能の副作用。魂の一部を切り捨てての復活は、どうやらその存在としての在り方すらも変質させるらしい。復活するごとに属性が変化して、弱点とも言うべきものが変わるらしい。前回有効だった戦法が次も有効とは限らない……寧ろ嵌め殺しの罠になった事もあるらしい。
「酷い話だな。それで?その蛇の死に損ないを討伐しろって?唐突だな?」
実に藪から棒な話である。そのために今の状況を作り上げたとでも言うのだろうか?扶桑国と事を構えるのに?話が未だ読めない。
「厄介な神格にどうしてちょっかいかけるんだ?骸でも欲しいのか?蝮酒宜しく、大蛇の神酒でも造るつもりか?」
投げやり気味に吐き捨てて、ふと思い浮かぶのは無茶ぶり全開の求婚者達に対するかぐや姫の御注文である。彼方は単なるマクガフィンに過ぎないが此方の場合はガチで存在するのが一周回って厄介だった。
「おっ、中々乙な事考えるな?終わったらやってみようか?だが……別に此方も趣味と酔狂でそんな事しようってんじゃねぇよ。言ったろう?元はそっちの案件だってな」
「此方の」
「そう。そちらの」
天狗の赤坊長は語る。こんな要求をする羽目になった事の経緯を。
七度死して、七度甦り、しかし命数を残り一つにまで使い果たした蛇は、天狗の里を脅かした。地より這い出て百の天狗を呑み干して、外からでは知れぬ事であるが、今や暗摩の禁地の半ばまでが天狗共の手より失われているらしい。蛇は狡猾。今は禁地の有象無象の妖を従えて、力を貯めて……しかし間違いなく、復讐を目論んでいた。
「集落を襲ったのも、お前さんらを襲撃したのも、その余興って所だ。迷惑してんだぜ?不用意に無神経に、あの糞蛇を刺激しまくってくれるんだからさ。言っておくが此方が関知した出来事じゃない」
心底困り果てたといった体で、天狗は語る。尤も、俺はその発言の裏も察していた。きっと後押しはしてなくてもそれを防ごうという努力もしてなかっただろう事を。
少なくとも天狗共にとって集落の襲撃は渡りに船だったろうから。そして用済みになった今は蛇を……。
「討伐は……出来るならこんな事はしないか」
「試しはした。だが二点程問題があってな。一つはお分かりの通り、祟りだ」
神は己を討ち果たした者を祟る。対策しなければ如何なる形であれ、それからは逃れられない。
「……話が読めて来たぞ」
こいつら、『人』柱を御要望なのだ。
「そんな目で見てくれるなよ?そもそもお前さん、その皮の下の有り様で『人』と呼べるのか?」
「……」
真っ正面から言われて俺は無言となる。その質問に今更堂々と是と言える筈もない。しかし、こいつら……観察力が中々良いようだな。
「……どうして俺なんだ?」
「あの糞蛇、最後の最後に厄介な特性を備えやがってくれてね。何と神力でなかったら傷つける事すら出来ないようなのさ」
「試した結果か」
「神器があってな。そいつは効果があった。持ち主ごと食われたけどな」
「御愁傷様だな。代用品は?」
「そうポンポンあったら有り難みがないだろ?」
「だろうな」
全く以てその通りである。……ポンポンあって欲しかったなぁ。
「兎も角も、私らだけで解決するのは身に余った訳だ。一応、手がない事も無かったんだが……其処にお前さんらが来てくれやがった。しかも糞蛇殺す絶好の条件持ちがいるとなれば……分かるだろ?」
「断るとは思わねぇのかよ」
「そのための人質だろうが?」
「鳥頭が……!」
相手が妖狐共と御同類だと分かっていても罵倒を堪える事は出来なかった。何だよ、そりゃあ。まるで、俺の存在そのものに責任があるとでも言いたいのかよ……!!
「ふざけた面でふざけた事言いやがる」
「酷いな。お前さんらの美的感性でもわりと良い面と思ってんだがな?」
「妖の面なんざ信用する奴いるのかよ」
おぞましい怪物の美男美女に化けてからの人食いは無知無学の田舎百姓でも承知している物語の定番だ。ましてや天狗共の場合は真の姿は鳥顔である事は知れている。眼前の女の姿をそのまま信じるとすれば、それは大馬鹿者を超えているだろう。
「酷ぇ奴だ。女の顔貶す奴なんざ祟られろ」
「祟りの贄に指名にしてきた奴がいう事かよ……」
まさにどの口がいうのかという話である。あるいは、嘴か?
「……はぁ」
さて、一通りの情報共有を終えての嘆息。そして周囲を見渡す。此方に向けられる幾対もの眼差し。仮面や袈裟、外套で面は分からぬがそこに込められた剣呑な感情。黒い意志だけは肌に突き刺さる程によく分かっていた。
逃げ場はない。逃げ道はない。選択肢はない。綺麗に舗装された、悪意に満ちた一本道だけが其処にあった。
「俺が失敗した場合、人質は?」
『害する事はしない。それは約束してやる』
答えたのは赤坊長ではなくて別の天狗だった。会議に出ていた事からして、恐らくは同じく幹部級の者である。
「成功した場合は?知り過ぎたと口止めされるのはご免だぞ?」
『ふん。猿らしい卑屈で卑劣な発想だな。安心しろ、貴様が頑張れば双方とも解放してやる』
「五体満足でか?」
『五臓六腑も保証してやろうか?』
黒袈裟の天狗が嫌味たらしく俺の問い掛けに答えていく。其処には明確な優越感が垣間見えた。尊大な、上から見下す物言い。尤も、此処で大事なのは口調ではなければ誠実性でもない。確実性である。故に……。
「口約束じゃあ信用出来ない。術式的な契約をしろ。この場にいる、全員でだ」
『調子に乗るなよ、猿が……!!』
遠慮のなくそれでいて慎ましい要求に対しての返答は、軽蔑の籠った罵倒であった。しかし此処で怖じける訳にはいかない。俺は臆さずに言い返す。
「命を懸けるんだ、せめて後顧の憂いなく戦わせろよ。そちらだって、中途半端に問題解決を長引かせて食われるお仲間を増やしたくはあるまい?糞蛇相手の鉄砲玉は一発で十分な筈だ」
『……っ!!』
俺の遠慮もない物言いに天狗連中は押し黙る。押し黙って俯き、あるいは視線を逸らし、互いの様子を伺うようにして見やる。それはまるで人間のような態度であった。
そう。空気を読んで、面子を気にして、周囲に目配せして、己が浮くのを避けるような大人の処世術。あるいは凡夫の振舞い……無駄に知恵があるせいだろうか?
(……いや、こいつは違うな)
俺は唯一、面を見せて面を上げる赤坊長を見た。俺を嵌めてくれやがった女天狗は、ただただ愉快げに口元を歪めている。
何がそんなに愉快なのか、俺には到底理解出来ない。理解したいとも思わない。そんな事を聞くよりも優先するべき事がある。即ち……。
「本番までに武器は返してくれるよな。このまま短刀一本で戦うのはご免だぞ?」
血に濡れた短刀を撫でての要望。せめて鬼月夫人に押し付けられた呪刀は必要だった。一応は神格殺しにも使えて呪いを先伸ばしに出来るアレがないと、正直どうにもならない。ヒットマンをこなす上での必要最低限の要求だ。
「安心しな。支援は懇切丁寧に面倒見てやるさ。何なら成功したら御褒美もくれてやるぞ?」
「御褒美ね。羽衣でもくれるのかい?」
赤坊長の言に冗談半分に返してやる。因みに天狗の羽は柔らかく、そして力を持つと伝わる。それを編んで仕立てた羽衣は呪具としても効果があり、また高級な調度品、装束としても価値を持ち、贈り物として珍重されていたとか……中納言様のお話である。
「さぁて、流石に其処までやれるかはお前さんの働き次第だな。まぁ楽しみにしてな」
「出来るなら未来の御褒美より今貰える支援についての方が知りたいな。それこそ懇切丁寧に、な?」
嫌味と皮肉を込めて、俺は要望する。
「やる気があって嬉しい限りだな。……見込んだ甲斐があったな。えぇ?」
「……言ってろ」
赤坊長の意地悪な視線に奥歯を噛み締める。糞女天狗が、良くもまぁ厄介事に巻き込んでくれたものである。
『……赤坊長。勝手に話を進めるのは止めろ』
俺と女天狗の会話に待ったをかけたのは緑頭巾を被った天狗だった。赤坊長の女天狗の肩を掴んで会話を中断させる。
「何だよ?交じりたいのかよ?寂しがり屋だな?」
『冗談はよせ。貴様は何時もふざける』
そして女天狗を引っ張るとその耳元にまで顔を近付けて囁き始める。
『まだ……意見は……先方も……採決……独断専行は……』
恐らく術的な防諜対策をしているのだろう。鋭敏な俺の聴覚でも上手く聴き取れない。頭巾が影になって読唇も出来ない。しかし、おおよその意味合いは予想出来た。
「……」
『……そういう事だ。分かったな?』
「……」
『赤坊長!』
「あー、はいはいはい。分かったよ分かったよ!」
強い呼び掛けに対して、女天狗はうんざりとした態度で応じた。
「はっ。手続きやら形式やら……一々迂遠なこった。母様がちゃんと出ばって一言言ってくれれば万事解決だろうにさ!」
愚痴を吐いて、面倒げな舌打ちを鳴らす。そして女天狗は此方をダルそうに此方を見下すと語った。
「そんな訳でお喋りは一旦中断だ。内容を詰めるのは明日にすんぞ。で、お前は……あー、そうだな。部屋を用意してやるよ」
(やはり、か)
演技がかった女天狗の発言は此方の予想が当たっている事を証明していた。恐らくは天狗共の間での意見統一のための議論するための一時中断であった。理解は出来る。化物の癖して殴り合いで解決しないのは文明的ですらある。だが、この場における問題は其処ではない。
問題があるとすれば……。
「元の牢には、戻れないのか?」
気にかかるのは稲葉姫と中納言の身の安全であった。二人が目の届かぬ場所にいる事、それ自体が不安であった。俺は牢への帰還を要望する。しかし……。
「駄目だ。一々連れ出す手間が惜しい。人目にもつく。……どうせ明日の朝からは忙しくなるんだからな。お前さんだって時間の浪費は嫌だろう?」
「……使節団は?」
納得は出来ずとも理解出来る判断に俺は渋々と受け入れた。同時に今一つの懸念、中納言を誘拐される失態を引き起こした使節団の所在について尋ねる。
俺の事は兎も角、中納言の事で逸る者がいないと信じたい。
「警告の使者は出している。監視もな。下手な動きは出来んよ。……あー、責任回避のためだろうな。早馬を確認したそうだぞ」
仲間に耳打ちされての後半の台詞であった。現地の者達では判断出来ぬ故、御上に御伺いを立てているという事らしい。朝廷の動きの遅さも考えると……それでも猶予は十日も無かろう。現場の暴走も怖い。
「……出来るだけ早くしてくれ」
「言われなくてもそのつもりさ」
赤坊長の返しに呼応するように新たに武装した天狗が二体、入室する。此方を連れ出しに掛かる。俺はそれに身を任せる。暴れた結果転落死なんて笑えない話だ。
「北の館に連れていけ。取り敢えず其処に泊まらせる」
『……?宜しいので?』
天狗兵だけでなく、他の幹部天狗と思われる幾体かの天狗共も怪訝な視線を赤坊長に向けていた。それでも淡々と女天狗は再度促す。
「そちらの方が監視しやすい。……早くしろ」
『はっ』
天狗兵共は俺を連行する。会議室らしき部屋から、ツリーハウスから退室させられる。
「……」
去る寸前、俺は振り向いた。他の幹部天狗共と何事か会話を交える赤坊長はちらりと一瞬、此方を覗きこんで微笑んだ。
本当に本当に、性格の悪そうな笑みだった。
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拘束されての遊覧飛行は正直不愉快だった。特に連行中の天狗の里での視線は酷いものである。
はっきり姿は見せない。しかし樹上の街の四方八方から、木陰にツリーハウスの窓や物陰、其処から不躾に向けられる眼差し……好奇をも含んだ隠すつもりもない無遠慮な気配は見世物扱いされている感覚だった。実際、殆んど見世物だったかも知れない。珍獣扱いだ。
「……連中はどうにもならないのか?全身針で刺されるようで敵わん」
『黙って連行されていろ。余計な事を考えるな』
せめて口頭注意でもしてくれと思っての要求は冷たく拒否された。へいへい、立場を弁えますよ。
暫しの間、視線に耐え続けていると、里の北方にそれが現れた。一際太ましくそそり立つ大樹。其処に嵌め込むようにして建てられた扶桑屋敷風味のツリーハウスが映りこむ。これまで里中で見た中でもかなり大きめの代物だ。
(……あれか?)
答え合わせは直ぐだった。加速、連行役の天狗は一気に建物にまで接近する。そして急降下して、急停止。
『今宵は此処で泊まれ』
『逃げるなよ?周囲は我々が巡回しているからな。常に監視されていると思え』
天狗様式らしい、テラス染みた離発着場に降ろされると運送役と監視役二体からの有難い御言葉が投げ掛けられる。
「人質がいるのに逃げんさ。そも、どうやって逃げるってんだよ?」
離発着場から下方を見下ろして俺は反論した。少なくとも其処らの下人ならば確実に死ねるくらいの高さがあった。風が吹けば下腹部がひゅんとする程だ。
『面の皮が厚いな。森での立ち回りよりはずっと簡単だろう?』
「見ていたのか……」
その指摘は俺が夜の露払いでの出来事を指していた。腐っても大妖、しかも己の姿を臨時配属された部下達に見せず、異様な気配を退魔士達に気取られずに仕留めようと思えばそれはそれは至難の業であった。お陰様で死にかけた。
『赤坊組の仕事は荒事中心だ。外縁の警備も仕事の内さ』
『下手な怪我では死なないんだろう?此処から落ちて足が千切れても暫くすれば生えて来るんじゃないか?』
「試したくはねぇな」
尤も、妖母の因子が表面まで出ばってくれば十分に有り得る話ではあった。成る程、ならばこの態度も納得か。……もう、自分を人間とは胸張って言えねぇな。
『飯に寝床……湯殿も沸かしている。無聊の慰みものは必要十分な筈だ』
「それは、至れり尽くせりだな」
特に風呂の存在は嬉しかった。視線を向ければ館の一角に湯気らしきものが立ち上っている。桶に熱した石で沸かした、という所だろうか?
『今の内に英気を養っておく事だな。……鉄砲玉なのを自覚しているんなら、後悔する前にやる事はやっておく事だな』
冷笑するように、小馬鹿にするように、嘯きながら天狗共は離脱する。その態度に不快感を覚えつつも俺は無言で屋内へと向かった。
所詮化物は化物、話しても分かり合う事なんて出来ない連中なのだから。
「……部屋の質は悪くない、か」
建物内の部屋を幾つか回りながら、俺は印象を口にする。外観同様に中も扶桑風の内装。強いて言えばツリーハウスなので空間的な理由から階段が多く、小部屋が多い構造になっている。家具の類いも同様の前提を基に意匠されているようであった。
「貴賓用、という事なのか……?」
見た感じ、無理矢理に扶桑風の様式を天狗の住宅に当て嵌めた印象を受ける。但し全体的に質は上等に思われた。最初に突っ込まれたツリーハウスが監獄としたら此方は客人用と言える。何となくの感覚に過ぎないが。
「……この事は黙っておくに限るな」
恐らくは未だ監獄部屋にいるだろう中納言の事を思えば今の己の待遇は黙っておくに限る。下手に正直に話せば万事解決後に厄介な事になりかねないだろう。
……万事解決出来るかは分からないが。
「……風呂にでも行くか」
樹上にある以上温泉が常時補填されている訳ではあるまい。薪か石か蒸気か知れぬがどうせである。湯が冷める前に使ってしまおう。俺は記憶を頼りに湯殿が設けられているだろう方向に向かう。
通路を曲がり、階段を二度上がる。若干迷いながら其処に辿り着く。
「此処か」
僅かに熱と湿度を感じる引戸を見付ける。引けば顔を温かな空気が撫でた。視界に広がるのは小部屋である。
室内には装束を脱ぐ籠があり、棚があり、燭台があり、鏡があった。脱衣場という事だ。向こうを見れば薄い引戸がもう一枚。恐らくは湯殿はその先にあると思われた。
「さて、と。考えても仕方無いしな。とっとと入って、上がってから考、え……て……」
上着を脱いで籠に投げ込もうとして、漸く俺はそれに気付く。竹籠に折り畳んで安置されている装束に。小柄で動きやすい、しかし確かに女物と思われる着物に。
見覚えのある、退魔士の少女の着物に。
「えっ……?」
「あっ」
引戸が引かれて、そちらを向くと共に白い煙が顔に当たる。そして湯気が急速に冷えて薄く消え行き、俺は彼女と相対する。明瞭に向き合う。
未だ髪に水雫が滴る、肌を剥き出しにした殻継の少女が佇んでいた。此方の存在なんて欠片も知らなかったのだろう、布巾は髪に当てるように手元だった。
健康的で、華奢で、幼い肢体が晒し出されていた。
「……」
「……。っ!?失礼する」
互いに事態を理解出来ずに唖然として、年の功からか先に状況を受け入れた俺は先手を打った。即ち引き返して戸口を強く閉めたのだ。
(糞天狗共め!!そういう意味で語った訳じゃあねぇだろうな……!!?)
天狗共のこれ迄の物言いを振り返って、今更ながらその違和感を察して舌打ち。
(連中め、確かに番扱いしてくれやがったが……!!)
天狗連中が何を前提にこれまで話していたのか、それを思って腹立たしくなる。
「……着替えた」
「っ!!?稲葉姫様!?」
コンコンと戸口が小突かれて、カラリと小さく開かれる。稲葉姫が首だけチョコンと出して此方の見た。無表情に、僅かに紅潮した頬。きっと恐らく湯でのぼせたのだろう。間違いない。
「姫様……えっと、あの。先ずは謝罪を。申し訳御座いません。気付けませなんだ」
「……もういい」
「はい」
謝罪に対しての変わりない淡々とした返答。その意図を聞く勇気なぞなかった。
「その……何時、此方に?」
戸惑いながらの俺の質問に、稲葉姫は抑揚のない声で答えてくれた。どうやら俺が連れ去られてから少ししてからの事らしい。此方に連行されたのはつい先程だとか。風呂は沸いていたから入ったという。
「……因みに中納言様は?此方に?」
その質問に対しては稲葉姫は首を横に振った。「自分だけ」と小さく短く答える。
「そうですか」
俺もまた短く応じて、そして暫し沈黙し……意を決する。
「此方も御報告致します」
そして説明する。此方の経緯を。天狗共の要求を。俺にとって都合の悪い要素は黙って。
「……という事だそうです。何処まで向こうの話が事実なのかは知れませんが」
「……そう」
俺の口にした内容への返事は余りにも簡潔で、そして納得も出来た。同じ立場で長々と語れる気はなかった。
「中納言の身の安全を保証する意味合いもあります。現状では要求を受け入れる。少なくともそのように見せる必要があります。ご容赦下さい」
「…………そう」
宥めるように語れば返って来るのは先程より若干長い沈黙、そして同じ相槌。心ここにあらずと言った雰囲気である。
彼女の立場を思えば、当然の話であった。
「……稲葉姫様、御心労御察し致します。父君の仇なのは分かります。ですが……どうぞ堪えて下さいませ」
箸の事を思い出して、戸口に背をやりながら俺は彼女を説得する。親の仇に良いように利用されるのは屈辱であろう。しかしながら軽卒な行動は本当に取り返しがつかなくなる。非道を承知でも、彼女自身のためにも耐えさせなければならなかった。
仮に彼女が逸った所で、天狗に殺されるだけである。あるいは復讐出来た所で朝廷から危険分子として処分されてしまうだろうから。
……復讐の野望を胸に抱いている分際で、身勝手な話である。
「父じゃない」
「え……?」
しかし、説得に対して返って来た言葉は意外なものであった。俺は一瞬沈黙する。思考が止まる。
「父君では、ない?」
「叔父。義父。父じゃない」
俺の呼び掛けに、見上げた稲葉姫は淡々と。そう、何一つ変わらぬ淡々とした口調で答えた。
「……」
その発言に、その意味に、俺は口にするべき言葉を見失う。何を語るべきなのか、語りかけるべきなのか、不用意な発言が何をもたらすのか、それらを思い、面の下で口を開いたまま、しかし如何なる言葉すらも口から出て来る事はなくて……。
「……」
「あっ」
ガラガラと、引戸が引かれる。湯冷めした稲葉姫が廊下にまで身を乗り出す。未だ水気のある髪がふわりと揺れる。此方を何とも形容し難い眼差しで見上げる。
「次、入る?」
「……」
「入る?」
「……そう、だな」
「……そう」
そして稲葉姫は俺の横を通り抜ける。通り抜けて、足を止めて振り返る。
「西部屋の寝床」
「?」
「其処で寝てる」
「分かった。……用があったらそちらに向かう」
「んっ」
互いに最低限の応答。そして今度こそ稲葉姫は行ってしまう。その小さ過ぎる背中が襖の向こう側に消えてしまう間、俺はただただそれを見つめ続けていた。
結局、俺は続けて湯殿に入る事はなかった……。
ーーーーーーーーーーーーー
台所で白米を見つけたので卵を溶かして夕餉の粥飯とした。西の寝床で布団に埋もれていた稲葉姫にも差し入れとして部屋の前に土鍋を乗せた膳を置いて、己は別室にて食した。
食事を終えた頃には空は暗く静まり返っていた。俺は提灯を片手に館の縁側から濡縁、露台と回って行く。
「灯りが少ない……」
闇の中、天狗共の樹上集落のあった方向を見る。暗闇の山林の中ポツリポツリと照らされる光の数は、しかし俺が確認したツリーハウスの数からすると明らかに少なかった。
(欺瞞工作か、あるいは話通りに喰われたのか……)
糞蛇の襲撃で三桁もの天狗が喰われたとの話、その信憑性が上がったのは事実である。
そも、あの天狗のお偉いさん方の態度全てが演技だとは思えない。確かに連中には焦燥感があり、俺の存在に僅かに期待の色があった。追い詰められている。それは間違いない。
(事実としても……全部は語っていないんだろうがな)
赤坊長という立場にあるあの女天狗の態度、迂遠にも思える振る舞いからして、まだ何か裏があるように感じられる。
(原作ではどうだった……?)
大分主人公周辺の事情が変わってしまったのは事実でも、流石に今回の大局的な事案がそれに大きく影響受けているとは思えなかった。しかし……糞、蛇も天狗も、本編では殆んど話題になってねぇぞ!?
「これまで役に立った事の方が少ないと言えばその通りではあるが……」
ぼやくように嘆息。前途多難とはまさにこの事だ。本編とは関係ない横道でこのような騒動……正直厄介過ぎて困る。逃げたいなぁ。
「……」
天を仰いで目元を細める。暗闇の中にうっすらと浮かび上がる気配。警告通り、天狗共はこの館の周囲を監視していた。
「……」
下方を見る。闇の中に蠢く異形共。大樹故に登る事も出来ず、しかし漆黒の中で輝く眼光は明確に此方を見ていた。獲物を見る眼差し。
「番犬、ではないな。野生か」
あるいは話に聞く蛇の僕共か……何にせよ、逃げるのは悪手だな。何なら里の外れ故に余計多いかも知れない。
「……冷えるな。白湯でも飲んで寝るか」
腰に吊るした虫籠に触れて、当たる夜風に囁いた。俺は館の中に引き返す。扉を固く閉める。館の奥に奥にと奥の間まで足を運ぶ。
そして……襖を閉じたのと同時に彼女が姿を現した。
「うおっ!?」
「静かに。……結界を張り終えるまで物音は立てないで下さい」
振り向く前に聞き覚えのある冷淡な警告の声音。細長い何かが全身を締め上げて拘束。すっと頬を符が通り過ぎる。四隅の柱に貼り付くと何かが辺り一帯を包み込む感触を感じ取る。
……正直ずっと潜んでいるのは分かっていた。何時か接触してくるのも分かっていた。しかしまさか、この瞬間とは。
「ぼ、うぐおっ!!?」
「静かに……」
結界を結び終えた所で呼び掛けようとして、今度感じたのは突き刺すような痛みに悲鳴。場所は首元。身体を拘束していた針金のようで蛇のようでもある尾は、そのまま更に首に巻き付いて固定する。
「はむっ……じゅる。じゅる……っ!!」
薄暗い室内で、啜るような水音だけが響き続ける。いや、実際それは啜る音であった。不覚にも厭らしさも感じさせる吸血の物音……。
「ぼ、た……!」
「はふっ、むっ。……はぁ!!」
「うおっ!!?」
牙が乱暴に引き抜かれる。床に押し倒される。顔面から床に突っ込んで面越しに額を打つ。いつの間にか拘束は解けていた。頭を撫でながら俺は振り向く。
「もう少し……優しくは出来ないんですかね?」
「ちゅる。ぢゅる。ズズッ……はぁ。文句言わないで下さい。これでも自重しているのですから」
闇の中で瞳だけが輝いていた。ギラギラと獣のように煌めく一対の妖光。薄らと浮かび上がる人に似た、しかし微妙に違和感のある輪郭……艶やかな口元を拭い、指先を舐め上げて、吐息。口に溜め込んだ何かを袋か何かに吐き出している。
醸し出すのは男を惑わせる言い様のなく妖艶な雰囲気……。
「……何ですか?そんな目で見るのは止めて下さい。余りにも無礼ですよ?」
此方の視線に気が付いた半淫魔の退魔の少女は、心底不本意とばかりにジト目を向けてくるのだった……。
『(。・`з・)ノイモウトヨ!ゴハンノマエニハイタダキマスデショ!?』
「誰が妹ですか!!?」
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