第一五七話

「まぁまぁ、何と美しい事でしょう!」


 場所は都が旧街、小豆通に面した逢見家邸宅。その内で鬼月家の上洛隊に宛がわれた館の一室での事である。豪奢な調度品で彩られた其処で若々しい老婆は何処までも純粋に感嘆の言葉を口にした。視線の先にて佇むのは粧し込んだ一人の少女である。


「えっと……有難う、御座います?」


 困惑と気恥ずかしさと悦びが複雑に混ざりこんだ何とも言えぬ表情を浮かべて少女は、蛍夜環は呟いた。


 御意見番こと、鬼月胡蝶は彼女のために一切の妥協も出し惜しみもする事はなかった。彼女の瑠璃色の瞳、短めに切り揃えた藍色がかった髪色、白くも程よく日に当たった健康的な肌色、女性らしく華奢でいて、しかしながら確かに筋肉も付いている均整の取れた肢体……全てを入念に研究して、そして取り揃えて見せていた。彼女を何処までも美しく飾り立てるために。


 髪と瞳に合わせた装束は藍と白を基調としていた。生地柄は薬玉と撫子の合わせ紋様、帯は流水。勿論上質な生糸で編み合わせた縮緬生地である。南蛮令嬢に要請して公家御用達の職人連中から取り寄せた。美しさと気品を両立させた逸品だ。


 髪は纏めて贈り物でもある簪を挿した。蒼色は彼女に合わせて、曼珠沙華を象ったのは戒めのためである。覚悟と決意の証であった。


 紅を付けて、下品にならぬように軽く白粉を振りかけた。お歯黒や爪紅なんて古臭い事はしない。己の幼い頃ですら寂れつつあった習慣だ。今時なこの娘が好むとは思っていなかった。本番でも問題無かろう。左大臣は娘や孫娘に甘く多少の伝統の逸脱も許していると聞いている。理解はある筈だ。


「本当に、本当に雅な事……これならば公家の姫君といっても通用しますわよ?」


 金額にして百両や二百両では済まぬ。元の素材が良い事もあって今の環は高貴の血筋といっても疑う者はいまい。田舎の郷主の末娘と誰が気付こうか?


「そんな、余り褒めないで下さい……その、照れてしまいます」


 高過ぎる服装に、華美な装飾に、気圧されたのもあってか環は頬を紅潮させて恐縮する。このように着飾るのに慣れていないのだろう。胡蝶はそれが哀れに思えた。


 田舎で育った故の悲劇であると胡蝶は思った。こんな愛しい娘なのに……彼女の故郷は、実家は、一体何をしていたのか?義憤すら胸に渦巻く。


「うふふ。本当の事を言ったまでの事ですよ?折角左大臣様とお会いする機会なのですから。これを機に慣れ親しむのが良いでしょう。そのお服や飾りは全部差し上げますよ?」

「ええっ!!?それは幾らなんでも!?」


 金塊の塊のような装束と装飾品を余りにも軽く贈ると宣う胡蝶の言葉に、赤くなっていた環の顔は一気に青ざめる。


「こんな、こんな高い装束をだなんて……流石に!?」

「遠慮しないで下さいな。都では貴人方とお会いする機会は幾度もありますわ。みすぼらしい出で立ちでは相手にも非礼ですわよ?寧ろ、これ一式では足りないくらいですわよ?」


 毎回同じ服装では世間で嗤われてしまう。少なくともあと一式二式……万全を期するならば十式は必要だろう。上手く組み合わせれば恥をかく事はあるまい。自慢の娘である。そんな事は許さない。


「ですが……」

「遠慮しなくて良いのですよ?貴女が嗤われてしまえばそれは鬼月の、後見人たる私の不手際、恥となるのですから。母親に甘えると思って受け入れて下さいな?」

「は、はい……」


 渋る環は、しかし胡蝶の説得に最後は恐縮しながらも受け入れる。都も宮中も知らぬ彼女にとって胡蝶の言葉を否定する根拠は持たなかった。


「……分かりました。有り難く頂きます」

「宜しい。……うふふ。そんな畏まなくても良いですのに。寧ろ、受け取ってやるくらいで思って下さいな?私の趣味も混じっているのですからね?娘を着飾って化粧するのは母親の夢というものですよ?」

「はぁ……」


 くすくすと、毬を転がすように笑う胡蝶の言葉に環は曖昧に応じる。確か御意見番の育て上げた子供に女児はいなかった筈。その代償行為なのだと納得する。そして、それを思うと邪険にする事も出来ない。


 孫娘たる姫君相手にはしていないのか……そこまで今の環は疑問を抱く事は出来なかった。


「さて。今回は私の見立てで飾りましたけれど……どうですか?貴女自身で気に入る絵柄等はありますか?さぁ、見本をお見せしますわ。教えて下さいな?」


 そして胡蝶は二着目を揃えるための下準備をする。己の衣装棚から幾枚もの色鮮やかな単を持ち出して娘に見せる。一着目は己が選んだのだ。二着目は娘の好みを重んじるのが道理というものであろう。


「えっと……どれも綺麗だと思いますが、沢山あると目移りしちゃって……」

「いいのですよ。焦らずに、一刻二刻くらい遠慮なく使って吟味して下さいな?」

「流石に其処までは……御意見番様が今着ています衣装も綺麗ですね?」


 化粧衣装選びに世間一般以上の情熱を持たぬ環は御意見番の言葉に苦笑いする。そして二割程話題逸らしの意味合いもあってそんな事を口にした。


「あら?これですか?」 


 指摘された御意見番はそんな環の考えをおおよそ読みきっていたが、敢えて困らせる事はない。何よりも胡蝶もまた女であり、自尊心もあった。この機会にと己の着物を自慢する。


「金箔と夜光貝も使っての貝桶と葡萄。帯は蝶をあしらっていますの。ふふふ、良い年して大人げないでしょう?」

「?とても綺麗だと思います。似合ってますよ」


 胡蝶の言の意味を図りかねて首を傾げ、気を取り直して誉め称える。心からの称賛だった。実年齢は兎も角。美貌を維持し続けているこの老婆と着物の組み合わせは十分に調和の取れたものに環には思えたのだ。


 ……その反応を確認して、胡蝶は少しずつ作法を仕込んで行こうと決定した。


「そうだ。この衣装……他の子達に見せても良いでしょうか?」

「他の子?御友人……赤穂のお姫様かしら?」

「え?えっと……それも、あるんですが。その……」


 胡蝶はそれを分かっていて敢えて意地悪な尋ね方をした。


「鈴音さんと、あとは入鹿さんですね?」

「……はい」


 胡蝶の追及に、あるいは尋問に環はこれまでよりずっと縮こまって答えた。バツの悪そうに伺う。


「環さん。良いですか?縁を断てとは言いません。しかしながら適切な距離、適切な関係というものがあります」


 身分不相応な者と親しくし過ぎる事は周囲の顰蹙を買い、無用な軋轢を生み、それは自身だけでなくその関係者全体に及ぶものだ……胡蝶は可愛い娘に親切丁寧に諭す。


 ……そうだ。だからこそ、彼を成り上がらせなければならないのだ。同じ過ちは二度としてはいけない。


「それは……理屈では分かります。雪音や入鹿からもその辺りについては線引きするようにって。けど……」


 ド田舎の、古いだけが取り柄の弛みきった郷内だけで完結するならばそれで済んだのだろう。


 だが今の彼女は違う。退魔士として、家人として、彼女は世間体というものがある。大名や公家とも面会する事のある立場でありながらそんな自由人である事は許されないのだ。


「……」

「……この部屋には人払いと遮音の結界を結んでおります。連れて行くのは式を使いますから、自分で出迎えてはいけませんよ?」


 沈黙して俯く環に嘆息して、胡蝶は仕方ないとばかりに嘆息すると折衷案を口にした。


「御意見番様……!」

「お菓子とお茶も用意しましょう。……ふふふ。そんなに落ち込まれてしまっては強く言えませんもの」


 驚きながら喜ぶ環の顔を見て、袖で口を隠しながらコロコロと鈴を鳴らすように胡蝶は笑った。親愛に満ちた笑みで。


 これ迄可愛がる事が出来なかったのだ。せめて出来る間はうんと甘やかすのが『母』としての義務というものだろう……濁りに濁り切った紫色の瞳に喜ぶ『娘』を映しながら、鬼月胡蝶は何処までも優しく妖艶な微笑みを浮かべる。


 その脳裏に幻視するのは、己と夫と娘の、幸せな幸せな家庭で……。  


「弟か妹、必要かしら……?」


 囁くような呟きは甘ったるいくらいに甘過ぎて、粘りつく程に粘りついていた。何ならどちらか言わず両方。二人とは言わず三人でも四人でも……この子のために『夫』と頑張ろう。あの人は途中で面倒がるかも知れないが其処は己の創意工夫次第。色々小道具を用意しよう、そんな事を思う。


 盲執、妄想、妄言。同志たる孫娘と商家令嬢が見れば酷く鼻白んだ事であろう。


 この老婆からすれば知った事ではない。


「……ふぇ?」


 そして身の程知らずの小娘と半妖を呼び出すための式を放った所で、思わず彼女はきょとんと声を漏らす。

 

 そして……打ち震える。


「……環さん。少々席を外します。茶菓子やお服はお好きに使って良いですから、部屋からは出てはいけませんよ?」

「えっ!?は、はい……!?」


 突然の胡蝶の言に環は困惑して、しかしその形容し難い圧力に呑まれて思わず頷く。


「宜しい」


 にこり、と何処までも優しさを貼り付けた笑みを見せて、胡蝶は障子を開いて縁側に出る。そしてそのままスタスタと歩み続ける。隠行しながら。


「葵さんと、それに橘の御嬢さんと……あとあの御老人とも相談が必要でしょうか?」


 式神超しに目撃したその光景を何度も何度も思い起こしながら、鬼月の黒蝶婦は嘯いた。


 愚図の長女の失態に舌打ちした……。





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「ぐっ、ぁ……!!?」


 目覚めると共に目にしたのは木板の床で、周囲を見渡せば同じく木材の壁と天井。小さな鉄格子の窓が視界に映りこむ。薄暗い、光源のない部屋。これはまるで……。


「牢獄かな?」

「っ……!?」


 声に振り向いて、目にするのは老人の姿。若干埃被った装束を叩きながらこんな状況でも悠然と座り込む。


「中納言様……うおっ!?」


 駆け寄ろうとしてとてんと尻餅。己が綱で簀巻きにされている事に気がつく。両手は先ず使えず、霊力による身体強化も同様であった。


「一体何が……天狗かっ!!?」


 混乱して、しかし即座に直前の出来事を思い出して吐き捨てる。そうだ。俺は奴らに囚われたのだ。そしてそれは中納言も同じで……。


「どうやら我々は捕囚の憂き目に遭ってるようだな」

 

 何処か他人事のように宣う中納言の言に僅かに苛立ちつつ、俺は立ち上がる。改めて己と周囲を観察する。


 中納言は兎も角、俺の方はあからさまな武器は取り上げられてしまっていた。短刀に投石器、新調したばかりの蜘蛛糸手車、そして靴底の仕込み刃すらも……。


 その一方でそれ以外の物については手付かずのように見受けられた。腰元の小さな『虫籠』がその証拠であろう。何処か手抜かりな所があった。あるいは慣れていない?


「出入口は……天井か」


 牢獄の出入口を少しの間壁に沿って探して見つからず、しかし天井を見ての納得。そうだ、相手は人間ではなかった。態々人間相手にバリアフリーしてやる義理はない。特に牢獄に関しては。


「となれば……」


 最後に鉄格子の窓を覗く。外の様子を、牢獄の外の状況を確認するために。


 ……円らで巨大な眼球と目があった。


『けてり?』

「はい?」


 事態を理解出来ずに互いに沈黙。暫しの間見つめ合う。そして……。


『けてりりりぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!』

「うおおおっ!!?」


 奇声染みた咆哮に思わず俺は仰け反り再度の尻餅。鉄格子には結界でもあるのだろう。触手が忍び込もうとするが見えない壁に阻害される。結界、あるいはその類似系によるものと思われた。


 というか待てこれ、何かこの造形見た事あるんだけど!?何なら『迷い家』の中にも居たんだけど!?凄く冒涜的なんだけどっ!!?


「あぁ。それは連中の番犬らしいぞ。名は確か……『署護守』とかいったかな?」

「いやこれショゴスですよね!?『署護守』というかショゴスですよね!?」


 何なら宛文字だとしても『処齬棲』辺りの方が正確かも知れない。いやいや待て。だから何しれっと当然みたいな面でいやがる!!?番犬って何!?反乱フラグじゃねぇか!

 

「煩い……です」

「っ!?誰の声だ!?」


 突っ込み入れまくってる所での小さな呟きに、漸く俺はこの空間に囚われた三人目の存在を把握する。薄暗い部屋の隅にて縮こまるようにして座る少女の姿が映りこむ。


「殻継の……稲葉姫?」

「んっ……」


 俺の困惑交じりの呼び掛けとも言えぬ発言に頷く殻継当主の娘。俺同様に得物は奪われているようだが簀巻きにはなっていないようだった。手首が縛られているに留まる。


「これは、どうして……」

『別に女子だからって手加減した訳じゃあないさ。単純にその身体に宿る霊力が弱くて縄が成長しなかっただけの事さな』


 俺の言葉を遮って、室内に響き渡る説明。殆んど宣言といいたくなる声音に、俺は顔をひきつらせながら上向く。天井を見やる。


 天井の扉を開いて文字通りに此方を見下す複数の人影。あるいは人外人の影というべきか……少なくとも普通の人間には翼は生えていない。


「……やはり天狗というのは伝承通り、早トチリで出しゃばり野郎だな?人の言葉は最後まで聞いた方が良いぜ?」


 俺は強気で吐き捨てる。ここに来て下手に出る理由はなかった。殻継の当主の殺害、そして中納言の誘拐、これらの時点で此方が頭を下げる理由はなかった。朝廷の権威を貶める所業であった。


 ……それ以上に相手に呑まれて押し込まれないためでもあった。誘拐は交渉するつもりがなければ発生しない。少なくとも命の危険は比較して小さい筈た。人質の立場としての駆け引きをするためという側面もある。


(さて、どう出る……)


 俺は内心で天狗共の反応を探る。


『……ほぉ。では何を語るつもりだったかな?そちらの女子をお連れした理由かな?』

「……理由があるのかよ?」

『そうでなければ我々の里には御招待しないさ』


 嫌味たっぷりの物言い。同時に情報も得る。里、恐らくは天狗の里。本拠地か……。


『我々の耳はお前さん達よりずっと良いんだ。特に山中ではな』

「?」

『呑気なお山登り中のお喋りは聞いていたさ。確か、番の候補なんだってな?』

「…………へ?」


 天狗連中の指摘に、俺は再びフリーズしていた……。






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 考えて見れば連中に包囲されていたのに気付く事すら出来ていなかったのだ。行進中、あるいは休息中、何時何処で聞き耳立てられていたとしても何ら不思議な話ではなかっただろう。


 同時に何処までも聞き耳である以上、その認識に齟齬が出る可能性も有り得た。そも、扶桑国と天狗共との交流が絶えて久しい。双方共に価値観や常識が乖離している可能性もあり得た。


 兎も角も、連中が態々殻継稲葉というあの場において然程価値もない退魔士を拐った理由を俺は推測した。恐らくは彼女は人質である。朝廷や使節団に対するものではなく、俺に対しての……尤も、その場合どうして俺なんぞまで誘拐する必要があるのかという話になる訳だが。


(世話役?いや、それなら人夫なり雑人で良い筈。俺みたいな中途半端にでも戦闘が出来るような奴を拐う必要はない)


 俺は面の下で苦虫を噛み締める。分からない。一体、連中は何を企んでいる……?


『まぁ、そんなに警戒してくれるなよ?少なくとも従順にしてくれればいいと高貴なる中納言様は五体満足五臓六腑揃い踏みで御返しして差し上げるさ』

「との事らしい。頼むぞ、二人共な」

「いや、信じるんですか。妖の言葉を」


 信用信頼皆無の狡猾な天狗の言葉に呑気に合わせる中納言に、俺は思わず突っ込む。微妙にノリが軽いのも困る。


「しかし、の。儂らでは何をした所でどうにもならぬ事も事実じゃろうて。主が儂を守りきりながらこの場の天狗連中を全員殴り殺して外の番犬擬きを駆除してくれるのならば話は変わるが……」

「従っても助かるので?」

「少なくとも儂は人質だからの。順番は最後だろうて。少なくとも延命にはなろう?」


 お前さんのな、等と無礼に突っ込みはしない。ここで死ぬつもりはないし帰った後に処されるつもりもなかった。

 

『お喋りはもういいかい?』

「……」


 嘲る天狗共に向けて無言で以て俺は応じる。即ち、是であった。


『宜しい。……まぁ、用が来たら連行してやるから大人しくしておきな。無駄に暴れて体力を消耗しないこった。飯くらいは用意してやるよ』


 坊長の宣言に応じるように背後から数体の天狗が着地する。武器を持って警戒する者が三体。そして膳を手にした者が三体。距離を取って配膳する。


『毒はないから安心しな。食い終わったら隅に集めとく事だ』


 配膳役と護衛が戻った所で坊長の高圧的で見下した指示。それに俺が口を開く瞬間には、既に天井の扉は強く叩き閉じられていた……。





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 それから何れだけ時間が経たのだろう。暫し部屋を調べ直して、やはりどうにも出来ず、そこに中納言が当然のように配膳された飯を食べ始めた事で俺の無意味な徒労は終了した。


「ふぅむ。漆塗りも朱塗りもない。絵柄もない。雅な椀とは言い難いが……形は均整が取れてるの。中々の腕前というべきかな?木材の色も趣があるの」


 澄まし汁に似た汁物……茸辺りで出汁を取ってる?……啜りながらの中納言の言。具材の青菜と山菜を箸で摘まんで口に含んで頷く。


「塩気は薄い、しかし旨味は良く染み込んどるの」


 中納言による呑気な天狗料理論評であった。しゃくり、と蕪の漬物を小気味良く噛み砕き、姫飯を食らう。


「……」


 天狗共が出した料理は精進料理のそれに似ていた。姫飯に一汁三菜。其処に甘露漬けの果物。飲み物には茶と果汁……肉と魚はない。妖らしからぬ料理であった。


「言っておくがこれはあくまでも客人用の食事じゃて。記録にも残っとるが連中は肉も魚も食らい、酒も呑む。それらが無いのはある種の配慮だそうだ」

「配慮?」

「鬼のような例があるからな」

「成る程……」


 人に化けた鬼が人肉を、あるいは妖肉に自身の一部を料理して何も知らぬ旅人や客人に振る舞うなんて罠は御約束過ぎる程の御約束である。あるいは酒で酔わせてから丸呑み等という事も……。


「かなり古いが、一応取引や交渉をしていた時期もあるからの。その時の取り決めやら反省やらでこのようになったのじゃろう」

「高圧的ですが、此方に慎重だと?」

「さてさて。私には鳥頭の考えは分からんなぁ。……うむうむ。これはまた面白い食感よな」


 灰色の四角形の塊を裂いて咥えて更なる論評をする中納言であった。因みに食べて見たら豆腐と蒟蒻を混ぜたような代物で、煮込まれて味がついていた。豆腐を真似しようとした産物みたいな感じである。


「……稲葉姫、大丈夫でしょうか?具合は悪くないですか?食べられますか?」


 俺は傍らの少女の食事の進捗具合を見て、尋ねた。チョコンと正座してコクりと頷く殻継稲葉は、しかしやはり感情に乏しく、何よりも食事は殆んど進んでいなかった。


 尤も、当然と言えば当然の話ではあったのだが。


「……お父上の事は残念でした。仇の用意した食事を食べる意欲がないのは分かります。ですが今は食べねばどうにもならぬ事態。無念は今は抑えて下さいませ」


 黒羽の所の桔梗姫を思い起こすような姿に、俺は慰めるように説得する。稲葉姫はと言えば口元に箸を咥えたまま小さく頷く。それだけであった。返答はない。声の一つも漏らさない。嗚咽の一つも……。

  

「……」


 中納言八割、俺が二割、稲葉姫が零割の会話を続けながらの食事は延々に続くようにも思われた。しかし現実にそんな事は有り得ないように。始まりにはどうのような形であれ終わりがあるものだ。


『面の人間!生きてるな!!』

「っ……!?」


 雛を打ち払った坊長が現れる。直ぐ目の前に。俺は咄嗟に身を跳ねさせて距離を取った。距離を取ってその無意味さに舌打ちする。中納言と稲葉姫は反応出来ておらず距離を取っていない。中納言に至っては食事を続けていてそのつもりすらないようだった。


『……そんなに怯えてくれるなよ。失望するだろ?』

「……何の用だ?」


 わざとらしく残念がる天狗に向けて、俺は静かに問い質す。


『お前の出迎えに来た。……おいおい、まだ御召し上がりの最中か?本当にお前達は食べるのが遅いなぁ?』

「見た目を愛で、香りを感じ、食感も味わって後味を感じ入るのが風流というものだぞ?」


 天狗の嘲りに、中納言は焦点のズレてるのか合っているのか判断し難い返答で横槍を入れた。話題を邪魔する、明らかに無謀な発言だった。


「中納言様……!」

『……』


 俺が警告を呼び掛けて、天狗は暫し無言となる。恐らく袈裟の下で中納言を数瞬見下して、再度此方を向く。


『まぁ。途中でもいい。ほら来た。選択肢はないのは分かっているだろう?』


 手を差し出す天狗。俺を運んで外に連れ出すつもりらしかった。そしてそれを断る事が出来る立場に俺はいない。


「……糞」


 俺は従う。天狗の下に向かう。そしてその腕を掴もうとして……一気に引っ張られて両肩を捕まれる。


「うおっ!?」

『固定するが、落ちたくなきゃあ暴れてくれるなよ?』


 縄が伸びて肩から脇に回って、腹を縛って固定する。天狗の翼が羽ばたく。


「くっ!?」

『……っと。それは飯食べるための道具だぞ?』


 俺が慌てると同時に天狗の囁きと弾ける音。カランカランと宙から床に落ちるのは箸。チョコンと座る稲葉姫の手元にはあるべき箸は既になかった。


 投擲。恐らく顔面に向けて。そして翼で払われた。


「!!?姫様、無謀な事はせず、中納言の御守りを!!良いですねっ……!!?」

『それ逝くぞ!』


 喚起言い切る前に、翼は一層強く羽ばたき俺は空高く連れ去られた。一気に舞い上がる。突風が俺の声を掻き消す。


「っ!いきなり、だな……!!?」

『鬼共よりはずっと手順踏んでるだろう?……それより折角だ。観察しなくて良いのかい?貴重な情報収集の機会だろうにさ』

「何を……そういう事か」


 顔面にダイレクトに叩きつけられる強風に瞼を細めて、しかし視線を周囲に移して俺は天狗の皮肉に納得した。


 天狗によって得た空からの視点は、俺に大切な情報を教えてくれた。


 ……雲海。青い空。其処から視線を下ろせば視界に広がるのは峡谷と大樹の際限ない広がりであった。


「あの岩肌……霊鉄か!?」


 天高く、そそり立つ岩山の連なりは、その苔と草の隙間から覗く独特の岩肌から霊鉱石、それも上質な霊鉄を含んでいる事を意味していた。間違いない。鉱山での任務で見た事があった。


「それに、こいつは……」


 そしてその合間合間に所狭しと生い茂るのは何れも此れもが樹齢千年はあろう巨霊樹である。それも暗摩山外縁部の森の、それどころか『禁呪深林』で見てきたものよりずっとずっと上等な代物だ。恐らくこの霊樹から削り取った弓矢は一流の退魔士の得物に相応しい代物となり、その皮から作った霊紙は凶妖を封じる符にもなるだろう。


 外縁部で得られる代物なぞ塵に等しい。見る者が見ればこの風景全体が黄金の山に見えた事だろう。山師と樵が見れば「多勢に無勢だ。いけー!」と叫んで雪崩れ込んで来る事だろう。


『少し高度を落とすぞ』

「くっ……!?これは、里?集落か?」

 

 高度が下がり、景色の解像度が上がると俺は並び立つ峡谷と巨木の合間にそれを見つける。


 樹上家屋、前世で言う所のツリーハウスであった。大小のツリーハウスが峡谷の壁に、あるいは巨木の枝間にと備え付けられている。視界で確認出来るだけで百以上、間違いなく俺の見えない場所に更に何倍は隠れている事だろう。推定される住民は、少なくとも千は下回るまい。


 ツリーハウスの薄暗い窓から、幾つもの視線が此方を窺っている……。


『どう思う?』

「どう、とは?」

『正直言えよ。感想をさ』


 頭の中に各種情報を叩き込んでいると、耳元でからかうような囁き。ぞわりと鳥肌が立つ。不快に感じる。僅かに視線を背後に向ける。釣り上がった意地悪げな口元が見える。俺は渋々と答える。


「……人が登るのが困難な高所、其処に備え付けられた拠点。険しい山岳を越えた先の拠点がこれでは攻めるのは困難だろうな」

『お前さん達がお泊まりしていた部屋も似たようなものさ。中納言と番を、一人で逃がせるだなんて思うなよ?』

「天狗は教えたがりとは聞くが……成る程な」


 こういう嗜虐的な分からせの意味合いという事か。あるいは優越感に浸るためか。何にせよ、悪質な。しかし……。


「やはり解せないな。貴重な情報まで開示して、何が望みだ?何を企んでいる?」

『それはもうすぐ分かる事……よし。着いたな』

「何……うおおおおっ!!?」


 疑念を口にする前にほぼ水平直下の急降下。慌てて視線を正面に向けると一際大きな円形状のツリーハウスが眼前まで来ていた。天狗の速度からして、激突まで最早時間はなかった。


『上手く受け身して、上手く道化な。……腰砕けになってくれるなよ?』

「おいっ……!?うわっ!!?」


 天狗の要求。俺が文句をいう前に手は放されていた。縄もいつの間にか外れていた。まるで切り離された航空爆弾のように俺は残された運動エネルギーによってツリーハウスに吸い込まれる。対処?無理に決まってんだろ……!!?


『なっ!?』

『とまれ……!!?』

「止まれるかぁ!!」


 ツリーハウスに激突する直前に門番らしい天狗共が現れるが、俺の怒声より先に直撃コースから逃げ出す。


 俺とツリーハウスを遮るものは、最早何もなかった。


「うっ、ぎっ、がっ……!!?」


 窓にダイビング。そして二度三度と跳ねるように転がって、最後は身体を上下反対にした状態で壁に激突した。尻が、痛い……!!?


「糞、天狗……!!一体何、を……を?」


 臀部を撫でながら、涙目の涙声での罵倒。潤む瞳で瞼を開く。そして……幾体もの天狗共に武器を突きつけられていた。


 警戒心カンストして。


「……あー、こんにちは?」

『赤坊組の捕らえた猿共だな?どうやって脱獄した……?』


 錫杖を向けていた青頭巾の天狗が問い掛ける。いや、待て。これは……。


「……脱獄?」

『惚けるな。得物は没収し、番犬も置いていた!それを抜けて……よもや我ら坊長組の合議に仕掛けて来るとはな。油断したわ……!!』


 黄色い猿面を被った天狗が怒鳴る。何それ、知らない……。


『赤坊長はどうした?脱獄があったのならば奴が動く筈だぞ?』

『合議に何時までも出て来ないと思えば……まさか、貴様如きが!?』


 更に二体の天狗が半信半疑とばかりに語る。いや、だから何それ知らん。


『あぁ。全くだ。随分とヤンチャしてくれる猿な事だよ』


 バサリ、と翼の音。視線を室内に入ってきた者に向ける。俺をダイブされてくれやがった件の坊長が入室する。


 ……血を流した腕を押さえて。


「はい?」

『赤坊長、その怪我はどうした!?』


 見知らぬ傷に俺が唖然として、俺を囲んでいた天狗の一体が驚愕したように叫ぶ。赤坊長は若干疲労困憊気味な口調で嘯く。


『逃げようとしたので仕掛けたんだがな……素手と思って油断した。得物まで盗られちまった』


 そういって顎をしゃくる。天狗共の視線が再び俺に、俺の腰元に集中する。俺も釣られて見る。


 血濡れの短刀と鞘が、俺の腰元にあった。


「は……?」


 訳が分からない。しかし凄く不味い気がした。嵌められた、そんな単語が脳裏に過る。


『やはりか!』

『油断ならぬ猿、いや獣め!人質がいながら……萎縮する処か我らの首を狙いに来たか!?』

「いや、これは……!!?」


 不味かった。剣呑な空気。俺の命だけではない。中納言と稲葉の命まで危機に陥りつつあった。俺は弁明せんとするが……こんな状況では俺が何を言おうと効果があるとも思えなかった。


『待て。待ってくれ……痛たた。確かに油断ならぬが、今は待ってくれ。此度の議題はその事について説明したかったんだ。ちと想定外だが、早まるな』


 赤坊長は他の天狗達を宥めるように宣言した。場の天狗共はそんな赤坊長に怪訝な視線を向ける。


『だが、しかし……』

『分かってる分かってる。でも今は駄目だ。それよりも……』


 渋る天狗達を抑える赤坊長。そして皆に呼び掛ける。


『百聞は一見に如かず、さ。よぉくそいつを見てくれ。じっくり、じっとり、みっちりとな』

『……』


 赤坊長の言葉に天狗達は一斉に此方を観察する。俺は無言でただただ固まる。それ以外なかった。短刀一つでこの状況を打開出来るとは思ってなかった。何よりも、事態の把握をせねばならなかった。


『っ、おいこいつは……?』

『この気配。まさか?』


 幾人かの天狗が、次第に三人、四人と何かに気付いた天狗共がざわめき始める。何だ?どうしたってんだ……?


『赤坊長、その者を捕らえたのはよもや……』

『あぁ。上手く欺瞞していたようだがな。外縁で夜中に戦っている所を確認して気付いた。だからこいつを選んだ。体の良い人質もあったしな』

『成る程な。何故よりによってこんなのをと思ったが……これならば納得だ』


 天狗共は俺を置いて語り合い始める。俺の事を話しながら、完全に俺自身を蚊帳の外にした会話であった。それは実に天狗らしい、妖らしい高慢さであり自己中心さであった。


「何を、話している……?」


 殆んど独り言の呟きは、しかし妙な程に部屋に反響して、天狗共の会話は途切れて此方に視線は集中する。


『あぁ。悪い悪い。猿の頭じゃあ訳が分からねぇんだろ?説明が欲しいよな?』


 俺の言葉に、まるで代表するかのように赤坊長は嘲りながら一歩出る。そして俺に慇懃でもなく無礼に呼び掛ける。


『我々には望みがあるんだ』


 己の腕の傷を、恐らく自傷を縛って赤坊長はそれを語った。


「望み、だと?」

『あぁ。お前さんがそれを叶えてくれるというのならば、中納言様は御返しして差し上げるさ。無論、貴様らとの間に生じた一連の騒動でも、譲歩をしてやるさ』


 袈裟を掴みながら赤坊長は語る。


『なぁに。お前達の普段やってる仕事と変わらんさ。化物退治、それだけだ』 


 袈裟を脱ぐ。首を振ると纏められていたのだろう長髪が広がる。肌が見える。人肌そのものの色が晒される。


『連中にはヤンチャされて困っていてねぇ。儀式でもやって稀人を招くべきかと議論していたんだが……丁度良い刺客が猿共から選り取りみどり。利用しない手はないだろう?」


 声質が変わる。呪いによる認識改変の終了。無機質にも思えるくぐもった声音は、澄んだ水流のように変貌していた。


「それは……」

「しかも、上手く条件に合いそうな奴が来たもんだ。この機会をふいにするなんてあり得ない。そうだろう?」


 天狗は口元をこれ迄で一番釣り上げる。首を捻って、同意を求める。


「蛇退治だ。……なぁに、残った八分の一殺せばいいんだ。簡単だろ?」


 あまりにも人そのものな天狗の女は、唇をペロリと舐めると、有無を言わせぬような物言いで要求するのだった。


「元はお前ら猿がキッチリ終わらせなかったせいなんだ。文句は言わせんよ?」


 悪性の嘲りに満ちた、微笑みで……。

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