第一五六話

故郷の寒村は何処までも殺風景だった。寒色に満ちて、みすぼらしい掘っ立て小屋が疎らに建ち並ぶ。草木は寒気に萎れていて、空は何時だって曇天。大地にも霜が広がっていて歩く度にシャリシャリと音を立てる。田畑の稲穂だって実は小さく痩せている。


 霊脈の恩恵から見放された、鍬を差し込むのにも一苦労する凍てついた大地……。


「……」


 そんな地に俺はいた。廃小屋の前に突っ立って、そして地面にはそれが打ち捨てられていた。


「……魚?」


 魚だった。息絶え絶えの鮎が五匹。成魚が二匹に、稚魚が三匹。土から伸びる霜を潰しながらジタバタとのたうち回る。パクパクと口を開けて、感情の読み取れぬ表情のままに、ただその目玉だけは飛び出さんばかりに見開かれて……。


「……」


 気味が悪くて俺はそそくさとその横を通り過ぎる。生臭い悪臭も理由だった。言い様もない空気が、俺にこの場からの離脱という選択肢を選ばせた。


 一刻も早く、家に帰りたくて……。


『ア、ア゙ァ……ア゙……ッ!!ドコ、行ぐノォ■■!!?』


「っ!!?」


 鮎の一匹から漏れる呪詛染みたおぞましい声音に。その呪詛が己の名を呼ぶ故に、俺は思わず足を止めていた。足を止めて、ゆっくりと視線を鮎に向ける。


『こぉ゙ぉコガァ゙!!ア゙ナだのおイぇでしョ゙!!?』


 成魚たる鮎の一匹の瞳孔と、視線が重なる。否、凝視される。気圧される。いや、それよりも……。


「……家?」


 鮎の訴えに、廃小屋を見つめる。確かにその造形に見覚えがあった。何度も何度も建て直して、修理して、隙間だらけのみすぼらしい小屋……その成れの果て。


「どうして……」

『ドゥ゙しでェ゙!!?それ゙ェハァゴッチの゙セリ゙ふナノ゙よ゙ぉ!!??』


 俺の呟きに反応して鮎は怒鳴り付けた。無理矢理に人語を話す故か、音程も音階もズレにズレた壊れた楽器のような調べで以て……俺を呪い始める。


『■■……!?どうシテェ、ネェ、どうシテェアナタがぁイキテいるノォ……!!?』


 おぞましい声音が追及する。詰問する。


「そ、れは……」

『どうシテカナァ!!?ネェ。どヴしてかナァ……!!?アナタがぁ!!?オマエガア!!ネェどうシテイミこのオマエナンカガァイキテイルノカナァ!!!?』


 答える前に半狂乱な女の怒声が鳴り響く。硝子を引っ掻いたような、硝子を砕いたような、狂気に満ちた女の絶叫。鮎が狂う。怒り狂う。


『ドウして生きてルゥ……?何故お前は、五体満足ナンだぁ?貴様ダケドウシテェ……?』


 別の鮎が恨む。尾のない鮎が蠢く。無機質な瞳で此方を向いて、呪いの言葉をひたすらに吐きかける。


「どうして、って……」

『オマエのせいダロォ?オマエのような疫病神ガアいるかラァ!!ヷタシタヂはぁ、ヷタシたぢハァァ!!』

『産まレテコナけれバヨカッたのにィ、ウマれではいケな゙かったの二ぃ……ナガれ゙てじまエバヨ゙カッダノヨ!!イミ゙こがぁ!!』

『ダマシイばぁナガレテェ゙るのにィ!!な゙のにィなぁぁんでがなァ゙!!』

『そノ゙カラダをウゴカシテルヤ゙ツハァ、……教えてくれ。お前は一体誰なんだ?』

「っ!!?」


 くぐった呪詛は、突如明瞭で無感情な呼び掛けへと変わった。鮎はギョロリと首を向けて、俺の正体を問い質した。


 じっと、黒い眼球が俺を見据える。


「俺は、俺は……」

 

 俺は怖じけながらも最愛の両親の名を言おうとして、その息子である事を宣言しようとして、■■という名を名乗ろうとして、しかし出かかった言葉はどういう訳か寸止まりする。


 ……まるで喉に引っ掛かる魚の骨のように、それを口にする事に戸惑う。


『ニィチャン?』

『ニィチャン?』

『ニィチャン?』


 黙りこむ俺を見て、今度は三匹の子鮎が次々と声を上げる。無垢な幼さ声を。じっと、愛らしさすら感じさせる瞳で此方を見つめて。


『ニィチャンハニイチャンダヨネ?』

『ニィチャンハカゾクダヨネ?』

『ニィチャンハカゾクジャナイノ?』

「何を……」


 直ぐ様に否定しようとして、しかし何故か言葉は出ない。出せない。必死に弁明しようとして、なのに陸に上がった魚のようにパクパクと、空気が抜けるように、声にもならぬ吐息ばかりが響く。


『ニィチャン?』

『ヘンジシテヨ?』

『ドウシテヒテイシテクレナイノ?』


 鮎の弟妹達が純粋に不思議そうに、そして容赦なく尋ねる。感情の読み取れぬ瞳が俺を射抜く。


『ニィチャン?』

『ニィチャン?』

『ニィチャン?』


 問いかける。次第に俺同様に苦しそうに口をパクパク開けながら。しかしその声音を渇しながらも確かに、訴える。



『ニィチャン?『ニィ『ニィチ『ニィ』『ニィチャ『ニィ『ニ『ニィチャ『ニィチャン』ン』ィチャン』チャン『ニィチャン?』?』ン?』チャン?』チャ『ニ『ニィチャン?』ィ『ニィチャン?』チャ『ニィ『ニィチャン?』チャン?』ン?』』『ニィチャン?』『ニィチ『ニィチャ『ニ『ニィチャン』ィチ『ニ『ニィ『ャ』チャン?』ィチ『ニィチャン?』ャン』ャン』ン?』ャン?』『ニィ『ニ『ニィチャン?』ィチャ『『ニィ『ニィチャン?』チャン』ニィチャン』ン?』チ『ニィ『ニィチャン?』チ『ニィチ『ャ』ャン?』ャン?』ャン?』『ニ『ニィ『ニィ『ニ『チェン!』ィチャン?』チャン?』チャン』ィチャ『ャン』ン?』『ニィチャン?』『ニ『ニィチャ『ニィ『ニィチャ『ニィチ『ニィチャ『ニィ『ニィチャン』チ『ニィ『チャ』チャン『ニィチャン』?』ャン』ン』ャン』ン?』チャン?』ン?『ニ『ニィチャン?』ィチ『『ニィチャ『ニィチ『チャン』ャン?』ン?』ニィチャン』ャン』』ィチャン?』


 反響する。反響する。無数に、無限に、永遠に、兄の助けを呼ぶ幼い呼び掛けが鳴り響く。俺は急いでそれに応じようとして、しかしやはり何一つ答えられない。喉を押さえて、息を吐いて、何かが詰まっているのかと喉の奥に指を突っ込んでえずいて見ても、それでもどうしてか声だけは出なかった。足はまるで地面に埋まっているように動かない。


 何も、弟妹達にしてあげられない……。


『ニィチャン、クルシイヨ!イキガデキナイヨ!』

『ニィチャン、コタエテヨ!カゾクジャナイノ!』

『ニィチャン、ワタシタチヲタスケヨ!ナンデミテルダケナノ!?』

「あ、かっ、……!!?」


 ジタバタ跳ねての必死の叫び。鬼気迫る呼び掛けに必死に答えようともがく。弟妹達の懇願に応じようと足掻く。動かぬ足を動かそうと悶える。


 待ってくれ。もう少し待ってくれ。直ぐに答えるから。直ぐに助けに向かうから。絶対に守るから。


 だって俺は兄だから。長男だから。弟妹達を慈しみ守らねばいけないから。それが俺の務めだから。それが責任だから。


 それこそが、もしかしたら本当の兄ではない事への、もしかしたらこの身体の真の持ち主ではない事への、きっと、きっと出来うる唯一の償いで、だから……。


『『『……ずっと私達家族を騙して盗み食いしていたのか?余所者め』』』

「ひっ……!?」


 幼さが失せた冷淡な三重声が、俺を容赦なく糾弾した。


『『そんな自己満足で、罪を償えると思っているのか?恩知らず』』


 俺の行為を、蔑みに満ちた声で二人は罵った。


「あ……」


 五匹の鮎が此方を見る。


「あぁ……」


 五人の人が此方を見る。


「あ、あぁ……!!?」


 五人の首が此方を見る。


 そして……。


 そして…………。









「あのぉ、家人扱様……どうか、其処から退いて下さいませんかねぇ?」

「ひっ。は……?」


 眼前に心底困りきった人夫の顔がアップされた。恐る恐るとした表情を浮かべて要請する。俺は呆然として周囲を見渡す。


 彼方此方へと移動するのは軍団兵であり、武士であり、退魔士家であり、人夫であり、雑人に官吏であった。思い出したかのように音が響く。ガヤガヤとした喧騒であった。


 山道に出立する用意を整える、人々の行列……。


「このままじゃあ隊列に入れないんですが……」

「あ、ぁぁ……そうか。分かった。降りようか」


 呼び掛けに、俺は牛に牽かせる荷車の上に乗っていた事に気付き、降り立つ。


 同時に直前の記憶を追憶して思い返す。朝廷の要員の要領が悪く、隊列を整えるのに苦慮していた事を。故に待機せざるを得ず、荷車の上でじっと混乱が収まるのをひたすら待ち続けていた事を。


 そして、睡眠不足からいつの間にか転た寝をしていた事を……。


「……」


 己の装束の内は汗びっしょりで、未だに呼吸は荒い。心の臓は酷く激しく躍動し続けていた。


「……夢、か?」


 答える者は誰もいない。喧騒だけが辺りに鳴り響く。


「夢、だよなぁ……?」


 ただただ喧騒に包まれて、しかし平穏な周囲との乖離に唖然としながら、俺はひたすらにすがるようにして呟いた。


 沈痛な嗚咽を、漏らさぬように必死に堪えながら。


 気を取り直すには、今暫く時間が必要で、故にこの混乱は今は何処までも嬉しかった……。


 


 


ーーーーーーーーーーーーーー

「出立せよ!!」


 半刻余りの用意を経て、掛け声と共に隊列は山道へと進み始めた。先頭には高らかに御旗を掲げて、武装した武士に軍団兵、退魔士家の人員が隊伍を成す。牛車馬車を率いる人夫と雑人がその内側に。そして最も貴ぶべき代表達の車の周囲は警護要員が固める。人数故に牛歩の歩み、しかしそれが人数も相まって見る者に威圧感を与える。


 そして俺は隊列を構成する数多ある牛車の内でも一際豪勢なそれの、直ぐ傍に侍り進む……。


「ではどのような賽の目が出るか……ほほう。これはまた!?」

「おお?これは一本取られましたなぁ!」

「これは秘密なのですが近頃は歌舞伎に嵌まっておりましてな。密かに見に行く事も……そうでありまする。橘の御家の後援している所でしてな」


 妖化の名残か。無数の足音と車の物音を掻き分けて、牛車の隙間から漏れ聞こえる雑談の内容を俺の耳は明瞭に拾っていた。双六をして、宮中の噂話に趣味の話をして、そして稀に呑気に歌を歌っている……。


「……」


 俺は無言でただ、彼らを護衛し続ける。それが己の任であり、義務であるからだ。


 ……五匹の鮎の事は、一先ずは頭の中から忘れる。 


(あくまで、警告の筈だ……)


 人質は生きているからこそ意味があり、流石に雪音の身柄は環が何としても守る筈で、実家だって流石にあの鬼月家が全く何もしていないとは思えなかった。それくらいの事は基本中の基本である。俺や雪音に仮名が与えられている事だってこれ等の一環であるのだから。俺への好意が無くても、俺の立場からノータッチとは思えない。


 だから、本当にこれは警告。ボクシングのジャブのようなものに違いないのだ。だから、だから……。


(孫六達の方は、大丈夫だよな……?)


 後方の天幕に置いて来た二人を思う。まさかとは思うが……しかしどの道、連れて行く訳にも行かない。


 一応前線よりも後方支援に優れているとして白若丸も残置となっている。御意見番の弟子らしく、家の弱味にならぬよう面倒くらいは見てくれると思うのだが……何にせよ、心配事は絶えないものである。


「……力があれば、な」


 そうしてふと漏れた呟き。行進の無数の足音物音に掻き消されたそれはしかし口にした自分自身が驚く程に悲痛で、切実に思えて、どういう訳か既視感にも囚われた。


 この世は理不尽だ。この世界は不条理だ。前世だって思うようにいかないのは同じであろうが、それ以上に、遥かに超える程にこの世界は残酷だ。死と不正と不正義に満ち溢れている。ありふれている。


 そしてこの世界は弱者に厳しい。力なき者に冷酷だ。弱き事は罪であり、強き事は正しい。何かを守るためには力が必要だった。どんな形式でもいい、どんな在り方でもいい。己の我を押し付けるためには『力』が必要だった。


「そのため、なら……」


 脳裏に過ったのは桃色髪の姫君の姿。雨に打たれた憐れな娘。びしょ濡れになって、その豊満な肢体を艶かしく浮かび上がらせて、悲惨な笑みを浮かべて、ひたすら媚びるように言葉を囁きながら足下にすがりつく愚かな小娘……。


「……」


 沈黙。心中に満ちるのはドロリとした感情。それを自覚して嫌悪感に胸がムカつく。吐き気がする。しかしそれは確かに今の己にとって必要なもので、既にそれは己の手元にあって、何だったらもう己の欲望のために手を伸ばしていて……。


 きっと、それはもう何時でも好き勝手に利用出来る筈で……。


「……馬鹿な」


 今企んでいる行いすらも罰当たりなのに、それ以上なんて……許される事ではない。それでは俺は奴らの御同類ではないか?俺は己の思考を一層嫌悪して、面越しに口元を押さえる。猛烈な吐き気を堪える。


「……どうしました、伴部殿?先程から随分と気落ちしているようですな?」


 そんな俺の不調に気付いたのだろう、同じく牛車に侍り進む某家の退魔士が尋ね掛けて来た。確か名は……。


「いえ……殻継殿、でしたか?」


 記憶を辿り、東土から上洛してきたという守護の退魔士の家の名を口にする。


 東土新興退魔士家殻継家、確か此度で三代百年程であったか……扶桑の正式に任命された退魔の一族の中ではかなり新しい家だった筈だ。それこそ、此度の守護の任を賜った家の中ではぶっちぎりの新参者だ。


「……先日は慣れぬ事を致しました。己の器量を弁えず無茶をしまして、どうやら未だに調子が戻らぬ有り様です」


 俺は自嘲を装って答えた。いや、実際三分の一くらいは事実ではある。回り回って考えて見れば昨夜の大妖退治が波及して、尾を引いている側面があった。


「ははは。それはいけませんな。御無理はいけませんぞ?折角の立身出世ですから、御恩に報いて一所懸命するのも宜しいが御身を大事にされよ。家も残せず死んでは苦労も水の泡というものです」


 殻継乾秋、殻継家の当主と称する中年の男は快活に笑い助言する。その物言いはまさに新興の家らしい。


 鬼月のような大家なら兎も角、歴史の浅い家は家を立てるまでの苦難の記憶も新しい。そして一族は少なく、家を繋ぎ血を紡ぐためには血族の一人の喪失だって手痛い損失だった。其処から来るのだろう助言……。


 いやまぁ、別に此方は成り上がって家を創るつもりはないのだけれど。


「……御意見、有り難く承りましょう」


 形だけは応じて、それきりに話を終わらせようとしてしかし、先方は尚も関心があるようで更に発言を続ける。


「しかし、驚きましたな。……いや、謗る訳ではありません。ですが下人からの家人扱とは。数十年振りとお聞きします。本当に珍しい」


 殻継家当主は本当に興味深そうに此方を見る。否、観察するといった方が適切か。新任の家人は、その多くが元より家人として扱われる。在野で掘り出した優秀な霊力持ちをそのまま取り立てる故である。


 霊力の総量は確かに成長や鍛練により増大する。しかしそれは急激なものではない。十代前半にもなればその後のおおよその成長も、その頭打ちの水準も推察出来る。異能も同様、先天性の強いそれは十代前半までに発動しなければ自然的な発生は有り得ない。後天的に己で構築出来る者はいるがかなりの例外である。故にその才を下人や隠行衆相当として扱われた者が『退魔士』として成る事はかなり珍しかった。


 ……ましてや名門鬼月家が任じたとなれば尚更興味がそそられるのかも知れない。あるいは藪蛇や陰謀を警戒しない所はまだまだ御家騒動や利権抗争の経験の乏しい新興一族らしい反応か。


「……全ては鬼月の御家からの御恩、その賜物です」


 誰よりも自身が信じていない台詞を吐く。確かに鬼月の家に欠片の恩義がない訳ではない。だがそれはあのサイコファザーに対するものではないし、ましてや今の俺の身分に対するものでもなかった。


「それはそれは……しかし、確かに取立ての恩義には報いなければなりますまい。それこそ一代で返せる御恩ではありませんな」

「全くです」


 外側だけ見ればな。


「そう。……しかしながらこのような職務に就いていては明日は我が身でもあります。恩義に報いる義務、御家を守る義務、どちらも軽視は出来ませぬ。いやぁ、全く……困った話ですよ」


 ははは、と何処か含むような乾いた笑みを漏らす殻継家当主。そして俺は妙な感覚に囚われる。何なんだ、この会話は?何が言いたい?


「伴部殿も用心されよ。折角辛酸を嘗めて得た身の上、無茶をして身体が使い物にならなくなっては元も子もない。家人扱となればまだまだ立場は不安定でありましょう?」

「はぁ、それは……まぁ」


 いつ気紛れに処されるか分からんからな。


「『扱』とは言え家人。いざという時には主家に奉公せねばなりますまい。しかし身は一つ。任で後遺症を受ければその後の立場も危ぶまれましょう。最悪、折角の地位の剥奪もあり得る。……伴部殿、子はおりますかな?」


 ……このオッサン。急に何デリカシーないような事聞いて来てんの?


「い、いいえ……?」

「奥方か、類する者は?」

「おりませんが」

「それはいけない!」


 大袈裟に首を振る乾秋。俺は思わず仰け反って驚いて、周囲で行軍していた雑人や軍団兵共も同じくびくりと視線を向ける。当の乾秋はそれを気にする事なく、ただただ念を押すように、諭すように指摘する。


「それはいけませんぞ?折角得た立場。家を残すのは立身した者の義務というもの。速やかに子は残すべきでしょう。己が討たれても、いやそうでなくても一線で務めを果たせなくなっても、子がいれば家は残せるのですから……!!」

「えっと……そっすね」


 若干鬼気迫る態度での指摘。意見。半ば糾弾。その内容に俺はドンドン予感がする。面倒事の予感だった。


「えっと、自分はそろそろ彼方の茂みを警戒しに……」

「おぉ、稲葉!お前よ此方へ!自己紹介せよ!」


 奇妙な予感に、あるいは悪寒に距離を取ろうとするがその前に先手を取られた。背後への呼び掛け。小さな足で駆け出したような足音に振り返る。


 視界に映りこんだのは、頭を被るようにして勢い良く下げた少女。


「……ごちになります?」

「いや、飯奢る訳ではないからな?」

「んっ……」


 何故か疑問系の第一声に突っ込んで、それに応じるようにして頭を上げた少女を改めて見やる。


 十代半ばかも怪しい、余り感情豊かでは無さそうな、仏頂面の小娘……。


「此方、私の愚娘でして……此度名誉ある守護の任を承りました、名を稲葉と申しまする」

「……稲葉です。宜しくです」


 卑屈気味な父と、変わらず無表情の娘が綺麗な程に対比となっていた。


「……はぁ」


 取り敢えず、厄介事に巻き込まれそうになっているのだけは理解出来た。









……そして、深い森の中から向けられるその視線には気付けなかった。





ーーーーーーーーー

「あぁ。彼処か。お前様も粉掛けられた口かい?苦労するねぇ」

「見境無しだよ、全く……それだけ台所事情が厳しいんだろうがな」

「止めておけよ?彼処は罠だ。婿入りした所で苦労するのが落ちさな」


 山道の途上での小休止。その隙に情報収集を行った俺の元に集まって来たのは嘲りと哀れみと呆れをない交ぜにした殻継家の事情であった。


 どうやら件の退魔士家、上洛前の任で随分と手痛い損害を食らっていたらしい。


 元々一族にて退魔士と名乗れるに足る実力者自体両の手で数える程しかおらず、しかも運悪く東土の古戦場における武者髑髏共の掃討戦で外れ籤を引いたのだそうだ。


 当時現地には多数の家から退魔士が派遣されていたものの、其処に地中深くに封じられていた大怨霊が復活。近場にいた有象無象の退魔士達は次々と殺害されていったという。


 奇襲的に殺害された退魔士は計八名。最終的な犠牲は一二名。内四名が殻継家の者であったのは丁度彼らの足下から怨霊が飛び出して来たからに過ぎない。不運としかいいようがない。


 何が一層不運かと言えば、損失した四人が当主とその息子を含めた彼の家における精鋭メンバーだった事だ。


「では、乾秋殿は?」

「御隠れした当主殿の弟君だそうだ。直系はほぼ全滅したらしくてね、消去法での選定らしい」


 俺の質問に答える狂馬家の分家筋の者。話によれば現当主の実力は到底当主に及ばぬ、退魔士としてはどうにか及第点というものらしい。ましてや、他の面子は推して知るべしだ。


「唯でさえ主力を失って、しかも上洛の催促と来たものだ。金もない貧乏退魔士家だからてんてこ舞いだったろうねぇ」


 三ヶ月前倒しの延長四ヶ月の都守護。地元での仕事もあるので上洛中止を文にて嘆願した所、左大臣の孫娘から「御恩への奉公くらい責任持って勤めなさいよ、退魔士なんでしょ!!」との有難い御言葉を授かったとか何とか……世知辛い。


「それで、アレですか」

「当主は出張るしかないとして、娘殿は急拵えでしょうね。戦力として期待は出来ません。中妖相手なら兎も角、大妖相手は厳しい。寧ろ、連れ出した目的は別の所にありましょう」


 そのように答えるのは枯墨家の若い家人である。冷笑と共に憐れみも含んだ物言い。


 ……どうやらあの当主、行く先々で似たような事をしているらしい。しかも入り婿希望だそうだ。理由はここまでの事情から察するのは容易だ。


「単純に人手不足。他に子息もいないようで……戦力拡充と自身の血統で家を繋ごうと思えばああなるというもの」

「伴部殿は大妖を討たれましたからな。彼処の家の管轄地ならばそれで十分という事でしょう。名門鬼月の家人扱ならば援助も期待出来ると踏んでるのやも知れません。羽振りが良いですから」


 因みに俺の前には彼らにも当主殿は近付いて来たらしい。当然のように受け流してはぐらかしたようだが。


「当然でしょう?斜陽した歴史の浅い家に婿入りしても、ねぇ?」

「鶏口となれども牛後となる勿れとはいうが……どうせ余所者を当主にするつもりは無かろうさ。乾秋殿と敵地で骨肉の争いとなる。馬車馬のように働かされて金も無心されるのが落ちというもの」


 彼らから見るに今のあの家は地雷との事らしかった。その上で彼らは語る。逸って承諾するなと。其処にはこれといった悪意もなく、本当に純粋な善意が見てとれた。


「いえ。別に承諾するつもりはありませんが……」

「それなら宜しい。折角なのです。もっと良い物件をお探しになるが良いでしょう。何なら御家存続のため主家が選定して頂ける筈です」

「其処らの百姓の娘を手込めにするならいざ知らず、腐っても同じ退魔士家だからな。後で揉め事になっては世間の物笑いの種になろう」


 ウンウン、と。頷きながら彼らは頭退魔士な助言を口にする。その態度に、俺は何とも言えぬ感覚に囚われていた。


(以前程の視線がないのは良いのか悪いのか……)


 俺は知っていた。先日まで、本当に昨日の夜中まで俺に向けられていた視線を。好奇と侮蔑と敵意を含んだ眼差しを……それが一変したのは間違いなくあの任務の成功だ。


 曲がりなりにも、秘密の違法ドーピング『精力三千倍増幅!よーぼびたんBK!ですよ~♪』……ドーピング込みといっても、それでも必死な有り様でも、確かに彼ら彼女らはあの任務で俺の実力を認めたらしかった。実力を見下しはしても、それでも蔑みはない。ギリギリのギリギリ、頑固者は兎も角、大多数は俺を退魔士(仮)くらいには認めてくれているようだった。「ふーん、一応このレベルの任は果たせる訳ね」な態度である。


 ……いや、正直そんな扱いされても嬉しい訳でもないのだけれど。というか今、誰か頭の中に直接に語り掛けて来なかった?


「成程。道理は分かりました。しかし問題は……っ、時間ですか」


 話は強制的に打ち切られる。打ち切るしかなかった。法螺を吹き鳴らされる。休息の終わり。行進の再開を意味していた。


「それでは失礼をば」

 

 退出の一礼に先方の二人もまた応じる。これだけでも俺の立場が大きく変わっている事を意味していた。俺は踵を返すと牛車の元へと向かう。そして思わず足を止めて問い掛ける。


「……中納言殿?何を?」

「おぉ。家人扱殿か。いやいや少し散策をの。この時節は夏草が健やかに育まれる頃合い。来月の歌合せに備えて良き内容が思い浮かばぬかと思案していてなぁ」


 筆と札を手に山道の茂みから現れた中納言の発言に、俺は思わず絶句する。この老人の危機意識の無さに、今朝向けられた警告もあって一層愕然としていた。あのような陰湿な行為が出来た者がどうして今このような呑気過ぎる行動が出来るのか……正直理解に苦しむ。


「……中納言様、ここは魑魅魍魎の巣窟です。いつ何が仕掛けられるか知れません。どうぞ御身を大事にして下さいませ」


 怒鳴る訳にもいかない。丁寧に丁寧に、へりくだって乞い願う。この老人が死ねば誰かが責任を取らされるのだ。恐らく立場の弱い俺にも生け贄の流れ弾が来るのは確実だった。勘弁してくれ。


「ふぅむ。考慮しよう。……そうだそうだ支えてくれんかの?足腰が厳しくての。車に乗るのも一苦労だわい」

「……承知致しました」


 面の皮がぶ厚いと思いながらもそれを見せずに承諾する。雑人共のキツい視線に気付かぬ振りをしながら受け流し、老人に肩を貸してゆっくりと車を登らせる。先方はと言えば脅迫相手に容赦なく体重を乗せて来てくれていた。


 権力があれば、こんな不本意な事をしなくても良いのだろうと、そんな事を思わず頭の片隅で考えこむ……。


「よっこいしょっとな……よしよし。助かったぞ?」

「いえ。この程度の……」


 心にも無さそうな礼に、俺は恭しく返答の言葉を述べる。述べようとして、そして……。


「……っ!!?」


 鋭敏な五感が、あるいは第六感が警鐘を鳴らした。言語化し難い、危険の気配……!!


「奥にお控えっ……!!?」


 中納言を車の奥に押しやった。勢い良く振り返る。振り返って、それを視界に収めて、そして殆んど反射的に腰から短刀を引き抜いて鋭く迫る殺気を払う。


「ちぃぃっ!!?」


 直後、金切音と共にそれは弾かれた。弾かれて、地面に突っ込む。


 相当強く引かれたのだろう。尚も激しく揺れながら地面に突き刺さるのは長弓の矢玉であった。古い古い形式の、扶桑弓矢……。


「……噂をすれば御登場、ってか?」


 俺は身構えながら冷笑する。冷笑して、状況の忌々しさに吐き捨てる。


 森の中、樹木の上にて、此方に二の矢を向けるこの山の住民達の姿があった。









ーーーーーーーーーーーーー

 事態は緊迫していた。山道の行列はそれが判明した時には完全に包囲されていた。木々の上に散らばる人影達によって。


 その全てが例外なく弓を構えていて、あるいは刀を手にしていて、錫杖を携えていた。僅かな身動ぎで、山伏装束の下に鎖帷子かその類似品を着こんでいる事が分かる。背から突き出す烏のような翼は折り畳むように仕舞われている。隊列を取り囲む天狗共の集団。数は……少なくとも百は下るまい。


『……』

「……っ!」


 外套か頭巾其処に頬面あるいは仮面。その隙間から冷たい獣染みた眼光が覗く。部外者共を威圧し、警戒し、敵視する眼差し……明確なる敵意であった。


 いや、それはいい。そんな事は想定されていた事だ。問題はない。


 問題があるとすれば、それはこのような状況に陥る事を許した事、それ自体である。それ即ち……。


「馬鹿な。どうして包囲されるまで気付かなんだ……!?」


 護衛の退魔士達の中でも、探知に優れている筈の者達は人一倍驚愕して、愕然とする。眼前の今この状況を受け入れ切れぬようであった。


 警戒していた。化物の巣穴で、貴人の守護を前提としていたのならば猶更に。まして先日の夜間には遠方からでも気配を察知出来ていた。それがこのような昼間にこのような至近でも気付けなかった……?


『疑問かな?扶桑の彼方者共よ』


 くぐもった声音が森の中で反響した。彼方此方で武器を向ける誰かの発言。誰かは分からない。誰が頭目かを悟られぬようにかも知れぬ。少なくとも友好的ではなかった。嘲るような雰囲気も感じ取れた。


『驚くに値するものではない。貴様ら如き猿風情では我らの術をその欠片も理解出来まい』

『何度も何度も性懲りもなく同じ手に掛かるとは……猿は何時までも学習しないものだな?』


 反響する声音が今度は二人分。二人目に至っては一層あからさまな嘲笑を含んでいた。


「おうおう。出迎え御苦労であるな。……諸君らが暗摩に原住する天狗共で良いのかの?」

「中納言様……!?」


 険しい空気の中で呑気に、本当に呑気な物言いと共に牛車の簾を上げて現れる老人。中納言はニコニコとして己達を取り囲む武装集団に向けて宣った。


「っ!?中納言様方を御守りせよ……!!」


 傍に控えていた俺は天狗を刺激せぬように小声で、しかしはっきりと命令する。命令すると共に武器を向けずに盾となるようにして中納言の眼前で身構える。遅れて幾人かの軍団兵に武士、退魔士らが続く。得物は引き抜かず、しかしその柄には自然を装って手をやって……。


『……そちがこの一群の長かな?此処は汝らの来るべき場所ではない。即刻立ち去るがいい』 


 朝廷の権威を軽視せん発言に、しかし誰もそれを糾弾はしない。出来る筈もない。袋の鼠なのだから。不用意な発言と行動が何をもたらすのか、その恐れが彼らに選択を躊躇されていた。


 ……唯一人を除いて。


「そうもいっておられん。儂らとて暇ではなくての。このような田舎に態々足を向けるからには相応の理由というものがある。……承知済みであろうな?」

『……知らぬな。貴様らに降りかかった災難は当然の報いというもの。我々の関知する所ではない。因縁なぞつけずに己らの地に速やかに退出するがいい』


 先日の騒動を指摘すれば天狗はさらりと受け流し責任転嫁して見せる。明確な蔑み……。


「そういうでないわ。連れないのぉ。……主らの頭目は何処や?土産物も用意しておる。まぁ、一杯呑みながら語らおうではないか?」

「中納言殿……」


 冷たい敵意に、しかし変わらぬ朗らかな返答。何なら酒を話題に面会を求めて来る始末。傍から見れば図太いを通り越して無神経とまで思えた。


『立場を弁えろ。貴様らは袋の鼠だぞ?我らが頭に会う事は叶わぬ。許されぬ。……即刻立ち去れ。我らの山を貴様らの血で汚させるな』


 先方も同じような事を感じ取ったのだろうか。刺々しい物言いには苛立ちも見て取れた。再度、立ち退きを要求する。


「……」

『……』


 緊張を孕んだ静粛。静寂。誰もが息を呑み、微かな呼吸の吐息が妙に響く。


「伴部殿……っ!!」

「殻継殿ですか!」


 人混みの中に紛れて、その陰から忍びこむようにして現れた中年の退魔士。その後ろからは身体に似合わぬ大人用の武器を携えた娘が続く。彼女の無表情は、しかし緊張からか強張っているようにも見えて、その立場も思えば同情の念を抱く。


「助太刀に参上致しました!!」

「良く来て下さいました。中納言様の牛車の……!!?」


 殻継の父娘に要請しようとした次の瞬間の事であった。風を切る音に身構えた。中納言の牛車の盾にならんとする。杞憂であり、失敗であり、失態だった。


「あっ……」


 それに気付いた殻継乾秋は、そして直後にその上半分が爆散した。肉をばら撒いて爆散して、そして残る半分が地面に向けて崩れる。


「なっ!!?」


 その場にいた殆んどの者が驚愕する。そして視線を下手人に向けた。弓を手にした、一際上質な出で立ちの天狗が其処にいた。


『ふん。痴れものが』


 冷酷で冷淡に吐き捨てられる言葉。


『グオ゙オ゙オ゙オ゙ォ゙ォ゙ォ゙ッ゙!!』


 そして咆哮が鳴り響く。森の中から躍り出てくる多種多様な異形共。


「討ち果たせ!!」


 誰の叫びか。それを問う者はいない。そんな暇なぞなかった。


 山道はあっという間に乱戦と化した。刀が引き抜かれ、弓が射られ、術が放たれ、牙が振るわれ、爪が立てられる。人と異形の悲鳴が次々と上がる。


 血肉で彩られた地獄が、体現する。


「御守りせよ!御守りせよ!後退!一時後退だっ!!」


 誰かも知れぬ者の叫び。牛車を守護しながら武士が、軍団が、退魔士が道を引き返す。しかし山道は決して幅広くなく、牛車は大柄。ターンするのも容易ではなく、そもそも牛が曳くので遅々としてそれは進まない。


「伴部殿!!」

「御影、皆無事か!!?」


 俺は牛車を護衛しながら小妖を討ち果たして此方に駆け寄る御影に呼び掛ける。


「此方は大丈夫ですっ!!退避でしょうか……!?」

「あぁ。隊列から離れるなよ!?ここは禁地の敵地だ。散り散りになって置いてけぼりになったらお終いだぞ!?」


 飛んで来た蝙蝠を回し蹴りで叩き落として俺は命じる。残念ながら周囲を見れば既に逃げ散ってしまった人夫や軍団兵も見受けられた。


「っ!!?雛様か!!?」


 隊列の先頭の方向で上がる特大の火柱。蒼白い炎の塔。まさしく『滅却』の業火であった。恐らくは殿としての足止めのためのものであろう。触れる事も許さぬ火炎の絶対防壁だ。


「ほぉぉ……これは凄い。切り離しておいて正解だな。巻き込まれたら堪らんわ」

「中納言様、顔を出さないで……!!」


 一度押し込まれたのに再度簾を上げて牛車の中から火柱を見上げる代表に、殆んど怒鳴るように要請。此処に来て尚呑気な振る舞いに苛立ちすら覚えた。まるで自身は死なぬと言わんばかりである。


『『若草旋風』!』

「うおっ!!?」


 視界の端に映った巨大な鉄の団扇。振り被って振るわれて、吹き飛ばされそうな突風が襲う。大量の青草が視界を遮る。視界の端で幾人かが豪快に飛んでいったのが見えた。踏ん張って、その場に必死に止まる。まるで嵐だった。台風だった。まさしく暴風だ。しかしこれは……!!


(風撃じゃない、攻撃用じゃあない!!ならば、こいつは……!!)


 術の使用の目的を察して、俺は視界が見えぬのも無視して走り抜ける。そして目撃する。その光景を。


 青草の嵐を抜けた先。天より牛車に取りつく幾人かの山伏姿。引き摺られて姿を現す烏帽子を被った老人。


「中納言様っ!!」


 襟首掴まれて正に拐われようとしている中納言の元に駆け出す。駆け出して、それは致命的な隙であった。


『人の事を心配している暇があるかい!?』

「っ!?」


 背後に着地する人影。舞い散る黒色の鳥羽。見覚えのある上等な出で立ちは事の発端となったその者と同様で……俺は振り向き様に短刀で斬りつける。金切音。先程の矢もそうだったが……!!


「硬ぇ……!!?」

『良い短刀だなぁ……!!』


 鬼月家当主夫人からの有難い『呪』具たる短刀は、しかし確かに名刀で、しかしそれと鍔迫り合っても尚裂けも折れもしない眼前の天狗の弓もまた同じく業物だった。


「いや、これは……呪いもか!?」


 横薙ぎに振るわれる錫杖を短刀で受け流しながらの推察。鋭敏な感覚が解き明かすのは相手の身体から弓に流れる力。恐らくは霊力による物質強化と類似した代物だった。固有の権能ではなく道具を使う。世間一般の妖にあるまじき器用具合であった。


『御名答!!そして……!!』


 天狗は懐から振るうのは縄であった。縄は蛇のように意思を持って俺に絡み付く。


「この程度で……うぐっ!!?」


 絡み囚われる前に切り落とそうとして、しかし全身を脱力感が襲う。霊力、否それ以外も吸い取られていく感触。


『貴様らが使う猿真似と同じと思うなよ?そいつは封じるんじゃない。吸い出すのさ。そして、吸い出した分だけ伸びて、堅牢となる……!!』

「この、や……っ、!!?」


 説明されている間にも、俺から外も内も見境なく力を吸い出したのだろう縄はみるみると伸長し、肥大化していた。最早縄ではない。綱であった。俺の四肢を拘束する剛綱……倒れる。身動きが取れない。


(妖化は……駄目だ!!)


 妖化するにはここは人目に付き過ぎるし、暴走したら巻き添えが多過ぎる。そも、妖化しようにも縄に力を吸い取られている故にまともに変異するかも分からなかった。


『躑躅、御大尽様は頼むよ?銀朱はそっちのを確保しておけ。中紅は周辺警戒を怠るな。……私は、こいつを連れていく』


 仲間、あるいは部下達への呼び掛け。そしてその天狗は倒れ伏す俺の目の前まで来た。見上げる。見下される。殻継の当主を暴散させた天狗の幹部らしき者。


「ぐっ……くっ!!?」

『んっ、?意外と重いか?……やはり猿の見掛けは皮だけか?』


 衣類越しでも筋肉はそれほど無さそうな腕で、しかし天狗は言葉とは裏腹に俺を平然と脇に抱え込んで見せた。その膂力は明らかに人間のそれから逸脱していた。


『よーし。さっさと離脱するぞ。……他の連中にも連絡しろ。何時までも雑魚と遊ぶなとな』


 そして襲撃を仕掛けた天狗共は翼を広げて舞い上がる。俺もまた、囚われて、抱かれて、空を飛翔する。


 ……炎を纏った悪鬼が直ぐ傍にまで迫る。


『っ……!!こいつは不味いな!!』


 風を切って振るわれる刀を、腰に背負っていた団扇を引き抜いて防いだ天狗。空気を震わせる程凄まじい衝撃音が鳴り響く。一瞬遅れて、天狗も彼女も、共に反動によって正反対の方向に勢い良く吹き飛ばされた。


『坊組長!!?』

『いいから先に帰宅しておけ!!猿の餓鬼をあしらう位、一人で十分さなぁ!!』


 離脱しようとしていた幾人かの天狗が滞空して俺を抱える大天狗に向けて叫ぶ。当の本人は器用に空中で姿勢を戻すと部下達の心配を鼻で笑った。そして身構える。


 鬼月の一の姫は、空を駆けていた。


(異能の応用か!!)


 雛の踏みつける宙空に発生する炎。何らかの方法で以て足場を作り上げているのだろう。一気に再接近を図る鬼月の姫刀士。


「返せ!!」

『お前の物なのかいっ!?』


 団扇と刀が鍔迫り合う。同時に天狗は空いた手に携えていた弓で雛を殴り付けてくる。


「雛!!」


 叫ぶ。しかし遅い。弓が雛の顔面を斬りつける。顔が裂ける。血が噴き出す。弓を掴む。


「捕まえたぞ……!!」


 掴んだ掌から噴き出す蒼白い炎。天狗は即座に逸品とされる弓を捨てる。雛の顔に刻まれた傷は既に『滅却』されていた。


『火柱から思っていたけど、触れたら不味い奴だよね、それ?』

「自分で食らって判断しろ!!」

『っ!?』


 怒声と共に雛は空を跳ねて一気に押し込む。天狗は姿勢を崩して地面に向けて落ちていく。雛と鍔迫り合いながら落下していく。


「うおおっ!!」

『ちぃっ!?』


 上下の位置関係が迫り合いの勝利をもたらした。刀で団扇を弾き落とす雛。そして炎を纏った刀が天狗に向けて振るわれる。


 ……俺の身体が雛の前に盾として押し出された。


「っ!!?」

「雛っ、駄目だ!!」


 目を見開いての驚愕と動揺。慌てて異能を解除した雛。しかし俺はそれを糾弾する。遅かった。既に手遅れだった。


 俺の身体の陰から、天狗の袖の下から、蛇のように伸びる縄が雛に向けて殺到していく。


「こ、この程度っ!!?ぐっ!?う!!?」


 刀を振るう。縄を切り捨てる。しかしそれだけだった。次々と雛の身体に巻き付き締め上げる縄。


「許しもなく絡み付くな……!!」


 雛は瞬く間に太ましくなる荒縄を一気に焼き払おうとする。しかし……それは果たされなかった。


「『滅却』が!?」

『異能も術の延長だろう!!?』


 異能もまた発動に霊力を使う以上、その霊力を奪うか封じれば発動する事は叶わない。異能を封じる最も定番にして困難な手法。


『そして、こう!』

「なっ!?」


 瞬きした次の瞬間、天狗と雛の位置関係は入れ替わる。雛は下に、天狗は上に。まるで狐につままれたように、狸に化かされたように。


 そして、その意味を刹那に俺は理解する。

 

「不味い!雛!受け身を……!!」

『地面と口吸いしな!!』


 容赦ない腹蹴りが雛に叩きつけられた。その衝撃も加えて天狗は俺を抱えて一気に上昇する。遅れての轟音。粉塵。墜落、あるいは着弾……!!


「雛ぁ!!?」


 俺が叫ぶ間にも天狗は空に空に、ひたすらに舞い上がる。いつの間にか森を一望出来る程に、隊列は微かに見える程に遠ざかり……。


「ま゙ま゙あぁ゙ぁ゙ぁ゙ででぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙っ゙!!!!」

「っ!!?」


 遠く離れ行く地上から鳴り響く獣の如き怒声、咆哮、絶叫に、俺はそれが幼馴染みの味方のものだと理解しつつ、思わず恐怖を感じた。怖じける。肩を竦める。本能が、恐れる……。


『おっとっと。忘れてたな。……まぁ、少し寝ておきな』

「かっ!?」


 そして直後に首元に食らった衝撃に、俺の意識は一気に暗転するのだった……。


 薄れ行く意識の最後の最後まで、俺の耳元には彼女の悲鳴がこびりつき続けていた……。









『酷いですねぇ。いきなり手荒な真似過ぎますよぉ……もう少し、人の心とかはないんですかねぇ?』


 騒々しさの遠のいた森の中で、甘えきった艶声が響き渡った……。

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