第七六話

「…………」


 郷内、そして周辺地域を一望出来る蛍夜郷最高峰、結界の要の一つが打ち立てられた場所でもある夜鳴山山頂に彼は、退魔士たる鬼月慧晴は無言の内に几帳に座り陣取っていた。


 そして立ち上がった。遠方から蠢いて迫るその気配を感じ取って。


 下人衆のように面を被り、しかし下人共のそれと違って無貌の、それも視界を見据えるための覗き穴すらないがそのような事は彼には問題ではなかった。そも、盲目の彼にとって肉眼は全くの無意味であったし、それから得られる情報についても完全に必要としてなかった。


 視覚を除く四感、つまりは彼の聴覚・嗅覚・触覚・味覚は文字通りに人外の領域にあった。その耳は山一つ先の獣の足音を聞き取り、その嗅覚は数百種の臭いを同時に嗅ぎ分ける。その触覚は空気の密度から見えざる存在を察知し、その味覚は空気中から遠方の存在の味を見出す。


 その有効範囲は隠行等の偽装を施さなければ半径二里(約八キロ)、そして半径三町(約三百メートル)以内であれば余程上手く隠行する手練れでなければ即座に感知して見せた。その力は実際、擬態に偽装、奇襲に不意討ち上等な怪物共の、その卑劣な罠を幾度となく打ち破り多くの味方の命を救って来た。そして今回もまた、彼はその四感によってその脅威を地平線の先より正確に見出だした。


「数は三百、四百……まだ増えるか」


 可能な限り気配を殺そうとしているが所詮は知恵も理性もなき怪物。慧晴の探知能力によってその位置から脅威の段階まで限りなく正確に暴かれる。約千近い妖共。その内中妖が数十に大妖も数体………かなりの規模である。


「邦守から要請のあった連中か?時期的には相応であるが………」


 毎日のように被害報告は東討隊にもたらされており、日付と被害地域の変遷から今日明日頃にはこの辺りにもそれは及ぶとは想定されていた。しかし、これ程大きな所帯とは………。


 ここから迎撃するのは容易、恐らく九割方は討ち取れよう。問題は残る一割を取り逃しかねぬ事である。下手に遠方より攻め立てては有象無象が蜘蛛の子を散らすように逃げかねない。化外の地であれば兎も角、朝廷が領内でそれをするのは宜しくない。やるからには一体残らず討ち取らねばならぬ。それが退魔を生業とする者としての矜持である。


 故に慧晴は敢えてそれを放置する。伝令用に式神を放ち、化物共が郷が結界のその境界にまで迫るのを待つ。そして、その時は来た。


「っ………!!」


 暫し結界が境界に屯していた異形の群れが、その先頭の物共が意を決したように不可視の壁に触れて、瞬時にその身を焼いた。悲鳴を上げてのたうち回る怪物。先頭の同族の末路を見せつけられて、後続集団は恐れ戦くように二の足を踏んだ。


 同時に後続の数十体の足下が赤黒く染まり始める。異変に気付いた時にはもう遅かった。事前に慧晴が仕掛けた呪いが発動する。ぬかるんだような地面に怪異共は足を取られて、そのまま腐ったように溶けていき沈みこんでいく。声にならぬ悲鳴もまた、同様に消えていく………。


「ふむ。分散して来るか」


 一つの集団を片付けたものの、別の集団が直ぐに迫る。探知する限り、地上を行く怪物共は十数から数十の集団に分かれて多方向から攻め寄せているようだ。大技で一度で殲滅されるのを防ごうというのか、あるいは此方の対応能力を飽和させようとでも言うのだろうか?


「無駄な事を」


 尤も、妖共の小細工を慧晴は冷淡に切って捨てた。この程度の事で鬼月の退魔士が後手後手に回ると思われるのは心外に過ぎる。


『グルルルルルッ!!!』


 次に攻め寄せた集団は中妖数体を擁していた。大柄な獣妖怪が先頭となって結界に突貫、これを無理矢理に食い破ろうとするが無意味であった。


 幾ら張られたのが古かろうと、たかが中妖如きに堅牢な結界が抜ける筈もない。ただただ妖共は無駄に結界に身体を叩きつけてはその肌に火傷を負うばかり。淡々と慧晴が術を結べば、何処からか現れた無数の式神の紙吹雪の濁流が妖共を襲い、それが過ぎ去った頃にはそこに残るのはただ細切れに裁断された肉の塊のみであった。


 地中に潜む気配がした。しかしながら郷の結界は地中から迫る脅威なぞ元より想定して結界を結んでいたし、そもそも慧晴の四感はその程度では誤魔化せぬ。土遁の術式を使った。土砂が掘り返される。投げ捨てられたように異形の蚯蚓や土竜、穴熊に鼠が投げ出される。風に流されるようにして呪符が彼らに貼り付いた。瞬く間に発火する。怪異共は業火の中に悶え苦しみ、地面で無様にのたうち回るがその内に静かになった。


 僅かに漂うその臭いに、慧晴は空中の気配を捉えた。雲の中に隠れて機会を窺っていたようだが無意味だ。雲中の水気を凝縮させる。喉奥を水の玉で塞き止められた妖鳥、怪鳥共が酸欠となってバタバタともがき苦しみながら地面へと吸い込まれていく。高々度から頭より墜ちたのだ。その帰結は明らかであった。


 慧晴は作業的に怪異共を駆逐していく。一つ一つの術は然程高度な術式ではないが、それは彼の実力の底が浅いからではない。単に有象無象を処理するにはそれだけで十分であったからだ。


 鶏を捌くのに牛刀を用いる必要はないように、小妖中妖如きに大技を仕掛ける必要もまたない。霊力は有限であり、妖の駆除は何が起こり得るか分からない。なればこそ必要十分な力のみを行使し霊力の温存を図る。それは正に妖退治の専門家らしい戦い方であった。


(一体とて退かぬか。統率されているな)


 元より逃す積もりはなく、そして逃してはならぬ故に、慧晴はその違和感に気付く事が出来た。既に数百は狩られている筈であるのに、本能のままに突き進む筈の怪物共が一体としてこの場から逃げ出していない事実に。


 妖の群には二種類の特性が挙げられる。一つは互いの妖気に釣られて群がり合い自然と形成される群れである。この場合は群れの統率者は存在せず、共食いも日常茶飯事、ただただ本能に任せて突き進むだけの烏合の衆である。


 今一つは強大かつ知恵のある妖が群れの長として統率する群である。多くの場合は力と恐怖で同類を従わせるのであるが、前者に比べて此方は遥かに厄介極まる存在だ。


 人よりも豪腕に優れて奇怪な術を操る存在共が、程度の差こそあれ組織化されているのだ。それはただただ本能に従う獣の群れより余程に危険であろう。正に百鬼夜行である。そしてその極致が嘗ての大乱を引き起こした怪異の軍勢であり、その首魁は今では都の地下深くの監獄に囚われ続けている………。


「状況は如何にか?」

「宇右衛門殿」


 そして背後から急速に迫るのを感じていた気配が漸く到着する。振り向く事なく、慧晴は甥の名を呼ぶ。


 先程飛ばした式神からの報告を受けて駆けつけた鬼月宇右衛門は、慧晴には見えぬもののゆったりとした和装姿であった。幾ら退魔士でも妖退治ともなれば普段着で向かう事はそう有り得ない。どうやら着替えるのも惜しんで出向いたようであった。


「数は千は越えぬ程度、今の所問題なく駆除を進めておりますが、頭は未だ見出だせませぬ」

「であるか」


 そして宇右衛門は正面を見据える。鬱蒼とした森の中に潜む気配を宇右衛門も感じ取っていた。そしてそれは一つ一つ消えていく。慧晴の術式や呪いの前に妖の軍勢は少しずつその数を目減りさせていく。


 そして、それは来た。


「南西方向より、大妖が五体です」


 慧晴がその妖気を察知して呟く。宇右衛門が示された方角を見つめて目を細める。そして口を開いた。


「うむ、では本命は反対側だな」


 宇右衛門の推定に慧晴は驚く事なく頷いた。退魔士としては極当然の判断であった。


「良し、ここは儂が引き継ごうぞ」


 宇右衛門の言は順当なものであった。鬼月家の東討隊において最も手練れな者が慧晴である。であれば、それを本命に向けて有象無象の雑魚は宇右衛門が受けるのは必然であった。


「吉備はもう少し来るのに時間がかかろうな。隠行衆と下人共は期待は出来ん。儂らだけで受け持つしかあるまい」

「然り」


 宇右衛門の言に慧晴は同意する。吉備はどちらかと言えば術師型の退魔士であり、隠行衆と下人衆では急いでも防衛線の構築は間に合うまい。身体強化特化の宇右衛門だからこそこれ程まで早くに到着したのだ。


「では、お頼み申します」


 宇右衛門に眼前より迫る怪異の群れを引き継がせ、慧晴は疾走する。そして捉える。その索敵網の隅より急速に郷に突っ込んで来る強大な妖気の気配を。慧晴は地平線の先からその気配の進行経路の先に仕掛けた各種の呪いを発動させる。


 土遁の術式が土を腐らせて足元を陥没させた。木遁の呪いにより四方より木の蔓が飛び出して怪物を拘束する。火遁の霊術が周囲一帯を自然発火させると共に灼熱地獄に変え、水遁の術式が川の水を氾濫させて火球となった妖を呑み込む。矢継ぎ早に繰り出される技の数々。しかし………。


「呪は効かぬか……!!?」


 慧晴が仕掛けた呪いの数々は、しかしその怪物の前では無意味であった。軽く十を越える攻撃を仕掛けた筈であったが、探知出来る限り一切効果がないようであった。どのような攻撃を受けても、呪われても、罠を仕掛けられても、それは殆ど足を止めずにひたすら突進する。恐らくは呪術に対して耐性があるのだろう。そして………。


「ぬっ!!?」


 邪悪な存在から郷を守る不可視の結界にその巨大な気配が己の全身を以て突貫した。地震のような轟音と火花が散るような金切音が鳴り響き、それは動きを止める。しかしそれも数瞬の事に過ぎなかった。


 恐らくはその一角が綻んでいたのだろう、結界を無理矢理に打ち砕き、不浄の存在が郷里への侵入を果たす。何かをやり遂げたように咆哮する。そして再びそれは地を数回踏みつけて助走し、そして疾走する。


「させんわっ!!」


 霊力による脚力の強化、そして跳躍は音を置き去りにした。音速で慧晴は化物の行く手を遮るように突撃した。着地の衝撃で地面が抉れて粉塵が舞うが気にしない。そのまま駆けるようにして姿勢を立て直し、慧晴は双剣を引き抜き怪物に立ちはだかる。全神経を研ぎ澄まして相対する。


「ぬっ!?何だとっ……!!?」


 そして、それ故に鋭敏な彼の感覚は察知してしまった。遥か背後からのその微弱な妖気の気配に。その場所に。思わず驚愕と共に意識が後方に向く。向いてしまう。


『ブオオオオォォォォォ!!!!』

「はっ!?」


 地鳴りのような咆哮に慧晴は己が判断を誤った事を、眼前の脅威に対して一瞬、意識を逸らしてしまった事を理解する。しかし全ては遅かった。ある意味では致命的だった。


 直後、慧晴の眼前まで迫っていたその怪物は顎を裂ける程に開き上げる。同時に、その口から潜み気配を偽装していた無数の妖共が飛び出すと、眼前で身構えていた盲目の老退魔士に向かって一斉に襲いかかっていた………。






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『闇夜の蛍』の主人公、蛍夜環は郷の土地神が奉られ封じられる祠にてその異能に目覚める。


 そしてその異能はこの世界においては極めて強力であり、同時に何処までも凶悪なものであった。そして、それ故に彼は不幸に苛まれる事となる。


 そも、この『闇夜の蛍』のバッドエンドの多くにて主人公はヒロイン達に監禁やら封印やら拘束される訳であるが、その理由の幾分かは彼の力によるものである。より正確に言えばその力故に手に入れるにはそうせざるを得ない、というべきか………。


『焚俎篝授』ふんしょこうじゅ、ないし『千万焚俎篝授灯闇之呪』ちよろずふんしょこうじゅとうあんののろい……それが原作主人公、蛍夜環が固有の異能、その呼称であった。


 千万とはこの世のあらゆる物を意味し、焚とは焚る、つまりは火種として燃料を投げ入れる事であり、俎とは生贄を指し示す。それを引き換えとして闇夜を灯す篝火を授ける呪いである事を表している。まぁ、作中ではその本質に迫る機会は少なく、一部ルートの最後の最後に暫定的に命名されているに過ぎないが。


 もう漢字の羅列からしてあからさまに宜しくない雰囲気があるが、今更説明しないのも勿体ぶっているようなものである。つまりは、だ。蛍夜環の持つ異能とは生贄を引き換えとした己の強化なのだ。そして、その贄とは霊気であり、妖気であり、神力であり、霊脈であり、霊力持ちであり、妖であり、神格である。


 その発動条件こそかなり厳しいものであるが、もし彼の贄となれば退魔士は唯人になり下がり、妖や神格はその存在そのものが霧散する。霊脈に至ってはその源泉そのものが枯渇して土地は死に絶えよう。唯人に行えばその生命力を奪い去り対象は木乃伊になるんだとか。


 そして主人公は相手の持つ力を、異能を、権能を、己が霊力に還元し分解し、咀嚼して、消化する。


 実際の所、製作陣によればそれらすら主人公の持つ異能のほんの一側面に過ぎないのだとか。作中で描写されず、設定として公開されていないだけでまだ隠された能力があるという………だがしかし、発覚している範囲だけでもこの異能がどれだけ強力で凶悪で、そして危険なのか、察しが良い者は気付いていよう。


 有象無象の妖共であれば構わない。しかしこの異能が対象は退魔士でも唯人でも、神格でも霊脈でも良いのだ。それが意味する事は恐ろしい。


 退魔士達の霊力を無作為に喰らえばどうなるか、唯人に至っては死体の山を築き上げるのは容易だ。神格に至ってはその多くが封じられている以上逃げようがなく、しかも贄とした時に得られる力はどれ程のものか。霊脈が枯渇すればその影響は甚大だ。というか、実際この力が初めて発動した際に主人公はやらかしている。


 本編の最初のイベント、郷の襲撃。家族や村人が次々と食い殺される中で主人公は命からがら郷内で最も神聖な祠へと落ち延びる。しかして郷を囲む結界すら食い破られ、主人公は妖共に正に食い殺されんとしたその瞬間に彼に眠っていた力が発現する。そしてこの覚醒は大きなミスリードであった。


 作中の幻想的で神聖なエフェクトや効果音で騙されそうになる。まるで土地神や霊脈が主人公に力を授けたようにも思えるがそんな事実は一切ない。製作陣がぶっちゃけているがただただ生存本能によって覚醒した主人公の異能が土地神や霊脈の根源を食い潰しただけである。妖精の調べのようなBGMは土地神の断末魔の悲鳴だ。そも、土地神なんて基本的に人間に対して恨み辛みしかないし、霊脈に至っては意思の類いなぞある訳がない。全ては主人公が異能で無理矢理に強奪しただけだ。


 そして食い潰したのが良質な霊脈と豊穣祭直後の土地神となれば、それは正に御馳走だ。この瞬間に蛍夜環は己の生まれ故郷を殺した代わりに莫大な霊力をその身に宿す事になった。それこそ、都の地下に巣くうベイビーズに突貫するような確殺イベントを除けば作中の後半までこの時に取り込んだ霊力で事足りる程である。


 当然ながらこの故郷を殺すような行い、発覚すれば徒では済まない。原作では住民が全滅し、郷が放棄された後も暫くは霊力の残滓があったので直ぐにこの事実が発覚する事はなく、発覚したルートでも最早それ所ではない状況で有耶無耶になったりするので問題はなかった。


(逆に言えば原作に沿わない場合は問題なんだよな………)


 美しい紅葉に彩られる蛍夜郷の郷司屋敷の裏山を、その舗装された石段を進みながら俺は思案する。集団の先頭を進む巫女を視界に収めると面の下で顔をしかめる。


 原作で主人公の凶悪で危険な異能が直ぐに発覚しなかったのは郷の住民達が一人残らず消えてしまったお陰だ。もし彼ら彼女らが生きて郷が存続していればどうなるか?主人公が力に覚醒しない可能性があるのは勿論、覚醒した場合でも厄介極まりない。


 先ず確実に霊脈の異変は発覚するだろう。百姓らは土地の異変に敏感だ。そして調査団が来ればその原因が分かるのも時間の問題………朝廷から危険視されて囚われる可能性は当然として、下手に有名になると左大臣達の目につきかねない。郷の者達や家族も土地が死んだら主人公に対してどんな感情を向けるか。下手しなくても闇堕ちの理由には十分過ぎる。


 そして、多くのイカれたヒロイン共が彼を薬漬けにしたり、手足をもいだり、監禁する理由も見えて来る。彼女らの嗜好、道徳心の欠如が最大の理由であるが、同時に彼女らにとってはそれらは必要不可欠な処置であった。彼の異能が発動すれば朝廷に追われる可能性は勿論、己の力すら奪われかねない。他の競合相手がいる以上、そうなれば御仕舞いだ。故に主人公は悲惨なバッドエンドを強いられる。


「はぁ………」

「何ですか?先程から小さな溜め息を吐いて。其ほど任が不満で?」


 傍らで共に階段を上がっていた女中が棘しかない台詞を吐き捨てた。


「いえ、そんな事は………しかし随分と上りますね?」


 既に結界を兼ねる鳥居を五つ、いや今六つ目を潜った所であった。上った段数はもう数えていない。俺も流石に足が疲れて来た。割と急勾配だよな、この石段。


「合計で八八八段あるそうです」

「それはまた………」


 上り坂なのもあって疲れる訳だ。同行している用心棒達も辟易している。


「情けないですね。一番大変なのは姫様なのですよ?男ならシャキッとして下さい」


 そんな俺達を軽蔑するように女中は非難する。そして、先頭を進む蛍夜の姫君を見ればその言葉に反論出来ない。


 少女が動き易い訳でもない巫女装束を着込み、しかも背中には荷を、更には箒と水を注いだ桶を手に持ちながら石段を上っていくのだ。俺達よりも余程大変であるのは間違いなかった。実際額に汗を流して、しかも息も若干荒い。


 この郷の土地神を祀る祠に固定の神主も巫女もいない。強いて言えば管理人は蛍夜一族であるがそれだけだ。確か設定では例年豊穣祭の前に郷の年頃の生娘から暫定の巫女を選んでいるのだったか。


「祭の一月程前から巫女としての職責を行う事になっています。祠を清めに行くのもその一環です」


 そして豊穣祭の当日には神楽を舞い、奉納の唄を詠むのだそうだ。尤も、厳かなのはそこまででそこから先は村人達が秋の実りを豪快に使い込んでどんちゃん騒ぎに興ずる事になる。佳世達もここに訪れた際に祝宴用に郷外の産物を大量に卸したらしい。


「流石に今年は例年よりも小さな酒宴になりそうですが」


 非難するように鈴音は此方を睨む。おう、今年は居座る客人が多いからな。折角買い溜めた食材も現在進行形で客人の腹に消えている。


「そんな事言うものじゃないよ。妖に関わる事なんだから。仕方無いさ」


 そんな鈴音の批判に、弁護するように巫女装束の姫君が答える。石段を上りながら此方を見下ろす。


「姫様、危ないです。正面を向いて上って下さい」

「大丈夫だって。此れくらい平……うわっ!?」


 鈴音の立てたフラグは即座に回収された。石段に降り積もっていた落ち葉に足を滑らせた環は、荷物の重さも手伝って次の瞬間背中から倒れそうになる。


「ちぃ……!!?」


 俺は慌てて霊力で身体を強化すると段差を七段分一気に飛び越えてそのまま背後から彼女を抱き抱えるようにして支えた。間違ってこのまま彼女が石造段から落死なんてされたら洒落にならな過ぎた。こんな馬鹿みたいな事で詰みたくない。


「大丈夫ですか!?」

「えっ……!?あ、うん。有り難う!」


 一瞬訳が分からぬような表情を浮かべていた環は、しかし状況を理解するとそのまま此方を向いて安堵したように礼を述べる。花のような屈託のない笑顔だった。鼻腔を甘い香りが擽った。


「…………」


 俺は無言の内に押し出すように彼女の足を地面につけると背中と肩に触れていた手を離す。


「姫様、だから言いましたのに!ちゃんと注意して下さい!!」

「分かったよ。ごめんね?今度は気を付けるよ」


 血の気が引いたような青い表情で鈴音が迫り、主人公はそんな彼女に困ったような表情で謝罪する。その光景は主従というよりも仲の良い友人のようであった。


「いやいや、本当に助かったぜ。恩に着るぜ下人さんよ」


 背後からのその声に振り向けば用心棒達が安堵したように近寄って来た。


「姫さんに何かあったら俺ら、頭にぶっ殺されてたぜ。マジで助かった」

「お前さんには賭け金の事で恨みはあるが、これに関しては素直に感謝するよ」


 口々に礼を述べる用心棒共。恐らくはそれだけ堅彦が怖いのだろう。その言葉はかなり力が込もっていた。


「いえ、姫様が足を滑らせたのは私も一因ですので。………我々も上りましょう」


 主人公様達が上るのを再開するのを見て、俺はそう彼らに勧める。鈴音が環から箒と水桶を取り上げていた。どうやら主人の事を思って手助けするつもりなのだろう。さて、俺も上らなければ………。


「………」


 そして、上る直前にその温もりの残滓を思い掌を一瞥した。


 近い将来、あの華奢で直ぐにでも手折られそうなか細い身体にこの国の、多くの人々の命運が左右されるという日が来るのだろう。そして彼女自身の未来もまた、多くの関門と落とし穴が待っている。


 絶望と悲しみが、待ち構えている。


「………同情する資格はないのだろうがな」


 それがただの自己陶酔の類いでしかない事を分かっていても、俺は彼女の運命にひたすらに痛まざるを得なかった………。








ーーーーーーーーーーーー

 祠はゲーム、あるいはコミカライズ版に描かれたそれと然程違いは見られなかった。


 祠とは本来、神道における簡易的な神社であり神主や巫女が常在しないものを指す。尤も、その辺りの定義については曖昧な部分も多いので例外も多数あるのも事実だ。  


 実際、蛍夜一族の屋敷の裏山、その山頂近くに設けられたその祠は祠というよりは社に近い大きさがあった。


「よっと………皆はそこで休んでくれて良いよ。掃除は僕の仕事だからね」 


 荷を地面に置いて環は俺達に向けてそう声をかけると先ずは祠の御前で手を合わせて礼をし、そして祠の開帳を行った。


 清酒や榊の枝葉、神垂が飾られた祠の最奥にそれは奉られている。像であった。金色に輝く蛍を模した像。この地の土地神を模倣した神像。


 ノベル版にて『清水富土蛍神』と正式名称が記述されているそれは蛍を模した土地神であり、水と土を浄化する自然神である。そして、この地に移住した人々によって封じられた神である。


 この世界の、この国における豊穣祭は神に対して豊穣を感謝するものとは微妙に性質が異なる。扶桑国が人間を中心に、人間を最優先とした世界を求めて成立した以上、彼らは『神』に、人ならざる存在に頭を下げる行いを酷く嫌っていた。


 以前に触れたがこの世界における神社の類いは神を封じたある種の監獄だ。神格の権能を封じ込め、その膨大な力を搾り出して土地を豊かにするための『肥料』とする。この土地においてもそれは変わらない。特にこの郷の土地神はその力こそ凄まじくとも、荒事は得意ではなかったようでそれを封じ込めるのも、それを肥料として搾り取るのも然程苦労しなかったとか。

 

 豊穣祭で神を祀るのは一種の給餌である。出来るだけ長く搾り上げるために、秋を迎えてその権能を多く土地を富めさせるのに消耗した神格達を祭り上げて来年に向けて力を回復させる。それが目的だ。エゲツない………。


「にしては随分と献身的だな」


 境内の一角に腰かけた俺は彼女の、主人公様の仕事を一瞥して呟く。


 その目的くらい知っているであろうに、環は祠と境内の清掃について熱心だった。運びこんだ荷から新しい水を瓶に注ぎ、新しい榊を添える。清酒も注ぎ替えて、祠全体を土埃を払い、布巾で水拭きする。一礼の後に箒を手にして境内の落ち葉等を払っていく。そこにあるのは祀られた対象に対する純粋な敬意であった。


「良くもまぁ、熱心なものだよなぁ」

「そうだそうだ。あんな雑務適当にやりゃあ良いのにさな」

「姫さんは生真面目だねぇ」


 そんな彼女の働きぶりを見て、用心棒らは宣う。中には暇そうに欠伸をする者もいた。


(人の本質は性別が変わっても不変という事なのかもな)


 原作で主人公が巫女になる事はなかった。しかしその真摯な性格、優しさ、生真面目さは変わっていないようにも思える。そして今更のように彼女は主人公なのだと理解させられる。


「………何でしょうか?そんなに姫様を見つめて、気持ち悪いですね?」


 俺が何時までも環を見つめているのに気付いたのか、傍らまで寄ってきた女中が心底不愉快そうに吐き捨てる。見下げながらの罵倒だ。人によっては御褒美かも知れない場面であるが残念ながら俺にはMっ気はないので嬉しくはない。


(こいつは逆に変わり過ぎだよなぁ………)


 そしてそんな鈴音を一瞥して俺は内心で思案する。いやまぁ、四月馬鹿なバージョンである。主人公が性別転換しているのなら何が変更になっていても可笑しくはない。可笑しくはないのだが………物事には原因と結果、過程というものがある。はてはて、一体何がどう作用してこんなツンツンキャラになったのだか。


(原作だとおしとやか、というか内気な小娘と記憶していたのだが………)

「何ですか?私をそんなマジマジと見つめないで下さい。自分は面をしている癖に随分と失礼ですね?」


 観察するように見つめていれば再度の罵倒。蔑みの眼差し。たがが一般人と思って油断していた。女というのは妖や獣程で無くても他人の視線に敏感なのだ。俺は慌てて取り繕う。誤魔化す。


「これは失礼を。少し考え事をしていましたもので………面の方は御容赦下さいませ。此方は装備ですので。装着が規則なのです」


 第一目的こそ下人衆の記号化のためであるが、顔面の保護と瞳術等に対する対策として支給される面には実利的な意味があり、そして職務中は不必要にこれを外す事は奨励されていなかった。この世界は少し油断したら何をされるか分かったものではない。


「考え事、ですか」


 本当か?と咎めるような視線。俺は無言でそれに答える。暫しの沈黙の後、女中はこれ以上の追及は無意味と悟ったように溜め息を吐く。呆れたような、腹立たしそうな嘆息。そして言葉を続ける。


「謝罪しているつもりなのでしょうが……顔を見せず、表情も分からないともなればやはり不信感しかありませんね。此方は貴方の素顔すら知らないのですが?」


 あからさまに警戒するような表情で掛けられる言葉に俺は苦笑いするしかなかった。人とは多分に視覚で、延いては第一印象で相手を判断する存在だ。最初の接触の時点で既にやらかして、しかも面のせいで外面的な表情すら分からぬのは非礼であるし不気味な事だろう。彼女の立場からすれば疑心を抱くのは至極当然だった。


(あるいは下人衆に面を被せるのはこういう効果も狙っているのかも知れない)


 退魔士が下人を記号として見れるようにするため、それだけではなく何か間違って逃げ出そうとする下人に対して周囲が同情や協力をしにくくなるような効果を狙っているのかも知れない。まぁ、四六時中面で顔隠してる連中なんて気持ち悪いものな。………しかし、今の発言は少し妙だな。


「………失礼。今の御言葉ですが、少々お尋ねしても?」

「何ですか?私を何か問い詰めるおつもりで?」


 俺が問い掛ければ鈴音は一歩退き、腕を組んで此方を睨み付ける。完全に壁を作られてるな。目鼻立ちは良いだけに少し辛いわ。………いや、失言で殺される可能性が皆無なだけヤンデレ共よりマシだわ。

 

「いえ、大した事ではないのですが。私はてっきり先日の件で看病された際に顔くらい確認されていると思っていたもので。もしかして………思い違いでしたか?」


 温泉の側で倒れた際に、そうでなくても布団にまで運ばれた際に顔くらいは見られていたと思っていたが………。


「温泉では面は取りましたが、夜闇の中で碌に確認なんて出来ませんよ。屋敷に運んだ後は別の方に引き継ぎましたし」

「あぁ、成る程…………」


 そう言えば環以外に数回程老年の女中が此方の様子を窺いに来ていたな。そう考えると本当に俺はこの少女とまともな接点が存在しないな。


「別に今更顔見せなんて要りませんよ。どうせ暫くすれば二度と会う事もありませんし、下人というのは消耗が激しいのでしょう?死ぬ人間の顔を進んで見たいなんて思いませんよ」

「辛辣ですね。まぁ、言う事は分かりますが」


 明日死ぬかも知れない赤の他人の顔なぞ見たいと思う物好きも、ましてや仲を深めたいと思う者も滅多にいないものだ。後味が悪過ぎる。俺だって同じ立場ならばご免被る。


(そもそも、俺が言えた義理ではないしな)


 通常版と同じならば、近い将来彼女に……鈴音に待つ結末は悲惨の一言だ。そんな彼女に対して俺が必要以上に関わるのは余り利口な考えとは言えなかった。無論、それはこの郷に住む全ての人間に対しても言える事だ。人はテレビの向こう側の惨劇よりも身近の不幸に衝撃を受けるものなのだから。


「………」

「………何ですか?急に黙りこんで。気持ち悪いですね」


 そしてそんな事を考え込んで、沈黙した俺に対して鈴音は一層不信の視線を向ける。尤も、その方が良いのかも知れない。その時が来る事を思えば友好的な感情を向けられるよりはずっと気が楽だろうから。


「………って、あんた達何やってるのですか!?」

「ん?鈴音も賭けるか?十文からでやれるぞ?」


 返答もしない俺に更に目を細めて不愉快そうにする少女は、しかし次の瞬間には背後の喧騒に気付いて振り向き、そして怒鳴った。当然だろう、神聖な祠の敷地内でいつの間にか用心棒らが丁半博打を始めていたのだから。


「賭けるか、じゃありませんよ!!ここを何処だと思っているんですか!!?蛍夜郷が土地神の敷地で、よりによって賭博だなんて!!真面目に仕事くらいしなさい!!」


 鈴音は怒り狂いながら護衛の用心棒らを非難する。文字通りの怒り心頭である。顔を紅潮させて声を荒らげる。


「んな事言ってもなぁ?」

「ここまで妖が来るなんて有り得ないですよ?ここいらは何重にも結界が張っているでしょ?しかも鬼月の退魔士まで巡回していると来た」

「そうでさぁ。それにこりゃあただの賭けじゃあありませんよ。土地神の前で賽子で御神託を受けるんですぜ?こんな神聖な場所に来れる機会なんざ滅多にありゃせんですから」

「お前ら、いけしゃあしゃあと………!!」


 誤魔化すような用心棒達の言に鈴音は顔を引きつらせる。


 賭博は前世においても多くの宗教で諌められて来たが、同時にその源流は盟神探湯を始めとした神明裁判やト占であるとされている。

 更に歴史的に見れば諌める側の各宗教が寧ろその元締めとして賭場を管理していた事例も決して少なくなかった。そしてそれはこの世界でも同様だ。その意味では確かに彼らの言葉も否定はしきれない。


 まぁ、この状況においては完全に言い訳に過ぎないのは明らかであったが………。


「っ!?」


 女中が用心棒らに噛み付く光景を遠目から一瞥していた俺は次の瞬間、その気配を感じ取る。それは妖気であった。それも至近からのもの。咄嗟に気配の方向に向けて振り向いた。


 そして目撃する。凡そ六十歩程先、祠の周囲を掃除していた蛍夜の姫君が驚愕した表情で茂みに潜むその影と相対するのを。


 妖気を纏った影と出会すのを。


「………!!」


 殆ど条件反射的に俺は駆けた。跳躍した。先程環を石段で支えた時とは比較にならぬ程の速度で肉薄する。環と影の間に潜りこむ。外套を着込む何者か、あるいは何物かに槍を向ける。最大限の警戒をして。


「えっ……!?」

「姫様、今すぐ御下がりを!!」


 何が起きたのか分からないように小さく呟いた主人公様に向けて俺は叫ぶ。そして眼前の存在を睨み付ける。直後、遅れたように周囲に突風が吹き上げた。風が環の髪を、巫女装束を、茂みを、何物かの襤褸の外套を。


 そして垣間見る。その者の正体を。黒髪を。その髪から飛び出したように生える狼耳を。乱暴に包帯の巻かれた獣毛に覆われる異形の腕を。祠の結界によって火傷を負っているその身体を。その容貌を。俺は驚愕する。俺はその半妖に見覚えがあった。そして、因縁も。


「お前はっ………!!?」


 どうして貴様がここに?それを問い掛けようとする前に相手は此方を見て一瞬驚き、しかし直ぐに苦虫を噛みながら此方に向けて叫ぶ。


「んな事はどうでも良いんだよ!!それよりもそいつを早くここから………」


 必死の形相でそこまで口にして、しかし急に奴は黙りこむ。狼耳をピクリ、と震わせて背後を振り向く。遅れての轟音は遠方からのもの。そして俺も感じ取る。その気配を。圧力を。妖力を。


「あぁ、不味い」


 半妖の呟くような独り言が嫌に良く響いた。直後に爆音が盛大に鳴り響く。山を覆う木々が宙に向けて舞い散るようにして吹き飛んだ。


「きゃっ!?」

「姫様!一体何、が………!?」


 四散する土砂と木々の枝葉から主人公様を守る俺は、その巨大な影に気付いて頭を見上げる。赤い、敵意と殺意と悪意に満ち満ちた眼光を確認した。一瞬の後にその正体にも勘づく。そして俺は思わず呟く。


「………おい、マジかよ」


 初っぱなからの原作イベントの変化に、いっそ笑いがこみ上げて来た。


 それは真っ黒な猪だった。全身鋼のように黒く照りつける、それでいて至る所が切り裂かれて出血した半死半生の怪物。そして俺はそいつが何物であるのかを知っていた。良く良く、知っていた。主人公の甘く優しい世界を壊し、汚し、ある意味でその苦難の道を歩ませた張本人、絶望の物語の始まり………それを名で表す忌々しい化物。


 『禍獣』、それこそが蛍夜環の人生を狂わせて、その故郷を奪い去った災厄の元凶であり、今正に俺達に向けて雄叫びを上げて襲いかかるおぞましい怪異の正体であった………。

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