第六三話
現世とは常に生きにくく、救いというものは待っていてもやって来ないものだ。運命とは残酷で、世間は冷酷で、災難とは苦しむ者にこそ立て続けに来るものなのだから。
だから彼は雪がしんしんと降り注ぐ寒空の下、鍬を背負って帰路につく。朝早くから夕刻過ぎまで働いて、全身の倦怠感に苛まれながら無言で帰路につく。
致し方ない事であった。大黒柱であった父はもう畑仕事なんて出来ない。薪拾いも山菜採りも出来やしない。片足を失ったのだ、野良仕事なんて出来る訳がない。だから彼が代わりに賦役につくしかないのだ。しかも………。
「………もう雪が降って来やがったしな」
呟かれる言葉は何処までも怨みがましい。冷夏による不作に例年に比べて早く来た寒波、唯でさえ少ない収穫の多くが年貢と小作代に消えて、秋口の山に入っての木の実や茸、山菜の収穫や雑用の仕事も満足に出来なかった。今年の冬を凌ぐための蓄えは余りにも少ない……だからこそ彼は父と共に冬でも必死に働いたし、父が働けなくなってからは一人でも働き続けた。働くしかなかった。
それが出来なければ飢え死にするだけだ。田舎の人間には都会にはない人の温かみがある?そんなものは幻想だ。少なくとも常に飢饉に怯え、災害に怯え、妖に怯えるこの世界においては、例え隣人が飢えようと助けの手を伸ばしてくれる者なぞ滅多に居やしない。誰だって自分が食べていくのに必死なのだから………。
「………っ!!」
やるせなさに歯を食い縛り、彼は歩みを再開する。現状に不満を持っても仕方無い事だ。前世であれば兎も角、この世界では不満を口にした所でどうにもなりやしない。お上は年貢さえ取れれば良いのだ。辺境の開拓村の小作人がどうなろうが気にも留めやしまい。泣こうが喚こうが誰も見もしないのだ。だから、働く………それ以外に何も出来る事はなかった。
「…………?」
そして歩みを再開した彼は村の入口近くの水田でそれを見た。小さな子供達が三人、水田の土手で何やら集まり騒いでいる。その後ろ姿や髪形を認識して、彼は怪訝そうにそちらへと向かう。
「ほ、ほら兄ちゃん!ちゃんと捕まえて!逃げちゃうよ!!」
「分かってるって!!けどこいつぬるぬるしていて……!?」
「わっ!?此方来た!?」
「何しているんだ?お前ら?」
「「「わっ!!?」」」
彼の言葉に小さな子供が三人、二人の男の子に一人の女の子が一斉に振り向く。驚く。彼は三人の事を良く知っていた。大事な大事な弟妹達だったから。
「おいおい、そんな服を泥だらけにして……」
「兄ちゃん!!それより手伝って!!」
既に稲刈りが終わったので問題ないとは言え、水田に足を突っ込んで泥だらけになった弟妹達に呆れる彼は、しかし直後に妹の助けを求める声に怪訝な表情を浮かべ、しかし直ぐにぎょっと目を見開く。妹が握るのはバチバチと暴れる泥鰌であったからだ。それも、かなり肥太っていた。
「「「あっ!?」」」
「ちっ、逃がすかよっ!!?」
妹の手からするっと抜け落ちてそのまま水田の泥の中に逃亡を図る泥鰌を、鍬を捨てた彼は両手を突っ込んで捕まえる。絶対に逃がさんとばかりのその所作は最早親の敵でも見るかのようであった。
当然であろう。「兎一匹、泥鰌一匹」と言われるように、泥鰌は兎一匹に匹敵するだけの栄養があるとされている。無論、実際はそこまでではないにしろ、この寒村においては貴重な蛋白源である。逃がすなぞ論外であった。
どれだけ経過したか、悪戦苦闘して、衣服を泥で汚して、どうにか彼は泥鰌を捕まえてそのまま水田の外に放り捨てる。雪が敷き詰められた地面に叩きつけられた鰌はじたばた暴れるが最早助かる術はない。元気がなくなって動きが鈍くなった所で弟達が二人して群がるようにして捕まえる。
「やった!やった!!兄ちゃん凄い!!」
妹がはしゃぐ。そんな妹に説明を求めると興奮したままに妹は説明する。
どうやら両親や自分の助けになりたいと弟達と一緒に食べ物を探して村の周りを探していたようだ。残念ながらこれといって食べられそうなものは見つからなかったが帰りに水田に泳ぐ泥鰌を見つけて三人で慌てて捕まえようとしていたらしい。
「兄ちゃん凄い!三人でも捕まえられなかったのに!!痛っ!?」
泥鰌を地上に引きずり出した長兄を称える妹は、しかし直後にその兄である彼に小突かれる。弟二人もまた同様だ。当然である。勝手に村の周りを三人で回るなぞ危険過ぎる。ついこの前父が妖に襲われたばかりなのだ。そして、その妖はまだ退治出来ていないというのに……!!
彼の説教に三人弟妹達はびくびくしながら聞き入る。末の妹に至っては頭を撫でて半泣きだ。しかしこればかりは…………。
「気持ちは嬉しいけどな?危ない事はするなよ?本当に心配したんだぞ?何かあったらどうする……?」
「けど、うぅ………」
「けど兄ちゃんは出てるじゃん。狡いよ!」
「俺は兄貴だからな。年が違うんだよ。年が」
妹が呻き、次男が反論するが彼はそれをあしらう。実際、次男と長男たる彼の年の差は三歳もあって、三男長女が次男の年子である。子供にとっての三歳の差は大きい。そして長男たる彼は年以上の思慮と知恵があった。同じ扱いにするなぞ言語道断である。
「けど………」
愚図るようにして項垂れる次男を見やり、彼は小さく溜め息を吐く。確かに弟妹達の行為は危険であった。しかしながらその思いを無下にする事もまた彼には出来なかった。
「………流石にこんな村の近くなら近づかねぇか。ほら、さっさと服についた泥を拭え。一緒に帰るぞ?」
仕方無さげに彼が言えば弟妹達はぱぁ、と表情を綻ばせる。調子の良い奴らだと思いつつ彼は兎も角も彼らにこびりついた泥を払っていく。こんな泥まみれで家に上がらせる訳には行かない。
弟二人で鰌を掴んで、妹は勝手に彼の手を繋いで、兄弟四人で村へと帰る。裏手に貯めた甕の水で手洗いと泥鰌の泥吐きをするように指示を出すと、彼は家の戸口に向かう。今日の分の仕事の報酬は無論、弟妹達の戦果を両親に報告しようと思ったからだ。ここ最近は不幸の連続であったから、二人共少しは喜んでくれるであろう。そう思って戸口を叩いて帰宅を告げようとして………彼はふとその手を止める。理由は大した事ではなかった。家の中から声がしたからだ。両親が話し合う声。
「……貴方、大丈夫なの?」
「……あぁ、化膿の心配はないらしい。運が良かった。このままなら近い内に傷口は塞がるそうだ」
「そう、それは良かったわ。けれど………」
何の話をしているのだろうか?そんな事を思った彼は、特に理由もなく聞き耳を立てる。それは誤りであった。失敗だった。そして正解であり、成功であった。
だって………。
「……あんな場所に中妖だなんて。村の上役では噂になっています。この村に霊力持ちがいるんじゃないかって。もしかして………」
「その話はよせ。俺が運が悪かっただけの事だ。お前達には世話をかける」
だって…………。
「そんな事………そんな事言わないで。この村に乳飲み子のあの子と一緒に流れて来た時、受け入れてくれたのは貴方だけなのに。やっぱりあの子は、◼️◼️は………だとしたらもう迷惑はかけられません」
「止めてくれ。そんな思い詰めなくて良い。お前は大切な妻だし、◼️◼️だって下の子らと同じ可愛い俺の餓鬼だ」
だって………。
「けど、あの子は!私だって……ですけど、ですけど……!!うぅ………」
「大丈夫だ。何とかなるさ。俺も内職を頑張るからな?◼️◼️だって長男らしく働いてくれている。本当に良い子さ。だから大丈夫、きっと今年の冬だって凌げるさ……」
だって………彼はこの時自覚したのだから。自分がこの家族にいてはいけない存在なのだと分かったのだから。自分が………。
「………?兄ちゃん?どうしたの?」
背後からの声に恐る恐ると振り向く。そこには首を傾げて不思議そうに自身を、兄を見る妹、雪音の姿があった。視線が重なる。にへらっと笑みを浮かべる妹。兄である自分を慕って信頼している妹。しかし、もう彼にはそんな妹に笑顔を返せない。返せる訳がない。
「………?兄、ちゃん?」
だって、この家族にとって、自分は疫病神で寄生虫で、疎むべき忌み子以外の何者でもなくて、だから、だから…………………。
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無数の封符の拘束を力尽くで打ち破り、のし掛かる神鷹を押し退けて、七尾の狐に憑依した鬼月葵の儀式結界を打ち砕いてそれはそこにいた。四つ足で地面を踏み締めて、血塗れの異形はそこにいた。
その場にいた誰もが言葉を失い彼を見る。彼を、警戒する。その次の動きを見逃さぬように、緊張する。沈黙が地下の空間に流れる。
『キキキッ!!』
「うわっ!?」
その沈黙を破った者は緑色の怪物であった。身体を半分に噛み千切られて臓物をぶちまけた河童の上半身は、しかし尚も怪物らしい異様な生命力をもって這いずりながら場の状況なぞ一切無視して白若丸に迫ろうとしていた。その素早さたるや身体を半分失っているとは到底思えなかった。人によってはゴキブリを連想したかも知れない。
『………!!』
『ギッ!?』
「ひっ!?」
直後、ぐちゃりという音と共に黒い異形は前足の蹄で白若丸に迫る化物の頭を踏み潰す。頭を潰されてはさしもの河童とて致命的なようでびくりびくりと身体を痙攣させるとそのまま果てた。白若丸はそんな河童の最期にびくびくと怯え、そして恐る恐ると上を向く。
『グウウウウゥゥゥゥ………』
小さく喉を鳴らしながら無言で黒い異形は白若丸を見下ろす。無数の封符の隙間から覗く眼孔。思わず少年はその目に釘付けになって固まる。否、それは事実金縛りに近かった。その瞳は明らかに普通ではなかった。魂を見透かすような視線………。
しかし、同時に少年はその胸の内にあった恐怖や不安がスッと消えていた。それは自らを見つめるその視線に悪意や敵意がない事を本能的に感じ取っていたからかも知れない。少年はその境遇から他者に向けられる感情に一際敏感であった。
『グルルルルル…………』
「あっ………」
すぅ、と目を細めて、しかし異形は直ぐに少年から視線を逸らして正面を見据えた。無数の緑色の怪物共を見据えた。同時にへたり、と少年は膝をつく。糸の切れた人形のように尻餅をつく。
尤も、そんな事は四つ足で佇む彼にとってはどうでも良い事であったが。
『キッ……キ………』
少年の代わりにその鋭い眼光に当てられて河童の軍勢は一歩下がる。たじろぐ。狼狽える。その『源流』であれば兎も角、河童という妖の末端の端末の、しかも変質個体群に過ぎない彼らにとって目の前の存在は格が違い過ぎた。文字通りに存在する『位相』が違った。
彼らは確信する。目の前の存在が自分達ではどうにもならぬ類いの存在であるのだと。決して敵に回して良い相手ではないのだと。
殆ど本能の領域でその結論を導き出した河童の軍勢はその脳裏に直接訴えかけられる命令すらも無視して一斉に踵を返した。逃げ出した。逃亡しようとした。そう、逃亡『しようとしていた』。
『グオオオオオォォォォ!!!!』
背中を向けて逃げ出す河童共に向けて、彼はしかし慈悲を与える事はなかった。次の瞬間に顎を大きく開いた彼が放ったのは火炎の濁流であった。数百の河童の軍勢が瞬時に業火に呑み込まれる。
「きゃっ!?」
「御意見番様っ!!」
当然ながら河童の群れの中に孤立していた胡蝶と葉山も業火の海に捲き込まれる。慌てて葉山が胡蝶を守ろうとするが………次の瞬間に二人は呆気に取られる。
当然であろう。周囲は火の海、直ぐ側にいた河童共はのたうち回り炭化しては乾いた粘土のようにボロボロに崩れて地面に沈む。にも拘らず………熱気すら感じられない?
「これは………」
胡蝶が驚嘆しながら言葉を溢す。これは唯の炎ではないのは明らかであった。『浄火』や『滅却』のような条件付きの異能の火焔であった。そしてまたそれは霊力を源泉とした力ではない事もまた明白であった。
『ギギギッ…………』
『キェ……キエェェェ………』
苦しみ悶えながら死に行く河童共の断末魔の悲鳴が木霊する。
『ギッ……ギェエェェ………』
「ひっ………!?」
全身を丸焼けにした生きた松明となった河童の一体が全身を溶かすように崩しながら白若丸の下に近づく。這いずるように近付き手を伸ばす。その形相に思わず怖じけて小さな悲鳴を漏らす白若丸は思わずそれにしがみつく。
そしてふと頭上を見上げ、それが黒い異形である事に気付くと少年は身体を凍らせる。ジロリ、と見下ろすその眼に息を呑む。
『…………』
関心がないかのように直ぐに視線を逸らした異形がするっと一歩前に出た。燃え盛る河童と白若丸の間に入るように、前に出た。結果として河童は異形の身体に抱き着くとそのままボロボロに砕けながら炭化していく。炭化した河童の欠片が彼の身体の上で尚も燃え盛り、しかし次第に勢いを失っていく………。
「………」
そして白若丸はそれを見た。眼前で悲鳴を上げながら焼け死んでいく怪物共を見つめる彼の瞳を。憐れむようで、悲しむような怪物には不似合いな感情を見せる彼の瞳を………。
数百の河童共を焼き殺した業火の炎は、しかし次第に鎮まっていく。そして残り火がまだ燻る中、異形はゆっくりと歩み始めた。
「あっ、待っ………」
傍らにいた白若丸は思わず去ろうとする彼を呼び止めようとするが、異形は振り向く事はなかった。彼はただ真っ直ぐ進む。炭化した河童共に囲まれた胡蝶達の下へと進む。
「っ……!? と、止まって下さい!!」
葉山が前に出て黒い異形へと呼び掛ける。震える声で呼び掛ける。
彼もまた理解していたのだ。目の前の存在との格の違いに。それでも尚、呼び掛ける。目の前の存在が敵なのか味方なのか、彼がまだその心が人であるのか、未だにその判別がつかぬ故に。
「お願いです。止まって下さい………!!」
彼の呼び掛けに、しかし異形は歩みを止めない。葉山は不本意ながらも短刀を向ける。短刀を向けて、叫ぶ。
「伴部さん、ですよね?……御願いです。答えて下さい。貴方は味方ですか?まだ人としての記憶はありますか?それとも………」
葉山は必死の形相で再度呼び掛ける。呼び掛けて、ふと異形と視線が合った彼は口にしようとしていた言葉を呑む。その悲しげな瞳に、敵意を削がれる。構えていた短刀をゆっくりと下げる。彼には目の前の存在に武器を向けるなんて事は出来なかった。その瞳を葉山は知っていた。ずっと昔に、同じ視線を向けられた事があるから。
『…………』
数瞬の間、葉山を見つめていた異形はしかし、歩みを再開する。彼の傍らを悠然と通り過ぎて、そして彼女の目の前に辿り着く。鬼月胡蝶は、そんな彼を見上げる。
「貴方、その瞳…………きゃっ、何を!?」
澄みきったその瞳に胡蝶が何かを言う前に、異形はその首を下ろす。下ろして、胡蝶の足に鼻先を近付けた。押し付けられたその感触と鈍い痛みに思わず胡蝶は叫ぶ。
骨を砕かれ、筋繊維を千切られた彼女の足は、白装束の下では恐らく鬱血もしていて紫色に変色して腫れている事であろう。あるいは、既に腐り始めているかも知れない。
『グウゥゥゥゥ……………』
鼻を鳴らして胡蝶の足の様子を確認する異形は次の瞬間、吐息を吐いた。正確には吐息を吐くように火を噴いた。胡蝶は思わず身構える。葉山は叫ぶ。しかし………。
「えっ?これは………」
「御意見番様……?」
炎の吐息は直ぐに掻き消えた。否、それ自体は大した問題ではない。大事なのは炎の吐息が燃やしたものである。胡蝶はいつの間にか足の痛みが遠退いたのに気付いていた。ゆっくりと足の指を動かし、次いで膝を動かす。何の事はない。痛みも何もなく、足は動いていた。極々正常に、問題もなく、足が折られたなんて事実なぞないかのように。
「貴方、これは………」
『グウゥゥゥゥ…………』
胡蝶の言葉に小さく唸る異形は直ぐに踵を返した。距離を取るように踵を返す。そして小さく呻くと………次の瞬間、彼の全身が燃え上がった。
「あっ………!!? 痛っ!?」
『近寄らないで下さい!! 死にたいのですか!?』
突然全身が燃える彼の、その炎を消そうと慌てて近付く元稚子の少年を止めたのは彼の頭に止まった蜂鳥であった。その嘴で少年の頭を突ついて無理矢理その動きを止める。
さもありなん。彼の身を焼くのは唯の炎ではない。彼の内側より生じたのは概念的な炎であった。その存在を世界から否定する『滅却』の炎である。
(ならばこれは力の暴走ではありませんね。寧ろ……自ら発生させましたか?)
評するならば自傷ならぬ自焼行為とでも言うべきか。自らの存在を否定するその炎は、しかし牡丹は単なる自殺行為とは考えなかった。
西方の神鳥は天命とともに自らを焼き尽くしてその灰の中より雛鳥として転生するという。恐らくは目の前にて生じるこの事象もまたそれに類する現象である事を牡丹は即座に悟った。
………で、あるならばこの次に起こる事を予想するのは難しくない。そして、同じ事を考えていたのは牡丹だけではなかった。白若丸達の真横を人影が擦り抜ける。ほぼ同時に眼前の業火の中からそれが姿を浮かべて………倒れるようにして現れた。
「あっ………」
「お帰りなさい、貴方。ふふ、良く頑張ったわね」
燃え盛る業火の中から現れた、あるいは零れ落ちたその人影を受け止めたのは胡蝶でも葉山でも白若丸でもなく、彼女だった。
七尾の狐に憑依していた分霊は当然のような振る舞いで、極自然な動きで再誕した最愛の人を受け止めて、優しく抱き抱えた。慈愛の笑みを浮かべて、抱き締める。その豊かな胸に沈めるように抱擁する。まるでそれが常識かのように。
「あっ……う………? こ、こは……? 俺は……何を……?」
「駄目よ、落ち着いて。何も問題はないわ。ここは安全よ、だから動かないで………」
煤だらけの衣服で、身体はボロボロの彼が疲れきった表情で、訳の分からぬままに周囲を見ようとするのを、葵は止める。止めながら、抱き締める。今の彼に無茶をさせたくなかったから。そしてそんな姿を他の面々はただ茫然として見つめる。………いや、一人だけは違う事を考えていたが。
(衣服が再生している。怪我の具合はそうでもありませんが内側は結構酷いものですね。疲労も相当溜まっている様子。………やはり先程の炎は『滅却』の力を使った限定的な時間遡行ですか)
そう推察したのは式神越しにその場を観察していた松重の孫娘である。彼は自身の内を蝕む力が暴走してからの時間そのものを否定したのだ。無論、彼の力では世界そのものは否定出来ないので正確には自身の身体の時間を、であろうが。尤も、それも間に合わせのガワだけである事も彼女は見抜いていた。
恐らくは地上からやってくる討伐隊を想定して獣化しつつあった思考能力をもって辛うじて出来たのがこの外見だけを取り繕った、という所か………尤も、間違った判断ではない。先程までの彼を討伐隊に見られたら退治か実験台のどちらかであっただろうから。
恐らくは、先程鬼月の御意見番の足を治癒したのも同じ原理であろう。尤も、彼方はガワだけでなくて内部も丁寧に治したようだが。
(御人好しですね。呆れた事です)
人という生き物は衣食住足りて礼節を知る生き物だ。ましてや基本的欲求以前に生きる事自体が楽ではない現世において、自らよりも他者を優先したその所業に牡丹は呆れ果てるしかなかった。自身の事すら満足に出来ない癖に他人に対してそこまで面倒を見よう等と………本当に馬鹿げている。
(………まぁ、私にとっては関係ありませんがね)
彼がどれだけ貧乏籤を引こうが、傷つこうが、究極的には牡丹には関係のない事だ。大切なのは彼をどう利用して化物共の駆除に活用出来るかに過ぎない。それだけの関係に、過ぎない………。
(………取り敢えずはこの場にいる面子をどう誤魔化すかですかね。それと、私自身としては地上の連中が下りて来る前に幾つか標本が欲しいのですが………っ!?)
そんな事を考えながら牡丹が式神越しに鵺の依代や土竜の死骸に視線を向けたその瞬間の事であった。
「おのれ、忌々しい………」
反響するその言葉に、空気が震えた。突如として重くなる空気に全員が咄嗟に視線を向ける。葵に至っては扇子を構えて、そして殆ど反射的にそれを振るっていた。執拗な程に幾撃も放たれる風の斬撃………しかしそれは同じようにして振るわれて放たれた足の風撃によって相殺される。いや、相殺というには語弊がある。それの振るった風撃はただの一度である。ただの一度のそれに十は放たれた葵のそれが打ち消されたのだから………。
「………風情がないわね。人の逢瀬を邪魔しないで欲しいのだけれど」
扇子で口元を隠して葵はポツリと小さく呟く。何処までも冷たい目付きで呟く。
他の者達もまた視線を向ける。武器を構える。あるいは隠れる。そしてそれを視認したと同時に小さく驚愕する。誰かが唾を呑む音がした。
視線を向けた先、そこで全身ズタボロに傷ついた蜘蛛の少女が、しかし、背中から禍々しい蜘蛛脚を次々と生やしながら彼らを睨み付けていた。
その全身に神気を放ちながら………。
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めり込んだ岩壁から身体を起き上がらせた少女の姿をした怪物は、血塗れであった。その身体に纏う絹を思わせる鮮やかな純白の布地は、しかし蜘蛛の緑色の体液で所々が毒々しく汚れていた。額からも一筋の血を流し、布地の陰から覗く肢体もまた痛々しい痣が見える。重体だ、重傷だ。
実際、土蜘蛛が生きていたのはある種の奇跡であった。神力を込められた蜘蛛糸で編まれた神秘の布地がなければ土蜘蛛はそこで死んでいたであろう。其ほどまでに黒い異形による蹂躙は苛烈であったのだ。僅かな理性によって人と誤認して手加減した上で、土蜘蛛は死にかけていた。そして、そのまま数日放置されていれば土蜘蛛はそのまま衰弱死していたであろう。
しかし、蜘蛛は立ち上がった。立ち上がって、人間共を睨み付ける。確かな足取りで一歩前に出る。
「ふぅん、成る程。死に損ないが復活したのはこれのせいね?」
「うわっ!?」
するり、と伸びてきた狐尾から逃れようとして果たせず、簀巻きにされて宙で暴れる白若丸を葵は一瞥する。流石に素人という事か。彼のための舞であったのに、土蜘蛛までそのおこぼれを与る事になろうとは。
(いえ、それはそれで驚きではあるわね………)
すぅ、と目を細めて葵は考える。神に奉納し、宥める舞なぞそう簡単な事ではない。本来ならば対象外どころか、対象の相手にすら効果がない事だって有り得るのだ。その意味では直接奉納した訳でもない相手に対してここまでの余波があるのは驚嘆するべき結果であろう。この場でなければ称賛にすら値する。
………そう、この場でなければ。
「厄介な事をしてくれたわね」
ポツリと愚痴を溢す葵。身勝手と言われようがこの場で彼を危険に晒したのは事実、葵の中では唯でさえ高くない元稚子の少年の評価が更に下がる。
僅かに簀巻きにする尻尾の圧力が強まった。白若丸は小さな呻き声を上げる。痛みというよりかは向けられる悪感情に対してのものであった。
「くくくくくくっ……………!!」
そんな事をしていると、突如として小さな笑い声が洞窟に反響した。鳴り響くように、反響した。
「…………」
すぅ、と目を細めて葵が視線を戻せば、そこで蜘蛛は笑みを浮かべていた。勝ち誇ったかのような傲慢で、高慢な笑みを浮かべていた。
「くははははは!!心底不愉快なものばかり見せてくれたものだな、えぇ?折角の機会、貴様らに我の本当の力を見せつけてくれようぞ!!」
そして嘲る。嘲りながら叫ぶ。宣言する。自らを辱しめ、貶めて、侮辱してくれた者共らに。
さて先ずは、蜘蛛はその小さな口を開いて嘯き………直後、怪物の姿は掻き消えていた。そして…………。
「ちぃっ!!?」
ほぼ同時に轟くような金切り音が響き渡る。同時に葵は舌打ちした。自らの頭部への直撃寸前にギリギリでその蜘蛛脚の一振りを受け止めた扇子に傷がついていたからだった。幾度となく呪いを重ねかけした扇子に、である。その衝撃に葵の手は震える。痙攣する。
「っ………!!?」
苦虫を噛んだ葵は胸の内に彼を抱き、尻尾の一つで元稚子を捕らえたその状態で跳ぶ。跳ねる。土蜘蛛と距離を取ろうとする。しかし、それは許されない。
「どうした、先程までの威勢は何処に消えた?」
蝿取り蜘蛛のように跳ねながら、逃げようとする葵に肉薄していく土蜘蛛。蜘蛛脚の鉤爪が幾度となく振り下ろされる。葵が扇子を振るう。一度二度、三度四度と激しい鍔迫り合いの金切り音が轟く。風を切る鋭い音が鳴り響く。衝撃の余波で地面が抉れ、岩壁が穿かれる。荒れ狂う破壊の嵐。さりとて葵は蜘蛛と違い守らねばならぬものがあり、時間制限もあった。何時までも蜘蛛に付き合う訳にはいかなかった。
「焼け死になさいな」
一瞬の隙を突いて放たれたのは狐火であった。白若丸を捕らえる一本を除いた計六本の狐尾から放たれる狐火。それを前足二本の一振りで一瞬にして掻き消す土蜘蛛。しかしてそれも予想通り。その直後に吹き掛けるように口から放たれた業火が土蜘蛛の全身を呑み込み、葵は愛する人と白若丸を確保したまま後方に跳ぶ。距離を取る。そしてそんな葵達の前に駆け付けようとする者が二人いた。
「伴部!!」
「伴部さん!!」
葵と蜘蛛の戦いに加勢せんとするのは隠行衆の青年と、鬼月の御意見番であった。しかし、蜘蛛がそれを素直に許す筈もない。葵の吐き出した業火の中から焦げ跡もなく現れた土蜘蛛は怒鳴る。
「次から次へと小賢しい……!!者共、そいつらの相手をしてやれっ!!」
その叫び声とともに胡蝶達の背後に現れるは蜘蛛妖怪共の群れであった。精々が大型犬程の大きさの小妖……数も五十か其処らであろう。一流の退魔士にとっては一蹴されてしまうような雑魚……しかしそれはあくまでも一流の退魔士にとってであり、隠行衆の葉山にとっては油断出来ぬ相手であるし、霊力が枯渇寸前の胡蝶にとってもまた同様。油断すれば待っているのは死である。
「っ………!?まだこんな数がっ!?御意見番様っ!!」
「くっ、敗残兵……いえ、逃亡兵の分際でこんな時に!!」
短刀を構える葉山の声に胡蝶もまた身構える。苦虫を噛みながら眼前の蜘蛛共を見て忌々しげに吐き捨てる。
そう、確かに彼らは敗残兵であり逃亡兵であった。彼らが皆小振りで小妖しかいないのはその証明であった。
恐らくはこの蜘蛛共は彼の火炎の生き残りであり、同時に土蜘蛛の命令に離反した眷属の中でも飛びきりの馬鹿共であった。多くの蜘蛛が下人の吐いた吐息によって灰燼に帰したにも拘らず未だに生き残る奴らは、群れの中でも真っ先に逃げ出した個体に違いなかったのだから。だからこそ我先にと彼から逃げようとした同胞達の中から生き残る事が出来た。
そしてつい先程まで群れの離反と逃亡を阻止出来ていなかった土蜘蛛は、しかし今は彼らを完璧に統制出来ていた。
自身の命を以って、眷属共は葉山と胡蝶に襲いかかる。時間稼ぎをする。それは先程までの醜態を晒していた理性と知性なき化物とは全くの別者であった。子蜘蛛共は、今や完全に土蜘蛛の手足である。それは正に今の土蜘蛛が先程までの神格を宿した妖という存在から変貌している事を意味していた。
子蜘蛛共によって足止めされる二人。葵に助けは来ない。そして、逃げる事もまた、不可能。葵の額に一筋の汗が流れた。焦燥故の汗であった。葵に残された時間は決して長くはない。
「くくく、どうした?口数が少なくなって来たのではないか?ほれほれ、言ってみるが良い。威勢良く虚勢を張ってみせい」
「ふふふ、少し神気が戻った程度で随分とはしゃいでくれる事ね。どうせ元の一割の力も取り戻していないでしょうに。その程度の力が戻っただけでそれだけ喜ぶなんて、哀れな事よね?」
嘲りに対して挑発で返したのは鬼月葵の性であったが、同時に本心でもあった。今の土蜘蛛の力は確かに強大だ。先程に比べて十倍は強大だろう。しかし、それでも尚今の土蜘蛛の力はその最盛期の足下にも及ばず、鬼月葵の全力の前では無力だ。………分霊ではない方の彼女にとっては。
葵の内心に歯痒さと腹立たしさが生まれる。分霊に過ぎない自身の無力さに対するものであった。葵の明晰な頭脳は状況が刻々と悪化の一途を辿っている事を理解していて、その打開策がない事もまた同様に理解していた。理解出来てしまっていた。
「………」
するり、と葵は白若丸を解放する。いきなり簀巻き状態から解放された少年は小さな悲鳴を上げて地面に落ちた。そして、間髪入れずに彼を差し出す。
「え、えっと………」
「預けるわよ。全力で行くとなると流石に構っていられないもの」
淡々と葵は伝えると白若丸の返事も聞かずに踵を返す。蜘蛛と相対する。
「ふん、囮か。相も変わらず小賢しい事を考えるものだな」
土蜘蛛は吐き捨てる。葵の退魔士らしいやり様に対しての嫌悪感を隠さない。
鬼月葵は土蜘蛛の真の狙いを看破していた。ただただ復讐のみに暴れるように見せて、目の前の蜘蛛の狙いが自身の最愛の人であり、稚子の少年であると理解していたのだ。
当然であろう、片やその内に神力を宿した絶好の餌であり、片やその舞いの余波だけで神格の力を限定的にでも復活させるような希有な存在なのだ。計画が破綻して、眷属の殆んどを失った土蜘蛛にとって、二人は喉から手が出る程に欲しい事は間違いない。この場を捨てて、再び人間に復讐するための重要な鍵足り得る。葵が二人を確保したまま戦い続けていた一因だ。最悪二人を奪われて全力で逃亡される可能性もあった。
しかし葵もまた残る霊力は少ない。故に四の五の言ってられなかった。だからこその囮………土蜘蛛が彼らの方に向けばその隙を狙い、自身を狙うならばそれはそれで彼女もまた意識を集中出来るであろう。
………傲慢不遜な彼女がそんな妥協をせねばならぬ程に、状況は悪かった。
(選択を間違えたかしら? けどこの身体以外にアレに食い付けそうな依代なんてなかったのも事実なのよね………)
腐っても元凶妖だったこの身体が葵が使える依代の中では一番確実かつ優秀であったのは事実なのだ。ましてや依代になる事を許容出来る者となれば……その両面から白狐の少女が有用であったのは否定出来ない。これで彼への呪いがなければ最悪刺し違える事も出来たのだが………無い物ねだりをしても仕方のない事であった。
「まぁ、良い。ならば精々悪足掻きして見せろ!!」
「くっ……!!」
背中から生える蜘蛛脚で地面を蹴り上げて、土蜘蛛は葵に飛び掛かる。一瞬で距離を詰めるや、先程とは比較にならぬ速度で最も太い二本の蜘蛛脚を振るい押し潰そうとする。そして葵もまた先程まで以上の速度でもってこれを紙一重で避ける。避けきって見せる。
「死ね!!」
「それは貴様だ、狐猿が!!」
そしてそのまま一歩前に出て、扇子を霊力で強化して土蜘蛛の首筋を切り落とそうとする葵であるが、背中から生える蜘蛛脚で以ってその一閃を踊るようにして避けられる。避けながら残る蜘蛛足が次々と葵に襲いかかる。
既に相当扇子が傷んでおり、霊力にも限りある葵はそれを真っ正面から受ける事はない。扇子で以って蜘蛛脚の軌道を火花を散らしながら受け流し、時としてその力を利用して自身が舞うように回転して次々と繰り出される蜘蛛足の攻撃を回避していく葵。その高度な動きは彼女の才能あってこそのものであった。有象無象の退魔士が彼女の真似をしようものならば数合も持たずに呆気なく失敗して蜘蛛脚で踏み潰されていた事であろう。数十合に渡って、しかも借り物の身体でそれをして見せる葵は、やはり只者ではなかった。
しかし、それは土蜘蛛とて疾うの昔に承知済みの事で、故に怪物は次の瞬間、葵を揺さぶった。しかも、最も効果的な手段でもって。
「今じゃ、貴様。行けぃ!!」
「っ……!? まさか!?」
咄嗟に視線を向ける葵。脳裏に過った懸念は、直後に現実のものとなる。闇の中から勢い良く現れたのは子蜘蛛であった。狼程度の大きさしかない小妖。それが彼と彼を抱き締める少年の元に突っ走る。こんな事もあろうかと、胡蝶と葉山の元に向かわせずギリギリまで隠していた最後の眷属の生き残り、まさに切り札……!!
「待っ……」
「余所見している場合かっ!!」
「ちぃっ!!?」
一瞬の集中力の途切れ、意識の逸れ、それは致命的であった。刹那、土蜘蛛の振るう蜘蛛脚の鉤爪を、葵は扇子で正面から受け止める。受け止めざるをえなかった。そのまま逸らす暇なぞなかった。
金切音を奏で、激しい火花を散らしながら扇子と鉤爪は鍔迫り合う。伯仲する。せめぎ合う。
しかしそれも長くは続かない。葵も流石に凶妖は兎も角、神格と戦うなぞ想定していなかった。仮に想定していたとしても神格相手に致命傷を与えられるような武器は決して多くはない。幾度も繰り広げられる激しい打ち合いによって葵の扇子は既にボロボロだった。寧ろここまで持ったのが奇跡に等しい。そして、奇跡もまた何時までも続く事はない。
そして………遂に扇子がへし折れる。 打ち砕かれる。
「……っ!?」
葵は目を見開く。彼女は直感的に事態が最悪の状況に陥った事を理解する。それでも……残る少ない霊力を元手に生み出した狐火が零距離から相対する化物に向けて放たれる。眼前を瞬時に灼熱の業火で呑み込む。高度にかつ徹底的に効率化された術式による低燃費高威力の極致とも言える火炎の嵐。だが、その程度の炎で蜘蛛を止められないのは先程見た通りの事で……………。
「無駄じゃて!!」
業火の中から現れた巨大な蜘蛛脚が葵を押し倒す。それに対して葵は反応する事が出来なかった。それを行うだけの体力も精神力も、霊力も不足していたから。蜘蛛脚が彼女の動きを抑えるように葵の直ぐ側の地面を貫いた。
「ぐっ……!?」
「くくく、良く見れば貴様も随分と良い素材ではないか。その血肉も魂も纏めて我が食ろうてやろう。安心するが良い、主の御執心のあの男もどうせ直ぐに続くのだ」
最早霊力が尽きかけて立ち上がる事も困難を極める葵を見下ろして、土蜘蛛は高慢に嘲る。嘲けりながらその姿を変貌させていく。ミチミチという音と共に小柄な少女の輪郭は揺れて、歪み、そして肥大化して………気付けば其処にいたのは巨大な蜘蛛の怪物であった。大蜘蛛、土蜘蛛……!!
「くっ……!?」
苦し紛れに手刀を叩き込もうという試みは吐き出された蜘蛛糸によって阻止される。葵の身体は粘性の糸で地面に縫い付けられる。そして、怪物の八つの赤い目玉が彼女を射ぬく。ギロリ、と睨み付ける。顎を鳴らす。威嚇。
「っ……!!」
悲鳴こそ上げぬものの、葵の表情に明らかに恐怖の色が浮かんだ事に土蜘蛛はほくそ笑んだ。そしてその顎をガバリと大きく開く。前後左右に幾重にも顎が開き、その内に生えるは無数の刃のような歯が晒される。そのおぞましい光景に思わず目を背けそうになる葵は、しかしぎっと蜘蛛を睨む。鋭く、気丈に、睨み付ける。屈しないという意志を表明するかのように。
『………忌々しい』
そんな葵の態度にポツリと蜘蛛は呟いた。憎らしげに、腹立たしげに、呟いた。そしてそのまま憂さ晴らしをせんとするかの如く蜘蛛は葵を、その依代の頭から一気に貪ろうとして、そして……………。
『があっ!?』
突如として生じた頭に走る突き刺すような激痛に思わず悲鳴を上げた蜘蛛は、次いでその八つの目玉を頭上に向ける。そして今度こそ目を見開いて驚愕する。愕然とする。唖然とする。
そして同時に葵もまた息を呑む。しかしそれも一瞬の事で、直ぐに演技がかったように彼女は不敵な笑みを浮かべる。そして宣う。
「あらあら、もうお昼寝は良いのかしら?」
「流石に、この状況で呑気に寝ている訳にはいかないでしょう?」
皮肉染みた言葉に返ってくるのは苦笑するような、困ったような物言い。
「………相も変わらず、つまらない返しね」
そう嘯いた葵の表情は、しかし今度は屈託ない笑みを浮かべていた。
彼女の視線の先、そこにいたのは土蜘蛛の頭上にしがみついて、その脳天に短刀を突き刺す最愛の人の姿であった。
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