7.5日目「初でいと」


 「よしっ」


 鏡の前で、俺は物語の主人公のように気合を入れた。

 別に、何か大切な大会があるとか人生の決断を迫られる受験があるとか——そういうわけでもない。


 ただ、一人の男の人生で考えてみるとこれはまた一大事だと思う。


 そう、夏休み7日目にして。

 俺は人生初のデートに赴くのである。


 初めてというのは別に、真音さんと初めて出かけるんだとか、そういう次元の話ではない。


 俺は17年の人生でデートを一回もしたことがないのだ。


 小学校の頃だったらあるだろうって? 甘えるな、俺はそんなこと一度もなかった。女子に友達が多くないし、当時から幼馴染二人と遊びがちだったからだ。


 つまり、俺は人生で初めてのデートを三個上の女性と経験する——ということになる。


「——準備できたぁ?」


 先週、少し奮発してウニクロで買ったしゃれた服を着て、鏡の前でしっかりとポージングを取っている俺の後ろからお声が掛かる。


「うん、できt——」


 もう聞き慣れたふやけた高音ボイスが聞こえて、ビクッと肩を震わせた俺だったが、振り返ると同時に言葉を失った。


「ん、どうかしたぁ——?」


「あ、いや、別にっ」


「そう? ならいいけど……」


「はい」


「じゃあ、準備も出来たようだし、そろそろ行こっか」


 こくりと頷いたが、すぐには顔を上げれなかった。


 見るも初めてな彼女のお洒落な服——いや、というよりかは珍しく可愛らしい服だった。


 まるで漫画の様な姿。真っ白なワンピ―スにジーンズ柄のアウター、そしてここぞとばかりの麦わら帽子。手にはわらで出来た小さなバックを持っていて、どこか遠い町に住んでいる少女のようだった。


 大学に行った時の服装もそれなりに刺激が強かったが今回のそれの比ではない。俺と行くためにまた新たに服を調達してきたのか——と考えると申し訳なくなる気持ちと少しばかりの嬉しさが込み上げてくるのだ。


 ——ガチャリ。


 玄関をくぐると同時に真音さんの豊満なおっぱいも綺麗に上下に揺れて、心なしか俺の胸も跳ねる。


「……胸見てるの?」


「——んぁっ! 別に、見てませんけど?」


「うわぁ、私見てたんだよぉ? お姉さん、全部知ってるんだからっ」


「なんで急にお姉さん……」


「はいはい、そういうのはいーから、見てたんじゃないのぉ?」


「み……見ました」


「正直でよろしいっ!」


 パふり。

 またもや、揺れた。


 しかし、不思議と今までの様な色気は感じなかった。真っ白なワンピース越しにもくっきりと捉えられる大きく柔らかそうなそれはどこか青春を彷彿とさせる。中学生の夏休み、僕は近所のお姉ちゃんと——―—的なあれだ。ゲームの冒頭でありがちなやつだ。


 エロゲーみたいで少しくすぐったいぞ。


「それで、豊平川で何するんすか?」


 俺は率直な疑問を口に出した。


 それも、思春期真っ盛りの高校二年生と近所の女子大生という異質な二人が川なんて見に行って何をする気なのか、当事者の俺が聞きたいくらいだった。


 これがまた、高校生同士の恋人たちなら夕方の下校中に河川敷でキスをするくらいできるかもしれないが、生憎と俺たちは付き合ってもいないし、高校生同士でもない。


 俺が拒んだりでもすれば犯罪にもなりかねないのだ。


 しかし、真音さんは真面目に目を見つめながらこう言った。


「——何もしないけどぉ?」


「え」


「いやぁ……別に用があったわけでも理由があるわけでもないよ? ロマンチックじゃないかなぁって」


「ロマン……って、まあ、確かにそうは言ったましたけど……」


「いいじゃん? たまにはさ、川のせせらぎでも聞いてやすらごーってね」


 歩道をぴょんと跳ねながら楽しそうに言う真音さんを見て、俺も何も言えることなんてなかった。


 確かに、理由なんてなくも案外楽しいのかもしれないし。むしろ、初デートの場所だと思えば無難かもしれない。


「まぁ……確かに」


「でしょぉ? いいやんいいやん~~」


「いいですね」


「えへへっ~~」



 河川敷に着くと陽はすっかり落ちていて、薄っすらと残り火のように輝く夕日に細々と灯す電灯が俺たち二人をオレンジ色に染めていた。


「すっかり暗くなりましたね」


「そうだねぇ、夜に出歩くの久し振りかもっ」


「そうなんですか? 大学生から普通なのかって思ってました……」


「わ、わたしはそんな陽キャじゃないよ?」


 そこまで驚きながら訊き返さなくても……。別にそうとも思ってないし、というか真音さん、天然で可愛いから友達いなさそう——なんて言えなかった。ここはオブラートに包まないと。


「知ってます」


「知ってるの⁉」


 おっと、失敗した。

 悲しそうな瞳が俺を見つめているが事実だ。


「はははっ、だって真音さん優しすぎますし……というか自分からあんまり離さなかったじゃないですか?」


「え、でも……最近は」


「——最初は、ですよ」


「それでもっ、私が提案したわけで——」


「いや、でも俺が声掛けたじゃないですか。あの日、涙目で蹲る真音さんを見て、俺がどうしたんですかって」


「それは——そうだけど……」


「そしたら、すっごい震える声でいったじゃないですか、入れてくださいって……あれって、真音さん、俺を待ってたんじゃないですか?」


「え——」


 そう言って、俺は生唾を飲み込んだ。

 ふぅ―—と息を吐いて、もう一度口を開く。


「真音さんとは引っ越した時に会ってたんじゃないかって思っていたんですよ。そこで俺の事を知って、鍵を無くしてから数時間も座っていながらもそれでも誰にも言い出せず、不器用にもまだ若くて優しそうな俺に……そんな感じだったんじゃないかって」


「……」


 恥ずかしい。


 外したらまず笑えないし、自分の事を若いだとか優しいだとかは言いたくなかった。ていうか、何分析してるんだ俺、きも。


「なんでしってるん……びっくりしたよ……」


「ははっ、男の勘ですよ」


「それを言うなら女の——ま、なんか嬉しいからいいけど……」


「嬉しい?」


「——っ、べ、別に何でもない……っ」


「なんではぐらかすんですか……」


「なんでもないのっ」


「えぇ~~」


「なんでもないのぉ~~!」


 ぽこぽこぽこ。

 揺れる胸と同じリズムで殴ってくる彼女、弱い力がお腹当たりをくすぐるが正直、変に痛かった。


「可愛いですね」


「——っ」


 照れるお姉さんも案外悪くない。


 いつもとのギャップが相まって、弱弱しく揺れる街灯が真音さんの可愛い顔を優美に照らしていて、隣に座った俺も少し不思議な感覚に陥った。


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