第17話 決戦…そして…

「…よし、いい感じだな…」

 軽く屈伸、それから小刻みに足上げをして調子を確かめる。俺はじきに始まる予選に向け、ウォームアップをしていた。

 

 ……うん、調子はいいみたいだ。


 頭のてっぺんから足のつま先まで。全身がしっかりと【繋がって】いて、無駄なく連動している。

 左足にも目をやる。昨日一瞬感じた違和感も、それっきり特に問題はなかった。


「よろしくな、相棒」

 自分の両脚に声を掛けて、腿をポンと叩く。


 …久しぶりの試合だけど、特に力んだりしていないのがわかる。

 心地よい、楽しみに感じる緊張感。自分を外側から見ているような感覚。いつ、どのタイミングでも今の自分のベストの走りが出来そうな予感、いや…確信。


「コイツのおかげかな?」

 …そっと左手のミサンガに目をやる。色鮮やかな朱色とオレンジ。かおりから『頑張れ』って言葉が伝わってきた気がした。


「……佐々木、身体の方はどうだ?」

「…!監督」


 …声を掛けられて振り向く。監督は毎回、どの選手にも声を掛けてくれる。


「問題ないです。いつでも練習の通りに走り抜けられます」

 落ち着いて答える。…そう、今この瞬間にだって走り出せそうだ。

「そうか・・・」

 監督はジッと俺を見て頷いた。いつもは見せない、どこか優しい表情で。


「よくここまで戻ってきた。大したものだ」

「監督…」

 少し、驚いた。監督がこんな風に認めてくれるってことはあんまりなかったから。


「やるだけのことをやったんだ。後は楽しんで来い。かつてのようにな!」

 そう言うと、監督はいつものようにギラっとした獰猛な目つきに変わる。…期待されていることが、伝わってくる。

「佐々木、行ってこい!!」

「ハイ!!」

 しっかりと返事する。そして丁度アナウンスが入る。そろそろ予選だ――――。


 …よし、いってくるか!


 俺はもう一度、腿を軽くポンと叩くと、久しぶりのトラックへと足を進めた―――。


――――――—【競技場・観客席にて】—―—―—―


・・・・・・・・


『おい、佐々木の走りみたか!?』

『おお、絶好調だな!この間まで怪我してたって本当かよ!?』


 …近くから冬弥の走りを見た人たちの歓声が聞こえてくる。素人の私だけじゃなくて、経験のある人たちにも今日の冬弥は調子がいいように見えるみたい。


 今の予選も、余裕を残しての一位通過だったもんね♪


「………冬弥、さっすが♪」


 そんな彼を見て、私は思わずにやにやして呟いた。

 

 私は彼との約束通り、ゴールに一番近い席から彼を応援していた。

 朝から気持ちがいい晴れ方をしていて、空には雲一つない。それでいて時折、気持ちのいい風も吹いている。


 絶好の日和ってヤツだね?


「へぇ、かおりの言う通り、佐々木くんスゴいじゃない!」

「へへ、でしょ!」

 隣にいる弥生ちゃんも今のレースを見て驚いたようだ。

 …朝、弥生ちゃんに誘いかけてみたら『やれやれ…』って言いながらだけど、快諾してくれた。それで、二人一緒に会場に来たってワケ♪

「・・・それにしても…」

 弥生ちゃんが私の方を見て呟く。…少し呆れたような顔で。

 

「本当に相思相愛ってヤツよね?ゴールしてから見つめあっちゃってさぁ?」

「・・・へへ♪」

 思わずにやける私。・・・そう、そうなのだ。

 さっき、ゴールの後に冬弥と目が合ったんだ。そしたら、彼はこっちを見て微笑んでくれたんだ!

 …私、嬉しくって『決勝も頑張れ!』って気持ちを送った。

 そしたらさ、冬弥はミサンガをつけた方の手を挙げて応えてくれたんだ!

 

 …気持ちが伝わり合うってこういうことだよね!


 この話を聞いた弥生ちゃんは「今年の夏はえらく暑くなりそうだわ」っと肩をすくめた。


 ・・・・・・・・

 私はそっと、自分の胸に目を落とし、心臓を位置するところに手を当てる。

 

 ――――心の不安…全く無くなるワケじゃあない。


 それは仕方がない。彼の言う通り、勇気は自分の中から引き出すしかないから。


 …でも、目の前で走っている彼を見ていると、心の何かが奮い立って

『私も負けないぞ』って気持ちにもなっている。


「まー、確かに走る姿は、なかなかカッコいいよね、佐々木くん?」

 弥生ちゃんが茶化すように聞いてくる。


「走る姿だけじゃないよ?弥生ちゃん♪」

 自分で言って少し恥ずかしいけど…


「…冬弥は、なんだって、何をしていたってカッコいいんだからね?」

「あー、ハイハイ。聞いた私がバカでしたよ」


 かぶりを振る弥生ちゃん。ふっとトラック内に吹いた風が気持ちいい。

 弥生ちゃんは持ってきたペットボトルに口をつけてから言葉を続ける。

「…でも、よかったね?かおり」

「…うん♪」

 しっかりと頷く。弥生ちゃんのおかげで認められたこと、沢山ある。


「…弥生ちゃんにも好きな人が出来たら相談にのるね?人生の先輩として♪♪」

「……そりゃどーも。…んじゃ、ひとつ聞くけど、大好きな人に抱きしめられたらどんな気持ちになるワケ?」

「・・・へっ!?」

 弥生ちゃんがにやにやしながら聞いてくる。思わず声が裏返る私。


「や、弥生ちゃん、声が大きいよ!?同じ学校の人だっているんだから!」

「誰も聞いちゃいないわよ、それに、今更でしょーが?」

 弥生ちゃんはそう言うと、じーっと私の方を見てくる。


「そのくらいの権利はあるわよねぇ?突然一緒に大会を見に行こうなんて誘われて、おまけに朝っぱらから盛大にノロけ話を聞かされた身としてはさ?」

「・・・はは」

 笑ってごまかす。

「・・・おまけに、大会が終わったら二人は秘め事で、あたしゃ一人で帰らなきゃいけなんだから、ねぇ・・?」

「ご、ごめんって!」

 ・・・思わず謝る。確かにヒドいかも・・。


「いいよ。ゴールデンウィークから続く、このお話の決着、傍で見させてもらう私としてはね?」

 弥生ちゃんはそう言って笑った。


「…へへ、ありがと♪」

 心からのお礼を言う。・・・それから私は、さっきの弥生ちゃんの問いに真剣に考えた。・・・彼に抱きしめられた時のことを思い出しながら。


 ・・・暖かくて、不安がスーッと消えて、そのままそこでうたた寝をしたくなるような安堵感。・・・あれは・・・


「…干したてのお布団にくるまれるような感じ、かな?」

「…?」

 私の呟きに弥生ちゃんが首をかしげる。自分で聞いたことなのに忘れてるみたい。


「…冬弥に抱きしめられた時のこと♪暖かくて、安心して、心地よくて…そんな感じ、だったかな?」

 緩む口元を抑えられない。

「・・・あぁ~、聞いた私がバカだったわ、ご馳走様!」

 そんな私の様子を見た弥生ちゃんはまたしても呆れて答えた。


「弥生ちゃんも好きな人にハグしてもらったら絶対わかるハズだよ~!!すっごく落ち着くんだから!」

「ハイハイ、そん時は賛同してあげるから。そろそろ自分と、彼の応援に集中しなさいよ」

「・・・ちぇ~」


「・・・・ふふ」

「・・・・へへ」

 受け流す弥生ちゃんとにやにやの私。…なんかおかしくて、思わず二人で噴き出した。


「・・・楽しみだね?かおり?」

 ・・・弥生ちゃんが聞いてくる。

「うんっ!」

 ・・・私は満面の笑顔で頷いた。


 太陽の日差しと、吹き抜ける風が私の心の怖さを吹き飛ばしたような、そんな気がした―――――。


 ―――――そして―――――

 —―—―—―

 ・・・・・・

 決勝前。選手が呼ばれるのはもうじきだ。


 目を閉じて深く酸素を取り込む。肺から手足の末端まで酸素を巡らせ、ゆっくり時間をかけて吐ききる。必要なところに必要な分だけ力がある状態を作り出す。

「・・・・・」

 ゆっくりと目を開ける。

 視界が広い。上半身は軽く、下腹部に安定した重みがある、バランスがとれている状態だ。


 闘いの刻がやってくる。自分自身との闘いの刻が――――・・・


 トラック全体を見渡す。…あるがまま、トラックの状態だけが視界に入り…その情報を淡々と受け入れる…———―—。


「…先に優勝して景気づけをしてくれよ、冬弥♪」

 俺の状態が整ったのを見計らって、中里が声を掛けてきた。

「おう♪…二人で優勝して、お互いに彼女をゲットと行こうぜ?」

 落ち着いたまま、冗談を交わす。中里は「おうよ」と笑う。今朝、聞いたんだけど、どうやら中里も俺と似たような境遇にあるらしい。島村にOKを貰える分水嶺ってとこか。

 

「任せたぜ?切り込み隊長!」

「ああ、ぶっちぎってくるぜ!」

 力強く返事をする。


【これより男子100m決勝を行います。出場選手は――――】


 ・・・アナウンスが響く。いよいよだ。


「・・・行ってこい!」

「おうッ!」

 二人でハイタッチを交わす。…パシっという音が響いた。

 正面をじっと見据える。俺は決勝の舞台へと、ゆっくり一歩を踏み出した―――――。

 ――――――――


 ・・・・・・・・

 外は相変わらずの心地よい天気だ。日差しも程よい。

 先程まで吹いていた風はピタッとやんでいた。

 

 ・・・追い風はなし。掛け値なしの本当のタイムを出せそうだ。


 ・・・トラックに出て自分のレーンへ。スターティング・ブロックの具合を軽く確かめる。足の掛かり方はいい。それからスタートダッシュの確認。身体の脱力、加速、全身のスムースさ…どれも問題ない。


「・・・ほんっと、いい席を取ったよな、かおり」

 ゴールの先にいる彼女に向けて呟く。


 …かおりに向かって走ればいい、わかりやすいよな。


 周囲の人間が聞いたら『場違いだ』なんて思うかもしれない。けど、俺にとっちゃ、かおりの存在こそが、この舞台で走る最大の理由だ。


 他の選手たちもスタートの感覚を確かめ終わったようだ。

 選手が整列し、各レーンにいる走者の紹介が始まる。


 一人ひとり名前を呼ばれる。呼ばれた選手は一歩前に出て、手を挙げてから一礼する。…静かに自分の順番を待つ。


 【第四レーン 立水中学校 佐々木冬弥くん!】


 自分の名前が呼ばれ、同じように一歩前へ。それから会場全体に向け手を挙げる。…ゴールの先にいるかおりを目に捉え、決意を新たにする。


(…見ててくれよな、かおり!)


 礼を終え、元の位置に戻る。

 …その、一瞬だった――――


 —―—―ズッ‥‥—―—―

 

 左足をついた瞬間。足首にあの「重さ」のようなモノが現れた気がした。

 ――――・・・?

 瞬間、ドキっとする。昨日と同じで、それは本当に一瞬で限りなく小さい【ゆらぎ】。そして、やはりすぐにその姿を引っ込め、消えていった。


 次の瞬間にはまったくいつもの通り。身体の調子もそのままだ。

「……………」

 もう一度足首に気を向けるが、やはり何も変わりはない。


(……問題ない。大丈夫だ―——)


 ……振り回されるな。今は目の前のことに意識を向けろ。


 改めて集中し、心と呼吸を整える。

 持ち直したのと同じタイミングで各コース、全ての選手紹介が終わった。


 ―――——そして―――――


 『On Your Marks…(位置について)』


 コールがかかる。——―ゆったりと膝をつき、足をスターティング・ブロックにセット。確実にフィットさせ、手の位置を調整する。次の合図のために呼吸と身体のリズムを合わせる。


 ・・・・よし。


 『…Set…(用意)』

 

 コールに合わせて腰を上げる。目線は背筋に対して90度、最初の一歩目を見つめる。アドレナリンが放出され、出力を最大までブースト出来るように足と手の接地面がギリギリの状態を作り上げる。


 聴覚は一つの音を捉えるために機能し、他の一切の音を遮断する。


 ―――聴け、刹那に響くその音を――――


 時間が極限まで凝縮され、爆発する瞬間を!!


 今…‥今、今、今、今ッ!!!


 ギリギリの限界の先、火蓋を切る号砲が鳴り響く!


 ――――今ッ!!!!


 音と同時にエネルギーを爆発させる。そのまま重心を進行方向に乗せ、一気に加速する!身体の全ギアが前に突き進むために連動していく!!


 …周囲の全てを置き去りにして自分だけが加速し続ける世界。

 静止した大気を切り裂いて進んでいく!

 目の前には誰もいない。俺だけが最速を求めて加速し続ける!!


 ……戻ってきた、あの世界。そしてさらなる加速の世界をッ!!

 

 …イケるッ!!!


 前を走るかつての自分に、今の自分が重なる。

 ―――追い抜ける!!


 確信した、その次の瞬間——―


 ・・・・ズシッ


 …っ!?


 なんだッ!!?


 突如、俺の世界に入ってくる違和感。左足が絡めとられたような感覚。次の瞬間には焼けた五寸釘が突き刺されたような衝撃が走り抜ける!


 加速と慣性のまま姿勢が崩れる。


 何が起こったのか分からない!一体何が…!?


 混乱のまま、身体は踏ん張りとコントロールを失い、制御がきかなくなる!


 ――――倒れる―――!


 ・・・ゆったりと流れていく世界。アドレナリンのせいか、わずか一瞬のことがスローモーションで流れていく。


 倒れざま、目に色鮮やかなオレンジと赤色が目に入る。


 ……左手、かおりがくれたミサンガだった。


 ――—―—―


『冬弥…勝って!!』


 —―—―・・・!!!


 それは、決してありえないこと。

 でも、実際に起こりえたこと。


 …ミサンガを通して、かおりの声が身体の中に響き渡っていた。


「ッ!!!」

 そのコンマどれだけの世界。言葉にならない気合と共に強引に踏ん張り、姿勢を立ち直らせる!


 ・・・慣性をそのまま、強引にもう一度、最大戦速に!!

 熱さと激痛の走る左足。


 ・・・・知るかッ!


 痛みはシャットダウン。全てを、この20m程を走り切るためだけに使えッ!!


 これっきりでいい!

 足が砕け散ってもいい!


 ・・・だからッ!!


 —―—―走れッ!!!!


「!!!!!!!!!!」


 全速でもう一度、かつての自分を追う。


 ・・・走れ、走れ!…走れぇッ!!


 かつての自分と、もう身体半分!


 ゴールまでは後10m!!


 追うべき自分の影と身体が重なるッ!

 

 目の前に迫るゴール。


 !!


 刹那、かおりの笑顔が浮かぶ


 かおり、かおり、かおり、かおり!!!


 とっくに左足の感覚は無い。ただひたすらに彼女の名前を心で叫び、ガムシャラに足を回転させる。ゴールは目の前だッ!!!!


 かおりぃッ!!!!


 限界を超える。心の絶叫と共に最後のひと蹴りをブーストさせ、頭から突っ込む形でゴールラインを突破する。

 ・・・・

 ——―それを最後に俺は頭から突っ込みながら倒れこんだ。

 激しい衝撃。勢いのまま身体が転がり込んでいく。


 ・・・気付いたら空が見えていた。


 …ハッ…ハッハ‥‥!


 荒い呼吸と灼熱のような足。頭は真っ白だ。

 ……しばらくして、ザワザワした音が耳に入り、それから駆け寄ってくる監督の姿が目に入ってきた。

 

この辺りで混乱していた意識がハッキリし始める。

痛みと、荒い呼吸のまま、顔を掲示板の方に向ける。

 ――――そこに刻まれていたものは――――


【男子100m決勝 1位 佐々木 冬弥 :10.84 】


 ――――会場がざわついているのもわかる。

 最後のひと蹴りが効いたのか。


 それは、かつて自分が叩き出した自己ベストより…0.1秒だけ…


 …速いタイムだった――――


 ・・・・・・・

 ——―———―———―—

 —―—―—そして・・・


「もぅ、無茶しちゃって!見てるこっちの気持ちにもなってよねっ!?」

 かおりのピシャっとした声が公園に響く。決勝の一幕を見た彼女は若干ふくれっ面をしていた。

 ・・・休日の公園。まだ人通りはある時間だが、公園の隅…つまり運命の木があるこの辺りは、相変わらず穏やかだった。

「ゴメン、悪かったって♪」

 手を合わせて謝る。心地よい風が音を作り、花の香りを運んだ。

 —―—―——―

 あの後、かおりの親父さんが直ぐに来てくれて、診てもらうことになった。


 ‥‥‥どうやら、かおりの親父さんの懸念通り、今までの練習が原因。少しずつ溜まった疲労が決勝で一気に現れたってことらしい。

 症状としてはいわゆる「グキった」の酷いヤツが一番最悪のタイミングでやってきていた、ということみたいだ。・・・不幸中の幸いか、それほど深刻なモノではないらしい。

 ・・・とは言っても、しばらくは走るのは禁止。


『あと一週間、大会が先だったら出られなかったよ、不幸中の幸いだ』


って、クギを差された。

 ・・・・・

 ・・・一応、痛み止めの効果もあって、今はそこまで動くのにも難儀はしていない。

 …あの時、足ごと砕けるつもりで走ったから、この状態は本当に奇跡だと思ってる。

「…心配、したんだからね?」

 かおりが、ボソっと呟いた。『怒り』が落ち着いて『心配』へとシフトした表情だ。・・・原因が俺で、不謹慎なのは百も承知なんだけど、すごく可愛かった。


「…わりぃ、どうしてもお守りをプレゼントしたくてさ♪」

 俺はポケットからメダルを取り出す。少し小ぶりで、豪華というわけじゃあない。


 ただ、その価値は今まで取ってきたどのメダルよりも‥‥大きいものだった。


「…俺にできることってこのくらいだからさ」

 ……俺はへへ、っと照れ笑いをしてから、そっとメダルを彼女の首にかけた。

 なんだか、すごく可愛くて似合ってるな…なんて、変なことを思った。


「……ま、約束を守ってくれたことは嬉しいけどね…?」

 かおりの表情が少し柔らかくなる。照れている顔だ。


「かおりのミサンガのおかげさ。倒れかけた時に聞こえてきたんだ。かおりの『勝って』って声がさ」

「・・・!」

 あの時、決勝で起こったもう一つの奇跡。素直にありのままを伝える。

「だから、走り抜けたんだ。勝てたのはかおりのおかげ♪」

 

「・・・そっか」

 …かおりの満面の笑顔。顔が赤いのは夕日のせいだけじゃない。…お互いに。

「ああ。だから今度は俺の番。かおりの手術の時に、このメダルから声を届けるよ。『かおり、勝て!』…ってな♪」


「……それは…最高のお守りだね?」

 かおりが笑う。…何度目かな?心を鷲掴みにする、最高に可愛い笑顔だった。


 ・・・その笑顔を見て、俺は改めて決意を胸にする。


「…もう一つ。約束していた言葉も伝えていいか?」

 そう、この大会で交わしていた最初の約束。…唇が少し震える。


「‥‥うん、言いたいこと、あるんだよね?」

 かおりは頷いてから俺の方をジッと見つめてきた。風が優しく吹き、彼女の髪をなびかせる。…俺もかおりを見つめて頷く。


「……ああ、聞いて欲しいんだ」

 …そこまで言って、ひとつ深呼吸。…人生で初めてのことだ。正直、決勝の時よりもドキドキしてる。


「…………」

 かおりが待っている。俺の言葉を。


 ・・・緊張はするけど、これ以上彼女を待たすわけにはいかない。

 

 ・・・俺だって、待てないだろ?

 ―――止まるな。自分に言い聞かせる。


 On your marks…Set…

 …位置について…心の中で決意のコールを鳴らす。

 ——―—そして――――


「俺、かおりのことが好きなんだ」

「——―—・・・・」


 自分の心臓の音が聞こえそうになるほどの緊張。少し陽が落ちてきて、出会った時のような夕日が彼女を照らしている。

「だから、付き合ってほしい!」

 言葉をそのまま続ける。走る時のように真っすぐに。

「俺、ここで待っているからさ、手術が終わったら一緒にデートしようぜ!」


 ――――想いを、彼女に。かおりの心に響くように。勇気が湧くようにと。

 ――――――――――――

 ・・・・・・・

 ・・・少しの間。心臓と自分の呼吸だけがやたらと大きく感じる。

 彼女の返事を待つわずか数秒の間は、随分と長く感じた。

「冬弥…」

 かおりが口を開く。俺の耳は彼女の言葉をひとかけらも逃すまいとする。


「…私も―――」

 

「・・・・私も、冬弥のことが好き!」

 

 彼女の声が、俺の鼓膜を、心を振動させた。そして次の瞬間、かおりは俺の胸に飛び込んできた!

 俺は彼女をギュッと抱きとめる。・・・離さぬよう、離れぬように、しっかりと。

 かおりが顔を上げ、お互いの吐息が感じられる距離で見つめ合う。 

「冬弥、ずっと一緒にいてくれる!?」

「もちろん」

「このまま高校にいって、大人になって、オジサンとオバサンになっても!おじいちゃん、おばあちゃんになっても!・・・ずっと一緒だからね?」

 すごく真剣に、俺を見つめて聞いてくるかおり。俺は力強く頷く。

「ああ!俺もいつだって、かおりと一緒がいい。約束するよ!」


「・・・待っててよね?私、絶っ対に手術成功して戻ってくるから!」

 顔を真っ赤にしながら、そう言うかおりの目には決意が宿っていた。

「…せっかく両想いになれたんだもん!未来を邪魔する病気なんて、ぶっとばしてくるからっ!!デート、約束だよ!?」


「ああ!!もちろん!!」


 ・・・お互いにキュっと抱きしめている手に力を入れる。

 彼女のぬくもりがしっかりと伝わってくる。言葉にできない嬉しさで心がジンジンしている。


 …ちょうど、タイミングを合わせたかのように、運命の木がサァっと枝葉を響かせた。


・・・まるで、俺たちのことを祝福しているみたいだった。


「…ねぇ、冬弥?」

「うん?」

 かおりが少し恥ずかしそうに俺の名前を呼ぶ。

 上目遣い。染まる頬が最高に可愛かった。

「……後、もう一つの約束も果たしてほしいんだけど…?」

「もう、一つ・・・?」

 …かおりの言葉に要領を得ない俺。何か約束してたかな…?


「私たち、もう運命の『友達』じゃ…ないでしょ?」

「そりゃ…もう…」


「じゃあ!今がその時でしょ!!女子に言わせないで!!」


 …そこまで言われてハッとする。ゴールデンウィーク、ここで交わした約束を。

 かおりのキスの提案をバカな俺は思わず断って、それでチーク・キスをしたんだ。


『今はまだ運命の『友達』だからな。…ファースト・キスはまた今度!』


 …そんな約束をしたのは他でもない、俺自身だった。


「あ・・・・」

「もぅ…やっと思い出した?」


 自分の言葉を思い出して、赤面してしまいそうだった。そして、今のやり取りでさらにハッとする。


 …ひょっとして、俺…キスをするのか?

 …ってか、かおりもして欲しいってことだよな!?


 …一気に身体中の血が駆け巡るような気がした。

 かおりがジッと俺の方を見ている。

 …ここで、約束を反故にするなんて男じゃない。


「…かおり」

「…うん」

 彼女の名前を呼ぶ俺。小さく頷くかおり。

 静かに見つめ合い、彼女の肩に手を添える。

 …ものすごく心音が高まっている。


 もう一度、心に語り掛ける。『On your marks』と。

 …………

 …スッと、俺は彼女に顔を近づけていく…


 —―—―そして―――

 唇を重ねる。・・・ふにっとした柔らかさと温もりが訪れた。


 周囲に何かしらの音が聞こえるけど、全く気にならない。

 どのくらいの時間だったろう?きっと、そんなに長くないはずなのに、その瞬間は時が止まっているぐらい長く感じた。それからゆっくりと唇を離す。

 お互いに恥ずかしいのがわかるけど、でも、目を合わせる。


「…ファースト・キス、しちゃったね?」

「…ああ」

 お互いに『にぃ』って笑う。でもからかう顔にはならない。二人とも赤くて・・・素直な笑顔だった。

「・・・私、やっぱり絶対勝ってくる」

 かおりがボソっとつぶやく。

「・・・『キスするまでは死ねない』なんて言ったけどさ・・・」

 

「もっと、何度でもキスしたい。冬弥と!手術の後だって、何度だって!!」

「メダルから何度も声を届けるよ。『キスするから頑張れ』って♪」

 へへっと笑う俺。こんなこと言われて喜ばない男子はいないだろ。

「・・・うん」

 かおりは頷くと、恥ずかしそうに俺を見つめた。


「・・・と、とりあえず、もう一回!」

 恥ずかしそうにそう言うかおり。


 ・・・可愛すぎる。止まるワケ無いじゃないか!

 ・・・・・・・・

 もう一度。今度はお互いに、どちらともなく唇を重ねた。再び柔らかい感触が訪れた。 


 …ぎゅっと、もう一度お互いに抱きしめ合う。


「冬弥、大好きっ!ずっと…一緒だよ!!」

「もちろん!」

 かおりの声にしっかりと頷く。お互いに真っ赤なのは夕日のせいじゃない。

「へへ・・・♪」

「はは・・・♪」

 …二人で笑い合った。お互いにちょっと恥ずかしくて・・・でも、最高に嬉しくて。


 ・・・・あの日、ゴールデンウィーク初日。二人で約束をした時のように、夕日が俺たちを照らしている。

 あの時と同じように、やっぱり運命の木は厳かに、俺たちを見守るように…ゆったりと枝葉を揺らしていた――――――。

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