第14話 いざこざ
・・・あれから一週間と少しが過ぎた。
空は相変わらず青くて、心地よい日差しを降り注いでいる。
田んぼの稲が少しずつ伸びているのを見ると、ゴールデンウィークからの時間の流れを実感させられる。
道の周囲にはアジサイの花が咲き始めていて、次に訪れる季節を予感させていた。
そんな中、俺とかおりはいつも通り、一緒に学校へと向かっていた。
・・・二人で登校するのも、すっかり当たり前になっている。
「最近、かなり順調じゃない?タイムもすごく伸びてるみたいだしさ?」
かおりが俺に聞いてくる。相変わらず、その声を聴くだけで心が弾む。
「おかげさまで♪最近、身体が軽くて羽みたいだ。絶好調だよ!」
俺は自信を持って返事を返す。
そう、最近の調子の良さは自分でも感じていることだった。特に今週に入ってからは。身体の力の入れ方、抜き方、全身の連動・・・。全てのギアが寸分の狂いなく噛み合っているような感覚がある。
身体は軽量、操作性も上がり、パワーは無駄なく一気に放出できるような、そんな感じ。
・・・かおりの親父さんが言うには、身体が本来のパフォーマンスを出せるようになったことに加え、猛練習の効果も同時に出始めているからではないか、との事だった。
・・・多分、教えてもらったリラックスや脱力の仕方も影響していると思う。
・・・正直、走っていると楽しくて仕方がなかった。地獄の特訓も次第に身体が慣れてきて、ついてこれるようになってきている。・・・それも、嬉しかった。
・・・かつて見ていた景色が、少しずつ戻ってきているような、そんな気がしていた。
「・・・ま、きっと・・・」
「??どうかした??」
俺のつぶやきに気づいたかおりは不思議そうに首を傾げる。
・・・いつも通り優しくて、見るだけでドキドキしてしまう表情で。
・・・俺が一番頑張れる理由、言っておかないとな。
「俺が速く走れる一番の理由は・・・図書室で応援してくれる誰かさんと、その誰かさん特製ドリンクのおかげ、かな?」
「・・・!」
・・・・少し恥ずかしくて、言った後はすぐに目線を正面に戻した。
俺の言葉を聞いたかおりは目を丸くし、それからにやっと口元を緩ませた。
「・・・へへ・・正直じゃん?」
「・・・ま、本当のこと、だからな?」
・・・目を合わせて、お互いにはにかむ。
最近、少しずつ素直になってきているというか、気持ちを正直に言い合うことが増えたような気がする。
・・・そう、この前のキス未遂あたりから。
あれから、自分の思いに少しずつ向き合うことも増えてきたと思う。
…それが、どこか素直さを呼び出しているのかもしれない。
・・・素直になるっていうのは、照れくさいけれど、心がホッとするんだな、っていうのを実感していた。
・・・まだまだ、なり切れないことも多いけど。
「・・・フフ」
かおりが笑う。
「?」
「もし、冬弥が今度の大会で優勝でもしたら、何かご褒美をあげないとね♪」
「ご褒美?」
思わず聞き返す。
「そうそう!ねぇ、何がいい?」
はしゃぐかおり。・・・そうだなぁ・・・
ちょっと真面目に考えてみるけど、ピンっとくるモノが思い浮かばない。
すると、かおりが何か思いついたように「あ!」と声を上げてこっちを見る。
「ひょっとして、私の入浴シーン想像チケット・・・とか?」
突拍子のない彼女の言葉に、思わず吹き出しそうになる。
「ど、どーしてそうなるんだよっ!!!」
かおりはにやにやしながら言葉を続ける。
「だって、この間も想像してたんでしょ?冬弥のエッチ♪」
「あ・・あれは・・っ!ってか、それ、いちいちチケットをかおりに見せるのかよっ!?」
「あー!いちいち、ってことは、実はもう無断でやってるってこと~?」
「あ、あのなぁ・・!」
「他の子に相談しちゃおうかな~?」
「お、おいっ!」
・・・そいつはマズ過ぎるだろ!
「なぁにぃ?私は冬弥のご褒美について相談しようと考えてんだけどぉ?」
振り返ってにやにやと笑うかおり。・・・全く!
「・・べ、別に、俺はご褒美のために走っているわけじゃあ、無いからな!」
「へぇ~?」
俺は咳払いを一つして、気持ちを一旦落ち着かせる。かおりは相変わらず笑顔で目をらんらんとさせている。
「…俺は今、走るのが楽しくて、もう一度自分を追いかけることができている。昔の自分と勝負が出来ることが嬉しいんだよ」
本音を綴る。そう、そうなのだ。たくさんの人の助けのおかげで、今の奇跡みたいな状況に身を置くことができている。…最高に贅沢だと思う。
「・・・そっか♪」
俺の方をジッと見ていたかおりは、どこか素直に、満足そうに頷いた。
「ああ!それに、かおりがドリンクを作ってくれて、俺のこと見てくれてることが、何よりのご褒美になってるよ」
「・・・!」
俺も、想いが素直に言葉になる。以前は中々口にすることができなかった言葉が。
「…へへ、嬉しいこと言ってくれるじゃん♪そんなことでよければどれだけでも♪」
「ああ、頼む!」
「うん♪」
かおりが元気いっぱいに頷く。鼻高々という様子で、口元が緩んでいた。
・・それから彼女は正面を向き、少し間を取ってから、小さく言葉を紡いだ。
「・・・私も、冬弥のおかげで頑張れてるよ?」
小声だったけど、その言葉は俺の耳にしっかりと届いた。嬉しくて、思わず頬が緩む。
「・・・!そっか!」
「・・・うん♪」
・・・それから、少し無言で歩く。・・・お互いに暖かい心で。
・・・空を見上げる。やっぱり天気はよかった。・・・少し蒸しっとした空気。
・・・・夏も、大会も、もうすぐだ。
・・・隣を歩くかおりをチラっと見る。すると、彼女もそれに気づいて、同じように俺の方を見てから視線を正面に戻す。・・・心がリズムよく、気持ちよく揺れる。
登校しているだけなのに、なんでこんなに楽しんだろう、な?
・・・そんなこんなで二人で歩いている内に、段々さっきのからかわれた仕返しをしたくなってきた。・・・正面は向いたままで、かおりに声をかける。
「・・・ま、それはそれとして・・・」
「??どうしたの??」
俺のつぶやきに、かおりが不思議そうに反応する。
「・・・ご褒美は別にして、確かに興味はあるかも」
俺はそう言って、にぃっと口角を上げる。彼女がそうするように。
「・・・興味?」
「ああ♪例のチケットさ、想像とのすり合わせをさせてもらえたら最高なんだけど?」
「・・・想像との・・・?」
「かおりの入浴シーン。実物を見させてもらった方が、想像の解像度はあがるから♪」
「・・・・!!」
かおりの顔が赤くなる。俺が何を言っているのか理解した様だった。
「・・・っ!エッチ!!何いってんのさ!!」
かおりはパッと腕を身体の前でクロスさせる。…一本取れただろうか?
「先に言い出したのはかおりの方だろ~?」
「もぅ!そこまで言ってないもん!!」
かおりが赤い顔のまま俺の肩を叩く。恥ずかしがっているけど、笑顔で。
・・・こうしてふざけ合いながら学校までの通路を歩く。
・・・お互いに照れ笑いをしながら。
・・・自分たちでもおかしく思う。ただの友達がこんなやり取りをするもんか。たとえ「運命の友達」だとしても。
・・・それは、お互いに分かっていると思う。
あとは・・・タイミング、なのかな?
この愛おしくて、もどかしい関係を乗り越えるための「弾み」みたいな瞬間さえ来てくれれば・・・。
・・・・・・・・・・
「やぁ!お二人さん!!」
「・・・うおっ!」
「・・きゃっ!?」
背後から突然の声。二人で同時に驚いていると次の瞬間、肩にぎゅっと圧がかかる。
・・・声をかけてきたのは島村だった。
彼女が後ろから俺とかおりの間に入って、俺たちの肩に手を回したのである。
・・・要するに島村を中心に三人で肩を組んでいるような状態だ。
「朝から、仲がいいねぇ~?」
島村がけらけらと、からかうように言ってくる。相変わらずキュッと縛ったボニーテールがすっきりとしている。
「・・・そっちこそ、朝からそのテンションはなんだ?」
「あら?私、いつもこんな感じでしょ?」
島村はそう言うと、組んでいる肩を離して、そのまま一歩前に出てきた。
・・・ちょうど、俺とかおりの間に入る形だ。活発といえばそうなのだが・・・少し強引。
「おはよ、島村さん♪」
かおりが島村に挨拶をする。さっきまでの赤い顔や俺だけに見せる笑顔はもう引っ込んでいた。
「うん、和泉さんもおはよ!」
島村も挨拶を返す。こちらも相変わらず、カラっとした様子だ。
この一週間で、随分と島村が俺たちと会話をすることが増えた気がする。
今みたいに、朝に合うこともチラホラ・・。
・・・が、これを単に『俺たち三人、仲がいい』とは解釈できない。
・・・なんだろう?何ていうか、かおりと島村、二人のやり取りを見ていると、仲はいいんだけど、どこか間合いの測り合い、みたいな空気を端々に感じる。
・・・そして、その度に何故かハラハラしている俺がいた。
そんな俺の思いなんぞ、どこ吹く風といったように島村は目を細めてかおりの方をじっと見つめる。
「・・・・」
「・・・?どうかした??なんかついてる??」
島村の視線にかおりが首をかしげる。
「・・・いや、和泉さんの肌、白くて綺麗だよね。・・・うらやましいなぁって」
島村がかおりの腕を指さして言う。
「・・・そっかなぁ?」
「そうだよ、私なんて、和泉さんに比べたらゴボウだよ~?」
島村は自分の腕を見てため息をついた。
・・・最も、その仕草は大げさで、心の底から嘆いている、という感じじゃあなかった。
「日に焼けて健康的、って見方もあるんじゃない?私なんか、外にいたら倒れちゃいそうだけど、島村さんは平気そう」
かおりの言葉に島村は「なるほど!」と言って大きく笑う。
・・・二人のやり取り。こういう時は黙っているのが一番だと思ってる。
「いやいや、本当に綺麗でうらやましいよ~!・・佐々木君がお風呂に入るのを想像したくなる理由もわかるわぁ~♪」
「・・・ぶっ!!」
突然の言葉に思わず吹き出す。・・聞いてたのかよ!
これには、かおりも咄嗟に反応ができなかったみたいで、なんとも言えない表情をしていた。
そりゃそうだ・・・二人だけのやり取りのつもりだったもんな・・・
そんな俺とかおりが硬直している間に、島村はさらに思わぬ行動に出た。
「・・・和泉さん、ちょっと失礼♪」
「ひゃっ!!し、島村さんッ!!?」
・・・かおりが突拍子もない声を上げる。その行動には俺も思わず目を見開いた。
「ふーん、なるほど・・・」
島村がウンウンと頷く。・・・何があったのかと言うと・・・
・・・島村の手が・・・かおりの胸をまさぐっているのである。
俺は、どこに目線をやればいいのかわからない…と思いつつ、島村の手…正確には島村の手と、かおりの胸から目を離すことができなかった。
「お、怒るよッ!?」
かおりが身を屈めながら島村に声をかける。合わせて俺も視線を外す。まるで自分が怒られているような気がした。
それから少しして、島村はパッとかおりの胸から手を離した。
・・・かおりの顔は真っ赤になっていた。
そんな様子に悪びれもせずに、あっけらからかんとしている島村。今度は俺の名前を呼んでくる。
「・・・佐々木君」
「・・・な、なんだよ」
・・・声が裏返りそうだ。胸がキュッとして緊張している。島村は手のひらを少し広げて俺の方に見せてきた。
「このくらいだった」
「へっ!?」
・・・一瞬、何を言っているのか理解ができなかったが、すぐにその意味を察してしまった。
島村の手のひらは小ぶりの茶碗か、小さな生き物でも乗せるような形をしている。
・・・それは・・・つまり・・・
「柔らかさは適度なおもち」
「・・・!」
島村が付け加える。・・・悲しきかな、男子の性(サガ)。こんな時、脳は俺の言うことを聞いてくれない。頭が勝手に想像を膨らます。目線がチラっとかおりの・・・胸に向かってしまう。
「・・・島村さんッ!!!」
次の瞬間、かおりが大きな声をあげる。・・・眉を上げて。
これは・・怒ってる。
「はは!ごめんって!少しでも妄想の手助けになればと思って♪…ね、佐々木君?」
島村はかおりに謝りながら俺の方を向いてくる。…にやにやしながら。
・・・どう答えろって言うんだよッ!!
言葉が出ない。チラっとかおりを横目で見る。彼女は目線を逸らしていた。
・・・なんとも言えないハラハラとドキドキ。
俺が答えに困っていると、島村はサっと俺の肩に手を回してきた。
「あぁ!私でよければいつでもいいよ~?・・・想像じゃなくてもね?」
「・・・なっ!」
・・・冗談だとは分かっていても、心臓が跳ね上がる。
「和泉さんみたいな高嶺の花じゃないけどね?私、質量だけはあるよ」
島村はケタケタと笑いながら『ほれ?』と、俺の背中に身体を寄せる。
・・・次の瞬間、背中に感じる、やこい「何か」
・・・頭はオーバーヒート寸前だった。
「中里が言ってたね?佐々木君、確か大きいのが好きなんでしょ?」
島村のささやき。・・・人は、これをオーバーキルと言う。
そして、ささやいているけど、絶対にかおりに聞こえている。
「な、なに言ってんだよッ!」
隣にかおりがいることを改めて認識して、思わず声が大きくなる。
それを受けて、島村はスッと自分から距離を取った。背中にはまだ島村の柔らかさと、ある程度の重量の感触が残っている。
「ふふ、冗談よ。和泉さんがこっわぁ~い、顔してるからね?」
「・・・・」
相変わらずケラケラと笑う島村。そっとかおりの方を見ると、なんとも言えない表情をしていた。
島村はスッと俺たちの前に出る。学校まではあと200mほどだろうか。
「・・・んじゃ、私ちょっと用があるからこれで行くね♪二人ともまた後で♪」
島村は敬礼するように手を額に当てると小走りで学校に向かっていった。
・・・・何をしたかったんだ、アイツは・・・。
・・・嵐のようなやかましさが過ぎ去ると、あたりは非常に静かなものだった。
・・・それはもう、気まずいぐらいに。
「・・・・・」
「・・・・・」
かおりは正面を向いて、何もしゃべらない。・・・その雰囲気に俺も言葉をかけられなくて、二人で黙って歩く。
・・・今まで無言の時間ってのはあったけど、質が違う。なんだろう、この罪悪感、ハラハラは・・・・
・・・胃がキュっとしている。
そんな中をしばらく歩いていると、かおりがボソっと口を開いた。
「・・・冬弥のスケベ、変態!」
・・・こちらを見ずに、ぶっきらぼうな口調だった。
・・・な、なんかスゲー怖いぞ?
・・・今までに何回か言われた「エッチ~♪」とは全く違って、冷たさを感じる・・・。
「・・・な、なんかさ、言い方にトゲを感じるんだけど・・・?」
「なぁに?じゃあ島村さんの後でも追いかけたら??・・おっきいのが好きなんでしょ!?」
・・・ものすごく刺々しい言葉。表情もツンとしている。
・・・焦る心と、回らない頭で慌てて言葉を探す。
「いや、そんな訳じゃ・・それにその・・・かおりのだって・・・」
・・・そこまで言って言葉に詰まる。
言葉の選択を誤ったことに気付く。
俺はここからどう言葉を繋げるつもりだ??
・・さらに、命令していないハズなのに俺の目は彼女の胸を凝視する。
思い浮かぶ小降りの茶碗。
・・・本当に悪手だと思った。そんな俺の様子を見ていたかおりは非常に冷たい目線を送っていた。
・・・・そして、次の瞬間。
「冬弥・・・最っ低!」
かおりは、その細い眉をキュッと吊り上げてそう言うと、プイっと正面を向いて駆け足で走り出した。
「・・かおり!!」
「ついてこないで!!」
彼女の言葉に足がビタっと止まる。まるで魔法にでも掛けられたみたいに。
・・・心にビシィっと突き刺さる、何か。
・・・そして、俺が足を動かせずにいる間に、かおりはそのまま学校の中へ入っていった。
かおりの表情・・・あんなかおりを見るのは、初めてだった。
思考が停止しかおりの言葉が頭にリフレインする。
――—―冬弥・・・最っ低!—―—―
・・・漫画とかでたまに聞くセリフだけど、いざ自分に向けられたと時、この言葉の威力はすさまじいものがあった。
茫然自失とはよく言ったものだ――――――。
かおりを悲しませてしまった
・・・・心に訪れる、焦燥感と後悔。
・・・・頭も足も、全く動いてくれなかった。
・・・・・・・・・
・・・—―—それから、思考停止状態でなんとか学校についたけど、かおりは一切、口を聞いてくれなかった。
もっといえば、いつもなら目配せとか、休憩時間にLINEとかを送ったりしてくれるのに、それすらなくて・・・。
・・・そんな状態で、何かを考えられるはずもなく、授業なんかは完全に上の空。
・・・俺は虚無状態で午前中を過ごすことになったのだった・・・。
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