第10話 カムバック!

【立水中学校・職員室にて】


 ・・・朝、ホームルーム前。

 俺は陸上部の監督である向井先生のところに来ていた。


「・・・そうか、やっと気持ちに整理がついたか」

 俺の言葉を聞いた監督はそう、ゆっくりと口を開いた。

「ハイ!ご迷惑をおかけしました!!・・・もう一度、鍛え直して下さい!」

 深く、頭を下げる。

「…もう、絶対にふてくされません!!」

「………」


 ・・・ピリッとした緊張が走る。この一ヶ月間の態度を思えば、自分の言葉にどれだけの信頼があるのか、とは思う。


 ・・・ただ、今は誠心誠意、頭を下げることしかできなかった。


「・・・佐々木、顔をあげろ」

「・・・ハイッ!」


 …監督の重みのある声が耳に響く。高ぶる心音と浅くなる呼吸を出来るだけ落ち着かせて・・・ゆっくりと顔をあげる。


「・・・今の決意と言葉、今日の練習が始まる前に、部員全員に言え。みんな、心配していたんだからな」

「・・・!!・・・ハイっ!!!」


 ・・・その言葉の意味・・・。どうやら、俺はもう一度グラウンドで走ることを許可されたようだった。


 ・・・少しの安堵。胸を撫で下ろす。


「・・・正直に言うとな、かつてのタイムを越えていくことは厳しい道だぞ?」

 監督の言葉。・・・自分でも分かってる。

 でもーーーー

「・・・肚、括りました。やりきって見せます!」

 力強くうなずく。・・そう、やってみせる。

「そうか・・・」

 監督は少しだけ笑って頷いた。そして、そのまま目だけがキッと真剣になる。


 ・・・それは猛禽類のような、獰猛な視線。

 俺は、この目の意味を知っている。


「・・・よし、今日から徹底して鍛え直すぞ!」


 ・・・つまりは地獄の始まりだ。

 普通ならゲっと思う場面。・・・だけど。

「ハイ!よろしくお願いします!!」


 はっきりと返事をする。・・・どれだけでもやってみせるという決意と共に。


 俺の返事に何かを感じ取ったのか、監督は一瞬、ニィィ、っと笑う。


 …怖いなぁ…最も、逃げる気もないけど。


「よし、もういけ。ホームルームが始まるぞ」

「・・・ハイ!失礼します!」


 もう一度頭を下げてから、踵を返す。

 心には、まだ緊張の残滓(ざんし)が残っている。


「・・・佐々木!」

「ハイっ!」

 呼び止められて振り向く。ピリっとした声だ。


 一度緩みかけた緊張が戻ってくる。


「よく、戻ってきた。頑張れよ!!」


 監督の激励。先ほど同様、決して「優しい」といえる表情ではないけど・・・俺のことをしっかりと歓迎してくれているのが伝わってきた。


「ハイ!!頑張りますっ!!ありがとうございます!」

 もう一度、肚から声を出して答えた。


 入り口まで進むと、もう一度振り返り職員室全体に頭を下げる。


「失礼しました!」

 ・・・・・・・・・

 ・・・スッと職員室を出て扉を閉める。そして、そのまま、ふーっと、長めに息を吐き出した。


 職員室特有の空気がなくなり、校庭からは小鳥のさえずりが聞こえてきた。


「・・・よし・・」

 小さく気合いをいれる。最初の筋は通せた。


 ・・・そう思った途端、緊張が解けて、ビリビリとした感覚が足元からアースされていった。


 ・・・・そしてーーーーーー

 

「うまくいったみたいだね?」


 ・・・聞きなれた声。

 その方向には【運命の友達】が待ってくれていた。

「ああ!」

 返事を返す。彼女を見て、思わず顔がほころぶ。

 もちろん、彼女がここにいるのは偶然じゃない。


 今朝、かおりから【一緒に学校に行こっ♪】ってLINEが入って、二人で登校した。


 ・・・そして、俺が何をするのか知っている彼女は、こうやって職員室前まで一緒についてきてくれた、というワケだ。


「お陰さまで、もう一度スタート出来そうだよ!」

「フフ、ちゃ~んと見てるからね?『元』エース♪・・・負けるなよ♪♪」


 ・・・俺の返事にかおりはニィっと口角を上げる。少し挑発的な笑顔だ。


「ああ!負けてたまるかよ!見てろよなぁ!」

 俺もかおりを真似て同じようにニィっと口角を上げて笑い返す。


「へへ、楽しみにしてるよ♪」

 かおりはご機嫌で返事をすると、俺の横に並んでウィンクを一つ。


 ・・・本当に魔法みたいだって思った。心の中がカーっと熱くなってきて、どくどくする。周りの景色も、パッと明るくなって見えた。


「さ、教室にいこ!」

「おう♪」


 二人で教室に向けて歩き出す。

 ・・・歩調を合わせるのもすっかり慣れた気がした・・・・。

 

 ・・・・・・・そして――――――――


 連休明け、久しぶりの学校は自分でも驚くほど雰囲気が変わって見えた。

 ・・・クラスの連中とも会話をしたり、笑い合ったりして、楽しかった。

 途中『なんかいいことあったのか?』と聞かれて、変わったのはクラスじゃなくて自分の方だって気付いた。


 …全部、かおりのお陰だな、って正直に思った。

 

 ・・・そうそう。そのかおりとはお互いにチラチラと目線を送ったり、簡単な会話をしたりしていた。

 ・・・なんだか、周囲にバレないように秘密のミッションをしているみたいでニヤニヤしてた。

 

 ・・・そして、あっという間に放課後、つまり部活の時間が訪れた。


「どうしたぁッ!!?佐々木ィ!!!ここまでかぁ!?」

 監督の声が響き渡る。酸素を求める肺は呼吸をする度に熱く、乾いた痛みが伴う。

「いえ!やれます!!!」

 グッと踏ん張り、顔を上げて返事をする。目に入りそうな汗をぬぐって姿勢をシャンとさせる。


…足はじりじりと痺れ、これまた熱を帯びている。立ち止まると、全身から大粒の汗が噴き出してきた。


 …俺は今、地獄の特訓に肩までどっぷり浸かっている。


「よし!自分に甘えるなよ!もう1セット!!やり遂げて見せろ!!」

「ハイっ!!」

 返事の後、自分の相棒である脚と弱い心をパシっと叩いて一喝。それから再度スタートラインに駆け足で向かう。


 …以前までの自分なら、絶対に倒れてるな…


「・・・・」

 スタートラインに戻りながらチラリと校舎…図書室の方を見る。


 遠目に、あのロングの髪が目に入った気がした。


 そう、それこそが、この地獄を走り抜けられる原動力。

 …部活前、彼女の言葉が思い出される。


『んじゃ、図書室で見てるからね!…頑張って!!』


 ・・・かおりの顔まで頭に浮かんできた。


 こんなこと言われて、ヘタれるわけにゃいかねぇよな!?

 地獄の中にいるはずなのに、ニヤけそうになる。


 …見てて、くれよな…!…まだまだ走れるぜ!


 図書室の方にそう呟く。


 ・・・なんだか、力が湧いてきた気がした。


 そして、俺はよじれる腹と痺れる手足を気力で動かし、最後のダッシュ地獄に取り掛かった―――


 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・そしてーーーー


「うぇ・・・なんとか・・なったか・・」

 練習後、トイレから戻ってきて一人つぶやく。

 ・・・何があったか?決して綺麗な話じゃない。

 無事に練習をやり遂げた後、今日の給食と悲しい再会を果たしたワケだ。


「・・・・ったく・・・練習サボっていたツケだよなぁ・・・」

 自分の状態にヤレヤレとため息をつく。…自業自得とはこのことだ。

 ただ、不思議と、嫌な気持ちにはなっていない。

 

 ・・・部員のみんながいつもの通りに迎えてくれたのも大きかったと思う。


『どうしたエース!頑張れよ!!』『さんざんサボってるからだぜ』『踏ん張れよー!!』

 ・・・からかいに似た応援が多かったけど、どれも俺に力をくれた。


 ———―…もう一度走り出して、本当に良かったって、そう思えた。


 ・・・・・・・・・・

 …トイレから出た俺は、汗を流すために体育館裏にある水場へ向かった。

 …いくつかある水場の中でも、ここは陸上部の貸し切りの場所だ。

 シューズを脱ぎ、上半身裸になる。蛇口をギュッと捻ると、ひんやりとした水が足元に流れてきた。

 脚をしっかりとアイシングする。それからその場所にあったホースを蛇口に繋ぎ、頭から思いっきり水を浴びた。砂埃と汗と熱が一気に流れ落ちていく…最高の瞬間だ。


 …たまんねぇなぁ…!

 

 この感触を味わうのも久しぶりだった。

 練習後に『心地よい』と感じたのは本当に半年ぶりのことだ。


「おう、おつかれさん!」

「・・・中里!」

 

 隣にやってきた中里は、ちゃちゃっとユニフォームを脱ぐと、俺と同じように水を浴び始めた。


「久しぶりの練習はどうだい?」

 中里が聞いてくる。

「…おかげさんで何とか。相当鈍ってるけど」

「だろうな♪今までサボっていた報いだぜ♪」


 ・・・ぐぅの音も出ない。中里はあっけらかんと笑って続ける。

「ま、ここ最近で一番いい顔していたとは思うぜ?足の速さは別にしてもよ♪」


「・・・そっか・・・」


 ・・・嬉しい言葉だ。

 ・・・多分コイツがいたからこそ、みんなも俺を受け入れてくれたんだよな。


「…サンキューな中里。いろいろとよ」

「余計な事気にすんなっつーの。監督の鬼の目が冬弥に向いてくれるんだ。こんなに楽なことはないぜ♪」

 中里は相変わらずの調子で笑い飛ばす。

 俺もその軽口につられて笑みがこぼれた。


 ・・・全く、本当に気の使い方が上手い奴だ。


「そういや冬弥、練習中チラチラと図書室を見てたな?…そこにお前さんのお姫様がいるってわけか?」

「!!!」

 思わず心臓が飛び出しそうになる。


 なんて勘のいい奴!もっと練習に集中しろよ!!


「・・・お姫様じゃねぇよ・・」

 ・・・とだけ返す。かおりは運命の友達だから。


「なんでもいいぜ、冬弥に走る力を与えた女神様なんだろ?」

 中里は俺の言うことなんぞ戯言だとでも言わんばかりだ。


 ・・・・・女神、か。

 ・・・まぁ、間違いではないか。


 ・・・本人の前じゃあとても言えないけどーーー

 

「二人で何盛り上がってんの?」

「!」

 後ろから聞き覚えのある女子の声。二人で目をやると、そこにはマネージャーの島村美月が立っていた。

 少し焼けた肌に、綺麗にまとめたポニーテール。その立ち振舞いは彼女の活発さをそのまま表現していた。

「おう、島村!冬弥の話だよ」

 中里が手を上げて答える。

 

「あぁ~佐々木くん、かなり絞られていたよね。久しぶりだったけど、大丈夫?」

「正直、かなり辛かったけど、まぁなんとかなったよ」


 …俺はタオルを首から下げて島村の問いに答える。なんとも芸のない答え方だ。

 次の瞬間、中里がニヤニヤ笑いながら茶々を入れてくる。

「そりゃ女神さまがついているんだもんな?」


 ・・・やかましいぞ。中里…。

 思わず睨み付ける。が、コイツにそんなことは効きやしない。


「はぁ?女神さま??」

 島村が不思議そうに眉をひそめる。

「何でもないよ、中里のいつもの妄言」

 そう答えると、島村は「あぁ・・・」と納得したように頷く。


「おい、何を納得してんだよ?」

「バカな妄言は中里の日常だろ?」

 俺がツッコむと、島村はそれに同調する。

「そうね?どうせまたスケベな話を中里が言ってたんでしょう?」

「・・ヒデぇなぁ~」

 大袈裟にかぶりを振る中里。

 

 ・・・どうやら話題は逸れたらしい。


 それから、三人でとりとめの無い話をして笑い合った。今日の練習のこととか、クラスのこととか・・・。だけど二人とも気をつかってか、俺の連休中の様子は聞いてはこなかった。


 ・・・・懐かしかった。半年前にも、こうして三人で話をしていた気がする。


 ・・・・・・

「しっかしさぁ・・・」

 島村が俺と中里の方を見て呟く。

「??」

「どうしたんだよ?」

「・・・男子は楽でいいよねぇ・・・」

 島村は俺たちが裸(上半身)で水浴びをしていることを言っているようだった。

 それを聞いた中里が笑って茶化す。

「なんなら島村も水浴びしていくか♪ってか、またサイズアップしたんじゃね?」

 ・・・セクハラまがいの発言。中里だから許されているって感じだ。


「そうねぇ、あんたの目玉を抉らせてもらえたなら、考えるわ」

 島村の方も動揺することもなくサラリと受け流す。すっかり中里のあしらい方には慣れているという風だ。

「オイオイ、俺だけか~?冬弥もいるだろう??コイツも結構スケベなんだぜ~?」

 ・・・中里が俺を肘で小突いてくる。


「・・・俺を巻き込むなっつーの!」

 俺は中里の方を見て少し迷惑そうに眉をしかめる。

「カマトトぶんなよ♪確か、でけぇのが好きじゃあなかったか?」

「あ、あのなぁ!」

「へぇ~、そうなんだ?佐々木君も男だねぇ~!」

 島村が『意外』っと付け加えて目を大きくする。

「な、中里の言葉を真に受けんなよ!」

 思わず、声が裏返りそうになる。島村はそんな俺の様子を見ると、吹き出してケラケラと笑った。


「ま!大丈夫!!佐々木くんは中里よりはまだ信頼があるよ!!」


「・・・どうも」

 ・・・その言葉にどこまで喜べばいいのかわからないが、とにかく変な噂は流されなさそうで安心した。逆にそれを聞いた中里がまた大袈裟に顔をしかめる。

「オイオイ・・・俺だけヒドクないかぁ~!?」

「あんたは日頃の行い!」

 島村の言葉に同感する。コイツは少し痛い目をみた方がいい。


 ・・・・そうして3人でまた顔を見合わせて笑いあった。ふと、実感する。練習は辛かったけど、走ることも、こうして仲間ともう一度、バカなやり取りをして笑いあえたことも・・・嬉しかったんだ。


 ふと時計を見る。・・・かおりとの約束の時間が迫っていた。待ち合わせにはまだ少し余裕があったど・・・出来るだけ早くいかないとな。


「さて・・・俺はこれで行くよ」

 手早く荷物を片付けて立ち上がる。


「あれ、佐々木君、急いでんだ?」

「ま、まぁ・・な」

 島村に問われて、少し言葉を濁す。確かに昔ならもっとダベってたものな。

 

 …この後の約束は秘密にしておきたかったから。


「ま、久しぶりの練習だったし、疲れを抜いとけよ。・・・また明日な!」

 中里が何かを察したように、笑みを浮かべて促してくれた。

「そっか、それもそうだよね。ゆっくり身体、休めてね」

 島村は腑に落ちた表情を見せて頷いた。


 ・・・中里め、こういうところは本当に気がきくんだよな。

「・・・二人とも、サンキュ。・・その色々と。また明日からも頼む」


 本心。また頑張ろうと思う。


「おう♪」

「うん!またね!」

 ・・・手を振り、見送ってくれる二人に、俺も手を振って水場を後にする。

 横目で見た時計。時間には間に合いそうだった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・

 すぐに荷物を持って、待ち合わせをしている生徒玄関に向かう。そんなに距離は無いけど、思わず駆け足になる。


 玄関につくと、ロッカーを背もたれにしている彼女が目に入る。

「かおり!」

「冬弥♪」

 彼女は俺の方を見て手を振ってくれた。俺は、どこかホッとしながら、そのままかおりのすぐ傍まで駆け寄った。


「わりぃ、待たせた!」

「ううん♪早いくらいでしょ?・・・お疲れ様♪」


 かおりは笑顔でそう言ってくれた。


 俺も彼女を見たとたんに笑顔がこぼれる。

 練習の疲れも吹き飛んだ気がした。


「さ・・・いこっか?」

「ああ!」

 彼女の促しに大きく返事をする。そして、二人で並んで、朝、登校した時のように歩き出す。


 目的地はもちろん中央公園…運命の木。

 

「カムバック初日の感想、じっくり聞かせてね?…途中、ダウンしていた冬弥くん?」

 かおりがニヤニヤと、からかう様に聞いてくる。

 

「…ち、ちょっとだけだろ…!」

「……ふふ♪…ま、頑張ってたじゃん♪♪」

 俺の反応を楽しむ様に、彼女は笑いながら俺の顔をジッとのぞき込んでくる。

「…ったく!」

 どこまで本気かわからない『頑張ってたじゃん♪♪』に脈拍が上がって、それを誤魔化すためにソッポを向く。


「・・・なかなか、カッコよかったよ?」

「へッ・・!?」

 全く予期せぬ言葉が聞こえて、思わず聞き返す。

「べっつにー?なんか聞こえたぁ~??」

 かおりは横目でこちらをチラりとみて、あの笑みを浮かべる。


 …ったく!!どこまで本当で、どこまでがからかってるんだよ!!

 

「ねぇねぇ、なんて聞こえたのさ??」

「・・・忘れたっつーの!」

「ふぅ~ん?」

 ・・・・・・・・・・・

 こんな風に公園に着くまでの間を、ある意味、いつも通りのやり取りをして歩いていった。

 

 15分ほどして、公園に到着した頃には、周囲に人は誰もいなかった。街灯が辺りをそれなりに照らしていて、歩くのには困らない。


「静かだねぇ~」

「だなぁ・・・」

 

 ・・・二人っきりで歩く公園はすごく静かで、自分たちが別の世界に入り込んだように感じた。途中、池の傍からカエルのなき声が聞こえてきて、警戒しているかおりが可愛かった。


 そのまま二人で運命の木まで足を運び、その根元に腰を下ろす。瞬間、フワっと優しい風が俺たちをなでる。まるで、運命の木が俺たちを歓迎しているみたいだった。


 ・・・・・・・

「風、気持ちいいね」

「そうだな」

 かおりの言葉にゆっくり頷く。


 ・・・不思議な空気感が俺たちの間にあった。


 なんていうかな・・・心の『ぬくもり』みたいなモノがお互いに感じあえていて、シンクロしていくような、そんな心地のよい空気。

 

「…あ、そうだ…冬弥に報告♪」

「報告?」

 

「うん♪私、改めて病院の予約、取り直したんだ」

 かおりはそう言って、スマホで再診日の予定を見せてくれた。確かに、以前聞いていた日より2週間は早い。

「誰かさんの必死で走る姿みていたら、私も頑張ろうって思えてさ?・・・再診日を早めてもらったんだ」

 かおりは大きな瞳を俺にしっかり向けて『へへ』っと笑った。

 ・・・彼女の言葉が何故だか嬉しくて、心が弾んだ。


「・・そ、そっか・・・!」


「うん♪♪私も負けてられないからね」

 かおりは、いつもの魅力的な表情でウィンクをする。

 …その瞳からは以前のような暗さは感じられなかった。前を向いていて、ある種の決意さえ感じられる。


 …俺たちはお互いが前を向く原動力になっているんだな、って思えて、凄く嬉しかった。

 

「あ、それと!冬弥♪」

「ん??」

 かおりは俺の名前を呼ぶとカバンに手を入れて何かを取り出した。

 

「へへ・・・はい♪」


 出てきたのは、少し小振りの魔法瓶。赤くて、おしゃれな模様が入っている。かおりはその魔法瓶を笑顔と共にスッと俺の方に差し出してきた。


「・・・これは?」

「…かおりちゃん特製ドリンク♪」

「へっ?」


 予想外の答え。頭が一瞬フリーズする。

 …特製ドリンク??


「…簡単なモノだけどね?…今朝、ちょっと調べて作ってみたんだ」

 かおりは少し恥ずかしそうにサイドの髪をかき上げて耳にかける。


「…少しでも、疲労回復とか…栄養補給?とかになれば・・・って思ってさ?」


 …そう言うかおりの表情はいつもと少し違っている。照れを隠すようにしていて、俺の反応を気にしているのか目が泳いでいる。


 ・・・これを、かおりが??

 ・・・俺のために・・・?


 なんだろう。頬のジンジンが止まらない。

 …俺はそっと魔法瓶を受け取る。


 かおりは相変わらず、少し緊張したような、照れたような表情を浮かべている。

「へ、へばって倒れてもらっちゃ困るから、ね?」

 彼女はそう言うと、ソッポを向いた。


 …正直に言おう。最高に可愛いと思った。


 …こんなの嬉しいに決まっているじゃないか。


「サンキュ、かおり!・・・飲んでいい?」

「…ど、どーぞ!そのために作ったんだから」


 少しぶっきらぼうに返事をするかおり。その言葉に俺の頬も緩みそう・・・と、いうよりもう緩んでいる。


 蓋を開けて一口。


「…!」

 ・・・・爽やかな酸味と、ほんのりとした甘さ。炭酸のシュッっとした感覚が口一杯に広がる。多分スポーツドリンクに果汁と炭酸を合わせているんだと思う。普通のジュースのような甘ったるさが無くて、すごく飲みやすかった。喉の通りも爽やかで、エネルギーが、浸透していく感じがする。

 

 ・・・気付いたら、そのまま一気に飲み干してた。

 

「・・・かおり、スゲーうまいな、これ・・・!」

 素直にぽろっと言葉がこぼれた。


「へへ・・・お粗末様♪ちょっと安心した。冬弥、ジュースとか苦手だから、甘さは抑えてみたんだけど・・・正解だったね?」

「めっちゃ美味かったって!スゲー元気でた!!」

 思わずテンションが上がる。

「お、大袈裟だなぁ…。…ま、喜んでもらえたなら嬉しいけど」

 かおりはどこかホッとした様子で肩をすくめ、魔法瓶を受け取る。そして、また少し恥ずかしそうに言葉を続ける…。

「こ、こんなので良ければ、毎日でも作るけど?」

 …彼女は、少しこちらを伺うように聞いてきた。


・・マジっ!?・・そんなの、飲むに決まってる!!


 嬉しさが爆発して、心があちこちに飛び回りそうになる。

 

 そりゃ、美味しいのもあったけど…その、かおりが俺のために作ってくれるんだぜ!?


「マジ!?じゃあ・・・その・・これからも頼んでいい?頑張れそうな気がするから、さ」

 ・・・と、一度上を向き、それから髪をかき上げて答えた。


「へへ・・・そっか♪」

 俺の仕草を見たかおりはクスッと笑う。それから思いっきり口角を上げて、俺を見つめる。…頬を染めて。

「・・ねぇ、それは私の手作りだから頑張れる、ってことでいいの??」

 ・・・そう言う彼女の笑顔は、いつものくすぐる笑顔とはちょっと違っていた。


 そして、そんなかおりの表情に・・・俺もそのまま素直に頷いた。…今の彼女に対して、からかったり、誤魔化したりすることをしたくなかった。


「・・・ま、まぁ、そういうことになる、かな?」


 いつもからかいあったり、ふざけあったりしているのに、今回はお互いに素直だった。それがおかしくて、二人で見つめ合って照れ笑いをする。


「へへへ・・・」

「ははは・・・」


 静かになった公園に俺たちの笑い声が響いた。


「ふふ!それじゃあドリンクは任せて♪」

 彼女の優しい声。それに対して俺もしっかり言葉を返す。

「ああ!よろしく頼む!」

 ・・・また目線を合わせて、お互いに照れ笑い。


 心が彼女に引き付けられていることは、とっくに分かってる。…ただ、その現象の名前を口にしないだけだ。


「・・・ソロソロ、いこっか?」

 かおりの言葉。たしかに、これ以上暗くなった道をかおりに歩かせるワケにはいかない。


「そうだな、また明日だな」

「うん♪♪」

 

 二人でそっと目を合わせてから立ち上がる。


 ・・・お互い『明日への期待』を胸にして。


 ・・・また風が吹いて運命の木が音を鳴らす。

 ・・『よかったね』と言ってくれているような気がした。


 ・・・・・・・・・・


 ・・・それから、俺は彼女を家まで送っていた。


 『女の子を家まで送っていく』、なんてことも初めてで、かおりの家の前まで来た時は、なんか妙にソワソワしていた。

 

『ありがと!また明日ね!』


 ・・・振り向いて手を振る彼女の笑顔がいつまでも脳裏に残っていて、自分の家に向かう途中も、ずっとニヤニヤしていた。

 ・・・・・・

 帰り道、ふと見上げた空。

 ・・・北斗七星に牛かい座のアルクトゥース、乙女座のスピカ・・・

 いわゆる春の大曲線が綺麗に輝いていた。

 

  『今度、かおりとも一緒に観たいなぁ…』


 そんな風に思いながら、俺は足早に家路についた。

 ・・・・・

 ・・・途中、ふと、かおり特製ドリンクの爽やかさを思い出して、また笑顔がこぼれたーーーーー。

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