第9話 最終日…その5(夜・明日への決意)

「・・・・さて、っと!」

 風呂を上がり、自室に戻った俺はどさっ、とベッドの上に寝転んだ。

 そのまま久しぶりに用意をしたスポーツバックに目線をやる。…明日に向けての準備は万全だ。


 それからスマホに手を伸ばし、彼女からLINEが届いていないかを確認する。


 …まだ何も通知は届いていなかった。

 …丁度、お互いに風呂ってことになったから、先に上がった方が連絡することにしていた。


「…女子は時間かかるもんなぁ」


 ・・・・

 …つぶやいてから、その台詞がちょっとヤバい気がして、今一人で良かったとニヤけながらホッとする。それから【お先♪】とだけ、ラインを送った。


 ・・・・・・・・・・

 ボーッっとLINEの画面をスクロールして、風呂前のやりとりを見直す。


【あ、私もお風呂!んじゃ後でね~】

【オッケー、じゃ、また後でな】

【うん、先に上がった方が連絡ってことで♪】

【あいよ、了解】

【ふふふ、覗くなよ~♪( ´艸`)イヤーン】

【どうやって覗くんだよ!物理的に無理だろ!】

【へぇ?物理的に可能なら覗くってこと??】

【やかましいわ!はよいってこい!!】

【♪♪了解(^-^ゞんじゃ後でね】


 ・・・思わず頬がにやける。

 ‥‥リビングじゃスマホは触れないな…

 

 …なんて思う。逆に、今は一人だからニヤけても問題は無いだろう。


 ひとしきり表情筋を動かした後、スマホを横に放る。

「・・・しっかし・・・」

 身体を起こし、窓を開けて外を眺める。

 日中の気温も夜になれば随分と落ち着くもんだ。

 ヒュウッと吹く風が風呂上がりの身体に心地いい。


「・・・・かおり…」

 彼女の名前を呟く。


 …次の瞬間、今日の夕暮れ、彼女の【秘密】を知った時のことが風と共に俺の脳裏をよぎった。


   ・・・・・・・・・・・


『私さ、心臓病ってヤツなんだよね…』

 

 運命の木に寄りかかり、あっけらかんとそう言うかおり。


 詳しいことは難しくて分からない。

 だからかおりも、要点だけをかいつまんで話してくれた。

 

 ――――彼女は心臓の病気で手術が必要だということ。


 ――――定期的に受診が必要であったり、いろいと制限があると言うこと。


 ――――今のところは多少安定しているが、このままの状態ではいずれどうなるかはわからないということ。

 

 …その話を聞いて、彼女が何かしらの行事で欠席をしていることを思い出した。


「本当はさ、この連休に手術、受けられる予定だったんだけどね?」

 彼女は笑ってそう言った。…飄々とした言い方だったけど、その心の内までは分からなかった。


「血液検査をしてみたら、ちょいと手術するにはマズいかもしれないってことになってさぁ?」

 かおりは少し口を尖らせて不満をもらす。

「それで、また仕切り直しになったってワケ」

 ・・・・・・

 彼女は目線を運命の木にやると、そっとその幹に触れた。

「・・・もしも、このまま手術を受けられなくて、死んじゃうのかな・・・なんて、そう思ってたんだ」

 かおりは少し恥ずかしそうに、でもどこか寂しそうに呟いた。


 少し強めの風が吹き、彼女の髪がなびく。ざーっという木の葉の音が聴こえてきた。


 ・・・なんだか、少しだけ気持ちがわかった気がした。前に進みたくてもどうしようもないもどかしさ、苦しさ。


 …もちろん、俺と彼女では・・・その重さは随分と違うけれど。


「結構へこんでいたんだ。次の瞬間、私の心臓は止まってしまうかも、って思うと怖くてさ。…私の明日って保障されていないな、なんて思ったりね。」

 …かおりは静かにそう言葉を続けた。

 その表情はやっぱり笑顔だったけど…その中に影を感じた。

 ―――あのキスの提案の時と同じような影を。


 今なら分かる。あの時かおりは必死で強がっていたんだ。


 ・・・・・・・・・・

 ・・・・それから、俺は静かに話を聞いていた。


 ・・・彼女がどんな思いで、この公園を訪れたのかを。


 少しでも気持ちを落ち着かせるために、運命の木を訪れたこと。

 木によじ登ってから、心の中でめい一杯叫んだこと。

 その瞬間に本が落ちて、俺と出会ったこと。


 ‥‥俺といると、楽しくて夢中になっていてくれたことも。


 不謹慎にも、『俺といて楽しかった』と言う部分を聞いて、思わず口元が緩んでしまった。


「・・・俺も、かおりと一緒にいれて嬉しかったし、楽しかったぜ」

 と、素直に返すと、彼女は…へへっと笑い返してくれた。

 

「…冬弥といるとさ、私、楽しくて明日を期待しちゃう。」

 そう言う彼女の目にはもう、ほの暗さは感じられなかった。


「正直、少し不貞腐れていたんだけどさ?冬弥と一緒にいたら…諦めずに頑張ってみようかなって…そう思えるようになったんだ」

「・・・そっか」


 ・・・そう返事をする。俺も一緒だ。かおりのタメならどれだけだって走れるって、頑張れるって思ったから。


 ・・・かおりは一つ間を取ってから、言葉を続けた。

 

「…冬弥も、もう一度走るんだよね?」

「・・・ああ!」

 …力強く頷く。それは間違いない。

「・・・へへ・・・」

 俺の返事を聞いたかおりは、一旦、瞳を閉じて何かを飲み込むように、決意をするように、小さく頷いた。


 ・・・そして――――――


「なら、私も不貞腐れないでもう一度頑張ってみる。…これからも冬弥と一緒にいたいから、ね?」


 …かおりは上目遣いで、少し照れながらそう、俺に告げた。


 …こんなこと言われたら、誰だって嬉しいに決まっているじゃないか!


 一気に脈拍が高くなって、頬を中心に身体がじんじんしてくる。

 …そんな俺の思いを読み取ったのか、かおりはニィっと、例の、俺をくすぐる表情を浮かべて、ぐっと顔を寄せてくる。


「…それに私、まだ冬弥とキスしてないし?」

「なっ!!」

「…後から思ったんだけどさぁ、女の子のキスを断るってひどくな~い??」

「あ、あれは・・・!」

 …思わず声が裏返る。

「お、俺は…そういうドサクサに紛れたくないって言うか…正々堂々…ちゃんと…」

「……」

 かおりがじっと見つめてくる。『ふぅん?』という表情で。

 

「…だから…その…!」

 上手く口が回らない。顔は絶対に赤くなっている。

「ちゃんと、その…そういう風に…」

 言葉が引っかかって出てくれない。もどかしい!

 ・・・・

「…ふふ、分かってるって♪」

 かおりはそう言うと、スッと距離を取った。そして一瞬、夕日を見てから、もう一度ゆっくり俺の方を見る。…ニヤっと笑顔を浮かべて。


「……楽しみができたなぁ♪」


 …かおりは『何が楽しみか』は言わなかった。そして、そのまま言葉を続ける。

「…冬弥は~?」

 かおりのいたずらな笑みと問い。


 ………なんてこと…聞くんだよ!


 ………心臓の高鳴りとハイテンションで飛び回りたくなる衝動。

 …抑えるのに、必死だ。


「俺も、楽しみ…かな」

 …とだけ答えた。すぐに恥ずかしくって顔をそむける。

「…な、何のことかはわかんねぇけどよ?」

 ……と、付け加えて。


 …素直じゃないな。自分でも本当にそう思う。そんな俺を見て、かおりはクスクスと笑っている。


「そう?じゃあ何のことか、教えてあげようか??」

「…い、いいっつーの!!」

「へへ♪」

 かおりが肘で俺をつついてくる。つつかれているのは身体だけじゃない、心の方もだ。…くすぐったい。


 彼女が楽しみと言ったことの意味。それはお互いの暗黙知。

 その『楽しみ』が現実となる、その時は―――――


「・・・・・・・」


 ・・・・無言。考える一瞬の間。目に写るかおりの顔、吸い込まれそうな瞳、すべすべの肌、潤った唇・・・・。


 ・・・いろいろな『明日』のことが頭によぎる。

 俺がもう一度走ることとか、かおりの病気のこととか。


 ・・・俺とかおりの関係のこと・・・とか、さ。


 次の瞬間。本日、数度目の決意が、燃える。


 ・・・信じて進んでみせるさ!

 ・・・確かに自分でも楽観的だとは思うけど。


 ・・・でも、かおりと一緒なら全部、乗り越えられる気がするんだ!


 気付いたら、そんな明日への思いとか願いとかを込めて、俺は彼女に手を差し出していた。


「明日からもよろしく、かおり!」


 ・・・一瞬の間。お互いにじっと見つめ合う。

 ピンっと心が通じ合っている感覚があった。


 ・・・そして。


「うんっ!こちらこそよろしく、冬弥!」

 彼女は口角を上げて大きく頷くと、俺の手を握り返してくれた。

 ・・・満面の笑顔で。


「冬弥となら頑張れそうな気がする!やっぱり私達、【運命の友達】だね♪」

「・・・ああ!」

 彼女の言葉に俺も力強く頷く。

 …俺もそう思うよ。


「・・・へへ・・♪」

 次の瞬間。かおりはすっと俺の方に身体を預けてきた。まるで、信頼しているものに寄り掛かるように。


「・・・なっ!?・・・か、かおり?」

 

 彼女のかすかな重みが俺の肩にかかる。・・・いや、重み、なんて感じじゃない。もっと、そっとした…や、柔らかい何か。彼女の温もり。


「・・・・・・」

 かおりは無言のまま、すっと背伸びをする。


 ・・・・そして———―――


 ・・・彼女のモチっとした頬が、俺の頬に触れたんだ。

 

 ・・・それは2回目のチーク・キスだった。

 ・・・運命の『友達』として、親愛の証の。


 ・・・心臓の音を身体越しに聞かれてしまいそうな気がした。


「・・・ふふ・・・」

 かおりが笑う。吐息が耳にかかってくすぐったい。

 …そして、彼女は囁く。

「・・・冬弥からは?」

 ・・・耳元にかかる呼吸。

 風にのって、シャンプーのいい匂いがする。


「・・・そ、そうだな・・」

 なんて、たどたどしい返事。ちょっと情けない気もしたけど、そんな風に気の利いたエスコートが出来るような人生経験はしていない。


 …ぎこちなく首を動かして、反対の頬を合わせる。

 ・・・・彼女の温かみと柔らかさが、もう一度頬に伝わってきた――――。


 ・・・・・・・・

「また明日、な」

 …そっと囁く。すると、彼女もそれに応えて囁き返してくれる。

「…うん、また明日ね♪」

 彼女の呼吸と言葉が、俺の鼓膜を揺らした。


 …こうして夕日の照らす中、俺たちはもう一度短く明日の約束を交わしたんだ―――——―—


・・・・・・・・・・・・


 …今日のかおりとのやり取りを思い出しながら、頬にそっと触れる。まだ、かおりのぬくもりが残っている気がした。

「あ・・・」


 次の瞬間、スマホの音が鳴る。LINEの通話。相手は…もちろんかおり。

 ベットに座り込んで電話に出る。すぐに彼女の元気な声が聞こえてきた。

 

 ―――ヤッホー、もう、あがってる?——―—

 ―――ああ。ってか、あがってないと電話に出れないだろ?——―

 

 電話越しに聞こえるクスクスという笑い声。


 ――それもそっか♪…何してたの?―――――

 ——涼んでたよ。外の風、気持ちいいから――――

 ——へぇ、私がお風呂に入っているところを想像しながら??——

 

 …相変わらずの軽口。俺も笑って答える。


 ――そんなに想像して欲しいのなら、いくらでもするけど??——

 ——あ~やっぱり!冬弥のエッチ~♪―――

 ——ハイハイ、そっちが先に言ったんだろ?——

 ——へぇー?本当に今までまっったく、考えてなかった??——

 ――さぁ?どうかな~?——


 お互いが冗談を冗談で返す。二人の笑い声が混じり合ってスピーカーから聞こえる。


 ・・・夜に、かおりの声を聞けるなんてな。


 …それだけで、また心がふわふわする。


 …そう思っていると、スピーカー越しに、カラカラ…っと言う音が聞こえてきた。多分、窓を開ける音だ。


 ——確かに風、気持ちいいね―—

 ——・・・だろ?——

 ——うん♪♪――


 …かおりの頷く声。俺と同じことをしてくれたのが、何だか嬉しかった。


 ――明日、緊張してない?久しぶりの部活――

 ――ま、少しは。みんなの手前もあるからな――

 

 正直に答える。…そりゃ多少の不安はある。


 ・・・だけど・・・


 心の中にある決意が勇気をくれる。だから、明るく、笑って答えられる。


――でも、かおりが見ててくれるんだろ?…なら、平気だぜ!――

――うん!!ちゃ~んと、見てるからね♪――


 かおりは、俺の言葉にしっかりと返事をしてくれた。自分の顔が赤くなっているのが分かる。…多分、彼女も。


 …心が弾んでいる…嬉しくて。


 ――ま、今日は早く休んだ方がよさそうだね?――

 かおりが気づかってくれる。・・・優しいんだな。

 ――ああ、そうだな…――

 …少し名残惜しいけど、と返事をしながら思う。

 …ま、確かにこのままだと、どれだけでも話していそうだもんな。

 ・・・・

 …でも、もう少しだけ。


 …もう少しだけ、心を揺らしていたい。


 だから、俺の方からも…からかってみようか。

 ――なぁ?――

 ――うん?――

 かおりの返事。俺は少しニヤニヤしつつ、高鳴るドキドキを抑えて言葉を紡いだ。


 ――やっぱし、ちょっとだけ想像したかも。かおりの入浴シーン♪――

 ――!!――


 一瞬の空気を飲み込む間。かおりがどんな顔をしているのか、なんとなく想像がついた。…そして、その後、かおりの少し大きな声が聞こえてきた。


――もぅ!冬弥のバカ!エッチッ!!――

――はは、ごめん、冗談♪――

――本当にぃ~っ!?――

――本当だって♪――

 かおりの反応が面白くて、つい。

―――全く!エッチな事ばかり考えてたら、練習ですっころんじゃうよ!!――

――はは、気を付ける♪――

 『もう!』というかおり。少しの間があって、それからまた二人で笑い合った。

 …お互いに分かり合ってる。これもさっきの冗談のやり取りの延長だ。


 ・・・それから、明日のことを少し話して、今度こそ電話を切ることにした。


 ――じゃ、また明日ね!…おやすみ、冬弥♪――

 ――ああ、また明日な!…おやすみ、かおり――


 お互いに、少し名残惜しく電話を切った。


 …同時に信じられないぐらいの静寂が訪れた。

 一人になったという妙な寂しさ。


 ポイっとスマホを置き、ゴロンとベットに横たわる。

 まだ、耳には彼女の声が残っているし、目を閉じればあの笑顔が浮かんできた。


 …もう一度、決意が心の底から湧いてくる。


 ・・そう、かおりが見ていくれているなら。

 ・・そう、それで、かおりが前を向けるなら。


「・・・どれだけだって走ってやるさ!」


 そう、力強く、呟いた。

 

 そして、俺はそのまま部屋の電気を消した。


 ・・・・明日への決意と希望が俺に安心を与えてくれたのか、俺はすーっと、眠りの中へと落ちていった――――

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