第4話 親愛のチーク・キス

「やっほー!冬弥!」

「おぉ!かおり、早いじゃん!」

 木の上から降ってくる声。大きな幹の間からひょっこりと顔を出してくるかおりに手を上げて答える。

 彼女の傍に寄ろうと、近くの枝に手をかけ、その太く勇ましい木を登っていく。

 彼女がいるのは枝が分割していく、大元になる場所。大きくて一番安定しているところだ。

「お待たせ。」

「ううん♪ハイ」

 彼女の隣に腰を下ろすと、イヤホンの片方を受け取る。

 流れてくるのはドリームカムトゥルー。吉田美和の爽やかで透き通った声が鼓膜に響く。


 少し高い位置から見える公園の景色、遠目にも賑わっているのが伝わってくる。


 ……ここは俺たちのベース…秘密基地だった。


 俺と彼女が、ここで会う約束をしてから5日。俺たちは毎日、この公園で過ごしている。


 この連休は天気に恵まれていて、暑すぎず、でも崩れることもなく過ごしやすかった。

 

 二人で何か特段変わったことをしたワケじゃあない。毎日、この木の上で、あるいは根元で、はたまた池の傍や、アスレチックで…公園中のあちこちで話をして、一緒に歌を聞いてふざけあって過ごしていた。

 夢中になれる、楽しくてあっという間の毎日は瞬く間に過ぎていって、ついに明日が連休の最終日となっていった。

 

 ドリカムのアップテンポの曲が心を弾ませる。多分、俺だけじゃなくて彼女の心も。


「そう言えばさ、入口付近のアイス屋さん、新作を出すんだって!」

 かおりが横目で話しかけてきた。相変わらずご機嫌。顔の横に垂れてきた髪を耳にかける仕草に、何故か俺の胸は弾む。


「へぇ、後で食べに行くか?」

「うんっ!」

 相変わらず満面の笑顔で頷く彼女。

「あとさ!つぼみの方もチェックしないとね!」

「ああ、そろそろ開きそうだったもんな!」


 はしゃぎながら二人で池の傍に咲いている野花に目を移す。

 あそこにはもう少しで開きそうな花があるんだ。


 毎日、ここで一緒に歌を聞きながら、何をするのか色々と決めることが、彼女との日課だった。

 …朝のミーティング、ってやつだ。


 ……気がつけば、この公園で起きていることをすっかり把握している自分。少しおかしく感じて笑みがこぼれる。

 その笑みは、連休初日の自虐めいた笑いとは随分違っていた。


 今まで緩慢に流れていた時間は、それを取り返すように、あっという間に過ぎていっていた。

 今もだ。彼女と今日のことを話しているうちにドリカムの『うれしい・たのしい・大好き』は盛り上がりと共にフィナーレを迎えようとしていた。


 風の音と共に、なびくかおりの髪。シャンプーのいい匂いがした。


「よし、そろそろいくか」

「だね、いこう♪」

 今日の方針が決まった。

 二人で察して顔を見合わせる。イヤホンを片付け

ると、木を降りる。

 ザザっという音の後に、ズシっと両足に響く振動。

 姿勢を直してかおりの方を見る。


「降りるの、助けてやろうか?」

「けっこーです♪変なところ触るつもりかな~?」

「転んでもしらねーぞ」

「冬弥じゃないんだから、それっ♪♪」

 俺の親切なんぞ、聞くこともなく彼女は身軽に、滑るように木を降りた。出会った時のように。

「んじゃ、いこっか冬弥♪」

「ああ!」

 顔を見合わしてから、俺たちは池の裏側に向かって歩きだしていく。

 …どちらともなく、歩調を合わせてーーー。


 ・・・・

 二人で毎日見守っているシャクヤクの蕾は、開くまでもう少しだった。きっと明日には開く、というのが、かおりの見解だった。

「……明日、楽しみだね?」

「ああ、連休最後に開いたらドラマだな♪」

「じゃあ、明日花が開いたら、一緒に記念撮影しようか?……あのシャクヤクと一緒に♪」

 かおりの提案……断れるわけない。というより大歓迎だ。

「ああ!折角だもんな!」


 またひとつ、約束を積み重ねる。彼女と交わす約束の1つ1つが未来に期待を持たせていることは確かだった。 

 

「・・・そろそろ、アイス、食べに行くか?」

「あ!そのことなんだけどさぁ?」

 俺の言葉にかおりがヒヒっと笑う。

 ……わかる。これは悪巧みをしている顔だ。


「・・・なんだぁ、今度は何の悪巧みだ?」

「そんなそんな♪」

 かおりは、くるりとその場で回ると、俺の方にグッと顔を寄せてきた。

「今日のアイス、かけっこ勝負で決めませんか?陸上部エースの佐々木冬弥くん?」

「…自信たっぷりじゃあねぇか…」

「そりゃあ?出会った日の対決から4連勝ですから♪♪」

 彼女がにやっと笑う。


 ・・・そうきたか。


 あの日から俺とかおりの勝負は続いている。


 その内容がかけっこ、というのだからなんとも。

 …かおり曰く俺のリハビリ、らしい。


 もちろんハンデ戦。距離にして50mは離していると思う。毎回、なにかしらの景品を賭けて行うが、残念ながら俺が白星をあげることは「今のところ」まだなかった。

「いいぜ?昨日の僅差、知らないわけじゃあるまい?大盛りで頼んでやるからな♪」

 そう、負けてはいるけれど、この数日で少しずつ距離は縮まってきていた。

 負けっぱなしは嫌で、実は家でも少しずつ身体を動かしていたのだ。


「ふふ、私が負けるワケ無いでしょ♪」

 余裕の笑みのかおり。

「つーか、自信満々だけどよ、あれだけのハンデをもらっていて恥ずかしくないのかよ??」


「え〜、冬弥ならもっとハンデがあってもいいと思うけどなぁ〜??」

 おどけて言うかおり。…くぬっ!痛いところを!


「今日こそは勝つ!!」

 意気込む俺。


「おぉ〜、じゃあ後は結果だね?捕まえてくれるの、楽しみにしているよ♪」

「鬼ごっこじゃねぇ!」

「へへっ♪」

 

 笑顔で心を突かれて、とっさに悪態をつく俺と、おどけて駆け出すかおり。すっかり馴染んだスタートラインに向かうつもりだ。


 …ったく!!勘違いされるようなことを平気で・・・!


「・・・・」

 彼女の弾むような後ろ姿をじっと見つめる。


 ……照れ隠しだなぁ。と心の奥の方で俯瞰的に見ている自分がそう呟いていた。

 

・・・そう、楽しいのだ。


 あんなに、目を背けていた『走る』ということが、彼女と一緒だと不思議に。

 

 そして、俺たちはそれぞれのスタートラインに立つ。

 ゴールである『運命の木』が俺たちの様子をじっと見ているような気がしたーーーー。


 ・・・・・・そしてーーーーーー


 ・・・・・・・・・

「・・・ふふ、危なかったなぁ♪」

 かおりが、ご機嫌でつぶやく。

 …いつものベンチで、イチゴとオレンジがミックスされたアイスを食べながら。


 ・・・俺の奢りだった。


「・・・スタートダッシュ、卑怯じゃないか?突然かおりが言うの?」


 少しジト目でかおりを見る。スタートの時が思い出される。

 ーーーーーーー………

『冬弥が勝ったら、私のアイス、口移しであげよっか?』

『はぁっ!?』

『よーいどん!』

『あ、おいッ!!』


 ・・・・と、言うわけである。


「あら?か弱い乙女の戦術でしょ~?」

「・・・世間では卑怯ともいう。」

「だって負けそうな気がしたから♪なんだか冬弥、いつもより必死だったし~?」

「べ、別に必死じゃねえよっ!」


 言葉にならない何かが沸き上がって、じんじんとしたシビレが身体にやってくる。

 口移し、とか言われたら勝つワケにいかないだろ!


「ハイ、頑張ったから一口どうぞ♪努力賞。」

「へっ!?」

 かおりがスプーンでソフトクリームをすくって差し出してくる。スプーン…そりゃ、そうだよな。

 オレンジと赤が綺麗に混ざり合い、甘い匂いが鼻についた。ドキッとする。

 

「・・・べ、別に俺・・・」

「・・・いらない?」

 相変わらずの微笑。その表情からは何を思っているのかは読み取れない。

・・・。

「やっぱり、食べる。俺がお金払ってるし。もったいない。」

 少し、ぶっきらぼうに答える。答え方とは裏腹に胃の少し上のあたりが心地よく振動している。


「よかった♪折角だからさ、一緒にこの美味しさを共有したかったんだ♪」


 彼女の口角がもう一段階上がる。音符が頭の上に飛んでいそうだ。心から喜んでくれている。

 つられて飛び跳ねそうな身体を制御する。


 ……仕方ないよな?かおりもそう言っているワケだし?


 かおりをダシにして、そのスプーンに口をつける。甘酸っぱくて冷たい食感が広がる。かおりの綺麗な手が近くにある。


 …それは、思いのほか、その……迫力があった。

 口元がヒクヒクした。美味しさよりもその状況に。


「・・・美味い、な。」

 何とか言葉にした。

「でしょ♪」

 …かおりの屈託のない表情。


 本当にフランクだよな。俺が気にし過ぎなのか?


 ふと、思う。

 …かおり、誰とでもこんな風に食べ物をシェアしているのか?他の男子にも…?


「・・・」

 何故だろう?ぐうっと、重みのある黒いモノが心の中心から沸き上がってくるのを感じた。


「あ、冬弥!」

 そんな俺をよそに、かおりは先ほど俺が口をつけたスプーンでアイスを食べながら、横目で俺に声を掛ける。

 太陽の光のせいか、唇が余計にふっくらと、瑞々しく感じた。

「・・・あん?」

 自分の目線を感じられたらどうしようと一瞬ドキッとしながら返事をする。


「・・・私、別に気にしない訳じゃないからね?」

「へっ!?」

 思考を読まれたんじゃないかと、思わず声が裏返った。

「冬弥が『運命の友だち』だから、だよ。感謝するように♪」

「な、なんだよ・・・それ・・・」


 その条件はよく分からなかったけど、ドキッと胸が弾んで、恥ずかしいような気持ちと安堵感とソワソワがミックスして心に揺さぶりをかけてくる。


「だから、冬弥もホイホイと他の人が口をつけたものに手を出すのはダメだからね?…特に女子のは♪」

「す、するわけないだろ!」

 普通は出来るわけないだろ!っと思って答える。


 ・・・こんな約束・・・まるで!


 ・・・そこから先は考えることが憚られる。

 じゃあ、それをしている俺たちは・・・。


「へへ・・・よかった。」

 俺の言葉に、彼女は本当にホッとした顔を見せる。・・そう、感じた。


 …どうして、こういう時にだけ、そんな素直な表情なんだよ。いつもみたいにからかってくれれば、もっと流しやすいのに。

 

 ・・・心の裏側、とにかく柔らかい場所をクリティカルにくすぐられるような感じ。

 こそばゆくて、でも心地よくて、小刻みに跳ねたくなるんだ!

 かおりと過ごす時間が増える度に、この感覚と頻度は増してきている!なんの中毒だよ!?


「…でもさ、本当に今日負けそうだった。冬弥、この数日で速くなったんじゃないの?」


 彼女が少し前かがみで俺の方を覗いてくる。

 

「・・・どうかな?まだ身体は全然重たいけど。」

「でも、実際にゴールした時の差は縮まっているでしょ?私が遅くなることはないんだからさ?」


「ま、まぁな・・・」


 …嬉しかった。


 彼女に認めてほしくて、こっそりやり始めたトレーニング。もちろん、まだ身体が重たいのは真実だ。こんな少しのことで、あの羽の生えた感覚が戻るワケがない。まだまだあの世界は見られていない。


 ・・・それでもーーーー


 ・・・ご機嫌でオレンジと濃厚イチゴをほおばる彼女を横目でちらりと見る。こっそりと心のシャッターを切る。


 ・・・自分の前に彼女がいること。彼女を追いかけることが新しい俺の走る世界だった。

 かおりとこうやっていると、走ることも楽しかったんだ。


「・・・あ!ひょっとして私のお尻を真近で見たいから、必死とかぁ~?」

 にやぁ~とした笑い、今度はからかってきている。


 そうそうやられっぱなしでいられるかよ!


「そろそろ見飽きたからサッさと追い抜きたいんだよ!」

「やっぱり見てるんだ♪冬弥のえっち~!」

「!!売り言葉に買い言葉だっつーの!!」

 

 へっへ~、と笑いながら走りだすかおり。思わず追いかける。運命の木の前にある芝生は、人はいなくて、貸し切り状態だ。

 二人で接近戦の鬼ごっこの様にあちこち走り回る。追いかける俺と、ストップ&ゴーのしなやかな動きで俺を翻弄するかおり。蝶のように猫のように身軽だ。

 思えばこのやり取りもよくやってる気がする。


 ・・・遠くから見ると・・・その、そういう男女がじゃれ合っているように見えるのだろうか。


「・・・えいっ!」

「!!?」

 ・・・そう思った一瞬。逆にかおりに手を取られる。彼女は勢いそのままに芝に倒れこんだ。

「うおっ!」

 無理に踏ん張ると危ない。かおりと一緒に芝に寝転がる。

 ドッ、という音がなり、芝の少しチクチクした感触が背中に訪れる。

 手を繋いだまま、仰向けになる。

芝の匂いが鼻を訪れた。

 ………

 ………素直に天を仰ぐ。空は高く青く、ぐっと吸い込まれそうな感覚。柔らかい日差しが暖かった。  

 視界のどこかでツバメが二羽、飛び回る。

 それはまるで、追いかけっこをしていた俺とかおりの様だった。


「…空、気持ちいいね」

「ああ」

 お互いに空を見たまま言葉を交わす。


 鳥の鳴き声が響き、ヒュウっと吹く風が自然の草と土の匂いを運んでくる。

「・・・・・・」

 お互いに無言な時間。繋いでいる手に、お互いが傍にいることを実感する。


 ・・・ずっとこうしていたくなるーーー。


 この空間がそう思わせたのか。自分の身体にかかる重力さえも、愛おしかった。すごく不思議な感覚。


「ねぇ、冬弥。」

 またかおりが聞いてくる。空を眺めながら。

「あん?」

 俺も答える。空を見たまま。


「…冬弥、キスしたこと…ある?」

「ハァっ!?」

 突拍子のない質問。思わず吹き出しそうになる。現実の世界に引き戻される俺をよそに、かおりはまだ落ち着いて空を見ていた。


「死ぬ前にさ、一度ぐらいはしてみたいよね?」

 繋いでいる手に、汗をかきそうな気がした。


「と、突然なんだよ!」

「それとも、冬弥はもう済ませたの?ファーストキス?」

 かおりが俺の顔を覗くように見て聞いてくる。少し伸びた草花が少しだけ彼女の顔を隠しているけど

 ……それでも表情はわかる。


 ……なんでだよ、どうしてそこで真面目な顔をするんだよ。


「……冬弥、陸上してるし、モテそうだもんね?ひょっとしてお相手は、マネージャーとか?」

「……そんなことねぇっ!ってか、誰ともキスなんてしたことないっつーの!!!」

 思わず、声が大きくなる。


 ……なんでこんなに焦ってんだ。

 かおりがじっ……っと俺の方を見ている。


 胸の中、心臓が身体の中でシェイクされている感じがする・・・。動き回る心臓。


「そ。なんかよかった」

 そう言って、ゆっくりと笑顔になっていくかおり。からかうでもなく、いつもの様に。


 ・・・な、なんかってなんだよ・・。


 心音が高まっているのか、戻ってきているのかすら分からなかった。だけど、次のかおりの言葉にまた心臓は一気にエンジンをかけることになる。


「・・じゃあさ、してみる?私と?」

「・・・へ!?」


 次の瞬間、シュっと太陽の光が遮られ、彼女の影が俺の真上から降ってくる。事態の把握ができなかった。


「か、かおり・・?」

 彼女が俺の上にいる。かおりの両手は俺の顔の横にあって、彼女の髪の毛が垂れて俺のコメカミに触れている。


「ーーー冬弥ーーー。」


 彼女の声。世界中に無数と響く音の中で、彼女の声と心音と呼吸の音だけしか耳に入らなくなる。


「…しちゃおうか、キス?……次の瞬間に死んでしまっても…明日が訪れなくても後悔しないようにさ?」

 

「お、大袈裟・・」

 突然のことにそんな風にしか返せない。

 …次の瞬間、だって…?

 俺の言葉にかおりは続ける。


「そっかな?ナニがあるかわからないよ?この次の瞬間だって。」


 ……変わらない笑顔、でも。


「そんな時、後悔はしたくないでしょ?」


 …なぜだろう?かおりの笑顔と裏腹に影を感じたのは?綺麗な瞳の奥に暗さを感じたのは?

 単純に彼女が上になって、影になっているからか? 


 ……キス。その言葉を発する唇がすごく魅力的に見えた。かおりとならーーーーー。


 ……だけど、俺はそれを選ばなかった。


「……何を心配することになったのかは知らないけど、ヤケぱっちでしたキスに、満足するとは思えない、ぜ?」


「………----」

 お互いに見つめ合う。かおりの感情を読み取ることはできない。

 ……彼女とキスをするのが嫌とかじゃなくて……単純に今のかおりからはいつもの、胸に吹き抜ける風のような、笑顔が見られなくて……


 ……どこか、後ろめたい、そう……俺が走れずに泥沼に引き込まれていた時のような影が見えた気がしたから。

 きっと、自暴自棄で投げ槍な感覚なんだ。それで得たモノに、決して満足することはない。それは俺が一番わかっている。

「………」

 …無言の彼女。その顔を見て、ハッとする。今の言葉だけじゃ不十分なことに気づいた。


 …キスをするのが嫌だ、なんて思われたくない。


 …そう、思ったんだ。素直に。


 だから、少し恥ずかしいけれど、この雰囲気のせいにして、そのまま言ってしまうと思った。


「………誤解すんなよ?別にかおりとキスするのが嫌だってわけじゃねぇ。」

「・・・へっ!?」

 珍しく、面を食らった顔の彼女。


 ……真実だ。別に嫌じゃあねぇ、とは思う。

 ……むしろ……


 いや、そこから先はまだ言葉には出来ない。

 

「でもよ、どうせなら、こう・・・」

 一瞬頭に浮かぶそのシーンに、脈拍が高くなる。

 彼女に向ける言葉を探すけど、見つからなくて、その内に恥ずかしさだけが込み上げてきてしまった。

「ム、ムードだとか、雰囲気だとか色々あるだろうよ!」

 ……そんなワケのわからない言葉しか出なかった。

「………」

 少しの間。恥ずかしい。

 ……なんの話だ!自分でもそう思う。


 キョトン、っとした表情のかおり。どこか憑き物が落ちたような。………そして。

「アッハハっ!!!」

 かおりが笑う。いつもの様に。日の陰になっていても、ハッキリとわかった。

「な、なんだよ!」

「だって!冬弥からそんな言葉から聞けるなんて!」

 どツボに入ったようで、かおりは片手を口に当て、肩を小刻みに震わしている。

「わ、わりぃ、かよ!」

「ううん!」

 彼女の破顔。元気いっぱいの笑顔。

「そうだね、確かにそうかもね。」

 その姿にちょっとホッとする。いつものかおりだ。

「じゃあ、そういう雰囲気ならしてくれるんだ?」

「な、なんでそうなるんだっ!?」

 彼女の笑顔はいつの間にか俺の心をくすぐる。

 それが、心地よかった。


「あ、そうそう!」

「なんだよ!まだあんのかよ!?」

 

「……私も全部が全部、ヤケになったワケじゃないよ。」

 …言葉の意味を瞬時に理解できない。彼女がまっすぐに潤んだ瞳で見つめてくる。

「冬弥となら、ってちゃんと思ったんだよ?」

「……へ!?」

「………」

「か、かおり?」


 驚いた次の瞬間だった。彼女の顔が、俺の顔に重なろうと、近づいてきていた。


 ゆっくりだけど、動けなくて見つめるしかない。

 長くて綺麗なまつ毛、もちっとした肌。

 数瞬の間に始まる情報収集。


 ………い、今かよ!?


 心臓の音が破裂しそうで、呼吸が小刻みで浅い。間近に迫る、彼女の顔と、潤った唇。


 ・・・どうしたらいいんだ!?こういう時、目って閉じるのかっ!?

 そうしているうちに彼女は顔はまさに目前だった。


「-----!」

 次の瞬間、彼女の頬が俺の頬に触れた。

「………へっ?」

 予想外の展開。ぽよっとした感触。頬?

 ………な、なんだ?

「・・・チーク・キスだよ。」

 彼女は混乱する俺の耳元で呟いて、すっと顔を上げる。

「親愛の証。『運命の友だち』としての。・・・これぐらいなら、いいんじゃない?」

 ・・・へへ、っと笑うその顔は、少し困ったように眉を曲げて、でも笑顔。

 ……まるで『仕方ないじゃん?』とでも言いたそうに。


「あ……それとも・・・」

「??」

「期待した?」

「!!」

 心臓が飛び上がる。それを見てニヤニヤしているかおり。なんだよ!そっちだって赤くなっているじゃないか!!


「・・・ったく!」

 そうも言えず、でも顔がニヤけそうなのを堪えて起き上がる。


「・・・」

「あれ、ひょっとして怒ってる・・・?」

 かおりがこちらを見てくる。少しだけ、心配そうに。

 ……やられっぱなしは性に合わないと思った。

 彼女は言ったもんな。

 『運命の友達ならいいんじゃない?』って。

 

 ………ならーーーーー。

「かおり。」

「へっ!?」

 ……驚いた声をあげる彼女。

 そりゃ、そうだ。俺は大真面目に彼女の顔の横に手を添えて、じっと見つめたんだ。

 初日に彼女がまじまじと俺の顔を見てきたように。

 …サラサラの髪の毛の感触と温い温度が手のひらを通して伝わってくる。

 …相変わらず、瞳は大きくて、唇はふっくらとしていた。肌の感触…その柔らかさ、もちもちな感じは実際に手から伝わってきている。


 冷静に振舞っているけど、俺の心音は大きいどころか痛いほどだ。血液の流れすら感じられるよう錯覚する。

「え、えっと!」

 かおりが、動揺しながら誤魔化そうとしたのが分かった。…誤魔化せさせない。そんな間は与えない。

 すぐさま顔を近づけていく。彼女の唇めがけて。

「~~~!!!」

 ・・・・かおりのこんな表情は初めてみた。あと3cm。

 ………そしてーーーーー


 ピトっ。


 ………彼女に触れる。


 ……ただし、唇ではなく、お互いの頬で。

 ぎりぎりで方向を変えたんだ。

「・・・・」


 お互いに沈黙。……かおり、どんな顔をしているんだろう。

 破裂しそうな心臓の鼓動。

「チーク・キスってさ、たしか反対側もするんだろ?」

 …そう言って、満面の、余裕の顔を作ってから距離を取る。どこまで余裕ぶれていたかは自信がないけれど。


 かおりの顔を見る。あっけに取られていて、やっぱり赤い顔をしていた。今日はまだ夕日じゃない。

…だから、確実にそうだ。

 本当なら、こんなこと出来ないし、言えもしない。

 でも、どこかお互いに通じ合ってる『何か』が存在しているのがわかったから、言葉にする。


「今はまだ運命の『友達』だからな。…ファースト・キスはまた今度!」

 数瞬の間。一旦彼女は下を向く。一瞬、「やられた!」というような表情で。それから、すっと顔をあげてきた。


「そうだね・・仕方ないね!友達だもんね?」

 めい一杯の笑顔だった。まだ顔は赤かくて多分、その言葉も強がりだろう。

「ふふ『その時』のためにも…もっと素敵なムードが作れるように毎晩イメージトレーニングしておくんだよ?」

 

「か、かおりこそ、今度は鳩が豆鉄砲くらったような顔しないで、スマートに受け入れろよな!」

「何を~!そっちだって余裕あるようでカチカチの顔してたくせにっ!」


 追いかけるかおりと逃げる俺。さっきと逆だ。ふざけあってもつれあって、見つめ合う。

 

 ・・・お互いに照れ笑い。


 なんて曖昧な関係だろう。

 でも、すごく心地よくて嬉しくて。


 確かに『生きていて楽しい』を実感している。

 頬にはまだ彼女の温もりが残っていた。

 ずっとこうしていたい。彼女とならどこまでも前を向いていけそうな気がしたから。


 走ることも、生きるということも。


 ・・・でも、ずっとってことはない。

 明日は連休の最終日だ。

 

 俺と彼女の『明日』はどんな風に進んでいくんだろう?この連休が終わると、俺たちの関係はどうなってしまうんだろう…?


 運命の木が風とともに、少し静かに葉を揺らしていたーーーーー。











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