第3話 君とあしたの約束を。

・・・それから、俺はかおりと一緒に公園のあちこちを見て回ったんだ。


 公園で飼育されている小動物にエサをやったり、遊具(アスレッチック)でふざけあったり…。園内に咲いている野花がなんて名前なのかスマホで一緒に調べたりもした。…その内に、どんぐりやら松ぼくっくりやらを拾いあう、なんて子どもじみたことまでも。


 ・・・発見もたくさんあった。それこそ、遊具には遊ぶだけじゃなくて、アスリート用のトレーニングを意識した動きやメニューが書かれていること。


 池にはメダカやカエル以外の生き物が生息していて、近隣の学校の授業で使われたりすること。


 この公園には、かなり多くの種類の木々や草花が生えていて、それらがどんな実をつけるのかということまでも。


 ・・・彼女の持つ勢い、内から出る力のおかげなのか、一緒にいるだけで一人の時は随分と景色が違って見えた。

 二人でふざけ合って、些細なことに驚いて、笑いあって・・・。

 こんな風に時間を過ごしたは・・本当に久しぶりだった。


 怪我をしてから、必死でもがいた4ヶ月。そして復帰から絶望の沼へと沈んだ2ヶ月。


 思えば、誰かと余裕を持って笑いあうなんて無かったことかもしれない。

 表情筋をこんなに動かしたのも久しぶりだった。

『笑うってこんな感じだったんだ!』という感覚が、枯渇した何かを、満たしていく。


 ・・・時間がアッと言う間に感じたのは本当に久しぶりの事だったと思う。


 そして、バカを言って、ふざけ合っている内に、気付けば、少し陽も傾き始める時間になっていた。


 はしゃぐだけはしゃいだ俺たちは、今は一服ということで自販機の前に来ていた。


 ・・・俺にとっては本日2回目の。


 ・・・1回目とはずいぶんと心持ちも違っていた。はしゃぐカップルも、無邪気に駆ける子どもたちも気にならなくなっていた。

 

「ええっ!?ぜってぇ偶然だろ、それ?」

「じゃあ、もしも私が当てたら、どうする?」

 かおりが自信満々の笑顔で聞いてくる。

 何を話しているのかと言うと、この自販機で当たりが出るか、どうかという話。

 かおりに言わせると、ここの自販機には何やら当たりを出すコツがあるらしい。

 そして、かおりは当てることが出来ると言う。もちろん眉唾だと信じない俺。


「そこまで言うなら論より証拠だな。この1回で当ててみな?そしたら信じるよ。」

 そんなの、ただの偶然に決まってるじゃないか。


「おっけぇ~、見ててよね♪」

 かおりはニィっと笑うと、自販機に目を移し、ジッと真剣に様子を伺い始めた。

 その、何時もおどけている表情とのギャップが妙におかしく感じた。少し暖かい風が吹いて、草の・・自然の匂いが俺とかおり包み、同時に彼女の髪がフワッとなびいた。

 

「・・・うん、きっとこれだね♪」

 かおりはそうつぶやく。何に気付いたのかは分からない。ただ、その目は確信を持っている。彼女はオレンジ色の財布を取り出すと、わざわざ50円玉を3枚手にする。

 ・・・?なんでだ。100円玉と10円玉もあるのに。

「お金の組み合わせがあるんだよ♪」

 俺の不思議そうな表情に気付いたのか、こちらをちらりと見て答える。

「本当かよ?」

「もちろん♪後は選ぶ飲み物も♪」

「それじゃあ、好きなヤツ買えないだろ?」

「おまけの当たりで買えばいいじゃない♪」

「・・・当たらなかったら損じゃないか。」

「だ~か~ら~、当たるんだって♪」

 かおりは当たることを信じて疑わない。


「・・ふふ、もしもコレが外れたら、冬弥の分は私がおごるよ♪」


 かおりがいたずらな笑みを浮かべてきた。

「・・そのかわり、私があたりを引いたら、最初の1本目は冬弥が飲んでくれる?」

 

「…どういうことだよ?」

「最初の1本目は選べないでしょ?今回の1本目、私あんまり飲む気になれないんだよねぇ・・・♪」

 かおりはへへ、っと笑う。

「これなら、もしも私が外したら冬弥は好きな飲み物が手に入る。当たったら、1本目のヤツを飲まなきゃいけない・・・。」


 かおりはピンとお金を指で弾いてからキャッチをする。それから、上目遣いでニィっと口角を上げて聞いてきた。どこか挑発的に。


「これなら、ちょっとした賭けになるんじゃない?」


 ・・・自信満々の表情だ。

 ・・なるほど、面白れぇ。

「別に、いいぜ?俺に損は無いじゃんか。」

 わくわくした気持ちで答える。なんでだろう。かおりの笑顔って不思議で・・向けられると、心と肩がピクピクするっていうか・・、嬉しくなるって言うか・・。

 なんかくすぐられているような感じになるんだよな。

 

「本当にいいんだねぇ?・・・最初の一本目、アレだよ~?」


 かおりがにや~として指を指す。その飲み物は・・・。


 『200%超濃厚青汁』


 ・・・大層な緑色。いかにもなパッケージが目に入った。健康志向にしても、もう少しいい見た目はないモノか。

 

 ・・・成る程、負けた方がコレを飲むってことか。

 確かに、喉を潤したいところに、コイツを流し込むのはキツそうだ。


「別にいいって♪かおりが飲むことになるんだからな。」

 ・・・っと口角を上げて答える。かおりみたいに。


「・・ふふ、言ったね?」


 かおりが硬貨を入れる。チャリン、という音が鳴り、一斉にボタンのランプが点灯する。


 ・・・それはまるで、陸上で走る時の合図

「ON YOUR MARKS(位置について)」に似ているな、って思った。


「・・・そうだ!」

 彼女が俺の方を見る。今度は何だ?


「不正がないように、一緒に押してみようか?」


 どこまでも嬉しそうで、自信に溢れた顔でそう言ってきた。

 それに俺は乗って答える。彼女とのやり取りは、そのリズムが小気味いいんだ。


「オッケー、これで本当に正々堂々、文句無しだ!」

 

 二人で顔を見合わせて、指を同じ青汁のボタンに添える。お互いの指がぴたっと揃い、動きが止まる。


 ・・・陸上なら、SET(用意)ってところか。

 独特の高揚感が湧き、俺と彼女の間を包む。


「ふふ、青汁を飲む覚悟はいい、冬弥?」

 チラッと、横目で俺を挑発するかおり。


「そっちこそ、是非とも健康になってくれよ、かおり♪」

 不適な笑みで返す俺。

 

 ・・・二人で声を合わせる。


『せーの!』


 ・・・ピッ!


 電子音の後、運命を決めるルーレットの音が、俺と彼女の間に響き始めた。


 ・・・・・・・そしてーーーーー。

 

「・・・・」

 買ったジュースを飲むためにベンチに向かう。

 …俺は黙って自分の手にある飲み物を見つめていた。

「いやぁ、よかったね冬弥♪健康になれるよー♪」

 かおりがオレンジジュースをこれみよがしに見せてくる。

 勝負の結果はこの通りだった。ボタンを押した数秒の後、鳴り響く爽快な当たりの電子音と、再び点灯するランプが俺の敗北を知らせたのだった。

「・・・ぐぅう、本当に当たるのかよ・・」

 忌々しく自分の手にある濃縮青汁を見てつぶやく。


「私の言うこと信じないからだよーだ♪」

 

「・・・ぐぬぬ・・・」

「♪♪♪」

 ・・・・・負け惜しみを言う俺を見てご機嫌な彼女。どこかリズムよくスキップをしているようだ。


 そうしている内に池の前の、俺が今朝エナジードリンクを飲んでいたベンチに到着し、二人で座る。

 

 ・・・別にいいだろ?ベンチは二人で座ってもいいものなんだからさ?


 池では相変わらず、メダカたちがのんびりと泳いでいた。


「さてさて、私の奢り、どうぞご賞味ください♪」

 かおりがニヤニヤと俺を覗き込んでくる。自分のオレンジジュースを見せながら。

「~~楽しみやがって~!」

 

 俺は缶のプルバックに手をかける。

 ・・・でも、実は負けたのに、全然悔しくなかった。それどころか、口許はピクピクとして口角をあげようとして来ている。それをこらえていると、今度は頬の中央辺りの筋肉が少しジンジンと心地よい痛みを発してくる。

「・・・ったく。」

 毒づきながら缶を開けた。このセリフも、どこか照れ隠しのような気がした。

 

 ・・・くすぐったい気持ちを飲み込むように一口、青汁を口に含む。


 ・・・・・

 何とも言えない葉っぱの苦さが広がる。エナジードリンクの薬っぽさは受け付けなかったが、この栄養面にステータス極振りなのも、いかがなものか。

「・・・うわ、まっず…!」

 思わず口の中の残りを吐き出したくなる。

 ・・・エナジードリンクは薬だから池に流すのはまずいだろうが、青汁は自然食品だからいいんじゃないか・・?

 素直にそう思う味だった。

「・・・池に流すのはダメだからね~?」

 俺の思考を読んだようにかおりが釘を刺す。口元がにやぁ、っとしている。

 

「・・な、なんでわかったんだよ?」

「そんな風に固まって、マジマジと池を見ていたら誰だってわかります~。」

 かおりは目を細めながらそう言うと、自慢げにオレンジジュースを口に運んだ。・・・く、勝者の余裕か・・・!


「し、仕方ないだろ!?本当にマズイんだから!!」

 言い訳。このコミュニケーションですら、楽しかった。彼女の言葉一つひとつが小刻みに心を震わさせている。

 

「ふーん、どれどれ?」

「!?あ、おい!?」

 かおりは俺の言葉を聞き終わると、猫のように無駄な力みなく、そして無造作に俺の手を取る。いや、正確には俺の手と、それに付随する缶だけど。

 ・・・驚く俺。

「一口、もらうね?」

 そう言ってかおりは俺から缶を受け取ると、そのまま瑞々しい唇をつけた。


 ・・・・色々と思うところはあったけれど、分かっているのは彼女の身体全体のリズムがアグレロ(ピアノの弾き方:陽気な)になっているってことだけだ。


・・・・唖然と、彼女の飲む仕草を見ていた。次の瞬間、彼女の顔が不自然な笑顔でひきつる。どんな味が彼女の味覚を襲っているかは想像がついた。


「・・・う、確かにこれは・・キツいかも・・ね?」


 べぇっと、下を出しながら俺の方を見てくる。笑っているけれど、眉毛は下がって泣きそうだ。

 そんな彼女の顔を見て思わず吹き出す。・・・わざわざ試す必要もないだろうに。

 ・・・・でも、なんだか嬉しかった。理由は・・知らねぇ。

「だろ?」

「身体によければいいってもんじゃあないよねぇ・・・」

 そう言って彼女はオレンジジュースで口直しをする。すると、今度はそのままその缶を俺の方に差し出してきた?

「??」

・・・・どういう、ことだ?


「口直し、必要でしょ?」

 ・・・そう言う彼女。一瞬理解が追い付かない。


. おいおい、だって、それは・・・。


 オレンジジュースの飲み口を見ると、先ほどの瑞々しい唇が思い浮かび・・・脈拍が上がった気がした。

「・・・大丈夫。」

 思わず断った。俺の分をかおりに渡すのはまだしも・・・

 

「ふぅ~ん、やせ我慢するんだ?」

 彼女は笑顔を崩さず、ジュースを飲みほした。

 その『やせ我慢』が、口直しなのか、その缶に口をつけることなのか・・・。どこか、含みがあるように感じたのは俺の気にしすぎなのかな?

「・・・平気だよ。」

 俺の答えもまた、どちらの意味なのかは分からなかった。少し気恥ずかしくて、視線をそらす。


 ・・・なんでだ、なんでこんな風に思うんだ。


 わからないことだらけ。どうして彼女といると、こんなに浮足立つんだ。

 この自分でも上手く表現できない、『焦り』みたいな感情を懸命に振り払おうとした時だ。

 …何かが素早く飛び跳ねてくるのが目に入った。

 ベタっとしてて親指の第一関節ぐらいの大きさで、かおりの足に着地した。

 よく見てみる。


 ・・・カエルだった。


 -----なんだ。


 そう思った次の瞬間。

 ものすごい力で身体に引き寄せられた。


「・・・・キャッ!!!!イヤっ!!!!!!!」


 ・・・叫び声と同時にかおりが飛びつていた。すごい力だった。

「やだっ!!冬弥っ!!!取って!!お願い~~ッ!!!」

 必死でぎゅっと抱き着き、足をバタバタとさせている。さながら溺れている人がしがみついてくるようだ。

 ・・・ぐらぐらと揺れる中、焦りながら感じるのは力強くて柔らかく触感と、鼻腔をくすぐる、いい匂い。

「わ、わかったから、落ち着けって!腕の力を緩めなきゃ取れないっつーの!!」

 そんな不謹慎な思いを振り払いながら答える。


 かおりだけじゃなく、自分の気持ちも落ち着かせてからカエルを追い払う。肝心のカエルは何のことやらと言わんばかりに、直ぐに離れていった。


 一瞬の静寂の後、・・・ポチャ、っと飛び込む音が聴こえてきた。


「・・・・・」

 かおりの顔はまだ引きつっていて、若干涙目になっている。そして、少しずつ落ち着きを戻していくと、彼女は今までに見たことのない気恥ずかしそうな顔になって、目線を逸らした。

「・・・だって、嫌いなんだもん。」

 ・・ボソっと呟くかおり。その様子があまりにもおかしくて、笑いをこらえることが出来なかった。


「く、はは!」


 ・・・それは今日、いやこの半年間で一番の笑いだった。


 ・・・胸がすくって言うのはこんな感じなのかな。肚の、胸の奥にある色んなものが心地よく噴き出していてく。


 ・・・それだけじゃない。これまでの数カ月、一人で悶々としていた事の全てが急に滑稽で、バカらしく感じたから。


 彼女と、一緒にいるだけで世界が色味を帯びて、笑えている。楽しめている。


・・・それが、嬉しかった。


「んんっ!もう!!そんなに笑わなくてもいいじゃん!!」

 気付くと彼女が膨れっ面をしていた。少し照れながら。

 ・・・そんな表情も、かわ・・・いや、面白かった。

 

「悪い、悪い!かおりってカエルが苦手なんだな。」

「・・・だ、誰にだって、苦手なモノはあるでしょ?」

 かおりが少し悔しそうに答える。・・・それに対して・・・

 ・・・俺は、本心で答えを返した。

「知れてよかったよ。かおりのこと」

「・・・・ーーー!」

 ・・・・・・

 ・・・少しの静寂。かおりの目がキョトンとしている気がした。

 その間に、またカエルが跳ねたか、池からポチョン、という音が聴こえ、鼓膜を叩いた。


 ・・・・言っていて、少し気恥ずかしかったけど、本当の事だ。それどころか、もっと、彼女のことが知りたいって思っていたんだ。

 

 ふっと、周囲を見る。随分と辺りの影が深くなってきたように感じる。夕焼けの具合が綺麗だった。周囲の人通りも随分少なくなってきている。


「・・・ま、よかった、かな?」

 かおりが、気持ちを切り替えるように一旦瞳を閉じて、呟いた。


 ・・・やっぱり彼女のこと、かおりのことをもっと知りたいって思った。


 ・・・鳥が羽ばたいた。人が少なくなった公園は静かで、どこか二人っきりのように感じる。彼女にも、なんとなくそれが伝わったような気がした。


 少しの間を置いてから、かおりは俺の方をゆっくり見つめてきた。吸い込まれそうな、綺麗な目だな、って思った。


「・・・冬弥と遊べて本当に楽しかった。今日、生きててよかった、ってそう思えたよ。」


 一瞬、ドキっとした。


 彼女はへへ、っと笑ってから一度目線を落とす。その後、また満面のいつも通りの笑顔で俺の方を見てきた。

「お、大袈裟だなぁ。」

「そう?」

 咄嗟に答える俺と、意外そうなかおり。

「私にとっては今日は最高に素敵な1日だったよ?冬弥は違うの?」

「ーーーーー…」


 彼女の笑顔と綺麗な声が、静かになった公園と俺の心に響いた。

 蓮の花が、呼応するように揺れる。彼女の髪も。


 ふと、今日のことを思い返してみる。

 ・・・というより、この半年間のことを。

 彼女の言うとおりだ。

 半年の間で、一番輝いていた1日だった。今日、彼女と一緒にいて思った。今まで俺は、生きながら、死んでいたんだ。

 

 ・・・こんな風に笑えて過ごせる。これが生きている人間の特権ならば確かに「生きていてよかった」と言えるかもしれない。


「・・・確かに、そうかもしれない、かな。」

 ・・・気づけば素直に、言葉を紡いでいた。

「よかった♪」

 彼女はウィンクをひとつ。このやり取りの間も公園は少しずつ静寂に包まれていく。まるで、俺とかおりのやり取りを見守るように。


「私ね、あの木に登りながら願掛けをしてたの。」

「願掛け?」

 ・・・突拍子のない言葉に思わずオウム返しになる。…静かに頷くかおり。

「この場所を、一緒に素敵だって感じられる、そんな友だちが欲しいなって。」

 彼女は続ける。少し恥ずかしそうに。

「そんなこと考えてたら、本がポロって落ちて、冬弥に当ったんだよ。」

 かおりは、へへっと照れ隠しのように少し目をそらして髪をかき上げる。

「・・・まるで、運命の出会いみたい、って思ったんだ。」


 ・・・・かおりの言葉に心臓が跳ねた。まるで電気ショックを受けたように。

 血流が速くなって、鼓動は大きくなる。彼女の言葉が、身体中をジンジンさせていた。

 『運命の出会い』なんて、チープかもしれない。

 ・・・でも。

「・・・確かに。俺たちは運命の友達なのかもな。」

 そう、言葉にしていた。言葉にすることで、実態を伴わせようとしていたのかもしれない。

「うん!きっとそう!」

 彼女が答える。とびきり、嬉しそうに。

 ・・・俺も、嬉しかった。


 ・・・辺りのオレンジは赤みを増し、影が濃くなっていく。


 ・・・・今日という日が終わろうとしていた。

 半年振りに感じた『生きていてよかった』と思える1日が。

 ・・・・運命の出会いを果たした今日と言う日が。

 もっと、今日を楽しんでいたい、そう思ってた。


「・・・ねぇ、冬弥?ちょっとかけっこしようか?」

「は?」

 ・・・俺の思考を中断するようにかおりが話しかけてきた。

 ・・・今、なんつった??かけっこ?誰と???


「最初に出会った木、あそこがゴール。先に木の幹にタッチした方が勝ち。」

 かおりはお構いなしに話を続けていく。思わず聞いた。

「俺が陸上してるの知って言ってる?」

「もちろん♪」


 あきれ半分の俺と、自信満々の彼女。いくらなんでも・・・


「冬弥は今、全力で走れないんだから、いいハンデじゃん♪それとも、女子に負けるのが、そんなに怖い?」

 ・・・・不適な笑顔。そこまで言われて引き下がる訳にはいかねぇ。いくら幽霊部員つったってなぁ・・。

 なんだか心に火をつけられた感覚。

「そこまで言うかぁ?吠え面かくなよ~。」

「もち♪」

 かおりは大きく頷く。乗り気なのは俺の方なのか、彼女の方なのか・・。

 多分、両方。

「あ!そうだ!」

 かおりが思い出したように俺の顔を覗く。

「私が勝ったら冬弥、明日も私とここでデートだからね♪」

「へ!?」

「よーいどん!」

 そういうと彼女は颯爽と走り出した。ちょ、ちょっと待て!

 デートという言葉と、咄嗟のスタート。慌てて走り出そうとするが、手に青汁を持ったままだった。

 慌ててベンチに置こうとして缶を倒す。

「~っ!!ああ、もう!」

 立て直す。こぼれたところは後で拭くといいだろう。

 すぐさまギアをあげて、かおりを追っていく。


 身体を撫でる風が気持ちよかった。タタタッという小気味よいリズムが身体に響きながら加速していく。


 やっぱり女子と男子。さらに言えば経験者だ。すぐにその距離は埋まっていった。風を切り、彼女の背中が間近に迫る。木の根本まではあと5m!

・・・これなら余裕だぜ!

「姑息な手段を使ってもそれまでだぜ♪」

 すれ違い様に声をかける。

 そのまま一気に彼女を追い抜いた。


 ・・・横目に一瞬見た彼女は相変わらず笑っていた。

 ただ、挑発をしてきた時とは違い、少し優しく。


 ・・・不思議な感覚だった。

 そうしている内に気付けは目前に迫るゴールの木。血管のような根に気を付けて進む。

 これで、ゴール!


 幹に向けて手を伸ばしていく・・。


 ・・・その瞬間。


 『楽しいな』

 …そう思っていた。


 ・・・・ーーーーー


 気付いたら・・・伸ばした手を止めていた。

 ゴールを、しなかったんだ。


 ・・・・後ろから近づく、かおりの走る音。

 次の瞬間には、小さくスラッと伸びた手が幹に触れていた。


「・・・・流石だね、めっちゃ速いよ冬弥。」

 かおりは少し息を切らし、膝に手をついている。

「・・・全然重たいよ。自分の身体、鉛みたいだ」

 ・・・そう、これも本当のこと。左右それぞれの手足に重りをつけているのかと思った。


「・・・そっか。」

 彼女の言葉。


「・・・でも・・・」

「・・・?」


 ・・・彼女が首をかしげる。

 一瞬ためらったけど、正直に伝えようと思った。


「・・・かおりと一緒に走ったら、楽しかった。」


 かおりの瞳が大きく開いた気がした。でも、俺は気恥ずかしくて視線をそらしてたから、よくは分からなかった。代わりに、夕日の綺麗なオレンジの日差しが目に入った。


「・・・そっか。」

 ・・さっきと同じ台詞。でも、どこか嬉しそうにしているように思えた。

 ・・・いや『そうだったらいいな』という俺の願望がそう思わせたのかもしれない。


「ねぇ・・・?」

 彼女が聞いてくる。

「どうして、手を伸ばさなかったの?冬弥、勝っていたでしょ?」

「・・・・それは。」

 言葉に詰まる。・・・その問いの答えは、さっきよりも気恥ずかしい。でも、この理由に嘘はつけない。


「・・・勝ったら、ダメだって思った。」


「・・・?」


「俺も、明日かおりと一緒にいたいって・・そう思ったから。」

「・・・ーーーーーー!」


 焦りと恥ずかしさが混ざって早口になっているのが、分かる。かおりはどんな顔をしているだろう?


 なんとか彼女の方をゆっくりと見る。・・・・口元があがり、屈託のない笑顔が咲いていた。

「・・・へへ」

 彼女はうん、とは言わない。ただ笑ってはにかんでいるだけだ。

 それが気恥ずかしさを加速させる。


 ・・・さっきまでみたいに、からかうでも、なんでも言ってくれれば、売り言葉に買い言葉で返せるのに!


 ・・・心臓の音が大きくなる。


 でも、本当に今日楽しかったんだ!こんな風に過ごせるなら、明日も一緒にいたいって、そう思ったんだ!仕方ないだろ!!

 その想いを言葉にする。何よりも大きな声で。

「だから、明日もこの場所で会おう!かおり!」


 ・・・夕日が綺麗に彼女を照らしている。そのせいかな。彼女の顔が少し赤く感じられる。多分、俺もそうなんだろう。

 知るかッ!全部夕焼けのせいにしてしまえ!


 彼女は一瞬目を伏せてから、俺の方を見た。公園は、もう誰もいなくなっていた。


「・・・私も今日、スゴく楽しかったよ。」

 彼女はそう言うとスッと手を差し出してきた。


「・・・明日からも、よろしくね、冬弥♪」

 

 ・・・最高に、嬉しかった。


「こっちこそ、かおり!」

 差し出された手をそっと握り返す。


 小さくてスラっとした指が印象的。彼女の手は温かかった。


 ・・・・これが、彼女と交わした最初の約束だった。


「・・・ふふ、でもよかったの?」

「あん?」

「いい忘れてたけど、冬弥が勝ったら何でも言うこと聞いてあげようと思ったのに♪」

 

 ・・・何っ!?


「は!?そんなん、聞いてないぞ!」

「だって言ってないもん♪」


・・・いたずらな笑顔を浮かべるかおり。自販機の勝負の時と同じ表情だ。


「完ッ全に後出しじゃねぇか!」

「聞かないソッチが悪いんだよ♪」


 心が、くすぐられる。

 ・・・また、明日もこうして過ごせるのかな。

 身体が小刻みに揺れて、顔に伝わる。口元が勝手に上がっていくのを感じる。

「あ~!さてはエッチなことお願いすればよかった、とか思ってるなぁ~?」


 ・・・・んなっ!!!

 かおりがニヤニヤしながら、腕を身体の前でクロスさせている。胸を隠すように。

 

「ん、んなの考えるかよ!」

「ほんとかな?慌ててあやしーんだ!」


 かおりはそう言うとぺろ、っと舌を出して幹の後ろに回り込んだ。

「ちょっと、こら、まて!」

 この、っと彼女を追いかける。

「やーだよ♪」


 お互いに木の幹を中心にぐるぐる回る。戻ってみたり、進んでみたり・・・夢中ではしゃぐ。


 ・・・何度かそんなことをしているうちに、お互いに正面から顔を見合わせた。


 真っ赤な笑顔だった。お互いに。

 彼女は一呼吸、間を置いてから俺に向けて素敵な言葉を放った。

「明日も、楽しみにしているね、冬弥!!」

 俺も答える。心から。

「こっちこそ、かおり!!」


 ・・・もう誰もいなくなった公園に、俺とかおりの笑い声が響きあっていたーーーー。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る