第2話 出会い 小さな鼓動を感じて。

 その木は間近で見てみると、さらに圧巻だった。

 公園の外れに位置しているこの場所は、人々の歓声も遠くから聞こえる程度で、どこか別の場所のように感じられる。周りには自然の草花が健気に咲いていた。

 枝葉が作る木陰は半径で3mはあると思う。

 幹周りはどのくらいあるだろう?これも遠目で見るよりもはるかに力強く堂々としている。


 ・・・目の前まで行ってみようか。

 

 ゆっくりと、慎重に幹の元へと歩み寄る。

 地面に食い込む木の根っこは俺の腕よりも太く隆起して、まるで血管のように辺り一面に広がっている。


 ・・風が吹く。心地よい重低音が耳に響く。幾重もの枝葉の揺らぎ。先程よりも迫力と重さが伝わってくる。

 風は土や草木、それから花の香りを運ぶ。それらの混ざり合った自然の匂いがいっしょくたになって鼻腔をくすぐった。


 五感を通して感じる、なんだかホッとする思い。

 どこか懐かしくて『あぁ、こんな感じだった』って泣きたくなる、そんな気持ち。


 そんな思いに浸かりながら、根に足を取られないように気を付けて進む。幹は目の前まできていた。


 ・・・まじまじとその姿を眺める。


 本当に大きい。幹の太さは俺をスッポリと隠してもまだ余裕がある程だ。


 ・・・そっと手を当ててみる。


 ゴワゴワとした感触。手を少し動かしてみると、ザラっという音が身体に響いた。

 今度は両手を添えて、グッと押し込んでみる。・・・びくともしない。

 それは子どもが父親に相撲を挑むような感じに似ていた。


「・・・はは!」

 なぜか、笑顔がこぼれた。

 妙に安心していた。この雄大さは自分を守ってくれるような、そんな気がする。


 気付けば、心はすー・・っと晴れていって、木々の揺れる音と同時に新鮮な空気をーーーーー。


「危ないっ!!」

「ッ!?」


 予想外の自分に向けられた声。ハッとする間もなく、脳天に衝撃が走る!


「っいってぇ!!!」


 テンプレート通りの言葉を吐き出す。いや、別にそんなに痛くもなかったんだけど、咄嗟に声が出てしまった。


 ともあれ、事態の把握は必要だろう。何かが俺の頭に落ちてきたのは確かだ。

 その正体を知るために目線を落とす。


 ・・・・・そこにはーーーー


「・・・本??」

 足元には本が1冊落ちていた。

 いわゆるハードカバーってやつだろう。厚みはそれほどないが、人を驚かせるには十分すぎる。


 ???

 why??何故だ?何故ハードカバーの本が??


「ごめんなさい!怪我はない!?」


 少し高めの声が、本と同じ方向から降ってきた。

 目線をやると大きな枝の付け根、高さにして2mと少しぐらいのところから、女の子がひょっこりと小さな顔を覗かせていた。


 ・・・なるほど、おおよその検討がついた。この子が本を・・・。


 (・・・あれ?)

 

 本を落とした犯人の顔をよく見て、驚いた。・・・見覚えがあったからだ。


「・・・え、和泉・・・?」

 思わず名前を呼ぶ。


「あれ?佐々木くんっ!?・・・大丈夫だった!?」

 そう声を掛けてくる彼女は、俺のクラスメイトだった。

 彼女の名前は…和泉(いずみ)・・・たしか下の名前は、かおり・・・だったと思う。


 ・・・最も、クラスメイトと言っても話をしたことも無い。名前と顔を知っている程度。・・・彼女のしっかりとした声を聴いたのも初めての事だった。

 だから、私服の彼女をすぐにクラスメイトだと認識出来なかったも、無理のないことだろう。覆い茂る木々の枝葉で彼女の顔が十分に見えなかったのもある。


「ケガはしてない?・・・今、そっちにいくね!」

 彼女・・・和泉かおりはそう言うと木を滑るように降りてきた。動きは猫のように軽やかで、ロングの髪の毛がふわっと舞う。着地の姿もしなやかだった。


「ちょっとみせてね?」

「なっ・・・」


 和泉かおりは、木から降りるや否や俺の額に手を当ててきた。

 女子に顔を触られるとか、初めてだったから、一瞬ドキっとした。

 和泉かおりの手はほんのり暖かくて、柔らかく、ぴたっとしていて・・・

 ・・・と、とにかく『女子に顔を触れられる』という初めての経験はそんな感じだった。・・・上手く言葉には出来ねぇよ!


 そんな俺を余所に、彼女は何かを確認するようにグッと顔を寄せ、じーっと俺の前頭部あたりを見つめている。


 いや、分かる。怪我がないか、確認してるんだろう?それは分かる。が、問題はそこじゃねぇ。


 …フランクすぎやしないか!?


 その距離、おおよそ30cmぐらい。至近距離。女子にこれ程接近されたのは初めてだ。・・でも、だからといってどうすることも出来なくて、彼女にされるがまま、その場所でじっとしていた。

 …成り行きに任せて、ぼぅっと、彼女の様子を眺める。


 近い距離でみる女子の顔。大きい瞳に、長いまつげ。唇は自分とは違い、どこか潤って瑞々しい。弾力がありそうだ。肌も男子である自分とは感じが違って、もちっとしてそうだ。

 恐らく時間にして、1、2秒。その間に入ってくる、あまりに多い初めての情報。頭は処理しきれなくて、どこか他人事のように感じてさえいた。


「うん、大丈夫そうだね・・よかったぁ」

 彼女のその言葉にハッとする。和泉かおりは俺の額から手を離すと、満面の笑みを見せてきた。

 なんでかな、今自分が行っていた情報収集(無意識とはいえ)を気付かれたらどうしようか、って思ってしまった。


「ごめんね、驚いたでしょ?」


 彼女はへへ、っと上目遣いで両手を合わせる。

「あ、いや・・・」

 咄嗟の言葉が用意できない。和泉かおりのその仕草に、言葉の準備を忘れていた。


「こ、こんなところで何をしてたんだ?」


 動揺と焦りを誤魔化すように、ありきたりな言葉で返す。


「ふふ、見ての通りだよ♪」


 和泉かおりは肩をすくめてから、俺の足元に落ちいていた本を拾って見せる。

 今読んでいた本だろうか、タイトルは『大好き』と書かれていた。

「・・・読書?木の上で・・?」

「うん♪」

 彼女は頷く。フラットに、俺を見つめながら。異世界からの訪問者を歓迎するように。


「ここ、私のお気に入りの場所なんだ。」


 和泉かおりは笑顔で言う。その姿は、木々の間から差す木漏れ日とすごく調和がとれていた。

 彼女は今降りてきた木を見上げる。


「なんか、ここにいると落ち着くの。静かで、風が気持ちよくって。」


 それはわかる。俺も感じていた。どこか安定したものに包まれるような安堵感を。


「ああ、なんかわかるよ。俺も、そう思う。なんか、心地いいっていうか、安心するよな・・。」

 ・・・ありのまま、思ったことを口にする。紛れもない真実。

 俺の返事を聞いた彼女の眼がぱぁっと開いた。

「うんッ、そうなんだよね♪・・・なんか、ホッとするっていうか、心が休まる感じがするんだよね!」


「ああ、不思議だよなぁ。」

 ・・彼女の嬉しそうな笑顔につられて、気づいたら笑顔で同調していた。


 ・・・なんて言うかさ、こういう『人の気持ち』って何故か伝播するよな・・。

 彼女の明るい姿に、自分の心の「何か」が引っ張られたんだと思う。


「前から欲しかった本が今日、手に入ったからさ♪」

 彼女は続ける。相変わらずの笑顔で。


 ・・・なるほど、それで、お気に入りの場所で読もうとしていたわけか。


 ・・・少し、興味を持った。彼女に?それとも本に?・・多分両方だ。

「・・さっきのやつ?」

 聞いてみる。・・・たしか「大好き」って書かれていたな。恋愛小説、かな。

「うん!」

 和泉かおりはご機嫌で答える。

「ドリカムの歌詞を元にして書かれた本なんだけどね・・♪やっとネットで手に入ったんだ♪」


 彼女から出た名前が音楽のグループであることは分かった。ドリカム?・・・あぁ、名前は聞いたことがあるな・・。


「・・・へぇ・・珍しい。」

 特段関心が強かったわけじゃないけど、興味を示したような返事をする。彼女のテンションに水を差すのも憚れたし、彼女のその明るい様子を見るのは何故か、心地がよかったから。

 また風が吹いた。枝葉だけでなく、今度は彼女の髪も柔らかくなびいた。


「そういえば・・・」

 彼女は本を小さなポーチしまうと

 「あ!」と気付いたような顔を見せる。


「・・よく考えたら、佐々木君がここにいる方が不思議だよね?」

「・・・へっ?」


 ・・・・・和泉かおりは笑顔でそう聞いてきた。


 ・・・その問いはある意味、俺の一番の無防備で急所となるところだった。


「部活は?今日お休みなの??」


 ・・・笑顔。無邪気に、悪意なんて無く、それでいて容赦なくグサッと突き刺された気がした。


 この感じを言葉にするとだね、包丁を持っている人がすっころんで、自分に刺さったって感じ。おまけに、相手は包丁が刺さっても死なない体質なもんだから、俺の深刻な状況に気付けていない、というような・・そんな感じじゃないかな。・・分かりにくいかもしれないが。


 ・・・もっとも、彼女の思いや疑問も、ごくごく当たり前のことであるとは自分でもすぐに気がついた。心に刺さった包丁を、やせ我慢しながら引っこ抜く。

 そして、彼女の言葉に、すぐに何かしらの「言い訳」を考えて答えた。

  

「・・・リハビリの散歩中。まだみんなと同じ練習はできないから。」

「あ・・・そっか。言われてみればそうだよね・・」

 なるほど、っと妙に腑に落ちた顔を見せて彼女は頷いた。


 ・・・‥その無邪気すぎる笑顔に、俺の心はぎゅっと締め付けられる。

 ・・・なぜ、嘘をついたんだろう?


 正直に言うのがめんどくさかったから?罪悪感?バツの悪さ?それとも、目の前の無垢な笑顔に、今の自分の情けない姿を知られたくなかったから?

 ・・・・・何が答えなのかは分からなかった。

 目の前の、笑顔でハツラツとしている彼女と、自分の落差。

 話をしているのは嫌じゃなかったし、安心できるこの場所も居心地はよかった。


 ・・・だけど・・・


「・・・・・読書の邪魔して悪かったな。」

 ・・・早々にこの場を離れようと思った。なんとなく、彼女の天真爛漫な雰囲気に、今の自分はあまりにも場違いで、彼女といるのは、不釣り合いのように感じてしまったから。


「それじゃ・・・」

 短く、素早い挨拶と共に、踵を返した。・・きっとこれは逃げだ、ってことは、どこか自分でもわかっていた。


 ・・・その時だ。

「ねぇ、待って!」

「へ・・!?」

 和泉かおりが俺の服の裾をパッと掴む。少し慌てるように。

 ・・・・一瞬の間。


「ま、まだ・・なにかあんのか・・?」

 ・・・

 ・・・冷静ぶった言い方をしたけど、多分・・キョどっていたと思う。


「・・・・」

 和泉かおりはじっと俺の方を見ていた。俺の服の裾を掴む手は、思いのほか力が入っているように感じる。


「・・・えっと、和泉・・・?」


 どうしたらいいのか分からない俺。そりゃそうだ。何か言えよ!声を掛けてきたのはそっちだろ、和泉!?


 ほんの少しの間の後、和泉かおりは口を開く。少し遠慮気味に、上目遣いで。


「・・・ねぇ、せっかくだからさ、一緒に散歩しない?」


・・・へ?


 思いもよらない言葉にぽかんとしてしまう。和泉はすぐ様

 へへっ、っとはにかんで続ける。


「リハビリの散歩。一人じゃつまんないでしょ?・・・私もさ、丁度身体を動かそうと思っていたんだ!ね、いいでしょ?」

「え、お、おい!」


 そう言い終わるや否や、和泉かおりは裾を掴んでいる手を離し、そのまま俺の腕を取って歩き出した。お、俺の答えなんて聞つもりもないじゃないか!


 引っ張られる形で一緒に歩く。一体、何がどうしたってんだ!?

「ひ、ひっぱるなって、和泉!」

「ホラ!いこう!ここの公園の事なら詳しいんだ、私♪」

「詳しいって・・・別にそんなに焦らなくても!」

「のんびりしてたらリハビリにならないでしょ?」

 彼女は笑顔で、俺のことなんてお構いなしにグイグイと引っ張っていく。


 ・・・戸惑いながら、一緒に歩く俺。


 ・・・なんて言うか、この急展開と、彼女の勢いについていくのが精いっぱいで、先ほどの陰鬱とした気持ちなんて感じる間も無くなっていた。


 ・・案外、人は余計な事を考える暇が無ければいいのかも。

 彼女の行動のおかげで、逃げ道が強引に閉ざされて、もう少しだけ一緒にいる理由ができたのは事実だった。


「あ!そうだ!」

 和泉かおりは、またしても何かを思いついたように振り返る。もちろん、足は止めずに。この春の日差しに負けないような笑顔を俺に向けてくる。

「今度は何だよ、和泉!?」

 売り言葉に買い言葉で返事をした。


 へへ・・・と一瞬笑う彼女。その後。


「あのさ、これからは下の名前で呼びあおうよ!」

「んなにっ!!?」

 突然の名前呼びの提案。女子を下の名前で呼ぶ!?


「なんか、堅苦しいんだよね~、苗字で呼ばれるの!」

 驚きっぱなしの俺と、そんなことお構いなしの和泉。


「ねぇ、いいでしょ!呼んでみてよ!」

 彼女の勢いに次々と流されていく。

 ・・・・でも、悪い気はしなかった。


 この元気いっぱいの彼女の勢いに流されていれば、暗い気持ちなんて感じずにいられそうだったから。


 戸惑いながら、少しだけ勇気を持って、

和泉の・・下の名前を呼んでみることにした。

「わ、わかったって・・・

 ・・・か、かおり!」

「うん!」

 それを聞いた和泉・・・もとい、かおりは満足そうに大きく頷いた。勢いに任せて呼んだ女子の名前。これが初めてかおりの事を名前で呼んだ瞬間だったんだ。


「じゃあ、さっそく張り切っていこう!冬弥!!」

 ・・・彼女の言葉。そ、そりゃそうか、俺も下の名前で呼ばれるよな・・。


 ・・・こうなりゃヤケだ。どこまででも付き合ってやる!


 なんだろう、どこか腹を括れたというか、吹っ切れた気がした。いいさ、このまま彼女の勢いにどこまでも流されて、ついていってやる!


 その決意が行動に現れる。歩調を上げて、かおりに合わせる。すると、彼女は少し嬉しそうな顔でさらに少しだけテンポを上げた。俺もそれに合わせる。気が付けば、二人で少しずつ歩調がテンポアップしていく。


 クラスメイトの女子と一緒に公園を歩く。

 その状況に心が少しくすぐったくなったような気がした。


 気付けば、二人で公園の中を駆け出していたーーー。 

 


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