第48話 あの、せんぱい
七瀬が、告白。
千歳の言葉は確かにそう聞こえた。
……七瀬が、一体誰に?
「い、いやあ。ちょっと間違えちゃったみたいですね。告白するのは私でした。は、はは」
千歳は俺の方を見ながら笑う。
「な、なんで俺に言うんだよ。七瀬に言う所だろうが。てかどんな言い間違いだよ」
極力落ち着いた声で言って、彼女に笑い返す。
間違い。そうだ、間違いだ。
俺は千歳の言葉でぶわっと湧き上がってきた感情や思いや色々なものを、掻き消すように咳払いをする。
「び、びっくりしたあ。私、ハルちゃんまで誰かに告白しちゃうのかと思ったよ」
七瀬の隣で潮凪さんがほっと安心したように胸を撫で下ろした。そりゃそうだ、千歳が告白すると聞いたすぐ後に、可愛いいとこまで誰かに告白すると聞いたら驚くのも無理はない。
当の七瀬は何も言わない。
何も言わずに、ただ小さく下唇を噛んで、じっとこちらを見つめていた。
気のせいだろうけれど、まるで俺の反応を確かめでもするかのように。
そうして、ふっと散る花びらのような微笑みを浮かべて。
「そんなわけ、ないでしょ」
そう言って、潮凪さんを肘で小さく小突く。
小突かれた潮凪さんも一瞬驚いた顔をしていたけれど、すぐに悪戯っぽい顔になって七瀬をくすぐり始める。
「ちょ、あ、葵ちゃん。ふふ、あはははは!」
「先輩の私より先に告白とか許さないからね〜?」
ふと、千歳の含みのある視線に気づく。
いちゃつき始めた二人に気づかぬうちに見とれていたことに気づいて、俺は慌てて目を逸らす。
危ない危ない。
俺は大きく伸びをすると、目的だった冷蔵庫を開けて麦茶を取り出してグラスに注ぎ、四つ分をお盆に乗せる。
ゆらゆらと揺れるグラスの中の茶色の液体を見つめながら、もう一度ほっと息を吐く。
……危ない危ない。
俺はこの麦茶と同じように自分の中でゆらめく感情に気づきながら、目を逸らす。
今、もし。
俺が恐れていたようなことになっていたら。
きっと俺は――。
「ほい。まあなんだ、おつかれ」
俺は四人の前にグラスを置いていく。
口々にお礼の言葉が聞こえて、それぞれがすぐにグラスを傾ける。
千歳のやらかしで色々な意味で慌てさせてもらったからな。そりゃ喉も乾くだろう。
俺も続くようにして麦茶を飲み干す。
喉が渇いた時の麦茶は美味い。これが夏のど真ん中で、風鈴が鳴って、ばかに青い空に浮かぶ白くて大きな入道雲を見ながらだとしたら。もっと、きっと最高に美味いだろうな。
そんなことを思いつつ、目の前に座る七瀬にちらと視線を向ける。彼女もまた、俺に気づいたのか不満気な目で俺を睨み返す。こわい。
「てか、まだ土曜日なのに緊張してきたんですけど」
隣で千歳がつぶやく。
渡との件についてだろう。
向かいから潮凪さんが優しい声で訊ねた。
「千歳ちゃんは渡くんをどこに誘うの?」
「ええ!? そ、そうですね……ベタに映画館とか水族館もいいですけど。うーん。一緒に歩けたらそれだけでも良いっていうか。そもそも私、デートのお誘いオッケーしてもらえるんでしょうか……」
千歳がらしくない弱気なことを呟くと同時、彼女のスマホがぴろんと鳴る。
俺たちは四人で目を見合わせる。
「わ、渡くんかな」
潮凪さんの緊張した声。
スマホを手に取った千歳は、おずおずと画面を操作し始める。そして、しばしの沈黙の後。
「…………とりあえず、月曜日。来て、くれるみ
たいです」
そう言って彼女は照れ臭そうにふわ、はにかんだ。
まだ、全てが始まった訳ではないけれど。
応援するかのように俺たちはかちん、と手元のグラスを千歳のグラスにぶつけた。
「ほんと、勢い余って告白してしまったらどうしよう……」
嬉しそうにしていたかと思えば、千歳は頭を抱えつつぽつりとそんなことを言う。
「今の千歳なら告白しかねないな。間違って」
「く……先輩なんかにそんな風に言われるのは心外ですが絶対にあり得ませんと言えないのが悔しいです」
「好きすぎたら勢いで言っちゃうってこと、あるかもしれないね?」
「潮凪先輩までそんなことを……な、なんですか先輩、心当たりでもあるんですかね」
「え、えぇ? ないよ……?」
「怪しいですねえ」
にやにやと揶揄うように千歳が首を傾げるが、潮凪さんは澄ました顔で麦茶を飲む。
潮凪さんって実際のところどうなんだろうな……。色々と今日話は出来たけれど、彼女の本当の部分は俺には分からない。
そんな中、七瀬は相変わらず大人しくしていた。なにか考え事でもしているのか、残り半分くらいになったグラスをただ眺めている。
「……? ハルちゃん? どうかしたの?」
それに気づいたのか、潮凪さんが声を掛ける。七瀬ははっとしたように背筋を伸ばすと、困ったように身を捩った。
「……べつに。ただ、ちーちゃんはすごいなあと思っただけ」
「へ?」
七瀬の素直な言葉に、千歳から驚いたような声が漏れる。
「な、なに急に! ナナちゃんらしくないなぁ」
たはは、と笑いつつ千歳は続けた。
「いつもなら呆れたみたいに私を見て、ため息でもつくとこでしょ。こんな目で」
俺は隣でしかめ面をする千歳を見て思わず笑う。やけに似ていた。分かるわ、そんな顔する時あるよな。
「何笑ってるんですかねこのせんぱいは」
じとりと七瀬が俺を睨む。
何度も見てきた顔だった。彼女と出会ってたった二ヶ月だけれど、その間に何度も何度も見た表情。……なのに、どこか変だ。
今思えば、今日この家に来てからの七瀬はずっと変だ。何かを気にするように視線を向けたり、らしくない表情を浮かべたり、やけに口数が少なかったり。
「……ハルちゃん?」
潮凪さんが隣でもう一度名前を呼ぶ。
その声に違和感を覚える。先ほどとは違う、何かを確認するかのような声音。
七瀬はその声にびくりと肩を揺らして。
何も答えずに、へらっと情けない顔で笑った。
千歳も首を傾げて俺を見た。きっと思っていることは同じだろう。
「いや、別に大したことじゃないんですけど」
先程よりもわずかに染まった頬は、彼女と出会った日にまだ残っていた桜のようだった。
七瀬はそこまで言って口ごもる。
さらさらした自らの髪の毛を突然わしゃわしゃとかき乱すと、はあ、と息を吐く。
珍しくぼさぼさになっている髪の間から覗いた瞳は、ぞっとするほどに綺麗だった。
「――絶対に、今じゃないと思うんですけど」
七瀬の言葉に、隣で潮凪さんが音もなく、驚いたように目を見開くのが見えた。
「……夕陽が、綺麗な高台の公園だとか」
千歳が隣でがたりと腰を起こして、何かを言おうとする。けれど、その声は最後まで届くことはなくて。
「もう少し待って夏の夜空の下で、花火を見ながらだとか。真っ青の空、かんかん照りの太陽の下で蝉の声と一緒にとか。そんなこと考えてみたりはしたんですけど」
俺はただ、その言葉を聞くしか出来ない。
七瀬の目が、あまりにも真剣だったからだ。
「やっぱり、ダメでした」
「ハルちゃん、待っ」
「ごめんね、葵ちゃん」
潮凪さんの言葉を遮るようにして、七瀬は。
「絶対に、今じゃないですよね」
頬をかきつつ、俺に訊ねるようにつぶやく。
彼女が、言おうとしていること。
ずっと分かっていた。
分かっていて、逃げていたのだ。
きっと俺は、彼女が求める答えを出すことが出来ないから。
「それは分かってるんですけど。私、やっぱり一番がいいんです」
頼むから、やめてくれ。
今じゃない。いいじゃないか、もう少しで訪れる夏まで待ってくれたって。
七瀬の言う通り、蝉だってまだ鳴いてない。
ハンバーグの作り方、教えて欲しいって言ってただろ。千歳のことが、無事に済むまでは待ちますって言ってくれたじゃないか。
ゆっくりと進んでいくと思っていたのは俺だけで、まだ碌に答えを出せないのも俺だけで。
「私、せんぱいの作ってくれる晩ごはんが好きです」
七瀬はここにいる全員に、まるで宣言でもするかのように言った。
「……知ってるよ。あれだけ、美味しそうに食べてくれたらな」
どうにか絞り出すように俺が言うと、七瀬はくすくすと笑う。
「私が勇気を出しても、ずっとそんな感じの先輩のことが嫌いです」
何も、言えなかった。
潮凪さんが代わりに口を開いたけれど、ゆるゆると彼女は俯いてしまう。
「私がお願いしたら、仕方ねえなって言いながらなんにでも付き合ってくれるせんぱいが好きです」
「私と話している時も、何をしてても、ずっと他の人のことを考えている先輩のことが、嫌いです」
いつの間にか強く握りしめていた手を、ゆっくりと開く。落とした視線をどうにか上げて、俺は七瀬を見た。
なんだよ、その表情。
いつの日か、俺がすっかり騙されたあの時とは全然違うじゃないか。
「……あの、せんぱい」
震えたその声は。
心臓の鼓動とともに、じわりじわりと鈍い痛みを俺の胸の真ん中に残していく。
「私、せんぱいのことが好きです」
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