第46話 既読

 部屋の窓の向こうの空が、その色をわずかに変え始めた頃。


「……よし、いい感じに焼けた」


 竹串を刺して肉汁の色を確認した俺は、レタスとプチトマトを盛った皿にハンバーグを載せていく。さようなら俺の冷蔵庫の中の食材達。

 

 普段はもちろん一人分なのでスペースにも余裕があるのだが、四人分となるとこのアパートのキッチンではギリギリだ。


「えーっと……七瀬! 運ぶの手伝ってくれ」


 俺の声に七瀬が反応して立ち上がると、潮凪さんと千歳も続こうとする。それを七瀬が大丈夫だよ、と言って制するのが見えた。


 ととと、とこちらへ駆け寄ってきた七瀬に向けて俺はハンバーグの載った皿をふたつ差し出す。


「悪いな、これ頼む。俺ごはん用意するから」


 俺が炊飯器へ向き直ろうとした所で、七瀬が皿を持ったまま動かないことに気づく。


「……どした? なんか嫌いなものでもあったか?」


 訊ねると、七瀬は髪の隙間からのぞく目で俺をじっと見上げて唇を尖らせた。


「教えてくれるって言ったのに、嘘つきです」


 その言葉の意味に、すぐ思い当たった。

 トーンを落として俺は答える。


「……し、仕方ないだろ。潮凪さんも千歳も居て、教えられる状況じゃなかったし」

「じゃあ、いつ教えてくれるんですか」

「近いうち、には?」

「今決めてくれないといやです」


 や、やけに食い下がるな。

 どれだけハンバーグ作りたいんだよ。


「千歳の件が、無事済んだらとか」

「いつになるか分からないじゃないですか……。無事に済むか、分かりませんし」


 それは、そうだけれども。


「でも千歳と渡のことを置いたまま、こそこそハンバーグ作りましょうとはいかないだろ。俺たちにも多少なりとも関係はあるわけで」

「……仕方ないですね。では、ちーちゃんの話がひと段落つくまでは待ってあげます」


 七瀬はふう、と小さく息を吐く。

 そして、なぜかにっこりと優しく微笑むと。


「それで、せんぱい。……このハンバーグは、一体誰のことを思いながら作ったんですかね? 私、気になります」

「さ、さあて! ごはんごはんっと! 七瀬、早く持っていってくれよな!」

「……ちっ」


 あえてリビングにも聞こえるように俺は言って、七瀬に背を向ける。そんなもん、今答えられるか!




「――う、うっま。なんですか先輩。その見た目で料理上手とかどうなってるんですか? あ、これ褒めてますんで」


 みんなでいただきますをして、ハンバーグを一口食べた千歳がつぶやいた。


 『あ、これ褒めてますんで』と最後に付ければ必ず褒めている感じになると思うなよ……。

 俺は鼻を鳴らして応える。


「相馬くん。これ本当に美味しいよ? ふわふわだし。やっぱり料理、得意だったんだ」


 潮凪さんは真剣な表情でハンバーグを頬張りつつそう言った。


 今思えば、カフェラテを除けば初めて手作りの料理を食べてもらったことになるわけで。

 ……素直に、嬉しい。叫び出したいくらいには。


「ふん。まあこんなもんですかね」

「なんでお前が自慢げなんだ?」


 もぐもぐと幸せそうにハンバーグを食べる七瀬。声のトーンと顔が全く一致していない。

 まあ、ごはんを美味しそうに食べる人は、嫌いじゃないけれど。


 俺もハンバーグに箸をつける。

 肉を食べてるぜ! っていうぎっちり系のハンバーグも好きだが、どちらかというとふんわり系の方が好みだ。肉の旨みと玉葱の甘味が感じられて、我ながらいい仕上がり。


「料理ってのもありですかね……。お弁当作りすぎちゃったから、渡くん食べて? って」

「いきなり見ず知らずの女の子の手作り弁当は重すぎるだろ」

「いや見ず知らずじゃないですから同じクラスですから。あと重いとか言うな!」


 千歳が叫ぶ。

 こいつも見た目はかなり積極的そうなのに、どうもどこかズレているというかなんというか。人のことを言えたものでもないが。


「そもそも渡の連絡先とか知ってんの?」

「流石に知ってますよ。なめてるんですか?」

「連絡先くらいでよくそんな偉そうに言えたな……」


 俺と千歳が話すのを、そわそわと見ていたらしい潮凪さんが口を開く。


「千歳ちゃんは、渡くんのどういう所が好きなの?」


 その質問に、ようやくまともな恋愛相談らしくなってきたな、なんて思う。

 千歳は少し恥ずかしそうに頬をかくと、へへへ、と子供みたいに笑った。


「渡くんって、どっちかっていうとクールな感じなんですけど。時々くしゃって笑う時があって、それがもう……ごちそうさまですって感じというかですね。その笑顔が見れたら嬉しくて、また見たいなって思って、私にだけ見せてくれないかなって……て! な、なに言わせてるんですか潮凪先輩の聞き上手!」

「これいつも聞かされてる私の気持ちになって欲しいです」


 七瀬がいつものようにもぐもぐしながら嫌そうに言う。


 一人べらべらと喋ったことが余程恥ずかしかったのか、誤魔化すようにして千歳はオニオンスープを一気に飲み干した。


「なんだか私もドキドキしちゃうなあ……。ね、ハルちゃん?」

「うんわかるわかる」

「な、なんでそんな反応なのかな!?」


 七瀬って時々潮凪さんにも雑な対応するよな。面白いからいいけど。


「で、勝算はありそうなのか?」

「……はあ。いいですか先輩、そんなの考えてたら一生告白なんて出来ませんよ? 告白したいなと思ったら、そこがいつだって勝機です」


 俺が訊ねると、千歳はちちち、と可愛らしく人差し指を振って答えた。なんだか、すごく負けた気分だ……。


「……すごいなあ、千歳ちゃんは」


 ぽつりと、潮凪さんが漏らす。

 千歳は驚いたように俺と七瀬の顔を交互に見ると。


「べ、別にそんな。まだ上手くいったわけでもないですし!」

「私、応援するからね! と、とは言っても、アドバイスとかは全然出来ないと思うけど……」

「そんなことないです! そう言ってもらえるだけでも嬉しいです……。ハルちゃんはこんな感じなので」


 ふい、と七瀬は顔を逸らす。

 潮凪さんの言葉に気を良くしたのか、千歳はポケットからスマホをごそごそと取り出した。


「――じ、実はもう渡くんへのお誘いの文章も考えてあるんです。あとは、告白をどこで、どうやってするかだけで」


 スマホをすいすいと操作する千歳。

 食事中ですよ千歳さん? あ、でも俺も一人ならたまにやっちゃうかもしれない。

 しかし、本当にいきなり告白するのか?


「ちょっと待て千歳。ほら、一旦デートするとか、段階踏んだ方がいいんじゃないか?」

「いきなり告白したっていいじゃないですか。ね? 潮凪先輩?」


 千歳は俺に向ける表情とは全く別、甘えるような笑顔を潮凪さんに向ける。すると、潮凪さんと目が合った。相変わらず整った綺麗な顔。


「ど、どうかな。私もいきなりは勇気がないから、その、で、デートとか誘っちゃうかも」

「えええ、潮凪先輩にまでそう言われるとなんだか自信が無くなってきました……。あの、お誘いの文章これなんですけど、見てもらえますか?」


 そう言って千歳はスマホをこちらへ差し出す。


 画面にはメッセージアプリが開かれており、メッセージを入力する部分に何やら文字がつらつらと書かれていた。

 なるほど、ここに書いておけば送るか消すかするまではメッセージは残っているわけだ。


「あとはどうやって告白をするかと、この送信ボタンを押す勇気が私にあるか、ってだけなんですよねえ」


 千歳は溜息をひとつ吐く。

 そもそもそこに大切なメッセージを残しておける時点ですごいことだと思うが……。


「お前それ間違って押しても知らな……」


 俺はそこまで言って、もう一度彼女のスマホの画面を見た。


「え…………? ち、千歳。おま、それ」

「……へ?」

 

 俺の目には、先程までは入力欄にあったメッセージが明らかに送信されているように見えた。

 慌てて目をこする。もう一度目を凝らしてみても、やっぱり送信されているようにしか見えない。ていうか絶対されてるわこれ。


 千歳はおそるおそる画面を自らの方へと向ける。横から七瀬もおそるおそる画面を覗き込む。


 幾許かの、間を置いて。


「――あ、あああああああ!!! どどど、どうしてくれるんですかああああ!!!」

「ば、馬鹿すぎるだろ! なんでそもそもそこにメッセージ残してんだよアホか!」

「お、落ち着いてくださいせんぱい! な、なんとかしないと! スマホ壊しますか?」

「それだ! じゃねえわお前が落ち着け!」

「と、取り消しとかできるんじゃないかな!? け、消しちゃえば間違って送っただけって言えるし!」


 潮凪さんが冷静に言う。

 さ、さすが潮凪さんだ。

 

 告白をするのを止めるつもりはない。

 けれど、千歳が渡に告白するより前に、俺と七瀬は彼女に話しておかなければならないことがある。


「そ、そっか! ……ゔっ」


 ぱああっと顔を明るくした直後、千歳の表者はまるで苦虫でも噛み潰したようなものに変わる。


「――ききき、既読、ついちゃった」

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