第24話 萌え通り越して神
そうして迎えた翌日、木曜日。
すでに梅雨入りしたというのに、やけにからりと晴れた一日だった。
――
そもそもの始まりが、俺の友人の青山から今回の噂について聞いたのがきっかけだったと思えば、彼が同じサッカー部というのも納得だ。
決行は放課後。部活が終わり次第、青ちゃんに協力してもらってその渡を呼び出し、噂について確認するという手筈だ。
理由については深く説明せずとも、青ちゃんは二つ返事でOKしてくれた。七瀬と千歳を連れていることについては、『浮気はやめとけって』なんて冗談ぽく言われたけれど、持つべきものはなんとやらだ。
ひとまずグラウンドの側からこそこそとそのサッカー部の練習を見ているわけだが……。
「おい待て。あれか? 渡って。めちゃくちゃイケメンじゃねえか」
俺はグラウンドを駆ける男子生徒に目を向ける。身長はそこまで高い方ではないけれど、軽やかに揺れる髪の毛と人懐っこそうな中性的な顔立ち。汗をかいているというのにそれすらも彼を引き立たせる要素にさえ見えるほどだ。
「か、かっこいい……」
千歳はすでに渡の姿に見惚れている。
「七瀬、大丈夫か? あれほどの爽やかイケメンが相手とは聞いてないぞ。あんな奴が俺たちの噂流すと思うか? それも後ろをつけてきたりするようなやつには到底見えないが」
「ち、ちょっと顔がいいからなんだっていうんですか。私はもっと……」
「……もっと、なんだよ」
「な、なんでもありません。あいつは爽やかそうなふりをして、裏では噂を流す悪どい男です。私がガツンと言ってやりますよ」
大丈夫だろうか。いざ対面するとなると心配になってきた……。
「そもそも問い詰めたとして、しらばっくれられたらどうする? なにか策はあるのか?」
「しらばっくれられないくらい強気でいきます。もし違った場合は全部先輩のせいにします」
「なんで? お前の前世鬼か?」
「それに、あの人は私のことがす、好きだと聞いてます。酷い言葉でも浴びせて、噂を流したことを後悔させてやりますよ」
照れてるのか怒ってるのか分かりづらい顔で渡を睨む七瀬。まあ、酷い言葉を浴びせるということに関しては得意分野なのだろうが……。
彼を問い詰めて、もしそれが間違いだった場合はこの可能性を持ち出した俺の責任でもある。その時は、なんとかしなければ。
そんなことを心の隅で思いながら、俺たちは時間が過ぎるのを待つ。
ハーフコートを利用した練習で、楽しそうにボールを追う青ちゃんが目に映る。バットが硬球を捉える音。陸上部の掛け声。遠くからは吹奏楽部の演奏が響いている。
放課後の音だ。熱を持って広がるそれらを、少しだけ羨ましく感じつつ。
今日の晩ごはんはなににするかなあ、なんてことをふと思った。
***
「――おつかれ。渡呼べばいいんだよな?」
練習を終えた青ちゃんと、ひと気の無いグラウンドの端のあたりで合流する。柑橘系の制汗剤の香りがふわりと漂う。辺りはすっかり薄暗くなっていて、ゆっくりしている時間はなさそうだ。
「悪いけど頼むわ。ちょっと用事があって」
「ふぅん? あいつモテるからなあ〜」
青ちゃんは俺の後ろに立つ七瀬と千歳に視線を向けて笑う。お前も十分モテそうだけどな。
「あ、私千歳憂っていいます。いつも相馬先輩に……お世話にはなってない、です」
「そこまで来たらなってる風に言っとけ。なんなんだよお前は」
青ちゃんは楽しそうに笑っている。
千歳に続いて、七瀬もぺこりと頭を下げた。
「七瀬小春です。よ、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく……ななせ? あれ、七瀬小春って確か……」
なぜか緊張している様子の七瀬の言葉に青ちゃんが気付く。俺は慌てて青ちゃんに近づき、
「後で説明するから、とりあえず頼む」
とだけ伝える。仕方ねえな、と微笑んで青ちゃんは部室棟の方へと駆けていった。
「……せんぱいって、本当に友達いたんですね。しかもあんなまともな」
感心したようにつぶやく七瀬。千歳も深く共感したように頷いた。奇遇だな、俺もそう思う。
「じゃあ渡くん来るみたいなので、私は一旦逃げます。絶対に私のことは話さないでくださいよ。何かあったら全部先輩のせいです」
やべえな、全責任俺に押し付けてくるわこの後輩コンビ。
「ナナちゃん、がんばって」
ぐっ、と両手でこぶしを作った千歳は、それだけ言い残してこの場を離れる。終わるまで近くで待っておいてくれるとのことだが、果たしてどうなるやら。
七瀬は平気そうな顔をしているが、そわそわと髪の毛をいじったりしている所を見るとやはり緊張しているのだろう。
先ほどまでの熱がゆっくりと引いていった薄グラウンドは、もう静けさを取り戻していた。夕方と夜のちょうど真ん中。そんな感覚がした。
と、青ちゃんが駆けていった部室棟の方から軽快に走ってくる人影が見える。薄暗くてはっきりとは分からないが、あれが渡だろう。
とんとんとした足音だけが辺りに響いて、そうして少し手前でその勢いは緩む。数歩近づいたところで、ようやく姿がはっきりとした。
練習着のままの彼は、タオルで額の汗を拭うとこちらを見る。近くで見てもイケメン、いや美少年とでも表現した方が正しい気もする。間違いない、渡冬馬だ。
「すみません、なんか僕に用って聞い…………あ」
まず渡は七瀬に気づいて声をあげた。そして、横に立っていた俺へとゆっくり視線を移す。
「そういう、ことっすか」
渡は困ったように苦笑する。その表情すらもどこか様になっていて、一つ下の後輩だというのにやけに大人びた雰囲気を感じた。
「――どっちの件で、僕は呼ばれたんですかね?」
どっちの件で?
俺は考える。こいつが言っているのは噂を流したことについてと、俺たちが付き合っているという可能性についての二つだろうか。
噂を流したことを、認めるのか?
「どっちの件、ってのは……」
訊ねようとした俺の声を掻き消すように。
「――やってくれた、みたいですね」
七瀬が低く、鋭い声を放つ。緊張していた様子はもう微塵も感じられない。
「あなたのせいで人がどれだけ迷惑したと思ってるんですか。そのツケ、払ってもらいますよ」
威圧するような目。きっと遠くに沈もうとしている夕陽のせいだろうが、その瞳は赤くゆらゆらと染まっているように見えた。
渡の方はというと、俺ですらちょっとビビってしまいそうな七瀬にも臆することなく堂々としている。なんなんだ、こいつの余裕は。
自らの潔白示すかのような、その態度の裏にあるものを俺が探ろうとしていた時だった。
「例の噂を流したのは……あなたですね」
七瀬がはっきりと言い切った。
けれど、渡の表情は変わらない。薄く浮かべた笑みがやけに不気味だ。
ピンと張り詰めた空気の中、間の抜けたカラスの声が響く。最初に動いたのは、渡の方だった。
「あ、あああああ……!」
彼はその場でがくりと膝から崩れ落ちると、もう全てが終わりだと言わんばかりに頭を抱えて蹲る。予想外の行動に一度虚を突かれるも、俺と七瀬は顔を見合わせる。
……や、やったのか? 俺と七瀬の憶測は全て正しいものだったのか? しかし、この渡の様子を見れば――。
「…………い……すぎっしょ……!」
憶測が確信へと変わろうとした瞬間。
どこからか、絞り出すようなぼそぼそとした声が聞こえた。慌てて辺りを見回す。部室棟の方から遠く笑い声が聞こえただけで、近くには俺たち三人しかいない。
勝ち誇ったように胸を張る七瀬を横目に、俺は渡へと近づきしゃがみ込むと、そっと彼の方へ耳を傾ける。
「…………七瀬さん、可愛すぎっしょ……。マジ天使。萌え通り越して神」
………………。
……俺は真面目な顔でゆっくりと立ち上がり、七瀬の方を振り返る。七瀬は俺の顔を見て確信したようにこくりと頷いた。一体何に納得したんだこいつはと思うが、言わないでおく。
次に起こり得るであろうことを予測し、俺は何歩か後ずさる。それと入れ替わるようにして七瀬は前に出て、言った。
「どうやら観念したようですね。私もまあ鬼ではありません。今すぐ五体投地で謝罪して、噂は嘘だったと皆に……」
「――七瀬さん! マジで天使っす可愛すぎます! 生まれた時から一目惚れでした! 俺と、付き合ってください!!!」
渡は、土下座してそう叫んだ。
そして、訪れる静寂。七瀬の勝ち誇った顔は段々と真顔に変わったかと思うと、その視線はゆっくりと宙を彷徨い出す。
「…………ふぇっ!?」
どこから出たのか分からない、そんな可愛らしい声を漏らした七瀬小春と目が合う。
「……俺、一旦どっか行ってたほうがいい?」
「ま……待てぇ!」
七瀬が叫ぶ。
俺は心の中で謝罪した。
すまん千歳、長い戦いになるかもしれない。
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