金の林檎

ノストラダムスの予言が外れて十年経つらしい。僕も九歳になる。母さんも父さんもこの予言を本気で信じていたそうだ。そして二十世紀最後の日、僕という存在が母さんのおなかに宿った。コウノトリが赤ちゃんなんて運んでないよ、なんで大人たちはみんな嘘ついてるの?、と尋ねたらこの歳でませてる、と七つ離れた姉ちゃんには言われちゃった。キスで身ごもる、と姉ちゃんは言ってたけどそれなら今頃大女優は子だくさんじゃあないか。いや、この事実は知らないほうがいいかもしれない。

 目の前の蜘蛛の巣にテントウムシがかかった。大きなコガネグモが縦糸だけを踏み、獲物ににじり寄る。見たい、こいつが喰われるとこ。捕食者の牙が伸びた刹那、ごつごつした誰かの手が蜘蛛をつまみ、放り投げた。振り返ると長身の外人がいた。何故か一口かじった黄色の林檎を抱えている。

「サボりか、少年?」

本来防犯ブザーのピンを引き抜くべき状況だが、見覚えのあるその顔に興味が沸いた。金髪でジョンレノンのように髭ぼうぼう。一瞬ホームレスかと思ったが、小奇麗なワイシャツを着ている。シャツの袖で汗をぬぐい、奴は林檎をかじった。黄色だから梨かもしれない。

「今日は午前授業だったんだ。」

僕も汗をぬぐった。眼鏡に汗が滴る。梅雨明けから一週間、日本列島は夏の高揚感に満ち溢れてた。なんとなく林檎を見つめている僕に気付いた奴はそれをこちらに放り投げた。両手でキャッチすると、黒くて米粒みたいな種がすこし見えた。

「やるよ。その林檎。」

発音はいいがなんだかへんな抑揚だ。日本育ちじゃあなさそう。ブランコの上でにやにやしている。

「おじさん、なんていうの?」

「アダムって呼んでくれよ、少年。君は?」

「金木龍太、小学三年。リュカって呼ばれてる。」

サングラスの奥の瞳は緑色。怪しげにほほ笑んだ長身の外人は手で自分を仰いだ。僕は手のひらの上で林檎を転がしながらどこでこいつを見たのか思い出そうとしていた。シャツにプリントされた自由人の三文字は、間違いなくこいつが変な奴だという証拠だ。

「本名は?」

「ない。理由は秘密だぜ。」

俄然興味が沸いた。こいつの正体僕が解き明かしてやる。

「飲み物でも買おうじゃないか。俺もさ、暇なんだ。」

「サイダーでいい?アダム。」

「風流じゃあないか、リュカくん。この町にくるのも久しぶりだ。」  

駄菓子屋に向かう。ほんとは寄り道は駄目だけど、この際こいつのせいにしてやる。歩幅をあわせてくれるあたり、もしかしたらいいやつなのかもしれない。

「お!ここか!」

「知ってるの?」

頷く彼は楽しそうだ。

「トメばぁ、いるー?」

「いるよぉー龍太かい?」

「うん。今日は付き添いもいるんだー」

ぬっとあらわれたしわだらけの店長は滅多に開くことのない瞼を見開きしりもちをついた。

「なんであんた、え???え?」

「トメちゃん久しぶり。サイダーあるかい?」

「あるけどさぁ….」

トメばぁは納得いかないという表情で裏口のほうへ向かった。二人に何かあったのか気になるけど尋ねたらいけないことかもしれない。この寂れた店はトメばぁ一人で守ってきた。ここで万引きしようとする悪ガキはいない。アダムは懐かしそうにおもちゃを眺めていた。

「リュカ、俺が奢るよ。」

「うん、さんきゅ。」

アダムが小銭をカウンターに置き、トメばぁから瓶を二本受け取る。

「トメばぁ、毎度!じゃあ行くぞリュカ、俺んち。」

「ええ!?」

驚く僕の手を引き、アダムは駆け出した。

 妙な高そうなマンションの前でついに立ち止まった。息が切れ切れになりながらも尋ねた。

「もう意味わかんないよぉ僕。トメばぁと何があったの?君は何者なの?これ誘拐?仕事なにしてんの?」

睨みつける。奴は高笑いしていた。

「まぁ来いよ、ヤングメン。」

大変綺麗な発音にさらにイラっとした。エレベーターの中でもアダムはまだツボっている。グイっと奴のつま先を踏んだ。また笑い声が大きくなった。僕は防犯ブザーのひもに手を伸ばし、この犯罪者をいかにして法廷で裁くかを考えていた。

 変人は部屋も変だった。どこかのお土産であろう怪しげな面、大量のミニ四駆、壁に立てかけられたバイオリン、大量のモニターのついたパソコン、たくさんのピンが刺さった世界地図、著名な有名人とのツーショット写真。変人、で片付けられないヤバいやつのヤバい部屋に僕はいた。ワイングラスに注がれたサイダーを奴は差し出してきた。乱暴に受け取りそれを飲み干す。

「最高の飲みっぷりだな。乾杯。」

グラス同士のぶつかる音が快い。扇風機のよく当たる位置に動く。ふかふかソファーで足を延ばす。蝉がせわしなく鳴いている。ばあちゃんが好きそうな風景画が飾ってある。氷でキッンキンに冷えたサイダーは最高だった。

「ベイゴマやろうぜ少年。パーツは貸してやる。」

僕は頷いた。大人気ベイゴマ玩具をこのいい歳したおっさんがやってるのか?棚からどでかい箱を取り、大理石のちゃぶ台の上に置いた。僕は思わず唾を飲みこんだ。全機体全パーツ全部揃えてやがる。最弱と名高いトライペオ、超レア限定版ユニコルノなどなど全部。大人買いどころではない。一番好きなカスタムでランチャーとコマを手に取り、奴の機体を見る。ボディーはトライペオ上部パーツ、最弱シャフト、初期ボトム。なめてんのかこの髭野郎。勝てるな。  勢いよくトリガーが引かれた。素晴らしい軌道で僕のファブネルが奴のトライペオを吹き飛ばした。まずは一本。余裕だろう。二戦目。アダムの手つきがおかしい。変なポーズでランチャーを持つと、とんでもない勢いで奴の機体が発射された。  そこからは何度やっても完敗だった。あのトライぺオを使いこなすなんて。

「意味不明だよ…..あり得ない….あんなでたらめシュート。」

「また来た時教えてやるさ、少年。」 五時のサイレンが鳴った。そろそろ帰ると彼に告げた。ニヤリと笑う奴は、ものすごくかっこよかった…..

 僕はチャイムと同時に席を立ちあがり、下駄箱へと向かった。瞬時に靴を履き替えると一直線にアダムのいるマンションに向かった。もしかして今日はあいついないかもと思ったけど、いた。ニートかもしれんぞこのおっさん。下校から三時間、僕は遂に必殺シュートを習得した。しかし奴の用意した新たな戦術はことごとく僕の新技を破り、あの高笑いだ。例のシュートを奴の小指にお見舞いしてやった。少し涼しくなってきたと思ったらまっくろな雲が空を覆いつくしていた。

「こりゃ大シケが来るね。親御さんに連絡しといたほうがいいかもな。」

「いやーそんなに降らないんじゃない?」

が、奴の予言は当たった。大雨で外も歩けない。電話を借り、母さんに帰るのが遅れると伝えた。シャワーを借りた。女物のシャンプーが置いてあった。このダメ男にも恋人がいるのか?髪を拭いているとその本人が帰ってきた。僕の担任のみどり先生が。もう滅茶苦茶だ。どうなってんだこいつ。  僕の同級生にもファンがいる美人教師。付き合い始めてはや七年になるらしい。おっとりしていてどこか色気のあるそんな理想的な女性。家で花とか愛でてんだろうなぁという親友の願望とは裏腹に、みどり先生は楽しそうにミニ四駆をカスタマイズしていた。彼をあんた呼びしていた。アダムの本名はなんなのだろうか。今日は帰れそうにない。先生は母さんに電話をかけてくれた。今日はアダムんちにお泊りだ。僕は、最高の夜を楽しんだ。  翌日、アダムは僕に洗濯された制服と一緒に古びた本を手渡してきた。先生の車に乗って登校。車の中で僕はその本を眺めていた。星の王子様。彼の友人が書いたものらしい。が、最後のページに書いてある出版年数には1943年と書いてあった。しょーもない嘘つきやがって。先生は何もなかったように授業をしていた。昨日の夜の出来事は誰も信じちゃくれないだろう。休憩時間が始まり本の続きを読む。くやしいがとても面白い。

「ねぇリュカくん、それキミも好きなん?」

僕はぎょっとした。相原静香。好きな子に話しかけられて僕は動転しながらもアダムに感謝していた。

「これ、借り物なんだ。面白いね。」

セリフはすらすらでてくるけど、僕の顔は真っ赤だ。教室のなかで二人っきりなのに気付いた。相原の短くてきれいな髪と魅力的な褐色の肌。にっこり笑った彼女の笑顔を見て、絶対に僕だけのもんにしてやると思った。廊下からみどり先生が覗いている!?相原は気付いてなかったけど。みどり先生はグッドサインを出し僕にウィンクした。絶好のチャンスが到来した。勇気を出し、前から練習していたセリフを、伝えた。

「今度、図書館一緒に行かない?」

相原の綺麗な目が見開き、少し彼女の眼鏡を撫でると頷いた。

「おすすめの本教えて….あげるね?」

僕は机の下でガッツポーズ。廊下のみどり先生は思わずやったと漏らしてしまった。相原の頬が林檎みたいに真っ赤になった。

 僕はアダムの家で星の王子様を読み終えた。今日あった出来事を伝えた。にやにやした奴は言った。

「青春だねぇ…..少年。」

奴は星新一の本を取り出し僕に持たせた。

「次はこいつだ。読めば読むほど大物に近づくのさ。」

僕は小物が何を言ってんだいと思いながら表紙を見る。気まぐれロボット。そんなタイトルだった。そしてアダムはルンバのスイッチを入れた。  ニュースでは二十年前のVTRをながしていた。母さんの焼いためだま焼きをパンに乗せ、テレビを眺めていると信じられないものを見つけた。アダムがいる。今のままと全く同じ。奴の正体はヴァンパイアかも?もはや正体がなんであれ不思議ではない。今までの出来事を思い出しているといつも間にかご飯を食べ終えていた。銀のフォークを取り出しランドセルに入れ、学校に向かった。  アダムと出会ってそろそろ二週間だ。いままで分かったことは、フォークは効果がないこと、一番好きなドラクエは5らしいこと、みどり先生も会う前の奴のことはさっぱり知らないこと、奴はトランクス派らしいこと、恋愛経験豊富らしいこと、トメばぁと接点があるらしいこと。どれも真相に関係はあるが、まだヒントが足りない。ドラクエはないけども。ちなみにビアンカ派らしい。思い切ってアダムの謎についてのことを相原に相談してみた。逆家庭訪問作戦、と名付けはしゃぐ彼女は大変かわいかった。

 夏休み前最後の土曜日、インターホンを鳴らすとみどり先生が出てきた。アダムはそうめんを作っているらしい。

「多く作りすぎて困ってたの。来てくれて嬉しいよぉ。」

「ありがとせんせ。お邪魔します。」

づるづるづるづる。みな勢いよく麺をすすっている。コシ、つゆ、細さ。どれも最強。さっきまでよくしゃべっていた女性陣も口数がめっきり減り、よそうことに集中しきっている。相原もマジだ。あっという間にざるの中は空っぽ。アダム麺の魔力に皆憑りつかれていた。うまい。  先生と相原は服を買いに行った。アダムがトイレに行った隙に例のモニターだらけのpcを覗いた。沢山のグラフと企業名。円安ドル高、株はいくら。上場企業はこれ。奴の収入源はなんと、株だった。凄まじい勢いで利益が出ている。多少の降下はあるものの、利益グラフは右肩上がりだった。全世界リーマンショックで大混乱なこの時期にもかかわらずこんな高そうなマンションに住んでいる理由がやっとわかった。

「見たなあ?」

ぎょっとした。見られていた。

「見ちゃったごめん。」

大人しく謝るのが得策だろう。軽くげんこつをくらい、アダムはため息をついた。

「許す。」

そしてすぐにニカっと笑った。おもむろに冷蔵庫から例の黄色の林檎を取り出すと床に落とした。

「不思議だよな重力って。信じるか?少年。」

「うん、だって学者さんがそう言ってるもん。」

「それじゃあダメなのさ。」

「どういうこと?」

「ほらよ、これ。」

彼は古びた本を手渡してきた。タイトルは、モモ。

「帰ったらそれを読んでみろ。本の魅力はな、他人になれることなのさ。」

「はぁ?」

「人が人として成長するにはな、思想が磨かれなきゃいけないんだ。育て方はひとそれぞれだ。他人と触れ合う、映画を見る、ひとりで黄昏るのもありさ、ゲームもいい。一番いけないのは餌を待つ動物になっちゃいけない。主人公はいつだってお前だし、レベルを上げてくれる他人はいないよ。自ら剣を、バットを、ペンを、桑を持って戦いに行けるやつこそが、凄いんだ。予言なんて待っちゃいけないし、政治家の演説だって常に疑え。主語はいつだって自分にするよう動くんだ。」

僕は目の前でかき氷を食べている男の話に夢中になっていた、日が暮れて相原が帰るまで。いろんな世界を回った彼はそこで出会った沢山の友人について話した。ベアリングを発明した絵描き、カリスマと度胸で毒を制した将軍、コカインに依存した哲学者、英語が喋れないのに渡英した作家。沢山のお土産の中には興味深い歴史的遺物もあった。なぜこいつが持っているのか。

 商店街で集合時間の三十分前から待ち合わせ場所で相原を待っていた。そしてやってきた彼女の純白のワンピースに目を奪われた。僕は、そのきっかけとなったアダムと先生に感謝していた。図書館に向かう道中、彼女にアダムから聞いた彼の友人の話をしていた。楽しそうに聞いてくれている。が、彼女は何か思い出したらしく立ち止まった。

「その作家、漱石よ。思い出した。ありえない、だってもう彼亡くなってるもん。しかも、ベアリング作ったの、ダヴィンチじゃん。」

うーん友達だったというのは嘘だったか。少し落胆。図書館についたら相原からおすすめの伝記を教えてもらった。そして、アダムの友人というのは、もう数十年も前に亡くなった偉人ばかりだという事を知った。僕は騙されたのだ、でもそんなに悲しくはならなかった。どうでもない嘘ばっかりだったからだ。それよりこの状況に感謝していた。大量の本を読破し、図書館を後にした。  マンションの前でアダムが先生と口喧嘩しているではないか。僕らは息を殺しつつ物陰から様子を伺う。別れ話らしい。先生のビンタで僕は思い出した。なぜ彼を見たことがある気がしたのか。しばかれたときの横顔がレオナルドダヴィンチの描いたアダムの創造のアダムそのものだったからだ。  そして、尋ねた。

「なんでダヴィンチの絵と同じ顔してんの?偉人が友達だって話、嘘でしょ。」

アダムはとても悲しそうな目で答えた。

「気付いちまったかぁ….」

「え?どういうこと?」

みどり先生は自分がビンタしたくせに面食らった顔している。

「俺な、死ねない体だったのさ。みんなほんとに友達だったのさ、みんな死んじまったけど。」


トメばぁは昔の恋人だったこと、ダヴィンチの絵のモデルにだったこと、昔のビデオに映ったこと、もともと貧民街の子で名前がなかったこと、病気で死ねなかったこと、あと数日で死ぬこと。老化しない特殊ながん細胞に彼の体は蝕まれている。そしてついにその限界が来たと診断された。

「やっと死ねるんだ。故郷で死にたい。」

ローマ行きの切符を見つめたたアダム。先生は声を上げて泣いていた。

「もう十分生きたさ。」

そういつになく真面目なトーンで吐き捨てた彼の目は潤んでいた。自分も泣きそうなのを隠すように先生を抱きしめている彼を見て僕も相原も涙を、流した。

「本棚にある本はお前に全部譲るよ。三番目の棚の一番端の一冊はお前が大人になった時読んでくれ。あとさ、お前はきっと、ナポレオンやチンギスハンにも負けない大物になれるぜ。」

声が出ない。今こそいつもみたいに皮肉を言うタイミングなのに。ひぐらしだけが、元気に鳴いていた。

 あれから十三年たった。相原の苗字は僕と同じものになった。先生と僕らはローマのひっそりとした墓地に花束を添えた。あいつの遺産はすべて僕らの母校に寄付された。先生も後悔はないらしい。最後の本のタイトルはアダムの林檎だった。一度金の林檎の味を覚え、それに憑りつかれた男は最後、母親の育てていた普通の林檎を食べ正気に戻る、というストーリーで著者は、言うまでもなく奴だった。

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