短編集

風来坊

奪趣

 小汚いアパートにも夕陽が差し込んできた。305号室の住人、Aは杞憂していた。短い休日もあと数時間で終わる。つけっぱなしにしていたテレビから日本に住まう誰もが嫌悪するであろう最悪のbgmがながれてきた。ため息をつく彼もまた、サザエさん症候群患者の一人であった。


 ここでAがどんな人物か説明しておかねばなるまい。ブラック企業勤務、独身。多趣味だが、どれも中途半端で、社内でもパッとしない男である。が、人一倍臆病でどんくさい彼には唯一の長所といえるものがあった。人の顔を伺う事である。他人からは覚えられないくせによく他人を覚える、そんな人間なのだ。この意地汚い生き方に嫌悪感を覚えた者は多かったがたいがいはもう彼のことなんて忘れていた。話を戻そう。


彼はふたたびため息を漏らす。彼は無神論者だった、駅前の宗教勧誘の手を払いのけたことがあるほどの。だが藁にもすがる思いで、棚に雑に飾られたいつか買った仏像を拝み、呟いた。


「僕を、増やしてください。」


薄気味悪く不細工に仏像は微笑んだまま。やりたかったことは山ほどあったが、ぼーっとしているうちに日が暮れてしまった。そんな彼のまっすぐな願いだった。


 青白い火花が部屋中に飛び散る。今や彼は、彼らとなった。




 各々の額には入れ墨のようなものが彫られていた。美食、掃除、裁縫、ゲーム、読書、ネットーカー、プラモデル…..ざっと三十人はいた。悪趣味なもの、無意味なものなど多種多様だったが、皆瓜二つだった。そして全く同じ顔、ポーズ、声色で一斉に小さく悲鳴を上げた。


 長い沈黙を経て、ついに読書と彫られたAの一人が口を開いた。


「….なんだこれは。」


状況を把握せねば、と皆考え、リビング真ん中の鏡で己の趣味を確認した。


「この仏像の力なのか?」


訝しげに裁縫が言う。


「信じられんな。」


美食が腕を組む。


「どうすればいいんだ…..?」


「よくわからんが己の趣味を全うしよう。」


全員がせわしなく動き始めた。不思議なことにインドアものばかり。部屋の中の彼らはいつ終わるかわからないこの現象を目一杯楽しもうとした。携帯ゲームの効果音、掃除機の吸引、映画のセリフ。あらゆる音が狭い部屋で暴れる。


 そして間もなく、顔を真っ赤にした隣人がノックをした。Aはみな慌てたが、代表に選ばれた掃除が部屋の鍵を開けた。


「うるせぇ!」


そう叫んだ隣人が自分の部屋に戻っていったのを確認し、胸をなでおろした後再び趣味を始めた。ゲームは機械にイヤホンを指し、掃除はダイソンをしまい雑巾に変え、映画はテレビの音量を下げた。あたりが暗くなり始めたころ、掃除の顔は曇り始めた。美食の放置した皿、読書の積み上げた本、プラモが広げた新聞紙。バチっとした音とともに料理と読書の積み上げた小説の間に電気らしきものが流れた。驚き立ちすくむ料理。ゲームが掃除のもつ雑巾に手を伸ばすと再び電気。


手を抑えながらゲームは言った。


「他の趣味には干渉できないんだ….」


 それぞれが離れた位置で趣味を始めた。掃除は細心の注意を払いながらウエットティッシュを使っている。音楽がボレロを奏でる。繰り返す戦慄にうっとりする一同だった、イヤホンを付けたゲームを除いて。時刻は7時。先ほどまでおやつを作っていた料理が本業を始めた。そろそろ晩御飯だ。今回は大変多めに作っている。友達といえる友達がいないA達は久しぶりの大勢での食事をほんの少し、楽しみにしていた。


 読書が最後の本を読み終え立ち上がる。タイトルはジキル博士とハイド氏だった。そして棚からナイフを取り出し、DIY、プラモ、音楽を刺した。皆たじろいだ。唾を飲む音があちこちで聞こえる。青白い火花とともに三人の死体が消えた。読書の額にDIY、工作、音楽の文字が浮かび上がる。工作の使っていたカッターを手に取った読書は叫んだ。


「やっぱ奪えるんだなァ?趣味はよォ。」


勘のいいAはみな気付いた。全員殺せた奴がオリジナルになれる。臆病でどんくさくてパッとしない彼らは、それと同時に人一倍傲慢で強欲で愚鈍だった。全員瞬時に武器を手を取る。戦いの火ぶたが切って落とされた。


 逃げ回る裁縫、机でバリケードを張るゲーム、ほうきを振り回す掃除。次々に火花があがる。部屋の人数が減り始めた。他趣味に干渉するものには電気が流れる、このルールがいけなかった。料理は食器を投げ、プラモを奪った読書はモデルガンをぶっ放す。一定以上のダメージを食らったものから消えていく。裁縫が腕を左右に振ると立ち上がっていたA全員に電気が流れた。刺繍糸を逃げながら仕掛けていたのである。


 騒音で目覚めた隣人が再びノックをしようと靴を履いたころにはAはもう残り数人になっていた。裁縫、読書、作図だけが部屋で立っていた。作図が床に落ちた包丁に手を伸ばそうとした刹那、読書のモデルガンが火を吹いた。高笑いする彼はまさにジキルであり、ジャックザリッパーであり、ジルドレェだった。音楽から青白い火花が上がる。目をくらました読書の隙を付き、最後の詩集糸で彼を縛る。遂に決着が着いた。


 隣人に平謝りを済ませた裁縫だったAは鏡に残り続けている文字の意味を考えていた。


これは消えないのか…..。服を脱ぎ浴室に入る。鏡に映る自分を見ながら今日の出来事を思い返していた。あの仏像いつか捨ててやる。そう考えていた。ん?鏡に変な文字がある?いや、僕の腹に彫られている。‘冷’の一字。が、彼は隠されていたルールを見つけた。分けられていたのは僕の一面と趣味なのだ。おおかた読書には狂、だったのだろう。


 穏やかなため息をつき、布団に潜った。勝ったのだ。僕が。瞼を閉じ眠りについたA。虎視眈々とすべてを見守り、考察し、隠れていたものはゆっくり静かに押し入れから出て、何も言わず、裁縫を刺した。額に、人間観察。腹には、無。そう彫られていた最後の一人はかりそめの勝者からすべてを奪いほくそ笑んだ。


 305号室での滑稽で愚かなひとりデスマッチを見届けた仏は大きくため息を吐き、天へと昇って行った。

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