第9話 真相

一月後――—。

記者会見中の脳卒中で他界した鍋島行正は、被疑者死亡の略式起訴にとどまった。しかし、あの記者会見は鍋島の輝かしいキャリア、その晩節に汚点を付けた以上に、鍋島家の負った社会的ダメージは大きかった。帝都電力はスポンサーに就こうにもマスコミ各社からも嫌われ、社員はその名刺を渡した瞬間、拒絶の感情を抱かれ、子供は学校での苛めに遭った。結果、経営陣の鍋島家にその批判は向き、SNS上でも一族への非難がやまなかった。息子の経済産業大臣、鍋島幸一郎は大臣の職を辞し、次期衆議院選の出馬を見送った。


「その後、どう? …君だって一番の被害者だものね」

鍋島亜子は久方ぶりに東出優馬と再会し、落ち着いた気持ちで夜景が見渡せるホテルの一室で、肉体を交わらせた。優馬は優しく、凌辱の恐怖と、恥辱に震えた記憶を癒すかのようなSEXを愉しませてくれた。バスローブに身を包み、ベッドに並びかけながら余韻を楽しみながら、言葉を交わす。再会直後は申し合わせたように、今回の事件の事は口にしなかった。タブーに触れるかのような気持ちから、だ。

「いいえ、優馬さんだって災難だったでしょう。私がさらわれた責任を負わされたみたいで、ほんとに申し訳なく思っています。」

亜子は折り目正しくお辞儀し、詫びた。

「お爺様のこと…気の毒に思っているよ」

優馬は瞳を伏せた。

「鍋島のお家も随分、世間様の厳しい目に晒されているわ…でも自業自得、よね」

亜子は少し自虐的に微笑んで見せた。


亜子を捕らえ辱めを加えた宇佐美達ホームレスは、咎を受けなかった。無論、亜子の凌辱という『恥部』が表沙汰になっては困る上級社会のルールによる忖度、だ。彼らは鍋島が肉体的にも社会的にも抹殺されたことを確信したのか、亜子を潔く解放した。その後の行方は分かっていない。

「でもね、あの記者会見でお爺様はついに、宇佐美が望んでいた事の真相はお話にならなかったよね。事故当日、鍋島氏はなぜ、すぐに救急にも連絡せず、姿を消したのか、そしてなぜ戻ってきたのか…それだけは僕も疑問なんだ」

それは多くのマスコミも真相を取材しているが、ようとして知れず闇の中に隠された部分だ。が、その真実は孫娘の口から明かされることとなる。

「わたしね、おじいちゃまにはほんっとに可愛がってもらったの。子供のころから、欲しいものは何でも買ってくれた」

亜子がどこか悪戯っぽい表情を浮かべる。


「今回の事で内定取り消しになっちゃったけれど、女子アナになりたいからってミスコンに出場した時、マスコミ各社に掛け合って票を集めてくれたし、TVの大学生特集で出演させてもらえたのも、おじいちゃまのおかげよ」

優馬が言葉の真意を測りかねたように、綺麗な亜子のどこか後ろめたい邪な微笑を作った美貌を見遣る。

「あの事故はね、本当は私が起こしたの。車を運転していたのは私なの。そこの厚いブーツがアクセルペダルと床の間に食い込んでしまって…。ブレーキを踏むことができなくて…。慌ててしまったから、余命アクセルを踏み込む格好になって、あんな事故になっていまったの。おじいちゃまは待ち合わせしていたデパートにいただけ。私の身代わりになってくださったの」

亜子は少々、祖父を庇うような声音に変えつつも、自分の非を認めまいとする、いや、理解できてすらいない表情を浮かべて続けた。

「監視カメラには私が車から降りる様子が映っていなくて、おじいちゃまがデパートから出てくる様子だけをマスコミも映し出した。それもおじいちゃまがマスコミを動かしてくれたんだけどね」

「君は…」

優馬は言葉を失う。


「おじいちゃまには申し訳ないって思ってます。でもね、おじちゃまが生前言っていたことがあるの」

亜子はもういっぱしの悪女――――いや自分の所業を悪事とすら感じていないあどけなさが毒気を含んでいるように見えるだけかもしれない―――—の表情で優馬を見つめる。まるで恋人への告白をするかのように、だ。

「世の中には二種類の人間がいる、って。尽くす人と尽くされる人…。鍋島の家に生まれたお前は尽くされるべき人間だ、って。だから尽くす側のために人生を犠牲にしちゃダメなんだって思ったの」

亜子は微笑む。

「それとね、こうも言っていたわ。世の中って条件をクリアした人だけは、どんな無理でも押し通せるって。偉い人ってスピード違反で捕まることがないでしょ? だって全部お咎めなしってことになるから。交通違反のもみ消しができるってことは、この事故だって例外ではないはずだわ?」

亜子の活舌は滑らかだ。祖父以上に、選民意識に凝り固まった言葉がすらすらと口をついて出るのを、優馬はただただ見つめていた。


「私には未来があるの。その他大勢の人々とは違う、特別な未来が、ね。鍋島の家は傷物になっても必ず再興できるわ。日本の社会って血統や家柄が大事だから。その鍋島の家の娘がホームレスを轢いたくらいで人生を終わった、なんてバカみたいな結末って考えられる? 私が人生を棒に振れば、困る人は大勢いるの。死んだ浮浪者の中には身元すらわからない奴もいるって聞いたわ。生きていても価値のない世捨て人と、私の人生の値段が同じはずないでしょう?」

このひと月、さんざん生家をマスコミや国民に罵られ、足蹴にされた鬱憤を吐き出した亜子は、悪態を取り繕う様に可愛らしい貌を作ると、恋愛感情の片鱗を抱いた男に唇を重ねた。

「亜子ちゃん…良く告白してくれたね。辛かったろう。勇気を出して僕に全てを打ち明けてくれたことを感謝するよ」

実のところ、この真相を知る者は事件の関係者でもう一人いる。宇佐美だ。あのハードなSEXに溺れた亜子は、フィニッシュをせがむあまり、真相を自白してしまっていたが、そのことを優馬に白状するほど亜子は愚かではなかった。あくまでも、事の顛末を話したのは、優馬を信頼していたためだ。が、そんな彼から逆に衝撃的な告白を受けることとなる。


「実は僕も君に話しておきたいことがあるんだ」

優しく抱き留められ、またも甘い感情が蘇る亜子。女芯が火照り、バスローブの下で乳首が屹立してくる。すべてを告白し、秘密を共有する同士のような感情と、思うがままに世事を支配できるかのような錯覚が、恋心を昂らせた。が、愛の告白でもされるのかと期待した優馬の声は、囁くほどに小さいが身が凝るほどに冷たい。

「君が轢き殺した身元不明の名もなきホームレス…。実はその人、僕の叔父なんだよ」

「…!!」

亜子ははっとなる。優馬の伯父は浮浪者として亡くなったと聞いた記憶が今、蘇る。


「叔父があの暴走事故で亡くなったことを知った時、その真相を確かめたくなった。付近のホームレスに聞いたら、車を運転していたのは男ではなくて、女だったという目撃証言がいくつも聞けた。だから、真実を追求するため宇佐美さんたちと僕は、共闘していた」

「あの人たちグルだったの、優馬さん?」

亜子は躰を放そうとした。が、優馬の強靭な腕力は、亜子の華奢な肉体を逃さない。

「ああ、だから鍋島の経歴を調べ上げて、君の存在を知った。ミスコンに出場しようなんて浮ついた女だと思ったけれど、貧困問題に興味があるなんて言うから見どころがあるなと思った。NPOを起ち上げた時、あえてマスコミ志望の君にアプローチもしたら簡単に誘いに乗ってきたから意表を突かれた思いだったよ。たんなる尻軽女だったけれどね」

亜子の肢体から熱気が失せてゆく。自分こそ謀略の鍵を握っていたと思いきや、優馬の策略に嵌っていただけだった。


「宇佐美さんが君を解放した理由。それは僕の耳で君の口から真相を話させるためだったんだよ。自分で真実を聞き届けろって」

淫靡な性的いたぶりに屈した自分の気恥ずかしさすら、今は感じるゆとりがなかった。

「贖罪の気持ちどころか、自分の肉親を犠牲にしても己の保身にひた走る、浅ましくさもしい女だ、君は」

静かな、それでいてゆるぎない審判の言葉。それに動じる間もなく亜子は、首筋に走る冷たい鋭利な刺激に瞳を見開く。

「生きている価値がないよ、お前は」

優馬は手にした果物ナイフを、亜子の頸動脈を横断するように振り抜いた。

「消え失せろ、上級国民とやら…」

優馬の言葉を聞きながら、亜子は自らの血飛沫が夜景を映すガラスに飛び散る様子を目の当たりにした。が、その無残な光景すら視界からフェードアウトし、痛みすら遠のく。やがてぐらりと肢体が揺らぎ意識を喪失していった――――—。【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

taboo ~~新宿暴走事件~~ 外道 @kokuzoku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ