着ぐるみの姿は私が予想した通り観覧車のほうに向かっていく。私はその五メートルほど後ろをついて歩いて行っている。すぐに制圧しに行くことはできない。気づかれないように制圧することそのものはできると思う。着ぐるみの中は音が聞こえにくいから、背後をとって一発撃ち込めばそれで終わる。でも、処理が終わった死体の処理に手間取ってしまう。最悪の場合、処理だけして逃げてしまうつもりだが、できれば誰かの助けは借りたい。

「ルークより各員。すべての着ぐるみ担当者の確認が完了した。先ほど拘束されていたやつを除いた全員の所在を確認。クイーンの目の前の着ぐるみは確実に偽物だ」

「こちらビショップ。クイーンの現在位置から最も近い関係者出入り口を抑えた。処理後はそっちに向かって」

「ナイトよりクイーン。現地に合流。他、ポーンを一名連れました。移送手筈は整っています」

 そういう時に頼りになるのが仲間だということを、私は嫌というほど知っていて、こんな時でも笑ってしまいそうになる。

 そう、実際は笑わなかった。笑えなかった。右手に握った拳銃の重さがそれを許さない。その冷たさが私に最適な行動をとらせる。今の状況で自分が最もとるべき行動は、笑うことではない。

「クイーン了解。三十秒で終わらせる」

 息を吸って、駆ける。

 一歩、音は立てない。

 二歩、見つかることもない。

 三歩、着ぐるみの背後に立って、息を吐いた。

 そのまま左手で着ぐるみの頭をずらし、右手をねじ込む。中身の人間が何か気づいたようだが、もう遅かった。

 聞きなれた乾いた音は着ぐるみと喧騒がかき消してしまって、聞こえることはなかった。

 占めて二十七秒。宣言通りに処理が終わって、そのすぐ後に、係員の制服を着た男が二人やってきて、着ぐるみが崩れ落ちる前に支える。

 そのうち一人の、大柄なほうな係員の姿を上から下までじっくり見る。

「来てくれてありがとう……なんでそんなもの着てるの、ナイト」

 明らかに似合わない、というかサイズすら微妙にあっていない制服を着たまま、ナイトはため息をつく。

「仕方ないじゃないですか。子供にソフトクリームをぶつけられたんです」

 それでしばらく通信から離れていたのかと納得する。しかしそれで係員に扮することになるなんて、なかなか考え物だ。

「あとはこちらでやります。これですべて終わりでしょうから、クイーンは観覧車にでも乗ってきてください」

一転、穏やかな笑みを浮かべたナイトは、そのまま係員口のほうに向かって行ってしまった。

 そこでようやく周囲に目を向けたが、誰一人としてこちらを向いていない。誰もかれも、自分の日常を生きるのに忙しくて、横で誰かが死んだとしても気づかないのだろうか。確かに気づかれないように素早くすましたし、崩れきる前に係員風の何者かが現れたのだから関心は低くなるのかもしれないが、さすがに関心が無さ過ぎじゃないだろうか。

「ご苦労さん」

「お疲れ様です。さすがクイーンですね」

 通信が入る。片方はほとんど同じ口調で、もう片方は完全に切り替えが終わっていて、どこか楽し気な声に戻っている。その対照的な態度がすこし可笑しくて、少し笑う。

「え、鼻で笑った? 今僕鼻で笑われました!?」

 気づかれたかと、今度は舌打ちで応じる。正直平常運転をしているときのビショップを相手取るのは非常に面倒くさい。

「うっさい」

 その気持ちが思いっきり前面に出てしまって言葉が先走ったが、でも言うべきことは言わないといけないからと、息を少し吸う。

「ルークもビショップもありがと」

 いつも通りの習慣だ。任務が終わったら感謝を伝える。それだけのことだけど、とても大事なこと。いつから始めたのかは忘れてしまったが、最初からやっていたような気もする。

「え、何ツンデレ? これが噂のツンデレですか!」

「黙れビショップ。任務終了直後くらい静かにしろ」

 いつも通り騒がしいビショップと、それに突っ込むルーク。とはいえ、言葉とは裏腹に笑い声が中に混じっていて、やはり口元が緩んでしまう。案外自分は、この空気感が好きなのだったと、後になって思い出す。たいていそういうことは、なくしてから気づくものだ。

「そうだクイーン、どうせしばらくは時間が余ってるから観覧車にでも乗っていけ」

 ナイトと全く同じことを言われて、何か気になって頬を膨らませる。私を一体何歳だと思っているのだ。

 そして全く別の意味で今度はビショップがわめき始める。

「クイーンだけですか! 僕も休暇が欲しいです!」

「おまえはダメだ。ちゃんと後片付けを手伝え」

 私だけ子ども扱いかよと、インカムが拾わないくらいの小声で言う。余裕が出たからか、迷子センターに富永雄吾をやったことが少し無駄になったなと、全然合理的じゃない思考が頭の中に湧く。どうせなら母親の様子を見に行くかと、足をそちらに向けた。

「ええ、僕だってナイトとメリーゴーラウンド乗りたいですよ!」

「なんで男二人なんですか……あと、自分を巻き込まないでください」

 いつの間にかナイトも戻ってきていたようで、げんなりとした声が聞こえる。最初から最後まで、詳細は知らないが、一番踏んだり蹴ったりだ。

「いいじゃん、いいじゃん……あ、すみません」

 ビショップがはしゃぎすぎたからか誰かにぶつかったらしい。硬いものが地面に落ちる音がしたから、清掃員の人とぶつかったのだろうか。そのあと紙やビニールの擦れる音が聞こえる。これは相当ぶちまけたらしい。

 もうこらえきれず声を出して笑ったその時、明らかに空気が変わった。

「なんだこれ……」

 ほとんど聞けないはずのビショップの動揺した声が、またインカムから流れてきた。次いでコードを引きちぎるような音と、駆けだす音が聞こえて、仕事終わりの余韻が完全に消えた。

「ビショップより報告! うちの制式爆弾があった!」

 入れ替わりで場を支配したのは、私たちの動きを完全に止めさせるのに十分だった。

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