「お姉ちゃんどうしたの?」

 しばらく黙っていたからか、あるいは険しい表情をしていたからか、富永雄吾が怪訝そうな顔をしてこちらを見てくる。あいまいに笑ってごまかすが、状況はそこまで悠長にやっていられない。

「クイーン、お前は他のメンバーが合流するまで追跡しろ」

 浮かべた笑顔がゆがみかける。自分が真っ先に対応できるのにどうしてという疑問がすぐに浮かんだが、ここでそれを話すわけにもいかない。

 そしてその考えを読み取ったように、ルークが諫めてくる。

「気持ちは分からんでもないが、お前は今、一般人を保護している真っ最中だ。合流までの追跡は必要だが、本当はそれさえ危険だ。無茶するな」

 言外に自分のやったことを咎められている気がして、すこし気分が沈むが、それは事実だ。流石に感情的になりすぎた自覚はある。

「対象を目線に入れながら観覧車を目指せ。そこで母親と合流させてから、こっちに戻ってこい」

 返事を待たず、通信は切れた。現実的な案だが難易度の高いことを要求してくる。相手の目的地は不明で、下手したら観覧車へ向かう道筋から大きく外れる可能性もある。そういうわけだったから、私は着ぐるみがどこに向かおうとしているのか改めて確認しようとして、そこで気づいた。

 どうして着ぐるみは、私たちが向かおうとしている方向に足を進めている?

 血の気がサッと、音を立てて引くような気がした。今度こそ、浮かべていた笑顔が崩れた。

「……お姉ちゃん?」

 呼びかけてくる声が聞こえない。視界が揺れる。何か言わないといけないのに、今ついてしまった想像が、私の動きを凍らせる。そんなの、最悪中の最悪じゃないか。

 自爆テロの具体的な実行場所はこの遊園地の中のどこかというところまでしか特定できなかった。しかし、誰もいない場所で爆破しても意味がない。それが何かしらの主張のためのパフォーマンスであれ、犠牲者を出すことそのものだったとしても、人が集まっているところで行わなければ意味がない。

 そして、この付近で今、最も人が集まっているのは、観覧車の順番待ちの列だ。

(ここで追いかけて捕まえる? でも大事にしてしまったら秘密裏の処理はできないし、私はいま、子供を連れていて、まともに動きが取れなくて……)

 頭を抱えて崩れ落ちそうになったその時、体が大きく揺さぶられた。

「お姉ちゃん!」

 今度こそ、声が聞こえた。はっきりした視界で下を見ると、富永雄吾が私にしがみついていた。倒れそうだった私を支えてくれたのだろうか。

 それを見てすとんと、やるべきことが腑に落ちた。そうだ。最優先するべきは被害を出さないことだ。秘密裏に行動しようとして、一人の都合を優先して、多数が死ぬ結果を受け入れるわけにはいかない。

 私は富永雄吾の頭に手をやってから、静かに通信を入れた。

「……ごめんルーク。その指示には従えない」

「クイーン!?」

 ほとんど絶叫のような呼び声を無視する。でも通信は入れたままにする。何をする気だとか、考え直せとかいう声がインカムの中から聞こえるが、私が今向き合うべきは目の前の子供だ。

 私はしがみついていた富永雄吾をなるべく優しく引き離してから、彼の目線の高さに屈んだ。

「一つお願いを聞いてもらってもいいか」

 話していた時となるべく変わらない表情を意識したのに何かを感じ取られてしまったらしい。富永雄吾は心配と真剣さを織り交ぜたような表情をして、頷いた。

「これから一人で、迷子センターのほうに向かってもらえる?」

「え……なんで?」

 その反応は仕方ない。だってこのまま歩いていけばお母さんと会えるはずだったのだ。わざわざ迷子にもう一度なることなんて、本当は必要ない。

 それでも、これが最善だ。

「お姉ちゃん、これから仕事なんだ」

「お仕事……?」

 すぐにうなずく。体勢的にも内容的にも胸を張れたものじゃないけど、胸を張った気になる。こうでもして自信がある風にしなきゃ、こんなこと言えない。

「これから悪い人を倒しに行くんだ。正義の味方みたいにね」

 にっこりと誇らしげな顔を作る。実際は誰を救うわけでもない道具だけど、それでも今この時は、あながち間違ってないかもしれないから、案外簡単に顔は作ることができた。

 富永雄吾はやっぱり心配そうな表情のまま、こちらを見ている。その背後には、こちらからゆっくり離れていく着ぐるみの姿が見える。

「悪い人は多分観覧車に向かっている」

 その言葉を言ったとたん、富永雄吾の目と口が開かれる。家族がいるんだ。当たり前なんだろう。

「じゃあ早くお母さんのところにいかないと……!」

 駆けだそうとする彼の腕をつかんで、首を横に振る。

「それをやるのは私の仕事。きっと危なくなるからね」

 そう。これは危険な仕事だ。知っている相手が近くにいたら、気が散ってしまう。

 だから、私はヒーローを演じるのだ。

「雄吾、君は巻き込まれちゃいけないんだ。君はこの先お母さんやお父さん、いろんな人を助けていくんだ」

 強くないと、と富永雄吾は言った。だったら、先に進んでいかなきゃいけないのだ。私はもう一生このままだけど、彼は前に進んでいける。その資格を持っているのだ。

「今、君は強くない。だから強くなる前は準備をしないといけない。準備して、強くなって、それから立ち向かうんだ」

 抽象的な話だし、しゃべっている私もわかりにくい言葉を使っているという感覚はある。それでも、話さなきゃいけないことだという感覚が私の口を動かしていた。

 それでも、富永雄吾はまだ納得していないようで、焦りと怒りの中間点のような表情で私のことを見続けている。多分、自分だけ逃げたくないと思っているのだろう。だから、こう付け足した。

「それにね、君がここで迷子として保護されれば、お母さんはそっちに向かうことになる。君の努力で、お母さんを守ることができるんだ。これは逃げじゃない。確かな成果だよ」

 決して君は、逃げるわけじゃないんだと、丹念に伝える。これは準備であり、同時に正義の手助けなのだと。富永雄吾はそれを聞くとうつむいてしまった。表情は見えないけれど、きっと不満には思っているのだろうなと思う。

 しかし、次に顔を上げた時には、もうそんな様子を見せることは無くて、真っすぐにこちらの目を見返してきた。

「わかった。絶対みんなを守ってね」

「ああ。もちろん」

 指切りもない、簡単な口約束だった。それが何よりも重い意味を持つことになることを、この時の私は知らない。

 そのあと、迷わず行けるようにと、持っていたパンフレットを渡して、富永雄吾とは別れた。

「……ルーク」

「わかってる。迷子センターにはポーンを回す。気をつけろよ」

「もちろん」

 視界の端にいた着ぐるみを、中央に持ってくる。まだ気づかれずに追いつける圏内だ。

 深く、深く息を吸って、右手で拳銃を見えないように持つ。冷ややかな重さが、私の思考をまとめてくれた。

 

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