富永雄吾は不安そうな表情をさらにゆがめる。おそらく自分に対する疑念が混ざっているのだと思う。これに関しては予想通りだった。

「……おばさん、だれ?」

 これが完全に予想外で思い切り眉が上がった。後から富永に、その癖顔が怖くなるからやめたほうがいいですよと冗談交じりに言われたから、そこそこ印象深い表情だったに違いない。実際、この時の富永雄吾の顔も困惑からさらに変わって、何か触れてはいけないものに触れてしまったというような表情になっていた。

「おばさん、って言われる年じゃまだないんだけどねぇ……」

 できる限り友好的にやろうとしたのにこのざまだ。私は思い切りため息をついてから、取り繕うことをやめることにした。

「誰と言われたら遊びに来ただけのただのさ。どう見ても迷子の子供がいただけだから声をかけたんだけど、いけない?」

 図星をつかれたからだろう。コロコロ変わっていた表情が最初の不安げなものに戻る。だというのに富永雄吾はこちらから顔を背けた。

「……迷子なんかじゃないです。助けてもらわなくても、ちゃんとお母さんのところに帰れます」

 すでに知っている情報ではあるのだが、こちらが聞いてもいないのに母親のことを話始めた。これでこの先大丈夫かと、呑気に考えていた自分が腹立たしい。彼の「この先」を奪うことになるのは私だったというのに、この時はそんなこと考えてもいなかった。

「そっか、迷子じゃないのか。なら私なんかと話したり、トイレの前で立ち止まるんじゃなくて早く戻らなきゃな」

 話を進めるために見ていたことを小出しにすると、富永雄吾は面白いほど顔を大きく動かして驚いた。なんなら体も一歩分くらい動いていたようにも見えて、面白くなってきてしまっていた。

「なんでそんなこと知ってるんですか!?」

「そりゃ、お姉さんだからな」

 どんな理屈だとはこの時でも思ったが、私はここで洒落たことを言えるほど教養があるわけではない。それなのにかっこつけようとしていたのは、きっと自分のためだ。

 少し高揚した気分のまま、私は彼に右手を差し出す。

「別にこの手を取らなくてもいい。それはお前の選択で、誰に非難される謂れもないさ。ただそれは、手を取ったって同じこと。何も恥ずかしいことじゃないさ」

 高ぶった気分のせいで子供に対して使う語彙を超えた内容で話してしまったが、向こうはそれをだいたい理解できたようで、私の右手を見ながら目を丸くしていた。人を頼ってもいいことを学べることは大事で、ここで言ったことだけは、今でも後悔はない。私は結局、最後には一人になってしまったから、今から考えてもここで言ったことは重要なことだったと思えている。

 でも、結局私は、あいつが頼ってきた手を振り払うことになるのだ。なんと因果なことだろうかと、どうせならここで振り払ってしまえばよかったのにと、心底思うのだ。

 富永雄吾はいくらか逡巡したあと、私の右手に左手を乗せた。この瞬間に、彼の運命は確定した。


  

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