「こちらナイト、状況に復帰しました」
という言葉が聞こえてきたので五分が経過したのだろう。ナイトはきっちりしているから、五分で戻れと言われたら五分で戻ってくる。
「安心しろ。今はまた別のやつが子守の真っ最中だ。だろ? クイーン」
「言ってろ」
とは言ったものの、実際やっていることは子守まがいだ。まあ仕事なのだがと、腕を組んでため息をつく。少し前にトイレに入った子供を外で待っているのだ。親ではないのだからこれは子守だろう。
「……ビショップよりクイーン。息子クンがトイレに入ってから何分経った?」
少しだけ驚く。ビショップが任務中に声をかけてくることは稀だ。そして大抵、そういう時は真面目なアドバイスだなので、私はバックの中の携帯を開いて時刻を見る。肩にかけながら右手をいれられるのはこのバックの利点だ。
「三分、かな。入り口は一つで、周囲は開けてるから、窓から侵入とか誘拐とかしようとしてたらなら」
「ああ、そういうことじゃないから」
続けようとしたところに割り込まれる。まあ確かにそういうことならわざわざビショップが出張ってくるわけもないのだが、すこし、ほんのすこしだけイラっとした。それをビショップは分かっているのだろうか。彼はあくまでも何も変わらない口調でつづけた。
「まあ小学三年生にもなれば大丈夫だろうけど、時間がたつと帰り道を忘れちゃうことがあるんだよね」
全く考えてもいない角度の情報に少しだけ考えが止まる。なので、ここで出てくる反応は反射的なものになってしまい、
「へー」
「いや信じてないでしょ」
と、絵に描いたような漫才をやる羽目になってしまった。ツッコミがノータイムで入ってたことも拍車をかけたようで、ルークがため息をついている。なぜかナイトが吹き出しているのが不思議だった。
「でもこれは本当だからね。トイレから出てきたときにきちんと確認を……」
「はいはい」
口うるさい母親か、とツッコミをいれそうになったがそれはやめた。さすがにそこまで高度な自虐をやるつもりはない。代わりにため息をついたところで、さっき見た子供、富永雄吾の姿がトイレから出てきたのが見えて、私は姿勢を直した。
「ちょうど出てきた。少し様子を見る」
「了解。気をつけろ」
言われなくともと思ったが口には出さない。もう茶番をする時間ではない。富永雄吾はトイレから出てきて、まず数歩歩いた。表情に落ち着きはない。瞬きは多いし、あちこちの方向を見返しながら、その場で立ち止まっている。時折、通り過ぎていく大人に声をかけようとする様子も見られた。
迷子を見たことも、迷子になったこともない私にもわかるほど、わかりやすい迷子だった。
「こちらクイーン。対象を保護する」
「おいちょっと……」
焦ったようなルークの声を無視して通信を切る。なぜか苛立ちが自分の中にあることに気づいて、私自身驚いているのだ。実のところ、私の行動はそこまで良いものじゃない。客観的に見て、知らない人が小学生に話しかけていたら明確に不審者だ。そのくらいのことは学んだことから推測できる。
でも、それでも、一人きりの子供を見て、勝手に体が動いたというのはあって、だからここから、自分の行動を何とか正当化する。
あちこちきょろきょろしていた子供の肩をたたく。振りむいた顔は不安げで、瞳は多少うるんでいるように見える。ああ、これは引き返せない。
「こんにちは」
精一杯の笑顔を浮かべて私は声をかけた。
ここで変な気を起こさなければ良かったのにと、富永を殺さなければいけない今の私は思っている。そうしたら、仮に同じことになっても、こんな感情を抱かずに済んだんだ。
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