第5話 眠れる獅子
能ある鷹は爪を隠す。隠すような爪があれば良いのだけど、と僕は思った。ベッドの中で横になったまま、目覚まし時計を確認する。
午前八時。今日は日曜日。学校は休み。とは言え、僕は受験生。悠長に二度寝を楽しむわけにはいかない。そう思う一方で、二度寝の幸福感に抗えないことを改めて実感している。
爪を研ぐ。それを隠し、戦いに備える。受験生が強いられていることも同じようなものだ。受験生は必死に勉強する。でも、どれくらい勉強したか、何を勉強したかを表立って言わないだろう。賢い受験生ほど、勉強をしていないふりをする。賢い人間は賢さをひけらかさ無い。それは子どもも大人も同じ。
僕も、ちゃんと爪を研がないといけない。惰眠を貪っている場合ではない。寝返りを打つ。僕の体はまだ起動しないようだ。
賢さとは何か。僕は夢現の中で哲学的な問いに無駄に立ち向かう。受験生にとっての賢さは記憶力に他ならない。それは試験で評価されるからで、試験は思考力より記憶力が試される。数値評価をする時点でそれは避けられないのだが、賢さを評価すること自体が容易なことではない。
僕の成績や試験の結果は数値化されるが、僕の知能は数値化できない。否、近い未来、そういう技術が開発されるかもしれないが。
ただ、僕が声高にこんな発言をしようものなら、大人たちは嘲笑し、説教し、そんなくだらないことを考えてないで、今は勉強しなさいと言うだろう。それも是だと僕は思う。本当にそう思う。しかし、一方で勉強の本質は楽しむことにあると僕は思う。いや、僕だけではない。結構多くの人が同意してくれるはずだ。
「もう朝よ」
母親が部屋の扉を開き、不機嫌そうに言った。母親は惰眠を貪るような人ではない。綺麗好きで几帳面。僕の部屋を掃除する気満々の様子である。
「もう少し眠れる獅子で」
「何?」
母親の容赦無い疑問文。
僕は同じ答えを繰り返す。
「眠っている獅子は猫と変わらない」
母親は冷たく言い放った。
僕はベッドから飛び起き、洗面所に向かう。鏡に映る自分を見て、獅子ではないな、と苦笑した。
朝食を済まし、部屋に戻る。僕は机に向かい、世界史の問題集に手を伸ばした。歴史に名を残す人物は、やはり、鷹や獅子のような人物なのだろう。眠れる獅子はただの猫。野良猫にすぎない。歴史に名を残すことはない。
それも良いのではないか。
でも、きっと両親はそう思わないだろう。
大人は子どもに夢を見る。
眠れる獅子として育て、目覚める時を楽しみにしている。
僕は取り敢えず勉強に集中することにした。
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