思い出のボール

 今日も今日とてヒマな『たつ屋』。貧乏神が憑いていると知ってすっかりやる気を無くした衛が抜け殻のようになって店番をしていた。


「衛、衛」


 そんな衛に涼生が声をかけた。


「久々にまともなお客さんだ」


「ああ、あやかしの方ですか」


 衛はもううんざり、という声を出した。あやかしのお客の方に貧乏神が憑けばいいのに、と独りごちる。


「とっととお茶を淹れてこいって!」


「はいはい」


 しびれを切らした涼生の怒鳴り声でようやく衛は腰を上げた。


「どうぞ、粗茶ですが」


「これはどうも」


 衛がお茶を出したのは瑞葉よりも小さな幼女である。しかも今時、七五三でもないのに着物姿である。和服は涼生で見慣れているとは言え、それでも違和感があった。


「ああ、美味しい」


 にっこりと微笑む幼女に思わず衛の頬も緩むが、衛はもう驚かないぞ、と心に決めている。この幼女もどうせ見た目どおりの年齢なんかじゃないのだ。


「こちらは鞠さん、座敷童だよ」


「どうも、鞠と言います」


「座敷童……って福を呼び寄せるっていうあの?」


「はい、そうです」


 鞠と呼ばれた幼女はこくりと頷いた。涼生がやや興奮気味に話を続ける。


「この辺は震災に大空襲もあったから、古い建物はあまり無いんだけどね。ほら、大通りの裏に深川モダン館ってのがあるんだけど、そこの建物に憑いたのがこの座敷童さ」


「そんなのありましたっけ」


「あるんだよ。それでこの鞠さんがずっと待ち人を探してるって聞いてさ」


「へぇ、誰を待っているんです?」


 衛がそう聞くと、鞠はゴムボールを取りだした。もう空気もとっくに抜けてボロボロのボールだ。


「ここに、お名前があるの」


「六の三、三井……英子……?」


「この子にこの鞠を借りたままなので返したいの」


 ボールは相当古いものに見える。三井英子が子どもだとしても、もう大人になっているんじゃないだろうか。これは難しそうだぞ、衛は眉間に皺を寄せた。だが、次の涼生の言葉を聞いて思い直した。


「そのお礼として、『たつ屋』を一日だけ繁盛させてくれるってさ」


「な……なんと……」


 衛は思わず人で賑わう『たつ屋』の姿を妄想した。もしそんな事が出来るなら、今考え中の新メニューも出せそう……。ふわふわと妄想している衛に鞠は心配そうに声をかけた。


「あ、あのー……大丈夫でしょうか」


「ああ……ところでそのボールは何年くらい持っているんでしょう」


「うーん、二十年から三十年でしょうか。……ごめんなさい、はっきりしなくて」


 申し訳なさそうに鞠は頭を下げた。


「あやかしは時の流れが曖昧みたいだからね、しかたないよ」


 涼生の言う通り、長い時を生きているとそんなものなのかもしれない。衛は一応納得したが、さあどうしたもんかと考え込んだ。


「わあ、お客さん?」


 衛が考え込んでいると、瑞葉が学校から帰ってきた。


「私、瑞葉!」


「私は鞠です」


「一緒に遊ぼ!! ゲームしよ!」


 瑞葉は初対面のあやかしを前にしても臆さず遊びに誘った。


「もうねー、翡翠くんはゲームへったクソで瑞葉の相手にならないの」


「私も初めてですが」


「誰でも最初は初めてだよー」


 瑞葉は鞠の手を強引にとって、絶対に逃がさない構えだ。その様子を見ていた衛はふと閃いた。


「そうだ、学校だ!」


「どうしたの、衛くん」


 素っ頓狂な声を突然出した衛に、瑞葉は驚いてよろけた。


「この辺の子供だったら数矢小学校に通っているだろ?」


「うん」


「瑞葉、二十年から三十年前の卒業文集を見て三井英子ちゃんを探すんだ」


「えー、どこを探すの?」


「図書館とかじゃないかな」


 衛は瑞葉の肩をがっしりと掴んで言った。


「頼む、瑞葉。お前が頼りだ」


「うーん、分かった。その代わりおやつにクッキー!」


 太るからって最近禁止してたからな。たまにはいいか、と衛はクッキーを鞠の分とふたつ、皿に盛って渡してやった。


「それでは瑞葉隊員! 検討を祈る!」


「らーじゃー!」


 瑞葉は衛のかけ声に元気に返事を返した。




「……で、どうだった」


 翌日、衛は帰ってきた瑞葉にさっそく守備を聞いた。


「図書館には卒業文集無かった」


「そうか……」


「でもね、梨花ちゃんが校長室にならあるかもって」


 梨花とは瑞葉の友人のトイレの花子さんだ。


「昼間は校長先生いるから夜に行こうって梨花ちゃんが」


「夜の学校!?」


「警備とかは梨花ちゃんがなんとかしてくれるって。それで……衛くん」


「なんだ?」


「夜の学校怖いから……一緒に来て?」


 普段あやかしに囲まれているのに夜の学校が怖いとは。瑞葉もやっぱり子供だな、と衛はちょっと安心した。


「いいよ、一緒に行こう」


 そしてその夜、瑞葉と衛はこそこそと学校の校門に向かった。


「梨花ちゃ~ん」


「はいはい」


 か細い声で瑞葉が梨花を呼ぶと、いつの間にか梨花は後ろに立っていた。


「ひゃっ」


 情けない声を出したのは衛である。瑞葉はじっとりした目で衛の姿を見つめた。


「衛くん、ボディガードなんだからしっかりしてよ」


「すまん……」


 こうして、大人一人と子供と厠神という夜の学校見学がはじまった。


「本当に警備は大丈夫なのか?」


「ええ、センサーに私達は反応しないようにしましたけど、あまり私から離れないで下さい」


 一行は校長室へと向かった。案の定、鍵が閉まっている。


「ちょっと待って下さい」


 梨花がドアノブに触れるとカチャリと音がした。そうして難なく衛達は校長室への侵入を果たした。


「この棚かな……」


 ガラスの戸棚の一角がどうも怪しい。これも鍵がかかっていたので梨花が外した。


「今から三十年くらい前はここからここ。この中から六年三組の三井さんを探すんだ」


 そこからは地道な捜索作業だった。一つ一つ、中身を確かめてチェックする。


「あっ、衛くんこの子じゃない?」


 瑞葉が声を上げる。衛が見ると、確かに六年三組に三井という生徒が居る。個人情報ががばがばだった頃の卒業文集だ。衛の狙い通り、連絡先が一覧で載っていた。


「二四年前の卒業文集か、これはいけるな」


 衛は六年三組の連絡先を携帯で撮影した。


「さ、長居は無用だ。撤収するぞ」


 必要な情報を得ると、衛達はそそくさと学校を出た。




 そしてその翌日。衛は三井英子の連絡先に電話をしてみる。


「おかけになった電話番号は、現在使われておりません……」


「駄目か……」


 三井英子の連絡先はもう不通になっていた。これだけ時間が経っていればそれも仕方ないのかもしれない。


「では次の手段!」


 衛は次は実名を前提としたSNSから三井英子を探す事にした。とりあえず、数矢小学校のコミュニティを探したが、不発だった。


 なので衛はアカウントを一つ作ると、見つけた三井英子の同級生に向けてこうメッセージを送った。


【久しぶりに同窓会でもしませんか。連絡の取れる方に呼び掛けてください】


 衛の騙った名前はクラスで中心的だった人物だった。ちなみに本物はどうもカリフォルニアにいるようだ。


「ふう……これでひっかかってくれるといいんだけど」


 それから数日。同窓会の呼びかけはあちこちに広がっていた。そこに出てきたのが『宍倉英子』という人物だ。


【英子ーひさしぶりー】


【あれ、三井か】


【そそー、結婚して今は宍倉だよー】


 そうか結婚で名字が変わったのか。とにかく、三井英子は同窓会に出席する事になった。人数が大体固まった所で適当なレストランに予約を入れる。そして開催の流れの中でさりげなく当日の幹事を別な人物に任せる。そしてインフルエンザにでもかかったふりをする事にした。


「よし、これで当日顔を出せば三井英子に会える」


 衛は、そこまで守備を整えて涼生に報告した。


「SNS……俺には思いつかんかったな。とにかくでかしたよ」


「とにかく週末、鞠さんを連れて行ってみますよ」


 そして来たる週末、衛は鞠をつれて同窓会が開かれるレストランの近くに待機していた。


「見て分かるかしら?」


「どうだろう、向こうは大人になってるからな」


「……どきどきしてきた」


 そして、同窓会が始まった。衛は歓談がはじまった頃合いにするりと中に侵入する。そして三井英子を探した。


「英子ー!」


 ほかの女性がそう呼んだ人物を良く見ると、顎のほくろが一致した。そしてその肝心の英子は……車いすだった。


「三井……さん?」


「はい? ええと……?」


 三井英子の目が戸惑いの色を帯びる。


「ちょっといいですか、渡すものがあるんです」


「え、なんですか」


 三井英子は警戒心を露わにした。しまったちょっと強引過ぎたか。衛はあわてて鞠を呼んだ。


「鞠さん、おいで」


 呼ばれた鞠が英子の前に立つ。鞠は緊張で震えながら、ボールを差し出した。


「英子ちゃん、これ返すね」


「なにこれ?」


 ボロボロのボールを英子は恐る恐るつまんだ。そこに自分の名前が書いてあるのを見つけて驚きの目で鞠を見つめる。


「これ、私のだ。どうして……」


「……」


 その問いに鞠は少し寂しそうに微笑んで、衛の元に戻ってきた。


「もういいのか」


「うん、英子ちゃんは私の事もう覚えていないみたい」


 もう行こう、と鞠は衛の手を引いた。二人がその場を去ろうとすると英子が後ろから車いすで追いかけてきた。


「も、もしかして鞠ちゃん!?」


「……うん、私の事分かるの?」


 英子は戸惑いながらも頷いた。


「信じられない……だって二十年以上前だよ? なんであの時のままなの」


「私、人間じゃないの。……なんて言っても信じられないよね」


 鞠は悲しげに英子にそう言った。英子は目を丸くしたまま鞠を見つめていたが小さく首を振って答えた。


「ううん、だって鞠ちゃんそのままだもの」


 英子は鞠の存在を認めると、さめざめと泣き始めた。


「私は変わっちゃった……。あの頃はボール遊びばかりしていたのにね……今はこんなになっちゃって」


 そんな英子に、衛は恐る恐る話しかけた。


「あの……その足の事聞いてもいいですか」


「これは、一年前に交通事故で……」


 それを聞いた鞠は英子の手をぎゅっと握った。


「英子ちゃん、あの時は沢山遊んでくれてありがとう。そのお礼を今させてね」


「え……」


 鞠はそう言ってスタスタと去って行った。


「ちょっと待って……え!?」


 追いかけようとした英子が車いすから立った。すぐに力尽きて車いすに倒れ込んだが、確かに立ち上がった。


「嘘……立てた!? 今……私……」


「よっぽど貴女の事が好きだったんですね、鞠さんは」


「あなたは一体?」


「ただの付き添いです。信じるかどうかは貴女次第ですが、彼女は座敷童です。関わる者を幸福に導く存在……だったけな」


「座敷童……まさか……」


 ぽかんとしている英子を残して衛もその場を去った。そして心の中でガッツポーズをしていた。よっし、ミッションコンプリート! と。


「何を店に出そうかなー」


 衛は一日限定の繁盛の日のメニューをすでにあれこれと考えていた。


 そして、たった一度の『たつ屋』の繁忙期は涼生も笑顔で店番をしてくれた。店内はなぜだか客でいっぱいで、衛は大忙し。中でも衛考案のあんこ入り深川クッキーが五十個も売れた事で衛のプライドも守られたのだった。


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