第2話 暖炉を囲んで

 パチパチと燃える炎が小枝をなめ尽くす。新たに差し込んだ薪もあっという間に、炎に包まれた。赤く揺らめく熱が、外の冷たい冷気から守ってくれる。

 険しく切り立つ崖に作られた横穴式の洞窟は、奥深くまで続き枝分かれしている。入口には草で編んだ簾がかけられ、風が入ってこないように岩肌に止められていた。

この地域では、一般的な住居である。

 枝分かれした洞窟の中は居間、寝室、台所と書く部屋に分かれていた。

 家族全員で炉を囲んで食事をしていたとき、父が言った。

「今日村の男たちと森を見に行ったのだが、木々が濃くなっていた」

 もうすぐ春が訪れるようだ。

 この積雪地帯の冬は長い。

「今年は、お義父さまの『花葬の弔い』をしないといけないわ。ノニは花の季節になったら、たくさんの花を積んでちょうだいね」

「うん、分かった! お母さん」

 熱い甘茶を啜っていた少女は、母の言葉に元気よく頷いた。一年中雪が降り続けるこの地域では、少し気温が高くなって花が咲く季節を春、花が散り、緑が増える季節を夏と呼んでいた。花の季節は、雪の積もる真っ白な景色に、様々な色の花と草の緑がとても美しく照り映えるので、ノニは大好きだった。

「お祖父ちゃんに会えるんだね」

 ノニの祖父が眠りについたのは、一年前、冬の厳しい寒さが和らぎ、春の花が咲く前のことだった。優しい祖父の死に打ちのめされたノニは、しばらく塞ぎ込んだものだった。

 祖父を冷たい水の中に沈めて埋葬する前に、これが最後だと言われて祖父に触れた。祖父の皮膚は柔らかくて冷たかった。

 一年前のことを思い出し、寂しさに沈みはじめてたノニは涙が出る前に慌てて父に尋ねた。

「お祖父ちゃんを氷から切り出すの?」

「いいや、それはもうしてもらっているからな。氷に包まれて眠るお祖父ちゃんに会いに行くのだよ」

 柔和な笑みを浮かべて父は笑った。

「そうなの? 去年お祖父ちゃんが死んだときは水の中に埋めただけだったのに」

 いつの間にか祖父を掘り出したのだろう。春になって一番にすることはそれだと思っていた。まだ非力なノニはそれほど重いものを運べないが、一生懸命頑張ろうと意気込んでいたというのに。

「雪の女王様が死者を氷で包み、墓守がそれを切り出して、形を整えてくれるんだ」

「えっ? 墓守なんているの?」

「あらっ? ノニは墓守さんに会ったことがなかったかしら?」

 驚く母に向かって、ノニは首を横に振った。

「確かに、ノニが生まれてから死んだのはお祖父ちゃんだけか。それでも、墓を見たことはあるだろう?」

 今度はこくこくと首を縦に振る。

 ここからさらに北に行くと、いくつもの洞窟がある。そこに、氷で覆われた死者の遺体を安置しているのだ。死者の彫像をノニたちは墓と呼んでいた。

「あれは、身内がするのではなく、墓守さんが綺麗にして洞窟まで運んでくれるんだよ」

「へえ、知らなかった」

 墓参りは毎年行っているが、死者を埋葬して墓が増えるのはノニにとって初めてだったので、どのようにして彫像になるのかは知らなかった。

「お母さんはお供えする食べ物を用意するし、お父さんは木を切りだすの。だからノニは花を摘んで輪飾りを作ってね」

「任せて!」

 毎年、春になると『花葬の弔い』という行事が行われる。それは、氷の彫像となった先祖を供養する祭りだ。

 この地域の人は皆、同じ日にそれぞれの家の墓に参ってお供え物をする。それから約一ヶ月後に、お供え物に使った食べ物や木々を持ち寄って燃やすのだ。大きな木々が何本も集まるので、それは大きな焚き火となり、何日も燃え続ける。その炎を見ると、厳しい冬の終わりを実感する。

 炉がちりちりと火の粉をまきあげた。

 ノニは小さな椀によそわれた粥を掬って口に含む。

 米と野菜と肉が入って、しっかり味付けされた雑炊はノニの大好物だ。時間をかけて煮込まれて、干し肉は柔く舌の上で溶けていった。

 ノニは炉にかけられた鍋から雑炊をおかわりした。しっかりと食べておかなければ、厳しい寒さに耐えられない。

 会話が終わってしまって、ノニはただ口と手を動かしていた。しかし、その作業は単純すぎて、頭が暇になってしまう。

 冬の夜は退屈だ。あまりにも寒すぎて、外に出られない。食料を蓄えて、洞窟に籠るのは、まるで冬眠のようだ。

 何か気を紛らすものはないかと考えていたノニは、ふと思い出したことがあった。

「ねぇ、お祖母ちゃん! 私もう今年で十一歳になるんだから、術のかけ方を教えてくれるのでしょ?」

 夕食を早く食べ終わり、焚き火の前でずっと黙って繕い物をしていた祖母に話しかけると、彼女は眼鏡を掛けなおして、ノニに目をやった。

 祖母の目は透き通ったブルーで、凪いだ湖面のように穏やかだ。長い時間を生き、全てを見てきた祖母には不思議な迫力があって、自然と背が伸びてしまう。

 緊張しているノニを見て、ふふ、と笑みをこぼす祖母は、愛おしそうに見つめてくる。

「ああ、そうだねぇ。毎日一緒にいると、注意してみなければ分からない。随分と大きくなったものだ」

 少しだけ胸を張ると、父に頭を撫でられた。母はくすくす笑っている。

「家の手伝いもするし、ノニは良い子だね。修行を始めてもお手伝い頑張れるかい?」

 修行! わくわくする響きだ。ずっと前から始めたくてたまらなかった。

 力いっぱい頷くノニを満足げに眺めて祖母は言った。

「じゃあ、春の弔いが終わったら、修行を始めようね」

 長く雪の世界に閉じ込められると、毎年そう思うのだが、今年はいつにも増して春が待ち遠しくなった。

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