氷のぬくもりで私を包んで

藤崎 千歳

第1章 春に芽生えたもの

第1話 プロローグ

 白い風が吹いている。薄暗く、吹き荒れる雪のせいで、数メートル先も見通せない銀世界。吐き出された吐息でさえ、瞬く間に凍り付いてしまった。

 吹雪の中でも、ノミが奏でる音だけは不自然に風にのって響いている。風の音にも負けない、規則正しく無機質な音。

 この凍れる大地が生み出す氷は固く、低い気温のせいで溶けにくい。不純物が一切含まれていない氷は、芯まで透き通り光を固めたように美しかった。

 男は一心不乱に手を動かして、氷を削っていく。ノミを握る手には分厚いグローブを嵌めているが、手元が狂うことは少しもない。毛皮でできたブーツと外套を身に纏い、腕だけでなく全身を使って目の前の物体の形を整えていく。帽子の中に詰められた髪の毛が、幾筋かこぼれ出して額にかかっている。口元まで覆われて僅かしか見えない顔は浅黒く、純黒の瞳は鋭く手元を睨みつけていた。

 一瞬の後、風によって薄れた雲の間から弱い太陽の光がこぼれ、辺りを照らした。

そこには光り輝く純白の大地が広がり、一面がチカチカと光っている。

 そしてまた、男が向き合う氷像も光に照らされてダイヤモンドのように輝いた。まるで中から光が溢れ出しているかのように周囲を照らす。

 それはただの氷像ではなかった。太陽が氷の中に浮かぶ、その姿を浮かび上がらせた。今しがた眠りについたばかりと見紛うほど、張りのある肌をした一人の老人を。

 風が弱まり、視界が広がった。

 皮膚には皺がいくつも刻まれ、全ての髪が白くなったその老人からは、確かに老いが感じられるが、時間の経過を読み取ることはできない。生のエネルギーは未だに老人と共に氷の中に閉じ込められているかのように、生前の姿を保って永遠の眠りについていた。彼の人が纏う衣服も完璧に保存されている。この老人はどれほど昔に今の状態になったのか、時間までも凍りついてしまい判然としない。

 男は時折道具を代えながら、休まず氷を削り続ける。凍れる大地に眠る人々を掘り起こし、氷の彫像にして、故人を墓標とするのがこの男の仕事だった。

 急がなければ。

 この地域は一年中雪が降り続けるが、今の時季は特にひどい吹雪で夜の訪れも早い。暗くなっては作業ができないので、一日の内で働くことのできる時間は限られる。

 急がなければ。急がなければ――。

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