桜見る折、君に幸あれ

エナドリ漬け(文)

桜見る折、君に幸あれ

  僕――葛城かつらぎ 藤也とうや……余命半年の少年

  私――落合おちあい ともえ……恋に落ちた少女



    ◆◇◆




もし、死んでしまうヒトに恋をしたなら……貴方は幸せになれますか?




    ◆◇◆


 ――僕は昔から体が弱かった……らしい。

 らしい、というのは僕自身が自分を病弱だとは思っていなかったからだ。

 走ろうと思えば普通に走る事ができるし、普通に学校に通えた。その気になれば真冬の川の中で寒中水泳をすることだってできた……流石にこればっかりは後で風邪をひいたけど。


 それでも、少しぐらいは察していた。友達に比べたら熱を出す頻度が高かったし、持久走をしたらいつも最下位だった。………結局は、貧弱だったってのは自覚していたんだ。

 それでも、僕は大した問題もなく小中高と進学できた。

 そこそこ頭は良かったので、公立の進学校に難なく入学する事はできた……ただ、進級できるかどうかは別問題だった。

いや、成績だとか出席日数の問題じゃあない。その点はしっかりしていたし、むしろ優秀な成績だったと思う。学年で五指の順位に入った時は本当に嬉しかったものだったし。

話はとても単純でどうしようもないもの。


 僕に残された時間はあと半年――余命と言う名のタイムリミットだった。


 半年といっても、その時間は少なく見積もったものだとお医者様は言っていた。どんなに頑張っても春を越せるかどうか。現実は厳しく突き刺さるものであった。

  

 実は父も母も、僕の病気を知りながら黙っていたらしい。もちろんの事ではあるが、歳の離れた弟には黙っていた。

その理由が、今までの病状がかなり安定したもので、もしかしたらこのまま大丈夫かもしれない……なんて思っていたんだと。実のところ、その気持ちも分からなくもない。僕だって淡い希望を抱くよりはそんなものを知らないままに、何事もなく生活できた方が幸せだろうと思う。知らぬが仏、人生五十年どころか二十年も生きられないとは思わなかった。


 まあ、そうして告げられた余命には嘆きや絶望と言った感情よりも、もっと冷やかで、得体の知れない感情が渦巻いていた。

 そんなかんだで僕は高校一年の大半を病院で過ごし、殆ど出席しないまま二年生になった。


 そういう先生方のありがたい計らいが、ぼくにとってはただただ煩わしかった。結局のところ、僕の残りの生活は否応なく学校に留められる事になったのだから。

 嫌なら、学校をやめてしまえばばいい。……なんて、物事は単純じゃない。先のない僕なんかとは違って、弟には輝かしい未来がある。無い物ねだりなんていうわけでもないが、悪いお手本にだけはなりたくなかった。それでも、留年なんて事になってれば、退学するかどうかには一考の余地があったのかもしれない。学年トップクラスの成績が仇になったのは後にも先にもこれ一回きりだとは思った。だが、どの道留年する事はなかったと聞いたので多少の諦めはついたけど…。


 ここまでの経緯は我ながら酷い話だと思う。それでも、彼女と出会えたことだけは何にも代えがたい幸せだった――氷のように頑なで歪になった自分と向き合えたのは……きっと彼女のおかげだったのだから。


   十月


 職員室から教室に向かう間に緊張は既に消えていた。それもそのはず、僕は元いた場所に戻るだけだ。だが、クラスメイトの顔ぶれも替わっている。だから最低限の自己紹介は必要だろう。

 ――でも、問題だらけの自己紹介だったと思う。

 正確には、僕の見た目であるが。


「葛城(かつらぎ) 藤也(とうや)です、入院生活が長かったので色々教えてもらえるとありがたい、です」


 色白の肌になよなよとした声。どこをどう見ても病弱そのもの。

 入院中に死にかけたのは一度や二度じゃなかった。その度に持ち直し、ゴキブリなみの生命力で生きている。


 そのせいかどうかは分からないが、顔が痩せこけ、体もだんだんと細くなっていった。


 ……かの有名なナイチンゲールはこう言ったらしい。

 

『致命的な病気は病院で生み出される』

 

 まさしくその言葉通りに僕は、だんだんと弱っていった。単に精神的な問題かもしれないが、事実として僕は弱り切ってしまった。この格言の理由を深くは知らなかったけれど、病院にいるだけで気がめいるばかりだった。そんな状態から学校に通えるレベルまで持ち直したのは良かったものの、やつれた有様では、『関わらないでください』と全身で表現しているようなものだった。


 そうなれば僕に近寄って来る人間はいなかった………たった一人を除いて。


    ◆


十月の半ば、高校生になってニ度目の文化祭……それが彼と初めての出会いだった。

 ――第一印象は〝貧弱〟……見た目もオ―ラも、とにかく覇気のない男。

 それでも、彼と出会えた事は私にとっての幸せだった――桜のような彼との出会いは……


    ◆


――初めまして、という言葉を使われることは嫌い。

 第一印象からして嫌な人になってしまう。特に、一度会った事のある人間が私と言う存在を忘れて都合のいいように一からやり直そうとするのには嫌気がさす。……でも、彼は違った。

「文化祭で会ったよね?」

 二年の半ば過ぎ、秋の木枯らしがそろそろ吹こうかという時期に彼はやって来た。いや、正確には戻って来たというのが正しい。彼は今まで入院中で、実質不登校扱いだっただけの事。それが今日になってようやく復帰した。

 ――そして、件の彼は隣の席。

 どうやら、彼は私が焼きそば屋の模擬店で店番をしていたのを憶えていて話しかけたらしい。……そして私も彼の事は憶えている。そうなれば、自然と話す雰囲気がうまれてくるものだ。


「ふ~ん、学校休んでたのに文化祭は来てたんだー」

「お生憎様、病院のセンセに行って来いって言われただけなんだよ」

「そう、つまらないいい訳ね」

「そりゃどうも」

 一度会った事があるとはいえ、こうも馴れ馴れしいというか、親しいというか。

「………」

「………」


皮肉を交えた掴みどころのない会話、それが互いの認識だったに違いない。けれども、今までにない充実感とまだ話していたいという欲求に歯止めがきかなくなった。

――この時の私にはその感覚を説明するだけの経験もなければ、知識もなった。後になって考えてみれば、いかに不自然で焦り過ぎで、青臭かったのかがよく分かる。


「今日さ、お昼一緒にどう?」


 自分で言ってみて恥ずかしくなった。話題のネタが無いからといって、思いつきで口走った。ほんの少し自問自答してみれば、まるで恋人のような誘い方だと思い至ったが、それならそれで構わないと思った。

 慌てふためく顔を見るのもいいかもしれないと考えた。割と顔には自信があるつもりだし、こういう人付き合いのなさそうなヤツならまず間違いなく面白い反応をすると思ったから。


「別に構わないよ――」


 けれども現実は違った。

 この返事には拍子抜けした。いいや、心底驚かされた。

 てっきり誘いを断るものだとばかり……。こういうタイプの人間は基本的に根暗でボッチだと相場が決まっている。


 ――でも、彼は違った。


 飄々とした食えない様子で、「じゃあ、どこで食べる?」と聞いてきたのだ。

 ……後になって思えば、もうこの時には、浮世離れした彼の魅力に捉えられていたのかもしれない。

 あるいは、俗に言う一目惚れというのかも……。


    ◆


 昼休み。高校生ともなれば、学食に行くも弁当を食べるも自由。まして、男子高校生ともなれば、近場のコンビニまで大冒険という手段だってある……最も、そんな事に使う体力なんざ欠片たりとも残っちゃいない。


「あんた、顔色悪いけど大丈夫?」

「ご心配に及ばずとも、この顔色は生まれつきです」 

「……ならいいけど」


 結局心配される羽目になったけど、これは致し方ないか。退院してからというもの、体調は一向に戻る気配がない。むしろ、日増しに悪化の一途をたどっている。そのせいで、学食みたいな高カロリー食も、コンビニ弁当で手抜きをする事も叶わず、弁当を作るしかなかった。

 料理は得意か不得意かで聞かれれば十八番な部類、つまりは超得意。かつて、中学校の調理実習で『そぼろご飯』を作る授業で『ハンバーグ定食』を作り上げたのは伊達ではない。


「ところでその弁当自作?」

「ん?これは昨日の残りものを詰め直しただけだけど?」


 微々たる問題であるが、復学?早々ボッチのレッテルを張られるのも癪に障る。これは僕のちっぽけなプライドだが、人間は誰しも孤独の豊かさを知っている訳ではないのだから人恋しくなってもいいと思う。……まあ、単に寂しいだけでもある。病室にいた頃は面会謝絶で誰とも会えなかったのは割と嫌な記憶。

 ――と、まあ、そこに隣の席の落合さんから渡りに船なお誘いがあったのだ。『お昼ご一緒しませんか?』……なんて、実際はもう少しぶっきら棒で淡泊だったけど、せっかくのお誘いだし無下に扱えば僕の心象が悪くなる。彼女の目的が何かは知らないけど、これは互いに利があるものだ……しばらくはこういうお昼を過ごすのもいいものか?


「………」

「一つ聞いていいかしら?」

「何さ?」

「残り物って言ってたけど、それって肉じゃがだけでしょ?」

「そりゃそうさ、晩飯に好き好んで栗きんとん食べるやつがどこにいる……小学生かよ」

「………?」


 ――?いや、待て、そういえば落合さんは今日の昼食は購買のパンだけ……。

 ひょっとして、いやひょっとしなくても……


「もしかして、落合さんって料理――」

「――できないわよ……」


 ……えぇっと、それはどういったレベルの話で?


「もしかして卵が割れない類の人?」

「失礼ね、卵くらい割れるわよ」


 よかったよかった、現代人の子供たちは昔の人たちに比べて生活能力が不足しているってよく言われてるし、その点卵が割れるのなら、必要最低限の料理くらいはできる。安心安心。


「いまものすごく、私の事バカにしてない?」

「失礼な、ゆとり世代の底力を垣間見たと思っただけだけだよ」

「それ、ものすごくバカにしてるって意味よね……」

「じゃあ聞くけどさ、落合さんは僕の弁当の中身と同じ物作れる?」

「………無理です」


 ひと泡吹かせた気分だ。そもそも僕は他人にマウントを取られるのが好きではない。特に落合さんのようなツンケンした人間は側にいるだけで居心地が悪い。……多少は静かになってくれた方が心地よい。

こういう時の弁当の米がうまいのなんのって――。


「――じゃあさ、私に料理を教えてくれない?」

「………は?」

「お弁当作れるようになるまで……ね?」


 この人何言ってるの?……しかも凄まじく顔赤くしながら。

 そんなに馬鹿にされるのが嫌だったとか?……いやいやいや、こういう手合いは向上心が高いから恥を忍んででも教えを請うの……か?


「別に構わない……け、ど」


 実は、休日の予定は埋まっていない。病院に通う必要はあるが、平日の放課後に行くだけで十分だ。それに、貧弱な体で遊びに行ってもたいして楽しめない。

 ――ようは暇なのだ。

 まあ、休日くらいなら一日中日向ぼっこしてるか、縁側で寛いでいるかだし……。

 人の家で横から口だしするだけの作業ならまあ、楽なものか。………それに女子の家ってのも少し興味があるし。


「じゃあ週末の二日間、お願いね!」

「……へ?」


 何だろう、これは……騙された?変わり身の早さというか、猫が剥がれたというか……誰?

 花も恥じらう乙女の羞恥心みたいな、さっきの仕草が微塵も感じられない得意げな顔。もしかしなくてもさっきの会話は、僕に料理を教えさせえる為のブラフだったのか?いや、どちらか言うと肉食獣のような……。

 何だろう、僕としてはやぶさかな気分じゃないが……こう、敗北感というかなんというか。


「あ、もちろん毎週ね」

「……はい」


 何故だろうか……豆腐ハンバーグがしょっぱい。


   十一月


 十一月の第一日曜日……彼が初めて料理を教えてくれた。

 最初は出汁巻き卵からだったけど、徐々に難しいものを作るようになった。


 嫌々来ていた彼も、何故か妹に会ってからは機嫌よく通うようになった。

 半月も経てば、私は彼がいなくてもお弁当を作れるようになった。


 彼が教えてくれた事を一周間反復すれば造作もない事だった。

 ……それでも、私は彼に料理を教わる習慣を続けていた。


 最初の約束は果たされたけれども、惰性でこの関係を維持していた。

 休日も彼に会いたいから、咄嗟の思いつきで始めた料理教室。


 最初は毎日会っているだけで良かった。

 でも、だんだん足りなくなった。

 彼は甘党だったのでお菓子を作ってあげた。

 彼が休みの時はノートを貸しに行った。

 彼の家に料理を教わりに行くようになった。


 結局、宙ぶらりんな関係を半月も続けていた。

 

 そんな関係を続けていれば居心地がいいはずがない。……いや、私が彼ならもう付き合わない。

 あるいは逆なのかもしれない。彼は今の関係を心地良いと思っているのかもしれない。

 だから、これは私のエゴのようなものかもしれない。

そうこうしているうちにとうとう、彼からこの関係を終わらせないかと言われた。

 ――ちょうどいい頃合いだと思った……このグダグダとした関係を終わらせる決心をつけるいい機会だとも。

 週末の日曜日。


 私はキッチンで告白した。

 これは私のケジメなのかもしれないし、都合のいい思い込みなのかもしれない。

 でも、この淡い思いを捨てることはできなかった。


「――私はあなたの事が好きです」


 吐き出すように告げた。


「――家庭的なあなたが好きです」


 ほんのちょっぴりの嘘。


「――ずっと側にいてくれるあなたが好きです」


 これは本当のこと。


「だから――」

「――だから……私の恋人になって、くれませんか?」


 一世一代の告白のつもり……だったんだけど。

 彼は薄情なのか、いつも通りなのか分からないままこう言った。


「……多分付き合っても、今とそんなに関係は変わんないんじゃない?」


 あまりにも軽薄。……無性に殺意が湧いてきた。

 私の告白に、女をキープするかのような返事に『実は女の敵なんじゃないか?』とさえ思った。……いいや、実際にそう思った。


 ――でも、これが彼なりの優しさだと知った時には、とても悲しくなった。


「――答えは?」

「えっ?」

「――付き合うの?付き合わないの?」


 互いの息がかかるほどに顔を近づけ、押し迫る。

 そうすると、彼はとても悲しそうな眼をしながらも返事を返してくれた。

 自分のことで精一杯な私には分からなかったけど、もっと彼の顔を見てればよかったなんて思うけど……もう蛇足だね。


「……よろしく、おねがいします」

「こちらこそよろしくね、とーやくん」


 抱きしめた彼はとても冷たかった。きっと冷え性なんだと思った。

 しばらく抱きしめていると、彼もためらいながらも彼は抱きしめ返してくれた。

 下らない迷信みたいなものだけど、体温が冷たい人は心が暖かいという。そんな迷信を今なら信じられると心の底から思えてしまう。


 そして、私は彼と付き合う事になった。


 ――藤也に恋をした……そして藤也の彼女になった。


 その事実は何よりも私を幸せにしたし……全てが終って何よりも私を悲しくさせた。

 きっと、人生という物語が何度巡っても。

 この出来事を超える心の沁みはないだろう。



   十二月


 彼女との初デート。

 彼女は映画館に行こうと言ってくれたが、寒さにやられたのか風邪を引いてしまった。

 万一に備えて薬は常備していたのでそう酷くなる事はなかったが、大事をとると言い断りの電話を彼女に入れ、一人部屋に籠っていた。

 大事をとるといったが、それは建前、本音はもっと捻くれている。


 ――死にかけの人間と付き合ってもロクな事にならない。


 彼女の為にも、冷めた付き合いくらいでいいのではないかとも思っていた。

 そうすると彼女は家に押しかけて来て、レンタルDVDを一緒に見ようと言って来た。

 あまりにも強引な姿勢にイラッときたので、意趣返しにカラメルポップコーンを作った。山盛りのそれを彼女は余裕綽々と食べ始めたので追加で菓子類をそれこそ小山ができる程持ってきた。


 とどのつまり、嫌がらせに「デブの素じゃね?」と問いかけてみれば、「じゃあ幸せ太り?」などとぬかしてきた。このふてぶてしい態度に面食らったものの……結局は彼女とリビングで映画を見た。

 途中から画面を見てるのが辛くなったので、ソファの上で布団にくるまっていたが、彼女は僕を慮ってか、何も言う事はなかった。

 そうして、ちょうど映画が終った頃だったか、彼女に叩き起こされ…そのまま押し倒された。


 ――僕のファーストキスはカラメルの味だった。


 こうなるなら、カラメルなんて作っておかなきゃよかった、と少しだけ後悔した。

 でも、後悔したのと同じくらい嬉しかった。……人の心の温かさで、生きてるって感じがする。


 ……何だかんだ言っても彼女の側にいる事が苦痛でなくなったのはどうしようもない事実だ。


 まあ、平たく言えば、彼女に惚れた。出会った頃よりも冷めた態度をとっていたのも、ばからしく思えてしまう程……でも、それからはとてもカップルらしい事をしていたと思う。


 彼女が部活の練習につきあってほしいと頼まれたので、学校にお弁当を届けに行った。三日もしない内に女子バスケ部のマネージャーにされていた。……顧問までグルだったので潔く諦めて彼女達に弁当を作るようになった。……ここまで来て、僕は押しに弱い事を理解した。


 彼女が風邪をひいたときはおかゆを作りに行った。妹ちゃんも一緒に風邪をひいていたので卵粥を作ってあげたら拗ねられた。……その日は両親が帰ってこないと言われ、一日中落合姉妹の面倒を看ていた。……そして帰ったら弟にまで拗ねられた。とても不公平だと思った。

 彼女にクリスマスプレゼントに「料理のレシピが欲しい」と言われた――この時、僕は彼女の為にレシピ頁を遺す事にした。

 

 実は彼女が、僕が教えた以外の料理がうまく出来ないと言っていたが、それは単に僕に会いたいがための口実だと思っていたが、そうではなかった。

 

 ――本当に僕が教えたレシピしか作れなかった。

 ほとほと呆れたが、彼女が中途半端な料理の腕のままなのはどことなく嫌だったので、レシピ頁をプレゼントする事にした。……それも本革の手帳で作る事にした。


 大した意味はないが、あまり金の使い道が無かったので、ここで使うべきだと思ったからだ。


 それが僕の生きた証、死ぬまでにやりたい事……いいや、やるべき事だと思った。

 何にせよ、自己満足のような気もしたが……まあ、あとは彼女次第、か。


   一月


 正月に妹経由で、両親に彼氏がいると暴露された。

 お猪口一杯の赤酒でぐでんぐでんに酔った気分になった妹が「姉さんの彼氏の料理は天下一品なんだぞーー」と言ったのを父さんが「よし、ならその彼氏君の晩御飯でも食べ……巴(ともえ)、彼氏いたのか!」と酔っ払たまま言い、母さんが「そうねえ、晩御飯作りたくないし、その彼氏君に夕飯お願いしようかしら」などと本日三本目のワインを開けながら言い放った。


 基本的に、家を空ける事が多い両親なので藤也くんを紹介する機会のないままなあなあで済ませていた。

 正直、両親に藤也くんを会わせるのはめんどくさかったけど「正月に藤也くんと会えるならいっか」と思って、彼に夕飯の出前を頼んだ。……基本的に我が家は三社参りなどせずに酒盛りをして冗談抜きで寝正月になるので彼とは会う事はないと思っていたが、思わぬチャンスに胸が高鳴った。


 ――この時、ぶどうジュースと間違えて母の赤ワインを飲んでいたことに気がついていれば、悲劇は未然に防げたのかもしれない。


 夕方近く、家で炬燵の魔力にとらわれていると、藤也くんは弟同伴で鯛飯を持ってきた。

 両親がどうのこうのと言っていた気もするが、藤也に会えたのが嬉しかったので大して話も聞かずに引きずって家に上げていた。

 ただ、私たちは晩御飯よりも、藤也くんの弟がやって来たのに喜んだ。

 それはもう、とても彼に似ていて可愛らしい弟君を私たち一家は歓迎した。

 晩御飯をみんなで食べた、彼は勝手知ったるソファの上で寝てしまった。

 かなり無理をしていたみたいで、少し申し訳ない感じになったが、寝ている藤也くんの側にいたかったので「私も一緒に」と思って同じソファ、同じ毛布に一緒になって寝た。


 翌日、藤也くんの弟は母さんと妹の抱き枕にされ、藤也くんも私の抱き枕になっていた。


 それを家の玄関で寝ていた父さんに見つかり、緊急家族会議になった。

 結局、私に料理を教えたのが藤也くんだと分かったら母は諸手を上げて歓迎した。

 父は何か思うところがあったのか、彼と数分席を外して話していた。

 戻って来た彼に何の話をしたのか聞いてみたが、はぐらかされてしまった。

 母さんは「男の語らいよ」などと言っていたが、いまいち良く分からなかった。


   二月


 我が弟が彼女の妹に惚れたようだ。

 どうやら、正月に抱き枕にされて惚れたらしい。……弟よ、それでいいのか?とも思ったが、幸せそうなのでとやかく言うつもりはなかった。

 何も兄弟そろってとは思ったが、弟の初恋を応援しようと彼女と会う機会を増やしていた。この時はよく弟と一緒に行っていたし。

 彼女は他人の恋愛に疎いのか、単純に僕だけしか見ていなかったのか、子供のぴゅあな初恋に気がつく事は無かった。


 ――そして、学校の女子達が色めき立ってきた頃。


 色気より食い気な落合姉妹の為に僕ら兄弟は、バレンタインに気合を入れたチョコを用意した。……そもそも、バレンタインとは、好きな相手に男性が花や菓子などのプレゼントを贈る習慣なので別に男が送っても問題ない……と、弟に囁けば目に見えてやる気をだしていた。

 かく言う僕も、チョコレートを溶かしていた。

 ゆっくりとじっくり、ほんの少しのドライフルーツ。

 彼女の好きなリンゴとオレンジをゆっくり混ぜて作ってあげた。



 まあ、弟は自家製のチョコケーキを贈り、初恋を成就させるのだった。

 余談だが、この時に落合姉妹も妹主導で僕らにチョコクッキーを焼いていたらしい。だが、あまりの品物の格差に敗北し、冷蔵庫に隠していたのを弟が発見した。

 をれを弟が冷蔵庫から回収して僕もおいしく頂いておいた。……彼女の料理の成長にどこかしんみりとした気分にさせられたけど(後にほとんど妹の作であると教えられ呆れてしまうが)、じんわりとした心の温かさに流されてすぐに忘れてしまった。

   閑話休題

 実は、この時の僕達はバレンタインのデートと称して夜の街を遊び歩いていた。初めての夜デートに戦々恐々としてしまい何をやったのかはあまり憶えていなかったが、ホテル街だけは断固拒否していたのは憶えている。

 高校生は清いお付き合いが一番だと、貧血気味な頭で考えていたのを記憶している。


 ――ただ、幸せは長くは続かない。


 それは今まで目を逸らしていた事実が表に出てきただけ、揺り戻しの様にゆっくりと死に蝕まれていく体。ほんの僅かな変調から……けれども、僕に事実突き付けるには十分だった。体感以上に無理を押し通していたのが響いたらしく、数日も経たぬ内に文字通り血反吐を吐く羽目になった。


 それを彼女の母親に見られてしまった。

必死に頼み込んで彼女に伝えないようにお願いした。泣き落としみたいな形になってしまい気が引けたが、背に腹は代えられなかった。

 実のところ、彼女の父親には最初から見破られていた。流石は緊急外来の外科医といったとろだが、彼には二言三言話しただけで僕の意図が伝わっていた。「俺の娘も難儀なものだ」と、涙を浮かべながら言っていた。……本当に難儀しているのは僕の方だと言いたかったが、彼の手前でそんな事を言う気にはなれなかった。


 それからしばらくは彼女に会っていない時はレシピ頁にかかりきりにななった。

僕の胸中はほとんどが焦りで占められていたが、不思議と急ぐ気にはなれなかった。


 ――まだレシピ頁が完成していない。


 彼女との約束を大分先延ばしにしてはいるが、これを書き上げない事には死ねない。


 ――クリスマスプレゼントを先延ばしにしている彼氏のまま死にたくはない。


 割とちっぽけな理由だけど、僕が生きる理由ならそれだけで十分だ。人間、日常を意識的に生きようなんて思わない。


 だから、これは生きる理由と言うよりは目標といった方が正しいのかもしれない。……それでも、残された時間の使い方は決まったのは大きな進歩だろう。


   三月


 とうとう、日常生活を送るのが難しくなり、僕は割と大きな病院に入院する事になった。

こうなれば、彼女にも僕の状態が理解できたらしい。……鈍いというか、朗らかな天然というか、ある意味これも彼女の美徳だ。

「――え?」

 お見舞いに来てくれた彼女が驚くのも無理はない。今は酸素なしだと、呼吸もままならないほどに衰弱している。だから、今までの僕とは乖離した姿に驚いているのだろう。

 それでも動かし難い体に活を入れて彼女に座るよう促し、病室のベットの上で、彼女に全てを話した。

 遺言じみた、終活じみたお願いのように。

 ――第一に僕の弟と彼女の妹の仲を取り持って欲しい事。

 割とあの二人は相性の良さだけなら僕らを超えている。それに僕の死を二人の負の遺産にしてはならない。先のない僕よりも、年若く未来ある二人の可能性の芽を摘んではならない。……まあ、僕も普通に年若いのだけれど。

 ――今まで話せなかった僕の昔話と彼女への愛を……。

幼少期の失敗談を話せば、僕の気を知らないでか彼女は大爆笑していた。……いや、本当は気が付いていたのかもしれないけど、彼女はそれから目を逸らしていたのかもしれない。

 何だかんだあったけど、結局は彼女の手を握るくらいしかできなかった。……

一つ一つの動作が緩慢になるほどに疲労以外の何かが僕を蝕んでいた。

 ――そして、僕に遺された時間が少ない事を。

 ここまで言えば誰にだって分かる……彼女も僕が言いたい事を否定しようとした。


「でも――」


 ああ、これは言わせちゃいけないな……と。


「――正直なところ、生きてる方がおかしいんだ」

「でも、生きてるのならきっと――」


 それを彼女の口から聞けば、僕は死んでも死にきれないし、彼女もきっと取り返しがつかなくなる。だから必死に誤魔化した。それは浮気をした旦那みたいだったけどこの際これで良かったと思う。

 僕は一の奇跡なんかより、九の確実な幸せ。僕が居なくなって作られる幸せを残したい。


「――僕が何のためにレシピ頁を書いたのか分かる?」

「……えっ?」


 だから彼女の為に、後悔を残させちゃダメなんだ……。


「余命を宣告されてさ、死ぬまでにやりたい事………最初の内は考えてみようとしたんだ」

「でもこんな体だって分かった時からさ――情熱が消えたんだ」

「ほんと、氷みたいな人間になったんだなーって思ったよ」

「でも、君がその心を溶かしてくれた」 



「だからさ、もしこの恋に名前をつけるなら――」



 ――きっかけからして僕達の生き方そのものだった。


 初めはちょっとした興味。

 初めて馬が合う人間に出会って、一杯食わされて、側にいるのが当たり前になって、受け入れる事しかできなかった。

 だからそれが、恐怖になった。拒絶する事自体が怖かった、彼女の言葉を否定する事ができなかった……そして何よりも彼女の前でいなくなる事が怖かった。

 だから冷たくなった。……冷やかに接していれば、彼女の熱も冷めてくれるだろうと思った。


 でもそれは無駄だった。

 彼女の熱はそんな僕の心すら容易く溶かしてしまった。

 それが嬉しくもあり、悲しいものでもあった。

 だから僕は手紙でもなく、思い出でもなく、レシピ頁を遺した。


 彼女の為にもっと良いものを遺すこともできたと思う。


 だからこれは僕の我儘。……もしかしたら今でも僕は冷たい男かもしれない。


「――『氷のような恋』……だと思うんだよ」


 それでも、彼女が幸せを掴めるようにする為の努力だった。

 少し先の未来の顛末を、彼女の幸せの物語をこの目で見届ける事が叶わなくても、大体の想像はつく。

 これはきっと彼女の幸せのレシピ頁になる。……それは彼女を一番知ってる僕だから言える事。


「このレシピ頁は君の為のもの……僕からの一生分のクリスマスプレゼントと誕生日プレゼント、ついでに言えばお年玉の先払いだよ、巴(ともえ)」


 そう言って彼女に分厚い手帳を数冊、無理矢理持たせた。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔の彼女。

その手はとてもぬくもりがあって……それは僕の手が冷たい事を否応なく感じさせられた。


 ――この数日後に僕は消える……消えてしまう。


 ああ、でも……彼女と桜を見れなかったのは残念だった。……花見なんてしない柄じゃないのにさ、なんか我ながらバカらしい話だ。


   四月


 ――あれから十年、私は桜の時期になると彼の墓を訪れる。


 毎年、いつも決まって報告をする。

 卒業とか、就職とか、悩み事とか、愚痴だとか。

 君の弟が本当の義弟おとうとになった事とか。


 でも、この日は違う。

 彼とのケジメをつけに来た。

 十年間、ずっと言えなかった事。


「実は………」


 いざ墓の前に立つと、声が震える。


「……実はあの時、私は何も言えなかった」


 それでも、言い始めれば、後は考えるまでもなく、すらすらと喋っていた。


「言おうと言おうと思ってたら勝手に死んじゃうから、割と泣いたんだよ」


 そっとほほ笑む。

 割と泣いたなんて嘘だ……本当は心が折れて何もかもが嫌になって自暴自棄になってとっても泣いた。

 今でも、墓の前に立つと涙がぽろぽろと流れている。


「それでも……ね」


 そんな中で、彼の事を振り返った。

 最後に言っていた『氷のような恋』……それが彼の恋ならば――


「――私にとって、君は『桜』だったんだよ」


 桜の花はすぐに散る。

 きっと彼はそういうヒトだった。

 一生懸命になって、私の為に頑張って、それで死にかけてて、その半年間だけ彼は輝いていた。美人薄命、あるいは佳人薄命……とても儚い彼の生き様。

 だから、一年にほんの少しの間しか咲かない花に見えた。


「毎回毎回、私よりおいしい料理つくって」

「それが嫌だったから、一生懸命料理を教えてもらったのに」

「結局一度も勝てずじまい」


 自分で言っていて悲しくなった。

 本音は今でも勝てる気がしない。

 彼に倣ってレシピ頁を書いてはみたものの、勝てる気なんて起きなかった。


「それが今では立派な主婦業」


 左手の結婚指輪を撫でる。

 そうして、少し視線を下げれば膨み始めたお腹にも目が行く。

「結婚した日にさ、あなたの手紙が届いたの」


 あの時はびっくりした。

 まるで今見ているかのような内容に我を忘れた。


「白状するとね、実はあなたが生きてるんじゃないかって、思ったわ」


 そして、手紙を持ってきた妹夫婦に半狂乱になって問い詰めた。

 後にも先にも、あれ以上取り乱す事はないと思う。

 ほんと、人生で一番の恥ずかしい失敗にカテゴライズ出来てしまうくらいに。


「でも、違った」


 それは、過去からの手紙。

 彼の弟が預かっていたものだった。


「死人に口なしってよくいうけどさ、あなたはどうしてこうなるって分かったの?」


 正直言って、今の旦那とは運命的な出会いだったと思う。

 それも予測の内だったんだから、ほんと彼には敵わない。

 エスパーも裸足で逃げだすと思うよ?……間違いなく。

 でも、きっと分かっていたのかな?

 いいや、違うのかな。

 祈っていたのかも、私が幸せになることを。


「……私があなた以外の人に恋をするって」


 彼に操を立てて、一生独身でいても構わないとさえ思っていたのに。


「狐につままれた気分よ」


 彼に似たひとをまた好きになってしまった。


「でも、そんな事はどうだっていいの」


 だから今日の目的はいつもの報告ともうひとつ……それは、彼との決別。


「……今は幸せだから」


 彼は満足そうな顔で死んで逝った。

 だから、私もいいかげんに覚悟を決めるべきだと思った。


「でも最後に一つだけ言っておきたいの……」


 でも、最後に嫌みの一つくらいは言わせてもらおう。


「『桜のような恋』……それが私の初恋よ」


 そよ風がすっと吹く。


 風と共に散っていく桜の花弁はなびらは、どことなく新しい門出を祝っている気がした。








































 幾年後、というか前世のオチ



「で?私の愛しいお姫様……この手紙どういう事か教えてくれるんでしょうねぇ?」


「あの、その……ひぅ」





 副題:学生時代の元カレが娘になったけどどうしてくれようか(愉悦)









  おまけ


 体調が安定してきたので、外出許可を得て、しばらく通っていなかった校門をくぐった。

 主治医の先生からも、学校に行けるかどうか確認するよう言われていたので、仕方なく学校に行く事になった。……それも、文化祭の日に。


「兄さん……あれ食べたい」

「……ん?ああ、『焼きそば』か」


 なので、ちょうど土曜日で暇を持て余していた弟と一緒に模擬店を巡る事にした。

 その実、母が僕を一人で外に出すのを嫌がったので、言い訳に連れてきただけであるが……。


「すみません、焼きそば一つください」

「お買い上げありがとうございます」

「……どうも」


 弟の分を一つ買えばいか。

 まあ、僕が買ったところで、死にかけな体じゃ、食べきれる程の余力はなしい……。


「あの女の人、きれーだったね」

「……そうか?」


 弟が買って来た焼きそばを食べ始めた時に、ふと思い出したように言った。

 食べ終わった頃には子供らしく食べ汚しをしていたので、ハンカチで口を拭いておく、世話のかかる子はうんと世話を焼いて育てろというのは母の言である。

 更に不思議な事を言いだした。


「それに、兄さんを見つめてたんじゃない?」

「……は?」

「兄さんにもモテ期のとーらいじゃない?」

「ないない、絶対にない」


 弟は割と可愛い系の顔立ちしてるけど、今の僕に見惚れられる要素は何一つない。

 白い肌、痩せこけた顔、うっすらと浮かぶ隈……不健康のお手本のような顔だ。

 ――時折、心配そうに見られる事はあっても見つめられる程じゃない。


 だからきっと弟の勘違いだろう。


「うーん、あの人はきっと兄さんにほれてる顔だったと思うんだけど……」

「電波なこと言ってないで、さっさと食べないと置いて帰るぞ」


 ――この時はまだ何も考えていなかった。

 ……それでも、彼女との関係はこの時から始まっていたのかもしれない。


  ◆◇◆◇


 さっきの彼、どこかで見た事あるような……。


「どったのー、巴ちゃん」

「いや、さっきの兄弟のお兄さんの方……どっかで見た事ある気がするんだけど」


 何か惹かれる


「それなら入院中の葛城君じゃないの?……そろそろ復学するみたいだよ」

「……そう、それにしては今にも死にそうな顔ね」

「いや~、あれは去年からみたいだよ、私同じクラスだったからあの顔しょっちゅう見てたし」

「へー、そうなんだ」


 何か、得難い知見を得るような胸が詰まる感覚がする。


「さ、お客さん来てるからじゃんじゃん働いてねー」

「……うん」





 今はただ、漠然とした予感。

 ずっと先、今よりも遥か先の未来から――この物語は始まる。



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桜見る折、君に幸あれ エナドリ漬け(文) @underground2overlock

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