4章 お化け会
「じゃあ。覚えたね」
自分達の兄の言葉に小さく頷いた。
弱々しく見えたであろう自分に、『彼女』が溜息を吐く。
自分も、もっと強い言葉で任せろと断言したかったが、自分があの方の元に辿り着くまでどのような道筋が待ち受けているのか、想像も付かない。長い時間を過ごせば忘却の彼方に行ってしまうかもしれない。
「もっと誇らしい顔でもすれば?私達の代表として謁見の許可を受けたんだから」
「俺だってやっと会えるって嬉しいよ。だけど、」
「ああ。きっと一筋縄じゃ行かなねぇだろうな。その為に、お前が使命されたんだからよ。だけど、その場合お前なら辿り着けるって確信あってのものだろうよ」
自分の背後から同じようにシーツを被って訪れた『アイツ』の言葉に背中を押される。最後の集合にして、今生の別れを告げる決起会に、これで四人が集まった。
「あ?あいつはまだかよ?」
「もうそろそろ来るんじゃない?『アノコ』、『コイツ』がお気に入りだし。セントラル中枢に飛ばされるから一番部屋が遠いけど、最後の別れには必ず来るでしょう」
柏手を打ったように静寂に包まれた。再会は必ず叶う。あの方からの交信に嘘偽りはないと誰もが頷いた。融合、融解、投映、途絶、転移、反射。全てを用いても拒絶出来ず届いた声の持ち主を自分達は、己が主であると全員で迎え入れた。
自分達の世界カナンへと。
「で、あんたは自分のやる事理解してる訳?」
「一応な。だけど、結局出たとこ勝負だ。どれだけテメェの忍耐を支えられるかの、独り相撲だからよ。まぁ、移動は任せろ。そういうお前はどうだ?イメージは完成してるのか?」
「さぁ?結局コイツがあの方の元に送り出してくれないと、何も始まらない訳だし。何が何処まで出来るか。用意されている素体を確かめてからでないとね」
試すような口振り、用意される身体が真っ当な形になるか不安な言葉ではあったが自分だけは知っている。『カノジョ』が、この場にいる全員の事を最も理解し、造詣が深い事を。星を渡る子計画————あらゆる不具合が起こっても『カノジョ』ひとりで賄える程だと、自分は理解していた。
「ん?どうかした?」
兄からの声に、ゆっくりと首を振る。
「そっちはどう?上手くいきそうか?」
「僕は自分の得意分野を鋭意化すればいいからね。ちょっと自信があるよ」
ここ此処に至って、この豪胆さ。羨ましくはあるが真似など到底出来そうにない。事実として、彼は誰よりもその時が訪れるのを心待ちにしている気がする。だが、この場にいる誰もが、それぞれ期待している。楽しみにしていると言ってもいい筈だ。
「そんなに嬉しい訳?あの方と二人っきりでいられるのが?」
「そういう訳じゃあ‥‥」
「そういう訳でしょう?夢でしか会えてないけど、すごい美人だったシネ」
語尾を僅かに強めた声に肩がすくみ上る。
隣の『アイツ』が肩を叩いて、壁と成ってくれるが鋭い眼光を持つ『カノジョ』に対して、自分同様鳥肌を立てているのがわかる。『兄』も「まぁまぁ」と宥めてくれるが、例に漏れなかった。この空気を打破する一手を模索し、最後の別れかもしれないのに、こんな日常でいいのかと恐れていた時————
「待たせちゃいました?」
と、高い声が部屋に響く。扉を開ける音にさえ気づかない程、遊んでいてしまった自分達は、天の助けとばかりに立ち上がって『カノジョ』の隣へと据える。
「えっと、姉さん?」
「気にしないで。それぞれの役目を忘れないようにって確認取ってただけだから」
「うん、任せて。私も忘れてないから————」
薄暗い部屋の中でも、さんさんと輝く笑みを浮かべる『アノコ』に、『カノジョ』も牙を抜かれたようで髪を整えて上げている。————きっと、この光景も最後だ。
最終確認と言いつつ、既にずっと前から全員が理解して活動していた。
カナンの中に入ってからではない。カナンは処刑台ではない、ギロチンを落とされた桶の中だと全員が知り尽くしていた。自分達が作り出した、輝かしい街は血によって脈動する。
最後に兄が場の空気を絞めつける。最後に訪れた『アノコ』に訊いた。
「確認だけど、自分の成すべき事は理解しているね?」
「———はい。私は、ずっと心待ちにしていました。私の中の鏡は確かに存在しています。反射も反響も完成しており、カナン全域を————」
それ以上の言葉を閉ざす為、姉と呼ばれた『カノジョ』が口に手を当てる。
全員が目を閉じた。それぞれが要であり礎たる————星の奪還計画を思い浮かべる。全ての同胞が我々に託した再誕の刻。たった一粒にも命が宿る楽園奪還。
生ける音と契りを結んだ者。他惑星との交信の為に造り出された身体が、意志を持って歩き始めた者。猟犬に対抗する力の筈が、猟犬と同等の力を得てしまった者。正体不明の宇宙から零れ落ちた雫を、体内に受け入れてしまった者。
この場の誰もが、尋常の存在ではなかった。この場の誰もが、自分の異常さを理解していた。そして—————決して人々の中にはいられないと同胞達の世界を望んだ。
「理解しとこうぞ。誰が欠けても不思議じゃないってよ」
しじまを断ち切る、鋭くて冷酷な未来が脳裏に過る。しかし、それは最悪のパターンのひとつに過ぎない。この場の五人、誰が欠けても失敗するのだから————幾十どころか百にも届く可能性の道は、やはり数字だけ見れば失敗するのは明らかだった。そして『アイツ』は、自分を一番に気遣ってくれた。
「私がしくじらなければいいだけでしょう」
『カノジョ』は優しかった。作戦の第二段階の要たる彼女は俺を庇ってくれた。
「その前に、僕達の配置位置が変わる可能性だってあるんだ。むしろ、彼らの計画に穴がないなんてあり得ない」
『アノヒト』も優しかった。盤上事態に不備があると暗に指し示してくれる。
「私が得たカナンの地図が間違ってなければ、誰も失敗しないの。侵略者達の投下位置はわからない。だけど、引き寄せて誘い込むのは私の役目だから———」
この中で、最も幼い肩に支えられた自分が小さく感じる。自分は手と手を取り合って歩く同志ではなかった。同じ船で運命を共に乗組員でも、ましてや軍靴を並べる戦友でもなかった。もっともこの場で他人だった。
「———罪悪感でも持ってる訳?」
肺から背骨を一刀の元、断ち切られたようだった。
「馬鹿みたい。私達、これから皆で細切れにされるのに。何つまんない事考えてるの?」
干からびる唇を開く事が出来なかった。明日のこの時間には、きっと自分達は繋ぎ合わされて、ひとつの肉塊と化している。この中に加えられなかった同胞達は、今頃脳をくりぬかれて身体は廃棄されている。
「もし持つなら恐怖心にしなさい。私達に憧れてるなら、同じ意志を持って」
「‥‥だって、怖くないんだろう」
「怖いわよ」
シーツの内側で顔を上げる。仄かな光に当てられた顔は、彼女に似つかわしくない血の抜けた青だった。あれだけ麗しかった目からは光が消え、いつも張っていた胸も内側にねじ込んでいる。数秒もかけて3人の顔を見つめる。皆、青と白の死人の色。
屠殺を待つ家畜そのもの。自身の運命を悟った罪人としか形容出来なかった。
「みんな怖いんだよ。だって、明日には今触ってる腕もなくなるんだから」
楽器を握る白い手を持つ兄は、爪と指の間のささくれを歯で引き抜いた。血が零れるのも構わず、そのまま爪を噛み千切っていく。
「怖くない訳ねぇだろうが。明日には、もう誰とも話せなくなるんだからよ」
「‥‥ええ、とても怖いです。自分が自分でなくなるのがわかるんですから。私、今晩だけはひとりは嫌でした。私を知っている私も、あなた達も全員消えてしまうなんて」
誰よりも勇ましく、その背中で守ってくれた友も、諍いが起これば傷付く事も恐れず渦中に身を投げた少女も、自分と最も長く時間を共有した『カノジョ』も皆同じだったというのに。
「———俺も、怖いよ。死にたくない」
「やっと気付いた?じゃあ、必ず迎えに来てね」
シーツを頭から外され見降ろされる。
「あなたが皆の頼りなの。あなたの身体だけは用意されてるって言葉を、皆が希望にしてる。自分だけが救われると思ったら大間違いだから。私達は、あなたにしか救えない————忘れないで。私達がカナンで死んでいるって知り得るのは、あなただけだから」
信じられない物でも見るようだった。宇宙の彼方から飛来した何者かが、この身体を創造して意識を閉じ込めたなど。何故ならば、須らく貴き者は人類の脅威となってきたのだから。しかし、同時に先生はある事実に気付く。
「あなたは人間じゃない。そして、その主の目的は私達人類の発展の妨げ———」
思わず鼻で笑ってしまう。あの方が、人間などという矮小な種族の邪魔などする筈がない。そんなつまらない嫌がらせをする程暇ではないのだから。
しかして、あの方は猫ようでもある。楽しい何かを見つけ出せば、その手で掴まなければ許せない。宇宙の隅々までを、鋼鉄の船で眺めてきたあの方の目に留まってしまったのが、この自分達。ただの偶然でしかなかった。
「何が可笑しいの?」
「いえ。きっとあなたとあの方は気が合うと思って。うん、多分あなたがあなただから。あの場で姿を見せたんだと思います。喜んで下さい、俺達同様選ばれてしまいましたよ」
何を言っているのか、見当もつかないようだ。この顔は宇宙を見つめる猫を彷彿とさせる。自分がこれほどまでに赤の他人に、昔話をする事となるとは想像もしていなかった。
「やっぱりあなたは稀有な人間です。俺もあなたを選んだんですから」
「あなたは、ただ私の胸が好みなだけでしょう。こんな物、邪魔でしないというのに」
心底憎らしいようで、自分の膨らみを腕に乗せて睨み始める。あの方は、自分の肢体に自信を持って腕に乗せていたが、住む場所が変われば感性はここまで方角が変わるようだ。
「誰も彼もが私の研究成果ではなく。私の容姿に惹かれる。そんなに女性に飢えているというの?盲目に頷くだけなら、こんな身体は要らなかったというのに」
「僕が先生を見ますから。僕だけが先生の味方に、彼氏に成ってみせますから」
こういう場面での対処法は、精巣より生まれる本能によって教え導かれていた。よって手を取って、溢れ出る
「先生、もしや彼氏がいた事ないのでは?」
まさか襟を掴まれて、そのまま持ち上げられるとは思わなかった。
自分は、カナンという仮想世界ではあらゆる電子細胞を自身の手足として行使出来るが、現実世界ではただの非力な美少年でしかない。よって、歳よりも非力な美少年たる自分は、女性の手によって天高く捧げられる。この美少年は無力であった。
「私の今の恋人はカナンの電子回路であって電子細胞のひとつずつ!!彼らは、この私の容姿に惑わされず、正しい見地から私を導いてくれる正しきヒト!!だから、男性器を膨らませる生身なんていらないの!!」
締め上げられる首!!覗かれる眼球、真上から見降ろせる零れそうな谷間!!それぞれに苛まれる自分は、未経験な女性の捌け口となっている。過去にも、似た経験をしていたのを思い出す。————『カノジョ』に子供と罵られたとき、「体型ほぼ同じじゃん」と返した時だった。
「こんな状況で膨らませるなんて————」
生存本能によって子を残さんと反応する下腹部を見た先生に落とされた自分は、ベットの上で一度バウンドする。自分としても反応に困る、慣れない現象だった。
「———本当に、俺にも」
この地球で与えられた身体にも、類する局部こそあったが自分は一代限りの歯車であったから、妊娠させうる機能は持ち合わせていなかった。もっとも反応こそしても、相手がいないのだから無意味な排泄欲求と無視していたのだが。
「先生!!俺も子が出来そうですよ!!」
「口を閉じていなさい!!」
着ていた寝巻を脱ぎ捨てて先生に自慢しようと試みたが、容赦なく再度襟を掴まれて、そのままベットへと投げられるとは予想もしていなかった。
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