4章 猟犬観察『アイツ』
——————4章——————
猟犬観察『アイツ』
「追放完了」と何度目かの電子音を耳にし、カナンからの帰還した時だった。
待ち構えていた兵士達に銃口を向けられる。カテーテルを外したばかりの5歳児の何を恐れているのか。透明な揺り籠から立ち上がった自分は、大人しく欠伸をして手を振ってみる。
金具の擦れる銃器を尚も向ける姿は、獰猛な肉食獣を恐れる姿を覚えた。
どうしたものか。一体何を求めているのか首を捻っていると、聞き覚えのある声が響いた。
「話が違いますッ!!」
白衣の女性が硬質のヒールの音を立て、異議を申し立てながらガラス板の向こうで詰め寄っていた。相手はガラス越しでもわかる上等なスーツに身を包んだ紳士。だが顔付きがよろしくない。須く人間は自分の奴隷と考えている『選ばれし者』の表情を浮かべている。
「必要な消費だ」
慣れた口癖を耳にし、銃口の林も無視してバスローブを手に取る。
今もほぼ全裸である自分の関わった一連の件など目も通していないだろうが、漠然と『このガキ』は危険なのだ。と考えているのが必然であろう。
「カナンの汚染率は、確実に改善しています!!見て下さい、この実績は———」
「だからなんだ。新たな汚染を呼び込む『疫病神』を、まだ使う理由にはならないだろう。毒を以て毒を制すなど、ウイルスを駆除する為にバグを使うなどあり得ないのだよ」
知った口を叩くものだ。バグなど、ただの設定力不足の結果でしかない。外的要因による誤作動など、現代の機器ではそうそうとしてない。あるのは身内による反乱。
「いや、あるにはあるか。貴き者なんて、その最たる例だし」
「口を慎め。その名を広めるのは、」
「何を今更。騎士団オーダーであれ、悪魔つらなるものであれ、研究所だ、機関だ、使徒だ、教会だもみんな使っている一般用語だ。大学、財団にのみ許された特別な概念だとでも思ったのか?」
長いバスローブを巻き付けて、視線を向けるが『選ばれし者』は目すら合わせない。自分達を殺害した張本人だというのに————やはり、星を渡る子が恐ろしかったのだ。
「それより、礼の一言も無しか?」
ようやく顔を向けたと思えば、汚物でも見るような目を配った。
ぎりぎりと奥歯を軋ませる力み過ぎた顔を見て、つい鼻で笑う。自分の思い通りにならず、むしろ負担であり負債となってしまった子供達が憎らしくて仕方ないと、心中を察してしまう。
「なにが言いたい‥‥」
「お前が無為に使った命そのものが、この俺だ。お前の妄想に付き合ってやった報いが、その顔か?身を粉にしてカナン創生の礎になってやっただろう。なら、俺に礼の一言でも————」
銃声が響く。だけど、音の発生源はガラス窓で隔てたオペレーター室からだった。あのままでは歯を噛み砕いてしまう。顎が充血を超えて、真っ白に血が抜ける力を込めた姿は、写真で眺めた孕んだフグを思い起こさせる。
「舐めやがって————おい!!向こうへは何処から行ける!?」
冷静を装っていた紳士は、口を衝くままに言葉を選ばず怒号を響かせるではないか。
奇しくも再会が叶ってしまった。その上、接触も計れるとは。
固い革靴を強く踏み慣らす後を、白衣の女性が追いかけて事実を訴えかけるが護衛の兵士に突き飛ばされて資料を床にぶちまける音が響く。すぐ近くの白衣の同僚達は見て見ぬふりを敢行。一切手も貸さない。しかし、当の女性も一切怯まなかった。
「止まって下さいッ!!そこは汚染を一切許さない滅菌室、そんなスーツで出入りなんて」
「————逆らう気か?」
「あの部屋にある機器の価値がわかりますか!?あなたの息を含んだ怒声だけで回路が酸化し、糸くずだけでフィルターが詰まり、熱暴走を起こす。白い塗装がされているのはただのイメージではありません!!損傷に経年劣化、埃溜まりが計算よりも早く進行すれば、」
思わず拳を握ってしまった。たった数秒前に突撃銃アサルトの銃底で突き飛ばされたとは思えない強気な饒舌だった。しかも、内容は何処までも正論。
ベストを着こんだ兵士達が、女性の必死さにようやく周りを見渡す。
「下手に腰掛けるなよ。傷ひとつ数億の世界だ」
一歩振り返って近場のアクリルカプセルに座ろうとした兵士に伝える。
再度、銃弾が埋まっているガラス壁に視線を戻せば、護衛に手を上げて女性の背後に付かせる。—————きっと彼らは何も知らない。自分達が何をしているのかを。
「機材ならば、いくらでも補充できる。貴様、私に従わない気かと訊いているんだが?」
「ご理解出来ませんか。あなたが一歩でも踏み込めば、カナンはあなたを受け入れないと言っているのです。現代のホモサピエンス級の知的生物の脳の細胞ひとつひとつを細分化してデータとして取り込んで、カナン内に再構成する実証実験中の部屋で暴力?タイル一枚でも砕けば、カナンのブロックひとつが崩落する。わかったなら、今すぐあの手勢を下がらせて———」
拍車がかかる白衣の女性は、舌禍とも受け取られかねない表現も交えて事の重大性を訴え続ける。感謝すべきなのだろうが、直接な接触を求めていた自分は僅かに肩から力が抜けてしまう。
「‥‥話はそれだけか」
「まだ足りないぐらいです」
手首を掴まれて床へと押し付けられた女性を、「連れて行け」と命令を下された兵士が引きずるように連れ去れる。邪魔者は消えたと瞬時に清々しい面持ちとなったスーツの男性は、背後の白衣陣になんの許可も取らずにオペレーター席へと収まる。
そして軽く笑んだと思った時、鼻で笑いながら口を開いた。
「聞いたぞ。あの女とは、」
「それセクハラって言うんだそうだ。他人の仲を探るな童貞」
白衣の女性がマイクで補佐をしていた席を拳で殴りつけた男性が、指だけで命令し俺を外へと連れ出しに掛かる。エアシャワー室や金属探知機等の設備を一切無視した兵士に腕を取られた自分は、溜息をするしかなかった。
「気持ちいいですー」
入浴後のヘアドライヤーを受けながら、白衣の女性に感想を伝える。暖かい風と冷風が頭皮に届く感覚は、いつも新鮮だ。そして髪をかき上げられる刺激は、こそばゆくて心地いい。自分の髪から香る甘い洗髪剤シャンプーが、なお良い。
「‥‥そう。良かったですね」
「どうしました。もっと叱りつけてもいいのに」
軽く振り返って譲歩するが、白衣を脱ぎ去った女性は無表情でドライヤーを握っていた。Yシャツの前を濡らした女性は痛々しくもあり、どう接すれば感情をくすぐれるか想像させる隙を持ち合わせていた。
「先生、疲れちゃいました?」
「何故、そんなに余裕でいられるの‥‥」
「だって、先生に世話して貰ってますから!」
完全に身体を女性に向けて、しがみ付いてみる。湿った服を着ている年上の女性の身体は、自分が知り得るヒトの中で最も豊満でふくよかで、手が何処までも沈む底なし沼のようだった。
まさか同じ部屋に軟禁されるとは思わなかった。自分達を舐めていると同時に、一か所に集めれば部下の配備に気を回さずに済むからなのだと推測する。
「何故、あなたと一緒に————」
「だって、俺とあなたは恋仲ですから!」
と、胸を張って宣言する。だけど、先生は特別驚きも拒絶もしない。
ドライヤーを降ろした女性は珍しく胸で頭を抱いてくれた。力を抜いた身体は、筋肉による反発力がない為、更に深く頭を沈めてくれるが————これでは布団に飛び込むのと変わらない。
だけど、完全に胸骨に頬を当てた時、肺が動くのを物理的に感じた。
「星を渡る子計画————あなたは主要メンバーのひとりですね」
「否定はしませんよ」
「あと何人いるの」
胸の中で呼吸をしていると、いい加減にしろと肩を叩かれた。大人しく離れながら「———ふたり」と告げた時、女性は白衣から自身のスマホを取り出した。そして無言で画面を差し出し、指で特定の部位を示す。
「病院と教会とセントラルエレベーター、あなたの送ってくれた深度測定のメカニズムを走らせたプログラムをカナン全土に浸透した結果。浮き上がった区画ブロックがこの三つ」
「教会ブロック?そんなに巨大な宗教地区を構想しているんですか?」
「教会と言っても千差万別。バシリカ型、寺院、モスク、礼拝堂、神殿、あらゆる宗教、宗派によって必要とされている構造から聖具を網羅する住宅街でもあります————これは一時の借宿。本格的な要件定義は後に」
顔に出ていたようだ。現代の根深い国際問題の根底の生き写しのような街を作り出すと述べた女性は、何事も無かったように説明を続ける。
「あなたも知っている通り。カナン内で異常値を知らせる施設はAIと人間にとって双方にも、或いは片方に傾いてしまった発展を繰り返した癌細胞を意味します。今はまだ予兆とも言えない、極々微弱な計測結果ではありますが、恐らく————」
それ以上を言わないのは断言を出来ないからだ。彼女も研究者、祈る事は出来てもあらゆる事象に普遍的事実がないように、今後の予測を明文化出来ないのだろう。
「これを知っているのは私だけ。彼らが少しは利口で、僅かながの克己心を持っていれば」
「そんな物を持ち合わせていないから、俺達をここに閉じ込めたんです」
「———憚らない子」
カナン全域を模した地図を消した女性が、ベットに座ったかと思うと隣に座れと手で叩いて示してくる。ピンときた。逡巡するまでもない。いよいよ自分は———。
「目を潰されたい?耳を貸せと言っているの」
「想像するのは自由の筈です」
「するのなら夜にひとりでしなさい」
引き寄せられるように、無理矢理座らせられた自分の耳に言葉を走らせる女性に、自分は首を振る。女性は当然と言った感じに頷いた。
「やはり————」
「気付いていたんですね」
「カナン内で起る現象に無駄な物はありません。あの身体が奪われるように消えたのは、カナンそのものが新たな細胞を欲したから。それが成長であるのなら喜ばしいのですけど」
言葉を詰まらせた女性に、自分は再度首を振る。
「それで、今も中で待ち続けている子供達は、あなた以外を受け入れるの?」
「まさか。拒絶するに決まっています。巣くっている貴き者も例外ではありません。カナンを完全な物とする為に、俺達を欲したのに。ただの人間が入って来ようものなら————ただの餌としますよ」
初日に容赦なく歓迎をしてくれた女性体を思い出させる。専用のアバターを用意された自分が、あそこまで完膚なきまでに撤退に興じたのだ。共食いと壊死、崩壊の情報しか扱えない銃火器では、空砲にも届かないだろう。
「‥‥よく聞いて。カナンは私にとって特別な世界なの」
「俺にとっても同じです」
「そうね。だけど言わせて、カナンは平和であらねばならない。多くの人々を導く楽園でなければならない。私達が規定されてる寿命で失われたとしても、この思考が無駄な楽観的意識だとしても。あの仮想世界で血を流させたくないの」
初めて、この人と心を通わせられていると思った。彼女の言葉が心に溶け込んでいくのがわかる。忌避感など湧かない。何故ならばカナンという土地は、俺達自身だと知っている彼女が発してくれた言葉だから。俺達を貴んでいると理解した。
「良いんですか?あなたを突き飛ばしたのは」
「一度や二度、突き飛ばされた程度で目くじらを立てる私じゃない。何度細胞や電子回路に裏切られたと思っているの。彼らの方が、私が向かい合ってきた世界よりもよっぽど単純で救いやすい生命体。だから、どうか————」
だけど、自分は拒絶しなければならなかった。だって俺達を殺したのだから。
「あなたの意志は尊重したい。何度も救われてきたから————だけど、俺にも意識がありました。死ぬ直前まで身体と脳と眼球を粉々に切り分けられた記憶が、仲間を奪われた経験があります。ごめんなさい先生。俺には、あの人間達は救えない」
鋼鉄の女神によって救われるとわかっていた『命』ではあった。
だけど、恐ろしくなかったわけではない。意識を冷たく軽く奪われる喪失感。二度と目が覚めないのではないかという恐怖。その時、仲間達の想いを踏みにじってしまう強迫観念。家畜ですらない。気まぐれに食す菓子にも満たない扱い。
「元々、俺達は復讐の為に舞い戻ったんです。ひとりでも多くの人間が死ぬのなら、俺にとってこんなにも胸がすく思いはない。だから、見殺しにします」
「‥‥ええ。それが正しい」
先生の目が窪んでいくのがわかる。白かった顔が更に白く、血の気が消えていく。
「何を頼んだのかしらね。消耗品として使い潰された、生贄として捧げられたあなたに救いを求めるなんて。———きっと、彼らと私は変わらないのでしょうね」
自嘲するように微笑んだ横顔に手を差し伸べる。冷たくて血の気が引いた青い顔を、自分は救いたかった。鮮血を抜かれて青い血に満たされるプールに落とされていく仲間の顔を思い出した。だけど、ただの作業として掛け声ひとつで捨てられた。
「————先生も、こちらに来ませんか?」
顔を上げる姿に、牙を覗かせる。確信していた。この人も同類だと。
「何を言っているの。私は、あなた達とはまるで違う生物です。あなたはひとつの命から生まれた————」
多くの言葉で理論を完成させ、いかに自分はあなたとはわかり得ない別個の生物だと宣言して行くが、確信的な一言を一切発しない。自分の外面で徹底的に壁を作る先生は少しだけ愛らしかった。
「先生、なぜ言わないんですか。どうやってあなたはここにいるのかと」
「————話の脈絡が」
「どうして、どうやってその身体を得たのか。どうやって私の目で見える身体を持ちだしているのか。俺達は今も、元々持っていた身体はカナンの礎としてひとつの脳に変えられています。だけど、俺は別の身体を持ってここにいる」
自分達主要メンバーとは違い、頭脳ではなくカナンの電子細胞のひとつとして使い潰された『星を渡る子』達は、必要な
おおよそ先生達は、その中に紛れ込んで逃げ出したと思っているのだろう。
「知りたくないですか。再誕した方法が————」
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