4章 鉤爪

 軟禁生活も数日経った頃だった。暇な時間を潰すべく、膝を明け渡してくれた先生と会話を続けていた時、ようやく部屋のスピーカーが鳴り響いた。


「一体、私のカナンに何をした‥‥」


 悲痛な面持ちが浮かぶ、痛々しい声ではあったは自分からすれば先生の内臓を流れる血流の音とは比較にもならなかった。再度、先生の胸の下に隠れて温かなブラウス越しの肌を感じる。


「部屋のカメラも、何もかもを破壊する自由は与えたのだ!!答えろ、一体なにをしたんだ!!」


 酷い耳鳴りが起こる。ハウリングを続けるスピーカーをついには無視出来なくなった先生が、俺を無視して立ち上がり備え付けのマイクのあるデスクへと足を運ぶ。


「何とは、一体どれの事ですか?」


「とぼけるな!!お前に聞いているんじゃない、そこのガキを寄越せ!!」


 癇癪も過ぎれば喜劇だ。鼻息荒く、我々『子供達』を見下していた男性は尚も「早く答えろ!!」と叫び続ける。星を渡る子計画は、確かに人類発展の展望を胸に創造されたが、この男性は近々脳卒中で帰らぬ人と成り果てるだろう。


「うーん、どれだろう。ビルひとつ落下させた事ですか?」


「あれはカナン側が早々に修復し、現状回復を果たしたから。多分違うでしょうね」


 シャツドレスと呼びらしい、長いブラウスだけを身に纏った先生が巻き戻しのようにベットへと腰掛けた。自分も再度膝に飛びつくが、腕で拒絶される。


「先生、冷たいです‥‥」


「勝手に言っていなさい。それで—————構わないのね?」


 その問に頷いて、自分は何も纏わずにマイクへと近づく。


「今、忙しいんだ。一時間後に連絡してくれ」


 そう言ってマイクから離れて、三度先生に抱きつこうとしたが髪でも引かれるように壮絶な怒号が響いた。仕方ないと諦めて、とあるヒントを与える。


「大方、それぞれの地区ブロックの核が無いって話だろう。なら簡単だ、原因究明は後にして応急措置を急いだ方がいいぞ。核の半分以上を失って、崩壊寸前だろうからな」


 それだけ告げて、マイクとスピーカーの電子回路に侵入。自分だけが施せるスイッチを作動させて根本を断つ。そしてようやく先生にしがみつく。


「どうでした先生、俺はカッコ良かったのでは?」


「あちらは完全に痺れを切らしたようね。手を借りたくない相手であるあなたに縋りつくほどに。そろそろこの部屋にも訪れるでしょうから、お互い着替えを済まさなければ」


 精神的にも肉体的にも上な大人の女性は、軽く頬を叩いてシャワー室へと入っていった。汗を流す水の音を聞きながら、下着やよれたシャツの袖に腕を通す。


 『カノジョ』からの交信によって、新たな肉体の二つは完成したとの事だった。これで四人分全員の依代が用意された。置いてきてしまった『アイツ』と『アノコ』を迎える日取りに至った。


「————完全とは、言い難いかな」


 手首の血管に指を添えて、明滅する生命の余波を感じ取る。


 数日の休暇こそ得たが、自分の身体はあくまでもあの方が、自分であろうと模して造り出した肉体。人間という種を初めて見て真似た身体には、長い耐久性は持ち得られなかった。雄という存在意義も形だけで、新たな命は生まれていなかった。


「だけど、後数回なら耐えられる。最悪、カナンの中で死んでも————」


「次はあなたが。どうしました?」


 手首を抑えていた俺に、甘い香りを携えた先生が声をかけてくれる。自分は何でもないと首を振って、先生が入った直後のシャワー室へと飛び込む。だが、当然のように先生も何も纏わずに入ってくる。


「大人しく見せなさい」


 返事をする間もなく取り上げられた腕を眺めた先生が脈を取り始める。爪の跡が残る位、正確に取り終えた先生が静かに抱き締めてくれた。


「もう少しだけ頑張りなさい」


「勿論、そのつもりです」


 共に上げるシャワーの温かな湯気に巻かれ、何も言わない先生の胸に頭を備える。きっとこの体温すら、次の進入ダイブで忘れてしまう。そして二度目に至った時、自分は二度目の死を向ける事だろう。


「私をも救って見せると約束したのだから。必ず迎えに来なさい」


 髪を降ろした先生の背中に腕を伸ばした時、来訪者を告げるブザーが鳴る。煩わしい音だが、内側からしか開かない細工をした鍵を良いことに先生がシャワーの量を増やした。






「説明しろ」


「俺が中に入って、異常値を上げている箇所を刈り取ってくる」


 もう慣れたもの。傭兵達を連れてくる前のように準備を始めた先生を横目に、自分はアクリル製の揺り籠を手で押す。上から見降ろす男性は気付いていないが、先生以外の白衣たちも、準備に取り掛かっていた。


「なんの為にだ?」


 自分から呼び出しておいて、不毛な会話だ。


「不毛な会話だ」


 つい口を衝いて生まれた言葉を、慌てて呑み込むが時すでに遅し。奇異な目止まりであった筈の視線が殺意に満ち溢れた代物へと変わる。しかし、男性はやはり自分に頼る他なかった。


「あらゆる行動を監視が条件だ」


 そう意気揚々と告げた姿に、自分は鼻で笑い。傭兵達は無感情に。そして白衣達は時が停まったように硬直した。あれだけの人的被害を出したカナン浄化作戦の顛末書を視界にも入れていないのだろう。


「別に構わないが、見るのならひとりだけにしろよ」


「————誰に命令している」


「お前だよお前。先生、準備を」


 ガウンを脱ぎ捨てて、開かれるポッドに乗り込む。身体に這うコードが先から枝分かれし、体内に潜り込んでいく。接触直後の神経との干渉に身体が震えるが、初日に比べれば水のようなものだった。そして後ろに付き添っていた先生とは違う女性の職員が、ジェル等の処置を施してくれ、上から蓋を絞める。


「よく聞いて。あなたの身体は、あと二回の存在証明の衝撃には耐えきれなくなる」


 耳元から聞こえる内線に舌を巻く。ただの勘であったが、その実自分の身体を良く知っているのは自分だったようだ。


 直後、背中を付けているポッドの底が抜けるように頭から真っ逆さまに落ちる幻覚に陥る。巨大な電極の中を、ホログラムのように光輝く激流と共に流れる衝撃に、未だ持ち合わせている現実の身体が震えていくのがわかる。


 次の瞬間、目を閉めていたのだと気付いた時には見慣れたコンクリート打ちっ放しの部屋に囲まれていた。気分転換であり、もはや習慣となってきた熱帯魚に餌をやる。


「現実よりもよく動くじゃないか」


 痺れを隠しながら先生の肢体と絡み合っていたが、きっと気付いているのだろう。


「状況はどう?」


「視覚、触覚、聴覚は正常だ。他の二つはわからない」


「結構。正常という事ね」


 いつも間にか着込んでいる学生服の上着を脱ぎ捨て、何度目かの玄関、エレベーター、受付のコンシェルジュを通り過ぎる。にこやかな笑顔に送り出された自分はさんさんと輝く太陽と青空に包まれる。先生の言う通り、自分が崩壊させたビルひとつはきれいさっぱり掃除が済み、新たな建造物が立ち並んでいた。


「————アレは来てませんね」


 漆黒の身体を持った女性の巨人。髪を蛇のように作り上げたあの姿は、常人ならば瞬時に発狂へと陥ってしまう。


「初日から現在に至るまで、あなたの近辺は勿論浄化したブロックにも立ち入っていないと検査報告を受けています。あれがいないのなら好機、そのまま車両に乗り込みなさい」


 僅かに視線を外しただけの空間に、浮き出るように高級な車が生まれる。よくよく知らないが、このデザインも誰かの記憶から作り上げた盗品なのだろう。


 車高の高さはなんとやら。そんな戯言を思い浮かべながら乗り込めば、すぐさまエンジンが起動し自動的に発車してくれる。質感の良い皮のシートは癖になっていた。


「これから何処に?」


 おおよその見当はついていた。『カノジョ』『アノヒト』とくれば、必ずや『アイツ』が待っている。『アノコ』はカナンの中心セントラルにいるのは既に知っているのだから。


「これから向かう場所は病院です。つい数日前に、こちらから人間の実行部隊を送った所、全員との連絡が断絶。現実の身体の生命活動すら止まってしまったと」


「それは期待できそうですね」


 最悪の展開だと奥歯を噛みしめる。『アイツ』は対猟犬用に調節された武闘派と呼べるだろうが、アイツは後天的に新たな力を授かっている。精神転移と呼ばれた、位置情報の誤差操作。だが、それは彼の周辺にしか作用出来ないと知り尽くしている。


 もし猟犬が訪れてしまっているのなら—————そんな人類壊滅の最後の鐘を吹き鳴らしそうな現状に、一切気付かない人間から怒号を受ける。


「よく聞け!!お前は浄化さえ済めばそれでいい!!それ以外を見る必要は———」


「うっせぇ引っ込んでろ」


 そう答えた直後、腕の内側に血が迸った。


 こちらでは味わった試しのない激痛に耐え、目を僅かに開ける。そこには数字が浮かんでいた。しかも、数字は四つならば見た目通りに刻一刻と減少していく。


「正気か‥‥」


「時間制限だ。それより長くいれば、貴様の生命維持装置を止めてやる」


 自分は安全な位置から、駒おれを操れる軍師だと思い込んでいるらしい。最も苛烈な戦場は、何をも見渡せるそのオペレーター室だというのに。


「————もし時間が来たら、こちらから伝えます」


「死んだふりでもしますね」


 今も刻み続けている腕の痛みに耐え、全ブロックがパズルのように変貌していく光景を眼下に収める。ビジネスビル街の道が、真下から作り上げられ目的地たる医療地区が遠くに見え始めた。巨大な白い建物であるが、よく知られた赤の十字は見当たらない。


「宗教によっては勘違いされるから。そしてまだ同盟に許されていないから」


 と、割と現実的な理由を知らされた。


 数分間のドライブを楽しみながら到着した建物は、いっそらしいと宣言出来る光景で待ち構えていた。実行部隊たる黒い装甲服を纏った軍属たちは、皆一様に血に塗れて倒れ伏している。それは腹部であったり胸部であったり、あるいは目元からも。


「見て行けない者を見たのか。益々楽しみだよ」


 死体として算出されている物体を踏み越えて、自動ドアを潜り抜ければそこは何者か達が争ったのだと、そして相手は人間ではない尋常外の獣だったのだとすぐさま知れた。人体を真っ二つに、そして身体を真っ直ぐに縦割りに出来る兵器など存在しまい。


「見た所、実行部隊は完全に全滅している」


「それがなんだ。早く浄化を進めろ」


 自分を守ってくれていた盾が、どうなろうと知った事ではない。そんな物よりも優先すべき事由があるのだからとっとと済ませろ。訳すととしたら、このような感じか。嘆息しながら受付とベンチ、巨大な時計が設置されている待合所を眺める。


 床一面を夥しい、咽かえる量の血が覆っていた。軽く踏み込めば血の水紋が浮かぶ程。時間が経って久しい筈だが、血が凝固する算出はされていなかった。


「AIも怪我をするのか」


「あくまでも擬似的な怪我ですけど。勿論、死亡する事はありません。しかし、不測の事態が起こってしまった時、ここに送られて初期化処置、或いはデリートを施します。気になる?」


「気にならない。とは言えない。俺だって他人事じゃない」


 人間という種族を危険分子として想定してしまう。そんな正しい判断を下せるAIが誕生してしまえば、それは人間の全てを理解する殺戮者をなり得る。その場合は、何を押してでも処置しなければならない。ここは処理場と呼ぶに相応しい。


「無駄口を効く暇はない―――早く始末しろッ!!」


「何をだよ」


「知るかッ!!知っているから、自分から侵入したのだろうが!!」


 これだ。泣き言のひとつでも漏らしてしまいたい。あれだけ大見得を切って椅子に座ったというのに、この場で一番の門外漢は彼であった。計画の第一人者にして星を渡る子計画を創設した天才とも称せる人物であった筈が、何かに憑かれてしまった。


「了解。探索を続行する」


 何所へ向かえばいいかなど自分こそ知らないが、『アイツ』がいるのは間違いない。猟犬に狙われ、諸共に何処か別の時空へ、もしくは猟犬だけを飛ばす力を付与された彼の周りは————常に狙われる危険性を孕んでいた。


「仮に違っていても、今回も危険そうだ」


 試しにエレベーターのボタンを押せば、確かに扉が開いてくれるが同居している死体の数が多過ぎてすぐさまブザーが鳴ってしまう。鳴ってしまった。後悔したのも束の間、すぐさま屈み血の池と化している白いゴム床から滑り逃れる。


 直後に何もない筈の空間、自分の丁度頭蓋があった場所へと振り下ろされる獣のかぎ爪が深々と床へと突き刺さる。本能的に、ぞくりとする首を落とす為だけの刀にも似た爪に息を呑む。


「そ、そいつだ!!そいつを排除しろッ!!」


 言われるまでもない事を、さも自分の手柄のように叫ぶ男性を無視してもはや現実的にあり得ない姿となった拳銃を放つ。爪に着弾するように祈った弾丸であったが、当然のように弾頭は通過してしまう。


「これはどうだ?」


 瞬時に槍へと形を変えた触媒を使い、未だ居るであろう辺りを薙ぎ払う。一歩踏み込みながら、石突きの当たりを握り締めて繰り出した全力の切断の一撃は、諸人であるのなら腰から下を無くす必殺であった事だろう。よって予想は正しかった。


「———————」


 受け止められた槍の衝撃を受けた自分の手首は折れ曲がり、肘さえ骨が突き出しているのを感じた。すぐさま再度転がりながら無様に逃げ去り、先生からの再生を待つが————腕辺りのタイムリミットが血管を引き抜かれ、皮が丸ごと剥がされたように痛み出す。


「逃げるなッ!!さっさと始末しろ!!」


 向こうに操作出来るメモリでもあるらしく、先ほどとは桁が違う痛みに襲われる。視界すら霞む激痛に足を動かすタイミングを見誤った。片方の足首から先を失わせる一撃を受けながらも、獣の間合いから血を吹き出させながら逃れる。


「何をしているって言ってんだよッ!!早く————」


 途中で声が止み、痛みが消えた。切断された箇所から血が止まり、曝け出された神経と肉だけとなった足で病院の外を目指す。だけど無論、獣もただでは逃がさなかった。


 背中を切り裂かれ、腹部を貫通する爪を槍と銃弾を交えて振り払いようやく自動ドアから外へと逃れる。車まで逃げ去った時、自分は病院外の死体と同じように倒れ伏す。


「‥‥木乃伊取りが木乃伊になる、だったか—————」


 自力では戦闘なぞ望めない程に痛めつけられた自分は、血に塗れた手足を奮い立たせて最後の力を振り絞って車両へと逃げ込む。だが、直後に車両が横転する衝撃を受けた。この状況での精神融合、融解による位置認証変更の力など使えば、自分は撃ち込んだ樹々やビルに埋まってしまう。だけど、背に腹は代えられないと覚悟する。


「先生‥‥」


「そこで待っていて」


 あり得ない挙動を体験した。横転寸前であった筈の車が、空中で姿勢を整えてしっかりと四輪がアスファルトを掴み取る。その上、すぐさまエンジンが点火され疾走を始める。ワイヤーにでも吊るされているのかと錯覚する動きを、車が披露した。


「すごいですね‥‥」


 カナン内とはいえ、血を失い過ぎた。折られた手首と失った足首より下が徐々に再生されていくが、遠のき始める意識を取り戻すまでには体力が足りなかった。


 しかし、恐らく殴られたであろう紳士の声が、耳に響く。


「ふざけるな!!今すぐ戻れ!!そして排除しろ、なんの為にそこにいる!?なんの為に、私が造り出したと思っているんだ!?」


 人命救助、いや、人ではないのから仕方ない。だが、動かないものは動かない。恐らく今も追って来ている獣から逃れるには、一度現実世界へと戻るしかない。そう思っていたが—————声に出した。


「俺を追放するのはマズイ。そっちに連れ帰る事になる」


 膝を曲げて、どの程度まで足首が再生されたか確認しながら告げる。しかし、先生は何も言わなかった。知らない筈がない。あれだけ自分は説明したのだから。


「先生————」


「今、ここであなたを失い訳にはいかない。それに、あれが実行部隊を襲撃してから数日間の間、こちらへは手出しを出来ていない。一時の猶予はあります」


「‥‥わかりました」


 身体の肌が分解されていくのがわかる。ふつふつと泡立つように構築されていた肌が現実世界へと戻る寸前、自分に残された時間の限界を悟った。

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