イチゴのせい


 ~ 五月四日(火祝) ~

 イチゴの花言葉

 幸福な家庭




「…………クラブサンド?」

「ニアリーイコール」


 よく知ってましたね、そんな言葉。

 でもね?


 これはニアリーくありません。


「ニヤリーシヨーゼなのです」

「ニヤリして欲しく無いの。にっこりして欲しいの」


 お休みの日は、お仕事をさせてもらっている都合。

 決まって寝泊まりさせていただいているこの場所。


 結婚式場としても利用できる教会がある。

 白い建物ばかりが数件建ち並ぶ美しい丘。


 少し涼しい風が、初夏のお日様でぽかぽかになった頬を撫でるウッドテーブル。

 丘一面を見下ろす、この地一番の特等席。


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をお嬢様風に編んで肩から前にたらして。


 イチゴの花飾りの帽子をかぶった女の子。

 藍川あいかわ穂咲ほさき


 こいつが来ると、みんなが譲ってくれる素敵な場所なのです。


 が。


 そんなせっかくの場所で。

 俺のすきっ腹を待っていたお料理は。


「腕によりをかけたの」

「一応、被告人の証言を聞いておきましょうか」

「半分こっこしようと思って縦に包丁入れたら思いの外右側有利になってね?」

「はあ」

「横向きにリトライしたら、今度は下側に軍配が上がって」

「なるほど」

「右斜め四十五度の戦いでは右軍優勢で、左斜め上空の戦いでは左軍が圧倒的大差で勝利して……」

「最終的に?」

「半分にして半分にして半分にして半分にしてご飯まぜて半分にして卵溶いて半分にして塩とコショウでフライパンにチャオ

「意地になったからって普通は辿り着きませんよ、チャオ」


 俺はレンゲを受け取って。

 良く焼けたパンの香りがするチャーハンを口にしてみたのですが。


「……すげえ美味しくて突っ込む気にもなりません」

「隠し味のオイスターソースがポイントなの」


 どこがオイスターなのか、俺には分かりませんが。

 とにかく美味いことは美味いので。

 これ以上文句を言うのをやめました。



 目に優しい緑の海に浮かぶ。

 ばかみたいにすこんと抜けた水色の空。


 穂咲のワンピースと同じ色。


 どちらの水色も。

 ぼけっと見ていたいのに。


 見つめ続けていると、すぐに赤くなって。

 こんな素敵な時間が終わってしまうから。


 なるべく視線を向けずに。

 会話に集中しましょうか。


「葉月ちゃんは元気なの?」

「後で休憩時間に来るって言ってました。多分、お料理の質問攻めになると思いますよ?」

「頑張ってるの。あたしもお店、頑張らなきゃ。ようやく暖かくなってきたし」

「まだ、少し冷えますがね」

「上はお日様でぽかぽか、下はひやひやなの」

「ヴァンパイア?」

「ひやひやしちったの。ひえひえだったの」


 そうですね。

 丘を渡る風はまだ少し冷たいですね。


 穂咲の膝に、俺の分のブランケットを重ね掛けしてあげてから。


 改めて席に着いて温かいスープをすすると。

 丘に響き渡る、不快なブザー音。


「なんの真似です食事中に」

「テーブルマナー、マイナス二点なの。食事中に席を立つ前には、ちょいとごめんなすってするの」

「江戸でしたか今は」

「あと、音を立てて食べていいのはおそばと硬いステーキだけなの」

「ステーキはダメでしょうが」

「あいつだけはもう、あたしの権力でもどうにもならないの。てやんでい畜生めなの」

「江戸でしたかここは」


 あと、あなた。

 どんな権力をお持ちなのです?


「じゃあ、ステーキはどう食べるのがマナー?」

「……丸呑み」

「つっかえちゃいます」

「そしたら、お肉を細ーく切って湯がいて、一口分毎にによそって……」

「マスタードを溶いたステーキソースにくぐらせて、ずるっと?」

「そんならカテゴリ的に音を立てていい食べもんになるし丸呑み可能」

「噛ませて」


 懐かしいキャンプ用コンロを二つ並べて。

 紅茶と目玉焼きをこさえる穂咲との会話はいつもこんな調子。


 でも、高校の頃のいつも通りが。

 離れ離れになって初めて。

 他に代えがたい大切なものだと気づかされることになった俺なのです。


 大切な時間。

 ずっとこのまま。


 水色のままでいて欲しいのです。

 

「……あたし、丸呑みされたことある?」

「すいません。二秒前の俺が後悔するようなこと言わないで下さい」


 頭が痛くなるので、おばかはもうちょっと休み休みでお願いします。

 間に書いてある八分休符に従ってください。


「丸呑みされたことあるような気がするの」

「じゃあよく生還できましたね」

「足からパクっと半身までいかれたけど、ずるずる這い出した覚えがあるの」

「こいのぼりしまう前に、君が食べられたごっこしてはしゃいでた記憶ならありますけど。それでは無いのです?」

「食べられたごっこなんて、そんなごっこしてないのごっこ」

「してましたよごっこ。おばさんのドレスとかアクセサリーとかでめちゃめちゃ着飾ってごっこ」

「覚えてないのごっこ」


 何にも覚えてないんですね、君。

 ドレスはぐしゃぐしゃにしてアクセサリー無くして。

 あんなに怒られたってのに。


 ……俺とおじさんも一緒に。


 なんであんなかっこしたのか。

 意味不明な君を。


 おじさん、何て言ってかばってたかな?

 お嫁さんがどうとか言っていたような……。


「あのこいのぼり、もう飾らないの?」

「ああ、毎日お花やに来る元気な女の子いるじゃないですか」

「お人形さんちゃんのお友達?」

「はい。あのこいのぼり、その子の家にあげちゃいました」

「あ! 飾ってあったの! 一番下の鯉だけ元気なくてぶら下がってた!」

「飾ってくれてたのですね。それはよかった」

「…………うん。…………よかったの」


 他の人より。

 記憶力が弱いからでしょうか。


 思い出を大切にしたい。

 君が、そう考えるのは。


 紅茶にレモンを浮かべたマグカップを俺の前に置いた後。

 遠くを眺めるそのたれ目。


 大切な思い出が。

 そばから離れて行くその背中を。


 寂しく見つめているのでしょうか。



「……いくつものお家を旅して、笑顔と思い出をいくつも作れると、きっとこいのぼりも幸せなの」



 不意にそよいだ南風が。

 昔より線の細くなった穂咲の頬をくすぐって。


 未だ冷たい北の空へ。

 もうすぐ夏が来るよと伝えに行く。


 ……そうでしたね。

 君の寂しいは。


 誰かの笑顔で簡単に消えてしまうのでしたね。


「何軒回れるでしょうか。できるだけ長持ちすれば、人魚たちも幸せでしょう」

「変なこと言う道久君なの。人魚じゃないの。あれは鯉とスルメイカなの」

「君がそう呼んでいたのでしょうに」

「スルメイカ?」

「そっちではなく」


 君の、飛んで火に何度も突入しては逃げる夏の虫並みの記憶力。

 当てにしてはいないですけど。


「どうして人魚に見えるのか不思議に思っていたのですよ」

「そんなこと言ってないのごっこ」

「お嫁さんとか、そんな呼び方もしていませんでした?」

「ああ、お嫁さんで思い出したの。ママが、この受け取りにハンコ押してくださいって」

「発注してませんので発送元に送り返してください」


 いつもおばさんが持ち歩いてる、俺と穂咲の名前が書かれた婚姻届け。


 長らくエプロンのポケットに入れっぱなしですし。

 もうボロボロになっていることだろうとは思っていたのですが。


「……とうとう大穴開いちゃいましたか」

「雨の日の宅配受け取りって、大概こんな感じ」

「ポケットの中に雨は降らないでしょう。真ん中の部分が破けておばさんのポケットの中に転がっているはずです」

「無いの」

「ん? ……行き先、知ってるの?」


 昔より、少し大人びた横顔が。

 昔のまんま、頬をまん丸にさせて。

 クラブサンドチャーハンをもぐもぐしながら俺の方を向く。

 

 しばらく手放して。

 大切さを知った、いつも通り。


 そんないつも通りが。

 ごくんと喉を鳴らして口の周りをぺろりと舐めると。


 爽やかな春風に吹かれながら。

 じっと俺を見つめ続ける。


 このパターンも。

 いつも通り。


 無くなった真ん中部分。

 きっと、誰かのためを思って君がとった行動の結果なのですね。


 俺は、既に緩んだ頬を自覚しながら。

 いつも通りの無表情に。


 優しく問いかけました。


「真ん中のとこ、どこに行ったのです?」

「…………小腸あたり?」

「は?」

「最速、肛門の界隈」

「もう、なにをどう突っ込んだらいいのか分かりません」

「突っ込んじゃダメなの。出すとこなの」



 爽やかな春風がお腹を抱えて通り抜けていく白い丘の上で。


 俺は、これはこれでいつも通り。



 最悪な気分を堪能することになりました。



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