第7話
2階の広間にあがると、メティナは羽を使ってふわふわと浮いてみせた。足を引きずってたのは一体なんだったんだ?
ユシアが部屋を仕切るドアに手をかけると、ピタっと止まった。それと同時にメティナも悲鳴を上げた。
かんだかい声が広間に響く。
ユシアはドアにかけた手をうなりながら反対の腕で引っ張る。
すると急に何かに突き飛ばされたように後ろに大きくよろけ、ユシアはまたピタっと止まった。
ユシアは何も存在しない空間に張り付いている。引っ付いているというか、宙に浮いた剣がそれを証明している。
「まずいわよ!」
メティナを見上げるといつの間にか上下逆さに吊られていて、宙に留まりながら藻掻いていた。
「グラン逃げて!ルドリカの罠よ!」
逃げた所で詰みって奴だ、そう簡単にルドリカからは逃げられない。逃げた所でそもそも帰る場所なんてない。
床をするような足音が近づいてくる。
ユシアが開けようとしたドアが開き、奥から黒い魔女帽子をかぶった赤い髪の少女が出てくる。
彼女は根本が
どうやらさっきまで僕たちに気づいていなかったようだった。
「おいおいおいおい、マジマジのマジ?」
ルドリカは帽子のつばを指で整えながら目を大きく開いて僕をみつめる。
ルドリカの目つきは化け物をみるようなものだった。
一瞬、生唾を飲んでからルドリカは続けて口を開ける。
「よりにもよってアンタらが手を組むんやな。全部計算してたん?マジで勝てる気せえへんわ」
ルドリカの杖の曲がった先。
そこから糸を垂らしてぶら下がる蜘蛛と目が合う。
その蜘蛛は僕の顔をはっきりと見て、脚を広げて威嚇してきた。
蜘蛛がその身体に明りを灯すと、広間に所々ガラスの破片が散らばったような光がキラキラと反射する。
糸だ。殆ど見えない糸が、広間中に張り巡らされている。
面倒な事この上ない。2人は引っかかった糸を自力でとけそうにないし、僕とルドリカと1対1の状況だ。
「私の剣を!」
そう言ったユシアのもとへ急いで駆けるがそれは叶わなかった。目の前に赤い糸が飛んできて射線を遮り、その糸が爆発を起こした。
ルドリカは自分の小指を口にいれて、口の中の糸を引っ張りだし、薬指、中指、人差し指、親指と順にあやとりのように全ての指の先に糸を貼って巡らせ、糸を噛み切った。
「1対1でも勝てる気せえへんわ」
「そうよ……ユシア!勇者の魔法よ!灯火の魔法で糸を焼き切って!」
メティナがユシアに向かって叫んだ瞬間だった。
「私は────
ルドリカの蜘蛛は素早く糸を飛ばしてユシアの口を塞いだ。
僕はその隙を逃さずに彼女に突進した。
肉弾戦の始まりだ。
僕は杖を振りおろす。
一直線に。
重力にその身をゆだねた杖の先がルドリカの頭のてっぺんに向かって吸い寄せられる。
ぴたっと止まった。
僕の右手が杖と一緒に赤い糸で胸にはりつけられたのだ。だが、構わない。
僕は肩を投げるようにして肘でルドリカを殴りつけた。
殴り倒れたルドリカに馬乗りになる。
僕は何度も彼女を肘でついた。
微かな笑い声がきこえる。ルドリカがくすくすと笑っている。
ルドリカが笑い出すと同時に、彼女は僕の下をすり抜けるようにして逃げ出した。壁に貼り付けた糸を引いて滑って逃げたのだ。
「〈
立ち上がろうとするが、体が微塵も動かなかった。
ジリジリとまるで油が跳ねるような音が僕を囲むように聞こえる。音の方向に目をやると、蜘蛛の巣状の赤い糸が僕を中心にして張られていて、その糸の一本一本が火花を散らして僕を目指していた。
心臓の鼓動が早くなり、本能が目の前の死を受け入れない。
その全ての火花はどんどん加速していく。
加速した火花は、そのまま僕へと辿り着いた。
めんどくさい事この上ない。
「〈
黒い光がグランに染み込むと同時に、グランの身体はバラバラになってふきとんだ。
広間のあちこちに臓物がまかれ、糸にきられた血しぶきが床と壁に幾重ものきれいな白い線を描く。
「愚か者が……次はアンタや」
ルドリカがユシアに歩み寄っていく。ユシアは糸に絡んだ体を捻じりながら、剣へと手を伸ばす────
「何や⁉」
ルドリカは叫んだ。
ルドリカはその目に不思議な光景をとらえたのだ。
それは千切れて転がったグランの腕が何かに引っ張られるように自分を通り過ぎたのだった。
それをみたルドリカの平衡感覚は違和感を覚えた。
転がった腕に続くように床や壁に張り付いた血がはがれていく。転がっていく臓物と同じ方向へと引き寄せられていく。
赤いしぶきと散らばった肉片が、まるで布を巻き取るかのように爆心地に集まっていく。
爆心地を中心に床に飛び散った血の波が空を飛んで赤い傘を広げる。
それが滝のようになってグランのもとへと登のぼっていく。
大きく膨らんで割れたグランの身体の亀裂の隙間に入っていく。
それをみた彼女らは、重力が逆転しているような、時間が巻き戻っているような、この世界の中心をみているような、そんな錯覚を起こした。
塩気がある鉄を雨に溶かしたような味が軽く舌にまとわりついた。吹き飛んだ血が喉の中に逆流し、破裂した臓器や血管を修復するように僕の亀裂に吸いこまれている。
一瞬で傷が全てが塞がると、ともにやってきた痛みも波のように引いていった。
「魔王はアンタやろ……」
蘇生した僕を見てルドリカはその目を丸くしながら後ずさりした。
「私はいい!先にメティナを助けてグラン!」
ユシアはそう言うと勇者の剣を手に取って素早く自分に纏わりついた糸を払って断ち切った。
ユシアとルドリカの一騎打ちが始まっていた。
凄まじい剣の連撃と、糸の強襲がせめぎあう。
ユシアが注意を引いている内に、僕はメティナの真下へ辿り着いた。
ユシアの2刀を使った連撃は凄まじく加速していき、ルドリカの魔女帽の先っぽを切り落とす。
メティナが体を揺すって矢筒から矢を落とし、僕はそれを拾って彼女が絡まる糸を矢先で鋸を引くようにして断つ。
ユシアの2刀の乱撃は残像を描く程に加速していく。次第に振る音が連なって続いていき、空を裂く音もそれに続いて高くなっていく。
ルドリカは負けず劣らず、蜘蛛と自分の口から出した糸を使ってユシアに連射する。
ルドリカの頬を剣筋がかすると同時に、ユシアの足と地面を繋ぐようにして赤い糸が張り付いた。
「アタシの虜になりなさい!」
「〈
メティナが糸をなびかせながら狙いを定め、〈
しかし、なびかせた赤い前髪からそれを覗くルドリカの顔は笑っていた。
メティナが放った〈
ルドリカはユシアの剣を避けて矢の前に出る。
ルドリカは糸に絡めとられた矢を手に取った。まずい。
ルドリカは糸の弦を素早く作り、それに手にとった〈
空気が突っ張ったような音と共に、ルドリカから返された矢は宙に沈み、軋んだ音を立てた。
ユシアはルドリカが見せた隙を逃さなかった。
トドメと言わんばかりに大振りの2撃を彼女の腹に撃ち込む。それと同時にユシアの床に繋がれた足の赤い糸が爆発を起した。
ユシアとルドリカの2人の痛みを抑えるようなうめき声が重なる。
ルドリカが撃ち返した〈
ユシアは魅了を受けてしまったのだ。
ユシアが敵に回ると、それこそ手が付けられない。
速さと剣で彼女に勝てる者は、魔王以外この世界にいないからだ。
地に伏せたユシアがメティナを見て叫んだ。
そのユシアの右目の瞳には赤い星が生まれていく。
「メティナ!私にキスするの!それで全て上手くいくのよ!世界が救われるの!」
ユシアはそう言った。
「愛が世界を救うのよ!愛をはぐくんで!はやく!」
どうやらユシアはメティナに魅了されているみたいだった。
「メティナ!私にキスすれば全部よくなるの!幸せが2人を包むの!」
魅了というより、狂乱なんじゃないのか?
僕には魅了状態に落ちたユシアが狂気に落ちたように見えた。
だが僕はそんなユシアを気にも留めず、瀕死になったルドリカに追い打ちをかけにいった。
ユシアはメティナの名を甘い声で呼びながら、メティナのもとへと這いずっていった。その這いずる速さはなかなかの物で、横目に見えただけだが結構気持ち悪かった。例えるなら、寝る前にトカゲがベッドの下に潜り込むのをみてしまったような気持ち悪さだ。
僕は杖でルドリカのアゴを殴りつける。
だが彼女の表情は険しかった。
遠くの景色を真剣に見つめていた。殴られた痛みなんか気にも留めてないように見えた。
悟った顔をしたルドリカは、杖の曲がった先から糸を垂らしてぶら下がっている蜘蛛を手に取り、思いっきり引っ張って糸をちぎった。
「パインちゃん、ごめんな」
蜘蛛が目で捉えられない程、連続で発光する。
すると、とてつもない風を蜘蛛が引き込んでいく。
視界が連続した白と黒に染まる。
違う、世界が光に塗りつぶされていっている。
光の明滅にもう目が追い付かない。
腕を交差させて、かがむように防御の体勢を整える。
メティナが僕を呼ぶ声が聞こえると同時に、凄まじい衝撃と共に耳鳴りと轟音が体を突き抜けた。
まるで重力に振り回されるように僕たちは吹き飛ばされた。
音と衝撃が僕たちを過ぎさっていく。
〈
音が聞こえなくなる。静かな世界に包まれていく。
まぶたの裏を光が焼いていく。
理解が追い付かない。
風になぎ倒されるように僕は倒れていた。
だが不思議と体の感覚だけは途切れていないようだった。
空だ、夜空が見える。
どうやら広間の天井が吹き飛んでいるようだ。
不思議と痛みは少ない。
重みを感じる。メティナだ、メティナが僕の上にいる。
僕の上に被さっているメティナに呼びかける。
だが何度も呼びかけるが返事はない。ユシアも死んでしまっているのか……?誰の返事もない。
メティナの背中は服が焼けてしまってほとんど裸になっていた。彼女が庇ってくれたのだろう、背中には所々、飛び散った瓦礫の破片が食い込んでいる。
ふと彼女の尻の方へと目をやると、腰に見覚えがある紋章が刻まれていた。
その紋章は魔王の親族である証だった。
魔王の額にも同じ紋が刻まれているのを見た事がある。
メティナは魔王ガウスの娘という事になる。
魔王に娘がいた?
僕の頭は衝撃の事実で真っ白になっていた。
メティナは正気なのか?偽物の恋心の為に親を殺す事を決意したのか?あんなにも簡単に。
かすかな唸り声が聞こえた。ユシアが起きたみたいだ。
僕は急いで羽織っている自分の黒衣をメティナに着せた。
「ルドリカ……自爆したのね、メティナは大丈夫なの?グラン」
僕が返事をすると同時に、ユシアはメティナの頬に口をつける。
「やめるんですユシア」
「嫌よ」
僕は〈
ユシアは真顔にもどり、目を細めながら口を手の甲で拭った。
「見なかったことにしてね」
唇に人差し指を当てて、目を細めたユシアとじっと目があってしまった。
僕がメティナを〈
強く、強く、抱きしめられた。
空にかかった雲が流れて、僕たちと見えない糸を照らした。
綺麗だった。月明かりでキラキラとはねかえった糸の光に僕は見惚れた。
「グラン、あなたが大好きよ」
「はい」
メティナの魅了を解かない事で、僕は彼女を裏切っているのに、彼女はそれを知らない。もしくは、それを知った上でも僕の事を好いてくれている。
「グラン、その角と耳は何?」
ユシアが重い声で問い詰める。
すこしぼーっとしていたメティナは、ユシアの発言をきいて、僕の頭に生えた角に目をやると固まってしまった。
〈
実に単純なしくみの完全回復って奴だ。
彼女たちは僕のおおきくとがった耳、角をみつめて僕が説明するのをただ静かにまっていた。
「僕、人間じゃないんです。魔族とエルフのハーフです」
静かだった。まるで聞こえてないみたいに2人は黙っていた。
「私を騙してたの?グラン」
「はい」
勇者の一党に、魔族は入れない。
単純な理屈だ。だけど僕は耳を人間の形になるように削いで落として、角を取り除いてから勇者がいる一党に入った。
事実はそれだけだ。
「見た目が人間と違うだけですよ、世界を救うという気持ちは嘘じゃないです」
「まあ、そうよね」
少しひっかかりながらも、ユシアはそれだけの説明で納得してくれた。
何も訊かないでくれた。
「グラン、アタシはどんなグランでも好きよ」
「しってますよ」
不思議だ。
彼女の声を聴くと高揚する。
彼女に名を呼ばれると尊く感じる。
彼女に想いを告げられると恍惚に襲われる。
彼女の目を見つめ返すと、僕の頭と体1つに戻って、見失っていた自分を見つけた気がした。
頭の中の霧が晴れて、重く痛かった首筋が緩み、暖かい気持ちが頭から心臓の亀裂へと吸い込まれていく。
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