第4話
思ったよりも静かだ。
やはり敵が大勢いるという感じもしない。
「呼び鈴なんて、ここが魔王城なの?」
泉に囲まれた橋を渡った僕らの目の前には、鋼の門が立ちふさがっていた。
左右には猟犬をかたどった石像が構えている。
門のすぐ横には、花の形をした鐘が寂しく垂れていた。
「やっぱり正面にもあるじゃない、アイツ信用ならないわね」
そう文句を言いながらユシアは正門に仕掛けられた罠を解除した。
いつもの事ながらユシアの手際は一流だった。
そのままユシアは鋼の門にかかっている鍵も開けた。
糸を結ぶような手つきだった。
「がら空きの本陣突破よ」
ユシアはピッキングツールを指でくるくると回すとご機嫌な声でそう言った。
「流石ですよ、ユシア」
そのまま広間へ進むと、いかにもって奴のご登場だった。
「おいおい、勇者の凱旋ってか?他人さまの家だぞ」
少し襟足が長い黒髪。執事のような短い髪型をしている。
そんな少年のような顔つきの女性が、そう言いながらゆっくりと階段から降りてくる。
彼女の服はピッチリとしたシワ1つない黒いスーツ、白いシャツ、黒い帯で上品に着飾っている。
スーツの女は言葉を続ける。
「メティナはどうした?」
「彼女は死にましたよ」
スーツの女の顔からはみるみる余裕が薄れていくのが見てとれた。
「おいおい……知っててやったのか?流石に事だぞ」
「何の話です」
僕がそう答えると、スーツの女は全てを悟ったような顔をして口を開いた。
「素材はどうした?ん?はぎ取ったのか?勇者なんて正義を振りかざして、あたしらの事なんか金か素材くらいにしか見てないくせに、何が世界を救いたいだ」
「私は違う、あなたたちに償わせにきた」
ユシアはそうこたえると彼女に剣を向けた。
「……お前がラウトルフィアの生き残りか?一体何を信じてここへ来たんだ?」
スーツの女はユシアに対して軽蔑に似た眼差しを向けてそう話した。
「自分よ」
前へと傾いたユシアは、一息でスーツの女の懐に飛び込む。
ユシアは滑らせるように踏み込んだ足を床に沈みこませ、2刀のギロチンを振り切った。
ユシアはスーツの女と視線を交わす。
2刀は震えて止まっていた。
しかし震えているのは2刀ではなかった。
ユシアの腕が震えているのだ。
スーツの女は両手で2刀を一本ずつしっかりと受け止めていた。
しかも彼女は素手だ。
振った2刀が描く銀色の孤が遅れて刀に辿り着く。
それほどの刹那の攻防だった。
スーツの女の腕力が殺気に変わって、腹から背へと突き抜ける。
勝負はスーツの女とユシアの正面からの力比べとなった。
素手でユシアの剣を受け止め、更に2刀をへし折らんとするスーツの女の手の力に寒さを覚える。
僕が杖でスーツの女の脇腹を刺すように狙うと、彼女は体をひるがえして後ろへ下がる。
ユシアは力のかける方向が急に無くなって、前のめりになってバランスを崩してしまう。
バランスを崩したユシアにスーツの女の蹴りがめり込むように入っていく。
蹴りを防いだ剣がへし折れ、そのまま門の外までユシアは吹っ飛ばされていく。
次は僕の番がくる。
回し蹴りを上手く肘で防御するが、とんでもない力で体が持ち上がってユシアのもとまで吹っ飛んでしまった。
流石、四天王と言ったところか。
「死にたいならまた来いよ、今回だけは見逃してやる。クソみたいな大義名分背負ってる奴にあたしは負けない……一生世界に救われてろ」
そう吐いたスーツの女は城へと戻っていった。
「ダメよ!彼女は信用できない」
スーツの女に見逃してもらった僕らはメティナのもとへと戻っていた。
ユシアは僕の考えに強く反対していた。
「それでもやるしかないんです」
ユシアは顔をよこに振りながら僕を止めようとする。
「ごめんなさい、全部私の失敗よ……でも彼女を────
「〈
僕はユシアの反対を押し切ってメティナを〈
赤い血の波がメティナの傷口に吸い込まれていってその傷跡を塞いだ。
目を開けたメティナの右目の瞳には赤い星がまだ映っていた。
「どうなってるの?」
メティナは開いた自分の手を見つめていた。
「初めて生き返ったわ、〈
メティナは脇腹に手を当てて何度もさすっていた。
「メティナ、君に協力してもらいたいんです」
「嫌って言えないのよ?アタシ」
魅了の魔法がとけていない彼女に、僕の命令を断ることは出来ない。
「知ってますよ」
「まさか、アタシに魔王を討つのを手伝わせる気?」
「まあそんな所ですよ」
ユシアは聞いてないフリをしながら、予備で腰に差している剣の手入れを始めた。
「グランはそれで世界が救われるって、変わるって信じてるの?」
いきなりのメティナ問いかけだった。
僕はこたえに詰まった。
「帰る故郷なんてないのよ、あなたに世界を救う使命を託された者の重圧がわかる訳?逃げるって選択なんかないのよ、どれを選んでも全部救う未来に繋がるの」
ユシアは半分閉じかけた目で遠くを見つめながらメティナに語り続けた。
「下僕よ、あなたと同じ」
「子供の頃の思い出、友人、家族……すべてあなたたちの失敗が奪ったのよ」
「私の人生だって」
「あなたを生き返らせるだけで気が狂いそうなのに、魔族と一緒だなんてやってられない」
ユシアの手が震えはじめた、もう限界なのだろう。
「ユシア、これを」
ポーチから気を落ち着かせる薬を取り出す。
渡した薬を飲むと、ユシアは僕に謝っておとなしくなった。
しかしユシアはメティナに目を合わせようとせず、空にたゆたう薄く光る星をじっと見ていた。
「ごめんなさい」
メティナがユシアに頭を下げるが、ユシアは見向きもしなかった。
僕らは露営した。
明日の朝もう一度、城へと乗り込む算段だ。
くず肉で作った干し肉と、砂糖漬けのぶどうが練られたパンをユシアと僕で分け合って食べていた。
音がどこかへ逃げてしまったかのように静かだった。
薄く青かった空は夜に染められる。
静寂の中で焚き木の灯りと温もりだけが僕らを繋げていた。
ユシアは酒に口をつける。
ユシアの瞳に灯る恨みの色があせる様子は無く、メティナが入った事で深く、より深くなったように感じた。
どこか悲哀の風の纏うユシアを放ってはおけなかった。
「耐えてくださいユシア」
風が耳をすりあげる。
何もこたえないユシアが僕の目をじっと見つめてきた。
ユシアのその青い瞳。
みつめあうと深い海がとけたようなその瞳に沈んでいく感じがする。
その日は結局ユシアとこれ以上、話をする事は無かった。
夕食を食べ終わると、ユシアは酒を浴びるように飲んだ。
僕はユシアが寝たのを確認すると、パンと肉を持ってメティナのもとへ向かった。
「メティナ、一応あなたも食べるんですよ」
「いいの?」
「ユシアには内緒ですよ」
パンと肉を受け取ったメティナは、肩をすくませてコソコソとそれを口に運ぶ。
「メティナ」
「なっ!何⁉」
「嫌なら逃げてもいいのですよ」
「え?」
メティナは食べる手と口を止めて返事をかえす。
「命令なの?ならそうするけど」
「あなたが選んでください、それが命令です」
メティナは自分の胸に手を当てる。
少し息を吐くと、メティナは少し悩んだ顔をして口を開いた。
「アタシ、偽物の気持ちだけどグランが好きよ」
「そうでしょうね」
メティナはうつむいて、少し考えると僕の目を真っすぐに見つめた。
「アタシ、グランを手伝うわ」
彼女は笑顔でこたえてくれた。
それまでの静けさに一閃の筋を斬るようなメティナの元気な声は、僕に憂鬱を与えた。
僕は眠れる薬を口に運んだ。
影が薄れていくように、頭の中の不安やイラだちが透けていく。
僕は目の奥の淀みに身を任せて、思考の闇に意識を落としていった。
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