本音と建前


「さて、着きましたよ先生。わたしが見た集落はここです!」


 サラに導かれて山を降りた俺は、真っ先に二つのことを疑った。

 それすなわち、

「思っていたよりもこの世界の文明レベルが低い可能性」

 そして、

「この世界の人間には衛生観念が決定的に欠けている可能性」

 である。

 異世界の人々に対して甚だ無礼な疑いではあるが、俺の目の前にあるものたちはそう疑わせるのに充分な要素を秘めている。

 まず、ボロい。どうやら奥にある洞窟が集落の本体であるようだが、それにしても建物が粗末すぎる。情ちゃんがくれたこの服からしてそこまで文明レベルは低くないと踏んでいたのに、この集落の建物はほぼ原始と言って差し支えないほどなのだ。


「今どき草葺きの屋根に壁すら無い柱だけの家かよ……なぁサラ、これ本当に人間の集落なのか?ちょっと知恵つけた猿並みだぜ?」

「そこまでは私にも分かりません。もう少し調べてみたら何かわかるかもしれないですよ?」

「なんだよ教えてくれねぇのか。「リライト」で何か分かったりしない?」

「そう言われても…私は力を発動させる鍵でしかありませんから。あ、でも頼ってくれるのは嬉しいですよ?せ・ん・せ・い♡」

「あーはいはい。」


 気にしない気にしない。

 それはさておきもう一つ、この集落を調べる為、足を踏み入れた時にそれは判明した。


「うわ……何だこれ…臭っ…おえっ」


 途端に襲い来る猛烈な悪臭。草木が元々持つものとは明らかに異なる、生き物の死骸と糞が腐った臭いだ。衛生観念はまだこの世界には発展していないらしい。この程度なら掃除を教えてやるだけで俺は神になれるかもしれないな。

 

「サラ。」

「はい?」

「雨が止むまでだ。止んだらすぐにここを出るぞ。」

「はい先生!」

「こんな所にいたら低体温症の代わりに肺がやられちまう、とりあえず最低限は片付けるか。」


 とは言ったが、俺は掃除道具など持ってはいない。しかし、武器も持たずに洞窟に入るほどの度胸も無い。まだ「リライト」を咄嗟に使える自信もないのだ。

 そんな俺が取った選択は至極簡単なものだった。



「悪いな…[書き変われ(リライト)]」


 手近な建物の中に陣取り、中にこびり付いていた悪臭の「要素」をまとめてそこらの石ころに移したのだ。

 その結果建物の中から悪臭は消え、外には何故か近づきたくもないような悪臭を放つ謎の石ころが誕生した。ごめんよ、石ころ。強くあれ。


 ともかく、これで一応の拠点は完成した。日が落ちるまでにはまだ時間があるので、色々と探索することにする。

 洞窟にはまだ入りたくないので、外にある建物を周ってみる。間違ってもこんなものを家とは呼びたくない。


「サラ、俺たち以外に何か生き物はいるか?」

「先生、わたしのことをレーダーか何かだと思ってません?そんな事分かりませんよ。」

「そうか。今は役に立てないって事だな…いいよ、ここ見つけてくれただけでありがたいから。自分で探すさ。」

「にゃーにおう!いくら先生とはいえ役立たず呼ばわりは許しません!さぁ、さっきみたいに投げちゃって下さい!サラが探してみせましょう!」


 チョロい。この万年筆、チョロすぎる。使えるものはなんでも使うのが俺の主義ではあるが、ここまでチョロいと俺の良心が痛む。まぁそんなもの元々持っちゃいないが。良心など抱えていたら筆が重くて進まない。


「それいくぞー?」

「はい!いつでもどうぞ先生!」

「そーらよっと!」


 天高くサラを投げ上げる。

 垂直に回りながら飛んでいくサラを見て少し考えた。俺は異世界に来てまで何をしているんだろう。

 もっとこう、山賊に襲われている美女を颯爽と助けたり、ゴブリンに襲われている村娘を助けたり、転移した瞬間から華々しい活躍ができると思っていた。

 だが今の状況はどうだ。悪臭に耐えながら寝床を確保して索敵のために万年筆を投げ上げる。本当に何をしているんだろう、俺は。

 リライトの力をせめて俺だけで使えれば。


コツンッ


「痛っ」

「先生…今度こそしっかり掴まえてくれると思ったんですが…」

「あー悪い悪い、考え事してた。で、何かいたか?」

「どこにも何もいませんでした!この近辺には私たちしかいませんね、つまり…」

「つまり?」

「ふ・た・り・き・り?」

「さて、寝るか。」

「無視しないでください先生!まさかとは思いますが、ここで寝る気ですか?」

「そのまさかだが?」


 お世辞にも綺麗とは言えないが臭いだけはしない。問題無いだろう。

 まぁ、なんだか得体の知れない茶色だったり緑色だったりの塊はそこら中にこびりついているが気にしない。


「嫌です!サラは先生について行くとは言いましたが、もう少し綺麗にはして欲しいですよ!」


 このわがまま万年筆め。

 俺の部屋で使われていた頃はどこに置いても何も文句言わなかったのに、口をきけるようになったらこうも口うるさいとは。


「なあサラ?」

「なんでしょうか!」

「見えないものはな、無いのと一緒なんだよ。俺はその辺のよくわからん汚物を見ないことにしたんだ。つまり、今の俺にとってこれは無いものなんだよ。」

「そんな論理は通じません!わたしは断固として抗議しますよ!」


 全く面倒臭い万年筆だ。


「あー…仕方ねぇ、この外套にでも包まれてな。それなら良いだろ?」

「え…?それは…」

「それもダメか?となるとお前だけ別のところで寝ることになるが――」

「ダメなわけありません!ただ…先生の匂いというか香りというか…うへへへっ」


 あぁ、だめだこいつ。ヤンデレじゃない。変態だ。


「いいって事だな。よしほらグルグルーっと。」

「あー!あーーっ!いけません!わたしのわたしの心のキャパシティがー!」


 一応、サラは今一番役に立つ存在なので機嫌を取っておくに限るのだがもう聞くのも面倒臭いので横になる。

 ここの主人は今は居ないが、いつ戻ってくるか分からない。それが味方ではない可能性だってあるのだ。

 そんな時にサラがいなければ俺は戦えない。仲間割れは避けねばならぬ。

 使えるものはなんでも使う、というのは即ち使えなくなったものは捨てるのと同義だ。いつかリライトの力を俺だけで使えるようになった暁にはサラは用済みになる。

 その時は、捨てるだけだ。


「そうだ、俺自身の要素は見えるのかな…?」

「んー…?先生どうしたんですかぁ…?」


 眠そうな声をあげるサラを引っ張り出し、俺は自分の体を見下ろした。


「[読み取れ(リーディング)]」



[茶色かかった黒髪][標準的な体格][人間の知能][黒色の瞳][異世界人][童貞]……


「って誰が童貞じゃい!」

「えっ?先生童貞じゃなかったんですか?」

「いや童貞だけども!だって仕方ねぇだろ!異性どころか他の人間との交流すら無いんだから!」

「そうなんですね!あぁよかった…もう捨ててるかと…安心しました!」

「待て、なんでお前が安心するんだ。どこにその要素があった?」

「それは当然、いつかわたしが美味しくいただ……いえなんでもありませんよ?」





 異世界転移したら自分の万年筆に貞操を狙われている件。何処にこんな需要があるというんだ。

 情ちゃん、とんでもない奴を一緒に送ってきやがった。


 どうやってこいつを捨てるか、真面目に考えた方がいいようだ。



※今更ですが、主人公は外面が良いだけのド屑という設定です。

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