最初の一歩と小さな再会

 目がチカチカする様な極彩色。

 吐き気がする浮遊感の中、俺はただ漂っていた。


 どれだけの間そうしていただろうか。

 体の周りを取り巻く色と情報の渦は次第に形を成していく。

 ようやくまともに思考できる様になった。

 俺は今どうなっているんだ?情ちゃんに送られた世界に近づいているのかいないのか、生に近づいているのか死に近づいているのかも分からない。


 そんな不快感の嵐は――――


「……っぶはぁぁっ!はっ…は…」


 唐突に終わりを告げた。まるで満員電車から放り出されるかの様に、俺は新しい世界に放り出されたのだ。


「さて…どんな異世界かな?」


 煌びやかな鎧兜に素朴な石と煉瓦造り、黄金色の海の様な美しい小麦畑の中世風がいい。いや、鉄とエネルギーが行き交うサイバーパンクな世界も捨てがたい。

 そんな期待に胸を膨らませた俺は、目の前に広がる新しい世界に感激するはずだったのだが。


「は?なんだこれ。あいつまさか送る場所間違えたのか?」


 黄金色どころか黄土色、煉瓦など知るかとばかりの素朴な石しか無い大地、もしかしたら鉄の鉱脈くらいあるかもしれない。

 ここは岩山の中腹だった。

 感激どころか歓迎してくれる人すらいない。天上天下、俺はこの世界に一人きりだ。


「待て待て。一旦落ち着こう。情ちゃんの愚痴を吐くのは後だ。まずは持たせてくれたものを確認せねばならん。うん。」


 とりあえず、服は着せてくれたらしい。変質者回避。

 それ以前に肉体があることにほっとする。これで体が人魂だったりしたら情ちゃんにクレームだけでは済まなかったろう。


「…割と服装は普通か?そんなに質は良くない麻のシャツに同じ材質のズボン、革のジャケット…これなんの革だ?やたらと薄いしなんか緑色してない?」

 

 多分、この世界の生き物の革なんだろう。どんな生き物なのかは考えないでおく。怖いから。


「後はこれか…帆布の外套だなこりゃ。上等上等。情ちゃん中々いいセンスしてるじゃないの。まぁ送った場所以外はな!」


 つい愚痴が出たがそんなことをしている場合ではないのに気づいた。

 ここは岩山の中腹。つまり雨風を凌げる場所が全くといっていいほど無い。まずはそれを確保しなければ異世界も冒険譚もあったものではない。


「さて、移動するか。とりあえず山を居りれば良いのかな?もうちょっと登山系の作品調べておくべきだったな。」


 帆布の外套を羽織ろうとして、一度振ったら何かが落ちて来た。どうやら畳んだ時に紛れていたらしい。

 拾ってみると何とも懐かしい、俺の万年筆だ。あの時机に置いて出て来たはずなのに何故ここにいるんだ?


「まあいいや。我が愛しの万年筆ちゃんや、一緒にこの世界で生きようじゃないか。今や君だけが地球の思い出だよ。」

「万年筆ちゃんじゃありません!わたしにはサラという名前がちゃんとあります!」

「あ?そうだったの――」


 待て、今何かおかしくなかったか?サラとは誰だ?


「まさか…俺の万年筆か?」

「はい!先生はいつもわたしを握って「サラ、サラ」とおっしゃっていたので、それがわたしの名前です!」


 サラちゃんや、それはきっと君の書き心地の事だよ。俺はいくら愛着があるものでも無機物に名前をつけたりはしない。

 いずれ壊れるものに名前をつけても苦しくなるだけだからな。

 しかし、晴れの異世界で初めて会話した相手がよりにもよってこいつとは。


「何で昔から使ってた万年筆なんだよ…。しかも考えない様にしてたが何でお前ここにいるんだ?」

「先生の側にいたかったからですよ?今のわたしは付喪神みたいなものですから、どこにでも行けるんです!」


 付喪神。確か、長く使われた道具などに宿る神様だったか。なんだかんだと言ってかなり長いこと使い込んだから、そんなものが宿ることもあるのだろう。


「あー…俺を追いかけて来たってことでいいのか?」

「そうです。この世界でもわたしを沢山使って貰うためにです。だからあの変なやつが先生に渡した力も、わたしがいないと使えない様にしちゃいました!」

「はぁ?使えない様にしたってお前――」

「もうわたしがいないと先生はこの世界で生きていけませんね♡」

「え、何このヤンデレ付喪神怖い。」


 この付喪神、せっかく俺が貰ったチートスキルをさらっと持っていきやがった。

 しかし、このサラは一つ勘違いしている様である。俺はサラを置いていくつもりなど毛頭ない。だって昔からの相棒だからね。


「何を思ってそんなことしたかは知らんがな、えーっとサラちゃん?俺はお前を捨てることなんか考えちゃいないからそこは安心してくれていいんだぞ?」


 どう取り繕ったって、俺がこの万年筆を使い続けたのはこれが好きだからに他ならないのだ。

 手が疲れないだったり持ちやすいなどを謳い文句にしている他のペンを試したことはあるが、結局これに戻ってしまう。これが愛着というものなのだろう。まさかこんな事になるとは思わなかったが。


「先生……やっぱり先生はわたしのことが大好きなんですね!きゃー嬉しい!」


 サラは多分、照れているのだろう。俺の手の上でぴょんぴょん跳ねている。

 これを言っているのが美少女であれば、こんな複雑な気持ちにはならなかった。しかしこの言葉、聞こえて来るのは万年筆からである。なんなんだこの状況。


「…まぁそれはそれとして。俺が貰った力ってのは何なんだ?サラがいないと使えないっていうのはどういう事だ?」

「はい!ご説明させていただきます!それではまず、わたしを手に持ってください。いつも先生が文字を書かれる時の持ち方です。」


 言われるままにサラを手に持つ。喋る振動が手に伝わるのは中々奇妙な感覚だ。


「それではいきますよー。せーのっ――」

「え?」

「それー!」


 サラの声と同時に、本がめくれる様な音がして視界が切り替わる。


「おぉ?なんだ…これ?」


 カラフルとも言えなかった世界が今、俺の視界では完全にモノクロになっていた。

 しかも体は動かず、目だけしか動かせない。


「おいサラ。これ、どうなってるんだ?視界が急にモノクロになったんだが。」

「ちゃんと発動できていますね。そのまま集中してみて下さい。心配しなくても、先生がいつもやっている事ですよ。」


 俺がいつもやっている事。即ち世界を常に「読む」事だ。外を歩く時、家の中で作業している時でもやっている。

 視界の全てを感覚に収める。

 

 岩肌の質感

 転がっている石の形

 雲の形

 

 そうして見ていると、視界に変化が起こる。

 明らかに俺の筆跡で書かれた文字が、そこかしこから浮かび上がって来たのだ。



 [鋭い先端]

    [硬い] [風化]

      [黄土色] [灰色]

  [身を切るような風][空の色][剣の切っ先の様な石][微かに芽吹く草][黒光りする岩肌][白い砂粒][薄灰色の石]etc…


 文字は次第に増えていく。

 段々頭が痛くなって来た。

 モノクロの世界に文字が踊る。

 まだ見える。

 もっと世界を記述できる。

 見なければ。全て創作の為に俺の中に取り込むのだ。

 もっと

 

 もっと


 もっと



「――んせい〜?先生!それ以上はまずいです!戻れなくなりますよ!」

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