夢、砕ける


緒戦の結果、新皇将門軍の兵力は千を切ったが、秀郷同盟軍は全四千の兵に損害はほとんどなかった。

その後五日間の両軍の戦闘は、東山道沿いの山裾近くで続けられたが、同盟軍は平野の深くまでは攻め込まず、新皇軍は山地での戦いでは退却の機会を忘れなかった。その結果どちらも目立った戦果は得られなかったが、劣勢の新皇軍の疲労感は強く、意気も上がらなくなってきていた。

貞盛は、秀郷がなかなか決戦に出ないのを、ぎりぎりした思いで見ていた。兵力では圧倒的に自分たちが有利であり、緒戦で与えた損害に、敵が怯んでいる今が絶好の攻め時ではないのか。貞盛は今まで押さえてきた気持ちをぶつけるように、焚火の向かい側にいる秀郷に言った。

「なぜ一気に決着をつけようとはなさらぬのか?秀郷殿、敵はもはや九百ほどでござる。全軍をもってすれば、将門を必ず討ち取れましょう」

 秀郷は白髪交じりの髭をしごきながら、薄く微笑んだ。

「さよう、己も攻め時を思案していたのでござるよ。敵もだいぶ疲れておるに違いない。明朝こちらから攻め込むことにしよう。もう山籠りは止めじゃ」


 翌日から両軍は平地での戦闘を開始した。騎馬戦に長けた新皇軍は勢いを取り戻したが、次第に数において勝る同盟軍の圧力に押され、戦場は下野から下総へと移っていった。

将門劣勢を知った下野国府は、官軍となった同盟軍への兵站機関となって支え、両軍の戦力の差は大いに開いてきた。九日間戦い続けて、新皇軍が本拠地の下総猿島郡逆井近くにまで退却してきたときには、総勢僅かに五百ほどであった。

側近の多兵衛が訴えていた援軍要請に、将門もついに承知せざるを得なくなり、すでに三日前に叔父の平良文、弟の三郎将頼と四郎将平へ伝令を出していた。

新皇軍はいよいよ追い詰められ、このまま戦い続けたのでは全滅は免れぬと予想された。ただ将門一人だけは、『己は死なぬような気がする』と思い込んでいた。それは萩女が妙見菩薩から受けた『生きた人間では、将門は殺せぬ』という予言を信じていたからかもしれない。そして多兵衛は、なぜ御霊どのはこのような窮地をお助けくださらぬのか、と恨みに思っていた。

「多兵衛、そなたは今すぐ館に戻り、まゆと使用人たちを武蔵へ連れて行け。己が沼に隠れて見つからねば、敵は必ず館を狙うに違いない。急げよ」

 将門がそう命じたのは、彼らが広河の沼に沿って南下し、石井まで二里もない地点まで来た時であった。もし今の戦力でそのまま館へ引き上げても、六倍の同盟軍に太刀打ちできる筈がない。ここは地の利を生かし、沼の中に隠れて援軍を待つしかあるまい、と将門は考えたのである。

沼とその周辺は柳や芦が密生し、浮島のような小島もある。春先のことで柳は芽吹いたばかり、芦は枯れ果てていた。水面には鵠(白鳥)が群れていることがあり、驚かせて飛び立たれると敵に知られる危険はあった。だが今は沼の広さと枯れ藪が頼みの綱であった。

利根川沿いに南下してきた同盟軍は、新皇軍が石井の本拠に陣を構えて決戦に臨むと予測していたが、斥候の報告では沼の辺りで見えなくなったという。

風の強い午後のことである。同盟軍は辺りを探索したがまるで手がかりがなく、そのうち『枯れ草と一緒に燃やしてしまえ』と言う者があり、芦に放たれた火が風に煽られてたちまち轟々たる大野火になった。煙は霞のごとく水面を覆い、鵠の飛び立つ音は炎に消され、その姿だけが空に眺められた。

新皇軍は北西の風を考え、煙を見るとすぐに北方へ引き返し、入り組んだ水辺で煙から逃れることが出来た。火は夜も燃え続け、沼に沿って南へ一里近くにも及んで消えた。

翌日、秀郷と貞盛らは石井に至り、新皇将門の権威を象徴する大建築を見た。私的な南館も豪勢であったが、政庁として建てられた北館には人を圧倒する迫力があった。彼らは勝利をほぼ確信していたが、それらを見ては将門の首を手にするまでは安心できぬと思った。

『ここで帝を気取っていたのか、小次郎め今度こそは覚悟しろよ』と貞盛は嫉妬に燃えて考えていた。そして、

「皆焼き払いましょう。さすれば将門も戦いに出てこざるを得ないのでは、秀郷殿」と力を込めてそう言った。

「己もそう考えていたところでござるよ」

 いずれも無人の二つの館に火が放たれた。石井の町外れにあった将門郎党らの家も焼かれた。町民の家には害を及ぼすな、と秀郷は下達を徹底させたが、飛び火して燃える家もあった。民の心は浮気なもので、劣勢になった将門からはすぐに離れるものだ、と彼には分かっていたのである。

三日経ったが将門に援軍の兆しさえなかった。だがそれには訳があった。多兵衛が発した伝令三名のうち、一人は利根川べりで同盟軍の追っ手に殺害され、二人目は叔父の良文の元へ達することはできたが、良文は伝令の訴えを聞いても動かなかった。今や逆賊となった甥を助けることは、自分たちの将来を危うくするのが目に見えたからである。

残りの一人は三郎将頼のいる相模へ向かったが、途中で心変わりしてどこかへ逐電してしまった。

新皇軍は兵糧を欠き、夜の寒気に曝され、このままでは戦う気力も失せそうな状態にあった。しかし将門には、まだいくさで負けるということが身に沁みていなかった。最後には自分が勝つのだ、と過去の経験が教えていたのである。

劣勢であることは分かっていたが、いくさというものは一度うまく転がると、思いがけない勝利をもたらすものだ。将門は来る筈のない援軍を待ちながら、その信念を失うことがなかった。頭の片隅には、菅公の御霊の存在が引っ掛かってもいた。

そして二月十四日(旧暦)を迎えた。朝から強い南風が吹いて、気温は春らしく上がってきた。援軍が望めないのなら、精力の残っているうちに打って出るしかあるまい、そう思っていたところへ、昼頃になって風向きが俄かに北に変わった。この強風の中では数の差は案外問題にならぬかも知れぬ、という考えが将門を捉えた。今やこの順風に賭けるしか道はないかもしれぬ、と彼は思った。

「もはや決戦に臨むしかあるまい。この風はきっと我らに味方するものじゃ。死中に活を求めるつもりで戦おうではないか」

 将門は自らを励ますように檄を飛ばした。

「おうっ。皆で石井へ帰ろう」

 兵たちはこのまま寒さと空腹に耐えているよりは、死に物狂いで闘って、温かい飯を食いたいと思っていたから、将門の言葉に残っていた気力を必死に掻き立てたのである。

新皇軍は飯沼を出て南下し、風上側に陣を敷いた。対する同盟軍は石井郷を背にする風下側の布陣であった。この一帯は東に菅生沼、西は利根川の支流の小さな沢が入り込んで、南北に細長い丘陵状になっており、石井郷はその南端近くに位置していた。丘といっても高さは水辺から三十尺(九米)ほどしかなく、頂の狭いところでは幅二、三町(二、三百米)である。従って同盟軍は、地形的に南側に布陣せざるを得なかったのである。

この日の風は今で言う『春一番』のことで、日本海上の発達した低気圧に向かって、太平洋の高気圧から吹き込んだものであった。このような気圧配置のときは天気が変化し易く、暖かい南風が急に北に変わったり、竜巻が起ったり雪が降り出すこともある。この日も朝のうち南風だったのが昼頃北に変わり、新皇軍に出陣の機会を与えたのである。

両軍はおよそ七町を隔てて対峙していた。同盟軍は不利な風下側にあったが、僅かに五百に届かぬ新皇軍に対し、三千近い兵を擁するという安堵の気持ちが支配的であった。

申ノ刻(午後三時頃)になって気温も次第に下がり始め、晴れていた空は雲に埋められてきた。風が雑木林や草むらを、笛の音さながら鋭く鳴らす中、新皇軍がまず動いた。風は歩兵と騎馬の巻き上げた土くれを空中高く運び上げ、猛烈な速さで風下へ吹き飛ばしていった。

同盟軍もこれに応じて攻めかかり、矢を防ぐ楯を先頭にして進撃態勢に入った。ところが風のあまりの強さに楯を保持できず、吹き倒されてその下敷きになるばかりで、使用を諦めて放棄するより仕方がなかった。

新皇軍側では逆に楯に引きずられ、その上に倒れ込むばかりで、こちらも役には立ちそうになかった。しかし風上の有利は明らかで、弓矢は軽々と敵陣へ飛んで行き、敵の矢は風に負けて楯の必要などなさそうであった。

両軍の間隔が一町ほどになったところで、新皇軍は進撃を止めて弓兵の一斉攻撃を開始した。

「それっ、あるだけ射掛けよ。ぐずぐずするな。後は我らが引き受けるぞ」

 騎兵が抜刀して白兵戦に備えながら、弓兵に檄を飛ばした。得意な騎馬戦になればこちらのものだと思って、皆体中の血を沸き立たせていたのである。

案の定、弓の攻撃は驚異的な力を発揮した。同盟軍にとっては、楯が使えないところへ敵の矢が風の勢いを借りて降り注ぐので、たちまち人馬に大きな損害が出始めた。自軍の放つ矢は風に戻されて、あろうことか味方を射抜く有様であった。

秀郷は弓を諦め、騎兵を敵陣へ突入させるしかないと考えた。

「馬五十を真ん中へ突っ込ませよ。白兵戦で風上に回って敵をこちらへ追い込ませるのじゃ、分かったか?」

 秀郷の命で騎馬が一列に風を切って駆けていった。砂交じりの土埃が秀郷らの視界を遮り、その先から蹄の音が聞こえてきた。

同盟軍の突撃を見た新皇軍は、すぐ騎兵が前に出てその後は槍を構えた歩兵が固めた。騎兵戦の中で敵が風上に立つのを阻止しようというのであった。

戦闘はもうもうたる土埃の中で開始された。騎馬戦をすり抜けた同盟軍の騎兵が、刀を振り回して歩兵の中へ突っ込んでくる。すると歩兵が二、三人蹄の犠牲になって吹っ飛ぶが、馬は後ろから槍に突かれて倒れ、落馬した騎兵は起き上がる前に歩兵に仕留められてしまう。騎兵同士の戦いでも新皇軍の方が優勢であった。歩兵の援護のない同盟軍の騎兵は、動きの速さで対抗するしかなかったが、時間とともに精力の消耗が避けられなかった。やがて後退する騎兵が一騎また一騎と現れると、それを潮に雪崩を打つように自陣へ引き返し始めたのである。

「よしっ、敵は総崩れじゃ、一気に追っていくぞ、己に続け」

 それまで後方にいて戦闘を見ていた将門は、傍らの藤原玄茂、玄明、坂上遂高らにそう叫ぶと、走り出した味方の騎兵らの後を追った。

後退してくる味方の騎兵に気づくと、同盟軍は大騒ぎになった。右往左往して歩兵の多くは水辺の叢林や草叢の中へと逃げ込み、騎兵の中にも南の方へ夢中で逃げていく者もある。

「やむを得ぬ、町の南へ後退じゃ。広いところへ出れば有利な風向きにも立てよう」

 秀郷は貞盛、為憲らと手兵三百に守られて脱出した。他の兵らは、風に吹き飛ばされる雲のように散らばってしまった。

将門は騎兵団の中心にあって、秀郷らを探して駆けていたが、見事な敵の逃げっぷりに手がかりを掴めなかった。日が暮れかかり雲も厚く空を覆うて、秀郷や貞盛らを闇に紛れ込ませてしまいそうな状況だった。

「貞盛め、悪運の強い奴」

 将門にとって当面の敵は秀郷だが、真に討ち取りたいのは宿敵・貞盛だった。そして貞盛の首を上げるという事は、今や同体の秀郷をも破ることであり、この大苦境を脱して新皇・将門の勢威を再び天下に示すことになるのだ。

辺りが薄暗くなり、風に揺れる枝もぼんやりとしか見えなくなった。この雲では夜の闇も深いだろう。

『今日はこれまでか。だが己は死中に活を得ることができた。己には天運があるに違いない』と将門は思った。

 風上の有利を得たとはいえ、六倍の敵を破ったのである。彼が自分を特別な運命を持つ存在だ、と考えても不思議ではなかっただろう。

「引き上げじゃ、明日は敵を根こそぎにしてやろう」

 将門がそう言って、馬の向きを北へ変えたちょうどその時、風が突然止んだ。すると北東の筑波山の辺りの空に、雲を切り裂くような電光が走った。

『ダッ。』

 かっ、と空を睨んで見開かれた将門の、すさまじく大きな目玉の一寸上に、黒羽の美しい矢が深々と食い込んだのである。

大宇宙の全ての動きが止まったかのようであった。そして新皇・将門が馬上から落下すると同時に、雷鳴が地を揺るがすほどの大音響で辺りに轟いたのであった。

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