帝王への道


 十二月十二日、将門は二千近い兵を率いて下野国へ入った。この中には藤原玄茂の私兵と、甥の玄明が故地でやっと集めてきた農兵も含まれていた。そして今度は興世王が従軍している。

下野国府は都賀郡(現栃木市)にあって、正殿及び主たる建物の周りは一町四方の築地で囲まれていた。南へ向いた正門からは、幅五間の大道がおよそ五町もまっすぐ伸びている。都の朱雀大路を模したもので、その両側には五尺ほどの溝が設けられ、各種の倉や馬場、練兵場などが置かれてあった。

小次郎は馬上にあって大軍を率い、大路をゆっくりと進んでいった。空っ風が軽く土埃を上げる道の先には、堂々たる欅の大門が開かれ、その前に四、五人の男たちが佇んでいる。築地の外にはみごとな桜が並んでいたが、今はただ枝を風に鳴らしているばかりであった。

「将門殿、我らは争うつもりなどござらぬゆえ、よしなにお計らいくだされ。印鎰はここにお持ちしておりまする」

 小次郎が門前に達すると、中の一人が馬の鼻面に触れそうなほど近づいてきてそう言った。それが下野守・藤原弘雅であった。同じような立派な身なりに烏帽子姿の前任者・大中臣定行はその後ろで蒼い顔をしていたが、すぐに続けて言った。

「我らはすぐにも都へ帰りたいと存ずるが、よろしいでしょうか?」

 定行は常陸介と交替使が幽閉されたことを知って、自分たちもそうされるのではと恐れていたのである。小次郎はそれを聞くと馬上で微笑し、

「藤原弘雅殿と大中臣殿じゃな。己は平小次郎将門でござる。我らもあえて戦をしたいわけではないのでな、此度の殊勝なお心がけはかたじけなく存ずる。されば御両者には帰京していただくのがよろしかろう」と威厳ある口調でそう答えた。

 こうして下野は何の抵抗もなく小次郎軍の手に落ちた。戦にならなかったので、町は燃えることがなく略奪もわずかで、混乱状態は二、三日のうちに収まった。下野守・弘雅と前任の大中臣定行は、上野へ向かう小次郎軍に同道させられ、その後は警護の兵士によって信濃国府まで送り届けられた。

続く十五日、小次郎軍は上野国境を越えたが、下野を発向する時に、地元の豪族などで合流するものがあり、その総勢は三千を超えていた。まず先触れの者を国庁に送ったが、その返答は無条件降伏であった。

時の勢いであろう、上野も難なく小次郎の支配下に入ってしまった。下総を本拠として武蔵では郡司武芝事件で名を売り、常陸を激戦の末に破った小次郎将門の存在は、下野を苦もなく従えたように、権威の側にとっては大脅威であり、坂東の民衆には救国の英雄を期待させるものとなった。

上総、常陸とともに坂東の大国・上野は、東山道を通じて京に最も近く、また陸奥、出羽地方へ向かう要衝でもあり、関八州での重要性は随一であると言って良かった。小次郎は上野を制覇できたことで、自分の夢が現実となることを初めて確信したのである。

上野国庁は利根川右岸の丘上(現前橋市)に、下野国府に似た構造の立派な姿を見せていた。その西側には国分寺・国分尼寺も置かれている。

小次郎軍が国庁に至ると、下野同様に国司らが門前にて出迎え、国印と鍵を差し出し恭順の意を表した。それは上野介の藤原尚範であった。小次郎は上野介を藤原弘雅、大中臣定行と一緒に、警護付きで信濃国府まで送り届けさせた。

正門を入ると二間幅に石を張った通路が伸び、その左右は砂利敷きになっている。正面には正方形の建物があり、塀に沿って両側に並んだ長い建物とは廊下で繋いである。一番奥にはひときわ大きい建物があり、それが正殿であった。

冬らしい良く晴れた午前で、珍しく風がなかった。鎧姿の小次郎と三郎、四郎、多治らの郎党に興世王も交えた一行は正殿へ向かっていた。

「兄者、とうとうやりましたな。常陸での戦が効いて、もはや我らに仇なすものなどおらぬらしい。兵の数も日増しに大きうなっており申す」

 三郎が大声で言うと、皆そうだそうだと相槌を打った。小次郎はそれに答えて、

「己はこの勢いを持って、一気に坂東全体を抑えてしまうつもりじゃ」と一同を振り返って、有無を言わせぬような力強さでそう言った。藤原玄茂と並んで歩いていた興世王が陽気な声を上げた。

「将門殿の坂東制覇を寿ぐ宴を、これからすぐにも開かねばなりませぬぞ。ああ目出度い、目出度い」

 正殿の床は地面から十尺以上も高く、九尺の広縁が回らしてあり、正面には幅の広い階段が設けられている。小次郎らがその階段を上がっていくと、二十名ほどの下級役人が左右にかしこまっていた。

正殿の内部は衝立や簾で仕切られていたが、それらを全て撤去させると大広間が出現した。一同は鎧を脱ぎ去り、小次郎を正面奥にして興世王、三郎、四郎、多治、坂上、玄茂、付き従った豪族らが向き合う形で座を占めた。広縁には上兵たちが居並び、階段から前庭にかけてはその他の歩兵などが犇いている。

「ここまで来ることができたのは皆のおかげ、礼を申す。下総、常陸、下野、そして上野を従えた以上、坂東の覇権は手に入ったも同じこと。あとはうるさい貞盛という蝿を叩き潰すだけじゃ」

 小次郎がそう言うと、一同は『そうじゃ、我らは坂東を手に入れたのじゃ』、『さすがは将門様じゃのう』などと言い交わしていたが、藤原玄茂が大きな声で、

「ご一同、お聞きくだされ。将門殿が関八州の主となった上は、諸国の除目(国司の任命)を発して頂かねば、常陸、下野、上野にはもはや誰もおりませぬでのう」と言うと、小次郎がすぐにこう答えた。

「それもそうじゃな、国府に人がなければ民が困るか。よしっ、己が一気に決めてやろう。玄茂殿は常陸守、下野守は三郎に任せよう。上野守は多治どのにやってもらう。後はまた考えるとして、・・・・興世殿は上総守ではいかがでござろう?」

 小次郎が興世王へ笑いかけると、

「もちろん麻呂は喜んでお受けいたしますぞ。さてこれで将門殿は坂東の大王でおじゃる」と髭を撫でながら、いかにも嬉しそうな顔を見せた。

 やがて酒と肴が運ばれ、五名ほどの遊女が呼ばれた。女たちは朱の袴に白の着物、髪は赤い紐で束ねている。この頃は、遊女といっても巫女を兼ね、音曲と歌舞によって神と人の両方に奉仕する存在であった。

酒は純白の濁り酒で、正殿の階段から前庭に犇く兵たちにまで、この上等な酒が振舞われ、賑やかな明るい声が国庁内に響き渡った。

宴会が始まると、腹心の者どもが小次郎の周りに集まってきた。良く発酵した酒は甘く強いから、滑るように腹に収まって酔いを回す。興世王の普段は白い禿頭は、たちまち綺麗な桜色になったが、三郎も玄茂も色が黒いせいか、その顔には何の変化も見えなかった。

そのうち、踊りを見せていた一番年長の遊女が、腕を鳥のように動かしながら、ふわふわした足取りで小次郎の前に進み出たかと思うと、

「妾は八幡大菩薩の使いなり、我が位を平将門に授ける故、ただちに神楽を奏してこれを迎えよ、との仰せである」とそう言ったが、顔は青ざめ目の焦点は宙をさ迷うごとくである。全くの狐憑きであった。

 小次郎も三郎も四郎も多治も坂上も、皆あっけに取られてしまったが、興世王と玄茂だけは落ち着いた表情である。

「八幡大菩薩とは誉田別尊(応神天皇)のことでおじゃる。つまり将門殿に帝の位を授けようということですな」と興世王が言えば、

「坂東国を統べる新しい帝、新皇となられたわけか、これは目出度い」と玄茂がこう引き取った。

「軽はずみなことは言わないで下され。我らはお上に認めてもらわねばならぬ立場、怒らせては台無しになる」

 四郎が興世王に初めてきつい口調でそう言うと、王はみごとな禿頭に手を当てて笑いながら答えた。

「除目を発するには、一度帝になって頂かねばなりませぬでな。四郎殿にはこれは宴の座興とでもお考え下されよ」

「四郎、何をいきり立っておる?我らは柏原帝の裔なるぞ、時宜を得れば帝となって何の不思議があろう。お前は除目に漏れたを不満に思っておるのじゃろう」

 小次郎にこう言われて四郎は黙ってしまった。

 この時小次郎は、ふとこれが己の定めかも知れないと思った。お上が彼を太守として認めないような気がしたのである。そうなれば、坂東の国王としてここを守らねばならないのだ。

 いきなり太鼓の音が響き渡った。藤原玄茂が皆の注意を引くために打ったのである。彼は一同の目を自分に集めておいて、

「たった今、八幡大菩薩様の御託宣がこの女子に下された。つまりは将門様に帝の位を授けようという有り難き次第じゃ。一同畏まって拝礼せねばならぬ。お分りじゃな?」と庭にまで届くほどの大声を出した。

 それを聞くと殿内はいっぺんにどよめいたが、庭にいる者どもにも次第に分かってきたとみえて、酒で浮かれた声が驚きの混じったものになった。

その時、ざわめきを切り裂くように、笛の音が正殿の内部を震わせた。それはあたかも龍が天に舞い昇る如く、澄んだ音色を次第次第に高めて行き、一同の心を天上に誘うかのようであった。ややあって、天からの反響のように、今度は笙(しょう)の音が加わったが、そこで菩薩の使いと称する女がゆっくり立ち上がると、両手を舞うように突き出し、身体全体をゆらりゆらりとさせながら、

「大菩薩様の位記をそなたに授けよう。心して受領するがよい」と口上を述べた。

 そこに篳篥(ひちりき)という重々しい縦笛の音が加わって、正殿の中は三楽器の調和した奏楽に満たされ、誰もがそこで展開される神秘を恍惚として見守っていた。

小次郎が立ち上がると同時に、琵琶の唸りのような音が威厳を演出するかのように弾き出された。小次郎は位記を頭上に捧げ持つように、両手を上に伸ばすと菩薩の使いに向かって何度か礼拝した。居並ぶ者たちもそれに習って礼拝し、その動作は外側へ向かって波のごとく伝播していった。それが終わると満場から『わあーっ』という歓声が起こって耳を聾するばかりであったが、そこへ今度は鉦と太鼓が打ち出されたので、美しく厳かだった奏楽は急に賑やかさを増した。一同の脂ぎって赤味を帯びた顔には笑いが満ち、『新皇将門様万歳』という声が辺りに木霊した。

正殿奥の小次郎の周りでは、日焼けした顔を酒に赤らめた幹部たちの笑顔があった。三郎や藤原玄茂は喜びに堪えないといった風で、いまにも踊り出しそうにしていた。興世王は小次郎の脇に座し、色白のふくよかな顔を桜色に染めて、帝を補佐する高官といった様子を見せていた。その中では四郎だけが冷静な表情を浮かべていたが、心中は複雑であった。

もう一人割り切れない気持ちでいたのは、広縁に近い座の多兵衛だった。彼は長く小次郎の傍近くにいて、次第に主が出世していくのを見守ってきたのだが、まさか帝にまで上り詰めるとは考えてもみないことであった。

『坂東の太守になられるというのが儂の一番の夢だったが、それが帝になられるという。お上と戦をせねばならないのではあるまいか?果たして菅公の御霊殿は何とお思いだろうか?』

多兵衛は喜ぶべきかそれともそうでないのか、判断が付きかねていたのである。

小次郎の『新皇宣言』は、座の中心にいる主だった者たち同様、或いはそれ以上に、外縁にいる者どもの心を捉えたようであった。このところの小次郎軍の勢いから推して、もし関八州がひとつの国になったなら、『お上』にだって負けるはずがない、という気分が彼らの中に生まれていた。小次郎将門が帝位につくということは、自分たちを東夷と軽蔑する都に対し、坂東者の意地を見せることでもある。

こうして『新皇宣言』は、周辺から素早く坂東一円へと伝播していったのである。

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