藤原秀郷という男
藤原秀郷は下野国安蘇郡の豪族で、藤原北家・魚名の末裔とされるが、確かなことは分からない。秀郷が勝手に名を騙ったという旧記もあるという。代々国司の家柄らしく父の村雄は下野大掾であったが、秀郷は血の気が多く役人向きでなかったのか、自分の代になると国府との間に色々な揉め事を起こしている。原因は徴税に絡むものが多く、私営田領主の代表に担がれなどして、やむを得ず国司と衝突することになったらしい。
都では何度か官符を発して、秀郷を罰しようとしたが、在地の実力者をどうこう出来るような国司は存在しなかった。彼はこの時既に還暦に近い年齢の、正義感は強そうだが大いに陰影に富む人物として、下野国ではその存在が広く知られていたのである。
秀郷は承平七年(九三七)以来何度か貞盛の来訪を経験していたが、そのたびに要請されるのは『対将門同盟』であった。貞盛と将門を比較すれば、どう見ても貞盛の分が悪いが、性分からすれば貞盛の肩を持ちたいのが秀郷という男である。それでも今まではっきりと意思表示してこなかったのは、老境を意識したのと将門に悪感情がなかったからであるが、最後に会ったこの秋口に『将門が国賊となったなら同盟を』と貞盛に言われて承諾したのであった。
そのうち、常陸国府が将門によって焼き払われた、という知らせが飛び込んできた。国分寺と国分尼寺はまぬかれたが、国庁と町並みは全て灰燼に帰したという。常陸介は将門に連行され、貞盛と為憲は消息不明らしい。これは正しく謀反であろう。
『さあ困ったぞ、貞盛が生きておれば助けねばならぬ』と秀郷は自分に呟いた。
それからすぐの十二月初め、居館にいた秀郷のもとへ、次のような将門からの書状が届けられた。
「将門は仇と思う平貞盛を捕らえようと常陸国府へ赴いたが、常陸介の息・為憲がこれを庇って合戦を挑む有様なので、やむなく戦をしたのである。その結果是非なく印鎰を我が物としてしまった。これは謀反と見られても仕方がないので、今は坂東八州を制覇してお上の気色を伺うより道はない。よって下野へ発向することとしたが、元より将門は高名なる御手前に何の敵意もなく、戦いも望まないので、事が済むまで黙許願いたい。」
秀郷の地盤・田沼地方から下野国府までは五里ほど隔たっていたので、もし国司との間に戦が起っても直接の影響はないと思われたし、勢いのある将門と好んで戦う時節でもないことから、彼はすぐにこのような返書を送った。
「この秀郷、老いの身にて安居よりほか余念なく候。お気遣いなくご発向なされよ。」
将門が常陸国府を焼き払ったことは、既に都へ伝えられていたかもしれなかったが、まだそのお上の反応は分からない。そして貞盛の消息も不明である。ここはじっとしているほかはあるまい、秀郷はそう考えていたのである。
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