平貞盛と藤原為憲
平貞盛は平国香の長子で小次郎にとっては従兄にあたるが、幼少時も共に都にあった時も、周囲からはまるで身分違いのように扱われる二人であった。一族の長を任じていた国香の嫡男であれば、周りが貞盛を大事にするのも仕方がなく、本人がそれを当然のことと思ったのも無理はなかった。馬を友として育った坂東武者として左馬寮に仕官した貞盛は、しかるべき官位を得て帰郷した後、自分が桓武平氏の頭領となるのを疑うことがなかった。ところが妻の兄の源扶、隆、繁と小次郎の戦いに絡んで父国香が死んでからは、良兼、良正叔父たちの奮闘も虚しく終わり、今では将門があたかも一族を代表するかのように、坂東一円に勇名を馳せつつあったのである。
だが貞盛は誇り高くはあったが、小次郎のような野望は持たなかった。彼は身の程を知っていたから、昇殿を許されるほどの出世は無理でも、現実的にはいつか国司として介に任官するくらいには成りたかった。
貞盛は父国香を失った承平五年(九三五)以来、小次郎の違法行為を幾度もお上に訴えてきたが、下野境での戦いや信濃国とこの秋の下野での逃避行によって、小次郎の恐ろしい戦闘力を実感しつつ、彼が次第に本物の逆賊になっていくような気がしていた。そしてそれはこれまで小次郎をお上に訴え続けながら、無意識的であったにせよ、自分が望んでいたことではないのかと思った。
貞盛と小次郎は宿敵の間柄となる定めにあり、国香の死がそれを決定的なものにしたのかもしれないが、二人の戦いが一族の内紛に留まっている限りは、どちらが勝つにせよ結局はお上に睨まれることになろう。だが反逆者を討ったとなれば話は違って、大きな出世の機会をもたらす可能性が高い。畢竟二人には生死を賭けた決着しかない以上、相手を倒すことが出世に繋がるとすれば、貞盛には願ってもないことに違いなかった。
いかに小次郎将門といえども、朝廷を、この国全部を敵に回して、勝ち続けることなど出来ようはずもなく、下野の藤原秀郷と誼を通じ、常陸介や為憲とも同盟している自分が最後には勝利するのだ、と貞盛は信じていた。そして『己の取得は粘り強いところだからな、謀反人を討つ大手柄を他人になど渡すものか』と心の中で呟いていたのである。
貞盛を常陸国府に迎えた為憲は、常陸介藤原惟幾の息で、五歳違いの従弟であった。惟幾は坂東各地を巡りながら、常陸に来てようやく西浦沿岸に荘園を持つことが出来たが、それには国司の権威と、為憲の武力に物を言わせた強引さが大いに役立っていた。彼は父を補佐する名目で、国府の武器と兵を我が物の如く動かし、不法占拠を口実に私営田領主らから、しばしば耕地を取り上げたのである。藤原玄明が小次郎に救いを求めたのも、為憲とのこのような争いの結果であった。
常陸は父国香がかつて大掾だったことから、貞盛にとっては親しい土地であり、また妻の源一族の故地にも近かった。そこでは貞盛への民衆の気持ちは、筑波郡とは違ってまだ昔のよき時代のままであった。そして為憲にはかつて武蔵や下野で従兄・貞盛と過ごした思い出がある。そこで彼は貞盛に書状を送り、常陸へ帰るよう熱心に勧めた。そして同じ従兄でありながら、憎き玄明を匿っている小次郎を共同の敵として、貞盛と力を合わせて戦おうとしていたのである。
貞盛は為憲の顔を見ると、
「これからは兄弟として付き合いたいがいかがかな?」と訊いた。
為憲には姉ばかりで兄も弟もなかったから、そう言われると無性に嬉しかった。むしろ自分からそう言い出そうと思っていたくらいであった。
「願ってもないことでござる。どうか兄者として遠慮なく鞭撻下され。この為憲きっと期待に応えてみせましょう」
二人は顔を見合わせて微笑したが、お互いの腹の中まで分かっているとは、もちろん思ってはいなかった。
為憲はこれまで小競り合いの経験しかなかったから、今度のように大軍を率いて戦うとなると、いくら父親や貞盛と一緒だといっても不安な気持ちは拭えなかった。だが、領内でいくら威張ってみても、所詮自分は井の中の蛙であったのか、と思えば口惜しくもあった。それにこれから先も荘園を守って大きくしていくためには、越境して下総へ攻め入ってでも玄明を追捕して、国司の力を誇示しなければならない。為憲はそう考えて自らを励ましていたのである。
為憲より五歳年長の貞盛であったが、その年齢差以上に彼の老練さが目立つのは、負け戦とはいえ数々の戦闘に参加してきたせいかもしれない。
彼は間一髪のところで逃げ延びながら、いくさがどういうものか考えるようになった。そして全ての戦いの勝ち負けは、結局その軍を統率する者の生死によって決まる、という単純な事実に思い至った。つまりいくら兵士に大損害が出ても、統率者が逃げ延びるなりして安全であれば、それは負けたのではなく次に勝つことも可能なのだ。だから戦に勝つためには、必ず敵の統率者を倒さなければならないのである。貞盛のこの信念は小次郎将門によってもたらされ、いつか彼を倒す日の来るまでは決して捨てられぬものであった。
十一月中旬、常陸国府では下総への進攻が既定のことになりつつあったが、介の惟幾は老齢を理由に為憲を代理に立てることにして、あまり戦には関わりたくない様子を見せていた。
為憲は不安を感じながらも、官軍を私兵のように動かしてきた者としての自負はあった。
貞盛にとって狙いはもちろん小次郎だが、玄明の追捕を口実にして官軍を動かせるということが、彼の背中を押していた。
様々の思惑が囁かれる中、国府では武器庫の調査や糒の準備などが行われ、働く者の顔からは笑いが消えた。外では寒さを増してきた筑波おろしが赤松の枝葉を騒がせ、それから人々の足元を吹き抜けていくのであった。
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