武蔵武芝事件


『これからは積極的に動く』と年明けに宣言したとおり、小次郎は二月初旬には貞盛上洛の情報を得て信濃国まで出張ったが、今一歩のところで取り逃がしてしまった。

将門党にとって、良兼と貞盛とは今や最も憎むべき敵である。虚偽の訴えによる誹謗に腹も立つが、それらを含めて両者のいざこざを解決するには、畢竟、武力による決着しかあり得なかった。良兼については、石井館の夜襲以来上総に去って、病に臥しているらしいという噂が届いていたが、代わって貞盛が小次郎の隙を突こうと、あちらこちらで画策しているのが耳に入ってくるようになった。本来直情型の小次郎には、自分には出来ない政治的な取引を得意とする貞盛のような男は、生理的に好きでなかったが、その男が今では理想実現の、大きな障害であることが実感されてきたのである。

信濃から帰って間もなく、小次郎の元に武蔵国足立郡の郡司・武蔵武芝から書状が届けられた。内容は紛争の調停を依頼するものであった。

承平五年以来、数々の戦闘において勝利を重ね、都にさえその名を知らしめた将門は、前年夏の敗戦があったとはいえ、秋以降には再び勢いを取り戻して、良兼を服織に追い、夜襲の撃退に成功し、勢力を誇示するような巨大な石井の館まで完成して、坂東一円でその名を知らぬ者はない存在となっていた。隣国へそうした情報は詳細に伝えられ、元下総介の息でありながら無位無官の将門であれば、国司らの横暴を受けている自分の立場を理解してくれるのではないか、と武芝が考えても不思議はなかった。

武蔵国は、国守は遥任(在京)、次官の介は欠員という事態が長く続き、その間実権は在地の実力者である郡司の武蔵家が握ってきたのだが、この年の初めに突然の如く、権守・興世王と介・源経基が赴任してきたのである。権守とは仮の任命という意味で、正式な守が赴任するまでの代理を務める役である。興世王と経基の位は大体同じで、介に任官するのが適当だったが、二人が同じ官職という訳にはいかず、年長の興世王を権守にしたのかもしれない。

武芝にとってはまさに青天の霹靂である。これまでは事実上武蔵守として、名実ともに一国を我が物としてきたのであるが、これからは郡司として国司に従属しなければならなくなったのである。

しかし武芝は二人を上司として立てながらも、実質的には従来どおりの影響力を保持できるだろうと見ていた。武蔵家は代々郡司としてこの地を大過なく治め、勢力は広範に及び、諸般の事情にも明るいが、新任の国司らにはただ役職上の権威があるだけではないか。そんな二人に何ほどのことが出来ようか、と武芝は思っていたのだ。

ところが新任の国司らは、正式な守のみに許されるという慣例を無視して、いきなり検注(検地)を行う旨を告げてきた。

検注とは年貢を徴収する基準の田畑などを調査することであるが、国司がそれを行う本当の理由は、検注される側からの莫大な賄賂を取ることであった。

この時代、班田制はすでに滅んだといって良く、中央は地方の実情を掴めなくなっており、そのため徴税は律令によらず国情に順じて国司が行うものとなっていた。従って国司の権限は強大で実入りも莫大であったが、実質的には下請けとして、より土地に密着した郡司などが腕を振っていた場合が多く、この武蔵国の場合も、本来なら権守・興世王と介の源経基は、国衙領の統治について郡司・武蔵武芝の協力が不可欠のはずであった。

ところが国司の二人は相当貧窮していたのか、或いは権威を以て脅かせば従うだろうと思っていたところへ、案外な反発を受けて頭に血が上ったのか、武芝の検注協力拒否に兵力で応えた。彼らはいきなり郡司の館を攻め、歯向かって逆賊とされるのを恐れた武芝が一族を連れて足立郡の営所へ避難したのを見て、蓄えられていた米、絹、綿布、鉄器、工芸品などを押収して持ち去ったのである。

これに対し武芝は自らの影響力を行使し、国司らの非道を告発する書を国府の門前に掲示して、域内に事件を広く知らしめることに成功した。その後で国司らに対し、私有財産の返還要求を突き付けたのであるが、興世王側はそれに応じる気配もなく、武芝としても武力に頼るわけにはいかず、打つ手が見出せない情勢であった。


小次郎は武芝と面識がなかったが、書状を読むとすぐに仲裁介入を決断した。下総に聞こえてくる風評によって、彼が想像していたのは、お上にも領民にも責任を果たしている有能な郡司としての武芝であった。武力による小競り合いや群盗の横行する坂東にあって、武蔵国の秩序は下総のそれより格段に良かった。彼が域内の安寧によって領民の支持を得ているとすれば、小次郎の目指す理想の国作りとも通じるものがありそうだった。それに、これまで介の良兼や大掾だった源護と戦ってきた小次郎には、国司から不法な扱いを受ける武芝への同情心も湧いていたのである。

かように小次郎の心は決まっていたが、党の主だった面々から同意を得ておきたかった。集合した郎党や伴類などからは、情勢への問い合わせはあったがはっきりした反対はなかった。弟の四郎が『いくさにならぬよう、充分お気を付けてくだされよ、兄者』と釘を刺しただけであった。この決断は小次郎将門のその後の運命を決める、重大な一歩だったのだが、まだそれに気付く者はなかった。

三月半ば、小次郎は兵二百を率いて、まっすぐ武蔵国府に向かった。武芝と逢う前に、まずは権守・興世王と介・源経基から、和解するための条件を聞き出すためであった。

ところが小次郎たちが国境を越えて埼玉郡に入って間もなく、将門進軍の知らせを聞いた興世王と経基は入間郡の山中に逃げてしまったのだ。その知らせを聞いて、仕方なく小次郎は武芝の営所へ向かった。

逢ってみると、武芝はがっちりとして胸板の厚い大男で、真っ黒な髭に覆われた顔の中で小さな目が優しそうに笑っていた。

「己が武蔵武芝でござる。遠路ご足労を煩わし、誠に恐縮に存ずる」

 そう言って頭を下げた武芝は、小次郎より五歳ほど年長の四十一だという。落ち着いた物腰は年齢のせいばかりでなく、実質的には国守として域内を統治してきた実績がそうさせていたのであろう。

小次郎は簡単な挨拶を交わすと、すぐに本題に入った。この男は形式に拘泥するような輩ではない、とそう直感が教えていた。

「武芝殿はどこまでなら譲歩しても良いとお考えか、掛値ないところをお聞かせ下され。この将門精一杯の説得を試みましょうほどに」

 武芝は頭をかきながら、すぐにこう答えた。

「恥ずかしながらこの武芝、此度は相手を見誤りましてござる。まさか合戦を仕掛けられるとは思案の他。条件など申す立場ではござらんが、盗賊そのままに盗られた我らが私財だけは返して貰わねば。あとは将門殿にすべてお任せいたします」

 話が簡単に付いてしまったので、小次郎は興世王へ書状を送り、合戦でなく話し合いたい旨を通知した。

翌早朝小次郎は武芝と共に国府へ向かった。季節は春で眠くなるような日であったが、行程は十里余りあり、暮れかけて到着したときには、さすがに歩兵たちの疲労の色が濃かった。

国府庁内の庭には松明が焚かれ、満開の桜が薄闇に浮かび上がって小次郎と武芝を迎えた。入り口の扉を背にして、黄色い派手な衣装の人物が立っていて、二人が近づいていくと声を上げた。耳の辺りには灰色がかった髪が盛り上がっているが、頭頂部は見事に禿げて鈍く光り、中背の栄養の行き届いた丸い体をしている。

「やあやあ、お待ちしておりましたぞ将門殿、武蔵殿も」

 興世王はこの朝に書状を受け取ると、すぐに国府へ出てきて酒宴の手配をさせ、二人の来るのを待っていたのだ。介の経基は興世王から文を見せられ、和解する良い機会だと同行を求められたが、罠かも知れぬから自分は残ると山荘に留まっていた。

三人が夜桜の美しく眺められる席に着くと、すぐに酒と料理が運ばれてきた。

「さっそくでござるが、御酒をいただく前に懸案を片付けたいと存ずるが」

 そう小次郎が言うと、興世王は切れ長の垂れ目を細めながら、こう答えた。

「坂東一の武士・将門殿の斡旋に条件など付けようもござらん。この興世、郡司殿の働きなくしてこの国が治まらぬは承知してござる。どうか此度のことは水に流し、よしなに計らい下されよ」

 それを聞いて小次郎は武芝に目をやったが、見返してくる彼の顔には安堵の色があった。

「お言葉痛み入りまする。ここには武蔵介・経基殿がお見えでないが、ご同意下されましょうや?」

 尋ねられた興世王は口の端に垂れ下がった髭を撫でながら、少し表情を曇らせて喋り始めた。

「経基殿はお若いのに慎重なお方でのう、罠かも知れぬから自分は残って様子を見よう、などと言われて出てこられぬ。じゃが話はついたと麻呂が使いをやることにいたそう。さすれば明日には出て来られよう。さあこれで話は済みましたな、花も今が盛り、散るを眺めるも又風情、宴じゃ、宴じゃ」

 最初は間延びした調子であったが、しまいの『宴じゃ』というところなどは弾むようで、一座は一遍に和やかになった。彼には場の空気を支配する力があるらしい。それは年長者の経験の賜物だけではなさそうであった。

興世王は最初の乾杯の後、すぐに人を呼んで山荘の源経基へ使いを出すよう命じた。指示を受けたのは府庁では古参の官吏で、いわば郡司・武蔵武芝の子飼いの役人であった。言われた彼は、本来、興世王直属の兵を派遣すべきだったが、武芝に従って足立郡から来た歩兵の頭を行かせることにした。旧知の間柄で頼み易かったのであろう。

武芝の兵たちは朝からの移動で歩き疲れ、腹も減り喉も渇いていたので、国府到着後はすぐに町へ繰り出して飲み食いを始めていた。将門の調停で国司らとの争いが片付きそうだ、というのも彼らの気分を高揚させ、酒が回った身体をより熱くしていた。

「将門様が出てこられては、権守も介の経基もこの坂東では大きな顔はできまいよ」

「まこと、まこと。これで一件落着じゃ」

 そういう話が処々で交わされていた。

武芝隊の歩兵の頭は、二十名ほどの小班を山荘へ向かわせようとしたが、酔った歩兵が勝手に合流し、八十名を超える統制の欠けた一隊が形成されてしまった。兵たちは奇声を上げて夜の中を、まるで凱旋するかのように進んでいった。武蔵介経基とはどんな人物なのか、彼らの興味はそこにあった。中には自分たちが経基を連行するために行くのだ、と勘違いしている者も少なくなかった。

「武蔵介殿を連行せよ!、おうーっ」

「馬鹿を言うな、お連れするように言われておるのだぞ。みんな黙れ、しずかにしろっ」

 指揮官の声はとても全員には届かない。それにまるで意味のない叫び声があちこちから上がり、それが行列に精力を注いでいるような有様であった。

この乱れた一隊の行進を、密かに闇の中で注視している少数の兵があった。都から源経基に同行してきた腹心の部下たちで、主人の意を受け周辺を警戒していたのである。

「どうも様子がおかしい。大殿を連行せよとはどういうことか」

「やつらは郡司の兵であろう?興世殿はどうなされたのか、囚われたとも思われぬが」

「とにかく急ぎ大殿にお知らせし、その上で何とか手を打つことにいたそう」

 報告を受けた経基は仰天した。話が付けば興世王の兵が自分を呼びにくると思っていたのに、武芝の兵が大軍でこちらへ向かって来るというのである。自分たちが郡司に対して行ったことを考えると、捕われれば殺害されることもあり得る。命あっての物種と言うではないか、ここは逃げるに如かずであろう。

彼はこの時まだ二十四歳、清和天皇の孫・六孫王であったのが、臣籍降下して清和源氏の祖・源経基となったばかりだ。清和源氏は後には頼朝を生む武門の家となるのだが、経基の本質は貴族であって、いくさはおろか武具の使い方さえ知らぬ有様なのだ。

「都へ帰るぞ。急いで支度をせよ、武芝の兵が来る前に出発じゃ」

 経基は京から同行してきた三十名ほどの部下に守られ、西へ向かって脱出した。そして山裾伝いに歩を進め、翌日の夕刻には相模国へ入ることが出来た。

経基逃亡の報告を聞いた武蔵武芝は、部下を烈火のごとく怒ったが、どうすることも出来なかった。彼は経基が自分を逆賊として訴えるのを恐れたのである。

小次郎も落胆はしたが、武芝のように怒りはしなかった。権守と郡司の和解が成ったのだから、武蔵国は秩序を取り戻したといって良い。そしてそれは小次郎将門の功績として、その名を坂東中に益々浸透させることになるであろう。

興世王は知らせを聞いて頷きながら、微笑を消さなかった。そして、

「経基殿を大分驚かせてしまったようですな。まずい首尾でござったが、何分お若いことで慣れぬいくさが怖かったと見える」と涼しい顔をしていた。

三人が話し合った結果、武芝の私財の返還と領内の統治についての合意が成り、小次郎はそれを土産に石井へ帰還したのであった。


都へ逃げ帰った源経基は悔し紛れに、興世王が将門を頼って自分を追い出し、国衙領を私しているのは謀反である、とお上へ訴えて出た。坂東の暴れ者将門の名を聞いて京中が大騒ぎとなったが、摂政・藤原忠平は経基をにわかには信ぜず、まず実情を調査せよということになった。この頃騒乱は各地に数多く起きていたから、すぐに手を打てるような状況になかったのかもしれない。

実否を糺すための使者が坂東に派遣されてきたのは、翌年(天慶二年)の春で、その三月の末には忠平の書状が届けられた。

旧主の文は小次郎に謀反の嫌疑が懸けられていることを告げていたが、彼にはそれを晴らすことは容易であると思われた。なぜなら疑いがあまりにも事実無根であり、むしろ争いを終わらせた功績を買われてもおかしくなかったからだ。彼の考えでは、手の廻りかねるお上に代わって秩序を回復したのであった。

そして五月、小次郎は自身の行動が間違ったものでなかった証拠として、武蔵、上野、下野、下総、常陸五カ国の解文を取り寄せ、それらを添えて無実を朝廷に訴えた。これら坂東の北部一帯は、好意的に将門を見ている国ばかりではなかったが、その勇名が高まりつつある時に、解文要請を拒否するのは相当に勇気のいることであっただろう。

都の人々の口から、謀反人将門の噂は絶えなかったが、朝廷では解文を重く見て将門の主張を認め、虚言を弄したとして経基を禁固刑に処したのである。

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