夜襲


十二月(陽暦一月)から一月の坂東は、空っ風の吹き抜ける一番寒い時期である。その十二月十四日夕刻、良兼は八十騎ほどで服織の営所を出た。目指すは小次郎の石井の館である。夜襲を決意したのは、たまたま小春丸という小次郎の御用商人を配下の者が捕らえてきたことによる。その男の話によると、未だ館の工事が続いていて、今のところ宿泊できるのは十余名に過ぎず、柵も南側の一部に未完成のところがあるらしい。昼間は多くの者が集まっているが、夜間はそれぞれの宿所に帰るから、攻めるには絶好の機会である。そこで事が済むまで小春丸を営所に確保しておいて、良兼の一隊は夜陰にまぎれて出立したのであった。

この時良兼はすでに還暦を過ぎ、心身ともに衰えを自覚せざるを得なかった。対する小次郎は若さと勢いに溢れ、これからどんどん影響力を拡大していくだろう。だとすれば宿願の小次郎を討つ機会は、この機会をおいて再びは訪れぬかもしれなかった。

 宵には満月に近い月が出ていたが、一隊が鬼怒川を渡る頃には雲が広がって小雪がちらついてきた。寒気が厳しく人馬の息が白いはずであったが、闇夜でそれも見えなかった。

老体の良兼に、この寒さが身に応えぬ筈はなかったが、これが最後だと心を奮い立たせて馬上にあった。

川を渡ったところに結城寺という寺院があり、その門前町に将門党を支持する豊吉という豪農がいた。子の刻(十一時頃)過ぎ、使用人が小便をしに外へ出たところへ、ちょうど良兼の一隊がやってきたので、暫く物陰から見ていたがその数の多さは半端でなかった。そこで主人へ注進に及んだのだが、確かに異常事態らしい。豊吉はそっと後をつけて様子を探っていたが、一隊が南下するのを見て、これは石井の館を襲う積もりだと確信した。彼は土地勘を生かして、近道を一散に駆けて館へ飛び込んで行った。

「一大事、一大事、敵の夜討ちでござる」

 豊吉の大声で館の中は大騒ぎになった。

「敵は誰だ?」

「分かりませぬが、良兼殿の一隊かと」

 下女が三人、上兵七名、雑兵三名、坂上遂高と多兵衛それに小次郎、それが館の全員であった。皆が広間に集まってくると、多兵衛がすぐに声を上げた。

「灯りをつけてはなりませぬ。闇はこちらに味方となりましょう」

「よし、弓と矢をあるだけ用意せえ、ぐずぐずするな。夜明けが勝負ぞ、敵もそれまで攻めてくるまい」

 小次郎の声が辺りに響き、すぐ多兵衛が雑兵へ命令するのが聞こえた。

「おいっ、お前たちは馬を頼む。お前は鎧を急いでここへ運べ」

 予想通り敵は攻めてこない。やがて辰の刻に近く、夜が白んできた。それを待っていたのであろう、良兼隊の攻撃が始まった。南側の柵の隙間から、抜き身の刀を鈍く光らせて、騎兵が一気に攻め入ってきたが、家の中からは誰一人として出てこないので、拍子抜けしたようにそこらをぐるぐると回るばかりである。その時、細く明けられた板戸の隙間から矢が放たれ、一人の騎馬武者の顔面を見事に射抜いた。武者は瞬間動きを止めて馬上に留まっていたが、それから声もなくどうっと転げ落ちた。一隊に動揺が走り、その男の名前が呼ばれた。

「それっ今だ、扉を開けて有るだけの矢を射掛けよ」

 小次郎の叫びを合図に板戸が開かれ、八丁ほどの弓が一斉に矢を放ち始めた。弓手は三、四人の武者を倒したが、馬を失った者は鎧に矢を突き立てつつも、館の中へ押し入ってくる。それには小次郎や坂上や多兵衛が当たり、連係動作で次々と敵を突き、刺し、斬った。

十人ほど倒すと敵の勢いが弱まったので、小次郎たちも馬で押し出したが、数ではるかに勝る良兼隊には却って好都合であった。良兼は最後尾にいて戦闘には加わらず、大声で叱咤激励していたが、その頃にはすっかり夜が明けて、目指す小次郎を前方の騎馬武者の中に見ていた。敵は七、八騎だが、こちらはまだ六十騎はある。宿願を叶える機会がついにやってきたのだ、と良兼は思った。彼は声を限りに叫んだ。

「それっ、一気に押し潰せ。小次郎の首を取れ」

 小次郎らは圧倒的な騎馬隊に押し戻されて、落馬する者や馬に乗ったまま館の中へ駆け込むものなど、騎馬戦では相手にならなかった。小次郎は馬を降りる気はなかったが、坂上や多兵衛の意見を入れて館の中へ入った。屋内では良兼隊の多勢が有利に働かず、刀での切り合いは長引くことになった。

良兼は馬上で焦燥感に全身を熱くしていた。小次郎の姿はなく、味方の騎兵は館に押し寄せてはいたが、馬を降りないで逡巡しているばかりの者が目に付いた。

「何をしているっ、攻め込め。敵は無勢ぞ」 良兼がいくら声を嗄らして叫んでも、情勢に変わりはなかった。

 戦いが始まって半時もすると、近在に分宿していた将門党の兵たちがそれに気づき、三、四人固まっては駆けつけて来た。初めは大した数ではなかったが、それが少しずつ増加するのを見ると、良兼の焦りも次第に募っていった。

彼らは胴丸を着けただけの歩兵だが、その数はやがて二百を超えた。鎧を着ないから弓矢には弱いが、槍を使っての攻撃は身軽で、包囲されると騎兵には脅威であった。

良兼の近くに従っていた一人が、歩兵の接近を告げて退却を進言した。柵の出入り口を塞ぐ形で包囲されると、騎馬隊は全滅せざるを得ないであろう。

良兼は胴震いした。

『俺はついに老いぼれた屍をここに曝すのか。小次郎を討つことはもはや叶わぬのか』

 萩女の言ったことが瞬間思い出され、はらわたがかっと燃えるようであった。

 彼が返事をせずに、ただ馬の動きに合わせて揺れていると、

「もはやこれまで、引き上げるしかござらん。良兼殿を敵に討たせては、お館様に申し開きが出来ませぬ」と側近の騎馬武者が大声でそう言った。

 それを聞くと良兼は少し冷静さを取り戻した。自分がここに無様な姿を残したなら、当主として我が子の公雅が恥をかくことになる、と彼は気づいたのである。それに歩兵たちは増えるばかりで、もはや小次郎の首を上げるのは難しい情勢であった。

 良兼は引き上げを決断した。一隊は半数近くになっていて、その中にも負傷した者があり、しんがりになったそういう兵が四、五騎は歩兵の槍に突かれて落馬したが、残りは辛くも逃れて元来た道を引き返していった。

小次郎は負傷した敵兵に対し、助かる者は手当てを命じ、そうでない者には引導を渡した。敵が良兼の一隊なのは予想通りであったが、小次郎には良兼と国香の息・貞盛の眷属とは決して和解などできぬのだ、ということが骨身に沁みた。どちらかが滅びるまでは、永遠に戦いが終わることはないのであろう。


 この騒ぎの後、工事は大いに早められ、年内にはあらかた格好がついた。百人を収容する兵営も建てられ、柵も隙間なく設けられた。

明けて承平八年の正月、小次郎は郎党や伴類を集めて祝宴を開き、初めてはっきりとした将来への展望を語った。

「己はこの坂東を『まほろば』と呼べるような、正義の行われる場所にしたい。知っての通りここではお上の威光が届かないばかりか、良兼のように国司だった者までが、此度のような無法を行って少しも恥じるところがない有様じゃ。この半年余り、己は無能に過ごしながら考えてきたが、お上に代わって秩序をこの坂東にもたらすのは、畢竟我らの他には有るまいということに思い至った。どうじゃ、ここを平和な国にするために、皆で力を合わせようではないか」

 静かに小次郎の話を聴いていた一座は、終わると急に騒がしくなった。その中の一人が大きな声で訊いた。

「それはお上を相手にいくさをするのも厭わぬ、ということでござるか?」

 すると他の一人もこう言い出した。

「さよう、先ごろは前下総介良兼殿がけしからんとしておったが、今度は将門様を捕らえよというてきた由、都はどうなっておるのやら、まともに付き合っては馬鹿を見るかも知れぬ」

「紙一枚送ってくるだけではのう、痛くも痒くもあるまいて」

 既にいくらか酒が入っていたから、久しぶりに聞く小次郎の力強い言葉に、男たちの血が昂ぶるのは無理もなかった。それを聞くと四郎が慌てて声を上げた。

「待たれよ、待ってくだされ。何もお上に楯をつこうというのではござらん。そうではなく、遠すぎて手の届かぬお上に代わって、無法ないくさで田畑が荒らされ、家が焼かれるのをなくしたい、ということでござる、のう兄者?」

「そうじゃ、ただここを住み易い国にしたいだけなのだ。お上にしても坂東の平和は望むところのはず。

 これから己は必要とあればどこへでも出て行こう。我らが郷土をまとめるためには、どんな契機も逃してはなるまい」

 人生何があるか分からぬし、御霊との約束もある。この時、小次郎は自分が永遠の命を持つものではないことを痛感していたのである。

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