転機


事の次第が明らかとなったのは、良兼軍が逆井から姿を消した日の夜に入ってからであった。

小次郎は敵軍が南下を始めたと報告を受けると、多兵衛に女たちを迎えに行くよう命じ、芦津江から出た五艘の小舟が、沼の中をあちらこちら捜し回ったが徒労に終わった。沼は東西の幅こそ十町ほどだが、南北にはおよそ十里の長さがあり、簡単には捜しきれないから女たちを隠すことにしたのである。

暮れかかって捜索の舟が戻ってくると、岸に近く村人が集まって話しており、「多兵衛が雇った船頭の、十一歳になる息子の姿が見えなくなっているが、昼過ぎに沖へ出て行くのを目撃した者がいる」というのである。少年は父親と漁に出ることが多く、沼の中を遊び場のようにしていて、大人顔負けに地形を熟知しているらしい。もし少年が気を利かせて「良兼軍南下」を父親のところへ知らせに行ったとしたら、勝手に出てきてはならない、という約束が守られないということもあり得る。多兵衛はそれを聞くと不安の念に駆られた。

その懸念はすぐに現実となった。対岸の逆井方面へ出していた物見が戻って来ると、無残な結末を報告したからである。

良兼軍は沼を渡る際、最初から五艘の弓兵を芦の陰に残し、小次郎を計略に掛けて不意打ちを喰わせようとしていたが、そこへ思いがけず志乃たちの舟が現れた、ということらしかった。

弓兵らは一行を逆井に上げ、早馬を本隊に飛ばして指示を待った。報告を受けた良兼は歯軋りせんばかり口惜しがった。そして『小次郎妻志乃のみ連行し、後は切り捨てよ』という命令を下した。兵はその命令通り、桔梗と幼いイネ、船頭三名と少年まで斬首して沼に捨て、志乃を馬に縛り付けて連行した、というのが物見の報告であった。

聞き終わると、小次郎は血の気の失せた顔を上げ、赤く飛び出しそうな目玉から涙を迸らせた。ぎしぎしと食いしばった歯の間から嗚咽が僅かに漏れた。

「イネ・・・・」

 それだけ言うと、彼は敷き草の上に腰の抜けたように座り込んでしまった。癲癇の発作のように口から白い泡を吹いて、瞬間失神しそうになったが何とかそれは堪えた。悲しみと怒りが胸のうちに渦巻いているのは誰の目にも明らかであった。


良兼は今度こそは小次郎の息の根を止めんものと、兵を励まして敵地の奥深く攻め入ってきたが、大沼の周りの藪の中に隠れられたのでは、地の利のない者には見つけるどころか、自分の位置を失ってしまうだろうと思われた。

『だが小次郎の戦いぶりは、明らかにおかしいぞ。これまでは陣頭に立って狂ったように迫ってくるのが常だが、まったく姿を見せず、まるで逃げ回っておるようじゃ』と彼は思った。何か弱みがあるのかも知れぬ、とも考えた。それでも良兼が軍を逆井に渡したのは、三郎や四郎らの援軍が近づいていたからで、それらとまともに激突したのでは、自分らに勝ち目がないと判断したからであった。だから弓兵の待ち伏せは窮余の一策であり、それがまんまと的中するところだったのだから、良兼の落胆は大きかったのである。


その夜遅く、小次郎は多兵衛に負われるようにして丘の上に登った。丘とはいっても沼の水面から三十尺(九メートル)に足りない、ひょろりとした赤松の交じった藪が広がっているだけのなだらかな土地である。

北東の空には二十日の月が懸かって、松の影が長く沼の方に延びている。適度に湿り気を帯びた夏の大気の中で、林や水草の群生や丘を取り巻くように広がる沼が、ぼんやりとではあるがかなり遠くまで眺められた。

小次郎は沼の方を向くと、虚空に向かって語りかけた。その声は震えていたが力強くもあった。

「道真公の御霊どの、小次郎将門、恥ずかしながら万端極まってござる。御助力を賜りたくお願い申す」

 その声は、微かに青みを含んだ夜空の中へ、吸い込まれるように消えていったが、何事も起こらなかった。二人は沼の方を向いたままじっとしていた。するとしばらくして、虚空を音もなく何かが左から右へ飛んでいくのが見えた。目で追っていくと、松の枝を透かした月がそれを一瞬蝙蝠らしき姿に浮かび上がらせたが、すぐに東の方角へ消えてしまった。

「駄目らしいな多兵衛、己が甘かったか」と小次郎が自嘲気味に言うと、

「鎌輪のお館の門前では、確かに菅公がお味方じゃと申されたように・・・・」と多兵衛は納得がいかぬ顔だった。

 その時、東の方角に青白い電光が閃いたと見るや、松の枝下の暗がりに鬼火が現れ、それが亡霊の顔に変わった。

「何も案ずることはないぞ。筑波山の天狗も麻呂の友じゃ、いつでも頼みごとあれば呼ぶがよい」

 亡霊の声はあの時と同じく、低いが殷々と響いてくる。今の小次郎にはその声に対抗するだけの気力はとてもなかった。

「御霊どのには全てお見通しのことと存ずるが、都より戻りし後、得体の知れぬ病に取り付かれ、この将門身体ばかりか魂まで他人の物のようでござる。このままでは己の夢を叶えるどころか、妻子の仇・良兼を討つことさえ出来ぬ有様。この窮地を抜ける法はありましょうや?」

 小次郎は刀を支えにして立ち、すぐ後ろには多兵衛が控えている。

亡霊は頷くように揺れたかと思うと、ゆっくりとした口調で喋り出した。

「あるとも。じゃがひとつ条件を飲んで貰わねばならぬ。そなたの命を麻呂に預ける、というなら願いを叶えてもよい。何事も代償を払わねば、徒(ただ)とはいかぬ。さあ、どうする?」

 それを聞くと小次郎はすぐに心を決めた。

「一切承知いたす。どうかこの将門に以前の力を戻して下され。さすればこの命、御霊どのに間違いなくお預け申しましょう」

 後ろで聞いていた多兵衛は慌てた。

「お館さま、お身は伴類全てのもの、軽々しくそのような約束はなりませぬ。どうかお考え直しを」

 だがこの時の小次郎には、イネや桔梗や志乃の仇を討つことしか考えられなかったし、それに命を懸けるのは当たり前であった。或いは月日が病を追い出してくれるかも知れぬが、今はそんな悠長なことを言っている時ではない。

「多兵衛、己には時間がないのだ。このまま待っていたのでは、いつまた敵が現れるか分からぬし、そうなれば生き延びられるかどうかも怪しいものだ。人の一生は知れたもの、腐り果てたこの身と魂を甦らせて、坂東の隅々まで駆け回って死ねたら本望じゃ、分かってくれ」

 主君にそこまで言われては、多兵衛も返す言葉がない。それに小次郎の気持ちが理解できない訳ではなかった。

亡霊がまた訊いた。

「話は付いたか。どうする小次郎将門、まあ悪い取引ではあるまい」

「お聞きの通り将門、菅公の御霊どのにこの命お預けいたす。どうかこの苦境を抜け出す道をお教え下され」

 そう言ってしまうと、小次郎の心中は急に落ち着いて静かなものになった。運命に従っているだけではないか、と思った。

「宜しい。それではそなたの悪疫を追い出す法を授けよう。まず日に一度は麦飯とむなぎ(鰻)を焼いて食すこと。朝と夕、筑波山に向かい拝礼すること。これを二十一日間行えば必ず願は成就しよう。ではまた逢おう、約束を忘れるでないぞ」

亡霊はすぐに東の空に消えていった。


小次郎は芦津江の農家を接収して仮の営所とし、荒らされた栗山の御厩、馬牧は再建するが、鎌輪の館は廃止することにした。その理由は、ひとつには地形的に鬼怒川の洪水を受ける危険性があり、地理的には当面の敵である良兼らの根拠地・筑波や真壁から攻められ易いからであった。

そこで考慮の末、新しい本拠は猿島郡の石井が適地ということになった。長年住まった鎌輪から石井への移転は小次郎には新天地だったが、亡き母の一族・犬養氏がかつて勢力を張っていた相馬郡に隣接していて、今はその遺領を弟の四郎将平が守っている。そして西隣は古くから栄えている葛飾郡であり、東に菅生沼、西は鵠戸沼から利根川へ水運が開けていて、地の利も格別なものがあったのである。

小次郎は芦津江にいて、亡霊が授けた食事と拝礼を欠かさずに暮らしていた。十日ほどすると次第に足に力が入るようになった。その頃上総から来たという商人が、小次郎の妻・志乃の自害の噂を伝えた。それによると、良兼が小次郎を捕らえる人質にするつもりで大事に扱っていたが、志乃はそれを察して舌を噛み切ったらしいというのであった。それを聞くと小次郎は黙って目を閉じ、覚悟していたようにしばらくそのままでいた。それでも怒りをこらえているためと、体調の回復のせいとで血が上った顔は赤く染まっていた。

石井の新館建築は、九月になって石井宿北方の丘上で早速始められた。それに先立ち猿島郡庁へ形式的な承認を求め、多冶経明が交渉に向かったが、郡司はこの地の豪族でもあり、中央の面子よりは地方の安寧が自身にも大事なのであろう、渋い顔ながら異議を唱えることはなかった。

九月の十日頃、御霊との約束の二十一日間が過ぎた。多兵衛や弟の三郎四郎たちの見守る中、小次郎は心身ともに復調したことを宣言した。

「己はすっかり生まれ変わったように思う。これまで皆にはずいぶん心配をかけたが、昔のように暴れまわって見せようぞ。これからは石井を館として、我らの党を大きく育てようではないか」

「やれやれ、やっと兄者らしくなってくれたわ。正直なところ、この先どうなるかと心配でならなかった、なあ四郎」と三郎が冗談らしく笑いかけたが、

「私たちが兄者をひとりにして、自分たちの荘へ帰ったのが失敗でした。ですがこれで一安心です」と四郎は笑いもせずにそう応えた。

「ところで兄者、これから我らはどのように進んで行ったら良いのでしょうか?今度のようにお上の威令が行われぬでは、世の正義はどうなってしまうのか、三郎にはわかりませぬ」と訊いた。

「誠に此度の良兼伯父の遣り様には腹が煮え返るようじゃ、己は絶対に許さぬ。そしてこの坂東が正しいことの行われるところ、お上の威光の届く場所にしたいと思うておる。それが忠平公への、己のご恩返しでもあるでな」

 小次郎は心からそう思っていた。元々単純明快な男であるから、自分の正義感を貫けばそれが即お上の為になるはずだ、という論理であった。


九月(陽暦十月)下旬、良兼が真壁郡服織の営所に来ているという知らせが届けられた。それを聞くと小次郎はすぐに兵を動かした。従ったのは文屋と坂上の二人の家人であった。晩秋の長雨を突いて急襲したが、良兼は素早く筑波山の東麓へ逃れた。彼は小次郎が復調し、妻子を殺された恨みに燃えているのを恐れたのである。

小次郎軍は必死の探索を行ったが、冷たい雨の中をたださまようばかりで、兵の体力も消耗して意気も上がらなかった。それでも三日間頑張った末、辺りの家々に火を放ち、狂ったように略奪を行って引き上げた。

夏からのこれらの争いについて、小次郎と良兼は互いを訴え合うという事態になったが、まず良兼らへの追捕の官符が発せられたと思うと、十一月には今度は将門を捕らえよという官符が出るという始末であった。当時のお上の混乱振りが分かるが、当然ながらどちらの命令も何の効果ももたらさなかった。

十月の末には石井の館が大きな姿を現し、十一月の終わりには何とか住居として使えるようになった。食料や生活に必要な物品も運び込まれた。小次郎は木の香のかぐわしい新居に入ったが、志乃や桔梗、あの可愛かったイネのいない家の中は虚ろな空間に過ぎなかった。

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