苦境に立つ
翌承平七年の五月(陽暦六月)である。雨模様の空の下、伸びた稲が平野に暗鬱な緑一色を拡げている。その天候のように小次郎の気分は重かった。 承平五年の野本の合戦の後、源扶ら三兄弟の父・護が朝廷に提出していた、小次郎に対する訴状が取り上げられ、良兼ら連合軍を撃退した昨年の九月になって、取り調べのために上京せよ、という官符が小次郎に下った。そして十月には都に上り、その年一杯は検非違使の取調べがあったが、小次郎の弁明が認められて重罪は免れた。それでも放免とはいかず都に留められていたが、この四月に朱雀帝の元服があり、その恩赦で帰郷を許されたばかりであった。
小次郎の気分が晴れないのは、何か懸念すべきことがあるからではなかった。都でも坂東でも、小次郎将門の武名は上がるばかりで、朝廷に対して堂々と主張して帰郷したことで益々世評を高めていた。
彼の憂鬱の原因は体調の異常から来ていた。足腰に力が入らない感じがあり、節々にも鈍い痛みがあった。半年あまりの都での生活で、何か悪い病にでも取りつかれたのか、と思ってみたが心当たりなどあるはずも無かった。
そんな小次郎の慰めになったのは、桔梗が産んだ娘のイネである。川曲村で良正と戦った年の暮れに生まれた、彼にとって初めての子であった。
生後一歳半のイネは父に似ない色白で、ふっくらした頬から小さな鼻の辺りまで、健康そのもののように血の色が透けて、文字通り桃の実のように愛らしい子であった。
小次郎が縁に寝そべって、雨に濡れそぼった庭をぼんやり眺めていると、やっと歩き始めたイネが桔梗と志乃を従えてやってくる。そしてまだ『ばあばあ』としか喋れないが、恐れというものを知らないイネの純真さが彼を和ませるのである。
小次郎にとって意外だったのは、志乃がイネを自分の子のように慈しむことだった。傍目には、むしろ実母の桔梗を上回るほどに見えた。桔梗は志乃を姉のように慕い、館の奥向きは平和そのものだった。二人の本心は知る由もないが、身体から力が抜け出てしまったように感じている小次郎には、そうした境涯に安住できることが今は有難かった。
「お館様、お加減は・・?」
「変わらずじゃ。天が謹慎しておれと言うておるのかも知れぬ」
志乃と桔梗が横になっている小次郎の側へ座り、イネは父の髭面へ手を伸ばしながら倒れこむと、乳臭さが彼の鼻を打った。
「イネはどうしてこのようにかわゆいのかのう。赤子というは、生きて動いているただそれだけで不思議じゃあ」
イネが何か分からぬ声を上げ、女たちは微笑んだ。
八月になったが小次郎の体調は変化を見せなかった。どこがどう悪いのかといわれても、ただ何となくだるさがあり、気分が晴れず意気が揚がらないのである。病は気からなどと思ってみても、それでどうなるものでもなかった。
そんな小次郎のもとに、良兼軍が子飼川を渡ってこちらへ進軍中である、という意外な知らせが届いた。なぜなら小次郎と良兼らとの争いは、官符に応じて上京した小次郎へのお裁きによって、公的な決着がつけられた筈であった。それを無視して兵を動かせば、朝廷に叛くことになる、ということを前下総介の良兼が分からないはずがない、というのが常識的な見方であった。
しかし現実は違ったが、良兼の心中を詮索している暇はなかった。すぐに防備を固めなければならない。小次郎は重い身体に鎧を着け、館の守りを急がせた。今度ばかりは自ら陣頭に立って闘うことは無理である。それは坂上、文屋といった家人に任せ、小次郎は館に留まった。
物見の報告によると、良兼軍は鎌輪の館を目指しているのではなく、どうも御厩(官厩舎)のある栗山の方へ向かっているらしい。鎌輪の里は鬼怒川が東に大きく蛇行した所にあり、その上流側が堀越の渡しで、館へは渡ってすぐ左折するのが道順である。だが良兼軍はそこを直進しているという。栗山は長老・多治経明の管轄地で既に防備を固めているはずであった。
そのうちに別の物見が奇妙な情報をもたらした。それは良兼軍が板で作った人形(ひとがた)を二体陣頭に掲げて、そのひとつには平朝臣高望王、別のは平良将朝臣と墨書されているというのである。
「何だ、それはいったい?」
「旗印にしてはおかしいぞ」
「まさかお位牌の積りではあるまいな?」
「・・・・・」
様々な声が上がったが、小次郎は何も言わなかった。何のことか彼にも分かりはしなかった。
多治軍は人形を見て戸惑ってしまった。良将は小次郎の父であり、高望王は祖父である。それに確かに位牌のようにも見えたから、矢を打ち込むのがためらわれたのである。
そうしているうちに、良兼軍は矢を射かけながらずんずん攻め込んで来る。多治軍は後退するしかなく、訳の分からぬままに敗走した。勢いに乗じた良兼軍は、倉などから貯蔵の食料、絹布などを運び出してから放火した。周辺の民家には逃げ遅れた農民らが息を潜めていたが、そこへも火が放たれ、飛び出してきた者らは兵によって刺殺された。家々はたちまち炎に覆われ、神社とその森も燃え、立ち上る煙は陽光を遮って辺りを薄暗くさせるほどであった。
多治は手勢とともに西方の牧に潜み、敵が迫った場合に馬を逃がす積りであったが、炎が揺らめき煙の盛んに上っている辺りからやってくる者はなさそうであった。
御厩の周辺は一晩中燃え続け、夜明けごろにようやく煙だけになった。多治経明は牧の中で、次第に明るくなってくるのを眺めた。敵はこれからどう出てくるか。彼は物見を二名出すことにした。一人は小次郎の下へ状況を知らせるため、後は良兼軍の動きを見るためである。
小次郎は鎧姿で夜明けを迎えたが、心身ともに経験したことのない疲労感を感じていた。『俺はどうなってしまったのだ。人生で今が一番充実している筈の時ではないか』そう思うのだが、戦いに飛び出していく気力さえ涌いてこない自分が不思議であり、情けなくもあった。今良兼軍に襲われたら生き延びることは出来ないだろうと思われた。
明るくなって間もなく、多兵衛が物見から帰って小次郎に報告に来た。前日暗くなってから栗山へ偵察に出ていたのである。
「味方に死者が出ておりまするが、大方は逃げおおせたものと見えます。多治殿は牧の辺りではないか、と申す者がありました。敵の損害はほとんどなく、夕べは気勢を上げて好き放題の暴れまわりようで。ところが朝になって、なぜか敵は引き上げの態勢を見せ始めましたので、お知らせに戻ったのでござります。なお二人を残してありますゆえ、追っ付け何か知らせてくるものと思われます」
小次郎は多兵衛の報告をにわかには信じられなかったが、もしそうであれば有難いと思った。だがまだ緊張を緩めるわけにはいかない。
「そうかご苦労だった。だがまだそれは坂上、文屋の他には誰にも言うてはならぬぞ、まだ油断はできぬ。
栗山は大分やられたようじゃのう、煙がここからもよう見えた。多治軍の損害もそれほどではなさそうで、まあこの際良しとすることじゃな」
小次郎がそういうのを聞いて、多兵衛は意外な気がした。いつものお館さまではない、いくさの最中とは思えぬ、まるで殺気がない。やはり都で何かの病に取り付かれたのかも知れぬと思った。
「それはひどい焼けようで。残った家はほとんどなく、百姓も逃げ遅れた者が大分やられました」
多兵衛は言いながら、昨夜火炎に照らし出された、跋扈する敵の姿を思い出して歯噛みした。
半時ほどして次の物見が戻った。その報告によると、良兼軍は既に常陸方向へ向かって動き出しているという。なおも一人が追尾しているが、引き上げは間違いないと思われた。
夜になって多治経明が館へやってきた。物見の報告では、敵は子飼の渡しを既に越えていたが、味方の守備兵はそのまま残してあるという。
兜を取った多治の顔には疲れが見え、灰色の髪は乱れている。彼は小次郎にまず御厩を焼かれたことを詫び、そしてこう付け加えた。
「何という無法なお方か、良兼どのは。それにあのような異様なやり方は、あれは御位牌の積りなのでしょうか。この多治にもどうしてよいものやら皆目分かりませなんだ。とても尋常一様なお方でないことは、此度はよく分かり申した。お館さまがどのようにけじめを付けられるのか、十分なお返しをせねばとても心が収まりませぬ」
普段は年長らしく落ち着いている多治も、今度のやられようには相当な怒りを感じているらしい。小次郎とて報告を聞いてその惨状は知っていたから、多治の気持ちは理解できた。しかし体調のせいか、いつもなら誰よりも頭に血が上り易い性格なのに、思慮くさい考えが浮かんでくるのであった。
「多治殿の怒りはもっともでござる。あのような卑劣な策を弄しようとは、他の誰が考えましょう。あれは無視すれば良かったのです。だが考えてみると、伯父らのお上への訴えはこの小次郎の謹慎という結果に終わり、先のいくさの恨みも晴らせなんだ。それが此度の狼藉で気が済んだなら、もう攻めてくることは無いかも知れぬ。そうなれば我らにとっても悪いことばかりとは申せまい。確かに損害は甚大だが、多治殿が無事であれば、御厩などいくらでも再建が出来ましょう」
言いながら小次郎は本当にそうなれば良いと思った。
「はあ・・・・」
多治は不満そうで顔の赤みも消えていなかった。彼は御厩を中心とした地盤を守れなかった、という引け目を感じていたので、その名誉を挽回する機会が早く来ることを望んでいた。しかし小次郎の態度にいつもの激しさがないことを思うと、党が結束していくさに突き進む姿などとても見えてこないのであった。
翌日の午後には弟の三郎が、その夕刻には四郎が館にやって来た。
「ともあれ兄者がご無事でなによりだ」
四郎は小次郎の顔を見るとまずそう言った。
「何をのんきなことを。御厩辺りは目も当てられぬ惨状だというに、お前は・・・・」
三郎は多治から状況を聞いて、小次郎とこれからの策を話し合っていたのだが、兄の様子に覇気がないのに少し苛立ってきていたところであった。初めは都へ上ったことからの疲れもあろうと思っていたが、帰郷してから既に三月あまりである。
「勿論それは承知しておりまするが、伯父上は一体何をお考えなのか・・・・」
四郎には一族で争うことへの嫌悪感があった。それにそもそも良兼への憎しみというものがなかった。ただ、なぜ伯父上は我らに戦いを挑んでくるのか、という思いだけがあった。野本の戦いで結果的に国香伯父を死に追いやってしまった、そのことが原因なのであろうか。
「良兼が何を考えようと、そんなことはどうでも良いわ。こうなっては伯父とも一族とも思いようがあるまい。多治殿と俺は、良兼が常陸にいるうちに攻めるべしと進言したのじゃが、兄者はそれには賛成しかねるらしい。四郎お前はどう思うのだ?」
三郎は兄小次郎に似て血の気の多い性質であるから、多治の気持ちがよく分かる。それにこのままやられっぱなしでは、せっかく勢力を伸ばしてきた党が世間の物笑いになろう。意趣返しは早い方が良い。これまではいくさに関して、常に兄と意見を摺り合わせることができたのである。ここは四郎の同調を得て、小次郎の気持ちを動かすしかなかった。
「ここは一度頭を冷やして、良く考えてみることも肝要かと・・・。それに兄者のお考えもお聞きしとう存じますが」
四郎がそう言うのを聞くと、三郎は目を剥いて大声を出した。
「たわけっ。お前はいつでもそのように煮えきらぬことを言う。まるで女子の腐ったようなやつじゃ、もう良い」
三郎は立ち上がって部屋を出て行ってしまった。多治は一瞬あっけに取られていたが、二人に会釈すると三郎の後を追うようにして出て行った。
小次郎と四郎は二人きりで向き合った。四郎には兄の顔がいつになく柔和に見えた。
「どうじゃ相馬の方は、稲の実りは順調か?」「はあ、百姓どもも精出してくれますゆえ、見事に穂が垂れております。これで大水さえ出なければ良いのですが」
「ほんに穏やかな秋を迎えたいものじゃな」 四郎は小次郎とこのように平和な世間話をしたことがかつてあったろうか、と不思議な気がした。やはり病のせいであろうかとも思った。
「お体のほうはいかがです?まだ以前のようにはもどりませぬか?」
「正直に言うが、あまりようない。涼しくなるまでには何とかなるだろうと思うておるのじゃが」
小次郎は、この状態で良兼軍と戦っても勝ち目はないだろう、今は何とか我慢して時期を待つしかないと言った。今回敵が鎌輪を攻めなかったのは、自分の首が目的ではなく、これまでの意趣返しがしたかったからではないか。もしそうなら再び攻め込んでくることはなかろう、というのが小次郎の考えであった。
四郎も同感だった。元々いくさが好きな方でなく、まして一族間での争いなどするべきでないと考えていたから、このままで済んでしまえば、こちらにとってもそれほど悪いことではないだろう。元気な小次郎が戻るまでは、こちらから兵を動かすのは得策でないと四郎は思った。
夕餉の席で再び三郎が自説を主張したが、小次郎は同意しなかった。四郎は小次郎の体調が回復するまでは、うかつに動かない方が良いのではないかと三郎に言った。『そういうことだ』と小次郎に言われると、三郎もそれ以上は何も言えなかった。
三郎と四郎は館に十日ほど滞在した。その間、常陸に引き上げた敵には何の動きも見られなかった。この分では小次郎の見方が正しいのかもしれない、と皆が思い始めていた。季節は稲の収穫時期を迎えて、それぞれの荘園が活気づこうとしていた。
ある朝三郎が小次郎に挨拶し、多治経明に兄の守護を頼んで下野境の営所へ向けて発つと、昼には四郎も相馬郡の営所へ帰って行った。
この時の良兼の考えはこうであった。昨年の下野境の戦いで小次郎軍の戦闘能力を知り、以来なお兵力の充実に努めてきたが、弟の良正は覇気を失い、甥の貞盛は都にあって合力を望めない状況である。小次郎を攻めるなら、戦端は子飼川の渡しに開かれようが、そこはひた押しに押して鬼怒川を渡ってしまえば、敵の防衛線は広がらざるを得ない。まず栗山の御厩を焼き、後は手当たり次第に火を放って、翌日には引き上げることにする。そして少しの間をおき、次には小次郎を目当てにして総攻撃をかけよう、というのであった。
だが問題は二回の渡河作戦である。実力が同じでも渡る方が不利となるし、良兼には敵の脅威が身に沁みていた。そこで思いついたのが、弓矢避けに大位牌を拵え、それを押し立てて進むという方法であった。
この作戦は敵を躊躇させ、渡河を容易にしただけでなく、戦意までも阻喪させたのは明らかである。
渡河した後で小次郎の館を攻めなかったのは、敵が兵力を多くその防備に充てていると考えたからで、御厩や栗栖院、民の家を簡単に焼き尽くすことが出来たのが、それを裏付けていると思われた。ここまでは全てが予定通りであった。
良兼は妻の父・源護から譲られた真壁郡服織の営所に引き上げてから、次の攻撃の機会を窺っていたが、十日ほどすると集まっていた小次郎の兄弟たちは、それぞれの持ち場へと帰っていったらしい、という知らせが届いたのである。
多治経明は御厩の再建に取り掛かるため栗山に滞在し、何かあれば駆けつける手筈になっていた。館では家人の文屋好立が兵を指揮し、小次郎の側近として、多兵衛が物見の者たちを使って情報を集めていた。
三郎と四郎が去って四日目の夕刻、良兼軍の挙動がおかしいと報告があった。文屋は早速館の西方堀越の渡しに兵を配置した。無論小次郎も承知だが、
『今度ばかりは逃げに徹することにしよう。己がこの有様では士気も上がるまい。回復の暁には、どんないくさも先頭に立って必ず勝って見せる。今は辛抱してくれ』と説きかけられては文屋もたまらない気持ちであった。
真壁郡の服織から堀越までは、直線で四里あまり、迂回したとしても一日で届く距離である。心配した通り良兼軍は迅速で、翌日の午後遅くには渡しに押し掛けてきた。三郎と四郎には前の晩に伝令を出していたが、これにはとても間に合わない。多治は栗山から戻ったが、連れている兵も数は少なかった。
戦闘が始まると小次郎は多兵衛に付き添われて、栗山から馬牧を経て広河の大沼のほとりへと逃げ延びた。沼には水草が丈高く生え、洲には柳など潅木の生い茂る森もあり、舟でその中へ逃げ込めば容易に発見されるものではない。多兵衛は志乃と桔梗、幼いイネ、それに下男と下女各二名を漁師舟二艘に分乗させ、もう一艘には持ち出してきた食料や布などを載せた。
「何がござろうと出て来ることはなりませぬ。じっとお隠れになっておられませ」と多兵衛は志乃に念を押した。
「分かっています。それよりお館様をくれぐれもお頼み申しますぞ。あのような小次郎様は見たこともありませぬゆえ、気がかりでならぬのです」
桔梗とイネが乗った舟が動き出したのに、志乃はまだ心残りのようにぐずぐずしていた。
「お任せくだされませ」
多兵衛は船頭に目配せしながら、志乃の舟を押し出した。舟は三つとも半町も行かないうちに夕闇に消えてしまった。
小次郎たちは沼の入り江を北方へ迂回して、沼を臨む陸閑の藪の中へ隠れた。
翌朝明るくなると、入り江の向こうから良兼軍の怒声が聞こえてきた。何と言っているのかは判別できないが、およそ『卑怯者、将門出て来い』というようなことであろうと思われた。多治と文屋はどうしたろうか、うまく身をかわして逃げ延びておれば良いが、小次郎の願いも今はそれだけである。
午になっても戦闘は起こらず、怒声もとうに止んで静かさを破るのは、勝ち誇った良兼軍の兵士たちの笑い声であった。
未の刻(午後二時頃)になって物見の報告があった。それによれば良兼軍は漁師舟を使って対岸の猿島方面へ渡り始めたという。それが真実なら、敵は戦闘を切り上げるつもりであろうか。小次郎は己を情けなく思いながらも、今度の危機が回避されるかも知れぬという望みを抱いた。
沼の東側は将門党の影響下であり、他ならぬ彼らが蹂躙した土地であれば、良兼軍に協力する舟はほとんどないといって良い。もっともそこらで舟を持つ者は、そばづえを喰わぬよう隠れてしまっていたが。それでも良兼軍は何艘か捜して対岸へ渡り、猿島郡の逆井付近の小舟を目一杯に徴用してきた。沼の幅は十町(一キロメートル余)ほどしかなかったが、なにせ千人に近い大軍である。全員が対岸へ渡り終わったのは日が暮れてからであった。
小次郎たちは陸閑にじっと息を潜めていた。今は静かに時の過ぎるのを待っているしかなかった。多兵衛は物見を各所に走らせながら、小次郎の側にいて情勢を見守っていた。
何事もなく夜が明けた。あちらこちらの物見から情報が入ってくる。南からは四郎軍が間近く迫り、北からは三郎の率いる伴類の連合軍が進軍中であることが伝えられた。多治たちの一隊は、それほどの損害を出すことなく撤退したという。小次郎が変調を来している今、このいくさは最悪の事態を避けて収束に向かうだろう、そういう安堵の空気が皆の内に広がっていった。
沼の上を覆っていた霧は辰の刻(午前七時過ぎ)にはすっかり消え、真夏の太陽が水面を輝かせはじめた。
「敵が南へ動き始めたと今知らせがありました」
多兵衛は丘の下から戻るとそう報告した。小次郎は藪を四間ほど刈り払ってそこへ草を敷いた上に座っている。
「そうか、すると伯父御は上総へ引き上げる積りじゃな」
言いながら彼は立ち上がろうとしたが、よろけて尻餅をついてしまった。それを見た多兵衛が手を貸そうとしたが、小次郎はそれには頼らず、自分の太刀を杖にして何とか起き上った。
「じゃがまだ油断は出来ぬ。うかつに動かぬよう伝令は出してあるな、多兵衛」
「仰せの通り三郎様には沼の東側を来られるよう。四郎様には、鎌輪にて多治殿と合流して待機なされるよう、夜のうちにそれぞれ使いを走らせてござります」と多兵衛はすぐにそう答えた。
「それで良い。今は辛抱する時じゃ」
午を過ぎても良兼軍は南下を続け、逆井の集落には元の静けさが戻った。もはや誰の目にもいくさの終わったことは明白であった。
沼の東側芦津江の集落は、良兼軍の焼き討ちからは免れて、隠れていた村人が数人水辺に出てきていた。そこへ小舟からふんどしひとつの男が上がってきて、西側で見てきたことを皆に教えた。
「そりゃあ大威張りに威張っておって、いかい人数じゃった。大将の馬など美々しぐ飾り立てて、南の方さずんずん行きおったで、おそらく石井から利根川さ出るんだべ」
それを聞くと村人たちに安堵の表情が浮かんだ。そして一人が小次郎の噂話を始めた。
「だけんと将門様は一体どうなされただべ?伯父御とはいえ、こうやられっぱなしでは良かあんめー」
「んだなー。栗山がやられたと思ったらこんだ鎌輪だべ、このままでは済まなかっぺよ」
「お館様はこの頃病がちらしかっぺ。元気さなればまた勢いさ取り戻されるべ」
そんな話が交わされている時、少年が一人そっと小舟を漕ぎ出して行った。多兵衛が館の女たちを沼に隠すのに雇った船頭の倅で、良兼軍が去ったことを父親に知らせようとしていたのだ。
午後の陽が眩しく沼の水に反射して、真夏の暑さが倍加するようであった。丈高い葦の中はむっとする熱気に満ち、餌を探している白鷺が音もなく舞い上がった。少年は幾つかの洲を巡って人のいる気配を求めていたが、やがて草陰に隠してある小舟を見つけた。そこは猫柳の根元に杉菜が繁り、橙色の萱草の花が咲いている中洲の端であった。
「お父う、俺だ、いるのけ?」と少年が声を掛けたが何の返事もなかった。しかし彼が舟から上がって藪の奥へ進むと、すぐそこには十人ほどの人間がいて彼の顔を一斉に睨んでいた。
「馬鹿野郎、来ちゃあなんねえど言ったろうが」とすぐに父親らしいのが声を潜めて叱った。
「だけんと、良兼様方はや逆井から石井の方さ行っちまった、と皆で喋っていだんだから」
少年がそう言うと、皆の顔が明るくなった。
「それは、まごどか?」と別の船頭が訊いた。
「んだ、間違いねえ」
それを聞くと志乃は桔梗の顔を見ながら、
「敵は上総へ向かったのでしょう、もう芦津江へ戻っても良いかも知れません。お館様のことも心配です」と言った。
桔梗にしても異論はなかった。夏とはいえ幼いイネを幾晩も野宿させるのが忍びなかったし、本当は沼に隠れるよりはずっと小次郎に従っていたかったのである。
一同は来た時のように舟に乗り込み、丈高い芦の茂みから開けた沼の上に出た。まだ申の刻(午後三時過ぎ)になったばかりで、陽は傾きながらも激しく西の水面を輝かせていた。
その眩しい西日を背にして、舟が芦津江の方角へ向きを変えたその時、鋭い風切り音とともに、何かが先頭の舳先をかすめて水に飛び込んだ。同時に後方で大声が上がった。
「その舟止まれ、止まらぬと射殺すぞ」とその声は聞こえた。
いつの間にか五艘の小舟が葦の間から現れて、逃げ切れぬ距離に近づいていたのである。そこには胴丸姿の兵が三名ずつ乗り、弓を構えて威嚇していて、とても振り切ることは出来そうになかった。
敵の舟の一艘が近づいて来ると、志乃は兵にこう嘆願した。
「子供と使用人だけでも、どうかお助け願いませぬか?」
「出来ぬな」
兵は傲然とそう言い放っただけであった。
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