第7章 宅配便到着
いつもはテーブル席に座っているが、月夜は今日はカウンター席に着いた。隣に煤もいる。フィルは自分の膝の上に座らせておいた。学校帰りに猫を連れているというのは、明らかに不自然だが、煤がその点について触れることはなかった。いつものことだから、もう慣れてしまったのだろう。疑問はそうやって疑問ではなくなっていく。
晩御飯を食べると言って、煤はオムライスを注文した。月夜は食べる気になれなかったので、いつも通りコーヒーを一杯注文した。例によって、店主が二人の注文を受けてくれた。ほかの従業員は、この喫茶店には一人もいないらしい。
「月夜は、学校に通っているんだな」運ばれてきたオムライスを食べながら、煤が言った。「感心」
「煤は、今日もゲームの練習?」
月夜が尋ねると、煤は首を上下に動かした。スプーンを口に運び、ケチャップで味つけされたご飯を口に入れる。
「それは、感心」
フィルは眠ってしまった。本当に眠ったかどうかは分からない。やはり、そういう振りをしているだけかもしれない。
「ゲームの練習って、どうやってやるの?」
少しの沈黙のあと、月夜は自分から質問した。煤といるときは、彼女は自分から話題を持ちかけるように努めていた。それは当初の目的を果たすためだ。ただ、彼女の本質はそういうところからかけ離れているから、そのための努力が必要だった。意識しない限り普段やらないことをできるようにはならない。
「どうって、とにかく、やるだけ」水を飲んで、煤は答えた。「やればやるほど、上達すると信じている」
「信じている、ということは、それが正しいか、分からない、ということ?」
「まあ、そうだな」
「それで、いいの?」
「少なくとも僕は」煤は頷いた。「今まで、それでどうにかなってきたから、今後も同じやり方でいくつもり」
「どうにかならなくなったら、そのときに考える?」
「それが一番の方法じゃないか?」
カップを両手で持って、月夜はコーヒーを喉に流し込む。首もとが少し暖かくなって、液体が体内に入ったのが分かった。胃の中の様子までは分からない。胃には感覚神経がないのかもしれない。
「理論は、立てないの?」
月夜が質問すると、煤はスプーンを持った方の手を振って、答えた。
「立てるときもある。そういうときは、立てたら、何度か試してみる。……そうだな、たしかに、ただやるだけではないかもしれない。あまり意識していないけど、最初に理論を立てる段階があるのは確かだ」
「上手くいくと、嬉しい?」
「もちろん」煤は頷く。
「失敗すると、悲しい?」
「いや」彼は首を振った。「特に、そうは感じない」
自分と同じかもしれないと、月夜は思った。ただ、彼女の場合好きで勉強しているわけではないから、悲しいとも感じなければ、嬉しいとも感じない。面白いと感じることはある。でも、それも面白いという言葉が示す範囲とは、少しずれている。そこまで単純な感情ではない。
「月夜は、好きなことはないのか?」
「たぶん、ない」
「この前、本を読んでいなかったっけ?」
「うん」
「好きで読んでいるわけじゃないの?」
煤に質問されたことを、月夜は頭の中で考える。結論は出ていたので、それが正しいか確認する作業だった。
「好きでは、ないと思う」
「へえ……。まあ、君がそう言うのなら、そうなんだろうな」
「ゲームの話、聞かせてほしい」月夜は唐突に要求する。
「話って、どんな話?」
「何でも」月夜は煤を見つめた。「思いついたことを、一つずつ」
オムライスを食べ終えてから、煤は色々なことを話してくれた。
まず、ゲームにはルールがあるということを、煤は説明した。そのルールの中で遊ぶからこそ、ゲームは面白いのだと彼は言った。ゲームのデータを改造して、ルール違反をすることをチートと呼ぶが、それをすると面白さは確実に損なわれるらしい。彼も実際にやったことがあるらしいが、ゲームをやる意味が丸ごとなくなってしまったと感じたみたいだった。ルールが適用されない状態になるとは、すなわちその世界から脱却するということだ。ゲームの面白さは、ゲームの中でだけ知覚できるものだから、その世界から脱却してしまえば、同時に面白さからも脱却することになる。物理宇宙の法則から外れて、魔法を使えるようになっても、きっと面白くはない。定められたルールの中で、魔法の存在を夢見るからこそ面白いのだと、煤は話を纏めた。
「じゃあ、煤は、魔法は欲しくないの?」
「欲しくない」月夜の質問に煤は簡単に頷く。
「ゲームの中で、魔法が使えれば、面白いと思う?」
「それはそうだろう」彼は言った。「その世界には、初めから魔法があるんだから」
「自分で、新しく魔法を作り出すのは、駄目?」
「駄目だよ」
「すでに存在する魔法を、練習して使えるようになるのは、楽しい?」
「楽しいだろうね。それが、ゲームの在り方として相応しい」
次に、煤は、ゲームも一つの作品だということを話した。映画や小説、演劇など、現代では色々な作品媒体があるが、ゲームもその中の一つに含まれると、彼は考えているらしかった。たしかに、考えてみれば、ゲームには様々な分野の技術が使われている。ゲームのプレイ画面を出力するのは映像だから、どのようなエフェクトをかけるか、どのようなインターフェイスを用意するのかなど、映像面での技術はもちろんのこと、ゲームを下支えするのはプログラムであり、それは数学の技術によって成り立っている。また、ゲームには音楽も欠かせない。無音で映像だけが流れていては盛り上がらないので、その場面にあった音楽を流す必要がある。ただ、ゲームには予め定められた容量があるから、音楽も決められた数しか使えない。そうした制限の中で一つの作品を作り上げるのは、凄いことなのだと、煤は説明した。
「ゲームは時間の無駄だと言う人も、いるけどね」あとから注文したコーヒーを飲みながら、煤は話した。「でも、僕はそうは思わない。色々な人が関わって、色々と考えた結果が、そこにあるんだ。これは個人的な意見だけど、僕はほかのどんな媒体より、ゲームは素晴らしいと思っている。本当に色々な要素が含まれている。映画みたいに、決められた一つの映像を流すだけなら簡単だけど、ゲームの場合はそうはいかない。状況に合わせて、適切な映像に見えるように工夫しなくてはならない。そして、そのためにはプログラムが必要になる。式を立てるというのは、芸術的な行為なんじゃないかな。立てた式を基に計算するのは誰でもできるけど、式を立てる段階ではセンスが問われる。式を立てるとは、要するに世界の在り方を定めるということだ。言い換えれば、それがルールを生み出すということになる」
煤はコーヒーを啜る。
月夜も一緒にコーヒーを飲んで、彼に訊いた。
「煤も、ゲームを作ってみたいと思う?」
想定していなかった質問なのか、煤はカップから口を離して笑った。
「いや、それはどうかな……」少しだけ沈黙して、彼はまた口を開いた。「いや……。……僕は、あまり作りたいとは思わない。創造する方には回りたくない。与えられた世界の中で、どうしてこうなったのか考えたり、感じたりするだけでいいんだ。あくまで鑑賞者としての立場でいたい」
「評論家?」
「いや、評論家でもない。僕は極力評価はしたくない。誰だって、今あるこの世界の物理法則を、評価しようとは思わないだろう? それと同じ。世界は世界としてそこに存在し、その中には決められたルールがある。それだけでいい。そのルールについて様々な角度から鑑賞するのはいいけど、そのルールの内容そのものを評価するのは、違うんじゃないかな」
「ゲームの、コツ、とは?」
唐突に話題を変える月夜に、煤は笑いかける。けれど、彼は何も言わずに質問に答えてくれた。
「一般論としてのコツなんてものは、ないだろうね」彼は前を向いて話す。「それは、一般論として、生きるコツを問うのと同じだ。そんなものはない。自分は自分のやり方でやるしかない。たとえ上手くいっている人がいて、その人の真似をしたとしても、それで自分も上手くいくとは限らない。自分は自分であって、その人じゃないんだからね。それは仕方のないことだよ。でも、その分、自分には自分なりのやり方を模索する自由がある。誰かの真似をしなくてもいいんだ。自分がそれでいいと思えれば、それでいい」
「煤は、もう、それを、手に入れた?」
「いや、まだ」
「いつか、手に入れられそう?」
「いや……」煤は下を向く。「きっと、手に入れることはできないだろう」
「どうして?」
煤は顔を上げ、月夜を見る。
「誰かの真似をしてしまうから」
彼の返答を聞いて、月夜は首を傾げた。
「そうなの? 今、話してくれたことは、実体験に基づいているんじゃないの?」
「いいや、違う」煤は脚を組み、それから腕を組んだ。「僕には、それが欠けているんだ」
「それ、とは?」
コーヒーをすべて飲み干して、煤はカップをソーサーに戻した。銀色の小さな容器に入ったミルクが付随していたが、彼は使わなかった。
「まだ、勇気が足りないんだ」煤は言った。「自分なりのやり方でやればいいことは、分かっている。けれど、どうしても不安になる。思い切りが足りないって言えば伝わるかな。一線を超えて、ほかの人のやり方が見えないところまで行くのが怖いんだ。迷ったときに、自分に問いかけるんじゃなくて、ほかの人に頼ってしまう。今まで、ずっとそうすることしかできなかった。……たぶん、今僕が採用しているやり方も、自分なりの方法だと思い込んでいるだけだ。自分にそう言い聞かせて、プライドを保持しようとしているんだろう」
喫茶店のドアが開かれる。片手に荷物を抱えた男性が、店内に入ってきた。カウンターの向こうから店主が姿を現し、男性が示した領収書にサインをする。被っていた帽子を一度外して挨拶をすると、男性はドアを開けて店から去っていった。店主もカウンターの中に入り、奥にある厨房へと戻っていく。
こんな時間にも労働をしている者がいる。それが正しいことなのか分からないが、自分のように夜に活動している人間がいるのを見ると、月夜はなぜか落ち着くような気がした。不思議な感覚だ。
「でも、煤は、それでいいと、思っているんじゃないの?」
意識を隣にいる少年に戻して、月夜は意見を述べた。
「うん、まあ……」煤は正面を向いたまま頷く。「きっと、そうなんだろう」
「たぶん、私も、今の自分のままでいいと、どこかで、そう、納得しているんだと思う」煤と同じように前を向いて、月夜は話した。「このままでいいのか、と自問しながらも、いいんだと、諦めてしまっている。自問していれば、しないよりはましだと、思い込もうとしているんだと思う。それで安定しているから、問題ないと考えている」
「僕も、そういう感じだな」
「煤も、それで問題ない、と思っているの?」
「たぶん、そうだよ」煤は頷いた。「ただ、少し苦しいのも事実だ」
「生きるのが?」
「生きるのは苦しくない。生きるのは前提条件だ。そうじゃない。生きる中での苦しみなんだ」
「枠構造になっている、ということ?」
「そう。その枠自体が、苦しいという性質を帯びているわけじゃない。枠の範囲は決して狭くはない。その中でとる形が、今の僕に苦しさを齎しているんだ」
「死んでも、解決しない、と言いたいの?」
「それはそうだよ。生きていなければ、そもそも苦しいだなんて感じない」
ずっと話し続けていた分、今度は長い沈黙が下りた。けれど、月夜はそれを不快だとは感じなかった。相手が煤だからではない。彼女はずっとそうなのだ。煤がどう感じているかは分からないが、少なくとも、彼もこの状況に戸惑っているわけではなさそうだった。
暫くすると、煤はパーカーのポケットからゲーム機を取り出して、またゲームを始めた。
隣に座ったまま、月夜は彼の手もとを覗き込む。
煤は何も言わなかった。
月夜も、何も言わずに彼のプレイを見続けた。
煤がゲームをプレイしている様を見ていても、彼が先ほど言っていたことが、本当なのだとは思えなかった。つまり、彼には彼なりのやり方があるように見えてしまう。ゲームに対する彼の考えは、あくまで彼がプレイして感じたことだ。だからきっと、月夜も自分でゲームに触れない限り、彼が言っていたことを理解することはできない。ただ、理論として理解することはできた。説明に曖昧な部分があっても、それを自分で捕捉してニュアンスを掴むことはできる。
奇妙な感覚だった。
分からないはずなのに、分かった気になれる。
分かった気になるというのは、分かったのとは違う。
あくまで、他者の言っていることを自分勝手に解釈しているにすぎない。
それでも、相手と確かに繋がっているという感覚がある。
そして、相手が自分と同じ感覚を抱いているということも、分かる。
分からないはずのことを、分かったと思って、相手がそれを分かってくれているということが、分かるのだ。
たぶんそこには、少なくとも、人間が現在使用している言語では説明のできない何かが潜んでいる。
それは新しい言語かもしれない。
確固としたルールがあり、それに則って展開されている。
けれど、その仕組みを解明するためには、そのさらに上位に位置する言語が必要になる。
だから、最終的には説明できなくなる。
そして無限という概念が生じる。いや、生じざるをえない。
視線をずらして、月夜は煤の顔を見る。
かつて彼が口にした、ゼロと一の話を思い出した。いや、本当は思い出したのではない。それはずっと彼女の中にあった。この瞬間に、普段よりも強く意識するようになっただけだ。
……。
ゼロと、一……。
いや、ゼロか一か。
少なくとも、ゼロと一は共存できない。どちらかは淘汰され、消滅する。最後にはどちらか一方だけが残る。
煤は一を選んだ。
では、自分はどちらを選ぶだろう?
自問自答。
「月夜」
不意に下から声が聞こえて、月夜はそちらを見た。人殺しのピエロの顔があるかもしれないと思ったが、そうではなかった。
「それは、今は忘れた方がいい」フィルがほかの人には聞こえない声で、月夜に話しかけた。
「なぜ?」月夜は尋ねる。
「今は、そのときではないからだ」
「忘れていた方がいいって、どうやって、忘れたらいいの?」
「忘れたことにしておくんだ」
月夜は沈黙する。数秒間視線を泳がせて、また膝の上に座るフィルを見る。
「ちょっと、難しい」
「では、今度は、そうすることができたと思っておくんだ。それはできるだろう?」
「先に、上位概念にシフトするのなら、それより下の概念は消えるから、あるいは」
「じゃあ、それでいい」そう言うと、フィルはまた目を閉じた。「俺は、もう暫く眠っているよ」
煤のゲームプレイを見ながら、月夜は今日学校で起きた事件について、彼に話して聞かせた。特別話したいわけではなかったが、彼になら聞いてもらっても良いかもしれないと思った。
月夜が話している間も、煤はゲームをする手を止めなかった。ゲームをしながら別のことができるみたいだ。手は動いているが、ほとんど作業でしかないのかもしれない。ゲームに関する判断は頭の中で行っているわけで、手はその結果を反映、出力しているだけにすぎない。人の話を聞くというのも、耳から入ってきた音声を頭の中で処理する行為だから、結局のところ、彼が今している作業はすべて頭で処理されていることになる。つまり、使っているのは、手でも耳でもなく、頭だけだ。
「なるほど」
月夜が一通り説明すると、煤は一度頷いた。
「どう思う?」月夜は尋ねる。
「どうって、何が? どうやって皿が割られたかを考えろってこと?」
「そう」
煤は月夜の学校の事情を知らないので、犯人を当てることはできない。けれど、彼は月夜がいるのと同じ世界にいるから、事件が起きた状況については、考察することができる。
「月夜は、もう結論を出したのか?」
煤に尋ねられて、月夜は頷いた。
「二つくらい」
「じゃあ、まずは、それを聞かせてもらうところからだな」
煤に言われて、月夜は自分が推理したことを話した。彼女自身は推理だとは思っていなかったが、フィルがそう呼んでいたから、今はそういうことにしておいた。
一つは、最後に食堂を施錠した部活動の顧問が、嘘を吐いているというものだった。これは、現段階で最も論理的な説明といえる。教員による事件の説明は、鍵がかかっていたという前提のもとに述べられているため、解決が困難になっている。それならば、その前提が間違えているという方向で考えてしまえば良い。犯人である可能性が高い部活動の顧問に問い詰め、なぜ、そしてどのようにしてそれをしたのか、聞き出すだけで済む。
しかし、現段階では、顧問が嘘を吐いているという証拠はない。したがって、別の方法を考えなくてはならない。
そうして月夜が考えたのが、あの、ピアノごと運搬するという方法だった。要するに、食堂で皿を割ったのではなく、割れた皿を予めピアノに仕込んで、ピアノを食堂に運搬することで、そこで割れた皿が発見されるように仕向けたというものだ。しかしながら、フィルに指摘されたように、これではそもそも説明になっていない。ただ、そういう方法もある、というアイデアを述べただけで、論理的には、鍵がかかった状態で皿を割る、もしくはそうした状況になっているように見せる方法を、説明したことにはならない。その難点についても月夜は煤に説明した。
「なるほど」
月夜が自分の推理を述べ終えると、煤はまた同じ言葉を口にした。相変わらずゲームをしていて、彼女の話を真剣に聞いているのか、正直怪しかった。
「真剣に、聞いている?」
その点について月夜が尋ねてみると、煤は案の定首を振った。
「いや、まったく」
「あまり、面白くなかった?」
「面白いは面白い」少し笑って、煤は言った。「でも、どちらかというと、そんな話を真剣に聞く方が、珍しいんじゃないのか?」
煤に指摘されて、月夜はその通りだと思った。実のところをいえば、彼女自身この問題にはあまり真剣に向き合っていなかった。
「君が言いたいことは、分かった」手もとを見ながら煤は話した。「でも、今のところ、僕には何の閃きもない」
「情報が、足りない?」
「情報は足りている。今君が話したことがすべてなんだから。何も閃かないのは、僕が馬鹿だからだろうな。ろくに勉強してこなかったから、必要な知識が欠けているんだ」
「この話題に、特別必要な知識は、ないと思う」
「そう? それなら、たまたま運が悪くて、何も閃かないんだろう」
そう言って、煤は沈黙する。彼が沈黙したから、月夜も沈黙した。こういうのを、連帯責任とは、普通言わない。
店主がやって来て、コーヒーのおかわりの有無を尋ねてきたが、月夜は断った。煤は、コーヒーではなくて、今度は紅茶を注文した。ここはコーヒー店ではないから、そういう注文もありだ。暫くすると、硝子のカップに入った透き通った茶色の液体が、煤の前に運ばれてきた。
「これは僕の意見だけど」紅茶を一口啜ってから、煤は口を開いた。「君の推理には、足りないものがあると思う」
「足りないもの?」月夜は訊き返す。
「そう」
煤はすぐには続きを話さなかったから、月夜は彼が何を言おうとしているのかを考えた。けれど、結論からいえば、何も思いつかなかった。思いつくことはあったが、どれも煤が言いそうなことではなかったし、月夜が考えられることには限界があった。
「足りないのは、なぜそういうことをしたのか、という視点じゃないかな」
煤の言葉を聞いて、月夜はそれを反復する。
「なぜ、そういうことをしたのか?」
「君の話にも、そういうニュアンスは含まれていたと思うよ」煤は説明した。「でも、決してそれがメインではなかった。そうじゃないか? 君が考えていたのは手法であって、では、そうした手法を用いて、どうしてそういうことをしたのかという目的については、あまり触れられていなかった。だから、それを考えてみると、答えに一歩近づけるかもしれない。誰がしたのかを考えるのは一端置いておくとしても、その人物がなぜそれをしようと思ったのかを考えることはできる」
「動機、ということ?」
「まあ、推理小説的に言えば、そう」そう言って、煤は不敵に笑った。「僕は、その手のものはあまり好きじゃないけど」
「動機を考えても、仕方がないと、私は考えていた」
月夜の発言を聞いて、煤は口もとを持ち上げた。
「ゲームには、二つの側面がある。技術的な側面と、芸術的な側面だ」煤は話す。「僕がさっき言ったことは、たぶん、その二つに纏められる。君が考えているのは、技術的な側面だ。そこには、理論があり、数式がある。でも、それだけじゃない。そうした技術は、先に表現したいものがあって、そのために発展してきたものだ。だから、技術的な側面だけではなく、表現したいもの、つまり芸術的な側面についても考えなくてはならない」
「煤は、芸術的な側面で、私は、技術的な側面?」
煤は小さく声を出して笑った。前髪に隠れた目が、少し光ったような気がした。
「面白い例えだね」
「二人三脚?」
「三脚じゃないな。別に、融合はしないから」
月夜は沈黙する。
煤に指摘されたことは、的確だと感じた。たしかに、彼女はそうした側面を考えていなかった。考えようとしなかったわけではないが、どこかでお蔵入りにしていた。ないものとして扱っていたのだ。
でも、その側面は確かにある。
なければならない。
そうでないと、合理的ではないからだ。
「もう少し、考えた方が、いいかな?」
独り言のような発言だったが、煤はそれに答えてくれた。
「そんなことを言うのは、考えた方がいいと思っているからじゃないの?」
「私が?」
「僕じゃないよ」
月夜は一度目を閉じ、もう一度開く。
「煤は、気にならない?」
「その、事件について?」
「うん」
「あまり」彼は首を振った。「はっきり言って、どうでもいい」
「でも、私は、考えた方がいい?」
「そうだろうね。いや、そうすべきだ」
紅茶を飲み干すと、煤は椅子から立ち上がった。それから月夜を見下ろして、そろそろ行こうと彼女に声をかけた。
「行くって、どこへ?」
月夜は尋ねる。
「どこでもいいけど、今日のところは家に帰ろうかな」
精算を済ませてから、二人は喫茶店の外に出た。眠っているフィルを抱きかかえて、月夜は階段を上がる。
「もう、道筋は明らかになった」地上に出たタイミングで、煤が言った。「あとは、その通り進むだけだ」
「何が?」
「家までの経路」そう言って、煤は一人で笑った。
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